長編 #2340の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
人の気配に目を開くと、目の前に御方様の娘千代が突っ立っていて、いきなり怒声を浴 せられた。 「ど阿呆!」 小袖に短い山袴を付けていて、腰の赤い帯だけがいやに眼を引く。庄松は黙っていた 。千代は続けた。 「盗みの現場にお前の火打ち袋が落ちていた、可笑しいではないか、お前が行かないと ころに、お前の火打ち袋が落ちていた。だとしたら、誰かに謀られた、そんな奴らにや すやす陥れられた、だから、阿呆も阿呆、ど阿呆だ。お前みたいな無骨者が、米の三升 ばかりの、けちな盗みをしたなんて、誰も信じていないわ!」 千代はいきなり縄目を緩めて、庄松の上着を引き開けて、肩から背へと傷薬を手荒に 塗り付けた。薬は傷口に快くしみて、庄松は顔をしかめた、それにはかまわず、千代は 手荒に傷薬を塗りたくり、縄目を戻して無言で立ち去った。 日は西山に落ちていた。 日が沈むと狭間の村は紫色に静まる、そして静かに暮れる。 村外れの辻に、村人は早くも集まって騒いでいた。人垣の中央に篝火が燃え盛り、そ の奥に御方様の床几が用意されてある。どれくらい過ぎたか、人垣の中から、「おい、 きたきた」「おお、見えたぞ、見えた・・」口々に騒ぐ声にどよめきが一層烈しくなっ た。 半兵衞が庄松を引き立て、その後に自分の家の飼猫を抱いた村の女達が連なっている 。どの家でも猫は鼠を防ぐために飼っていた。女達は互いに身を摺り寄せあい、胸に深 く猫を抱き締めている。集まった村人達は異常な興奮を示して、声をのみ、両側に分か れて道を開いて見守った。猫も女達の胸で、落ち着きのない眼差しを異様に光らせてい る。 篝火の脇、床几の前に庄松は引き据えらた。その庄松の目の前に、半円形に松明が並 べて立てられて、その中央に太い杭が打ち込まれてある。その松明には未だ火は点され ていない。 猫成敗は、村内に盗難があって、盗人が判らない時、村の辻に皆を呼び集めて、その 場に村中の飼猫を持ち寄らせた上で、籤引きで猫を選びだして、村人皆の目の前で火あ ぶりに処して苦しめる。この犠牲に上がった猫の怨霊が犯人に乗り移る。猫の怨霊が乗 り移れば、その者は忽ちに狂い死ぬ。猫の怨霊の恐ろしさに怯えて胸に覚えのある者は 、耐えられずに、自首するのであった。 一瞬に静まった。御方様が見えたのである。 御方様は静かに庄松の前へ進んだ。 「庄松、その方は昨夜茂十の家へ忍び込んで、踏み臼の米、三升を盗んだであろう、包 み隠さず申してみろ」 庄松は、悪怯れもせずに胸を張ってきっぱりと言った。 「幾度問われましても、まったく覚えのない事でございます」 「なに?この期に及んで未だ其のようなことを言い張るか! これが見えぬか!」 半兵衞は怒鳴って、女達の抱いている猫と松明を指差した。 庄松は、平然としている。 「よし、証拠まで揃っているうえに、未だ白を切る強情者めが、それならお前の心に聞 いてやる」 半兵衞は、用意してあった一握りの棒籤を片手に、猫を抱いた女達の前へ進んだ。「 この中に短い棒が一本ある、その短い棒を引いた者の猫だ」 女達は手を延ばすどころか、互いに顔を見合わせながらじりじり後退りした。 村の語り伝えでは、此処迄でに、犯人から申し出があって、事は決着していた。一度 猫が火あぶりに処せられる迄進んだが、それは古い話で、村で知っている人は二三にな っていた。その時の猫の凄まじさは、いまだに生々しく語り継がれていた。 「さあ、早く」半兵衞は、一歩踏み出して、籤を握った手を突きだした。女達は恐れて 逃げた。 その時御方様が口を挿んだ。 