長編 #2356の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
体育館に入り、最近できたばかりのフリークライミング練習用のボードの下 に行くと、ゆりえがつまらなそうにボードの進を見ていた。 幅五メートル高さ八メートルほどの木製のボードが体育館の壁にボルトで固 定してあり、そのボードに上から下まで様々な位置にホールドが取り付けられ ている。 ボードは上にいくにしたがってわずかづつそりかえり、最後には完全なオー バーハングになっている。 僕がボードを見上げると、進はちょうどそのオーバーハングに取りかかろう としているところだった。 進は両足を大きく開いて、上半身を安定させ、額の汗を拭った。 上を見上げ、ほんの少し考えると、腰に付けたチョークバッグの中に手を入 れ、下にいる山岳部の後輩にザイルを緩めてくれと大声で言った。 左足をわずかに右上にずらし、右手でホールドを掴むとおもいきり上半身を ボードから離し、右足を大きく上に上げた。 右足をホールドにかけ一気に力を入れて伸び上がり、左手を精一杯に伸ばし 最上部のホールドにかけた。 力任せに体を少しづつ引き上げると、進の左腕がぶるぶると震えた。 あとわずかで右手がホールドにかかろうとしたとき、進の左手がホールドか らはずれた。 進の体は二メータほど落ちたところで、天井から下げられたザイルに宙吊り になって止まった。 進はゆらゆらと揺れながら僕に笑いかけた。 「何回やってもあそこでいつも落ちるんだ」 言い訳でもするように進が言った。 「じゃあ警察は立花君が殺したと思ってるの」 僕が、井崎との事を話すと、ゆりえがびっくりしたように言った。 「そこまではどうだかわからないけど、容疑者の一人だって事は間違いなさそ うだ」 「なんで突然いなくなっちゃったのかしら、立花君が殺したってこと?」 「あいつじゃないよ、あいつがするわけがない」 僕は武藤が死ぬ前の晩にリョウが僕に言ったことを話した、井崎には黙って いたことだ。 ゆりえは口をちょっと尖らせて少しの間考え。 「プロダクションとの揉めごとが原因で失踪したとすれば、立花君は自分のこ とを警察が探していることを知らない可能性もあるわね」 と言った。 そうかもしれないと思った。なんだかリョウが、とてつもなく面倒なところ に引きずり込まれてしまったような気がした。 「ねえ、立花君のマンションへ行ってみない」 ゆりえが言った。 「とりあえず」 と、僕が言い。 「悪くない」 と、進が言った。 僕らは体育館を出て、急ぎ足でバイクの場所に向かった。 進のお古のヘルメットをゆりえに渡し「後に乗れよ」と言った。 「一度乗ってみたかったんだ」 ゆりえはうれしそうにそう言うと、スカートをほんの少したくしあげ、自分 のうすっぺらなカバンを抱える様にしながらひらりとマッハのシートにまたが った。 背中にゆりえの胸の膨らみを感じた。どきどきした。 進が僕を見て少し笑ったような気がした。 僕らは、十七号を走って都内に入った。 リョウのマンションは飯田橋の駅から九段方面に百メートルほど行ったとこ ろにある。 着いたのは五時を少し過ぎた頃だった。 ヴィラージュドゥコリーヌという名前を見てゆりえが笑った。 いったい何語なのだろう、そんなことを来るたびに思ったが、リョウが知っ ているとは思えなかった。 バイクを歩道に停め、ヘルメットを持ってマンションに入った。 やけにのろいエレベーターで五階まで上がり、508号室の前に立った。 表札はサンエス企画となっているがここがリョウの部屋だ。 リョウが住んでいることが判らないようにプロダクションの名前にしてある のだ。 ドアチャイムを鳴らしたが何の反応もなかった。 通路の反対側にある手摺りの下の窪みに手を突っ込み、部屋のキーを取り出 した。 「なるほどね」 ゆりえが呆れたように言った。 わずかばかりのうしろめたさを感じながらドアを開けると、黴臭い匂いがし た。 