長編 #2350の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
冷たい受話器を右手でつかんでいる。僕はその時になって初めて手にしていた事を 思いだした。僕は山本美香に電話をしようと妹の部屋に入ったのだ。 いつでも空んずることが出来る番号を一つ押したときにドクドクと血液が送り出さ れた。それは妹にたいする不安と同次元に乗る。 僕は一度電話を切った。妹の涙がどうしても頭から離れない。 もう電話なんてどうでも良かった。どうなっても良い。愛する妹が悲しんでいる。 僕は受話器をつかみ急なスピードで、一気に山本美香の家につなげた。5回のコー ルの後 「はい、山本です」 「美香さんいらっしゃいますか?」 「あ、わたしです」 「美香? おれ」 美香は僕が想像していたような反応を示さなかった。おとなしかった。 「分かるよ。大谷くんでしょう」 「久しぶり」 「久しぶりだね」 僕はいったい何を話したかったのだろう。僕はいったい何故電話したのだろう。い や、もう僕はどうだっていいのだ。 「あの時は、ごめんな」 「……」 「まだ怒ってるのか?」 「ううん、べつに怒ってなんかいない。私の方が悪かったかもしれないし」 「そうか、良かった。おれすごく安心したよ」 美香は何もしゃべらない。時計の針の音が聞こえる。 「雨、すごいふってるよな」 「うん」 また雷がなる。前よりも大きく。僕はかなりヤバイと思った。 「雷なったろ? そっちも」 「なったよ」 「美香も嫌いじゃなかったっけ?」 「べつに嫌いじゃない」 いや、たしかに嫌いだったはず。なのに。 「もう付き合ってる人とかいるんだろう?」 「……」 「どうして黙ってるの?」 美香が何も答えないから、僕もそれきり何も言わなかった。僕は美香が大好きだ。 久しぶりに声を聞いたとき、僕は確かに電気が流れたようなあの感覚を覚えた。柔ら かく甘いと思えた。初めて美香にあったときのように。 今度は美香で頭がいっぱいになる。僕はまた美香と映画を観に行きたかった。腕を つかまれながら街中を歩きたかった。 「いるよ」 申し訳なさそうな小さな声がした。僕の頭は、空洞になった。目が意味なしに天井 にむけられて、たたずんだまま動かない。 「付き合ってる人いるよ…………ごめんね」 僕は何かその言葉に応じた。しかしそれを覚えていない。美香の声が、もう一言二 言して、僕はそれに答えている。不思議とまったく自分が何をいったのか分からない のだ。 我に返ったとき美香の声は元気だった。僕はその直前にたわいもない話をしたこと を思いだした。僕はまだ諦めきれていないのに、肝心な話はもうとっくに終わり、次 に進んでいた。 「さやかちゃんは元気?」 美香はさやかのテニス部での先輩だった。仲が良かった。美香はよくさやかの部屋 に遊びにきていた。それが僕と美香の最初だった。 「ん。元気や」 そう口にすると、僕の心に大きな重い荷物がずしんとおかれたような気分になった。 「それじゃ、今日はごめんな。もう切るわ」 「あ、はい……」 「ん」 「ごめんね」 「……ああ」 僕はしばらく静かに自分の心をながめていた。何も浮かばない。しかし憂鬱だけは のしかかっている。僕の心は、からっぽだった。しかしドクドクといやな血液だけは あいかわらず流れている。 これが何を意味するのかはわからない。言葉にならないから、自分でも自分の感情 をつかめずにいる。いらいらしてきた。汚れた血液が内臓に充満しているように感じ られる。 顔をみないようにしながら、洗面所の前で蛇口を上にむけ、勢いをつけて飛び出す 水で顔をあらった。ばしゃばしゃとしぶきが飛び散り、僕の胸元が冷たくなる。 僕は口を蛇口につけてその水を腹にいれた。喉に水が通るのがわかる。腹がふくれ る。大量の水がながれた。胸がくるしくなってくる。吐き気がしてくる。たえられな くなり、僕は口をはなすと、水が大きく輪を描いたように床におちてゆく。水たまり ができた。 僕はそれをみていた。すぐに、吐き気で空のおう吐をくりかえした。顔があつくな った。 はじめて泣いているのに気付いた。ふられたからか? そんなんじゃないと繰り返 した。 美香とあわない数カ月間の僕が脳裏のおくにみえかくれしていた。この数カ月僕は 複雑な心境で美香を思っていた。 僕は何もわからないと嘆いた。どうすればいいのかも分からない。ばくぜんとした 感情の中で、妹が心にはいり、さらにミキサーをかけられた心になった。 涙がとまらない。 