長編 #2312の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
6 冷たく鳴り響く電話のベル。 紀美子が、夜中に無言電話で起こされるようになって、もう五日目になる。 午前三時半過ぎ。いつものように、電話のベルが鳴り、紀美子が目を覚まし 受話器をとると、 「………………」 無言が続く。 紀美子が切ると、その日はもうかかってこない。一日一度、決められたよう に、午前三時半。 一度目が覚めると、なかなか寝つけない。特に今日は、いつもより寝る時間 が早かったので、すっかり目がさえてしまう。 紀美子は、ベッドから抜け出し、冷蔵庫を開けた。 何か飲もうとしたが、生憎何も入っていなかった。ポットのお湯も空だ。 次の瞬間、紀美子は、服を着替えて、マンションの外を歩いていた。 なぜだろう。 寒い中、四時近い真夜中の町へ出たくなったのは、なぜだろう。 繁華街でもなく、ろくに店もない住宅地は、完全に寝静まっている。歩く者ど ころか、車の一台も通っていない。風の音だけが、妙にさえて聞こえる。 この感覚は、言葉に表現し難いものがある。薄暗さの中、静けさの奥底に響く、 自動販売機のうなり。 どうして、こんな音が懐かしく、切なく感じるのか、紀美子にもわからなかっ た。 それどころか。 古くさいデザインの、ミルクセーキの缶のサンプルを眺めていたら、なぜだか 涙が出そうなほど、胸がしめつけられる。 缶のミルクセーキに、どんなトラウマがあるのだろう。はたして、昼に、日の 照っている間に、この自動販売機の前に立って、この缶ミルクセーキを見つめた として、何か胸の奥にこみ上げてくるだろうか。 今のように。 この薄暗さ。夜空の広さ。誰とも時間を共用していない、孤独感が、紀美子の 中の何かをかき立て、自分の気がつかなかった懐かしさの素を、引き出している のではないか。 子供の頃。紀美子の記憶がほとんど残っていない、小さな、小さな頃、やはり この景色を見たような気がしてならない。小さな子供にとって、真夜中はなんと も不思議な存在だった。 そうだ。 なんて、不思議なものだらけなんだろう。 そう言えば、白いアスファルトの横の雑草にも、胸がわく。 辺りを見渡す。 夜空。オリオン座の三つ星。紀美子の目に、じんわりと涙が浮かぶ。 歩こう。もっと、真夜中のノスタルジアを書きとめよう。不思議なものを、沢 山、沢山、感じよう。 紀美子はもう、嬉しくて、楽しくてたまらなくなっていた。 薄暗い道路を横切る、黒猫が、家の垣根に消える瞬間が不思議だ。 ポケットから小銭を取り出し、それを落とした、チャリンという音が不思議だ。 自分の目が、ものを見ているんだろうなと、思うことが不思議だ。 街灯の細長さが不思議だ。 自分の足音が不思議だ。 急に幅の広くなる道路が不思議だ。 四つ角の向こう側にある、駐車場の地面の色が不思議だ。 きっと押せば、ピンポーンとなるだろう、どこかの家の呼び鈴の白いボタンが 不思議だ。 どぶに、水がたまっていることが不思議だ。 犬小屋の中で、夜眠っている犬のことを想像すれば不思議だ。 坂道が不思議だ。 電柱の上の方が不思議だ。 薬のような、風のにおいが不思議だ。 「あ……」 紀美子は思わず、声を出して、立ち止まった。 建築現場の、大きな、大きな、大きな、マンションのような直方体一面にかけ られた、ブルーのシートが、風に揺れ、バサバサと音をたてている姿は、なんて、 不思議すぎるんだろう……。 (つづく)
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