三DKのその部屋はここがいかに立地条件がいいといってもリョウのような 人種が住むにはあまりにも質素に思える。 家具といえるものは安手の洋服ダンスに四人用のダイニングセット、セミダ ブルのベッドしか無く、最初はピンク色であったろう敷き詰めのカーペットは 薄汚れていくつものしみができていた、煙草のヤニでくもったガラス越しに見 えるベランダには枯れて種類もわからなくなった鉢植えの木が置いてあった。 僕は息苦しくなりサッシの窓を開けたが、車の騒音と一緒に入ってきた空気 は部屋のなかのと大差はなかった。 部屋の中を一通り見て回った、カレンダーの書込、ベッドの上のコルクボー ド、電話台のメモ用紙。 その何処にも僕らへの伝言はおろか、リョウの居場所の手がかりになりそう なものはなかった。 「つまり、俺達にも何にも言わないでいなくなっちゃったって事だ」 進が床に座りこんで両手を後について、ふてくされたように言った。 「いったい何処に行っちゃったのかしら」 その時突然電話のベルが鳴った。 一瞬受話器を取りそうになったが、進が手で制止した。 ベルが三回鳴り、かちっと音が鳴ったた後、電話機の下に置かれた一抱えほ どもある留守電の装置から聞き慣れたリョウの受け答えのテープが流れた。 「ただ今留守にしております、御伝言のある方はピーという音が鳴りましたら お話しください」 僕らは息を呑んだ。ほんの一瞬迷ったような間があり、その後男が話し出し た、太い威圧的な声だった。 「良二、よく聞けよ、すぐ帰ってこい、いますぐ帰って来れば何も無かったこ とにしようじゃないか、おまえだってもうガキじゃないんだ、あさっての契約 の如何が私のプロダクションにとって生きるか死ぬかの大事なものだって事ぐ らいよく知ってるはずだ。おまえがあさってまでに戻らなかったら、私はすべ てを失った上に立直れないほどの借金を背負う。いいだろうおまえが私を憎ん でるのはいい、だがな私の周りで首を括らなければならなくなる人間もでてく る。おまえはそれでもいいのか、その人たちはみんなおまえが世話になった人 たちだよ、そんな人たちまで犠牲にしていいのか、良二おまえはもうただの十 七のガキじゃなくなってるんだ。こんな勝手なことは許されないんだ、わかる か良二、戻ってくるんだ、いいか戻ってくるんだ、あさってまでに」 そこまで言って電話は切れた。 プロダクションの社長のようだった。 とてつもなく面倒なことが起きている。 「リョウは、この伝言を聞くかな」 進の言っている意味が僕にはわからなかった。 進は困ったなといった顔をして話を続けた。 「つまり、これって、外からリョウが電話を掛けて暗唱ナンバーを押せば聞け るわけだろう、それならリョウは何処からかここに電話を掛けてこのテープに 録音されている伝言を聞こうとするかなと思ったんだ、今の奴はそう思ったか ら伝言をここに残したんだろう」 「確かにこの部屋には当分戻ってこないとしても、必ず伝言は聞こうとすると 思うわ、いえ、もう何度か電話を掛けて伝言を聞いているかもしれないわ」 そう言われるとなんだか今にもリョウがここに電話を掛けてくるような気が した。 この留守番電話の機械は、ただ一つだけ残されたリョウと僕らを結ぶ細い糸 なのかもしれない。 何となく僕も進もゆりえも、ここでしばらくリョウからの電話を待ってみよ うという気になった。 アメリカ製で何十万もするというその留守番電話機の構造がどうなっている のか僕らにはわからなかったが、もしリョウが外から電話を掛けてきて伝言を 聞こうとすればこの機械の中のカセットテープがまず巻き戻されるに違いなか った。 その時、受話器をあげて話してみようということになった。 僕らはダイニングセットの椅子に座って、リョウからの電話を待った。 その間、ゆりえは僕と進ににいろんな話をした。 ゆりえには二つ下の弟がいること。 小学校の五年の時に徳島から引っ越してきたこと。 中学生のときは短距離の選手で、全国大会にも出たことがあること。 