「今日の猫は、籤引きでなく、お夏の家の猫に決める」 一瞬、村人がどよめいた。 「そ、そんなこと、それはないです、引きます、引きます・・・」 後から人を押し退けて、半兵衞の握っている籤に手を延ばしてきたのは、お夏の母親の おもん であった。それを見て、御方様は続けた。 「庄松は、お前の娘お夏の処に昨夜から曉の七つ半時までいたと言っている。ところが 、お夏はいたのは半助けだと言っている、茂十が土間に米の零れているのを見付けたの が曉の七つ、それに茂十の倅は昨夜四つ半過ぎまで、夜業で米をついていたと言ってい るぞ。猫の怨霊は、神妙に白状せずに嘘を言っている奴に乗り移る」 半兵衞は、おもん の胸から猫を奪い取った。村人の眼は一斉に、その猫に注がれて 、緊迫した空気に覆われた。 半兵衞は、村人二人に猫を押さえさせ、首から肩、前脚を利用して襷に、太い麻縄を もちいて厳重に縛って、猫を未だ火が点されていない、半円の中央の杭に縛り付けた。 猫は常と異なる周囲の有様に、鳴きながら、辺りに眼を光らせ、右往左往し、繋がれ た重い綱に行動範囲を狭められ、逃れようとすれば綱に引き倒され、それでも、迫る危 難に鋭い鉤爪をみせない。 猫は気が立つと隠していた鋭い鉤爪を立てて、走り回る。いや舞うように見える。 半兵衞は、篝火から一本の松明に火をとり、猫を囲む松明へ、端から順に火を点しはじ めた。 猫は目の前の火に、恐怖の色をみせ、動きが烈しくなった。右へ左へ突進すると、太 い綱が砂塵をあげて地面を走り、突っ張り、たるみ、まるで生き物のごとくに音をたて て走り跳ねる。猫は綱に引き倒されて、白い腹を見せて転がり、跳ね起きて突進する。 火に囲まれて猫は、錯乱し、鋭い鉤爪を立てて地面をばりばりと掻く。 猫を囲む半円形の松明にすべて火を点し終えた半兵衞は、傍らに用意してある松明に 火を移し、その松明で残る後方の半分を火で塞ぎに移った。 猫は火の輪に囲まれた。夕闇が下り初めた空を松明の火が赤く染めた。辺りには、走 り飛び回る猫と綱の音、それに絹を裂くような細く鋭く吐く猫の叫びのみ、村人の人垣 は静まり返っている。 半兵衞は、新しい松明に火を点すと、火の輪の中の猫に向って投げ込んだ、猫が一声 高く「ギャー」と絶唱して地面を蹴って高く跳ね上がり、綱に引き戻されて地面へ打ち 付けられた。猫の毛が焼ける悪臭が鼻を突き、半兵衞は、顔をしかめた。 猫を繋いだ杭の傍らに燃え盛る松明が転がり、その炎の間を狂乱し、断末の鳴き叫び をあげて、飛び回っている。毛は炎に焼かれ、狂乱のあまり鋭い鉤爪で己れの身を引き 裂いて血が流れている。 村人は息を呑み、恐怖に、互いの身を摺り寄せあい、袖をしっかり掴みあい、体をそ むけて首を捻って恐る恐る覗き、眼をそむける。 おもん は、地面に平伏して、両手で頭を抱え、耳を押さえ、耐えかねて、大きく肩 を波打たせながら呻き声を洩らしている。その傍らで、お夏は錯乱して、両手で髪の毛 を掻き回し、立ち、座り、おもん にしがみつき、とまる間もない。猫を抱いた女達は 、一様に顔をそむけて、自分の猫を深く抱きかかえている。 庄松は、身動きもせずに炎の中の猫を見守っていた。 猫の動きが炎の中で、少し鈍った、「いかん、死ぬ」と、庄松の頭をかすめた。 何頭かの猪を倒し、山で何物かの餌食にされた獣の屍を見過ごしてきた庄松であったが 、いま落ちようとしている小さな命に向って、哀れと云うかこんな感情を覚えたことは なかった。 半兵衞は、あまりに申し出がないのに、苛立ち、業を煮やして怒鳴り立てた。 「オイ!、猫の怨霊が恐ろしくはないか!恐ろしく。見ろ!