長編 #2371の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
♀♀♀♀ 康夫さんが、「二度と乗らない」と言うのを聞いて、私は、びっくりしたのだ。 恐らくは、残りの人生で、二度と会わないであろう、こんな地球の果ての凍った 岬のタクシーの運転手に、「二度と乗らない」と言う効用は何なのか? 私には分 からない。しかも、康夫さんの「二度と乗らない」は、大橋巨泉の英会話だったか ら、全然通じていなかったのだ。それが証拠に、運転手はにっこりと笑って、握手 を求めてきた。康夫さんは、寒さのせいかも知れないけれども、真っ赤になって、 「ビートイット、ビートイット」と言いながら、手をパタパタ振って、「行ってし まえ」のジェスチャーをしていたけれども、「ビートイット」もジェスチャーも全 然通じないで、運転手はシュラッグをするとバンパーを引きずりながら、行ってし まった。康夫さんは、なおも、タクシーに向かって、Fで始まる四文字熟語を連発 していた。 「何であんな事を言ったの?」私は、聞いてみた。 康夫さんは、お尻のポケットからテッシュを出すと鼻を押さえながら「ええ」と 篭もった音声を出した。寒さの中の運動と興奮のせいで、鼻水が出てきたのだ。 「だーかーら」と私は言った。「何で二度と乗らないなんて言ったの?」 「だって、あの運転手、ぷかぷかタバコを吸っていたじゃないか」と言うと、丸め たテッシュで、鼻の形を整えた。「俺はいいが、お前は妊娠しているから」 「そんな事、わざわざ言わないでも、二度と乗らないのに」 「お前の為に言ったんだぜ」 「銃を持っていたかも知れないわよ」と言って、小首を傾げる私。 「そうしたら、俺が盾になる」 ぞっ、とした。歯が浮く。奥歯にアルミ箔を詰め込まれた様な気分だ。 「さあ、体が冷えちゃうから」と優しい言葉を言うと、康夫さんは、両手両わきに スーツケースを抱えて、顎でターミナルビルを指した。 私は、丸めた両手を息で暖めながら、がに股で歩いて行く康夫さんの背中を眺め たいた。毛糸の手袋が暖かく湿った。 「要するに」と私は思った。「要するに、俺という男がいるからアラスカでもお前 は無事なのだ、と言いたいのね。絶対に、二度と会う事のない運転手に文句を言う 事で、お前の安全は俺の犠牲の上に成り立っている、という雰囲気を作りたい訳な のね」 つまりは、言葉の力だけで、精神的なバランスシートの売掛金増加をもくろんで いる訳だ。 そういう事は、飛行機の中でも、続いた。 私達は、一時間三十分後には、ユナイテッド航空893便のビジネスに座ってい たのだが、機内に立ちこめる、例の、ユニットバスの中でコンソメスープを煮てい る様な匂いの空気を吸いすぎて、私は、途端に、喉がカラカラになってしまった。 ここでも、康夫さんは、精神的売掛金の増加をもくろむのだった。 康夫さんは、『私の為に』、大きな声で、下手糞な英語で、「すみません、ソフ トドリンク、それから、イアホンも」と、スチュワーデスを呼びつけた。ところが、 スチュワーデスは、しくじってしまって、康夫さんのズボンの上に、ジュースをこ ぼしてしまったのだ。程無く、現れたパーサーが、クリーニング代が入っていると おぼしき封筒を康夫さんに渡そうとしたのだけれども、彼は、頑としてそれを受け 取らない。「ノー、ノー」と言いながら、ズボンの染みに、おしぼりをあてては、 「覆水盆に返らず」などと、ちょっと状況とはズレた諺を英語で言ってみたりして いた。 「どうして貰わなかったの?」パーサーが行ってしまうと私は聞いてみた。 「謝り方が気に入らないんだよ。いんぎん無礼な感じがする」 「そうだったかしら」 「頭を下げるのはタダだから、という商人の謝罪なんだよな」 「だって、お金を持ってきたじゃない」 「金なんていらないよ。俺は、ただ、誠意を見せて欲しかっただけなんだ」と、丸 で、総会屋の様な物言いをするのであった。 これは、翻訳をすれば「あんな端金でペイしてたまるものか。あんな物は突っ返 えして、そのかわりに嫌味の一つも言って、思いきり後悔させた方が、気分的には 満足だ」という事だ。ここでも又、精神的な売掛金を増やそう、という魂胆だ。だ けれども、一体、誰に対して? あの、ソバカスだらけのスチュワーデスに? そ うだとしたら、果たして、精神的な売掛金など、通用するかどうか、疑問だ。あの 人達は、例えば、「つまらない物ですが」と言って贈り物をする日本人の謙譲の美 学を理解しない人種なのだ。我々が、「つまらない物ですが」と言って贈り物をす るのは、相手に対して精神的な売掛金を要求しない、という意味からそう言うのだ。 「大変に素晴らしいものですから差し上げます」などと言おうものなら、「私は乞 食か? お前の施しは受けない」と言われるのが落ちだ。 「全く、不愉快だ」ぼやくと、康夫さんは、イアホンをかけて、プロジェクターが 映し出す画面に見入った。 私も画面を見てみた。まだまだ若いジョン・ウェインが、小柄で頬の痩けた、見 るからに卑怯者、といった風情の男と向かい合っている。構図としては曙と旭道山、 といった感じだ。ああ、どうして、こういう古い映画しかやらないのだろう、と私 は思った。国内線ではタフガイやマイトガイ、国際線ではシナトラ一家やチャップ リン、そういうのは、ジェット旅客機には相応しくないのではないのか? と航空 会社に勤めている友達に質問した事があった。彼女によると、そこがミソなのだそ うだ。