長編 #2305の修正
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ロングモント市研修旅行(平成5年8月2日〜9日) 8月6日(金) 少し遅れたが、ホテルへアズマノの、河端真澄さんが迎えに来てくれた。ホームステ イの生徒や関係者と別れて、デンバーへ向かう。 デンバーの街は道路が整然として、緑が多く手入れが行き届いていて、実に清らかな 街であった。 州により異なるという話しであるが、条例により、サイドロードの清掃手入れが、面 している住民に義務付けられている。違反すれば罰金が課せられる、勿論、住宅周辺の 緑化もである。彼らは宅地にスプリンクラーを入れ、人を雇ってもサイドロードの手入 れや緑化に努めるとの話である。 デンバー郊外で、緑の無い薄白茶けた荒地に幾軒かの住宅が建築中であった、それを 指し、あの場所も数年すれば緑になると説明してくれた。 人種差別はあると話され。人種による価値観、教育、アイデンティティの差から各人 種の差がでると。また、最近デンバーでも、高校生の拳銃発砲事件が起きているとの話 。これは、去年の初めニューヨーク東部ブルックリン地区の高校で、黒人生徒が仲たが いした学友を短銃で射殺した事件を引き金に短銃所持に、論議の火が付いたという記事 を見た覚えがある。その記事のなかに、これはニューヨークだけではなく、全米各地で 多発しているとも記してあった。こんな美しい街、デンバーにもそんな事件が起こって いるのかと驚いた。ロングモントわ?、と聞くと、ロングモントでは起こっていないと の話であった。 Red Roc ks Amphitheatre。7500人収容の野外音楽場。自然の中で、長い年 月風雨に侵食された赤い岩山に囲まれた、雄大な野外音楽場で赤い岩山の向こうには広 大なコロラドの地が広がっている。 コロラド州庁・議事堂・自然博物館を見学して、サンフランシスコへ。 サンフランシスコ空港に、日本旅行契約の内間さんが出迎えてくれた。外に出ると急 に寒さを覚える。風も冷たい、海岸に寒流が流れ込んでいるので夏もそれほど気温と上 がらなく、霧が多いのだという。デンバーの街を観て来た目には、サンフランシスコの 街は、確かに賑やかだが少し汚れて見えた、それだけ人口密度が高いためなのか、デン バーやロングモントの街は若さが感じられたがサンフランシスコの街にはそれが無い。 ヒルトンホテルに着く、真夏姿の半袖もあれば、冬のコート姿もある、各国から人が 集まつて来た感じだ、日本の学生の団体姿もあった。 8月7日(土) 霧がでていた。朝、内間さんが迎えにくる。 ゴールデンゲートパークへの途中、小高い岡への上り坂に、古い形の西ヨーロッパ風 の木造住宅が数件並んでいた、湿度の低いサンフランシスコでは、ペンキの塗り替えさ え怠らなければ百年以上は持つ、この建物も古いけれど、真新しく見える。ペンキが塗 り替えられているのだ。言われてみると、屋根に少し古さが感じられる。出窓の家、ベ イウインドと呼ぶそうだ。街路樹の赤い花が美しい、朱色、ピンクなど、いろいろある 、ユーカリの一種とのこと。大粒の霧が降るかに舞う。 道路。南北に走るのをアベニュー、東西をストリートと呼び街は碁盤の目のように整 然としている。街の景観など考えずに、ただやたら人目だけを引こうとする大きな広告 看板やネオンサインはない。デンバーの人に言わせると、サンフランシスコの人は、車 の運転が荒いと言うそうである。 人種差 別はない、職業面でも、生活面でもと、案内してくれた内間さんは話した。しかし、内 間さんは注意してくれた。ヒルトンホテルの裏側へは行かないように、治安が悪いから 、ホテルの前、小高い岡から海岸にかけては住んでいる人達も違うし治安もよい、あち らわ黒人街だからやめた方がよい。ホテルのポーターはアメリカ映画と同じ黒人であっ た。日本人一世は、貧しかった、二世三世は、医師・弁護士など高収入職業者が多いと 。デンバーで案内してくれた、河端さんは人種差別はあると言って、人種による価値観 ・教育・アイデンティティなどを口にした。 アメリカへ来る前、ニューヨークやロサンゼルスで日系から「人種的偏見」と抗議が 起こっている、米映画ショーン・コネリー主演、「ライジング・サン」の記事を読んだ 。 