長編 #2304の修正
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ロングモント市研修旅行(平成5年8月2日〜9日) 8月2日(月) 市役所仮庁舎前に7時30分集合。市長より壮行の言葉、教育委員長が一行を代表し 、出発に際しての決意に併せて、今回の機会を与えて頂いたお礼を述べ。ホームステイ 研修参加生徒と一緒に貸切りバスにて、成田空港に向け、出発した。 午後4時20分、成田空港を飛びたつて2時間余り、日は何時何処へ落ちたのか、左 手の窓に横に長々と引く帯状の雲の茜、山脈の茜にも思えるが雲海の果てである。 機 は雲の上を飛んでいる。雲の果ての茜が、手前から押し狭められながら、その茜が暗く なる、暗いうえに白夜の線が、闇に溶け込む。 成田を飛び立ってから10時間ほどか、機が急に振動する、気流の影響であろう、窓 の覆いを客の一人が押し開いた。夜はすでに明けていて、陸地が見える。アメリカ西海 岸であろうか。 この夜は、数時間であったのか、三、四時間であったのか、頭の中で計算をしてみる がわからない、旅行日程を出してみると、2日の午後成田を飛び立ったのに現地時間は 、2日の午前中である。日付変更線と時差の関係、さらに地球の自転も、知識としては 良くわかっていた心算なのに、自分の身がその中に置かれてわからなくなるのも可笑し い。 シートベルト着用のアナウンスと表示、機は旋回し高度を落とす、体が吸い降ろされ る感じを段階的に覚える、機が段階的に高度を落としているのか、機が着陸体制に移る 。現地時間、午前10時少し過ぎ、サンフランス空港に着く。 飛行機が遅れたうえに、アメリカ入国手続きを済ませての乗り換えは、慣れない経験 に、言葉も分からず気ばかり急いて忙しかった。それでも日系人らしい人が多いのと、 女性の係員が日本人で言葉が通じたことで、焦る気が救けられた。 デンバーへのUA820便は、午前11時15分発の予定。慌ただしく手続きを済ま せて、搭乗をしたものの、機は、滑走路の手前で待機状態のまま出発が遅れた。滑走体 制に移り、サンフランス空港を離陸したのは、午前11時55分頃であった。上昇を続 け、機は雲の上にでる、翼の下から、遥か彼方に広がる雲々。 エンジンの音が一定のレベルを保ち、機体も揺れること無く、機はデンバーへ向かっ ている。快晴とは呼べないが、翼の下に浮く雲も、それなりに形を整えて、峰々が美し く日に輝いている。雲間から見下ろす地上の街並は、まもなく薄茶色の丘陵の続く、緑 のない広大な地に変わり、更に灰色に白茶けた、残雪と見間違いそうな広大な地が広が る、砂漠であろうか、何時か雲の上を飛んでいた。再び雲の切れ間から覗いた大地は、 赤茶色で自然の風雨に長い年月、浸食され続けたと思われる、形の丘陵。集落らしく思 われる付近には木々らしき影も見えるが全体に薄赤茶けた荒野である。河の流れと思わ れる曲がりくねったひとつの細長く引く地形、それに沿って所々森らしき影も見えるが 緑らしい緑ではない。 機体が急に振動しだした、気流の悪いところへかかったのだ、ロッキー山脈の上を飛 んでいるのだろうか。 暫らくして、シートベルト着用の合図。機が高度を落とし初めて旋回する。段階的に 、また体が深い底へ引き込まれるようで。気持ちが悪い。 デンバー空港着、午後2時50分頃、此処でまた時差修正。jetlag。じっと楽 どころではない、じっとしていても何か可笑しい、時差ぼけ。 空港まで出迎えてくれた、ロバート氏の車でロングモントへ向かう。 広大な地、真っすぐな広い道を、車は突っ走る。今日は、ロッキーの山脈は、雲のな かと、ロバート氏は言う。麦の取入の済んだばかりの畑、玉蜀黍畑は青々としている。 畑のなかに点々と並ぶ簡単なポンプのアーム、動いているのはほとんど見当らない。石 油の汲み上げ用とのこと。櫓も組まず、余りにも簡単なポンプ、それも、あまり動いて いないので、逆に資源の豊かさが感じられる。畑や住宅周囲の木々、そして芝生は、青 々としているのに、空き地の草は生気が無く、丈も短く、枯れかけた色である。出発前 、刈ったばかりと思っていた土手草が伸び過ぎ、ほっておけずに、敵に向かう勢いで刈 り倒してきた私である。