長編 #2338の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
庄松は和知野川の渓谷の岩に腰を下ろしていた。 流れは岩間を縫い、岩に砕けて、霧飛沫をあげながら、瀬となり淵となり、滝となっ て、流れ落ちる。その飛沫は、岩の上の庄松にも感じられた。 村の株数は四十二、株は一軒前の権利である。だから二三男は、廃株を継ぐか、でな ければ入り婿の口を探す以外には一軒が持てない。ところが庄松等被官の身分は、御方 様の付籍で、村では四軒のみ、それこそ総ては御方様の胸三寸であった。 二三男に生まれて一軒を構えられる、そんな幸運を掴める者はごく稀で、一生を兄の 家に住まわせて貰い、「おじろく」と呼ばれて、もちろん妻は娶れずに、無報酬で働か される。また選り残されて嫁げなかった女たちも「おばさ」と呼ばれて同じ暮らしが定 められていた。兄の家の仕事が閑なときは、外の仕事について、小遣い稼ぎをしたが、 しかし、いくらせっせっと働いて貯えをつくったところで、死ぬとそれは兄の家の物と なった。 庄松とて、虎蔵の家、お夏の婿になりたいのは山々である。あのとき、与兵の言葉に 従って、御方様の処へ、猪を担いで行ったならば、与兵は言葉巧みに取り成して、入り 婿の話は進んだであろう。それが判っていても与兵の言葉に素直に従えなかった。お夏 と半助が出来ていても、御方様の声で婿入すれば、それなりきに、誰もが、納まらざる を得ないのである。 虎蔵が跡目に半助を選んだとき、庄松の生き方は決められて、その中で生きてきた。 噂はお夏の意向も手伝つてとのことだが、庄松は虎蔵に好かれなかった。被官仲間で、 自他共に認めて、精悍な体と腕っ節の強さで、優位を占めて振る舞っていた虎蔵を、脅 かす庄松の若い存在と、人に取り入ろうとも考えない武骨さとであった。 半助が虎蔵から、狩りの手解きを受け始めてからも、庄松はお夏を追い回した。好い 女だからだ、性格は好けなかつたが。 それは二年前の盆踊りの夜であった。踊る輪の中で、腰回りをはち切れそうに浴衣で 包んで結んだ赤い帯が尻の上で弾にで、長い髪を背に流した、お夏にめぼしを付けて尻 を追い回した。お夏はそれに気付いて、身をくねらせて、頭から流しかぶりの手拭の端 を小さく銜えた口をほころばせて魅せた。夜が更けて、ひと組み、ひと組みと踊りの輪 からぬける姿が見えてきた。 庄松は、お夏の脇へすべり込むといきなり手を掴んで、社の裏へ引き込んだ。待って いたかのようにお夏の体は庄松にもたれ掛かって付いてきた。熱い息が感じられて、庄 松はいきなりお夏の肩に腕を回して引き寄せた。 社の裏の草叢の中であった。お夏は尚も強く寄り添ってきて、押し倒して庄松の胸に 顔をうずめた。庄松が動こうとすれば「いやよ、このままで・・」と、お夏は熱い息を 吹きかけて言った。 盆踊りの歌声も消えていた。 お夏の背に回していた右手を腰から尻に向けて静かに這わせていると指先に触れた帯 は何時か解かれて弛んでいた、弛んだ帯に触れた瞬間、お夏の動きが激しくなった。今 まで自ら仕掛けたことを、仕掛けられてことは終わった。 お夏を送って家のなかに消えてからも、暫らく其の場に腰を下ろしていた。表の小部 屋に明かりが点った、お夏だ、暫らく人の動く気配がしてから、灯りがごく小さく替え られた。庄松は、「おャ?」と、眼を凝らした。表の小部屋に、ひとり床を取るのは忍 んでくる男を待ってすることだ、そんな馬鹿な、と疑いながらも男が来るか、それが誰 か、どうでもよい事であるが、確かめたくなって、庭先の柿の木の木陰に身を潜めた。 どれ程待ったか、待つは長いもの、黒い影が小部屋の前に忍び寄ると、雨戸を三つ軽く 叩いた、内から雨戸が静に押し開かれて、男は部屋に吸い込まれた。