日米経済摩擦を背景にしたサスペンスであるが、日本人は、やくざや悪質ビジネスマ ンといった役どころばかり、しかし私はこの訳書を、去年、よく日本人の特徴をとらえ ていると思って、ロス市警の日本帰りの老刑事の言葉に注目して読んだ。 その中の会話。「日本は好きだし仕事も順調だった、だが本当に疲れてしまった、日 本人の接し方は、常に自分が外国人であることを忘れさせてくれなかった」また、「日 本は大好きだ、でも世界一のレイシストでもある」と、原文はどうなのか私は知らない 。 差別と区別、しかし人種は違ってもアメリカ人である。アメリカでは、国旗(星条旗 )を大切にして、あちこちに飾ってあったのが印象に残った。 ゴールデンゲートパーク。此れを人工で、半砂漠の地へ造り上げたのかと驚く、原生 林を伐り開いて造った、そんなふうにも思える大木の広い森林、蔦類が巻き付き垂れ下 っている。この中にスプリンクラーがセットされているのは、ちょっと信じられない。 130年もの大木、それは130年もの歳月を、多くの人達が見守り育ててきたとい うことである。ユーカリの種類が多い、松に似た木もあり、針葉樹も多い。市民の憩い の場になっている。ゴルフコース・乗馬・アーチェリー等々。中程の大池で、大人たち が大勢集まって、ラジコン船の競争をしていた。船はとりどり、タンカーもあれば、ボ ートも商船も貨物船もある。大人等が楽しそうに池辺で操作している。今日は土曜日で ある。 霧が多い、週に二、三日はよく晴れると話してくれたが、今日は厚い霧雲が空を覆っ ている。ゴールデンゲートブリッジのトップは霧のなかへ頭を突きこんでいた。 サウサリートは日が照っていた。サンフランシスコは霧でも、此処は地形や気流の関 係とかで晴れているとのこと。この街、古くはイギリス、スペインの捕鯨船の寄港地で 、今はサンフランシスコの景色を眺める風光明媚の避暑地で、アーティスト達が多く移 り住んでいるという。 ピア39のショッピングセンターを迷い歩いて、野性のアザラシを見て、寒流が流れ 込んでいるんだと、実感。ジェファーソン通りに出て、此処での蟹の立ち食いがイキと のこと、確かに道端で処かまわず、男も、女も、若いから年寄まで蟹にかぶりついてい た。 8月8日(日) 朝、サンフランシスコの街に出る。8時半すぎの日曜日の朝。街は昨夜の汚れが残し てある、道に面した店舗の人達であろう、その清掃をしていた。片隅の建物の影から、 ダンボール紙を押し退けて老人が立ち上がった、ホームレスだろう。チヤイナタウンに 向かって坂を上る、教会の前に出た。紙コップを片手に薄汚れた男が、教会の前に蹲り 、文字を書いたダンボール紙片を前において、頭を垂れている、その前を通り抜けて何 組かの人達が教会の門へ吸い込まれた。紙コップの中を覗く、コインが少し入っていた 、何人かはコインを入れてやる人もいるんだなと思う。なだらかな下りにかかった、ま た街の辻角に、似た姿の男が今度は帽子を前に裏返しに置いて蹲っていた。沢山のコイ ンが入っていた。その男の前を通り過ぎ様とした時、いきなり声を掛けられたが、私に は言葉が分からなかった。 チヤイナタウンを見ての帰り、斜めに走しる(Maket ST.?)大通りの角で 日本の青年に逢った。「この通りを越えて向こうへ行かないように、昨日もひっqくり があった、その女性は抵抗したので怪我をした」青年は、親切に話してくれた。 ホテルに戻り帰国の用意。 内間さんに送って頂き、サンフランシスコ国際空港・12時45分発・UA819便 に搭乗。午後1時05分、滑走路に入る。33分、滑走。離陸上昇、雲の中を突っ切り 、雲の上に出る。左窓は雲海、右窓は雲の切れ間に山脈。 上空に出て、機内の温度が下がる、真下に海の波らしきが見えるが、海と空との境界 は分からない。 4時間ほど過ぎたか、急に機体が震動する、気流の関係だろう、20〜30分ちかく 続く。 機内サービス終了の報せ、8月8日 午後10時40分頃、成田着日本時間 8月9 日午後3時30分の予定。成田とサンフランシスコ間、行きと帰りで時間が違うはず、 計算しょうとて、分からなくなる、夜を失ったような気もするが、家に着けばゆっくり 、一晩眠れる。 」」完」」
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