#2137/5495 長編
★タイトル (RMC ) 93/ 6/17 19:11 (189)
泣かないでレディー・ライダー 02〈トラウト〉
★内容
[1]Motomachi FATBOY
「綺麗なバイクね」
店先でバイクをいじっていた源治は、そう声をかけられ、座ったまま振返った。
洗いざらしのスリムなジーンズに白いTシャツの女性が立っていた。ちょっと
栗色がかった柔らかそうな髪が、風にふわっと揺れた。
源治はいきなり声をかけられてびっくりしたが、短くうなずいてにこっと笑っ
た。
源治の陽に灼けた顔、東南アジアの田舎にでもいそうな、人懐っこい笑顔だ。
胸にバイクのメーカー名が書かれたブルーのツナギを着ている。
「貴方のこれ?」修理工場から誰かのバイクを治しに来た人かな? とも思い、
菜穂子はそう尋ねてみた。
彼はツナギの腕のところで額の汗を拭くと、めんどうそうに小さな声で答えて、
そのまま作業を続けた。彼女にはよく声が聴きとれなかった。
源治は初めてあった女と気安くしゃべるのは苦手だ。それに、その女性がいい
感じ、であればなおさらだ。
「ナナハン?」彼女がまた尋ねてきた。源治が「ううん〜パパサン」と言って笑
った。『大抵のオンナは大きなバイクをみるとナナハンだと決めている』そう思
って笑ったのだ。
菜穂子がその意味を分らないで黙っていると「883ccだからパ・パ・サン
ていうんだよ」源治が説明し直した。
「ふ〜ん、夕焼けみたい」
「・・・・・・・・」
彼女がタンクを指でコンコンと小さく叩いた。
フューエルタンクと前後のフェンダーがオレンジ色をしている。
「ああ、これね、そういえばそうだ。アメリカの夕焼け」
源治が立上がって、ぼろ布でそのタンクを一拭きした。
「アメリカのバイクなの?」
「ハーレーだよ、ハーレー・ダビットソン。知らない?」
「これがハーレーなの? そういわれれば、日本のバイクよりちょっと外人して
る。アメリカのポリスみたいの時々見るけど、これ、ちょっと小さい?」
「あれは1200ccのグライドってやつ。これは883ccのスポーツスター」
「だからパ・パ・サンね」彼女がバイクの通称を覚えた。
「うん、パパサンだけどエンジンは1200にボアアップしてある」
「ボアアップ・・・・」
「そう。もともとこのバイクは1200ccのバイクだったんだ。アメリカ国内
の税制をクリアするために、わざわざ900cc以下にした。だから簡単に排気
量をアップできるんだ」
「・・・・・・・・」
「うまく出来たのはいいんだけど、トルクが太すぎて、まるで暴れ馬。ねじ伏せ
らんなくなった。だから、ブレーキのパッドをとり替えて、減速比をハイギアー
ドにしようかって思ってんだ」
彼がやっと彼女の目を正面からみつめて言った。
彼はH・D([H]arley[D]avidson)の話しなら一晩中だって話し続けられるの
だ。
彼女が眉を上げて、目をキョトンとさせている。
彼がやっとしゃべり過ぎた事に気がついて、頭をかいた。
「わかんないよなそんな事言っても。いつもここでバイクいじってると聞かれる
からさ、つい説明するクセがついてる。でも女の人に聞かれたのは初めてだよ。
好きなのバイク?」
「今、教習所に通っているの。三段階目だからもうすぐなんだ。いつも散歩しな
がら、どのバイクを買おうかなって、駐めてあるバイクを眺めてる」
「ふ〜ん」
「今まで見た中では、一番カッコいいかもしれない」
彼女が腕を組んで体をそらせ、遠くからバイクを眺めた。
源治が嬉しそうに、彼女の真似をして体をそらせて、一緒に自分のバイクを眺
めた。
「でかいバイクの割にはシートが低いだろ、女でも乗れるよ。君、足が俺より長
いみたいだしさ」
源治も背は高い方なのだが、ベルトのラインは彼女が上だ。
「中型なの私、乗れないわ」
「そうか・・・・知合いがいるんだ、なんだったらいいの探してやろうか?」
また会えるかな? と思い、源治は一応そう言ってみた。
「本当!嬉しい。あんまり高いのはダメなんだ」
「わかった、また来なよここに」
「ここって?」と菜穂子が尋ねると、彼が顎をしゃくって店をさした。
『ホットドッグ FATBOY』というカラフルな看板が出ている。
