長編 #2194の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
ほとんど一人ごとのように遠慮がちに響いたのは、李月華の神秘的な能力への畏 怖を、やはり抱いているからなのだろう。 白い女神の美貌は答えず、かすかに眉間に皺をよせたまま微動だにしない。 主管制室にはいまや、基地内のほとんど全員がつめかけて、息もつまりそうなほ どの緊張をただよわせていた。そのことが月華の異能に負の影響を与えないものか と気づかい、一度は解散を命じかけたが、当の月華の一言で野次馬たちもまた立ち あいの権利を得たのだった。 「パパはいま、とても重大な場面に遭遇しています」目を閉じたまま口にされた 台詞は、単なる遭難と先走りによる事故から、なにか得体のしれない事件へと事態 が変容しつつあることを宣告していた。「とても遠い……パパの思念にはかなりの 親しみを感じているから追跡には有利だけど、でもイカルスの向こう側は私にとっ ては遠すぎる。だから、パパのことをすこしでも心配する気持ちがある人は、どう かこの場にいて、私に力を貸してください。それが、パパと、そして私を結ぶ細く て不安定な絆を、強めてくれるでしょうから」 そしてそのまま数刻、月華は同じ姿勢を維持したまま、深い沈黙の底に沈みこん でいた。 時間的に、そろそろ遺跡に到着するころあいだった。 「主任」緊迫にはりつめた空気を断ち切るように、ケオパーが口を開く。「イカ ルスから通信です。無人探査機ラムフォリンクスからの映像で、遺跡の異状を確認、 映像記録はいま転送中です」 「好、小姐。転送がすみ次第、メインモニタに出力してくれ」 「了解しました」 「それと、パパラシッドのファンレディはまだ捕捉できないのか尋いてくれ」 王主任の命令を彫りの深いアジアの麗人は通信機に向かって復唱し、しばしの間 無言で返答に聞き入っていた。 が、返信がくりかえされる前からすでに、雄弁にひそめられた形のいい眉が答え を物語っていた。 「詳細は不明ですが、多くの探査機器が使用不能に陥っているため、通常の探索 行動を維持するのが困難な状態にある……と。要するに機械が壊れてパパの居場所 はよくわからない、ということですね」 「ありがとう。心あたたまる情報だ」 ため息に憤慨をにじませて王はそう言った。 無表情にうなずき、つづけて口にした。 「映像を出力します」 じりじりと煮詰まった空気を裂いて声が、管制室に響きわたる。 メインモニタに灯が入り、青白く画面が輝く端から1ブロックずつ、はめ絵のよ うに画像が映しだされていく。メイン、といっても大きさは通常のモニタよりやや 大型という程度だから、室内につめかけた十数人が団子のように盛りあがることに なった。 「……なんだこりゃ?」 固唾をのんで見守っていた、全員の意見を代表する台詞を口にしたのは、クリシ ュナだった。 「蛍のようだな」 小さなつぶやきが後につづき、そして深い沈黙が室内を濃密に埋めつくした。 天空を白く染める白光は太陽の姿だろう。それとはべつに、黒く境界を占める地 平線の彼方に、ぽつ、ぽつ、と無数の、青い光点が映しだされていた。 「つぎの画像に変わります」 ケオパーが言うより早く、ふたたびモニタの左端からひとつ、ひとつと、べつの 画像が現れはじめた。 今度は、天頂の太陽の姿は画面からはずれていた。 にもかかわらず、画面は光に占められていた。 「斜め上からの、ショットだな……」 だれかがつぶやくのへ、他のだれかからシッと非難がましい制止がかかる。 だれも、ディスプレイから視線を離そうとはしなかった。ただひとり、月華を除 いては。 画面左下に点滅する数字からすると、遺跡突端のあたりに該当する映像らしい。 高く、低く、さまざまに浮遊する蒼白の球体がすでに、全画面の半分以上を埋めつ くしている。スケールは、ぼんやりと薄れた輪郭を除けば二メートル前後か。 最後のピースまで表示が終わると、ほう、とだれからともなくため息がもれた。 それにかぶせるようにして、ケオパーが言った。 「つぎです」 パズルの断片のようにひとつひとつ、部分的に見せられていることが、この場合 はよかったのかもしれない。青い光の氾濫に埋めつくされた隙間から覗いているの が、遺跡の特徴的な紋様であることはだれもがすぐに、理解できた。 