長編 #2394の修正
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一遍房智真 魔退治遊行−青頭巾2−西方 狗梓:Q-Saku/Mode of Fantasy 一遍は夕暮れの石段を登っていた。登り切った所に、厳めしい山門が厳かに建 っていた。一遍は寺や教団に属するを潔しとしなかった。一遍にとって、それら は新たな執着の関係/煩悩を作り出すものに過ぎなかった。寺や教団に属するこ とは、家に属するのと同じようなものだ。家を捨てた一遍にとっては、寺も捨て るべき煩悩の源だった。しかし、その一遍も山門を前にすると恍惚感、宗教的エ クスタシーを感じてしまう。門とは女陰、潜れば胎内。中世に於いて、少なくと も建て前の上では、寺はアジール(安全地帯)であった。俗世の司法権が及ばな い、いわば治外法権区だった。何故なら其処は、王の国ではなく仏の国だったの だから。実際にも象徴上も、寺は最も安全な空間、母の胎内であった。そして今、 この胎内には、浅ましい食人鬼が棲んでいる。 一遍は大声で呼ばわるが、返事がない。何度も呼ばわると、傍らの草庵の戸が 一、二寸開いて、こちらを伺う気配。一夜の宿を乞うと、答えもせずピシャリと 閉じた。一遍は堂に上り、本尊の前に座った。 本尊は大日如来だった。その前に、少年が被っていた物であろう、青い頭巾が 置かれていた。本尊は、大いなる慈しみを湛え、すべてを抱擁する情けを見せて いる。鬼さえも、その胎内に取り込み護る、人の謂う所の善も悪をも等しく包み 込む大いなる悲。一遍は、身固めをして結界を張る。低く法華経を唱える。 夜も明け始めた頃、突然に堂が鳴動する。ポルターガイストは、鬼の前触れだ。 軋む床の上で一遍は、微動だにせず経文を唱え続ける。僧形の人食い鬼が躍り込 んで来た。堂内を見回し、 「あのクソ坊主、何処へ行きおった。確かに堂に入ったのを見届けたのじゃ。あ 奴は儂を殺しに来たに違いない。早く見つけねば」 人食い僧はドタドタと歩き回り一遍を探し回る。本尊の裏を覗き物置に飛び込 み、何度も一遍の脇を通りながら気付かない。やがて日が昇り、一遍は結界を解 く。 「おおおっっ、ど、何処から現れよった」 結界が解かれ、はじめて鬼の目に一遍が映った。結界の中に、魔は入れない。 加えて魔を避ける法華経を唱えることにより、一遍は鬼の視線から逃れていたの だ。一遍は慈愛の篭もった目で人食い鬼を見つめ返す。僧形の鬼は憎しみの篭も った目で一遍を睨み付ける。一遍は穏やかな表情を変えない。二、三分も見つめ 合ったろうか突然、僧形の鬼の顔がクシャクシャに崩れ、赤子のような泣き声を 上げた。 「こ、殺して、殺して下さいっ。この浅ましい鬼となった私を」身悶えし手足を バタつかせ転げ回りながら人食い鬼は喚き続けた。 「稚児を愛していたのだな」一遍が柔らかく問う。 「愛しておりました。命をかけて愛しておりました」 「何故に己が鬼と変じたか解るか」 「解りません、私は只、愛しただけです。愛しただけなのです。純粋に、愛した だけなのです」 「救われたいか」 「救われたいのです。お助けください。どうかお慈悲を」密教僧は遂に倒れ伏し、 しゃくり上げながら叫んだ。 「こちらに」一遍は本尊の前に供えてあった青頭巾を手にして、密教僧を庭に誘 う。僧を平たい岩の上に座らせ、 「江月照松風吹 永夜清宵何所為」と詠じる。ボンヤリと密教僧は繰り返し、 「江に月照らし、松風吹く。永夜の清宵、何の所為ぞ……」 「この句の意味が解った時、御房は救われる」 「江月……」 「愚僧は再び参ります。その時に答えを頂きます」一遍は、岩の上で深く思い沈 む密教僧に、青い頭巾を被せ山門を後にした。 江月が照らし松風のそよ吹く秋冬の夜長。秋冬の夜が澄み切って美しいのは、 何故か。答えは、「澄み切って美しい」からだ。澄み切って美しい冬の宵、清宵 (せいしょう)は仏教で謂う「清浄」に通じる。則ち煩悩から離脱した澄み切っ た心の意だ。煩悩がない江月と松風は互いに干渉しない。互いに攻撃せず取り込 まず妨げない。纏わり付くことなく離反もしていない。ただ自若として照らし吹 いている。そうしていながら全体として調和している。だからこそ、美しい。自 ずから然るべくして在る。自然。 ● 漸く九州太宰府に着いた。九州に渡ったは良いが、遊行聖一遍が来たとあって、 人々は大騒ぎをして念仏札を求め講話を乞うた。当時の浄土教の念仏のイメージ は多様だ。法然が厳格な秩序で僧侶を律した教団を確立するまで、浄土教は半ば 趣味/遊びの教えだった。念仏には開放感があった。儀式張り庶民を近づけるこ とがなかった旧仏教にはない新鮮さがあった。だからこそ一遍は多くの人々に歓 迎されたのだ。この歓待のため一遍は、豊後から博多の太宰府までの短距離に、 一ヶ月近くを要した。 師の聖達は七十一歳。