長編 #2193の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「見当くらいついてるはずよ」苛立ちが口調をかえる。「いなくなっているのは だれなの?」つづく言葉をいったん喉の奥におしとどめ、そのまま飲みこんでしま いたいように、ごくりと鳴らした。「パパラシッド?」 『後で話す。以上、通信終わり』 不機嫌な台詞の前におかれた一拍の沈黙が、肯定を伝えていた。 深くため息をつき、景子は通信機をおく。 「なにがあったんです?」 うんざりしたように訊く森川に、景子は疲れたように無言で首を左右にふるうだ けだった。 私はいま、なにをしているのか。 砂をかむような疑問が、幾度となく脳内をよぎる。当然のごとく、答えはない。 理にかなわない行動にあえて説明をつけようとしても、無駄だった。極力考えない ようにしていた。 景子が遭難した――そう耳にしたときから、計画は瞬時にしてできあがっていた。 ハンガーには未使用のファンレディが二台、眠っている計算だ。整備員の目を盗ん でそのうちの一台を拝借し、救援に出かける。 正常な思考力があればすぐさま放棄するだろうずさんな計画であり、子どもじみ た夢想にすぎないはずだった。 熱にうかされていたのかもしれない。自分が英雄でも君子でもないことはいやと いうほど自覚しているはずだった。それでも、夢遊病者のように身体は動いていた。 管制室の外で遭難車とのやりとりを聞き出し、かなり正確な遭難地点を記憶に刻 みこんだ。そのままハンガーにむかい、ファンレディの機密扉を開く。整備員はど こにも見あたらなかった。手すりを使って苦労しながら車椅子を昇降口のへりに乗 せコクピットを目ざす。専用のシートを退けるのに、さらに時間と手間をかけたが、 だれも気づかなかったらしい。 気づかれるのを待っていたのかもしれない。 おそらく、すでに救援隊が出ているのだろう。自分の乗りこんだファンレディ以 外にハンガーにはなにもなく、がらんと静まりかえっていた。遠く地球へとのびる いくつもの基地構築物が、目まいの感覚を喚起する。 そして常にかわらずそこに浮かぶ、青い星の光。 月はいつも、いつまでも、まるで焦がれるようにしてその面を、地球に向けつづ けてきたのだ。 おぼろにそんな感慨を抱きながら、はかどらぬ手順でムーンカーの発進準備を整 えていった。支障はいっさいなかった。 ハンガーから月面への機密扉を遠隔操作で開き、それからエンジンに火を入れた。 暖気を終え、月の淑女はうなりを上げてその車輪をまわし始めた。オートパイロ ットに目的地をインプットし、力なくため息をついた。そして出発した。 あれから、どれくらいの時間が経っているのか。いいかげん、基地のほうでも気 づいていいはずだが依然、なんの連絡も入らない。すでにずいぶん前から、不安が 胸の底にいすわっていた。 ふと、窓外に視線をやる。 己の注意をひいたものがいったいなんなのか、最初はまったく理解できなかった。 光だ。 まるで自分を導くようにして地平線の彼方からさし染める、放射状に天へとのび る蒼白の光。 なにかの施設の光か? それとも、遭難地点へ到着したのか? 否定の材料が、眼前に展開した。 ひとつ。またひとつ。地平線の向こう側で、蒼白の光が増殖をはじめる。 漆黒の虚空にも。 まるで新しい星がつぎつぎに誕生するかのように、青く目を射る色彩が、ぽつり、 ぽつりと天空を埋めていく。 声もなく、ラシッド・ハーンは乱舞する光の生誕にその両の目を瞠るばかりだっ た。 『聞こえますか』 びくり、と、通信機から傍若無人に響きわたる声音に反応した。 『ファンレディ3、こちらイカルス。ビスミッラーヒ・アッラフマーニ・アッラ ヒーム、プロフェッサー、返事を。ファヘド・ウエメンです。プロフェッサー・ラ シッド。聞こえますか?』 依然として現実感がいっさいわいてこない。イカルス? 方向がまるでちがう。 それでもラシッドは、返答を返していた。 「おおファヘド坊や。