同級生の女の子がみんな馬鹿に見えて仕方がないこと。 進は相変わらず聞いているのか聞いていないのかたまに気の無い相づちを打 つだけだったが、僕はこのままずっとゆりえの話を聞いていたいような気にな っていた。 七時過ぎに、進が買ってきた菓子パンとジュースを食べた。 九時まで待ったがあの電話以後電話は一本も掛かってこなかった。 僕らは仕方なくその日は帰ることにした。 「あたしたちも入れておこうか」 ゆりえが留守電の機械を指差して言った。 僕らはその機械をあちこちいじくり回した挙げ句、僕らの伝言をここに残す には外からここに電話を掛けるのが一番だという至極当然の結論に達した。 ドアに鍵をかけ、元の場所に鍵を置いてマンションの外に出た。 近くの電話ボックスに入り、リョウの部屋に電話をした。 「知ってるかもしれないが、警察がおまえを追っている、武藤が死んだことに 関してだ、連絡してくれ」 そう言って電話を切った。 遅かれ早かれいずれリョウは僕に電話を掛けてくるような気がしたが、こう いう事態になったいじょうそんないつ来るともわからない電話を待っている気 にはなれなかった。 僕にはリョウにぜひとも聞きたいことがあるのだ。 警察がそれを聞く前に。 来た時と同じ道を走り、ゆりえの家がある戸田市に向かった。 十七号の戸田橋を渡り、左に折れて戸田の市街に入ったときには十時を少し 過ぎていた。 車の通りの少ない競艇場添いの道を抜け、倉庫街を通って県道に出ようとし たとき、前方の古い倉庫前の空地に二、三十台のバイクと、四、五台の乗用車 が停まっているのが見えた。 絞りハンドルと呼ぶ、垂直近くまで曲げられたハンドル、短く切られたマフ ラー、たむろする奴らの異様な気配、あまり会いたくない集団であることは明 らかだった。 前を走る進のW1のブレーキランプが点いた。 僕がスピードを落としたところで、進が右手でUターンの仕草をした。 進は大きくW1を傾け、ゆっくりUターンをし、もと来た道を戻った、僕も その後についてUターンをした。 あいつらの目の前を走ってもろくな事はない。 その時突然たむろしている集団が僕らに向かって走りだした。 まずいことになったと思った。 奴らの異様な喚声と、耳をつんざくような排気音が人気の無い倉庫街に響き 、後のゆりえがすっかり怯えているのがわかった。 奴らが僕達を誰かと間違っているのではないかと思ったが、立ち止まって奴 らに説明する気にはなれなかった。 僕は一気に奴らを振り切ろうとマッハのスロットルを全開にしたが、思った より、スピードは出なかった。 後にゆりえを乗せているからだ。 進一人ならば振り切るつもりならばできるのだろうが、僕らを置いていくわ けにもいかず、わずか前を走っている。 見る間に奴らのうちの一台がマッハのすぐ後まで迫ってきた。 エアホーンを鳴らしながら、停まれ、と何度も怒鳴っているのが聞こえた。 あっという間にマッハの前に滑り込み、バイクを蛇行させた。 僕が軽くブレーキをかけ、スピードが落ちたところへ、さらに二台のバイク が、僕らを挟む様にして蛇行をはじめた。 白いつなぎを着て、ノーヘルに日の丸の鉢巻きをした左側の男が、マッハに 急に寄り、ゆりえの足を蹴った。 ぐらりとハンドルが振れ、一瞬不安定なかたちになったが、なんとか転ばず に済んだ。 猛烈な怒りがわき、それまでの恐怖を押し退けた。 マッハを左に倒し、白いつなぎの男のバイクの前に出て、強めにブレーキを かけた。 白いつなぎの男があわてて急ブレーキを踏み、態勢がぐらついたところで、 バイクの左側にひらりとよけ、フロントスポークの上の部分を腰を貯めておも いきり蹴った。 その男の乗ったバイクはふらふらと二三度小さくフロントが揺れ、大きくリ ヤが流れた後、前につんのめる様にして転び、道路の上をくるくると回転しな がら歩道の植込に突っ込んでいった。 後戻りのできない事態になった。
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