己の宗教的良心のために京から追い出されるように九州 に下った硬骨漢の面影は、もはやない。少なくとも一見して、そのような大それ た男には見えない。多少、惚けてもいる。一遍は、そんな師が愛しかった。 聖達は法然の孫弟子に当たり、若い頃から名僧知識の誉れが高かった。京に残 っていれば、多くの弟子に囲まれ何不自由なく暮らし、一派の棟梁として権勢も 誇れたであろう。しかし、聖達は将来の栄達を捨て、その時の良心を採った。愚 直と言える。九州に下り、細々ではあるが自らの法灯を守った。消しも曇らせも しなかった。しかし今、聖達という灯は、燃え尽きようとしていた。 師・聖達は神々しいまでに逞しく成長した一遍の念仏講義を相好を崩し、まる で孫が元気に戯れるのを見て喜ぶ好々爺のように、見守った。この様子では、一 遍の話を理解できていない。聖達と一遍の教義は大きく異なっていた。聖達の教 えでは唱える念仏の回数は多ければ多いほど良い。それだけ、ひたすらに心を込 めて仏に救いを願うのだ。対して一遍は、念仏は一遍で良い、とした。聖達の考 えには、信者の努力(自力)を要求する所があった。一遍は、より仏の力(他力) に依存しようとする。ここに根本的な差がある。それなのに聖達は、ただニコニ コと講義を聴いていた。話が終わると笑顔の侭に聖達は待ちかねたように、 「智真、久しぶりじゃ。一緒に風呂に入ろう」 風呂は寺の庭の片隅にあった。一遍は修業時代を思い出していた。痩せ形の一 遍より一回りは広い聖達の背中を流すのが日課だった。背中越しに師は愛弟子・ 智真/一遍に己の秘義を説いた。一遍は僧坊よりも風呂場で、多くのことを学ん だ。しかし今、目の前にある背中は小さかった。肉が削げ落ち、骨にだぶつく皮 の衣を纏っているようだった。一遍が力を込めて擦れば、剥げ落ちそうだった。 目頭が熱くなってきた。笑顔が軽く振り返り、 「智真よ、大きくなったのぉ」。そうではない自分が小さくなったのだ。一遍は 困った顔で曖昧な返答をしてごまかした。 「智真よ、智真の念仏も、有り難い念仏か」ほわんとした無邪気な声だった。智 真/一遍は、詰まりながら、 「あ、有り難い念仏でございます」 「そうか。ならば儂も百遍受けよう」くるりと師・聖達が弟子・一遍に向きなお り跪き頭を垂れて合掌する。師弟逆転だ。やはり一遍の話を理解していなかった ようである。理解していれば百遍なぞと言う筈がない。一遍の目には涙が溢れて きた。老いた師を目の当たりにするのは悲しかった。だが同時に、その師が誇ら しかった。昔日の優れた知識も知能も抜け落ちながら、自らの宗教的信念のみは 溢れんばかりに満ちていた。聖達の弟子であることが、嬉しかった。震え潤んだ 声で一遍は、念仏を唱える。己の教義を曲げて、百遍唱えた。唱え終わって、突 っ伏した。声を上げて泣いた。 「智真、また参れよ」相変わらずニコニコ顔の聖達が山門まで見送りに出てきた。 「必ずや、お目にかかります」深々と辞儀をして立ち去る一遍房智真は、再会が、 この世では果たせないと感じていた。聖達は弘安二(一二七九)年十月十五日、 七十五歳で往生する。これから四年後のことである。 一遍は太宰府から伊予長浜の村へと向かった。鬼と化した密教僧を救うために。 ● 一遍は再び山門を潜った。密教僧が「永夜清宵」の答を用意して、待っている 筈だった。晴れやかな顔で迎えてくれるものだとばかり思っていた。しかし、そ こで一遍が見たものは、苦しみ悩みながら、答を求め続けている密教僧の姿だっ た。青頭巾も、そのまま被っている。平たい岩の上に、三ヶ月前一遍と別れた侭 の姿で、座り込んでいる。一遍は呆然とした。そして悲しんだ。これほど業の深 い者は、この世では救われまい。愛ゆえとはいえ執着こそが鬼と変じた原因であ ったのに、今度は思考、救われたいとの思いへの凄まじい執着を見せている。一 遍は破魔の太刀を抜き、密教僧の前に立った。 「今こそ問う。永夜清宵、何の所為ぞ」 「…………」密教僧は顔を歪め、まだも考え込んでいる。一遍は、自分が引導を 渡さねばならないと確信した。印形を結んで、 「オォム・カーム・ソワカッ(疾く往け)」真言を叫ぶと同時に破魔の太刀を密 教僧の胸に突き立てる。と、その瞬間、密教僧の肉体は霞んで消え、僧衣を纏っ た白骨が岩の上に崩れ落ちた。上から、ふぁさと青い頭巾が舞い落ちる。密教僧 は既に死んでいた。執着のみで、今まで形を保っていたのだ。密教僧自身ではな く、執着が袈裟を纏っていたのだ。そこに破魔の太刀を突き立て執着を消した。 形は消える。 一遍は青い頭巾を拾い上げ、塵を払って自分の頭に被せる。山門を潜り出る。 今の一遍に、容赦なく横ざまに照りつける夏の夕日は、眩し過ぎた。青頭巾を目 深に下ろし、石段を駆け下りる。 (つづく)
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