なぜきみが私に話しかけているんだい? 私はまちがいな く、まったくべつの方角に向かっていたはずなんだが」 『インシャラー! ヤー・シャイフ、無事かい? おれはもう一時間近くもずっ とわめきつづけていたんだぜ』 「ヤー・シャーッブ。きみの一日に繁栄と祝福あれ。いったいなにが? ファヘ ド、なぜイカルスが私に呼びかける?」 疑問を口にしたが、答えなどどうでもいいような気もしていた。それよりも、あ の光は? 『アッラーに讃えあれ、だ。いいかいプロフェッサー、あんたの乗ったファンレ ディは調整中のしろものだったんだ。しかもいかれてたのはナヴィゲーター。オー トパイロットに指示をうちこむと、あんたはとんでもない方向につれていかれるこ とになっていたのさ』 「それでイカルスの方角へ?」呆然とつぶやく。「ヤー・サラーム。いったい、 正確には私はどこに向かっているんだ?」 『遺跡さ』大げさに両手を広げて肩をすくめている姿が、目に見えるような口調 だった。『プロフェッサー、あんたのファンレディは、ほぼ正確に遺跡を目ざしつ つある』 言葉を喪い、ラシッドはただ小さく、ため息をついた。インシャラー――それが 神の意志ならば。では、あの光は? 「ファヘド、きみの基地からは見えるか? 遺跡がいくつもの光に、つつまれて いるのが」 震える声で告げた言葉は、しかしファヘドとイカルスには届かなかったらしい。 通信機から聞こえてきたのは、どこかおっとりとした、懐かしいにおいのする柔ら かな呼びかけだった。 『パパ? 無事ですか? 景子です』 おお、と喉が震えただけで、声にはならなかった。 『パパ? パパ? わたしは無事に基地に帰るところなのよ? いまイカルスに 中継してもらって呼びかけています。感度が悪いのかしら。わたしの声が聞こえま すか? パパ? パパ?』 「……聞こえるよ、ケイコ。よく聞こえる」 答えた言葉は、喉にからんでいた。うほん、と咳ばらいをしてもう一度、聞こえ るとも、と呼びかけた。 雑音の底から、安堵のため息が聞こえてきたように思えた。 『よかった。無事ですか?』 「ああ。べつに、わし自身はどうともなってはいないよ」 『ああ、無事でなによりです。わたしたちはもう基地に帰るところです。パパも 今すぐ、ひきかえしてください。みんな心配しているのよ』 我しらず、安堵のため息がもれる。と同時に、ふたたび関心は前方の集積する光 の氾濫へと帰っていた。 「みんな、怪我はなかったのかい?」 『ええ? いいえ、そうでもないけど。でももう大丈夫なの。あたしもべつに、 怪我はしていないわ。精密検査をうけなきゃならないけど、べつにおかしいところ はひとつもないし』 「それはよかった……」 つぶやき、沈黙した。 上の空であることを感じとったのか、景子の口調に不安がしのびこんでいた。 『パパ? もう帰路についたんですか? こちらから迎えにいきたいんだけれど、 使えるファンレディがもうないの。三台は遭難地点におきざりになっていて。もし もしパパ? 帰ってこられそうですか?』 答えなかった。答えようもなく、ただ窓外の光景に目を奪われていた。 『パパ? パパ? 返事をどうぞ。基地のみんなも心配してるわ』 「わしはこのままいくよ」 うつろな口調が、自分でも意外だった。 え? と景子が聞きかえしたのは、意味を理解できなかったからだろう。もう一 度ラシッドは、今度は聞きまちがえのないようにはっきりとした口調で、宣言した。 「いま車は遺跡に向かって進んでいる。わしはこのままいくよ。遺跡のほうで、 正体不明の光の群れが乱舞しているんだ」 『なにを言っているのパパ? ばかなこと言ってないで、早く戻ってきて』 「わしがなぜ基地を後にしたか、きみにはわかるかい? ケイコ」 なぜそんなことを言い出したのか自分でも判然としないまま、ラシッドはそう呼 びかけた。 『なぜって……私を救けに出てくれたんでしょう?』 ひどく言いにくそうに、景子はそう言った。自分のためにだれかが動いた、など と口にするのに抵抗感を感じているのだろう。