理解できなかったのは、そのスケールだった。 「でかくなってるんじゃないか……?」 「やっぱり……?」 「そんな……」 ささやき声がすばやくいくつか、交わされた。 上空二十メートル、今まで見慣れた画像では、遺跡の全景が写るはずの距離と位 置のはずだった。 にもかかわらず、無数の光球にさえぎられて判然とはしないものの、どう見ても 紋様の描きこまれた範囲が倍くらいに広がっているようにしか見えなかった。 「つぎです」 ややかすれ気味の声が、告げた。 いままでとはまるで違った映像が、端から現れた。画面左側を不気味な赤光が占 拠し、その他の部分は真っ黒く感光してしまっている。 「四枚目……失礼、このショットから、カメラが完全に作動しなくなったもので す。あとの映像はすべて、完全に感光したものばかりだということです」 言いながらケオパーはCLSをかけ、モニタを待機状態に戻した。 それでもしばらくの間はだれひとり、ため息ひとつつくことなく、固唾をのんだ ままなにも映されていない画面から目を離せずにいた。 正確にどれほどの時間が経ったかはわからない。不意にわれに返った王主任が、 「みな、持ち場に戻れ」強いて落ち着きを強調したと明らかにわかるような口調で 言いながらぱん、と手をうち鳴らし、だれもが叩き起こされたような顔をしながら のろのろとそれぞれの居場所に移動した。 重い沈黙が、なおしばらくの時間を支配した。が、それまでの沈黙とはちがって もいた。ただただ変化を、新しい情報を盲目的に求めていたじりじりとした沈黙で はなく、新しいこの時間は理解不能な事態への不安に充ちた、濃密な空白だった。 だからモニタのひとつを担当する大陸系の係員が、クリシュナに静かに肩を叩か れるまでコールを告げる警告音が鳴りつづけているのに気づかなかったのも、無理 のないことではあった。当の係員のみならず、室内にいた全員が呆然と看過してい たのだから。 『やっとの思いで帰還して、出迎えがだれもいないどころか門もあけてくれない のはいったいどういうことなの?』 非難がまく響いたのは、クララ・アルドーの声だった。 しまった、という顔で王李光がハンガー要員に「早くいけ」と小声でささやきつ つ手だけで合図を送り、事情を説明する係員とクリシュナに向けて舌を出してみせ る。 子どものような総責任者のそんな様子に、室内の全員がホッとしたように息を抜 きかけたとき―― 「だれか、ケイコをつれてきてください」 緩みかけた空気を、ぴんと再びはりつめるようにして、澄んだ声音が要請した。 ハンガーに走りかけた数人までがぴたりと足をとめ、瞬時、とまどったように声の 主へと目を向ける。 緊張に充ちた全員の視線を平然と受けとめながら、月華はつけ加えるようにして 言った。 「ドクターがしぶるかもしれませんが、多少のことには目をつぶってもらうよう 説得してきていただけますか?」 静かな、淡々とした口調とは裏腹に、厳とした意志がその黒い瞳にはこめられて いた。 神秘の視線の先にさらされて、クリシュナはやや腰くだけになりながらあわてて うなずき、低重力にバランスを崩しながら走りだす。 「教授は……パパラシッドは見つかったのかい?」 おそるおそる、という感じで発された王李光の質問に、月華はあいまいに首をふ ってみせた。 「いまは移動はしていません。おそらく、遺跡にたどりついたのでしょう。そこ で、なにかに非常に難渋しているようです。推測ですが、外に出ようとしているの ではないでしょうか」 息をのみ、うなずいた。難渋しているのは、動かない下半身に手間取りつつ機密 服を身につけようとしているから、といったところだろう。 「いずれにしても、やはり遠すぎるようです。捕捉しているだけでひどく消耗し ます。明確なヴィジョンは、このままの状態ではとても無理です」 「だから――」 景子を? と王主任が口にするまでもなく、月華は無言でうなずいてみせた。 「彼女が、おそらくこの基地においてはもっとも強い絆を、パパとの間にもって いるでしょう。それも、双方向のものを。パパの側からすれば、ケイコを除けばこ の基地に……それどころか、地球や、その他のなにものに対しても、ほとんど執着 などないようです」 静かな沈黙が流れた。 だれもが、意外の感に打たれていた。 