夜目にもそれがは っきりと、半助であることが知れた。庄松は立ち上がって社の庭へ戻った、もう人影は なかった。昔は踊り明かしたとも言われている。庄松は社の縁に仰向けに寝そべった、 そして何時か眠ってしまったのだ、目覚めたとき。東の空は暗く夜明けにはまだ間があ った。何か夢を見ているような生々しい感触が体を走り回るのを感じた。 お夏は化物だ。半助もいまに生気を吸い取られてしまう。 庄松は物の気に取りつかれたような思いにかられて、それを振り払おおと、社の境内 に置かれてある力石にしがみ付いた。不思議に、石は難なく抱え上げられた。庄松は歩 きだした、そして、二町程も離れた村外れの辻まで運んでころがした。残った一つの力 石も同じ様に運んだ、額から汗が流れ落ちて、体中に汗が吹いた。 それで、物の気に逆撫でされる思いが何故か納まり、家に戻って寝る気になれた。 翌朝村は大騒ぎとなった。一夜明けたら社の力石が、村外れの辻に転がっていたので あるから、天狗の仕業、何かよからぬことの起こる前触れだと。 力石は、村の力自慢が抱え上げて、社の庭を行き来して、力競べをする石であった。 此の石を抱え上げて、二三歩あるければ力持ちと呼ばれた。毎年秋の村祭りに、その力 競べが行なわれて、御方様から褒美が出た。いまだに語り継がれているのは、虎蔵が若 い頃にその力石を抱えて社の庭を往復したことである。 だから村人が、天狗の仕業と、騒ぎ立てるも無理も無いことであった。 村外れの辻へ、御方様から村の長老まで出張って、神主を呼び、天狗の怒りに触れ ないようにとお祓いをして貰って、村の若者総出で、その力石を社の庭に戻した。その 若者の中に庄松も加わっていたが、昨夜のことは、夢にも似て、朦朧として、何か人の した事のようにしか思えなかった。 虎蔵があの日、猪の牙に倒されていなかったならば、半助はもう婿入が済んでいたで あろうに。それが突然ん襲った虎蔵の死によって、狂いはじめた。半助は猪を恐れて一 人前の猟師になれそうもなくなり、お夏との仲は続いてはいると、云うだけになってい た。与兵の言う通りに今うごけば、・・・。 日が蛇峠山に掛かって、和知野川の渓谷に暮色が下りはじめて庄松は立ち上がった。 (二) 囲炉裏の火は隙間風に煽られて、音をたてて燃え盛り、火の粉を飛ばした。庄松は薄 暗い土間の片隅で丸太を切った木台の上に、藁束を乗せて、渋い顔で表情も動かさずに 木槌を頭の上まで振り上げては、叩き続けている。下座では与兵が囲炉裏の火明かりを 頼りに草鞋を編んでいる。与兵は、両足を前に投げ出して、足の指を使って縄を掛け、 その四筋の縄の端を熊手のょうにした左手で、指を下から通して押さえ、右手で藁を編 み込み、またその編み込んだ藁を左手で引きながら押さえて、指先は忙しく規則正しく 動いている。 夜業に余念の無い庄松と与兵を尻目に囲炉裏端では庄松の兄で、三年前 に父が亡くなって家長の座を継いだ源助が、囲炉裏の火をつつきながらお茶を飲んでい る。囲炉裏の火はつつかれる度に、パチパチと音をたてて火の粉を飛ばした。 源助の傍らで、女房の おせん が山袴のつくろいをしている。藤蔓の皮を剥いで、 その皮を白灰で煮て川で洗って柔らかくしたものから、糸を紡いで織った布で作ってあ るので、薮の棘が刺さっても折れてしまう程のものである。その山袴は、源助の着古し で、それを繕って、与兵に回すのである。藤布は、もとは白いけれども、着古された山 袴は、垢に汚れて黒光りしている。与兵や庄松等おじろくは、古着の繕いをしたのを回 し着しているのが普通であった。 暗い奥の部屋で子供が泣きだした。