後でわかった事であるが、家の周囲や芝生には、スプリンクラ ーが組み込まれていて、散水しているのだという。放置しておけば水分が不足して緑が 育たず、消えてしまう。緑は育てて、そして保護し、守ってやらなければならない地。 緑は勢いよく茂る地に育った私、同じ自然保護を口にしても、基盤が違う、文化の差を 改めて感じさせられた。 ロバート氏は重ねて口にする、ロッキーの雪解け水に恵まれ てと。信州の美味い水に恵まれて、と言うよりも、この、ロッキーの雪解け水に恵まれ ての言葉は、より重く感じられた。 私達が教えられたコロラドは、高地は森林に覆われ、平野部は雨量が少なく、半砂漠 地帯をなす、灌漑による農業牧畜が・・・であった。ただ知識としての記憶は生きた心 がない、目で見、その地に立って、その土地の人たちに接した感動は心を打つ。ただ詰 め込んだ知識は、百科事典のょうなもの、百科事典はその用途には役立つが、それだけ である。自分の知識をよく耕し生きた心を与える事の大切さを感ずる。 レイントゥリープラザホテル着、4時20分頃。 8月3日(火) ホテル、8時45分頃出発。午前中英語研修。 ロバート氏の英語の授業は、実践的で、当面すぐに、話せなければホストファミリー とのやりとりに困る必要な会話で、このような環境のなかで研修を続ければ英会話をマ スターするのも早いと感じました。そして研修が終われば周囲は英語の世界で、こんな 機会を与えられる生徒達は、やはり、恵まれ、選ばれた生徒達で、誰にでも与えられる ものではない。できる事なら、この貴重な体験を持ち帰り、この貴重な体験を仲間に分 かつ心を持って頂きたいと思います。体験を分かつ心は、体験をひけらかす心とは違い 、それが出来れば生徒は、より人として成長すると思います。 午後、市および教育関係者と会食。 学力問題の話を出した折り、何を教えて欲しいのかと奇異な表情が走ったのを私は感 じた。確かにアメリカでも小中学生の学力問題をNFS(全米科学財団)や米教育省で 問題にし、2000年までに、数学、科学の分野で世界一にする公約を掲げている。世 界19ヵ国と比較して中学生の場合下から2番だと深刻な発表だ。調査の詳しい内容は 知らないが、上位の国は授業時間が長い上、宿題もはるかに多いと記されていたのを覚 えている。授業日数180日位とのこと、日本は数十日多いことになる。 日本の学力 問題は、一流大学入学率を尺度に語られている向きがある。基盤が違えば、言葉は通じ ても話合いにはならない。通訳してくれたロバート氏もこの基盤の違いを何処まで理解 して通訳してくれていたのか、文化の違いは、あらゅる処に潜んでいることを感じた。 ロングモント地区は治安もよく、教育程度も高いことを自負しているらしく、前校長 と云う女性副教育長は、実に堂々と自信を持って会食後学校を案内してくれた。其の折 りの説明のなかで、先生方は、部活等の授業以外で日本ほど忙しくないように感じられ た。 また、印象に残ったのは、彼女のデスクの傍らに、3つの足跡形が貼ってあり、最初 の足形は原人、次は男性の素足の足形、そしてハイヒールの踏み跡、此れからは女性の 時代と彼女は笑った。其の言葉のとおり、あらゆる場所に女性の働く姿が目に付いた。 彼らは、日本の小中学に麻薬問題のない事を羨み、離婚の多いことから、家庭に係わ る教育に力を注いでいると話していた。 また都市景観の話も少し噛み合わないように感じた。彼らは、荒野に道を開き、家を 建て、緑を育てて、街を計画的に造ったのである。まず土地の広さが違う。古い街を時 代の要望に合わせて替えていく難しさ。しかし、どぎつい広告看板や、ネオンサインの 無い街並、電柱もなく、電線が四方に空中を走っていない街並は素晴らしい街つくりで ある。 バーバラさんの案内で開拓史博物館(OLD MILL PARK)を見学。 1860年代、ゴールドラッシュでこの地に、砂金を採りに足を踏み入れた人達の生 活が伺える木造の小屋、部屋の粗末なテーブルの上に、大きな一冊の聖書が置いてあり 、それが印象にのこった。この地に、陸伝いにはいって来たのか、海を越えて来たのか 、この大きな聖書を持って此の未開地に踏み入った、それが開拓者精神か、また一儲千 金を夢見てか、しかし、この大きな一冊の聖書を抱えていた。