長編 #2474の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「よう、メイウ!」 螺旋階段を半分も降りきらないうちに、下卑た声が呼びかけた。 薄明が死斑ののごとくあちこちに点在する、隠微で胡乱な臭気と、疲れはてた喧 噪が気怠くうずまく闇の中、店奥に申し訳なさそうにしつらえられたバーカウンタ ーにだらしなくとぐろを巻いた肥満体が、よれよれと左手をあげてみせる。 苦笑とともに、かすかに鼻の頭にしわを寄せてみせながら、ウォン・メイウは地 下のフロアに降り立ち、煽光のたうつテーブルの間をかき分け、近づいてきたボー イを丁重にしりぞけながらカウンターに向かった。 酔いに染まるぽちゃぽちゃとした頬に下品な笑みを浮かべつつ、チャン・ユンカ イは驚くほどすばやい動作でメイウの手を握りしめて無理やり隣のスツールに着地 させ、 「ようサリム、シャイーブ・マウトだ」 と当人の意向も確認せずに悪名高い安カクテルの名をバーテンに告げる。 髭ヅラ小太りの、あまり熱心でもなさそうなザール・トゥーシュ教徒らしきバー テンはかすかにフンと鼻を鳴らしつつ、無言で頭上のグラスに手をのばした。 抗議する気力もわかずにウォン・メイウはため息をつきつつ、さりげなく四囲を 眺めやる。 カウンターには他に、ユンカイに劣らずうさんくさげな人種がふたり。いずれも、 この悪徳刑事とはあまりタチのよろしくない方面での、顔見知りらしい。 「どうしたい。ずいぶんつれない素振りを見せてくれたが、やっぱりおれに惚れ てたのか」 埒もない戯言を口にするユンカイは無視して、メイウはさらにぐるりと視線を走 らせる 店内にはほかに、下心まるだしで客にしなだれかかるホステスも含めて総勢十数 名。その中に、目当ての顔は見あたらない。 小刻みに何度もうなずきながら、さし出された毒々しい蒼白のカクテルを手にと り、ぐいとあける。 「ラウレン・シティに来てたとは知らなかったわチャン・ユンカイ。左遷?」 「昇進さ」へべれけな口調で肥満顔が返した。「都市の闇はいつでも、おれのよ うな男を欲しているのさ」 鼻で笑っただけで、メイウはそれ以上寝言にはとりあわず、店の中央でなぜかニ ューズを流すネットワークホロに熱のない視線を向けながら、 「マスラマ・サラルがこの店によく顔を見せるって聞いたんだけど」 と 切り出した。 バーテンのサリムが、ちらりと眉をあげた。口は開かず、手は投げやりにカウン ターの向こう側で動かされたままだ。 「ヤクの売人に用があるとは尋常じゃないな、メイウ」チャン・ユンカイが下卑 た笑いで満面を歪ませた。「よくないなあ、そういうのは。逮捕する。それとも、 説教程度ですませようか?」 「どちらにしろ尋問はホテルの部屋で二人きり、てんでしょ?」 うんざりしたような口調でメイウがいうと、ユンカイは「うんにゃ」と首を左右 にぶるぶるとふるってみせた。 「レンタルームだ。今月は金がねえ」 偉そうにほざいて、胸をはる。 「いつもだろうがよ」 と脇から茶々を入れたのは、全身にやたら光ものをちりばめたちぢれ毛の、褐色 の肌の男だった。 「うるせえぞマビ・タンカ。邪魔するんじゃねえ」 酔いにかふらふらと頭を揺らめかせながらユンカイは怪しげな口調で吐き捨て、 どうだい、とメイウに向かって汚らしい歯をむき出して笑ってみせる。 ウォン・メイウはすでにユンカイは完全に無視する体で、カウンターの端を、の ばした爪の先でこつこつと弾いてバーテンの注意をひいた。 ちらりと、胡乱な視線をあげたサリムに向けて、メイウはバッグの内部から手の 切れそうなリアルマネーをちらつかせる。 「マスラマ・サラル、ですかい?」バーテンは気のなさそうな口ぶりで云った。 「最近見かけませんぜ。なんでもでかい仕事が入ったらしくてね。そっちにかかり きりなんでしょうよ」 「その仕事ってのは?」 重ねて問うメイウに、サリムは力なく首を左右にふるってみせた。 「くわしい話はなにも。この店にゃ、自分のシノギについてくわしく話したがる 奴なんざ現れやしませんな」 ちげえねえや、と軽く笑いながらマビ・タンカが何度もうなずいてみせる。 へ、おれはどうなるんだい、とよれよれの口調でいうユンカイに、てめえはこの 界隈でも最低のクズさ、と冗談とも本気ともとれない調子でほかの常連たちがまぜ っかえすのを横目に、ウォン・メイウは肩をすくめてカクテルグラスを口もとに運 びながらホロ映像に視線を向けた。 趣味は造園とでもいいたげな顔つきをしたキャスターが平板な口調で、十三番街 で現在進行中の人質篭城事件についての情報をたれ流している。銃器不法所持で職 質を受けて逃亡しスラムの屋上ペントハウスに立てこもった犯人は、警察の説得に も応ずることなくすでに五時間が経過しようとしています。