あの娘は、そういう娘なんだと、ラ シッドは思いながら静かに微笑んだ。 「退屈していたんだろうと思う」 さばさばとした調子でそう口にしたとき、自分でも説明がついたような気がして いた。 通信機からは、返事はかえらない。おそらく、自分の次の言葉を待っているのだ ろう。 「それに、自分をただのお荷物と認めたくもなかったんだ」他人事のように言う のにも、まるで違和感は感じなかった。「だから、ちょっとした規則違反をしてで も、自分の存在を認識してほしかったんだ」 『だれもパパを、お荷物だなんて思っていなかったわ』父親を説得する、幼女の ような口調だった。『そんなこと、だれも思っていなかったわよ』 淡く微笑み、ラシッドは静かな口調で呼びかけるようにして言った。 「わしが思っていたのさ、ケイコ。ほかならぬ、このわしが、自分を、お荷物だ とね」 『哀しいこといわないでよ』 心細げな言葉が告げる。 「いや、いいんだ」見えないことを承知で首を左右にふってみせた。「だから、 ちょっとした冒険のつもりだった。わしだって、半身不随の老人が救援隊きどりで 表に出ても迷惑になるだけだってわかっていた。だから、いたずらを途中で見つけ られて、怒られるのを今か今かと待っていたんだ。不幸にして、いたずら小僧はだ れにも見つからずにことを完遂してしまったが、ね」 『じゃあ、いま見つかったのよ』やわらかな口調で、そう告げた。『とにかく、 帰ってらっしゃい』 母親のようなその言い方に快く笑いをもらしながら、ラシッドはもう一度首を左 右にふった。 「そうはいかん。みすみす怒られに帰るより、小僧は家出を選んだのさ」 『パパ』 声音に怒りを感得して、あわててつけ加える。 「冗談さ。冗談だよもちろん」 『帰ってきてくれるわね』 なかば脅迫めいた言葉に、胸のすくような心地よさを覚えながらラシッドは深い ため息をついた。 『パパ?』 答えを返すまえに、ラシッドは無言で視線をあげた。 無数の光の明滅は、いまやファンレディの前方視界を埋めつくしつつある。 青く、音もなく浮かんでは消える、うたかたのような幻光。 長い沈黙のあと、ラシッドは再び口を開いた。 「不安だったが、ひさしぶりに楽しかったよ。自分でなにかをするというのは、 ずいぶんひさしぶりのことでもあったしね」 『もう、満足しましたか?』 「いや、まだだ」 むっとしたように、通信機は沈黙する。 説教口調がとどく前に機先を制して、ラシッドは言った。 「まだだよ、ケイコ。まだだ」 長い間をおいて、なにがまだなんですか、と景子が訊いた。 答えをさがすより早く、胸の底にわだかまって忘れられていた感情が、獰猛にそ の首をもたげるのを覚えていた。 それが答えだった。 「わしは知りたいんだ。鉄の箱のなかに閉じ込められているのには、ほとほとう んざりしていたのさ」 なぜ自分は、月へきたのか? 『パパ』 と呼びかけられるのを制するように、ラシッドは言葉を重ねた。 「いずれにしろただごとではすまんさ。なら、異変の正体がわかりそうな絶好の 機会を逃すこともあるまい。それに……」 それに、と、胸の奥でもう一度くりかえし、黙りこんだ。 喪ったものを……そして、届かなかった夢を、この手にとり戻すために、私はき たのだ。 銀色の荒野へと。 言葉を胸の奥に、静かに安置した。 「そういうわけで、心配をかけてすまんが、もうすこし遊ばせてもらう。リーコ ワンにもそう伝えておいてくれ。たぶん、これが最後だ」 自分でも意味不明の台詞で結び、通信を終わると宣言してすべての通信波をカッ トオフした。 そして静かに、行く手に横たわる未知にむけて視線をすえる。 7.光の橋 「帰投予定時刻0420です、主任」 景子からの通信を通信員が復唱するのへ、王李光は手だけで合図を送り、瞑目す る月華から視線をそらさないまま、口を開いた。 「……どうかな」
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