こんなところにも文化の 差が感じられる。 8月4日(水) 真直ぐな道路を、車で突っ走る。市街地を抜けて、両側に広大な、畑が広がっている 。取入の済んだ麦畑、また玉蜀黍畑と。其の遥か先に湖と呼ぶか、灌漑用水堤と呼ぶべ きか大きな湖が光り、更に其の彼方に山脈の影も見える。広大な土地である。 クア ーズ社、ビール用麦の集荷場の見学。 麦の受入は7月末が、最盛期で、1日500万ポンド(約2300t)もの日がある と話してくれた。その日も、麦を素積みした大型ダンプカーが次々に入ってきた。見る と中には、運転席に、中年過ぎの主婦らしき女性の姿、助手席には子供の姿も見える。 乾燥度(水分13%以下)や色、プロテイン(蛋白質?)の受入検査を直ちに実施して 、合格品は地下倉庫へあけさせる。地下倉庫からシュウターで機械へと直結されている 。 此処へは3地区から搬入されていて、その中で松田氏所有地、26000ヘクタール 、また大地主のアラン氏も日系人では?、と。此の地には第一次世界大戦前から日本人 が住み着いていた。と話してくれた。大陸横断鉄道建設時に日本人が此の地に入ってき て、この地の開発にどのょうな努力と貢献をしたか、その歴史を、ロマンを、誰か記し てくれる人が居たらと思いました。 DAIRY乳牛牧場。面積120エーカー(約480町歩)、乳牛約1000頭の内 搾乳牛385頭、一日3回搾乳して75〜140ポンド(約34〜63s)/頭。8人 兄弟で経営している。 肉牛牧場。面積500エーカー(約2000町歩)、約2000頭の飼育で、成牛ま で2年サイクル、近くに自宅が見えたが何人で経営しているかは聞けなかった。 広い牧草地も緑が鮮やかで、此処にもすべて散水設備がつけてあった。土地があって も水が無くては、と話して、水路の近くで車を止めて、分水口が付いていながら、水が 止められている所を見せてくれた。その水の流れて行かない川底は荒れて干上がり、そ の川下の畑は生気が無い。雨がすくなく、湿度が低い乾燥地である、水が無ければ緑が 育たない、ロッキーの雪解け水を湛える湖、天然湖ばかりではない、その中に数多くの 人造湖、貯水池(Reservoir)、また天然湖を広げたものもあると話してくれ た。水が、この地の繁栄を支えている。 新聞社、博物館等見学の後、Solbourne Computer社を見学。 松下50%資本の現地合弁会社、松下出向の池田氏に面会。 1987年設立、従業員200名、松下より現在若いエンジニア7名出向。社長はア メリカ人で設立当時とは変わっている、経営成績かららしいが、それほどに、企業の厳 しさが感じられた。 ソフト、ハード、両面。ハードは開発設計して、パーツを外作し、場内で総合組付け 。コンピューターは2年位、アメリカが進んでいる、それを生かしての進出と話してく れたが、見方は色々あると思う、確かにCPUなど、基本を押さえている部分もあるが 。 話の中で、印象的であったのは、黙っていては、仕事はこない。課題の見付け方、自 信を持って表現できることが大きな創造につながる。また、個人の力を持つ、力をつけ る、頭のよし悪しではないと。 その言葉の通り、オフィス内は、スペースを二人分くらいに高く仕切り、仕事振りを 見て監視管理する形体ではなく、これでは個人の仕事の評価のみに重点を於いて管理す るしか無いように感じました。 8月5日(木) 朝、生徒等と一緒に熱気球に乗せてもらう。日の出前はカーディガンを着てもまだ寒 い、温度差が必要なのだ。バーナーで気球内の空気を暖め上昇する。 ロッキーマウンテン国立公園の見学。スー先生が車を運転して、案内してくれた。 モレーンパークビジターセンター(ロッキーの自然博物館)から、大モレーンを観る。 大氷河に押し出された大モレーン、この雄大なロッキーの山脈を造り上げた、自然の力 、その雄大な姿にただ観入る。ベアレイクで昼食。Hallett Peakを車窓に 見ながら、海抜3715mの高地の、曇り空、雨の飛ぶ中を越えて、車を走らせて戻っ た。
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