軽口をたたこうとして口を開きかけ、生唾とともに飲みこみ、そして王李光は言 った。 「それほど……だったのか……」 月華は、小さく無言のままうなずいてみせた。 「イエファ」 入口からかけられた声にふりかえる。 胸の前で手を組みながら景子は、異様な雰囲気の立ちこめる室内をためらいがち に眺めわたした。その背にかけられた褐色の手が、そっと圧力をかけて入室を促す。 ふだんなら、とっくの昔に冷厳にはねのけているはずの手だ。 気づきもしなかったようにふりかえりもせず、反射的に夢遊病者のように歩を踏 みだした。 華奢な背なかが離れていくのへ、クリシュナは途方にくれたような目だけで追い かけていたが、肩をすくめて背後のホルストをふりかえる。 やはり景子の背だけを瞬時、ひたむきに追っていたドイツ人は、あわてて同意を 求めるインド・アーリア人の視線から目をそむけた。 「月華、あたし……」 「話は後で」なにか言いかける景子を目で制して、月華は言った。「体調はどう ですか?」 ほんの一瞬の沈黙の後、景子は決心したように強くうなずいてみせた。 「だいじょうぶよ。少し疲れているだけ。でも、とても休む気にはなれないから」 ありがとう、とうなずきながら月華は、視線で隣のスツールを差し示す。無言で 腰をおろすのを待って、なんの前置きもなくその手をとった。びくり、と景子が全 身を震わせたのには気づかなかったように、月華は口を開いた。 「パパのことを思ってください。ここにくるまでに、心配していたのと同じよう に」 瞬時とまどっていたが、すぐにうなずいてみせた。 うなずき返し、月華はふたたび瞑目した。生真面目に景子もそれに習って、両の 瞳を閉じてみせる。 一分と経たないうちに月華が目を開き、景子を見た。気づかないまま、景子は目 を閉じたままだ。 月華は重ねていた手を離した。起こされたように呆然と景子が目を開き、自分を 見返す月華の視線にいき当たってびくりとする。 数瞬、深い黒瞳が景子を真正面から見返していたが、ふいに暖かい微笑が、湖面 に花びらが舞い落ちるようにして広がった。 「かたくなってもしかたがないわ、ケイコ」微笑にのせてやわらかく告げ、そし て言い添えた。「リラックスしてください。日本にも、諦観、という概念はあった はずね」 緩みかけた精神が、最後の一言でふたたび、ぎゅうっと絞られた。 「緊張してはだめ」月華は静かに、首を左右にふったみせた。「一所懸命になっ てもいけません。遠く、おぼろに、他人事のように。でも、心の底、奥深くで、パ パのことを思いながら。……できますか?」 意味を計りかねてしばらくの間、景子は月華を見返していたが、やがてうなずい た。 「やってみます」 真摯な表情に、月華はにっ、と、子どものような笑顔を浮かべてみせた。 ふたたび白い手をとり、今度は握るのではなく月華自身の肩に誘い、そっとそこ に乗せた。 そしてもう一度うなずいてみせると、みたび瞑目する。 しばし、どうしたらいいかわからずに月華の美貌を見かえしていた景子も、ふた たび静かに目を閉じた。 多くの人間が固唾をのんで見守るなかで、ふたりの女はただ無言で、いつまでも 目を閉じたままだった。 無限にも等しい時間が流れ去り、室内に苛立ちとあきらめとがおさえようもなく ただよい始めたころ、静かにそれは訪れた。 パパ、と、化粧気のない景子の唇が、息だけでささやく。 はっとして、全員の視線が焼けつくようにして集中するのにも気づくことなく、 彫像のようにふたりは腰をおろしたままだ。 そのままさらに数刻、なんの変化も訪れなかった。 部屋の入口にたたずんだまま、クリシュナが、ケイコ、と唇の形だけでつぶやい た。 もうひとり。王李光は唇さえも閉じたまま、喉の奥で一人ごちた。アイレン、と。 「光……」 その口調は、常となんらかわらなかったかもしれない。だが、まるで雷撃のよう な衝撃力をともなって、まるで女神の宣告のごとく、朗々と室内に響きわたった。 「無数の光……」月華は、静かに、そうつづけた。「壁があるわ……遺跡のなか のよう。……紋様が……浮きあがるようにして、燐光を放っている……そして光… …白い光」 白い? と疑問の声が小さくあがる。 だれひとり反応せず、ふたたび巫女の託宣がつづく。
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