妹の部屋のまえにいた。ノックする。何もこたえない。僕は扉を勝手にあける。 さやかはベッドでうつぶせになって寝ていた。 「さやか?」 返事がない。僕はさやかの隣まで来る。寝ているようにみえた。僕はベッドのあい ている部分に腰をおろした。 さやかをじっとみている。僕は愚かにも今、さやかを一つ年下の異性としてみてい たようだ。目をつむろうとしたが、できなかった。無気力な眼差しと思考できない頭 だった。 僕の想像のなかで、戯れている異性のさやかがいた。僕はさやかに抱きつかれなが ら、暖かいと思っていた。 僕は今寒かった。身震いをする。 ずっと奥に、張りつめた広い南極をみつける。とがった氷が山のように上を向いて いた。先端がまさしく月を指しているように見える。ペンギンが海に飛び込んだ。そ ういう音だけが聞こえる。 僕の目はふたたびさやかにおかれる。無意識のうちに、僕はさやかに近寄っていた。 足を僕はおそるおそる撫でる。触れるか触れないかの程度で、すっと撫でた。 綺麗だと心がつぶやいた。僕の頭はこの言葉ばかり繰り返している。 僕はふくらはぎの部分に唇をあてた。この柔らかさを僕は求めている。頬をなすり つけながら、太股にまであがり、しっかりと柔らかさを感じようとしたとき、さやか が何か呟いた。寝言。 僕は身体全体を、ほとんどさやかに近づけていた。さやかが目をあけた。僕はから っぽの洞窟のなかで、たたずんでいるようだった。 さやかが、起きあがる。僕をしばらく見ていた。僕は何の反応も示さなかった。 「おにいちゃん……」 僕は驚くべきことに、ここで初めて自分のしていることに強い罪悪感を得たのだ。 僕の口が慌てて弁解する。つじつまのあわないことを、ひきつった笑いで口にして いる。さやかは、何もいわないでそれを聞いている。その小さな顔の表情に、僕は涙 がでてきた。どうしてそんなに悲しい顔をする。たぶんさやかは眠ってはいなかった ……。 やがてさやかの瞳からも涙が頬へ流れた。 「おにいちゃん……知ってる。わたし知ってるの」 よく意味がわからなかったが、知っているという言葉が僕の目をふせさせた。小さ な声で尋ねる。「なにを」 「山本先輩に電話してたんでしょう? ……先輩のことはさっき友達から教えても らったの」 僕は何をいえばいいのか分からなかった。長い時間のあとで、ようやく僕は口を動 かせた。 「だれと付き合っているのか知ってるのか?」 さやかはその問にこたえなかった。ただ泣いていた。鼻をすすった。真っ赤な目で ぼくをみつめている。 「おにいちゃん可愛そう」 さやかは僕によりかかりさらにシクシクと泣きだした。この同情に僕はまったく腹 が建たなかった。僕はさやかを強く抱きしめた。やはり暖かかった。僕はさやかを強 く抱きしめている。髪の甘い甘い香りがした。それだけで僕は浮遊しそうだった。髪 が僕の頬にあたり心地よい。胸の弾力も感じた。 南極が、僕の小さな脳のなかで広大に残っている。すべてが凍る。風が吹く。誰も いない。闇になり、その存在価値を僕はしばらく疑っていた。時間がとまる。 「ちょっと苦しい」さやかが聞こえないくらいの小声でつぶやく。まだ声が震えて いた。 僕は抱きしめていた力をゆるめる。そして両手で頭をつつみこんだ。鼻が僕の胸に あたっている。息をしているのが分かる。こそばいような気もした。 頬をさやかの髪の上で動かす。僕はまだ泣いているようだった。しかしそれは自分 ではよく認識出来ない。涙がさやかの髪におちて、それを自分の頬で感じたために知 る事が出来たのだ。 さやかがゆっくりと僕を払いのけて、ベランダに歩いた。 ベランダにも雨がつよく降っていた。さやかにも雨が降る。白いカッターシャツが 濡れてゆく。髪に雨がしたたる。曇る空に顔をあげた。綺麗な横顔が僕の目にうつる。 髪が下にまっすぐに伸びている。綴じられた瞳に長いまつげ。僕はうつろな頭でそれ を観賞していた。ある感情が静かに沸き上がっていた。 僕は美香が大好きだ。今、そう心で叫んだ。その同時に、早く母が帰ってきてくれ ることも願った。願いを否定するもう一つの心にめまいを感じる。めまいに多少の安 心を感じる。 しかしやがて美香の顔が一度ちらついて完全に消えた。浮かんだのはさやかと冷た い風。どうしようもないと思った。 膝を抱えて、月を眺めるペンギン。みんなカツカツとした骸骨。頭上でオーロラが みえた。夜に踊る骸骨。
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