星条旗の上に、白頭鷲が羽を広げているイラストが書いてある。中はカウンタ
ーだけの、屋台に毛のはえたぐらいの小さな店だ。横浜・元町の商店街から運河
の方に、はずれた小路にある。
「ファットボーイ・・・・あなたの店?」
「うん、ズッとここ、ひとりきりでさ。お客はあんまり来ないないから、いつも
店の前でバイクいじって暇つぶしだよ」彼が口をヘの字にした。
「ふ〜ん、ホットドッグ」彼女が店の中を覗いた。中は旧き良き時代のアメリカ
といった感じだ。おまけにイーグルスのホテル・カリフォルニアなんかかかって
いて、クアーズが置いてある。
「今時、流行んない店だって、思ってんだろ」彼がいうと、彼女が首を横に振っ
て言った。
「私、川村菜穂子。みんなはナホって呼んでる」
「あっ俺、内山源治。みんなはゲンジって呼んでる、あっ俺はニックネームない
んだ」二人が同時に笑った。彼女が握手をしようとして手を出したが、彼が油ま
みれの手を振って、照れくさそうに頭をペコンと下げた。
運河のところからポンポンポンポンと船の音が聴えて、通り過ぎていった。
彼女が行ってしまうと、彼はバイクの修理をきりのいいところでやめ、二階に
いって念入りに手を洗った。床にぬいだままで置いてあったジーンズを履き、引
きだしをあけ、黒いTシャツを引張り出し、それに頭をとおした。
引出しの脇の隙間にスポーツスターのタンデムシートが立てかけてある。
新車の時にはその二人用のシートがついていたのだが、後ろのフェンダーをむ
き出しにしたスタイルが好きだったので、買ったとたんにシングル用のシートに
かえたのだ。ゲンジはちらっとそれを見ると、川村菜穂子の涼しい笑顔を思い浮
べた。
店に戻ると、彼はカウンターに置いてあるマスタードとケチャップのボトルを
全部あつめ、中を調べて補充した。
彼がこの店をひとりきりで始めて、もう五年になる。彼の親父が心臓発作で死
んだのも五年前だ。母もとっくにというか、彼が小学校の時に死んだ。親父が男
手ひとりで彼を育てるために、脱サラをして住まいを改造して作った店がこの店
だ。
彼の父も早くに母をなくして寂しい日々を送っていたんだろうと思うが、その
寂しさをハーレーが癒してくれた。彼の父は、いわゆる『蘇る青春』といった、
時々みかけるハーレー・ダビットソンおじさんになった。そして、彼をいつもハ
ーレーに乗せ、三浦半島や湘南をツーリングするのを唯一の楽しみとしていた。
H・Dはゲンジにとってバイクであって、ただのバイクでない所以だ。
店の名前『FATBOY』は親父が乗っていたオールドタイプのハーレーの機
種名だ。店のインテリアは当時最新のアメリカンスタイルにした。その最新のま
ま年月がたった。店の作りが「旧き良きアメリカ」というのも当り前の話しで、
当時と何もかわってないだけなのだ。
高校を卒業すると彼はそのまま、親父の店を手伝う事にした。その時に親父が
スポーツスターを買ってやると言出したのだ、一足早い成人祝いという事なのだ
ろう。それから彼は免許を取った。親父はもっと早く、H・Dをプレゼントして
一緒に走りたかったらしいのだが、学校の規則でバイクの免許を取れないでいた
のだ。嬉しかった。それが彼にとって最初のスポーツスターとの出会いだった。
店の前に二台のH・Dが並ぶ事になると、それだけでH・Dのオーナーがめざ
とく店をみつけて集るようになった。今もそのころの常連はこの店に来て、彼を
ジュニアと呼ぶ。
ゲンジはグラスを磨き上げながら、棚の上に飾ってあるファットボーイのエン
ジンを眺めた。さすがに親父のファットボーイは年月に耐えられず廃車したが、
彼はそのエンジン「OHV・V2エボリューション」のみを外し、オイルでぴか
ぴかに磨きあげ、この店に飾った。しかしそれは人が思ってる程、悲壮感を持っ
てそうした訳でもない、この店のお守りみたいな気分だ。
知らない間に店のBGMが止っていた。
カセットを入換えていると、表から2サイクルの軽い音が聴えた。リュウが自
転車がわりに使っているベスパだ。
「おう」
リュウが入ってきた。グリースこそつけていないが、髪をオールバックにして