あわてて おせん が繕い掛けの山袴を膝の上か ら下ろして、奥の部屋へ消えて暫らくすると、子供の泣き声が止んだ。再び奥の部屋か ら現われた おせん は、乱れた髪をうさんくさそうに掻き揚げて、山袴の繕いにまた 取り掛かった。 源助は、お茶の残りを音を立てて啜りおわると、無造作に茶碗を傍らにおいて、おせ んの膝上から、繕いかけの山袴を引き手繰って部屋の片隅へ投げた。そしていきなり おせん の手を掴んで引き寄せながら片膝を立てて、にじり寄ると おせんの着物の裾 を掻き分けて膝の間へ手を押込んだ。おせんは顔を伏せて身悶えしたが、源助は おせ ん の腰に腕を回して抱え込んだ。 庄松は藁を叩く手を止めたが、与兵の手は何事もそこに起こっていない様に動き続け ていた。すぐに源助は、おせん を抱えて奥の部屋へ消えた。奥の部屋から、藁布団の 上で蠢く音が二人の鼓膜をくすぐった。 庄松は藁叩きを止めて、囲炉裏の燃え盛る火を、覗き込んだ。日焼けして脂ぎった顔 は囲炉裏の火でぎらぎら光った。与兵も庄松の傍らへいざり寄り、両膝を抱えて背をま るめてうずくまった。油気の無いかさかさの深い皺、汚れ乱れて薄くなった髪。囲炉裏 の火に照らし出された、節くれ立った汚れて染みのついた手とその横顔は、その陰湿な 年輪を物語っていた。 常に弟小僧に、ちょうきゅうな者は、いないと言われて、長男に生まれなかったばか りに、差別されて、疎んじられながら大きくなつた、与兵のように歳を重ねるうちに、 虐げられ、疎んじられることに馴れて、何時かちょうきゅうな者でなくなってしまうの だった。しかし、長男に生まれた源助も、家内では家長と威張っても、村へ出ると被官 被官と軽んじられた、自らは小百姓よりは分限は上と言張つても、小百姓は本百姓の小 作で暮らしを立てているとは言え、自分の家と僅かでも自分の土地を所有して、曲がり なりにも一本立ちであった。それに比べて、被官は、御方様に隷属して、より深い主従 関係に結ばれていて、年七十五日を十二回に分けて、御館の雑役や耕作に従う決まりに なっていた。 与兵は、覚えている。古い話になるが、亡くなった祖父が、外から不機嫌に帰って来 た時は、決まってぶっぶっ呟いていた。「世が世なら、あんな奴等に有無は言わせなか ったものを」と、如何にも悔しさそうな姿が子供心に焼き付いている。 そして、口癖の様に言って聞かせた、「御方様の御先祖は、平清盛様のお側にに使え ていた、その御方様の、お付きが家の御先祖だ、それを御方様が刀を隠して、百姓姿に なってから、時の移ると共に、身近な家来は被官と呼ばれ、御方様を支えて下に押し下 げられた。一方御方様だけは村の最高の座に座り、一般の家来衆はそれぞれの器量で、 本百姓小百姓になった。 庄松と与兵は、黙って燃え盛る囲炉裏火を睨んでいた。長い沈黙が続いた。囲炉裏の 火は、薪をくべないので火は衰えはじめた、家長の指示が無ければそんなことも勝手に 出来ない。与兵が口を開いた。 「お前は、未だあの小百姓の甚八の娘、おと の処へ通っているのか」 庄松は黙って、与兵の顔に視線を向けただけでもとに戻した。与兵は続けた。 「今が大事なときだ、・・・今日は、虎蔵さの仇が打てたと、御方様から大変なお誉め をいただいた、・・・この分だと、お前の婿の話しも上手く運べそうだ」 庄松は黙って立ち上がった。 「お前も若いから、行くなとは言わないが・・・」 庄松は、与兵に流し目を向けて立ち上がり、外に出た。 杉木立の向こうに遠く黒い山脈が見えて、その上に赤い月が昇っている。庄松は家の 前を流れている小川の丸木橋を渡ると、月に背を向けて流れに沿って下った。おと は 十八で、家は此の小川の川下にある。 去年の夏のことであった。