人質としてとらわれて いるのはチョウ・レンシンさん、マ・ルンさん、シン・ロワンさんとその息子のル アンちゃん、ウル・クオルンさん…… 「ようメイウ、すかしてねえで何とかいえよ」 へべれけでならべ立てる口説き文句を片端から無視された形のチャン・ユンカイ が、なれなれしく肩口によりかかって注意を引き戻すのを、不快もあらわに跳ね退 けながら、 「やかましいわねチャン・ユンカイ。あの篭城事件、このすぐ近くじゃないの? 行って仕事してきたらどう?」 吐き捨てるようにして云った。 ひっく、と朱い顔を跳ねさせてユンカイは、どんよりとした目つきでホロの画面 を眺めやり、 「ふむ、そうするか」 云って、よろよろと立ち上がる。 周囲にいた常連客はもちろん、バーテンのサリムまでもが目をむいた。 「おいおいチャン、本気かよ」 「足もとフラついてんぜ」 「なんでえ、真面目なフリしてもだれも何も出しゃしねえぞ」 口々に、冷やかしともつかぬセリフが飛びだしてくるところを見ると、案外さほ 対してユンカイは「うるせえ。市民の安全を守るのは、警官の義務ですよう」な どとどう考えてもまともとは思えないセリフをろれつのまわらぬ舌で吐き散らしな がら、ぐらぐらとおぼつかない足どりで螺旋階段をのぼりはじめた。 本気かね、と客のひとりがあきれ声で口にするのへ、マビ・タンカが唇の端に苦 笑を浮かべつつ、 「案外本気かもしれねえな」 と投げかけた。 けげんそうな顔をしながら問いかえしたのは、メイウだった。 「それどういうこと?」 問われてマビ・タンカは、しばし困惑したようにメイウを見かえしたあげく、闇 に沈んだ鉄骨むきだしの天井を見あげつつ肩をすくめてみせる。 「なに、深い意味はねえけどよ。奴ァときどき、ずいぶん単純で道徳的な基準で 動きだすことがあるからな。まあ、小悪党にしちゃあ、って程度だろうけどよ」 「ふうん。たとえば?」 興味をひかれたふうにメイウが身を乗り出すのへ、マビ・タンカも苦笑をもらし つつ額をよせる。 「そうだな……。ちょいとずれるかもしれねえが、こういう話があるぜ。ある日、 奴が公務をさぼって十番街あたりをひとりでふらついてたと思いなよ。そこへもの すごい勢いで走ってきたガキがいたんで、足をひっかけてとっつかまえたところ、 よくある強盗の類でよ。必死になって後を追ってきた子どもづれの半狂乱の主婦が、 礼もいわずにとられた品々をわめき声で列挙しやがるもんだから、奴め得意の押収 ピンハネもできずに憮然とした」 「ちょっと。そのどこが単純で道徳的なのよ」 と上がりかける苦情をマビ・タンカはさっと上げた右手で制し、 「まあ、聞きな。で、奴ァしぶしぶながらも盗られたバッグを強盗からとりあげ て女にさし出した。と、女に抱かれてたガキが、ママ、ボクの宝物、とかなんとか ぬかして、母親が開いたバッグの中身をまさぐりはじめる。出てきたのは、つまら ない帝国宇宙船の模型か何かだったらしいんだがね。まあガキにしちゃ確かに宝物 だったんだろうよ。ごてごてゴシック飾りのついた宇宙船に頬ずりしながらガキゃ、 おじちゃんありがとう、なんていいながらあのユンカイに礼だと云ってポケットか らキャンディをひとつかみ、さしだしたってよ」 「それ、あのユンカイから聞いた話なの?」 信じられぬといった面もちでメイウが問いかえすのへ、マビ・タンカはさもおか しげに笑いながら「奴の相棒からさ」と返答する。 「笑っちまうだろ。あのチャン・ユンカイがよ、テレて後頭部ぼりぼりかきなが ら、ガキ相手にまじめな顔してありがとうよ坊や、かなんか云いながら好きでもね えアメ玉をほおばってみせるところを想像してみるとよ。その上、残りのキャンデ ィを奴ァ、こともあろうにお守りだ、とかいいながら後生大事にいつでも懐に入れ てやがるんだぜ。ガキの気持ちがうれしかったばかりにな」 「それは確かに似合わないわ」 もはや呆然とした体でメイウが云った。 まったくだ、と笑いながらマビ・タンカはなにげなくホロの画面に視線を移し― ―目をむいた。 「チャ、チャ、チャ」 どもりながら指さすのに、けげんそうに眉根をよせつつふりかえったメイウもま た、篭城事件の映像を流すホロ画面の内部に――ふらふらとペントハウスに向かう チャン・ユンカイの太った後ろ姿を見つけて呆然と目を見はる。 『ただいま到着した殺人課刑事が、直接交渉をすべく犯人の立てこもったペント ハウスに向かっております。なお、ただいまもたらされた最新情報によりますと、 犯人グループは麻薬密売業を営むマスラマ・サラル一党と見られ……』 ウォン・メイウとマビ・タンカ、それにバーテンのサリムとが、いちように同じ ような阿呆面をしてたがいの顔を見あわせた。
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