ジュラルミンの飛行物体の中で、雨がざーざー降っている様なフィルムを観 る、というコントラストは、ちょうど、中国残留孤児に秋葉原を見学させる様な、 なんとなく自分が文明の頂点に居る様な錯覚を起こさせて、その為に、乗客は、多 少の機体のきしむ音には、心理的に無気力になるし、「エアポケットぐらいで、ビ クビクするのは二十世紀も末に生きる文明人には相応しくない」という気分になる そうだ。 私も、エアポケットは大嫌いだ。そこで、イアホンをした、その瞬間に、痩せた 卑怯者がジョン・ウェインを頬を殴った。いかにも面の皮の厚そうなジョン・ウェ インは、それでも、口の端に滲んだ血を、人差し指で拭って、ニッと笑うと、「こ れで満足だろう」と言った。卑怯者は、「はい満足しました、それではさようなら」 とは、勿論、言わない。全く不満そうに、悔しそうに、拳を握りしめて、睨んでい る。 「これこそ精神的な売掛金だ」と、私は思った。 康夫さんが、ジュースをこぼさせておいて、皮肉を言うのと同じだ。 お互いの関係において、多少のマイナスを引き受けておいた方が、つまりは精神 的に売掛金を握っていた方が安心なのだ。それはアメリカ人の中のアメリカ人、ジ ョン・ウェインでも同じなのだ。だったら、ソバカスのスチュワーデスも、厭な思 いをしたのかも知れない。そして、アメリカに帰ったら、タートルネックを着たユ ング派の精神分析医の所で、康夫さんの悪口を言うのかも知れない。そこで大切な のは、高い相談料を支払う事だ。金を排泄する、カタルシス、彼女の精神の負債は、 ここで、決済する訳だ・・・・と考えている内に、はたと膝を打ったりはしないけ れども、ひらめいた。 そもそもの初め、フロイトからして、精神的な売掛金の増加をもくろんでいたの ではないのか? これは、結婚式の数日前の、教養課程の『心理学概論』で聞いた フロイト博士のエピソードだ。喉頭癌になったフロイト博士は、外科医に、「外科 医らしく冷たい態度で接する様に」と言ったそうだ。一見、そんな事は言った所で 何にもならない様な言葉を発する事で、もし、仮に、外科医に冷たくされたとして も、それは、自分の指示通りにそうなった訳だから、精神分析学の創始者のプライ ドは損なわれずに済む、という案配だ。言うなれば、料金の先払いをした様なもの だ。 「だが」と、私は思うのだ。フロイトの精神的な売掛金は、ただ単に言葉の力に よってのみ支えられている、実際の無い、裏書きの無い、小切手の様なものだ。い くら言葉で誤魔化しても、手術台の上では患者はマナ板の上の鯉だ。大体において、 外科医という人種は、唯物主義的であって、精神分析学などというものは、文学的 な魅力はあっても、それ以上の何物でもないと軽蔑しているものだ。その事を、フ ロイトに、ここで思い知らせてやろうと、必要よりも少な目に麻酔を打つかも知れ ないし、必要以上に顎の骨を削るかも知れない。そこで、フロイトが文句を言った 所で、元々「冷たくされる事を期待している」と言ったのだから、相変わらず、外 科医は冷たいままであるかも知れない。これが、現実だ。フロイトだって、イロニ ーの頂点は現実である事は知っていた筈なのに。 思うに、私もそうだった。つまり、フロイトや康夫さんの様に、言葉の力だけで、 誤魔化す事が出来ると思っていた。自分は将来は有能な医師になる人間であって、 下らない育児で、人生を台無しにしてしまう主婦とは違うのだ、と思っていた。私 は、その事を、言葉で誤魔化していた。例えば、「子供など犬でも産む」と。とこ ろが、何処かのスーパーマーケットで、安っぽい主婦が子供を抱いている実際を、 ちらっと見ただけで、自分の観念の操作なんて、一遍に瓦解する事を知っていた。 「もし、この男がいないなら」と思って、私は、康夫さんを見た。 もし、この男がいない場合に、私が、医科大学に入ったならば、世間の評価は、 概ねこんな感じだろう。つまり、「結婚も出来ないうまずめが、人生の空虚な部分 を穴埋めする為に医者になる」という様な。ところが、結婚もして妊娠もすると、 イメージとしては、がつがつしたキャリアウーマンではなくて、他の主婦がカルチ ャーセンターに行くかわりに医科大学に通っている、という具合になるから、摩訶 不思議だ。既に満腹している人が、その上更に、何かの専門職を得ようとしている 場合には、世間では、それを、「空虚の穴埋め」ではなくて、「+α」と考えるの だ。一方、孤独で、渇いていた時の私が、「ワープロの勉強があるから」と、友達 の誘いを断ろうものならば、「そんなにまでして、キャリアを身につけたいのか、 なんて貪欲な女なのだ」という評価が下される。あの時の私は、あんなに慎ましい キャリアを身につけるだけでも、貪欲な女、と思われていたのだ。 私は、自分の豊饒に満足して、大きく息を吸った。例の、コンソメスープの匂い が、再び鼻について、喉の渇きを感じたちょうどその時に、康夫さんのズボンを濡 らしたソバカスのスチュワーデスがジュースを運んできた。 「私は今はいいわ」と私は言った。 「え」驚いて、イアホンを外すと康夫さんが言った。「お前、喉がカラカラだって 言ってたじゃない」 「そうだったかしら」私はとぼけた。「でも、せっかくだから頂くわ」 「なに言っている、お前の為にズボンを濡らした様なものなんだぜ」康夫さんは、 腿のあたりの布をつまみ上げてテントの様に膨らみを作った。 だけれども、これが私の方法なのだ。喉が渇いていると見抜かれたら水は高く売 られる。世間とはそういうものだ。
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