猫の怨霊が乗り移れば、そ の者は、この猫のように狂い死ぬのだ」 御方様も堪らず、立ち上がって、威圧的に皆を見回した。 村人は、御方様の視線に捕らえられるを恐れて、後じさりするのみである。 こんな状態にまで陥ったことはかってなかった。半兵衞は、両手に松明を握り、二本 の松明に同時に火を移すと、猫をめがけて火の輪の中に投げ込もうと、身構えをした。 その時。呻きとも、叫びとも、吠えるともつかない声を発し、お夏が髪を振り乱し、駆 け出して、半兵衞の、松明を振りかぶった腕にしがみついた。 猫がよ ろめいて、鼻を突いた、すぐに跳ね起きはしたものの、力が尽きていることは、一目で 知れた。「いかん」庄松は、己れの立場も忘れて、猫を救けたい一念であった。 「御方様、止めさせて下さい」 庄松の声で、御方様はすぐに下知した。 「やめ! すぐに火を消すのだ!」 村人は、どよめいた。半兵衞と傍らに控えていた二人が走り回って、猫の周囲の火を 取り除いて消しにかかった。 御方様は庄松を睨んでいった。 「では、昨夜、茂十の家へ忍び込み、盗みを働いたのは、お前に間違いないな」 庄松は、御方様の声を遮った。 「いえ、それは違います」 「なに?」 御方様は、鋭く迫ったが、庄松は、静かに、総てを観念したかに言った。 「盗みはしていません。ですが、猫の命は救ってください、儂は ぼいだし は覚悟し ています」 御方様の顔に怒りが走った。村人の中に、どよめきが高くなった。 火を消し去られた後に、猫が己れの体をやっとこさ、支えて、ふらふらしている。前 脚ががくりと折れた、投げ出されたように倒れて、足を痙攣させている。 「タ、タマが、・・・タマが・・」 お夏が口走って、猫に走り寄ろうとしたが、急に大声を張り上げて笑いだした。タマ とは猫の名前で、お夏が名付けて可愛がっていた猫であった。 お夏は、焦点の定まらない眼差しで、虚ろな笑い声を張り上げて、ふらふらと歩き回 っている。おもん が走り寄って喚き口走った。 「お夏、お夏、しっかりするだ、しっかりしてくれ!お夏ッ!」 お夏は、虚ろな眼差しを おもんに、向けたのみで、声高く笑っている。 おもん は、お夏にすがりついて泣き叫んだ。 「お夏、お夏、お前、気は確かか、気をしっかり持つんだ」 お夏は、おもん を突放して、虚ろな目を空に向けて、ふらふら歩き回っている。お もんは、地べたに崩れて泣き喚いた。 「悪いのは半助だ!半助がお夏をそそのかして、悪いのは半助だ!・・・」 御方様と半兵衞は、おもん の前に踏み出した。村人はどよめいた。村役人衆も立ち 上った。土下座させられていた庄松の鼻先を人々の足が忙しく動いた。村人の視線は、 一斉に、おもん に移った。 庄松は顔を上げた。もう自分に向けられている視線はなく、目の前は、村役人衆の背 に遮られて、その向こうで御方様が、おもんを詰問している。 お夏は、ぐったりした猫のタマを抱き上げて。 「ターマー、ターマー・・・ターマー、ターマー・・・」 虚ろに、歌うかに、ふらふらと歩き回っている。 御方様の指図で、半兵衞が二人の若者を従えて村人の中へ走った。 翌日御方様から、虎蔵の家は廃株とされ、新たに狩を受け持つとして、その株は庄松 に下ろされた。 しかし庄松の姿は、村から消えていた。 」」終」」
メールアドレス
パスワード
※書き込みにはメールアドレスの登録が必要です。
まだアドレスを登録してない方はこちらへ
メールアドレス登録
アドレスとパスワードをブラウザに記憶させる
メッセージを削除する
「長編」一覧
オプション検索
利用者登録
アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE