長編 #2496の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
お手洗いの扉を開けると、鏡の前の洗面所で顔を洗っている園生女史が見えた。 室内ではわからなかったが、少しだけ頬が紅潮している。みんなの熱気にやられ たのか、彼女個人のものなのかはわからない。 「たまにはいいかもしれないね。『遊び』で音楽やるのも」 わたしが入ってきたことを確認して園生女史はそう呟く。 「まだ言ってる」 わたしは少しだけくやしかった。だが、この前のような彼女への憎しみはなかっ た。 「わかってる。あなたのホルンは『遊び』じゃないんでしょ」 鏡に映ったわたしに目を合わせる園生女史。 「ずるいよね、才能のある人は。わたしが一所懸命努力したことを、いとも簡単に こなすんだから」 「簡単じゃないよ。昔の私だったら、あそこまで歌えない」 「それって謙遜?」 「違う。レベルの問題よ。あなたがこだわる『才能』の」 「相変わらずきついよね、園生さんて」 「あなたがこだわってるのは本当のことでしょ。話をしていてよくわかる」 「だからなんなのよ。こだわって悪い? 「なぜこだわっているかまで考えたことある?」 「そ……それは」 「よく『ないものねだり』っていうでしょ。人は自分にないものを欲しがるって」 園生女史の容赦ない意見は、再びぐさりとわたしの心に刺さる。 「ほんと、園生さんっていじわるよね。わたしだって自分に才能がないことぐらい わかってる。でもね、認めてしまったらなにもかも崩れさってしまうのよ。わたし の存在証明である憧れのすべてが……」 わたしはまた涙を流していた。最近は情けないほど涙腺がゆるすぎる。 「三浦さん。私を悪者にするなら、最後まで話を聞いてね」 園生女史は、わたしの涙に気づいたのか困ったような顔をして話を続ける。 「才能ってのはね。ベクトルなのよ。それぞれ方向性を持っていてね。例えジャン ルが同じでも人によって、そのベクトルは違うの。私は音楽の才能があるとよく人 に言われる。でも、それは一方向だけ。私にしかない一方向。それをつい最近まで 全部だと勘違いしていた。昨日レッスンの時、師匠に言われて気が付いたんだけど ね。これって、私の中の『驕り』がそう勘違いさせていたのかもしれない」 「園生さん……」 最近の園生女史の素直な行動は理解するのが難しかった。だけど『園生女史』な どと呼んで、彼女を堅物のように思っているわたしの情けない心の方がいけなかっ たのだろう。 彼女…園生さんだって、わたしたちと同じように人間味を持っているのに。 「だからね。あなたにどんなベクトルの才能があるかは私にはわからない。だけど、 これだけは言えるのよ。私の『才能』のベクトルとはまったく違うってことを。だ から、そんなものを欲しがらないで」 園生さんは、鏡の方から向き直ってわたしを見つめる。 「私はね。『音楽』は好きになれそうもないけどね、あなたたちのことは『好き』 になれそうな気がするの。クラスの他のみんなと違って、あなたたちはどんなに些 細な事でも『自分』らしさを誇りにしているから。そんなところに、私はちょっと 憧れ始めているのかもしれないね」 園生さんの暖かみのある言葉がわたしの心を動かす。 「やっぱり、あなたをライバルと思うことにした。わたしってあきらめが悪いし、 欲張りだからあなたの才能がうらやましいの。絶対、自分のものにしたいと思って いる。たしかに園生さんとじゃ才能のベクトルが違うかもしれない。けど、目標は なるべく高く持ちたいじゃない」 開き直っているのか、強気に出ているのか自分でもわからない。ただ、今までつ まらないことで悩んでいたことが馬鹿らしくなってきたのだろう。 「私は現状維持はしない。どんどんレベルは上がるよ。それでも?」 「だからこそ、ライバルにしがいがあるんじゃない。ただし、目標に近づく手段は 園生さんとはまったく違うやり方かもしれないけど」 「ずいぶんと強気になったじゃない。まあ、また泣かれるよりマシだけど」 「それからね、園生さん。わたしもあなたを『好き』になれるかもしれない。考え てみればわたしにとって、わからない事が『嫌い』になる理由なんだと思うの。だ から、ときどき音楽を嫌いになる時があったんだよね」 「そうね、私もあなたたちを心の底で嫌っていたのは、やっぱり知らなかったから なんだろうね」 「じゃあ、これからもよろしくって事で」 わたし左手を出す。いちおう、わたしからみればライバルだしね。 「わたしは右手でもいいんだけど」 と園生さんは言いながら、左手で握手を交わした。 と、その時、ガチャリとドアが開き知らない人が入ってくる。 まずい、わたしたちはお手洗いにいたのだった。 気まずい雰囲気で急いでそこを出る。 そして、ミリィたちが待ってる部屋へ向かう途中、園生さんはぼそりと言った。 「もう1曲歌うからね」 わたしは初めて彼女に微笑みかけた。 (了)
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