いるキザな男、高橋竜一。高校時代の同級生だ。高校の時にはそれなりの仲で、
卒業と同時に会わなくなったのだが、だいぶたってから、ばったり山下公園の前
の信号待ちで出会った。H・Dが二台並んだので思わず顔を見合せたら、それが
リュウだった。それからは、うるさいぐらい毎日のように店に遊びに来ては、H
・D話しだ。もっとも最近はクルマに入れあげて、バイクはベスパという軟弱さ
だが。
「相変らず速そうなの乗ってんな」ゲンジが彼のベスパを茶化した。
「お前、かのイタリアのスクーター、ベスパ嬢にむかって、それは失礼だぜ。そ
れより治したのかよ」リュウが店先のH・Dに目を向けた。
「まだだよ」ゲンジが言うと、リュウが赤いスツールに腰をかけた。
「ブレーキパッドだけじゃなくて、キャパ不足のクラッチも取替えてやった方が
いいぜ、持ってきてやるか?」
「いや、考えとく、お前商売うまいな」
ゲンジが冷蔵庫からクアーズを出して、リュウの前に置いた。
彼は伊勢崎町の車検屋の二代目、もっとも親父はまだ生きてるが。彼の店は当
然ながらクルマの修理をするところだが、凝り性の彼が、ビンテージカーのレス
トアをしたり、すっかり覚えてしまったH・Dの修理やら、部品を扱ったりして
いる。
「ばかやろお前、俺のが毎日ここに来てビール飲んで貢献してるでしょ」彼が両
手をひろげて肩をすくめた。
「来なきゃいいじゃねえかよ、真面目に仕事してろお前」
ゲンジがソーセージを鋏んで鉄板の上に乗せた。
「今は休んでるの僕ね。仕事があればいつだって電話かかってくるでしょここに、
待機中なの、わかる?」
いつだってこうやってひょうきんで、攻撃的なやつだ。ゲンジはそれとは正反
対の性格なのだが、かえって馬が合う。
「いい身分だよお前。ところでさぁバイク、なんかいいのないか出物で」
「ハーレーか?」
「いや中型のロードがいいかな、ちょっと頼まれちゃってさ」
「ドゥカだったら、あるかな今。イタリアンカラー、フェラーリと同なじ真っ赤
っ赤でハーフカウルがついてる。いい音、どっどっどっどっ!新車同様格安販売
予定」
「ドゥカッティか、いいのかあれ」
ゲンジはまったくH・D以外のバイクを知らない。
「いいのかアレだと? お前、ハーレーだけがバイクじゃないの。ドゥカがどれ
け凄いバイクか・・・・説明しても無駄か。世の中には色々あるのよ、他にもホンダ、
ヤマハ、カワサキ、BMW、知ってる? 覚えときなさい」
リュウが呆れて言った。
「音だけは知ってるよ、派手だもんなアレ。乗りやすいのか?」
「リトルダイナマイト! 見かけは250ぐらいしかなくて、これがビンビンの
400SS、Sがふたつついてるとスーパースポーツね、軽い。持ってこうか?
頼まれたやつんとこに」
「いや、まだいい。それしばらく売らないでとっとけ、な、わかったか?」
ゲンジが身を乗出して言った。
「ん? ああ・・・・俺が乗っててやるけどさぁ」
「そうしろ。あっ、今度乗ってこい、俺が試乗してやる」
ゲンジが嬉しそうに、ホットドッグを彼に渡して「サービス!」といった。
「う〜ん、なんかへんだ、まあいいか」リュウが組んだ腕をはずして、ホットド
ッグにマスタードとケチャップをいいだけかけて、食らいついた。
リュウが顔を上げた「ダメだ、お前には乗せない。言っとくけどな、ハーレー
のライディングはあなたお上手ですけどね。ドゥカだと立ちゴケするわ」自分で
そういいながら、うなづいて「プッ」とふいた。一度モトクロッサーを貸してメ
チャクチャにされ、トラックで迎えに行かされた事があったのだ。
ゲンジがとぼけて顔をそむけると、聞き慣れたエクゾーストノートが店に近づ
いて来た。伸上がってリュウの頭越しに通りをみると、二台の派手なチョッパー
のライダーが手をあげた、常連だ。
悪さばかりをする入墨のバイカーはここにはこない。チョッパーの連中はひた
すらノー天気なメカ好きばかり。バイクを派手に着飾って女の尻ばかりを追いか
けてはいるが、それなりに毎日を楽しんでいるだけだ。ゲンジは真似こそしない
が、連中の陽気さが嫌いではない。
リュウもエンジン音だけで連中とわかったのか「ヘッ」と馬鹿にしながらも、
後ろ姿のまま、右手を上げて指をぴらぴらと振った。