庄松はその日、あまりの暑さに和知野川で水浴びをしての 戻り道で、甲高い女の叫び声に、見ると着物の裾を端折つた おと が河原を流れに沿 って駈け下って行く姿が眼に写った、洗濯物を流したのである。庄松は駆け出した、流 れて行く洗濯物を追い、川へ飛び込んで拾い上げて、水が流れ落ちる布を差し出した。 太股を覗かせる迄に裾を端折って、河原を駆けてきた、その姿は、胸元も裾もはだけ て肩で荒い息をしていた。おと は、庄松の視線に気付いて、眩しげに、慌てて乱れを 直しながら顔を染めた。 日頃は野良着姿に包んで他人に見せない肌である、これが毎日泥いびりをしている百 姓の肌かと疑いたくなるばかりに白かった。 それがきっかけであった、村祭りの夜に、庄松は おと を社前の人込みから誘い出 して、和知野川の流れが夜目にも白く望める社の裏手の土手で野合した。それからであ る、しかし被官と小百姓は何かに付けて啀み合いがちであったので、庄松は、小百姓の 若者からは生意気な奴、今に必ず目に物を見せてやると睨まれ、また、仲間の被官から は、小百姓の娘の処へ通うとは、被官の風上にも置けないと言われながらも、庄松の腕 力に恐れて影口のみに留まっていた。 庄松は、草履を引きずって車前草の生えている小道を、小川に沿ってゆっくり足を運 んだ、小川の流れがチラチラ光る。足裏の感触で、小石を踏んだ、足元で瀬の音が右か ら左に替わった。石橋を渡った、瀬の音が滝壷の音に変わって、その音が背後で次第に 低くなる。小川は、左手の土手下へ流れ落ちたのである。両側から道を覆った感じの竹 薮の中へ道は入った、竹薮のざわめきが庄松を包む、少し風があるのだ。 竹薮を抜ける辺りに人影が動くのが見えて、その人影は急に右に折れて消えた。お夏 の家の木戸辺りだと庄松は思った、とたんに身を落として、その跡を追った。お夏の家 の木戸口で、その影が家のなかへ吸い込まれるように消えて、雨戸が静かに閉まるのが 庄松の眼に入った。 何時もの庄松なら、他人の秘め事を気にする事もないのに、やはり与兵が言った入婿 の話が頭に食い込んでいて、そのまま通り過ぎができなかった。 庄松は足音を忍ばせて、人影が吸い込まれたばかりの雨戸に、そっと身を寄せて中の 様子を伺った。 「・・・しっかりしてよ、こんなではどうなるか!」 お夏の声は険を帯ている。続いて男の声。 「そう言ったって、与兵の奴、身内の庄松を引立てて御方様に、言葉巧みに報告するん だからたまらん」半助の声である。お夏は尚もなじる。 「庄松みたいな、あんな無骨者と おら を一緒にするつもりか?」 「お前の方こそさっさと御方様に申し出さないからこんなことになったんだ」 「人の所為にしないでよ、御方様に婿取りの話を持ち出したところが、お前の家は代々 狩りを受け持つ習わし、今の半助では無理がある、少し様子を見たらどうか、と言われ て、話を打ち切られた、お前さんがしっかりしてくれなくては」 「もう、そんな話は、よそう」 「いやよ、もうこんなことを続けるのは、ねえ、はっきりして、・・・」 その声は途中で押しつぶされて、二人のもみ合う気配から、あえぎ声、うめき声が交 差しだした。 庄松は軒先から、そっと離れて、お夏の家の木戸口から裏へ廻って、畑の中の道を和 知野川へ向かって歩いていた。右手の小高い岡に雑木林が続き、その木立を背にした南 斜面に おと の家がある。 和知野川の流れが前方下に白く見えた。道は此処から右に大きく巻いて和知野川の流 れに沿った街道を横切って、和知野川の河原へと下っている。其処で庄松は、道端の土 手に腰を下ろした。 」」」 つづく」」」
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