長編 #2190の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
ルナ・オービターの運動を加速させるほどの大規模なマス・コンセントレーショ ンは全部で12箇所が確認されています。そのほかに、重力波検知器の月への導入 によって、小規模な重力異常も無数に確認されつつあります。極小規模のものまで 含めれば、それが月全体におよんでいるという可能性さえ考えられるわけですね。 で、今回われわれが作成した質量集中部のマップを眺めわたしてみた時、そこにな んらかの規則的なパターンがあるように私には思えたわけです。この点は幾人かの 物理学者も指摘しているわけですが、このパターンを遺跡と結びつけて考察した例 は私はまだ聞いたことがありません」 「ちょっと待ってくれ」口をはさんだのは王李光だった。「つまり“来訪者”は “遺跡”だけでなく、月全体を改造した……いやつまり、現在発見されている遺跡 は、もっと巨大な構築物の、一部だということなのか?」 やや上ずり気味のその質問に対して、主任以下景子をのぞいた全員の高揚に水を さすようにして、ホルストはしかつめらしくゆっくりと首を左右にふってみせる。 「直感と仮説構築能力はすぐれた科学者に必須の資質ですが、一足とびの結論は 科学者にあるまじき軽率さの発露ですね。物理学というものは常に整然としたパタ ーンに律せられているものです。砂漠の風紋をエイリアンのメッセージと受けとめ るのはナンセンスです。同様に、私はこの重力パターンも月の生成過程のなんらか の物理的作用による自然発生的なものではないか、と考えています」 一同、瞬時鼻白んだように黙りこんだが、ふいにクリシュナが口を開いた。 「ナスカはどうだい?」 「そうよ、ナスカの地上絵よ」受けて喜色をうかべたのは、景子だった。「まさ かあれも風紋の一種だなんて言いだしはしないでしょうね、ホルスト。“遺跡”も 同じだわ。玄室の入口は完全な円形の台地よ。そしてそこに刻まれた幾何学模様。 あれが自然にできたものとはとても考えられないわ」 王主任がクリシュナにウインクしてみせる光景を横目に、ホルストはややむきに なった体で、 「クレーターはどうです? あれも完全な円形だ」 「物理法則はクレーターの表面をきれいにみがいたり、模様を刻んだりはしない と思うわ」 「玄室の壁がクレーターだと言ってるわけじゃない。ただ私はあれもクレーター と同じく、生成過程やなんらかの事故の結果による自然発生的なものではないか、 と主張しているわけです。もちろんあれがエイリアンのキャンプ跡であるという可 能性を全否定しているわけじゃない」 そこまで一気にまくしたて、剣幕に一同が呆然と自分を見返しているのに気づい て、ホルストは顔をあからめながら沈黙する。そして、 「過剰なロマンティシズムは科学者の目をくもらせる、私は自戒をこめてそう言 っているだけです」 ひとりごとのようにそうつけ加えた。 「ところで、さっきのタカクラ・パターンについてですけどね」 しらじらしい空白をおし退けるようにして口を開いたのは、ドクター・クララ・ アルドーだった。 救われたように一同が視線を向けるのを、おちついた、厳粛でいかにも気難しそ うな表情で受けつつ、 「医者としてちょっと疑問に思う点があるんですが。ラシッド、そのパターンと いうのは、脳をふくめた中枢神経系全般におよぶとおっしゃったけど、それは脊髄 などを含む、という意味かしら」 「うん、そうだよクララ」パパラシッドはうなずき、補足した。「たしかそうい うことだったと思う」 「だとすれば、疑わしい話ですね」皺にうもれた顔を静かに左右にふりながら、 ドクターアルドーは言う。「脊髄損傷の患者が、思考をなくしてしまうなんてこと はあり得ませんから」 むう確かに、と黙りこむパパラシッドを擁護するように「でもタカクラ・パター ンは思考の発生に関する仮説なんじゃありません?」と景子が口にした。 生成と維持、発展のちがいに議論がおよび、さらにタカクラ・パターンという仮 説の実例の少なさと可能性を交錯させつつ議論が専門分野の領域まで深入したころ あいに、皆には気づかれぬようにクリシュナは静かに医療室を後にした。 扉口でひそかにため息をついているところへ、 「まるでついていけんな」 王主任が首を左右にふりながら現れる。まったくです、と同意しつつ微笑を浮か べるクリシュナに、 「いい線いってたじゃないか」 内緒話をもちかけるようにして、王李光はささやいた。なんのことだと曖昧に微 笑を返すと「ケイコのことだよ」という。 「おまえの援護にまわってたじゃないか」 ああ、と思いあたり、アメリカ式に肩をすくめてみせた。 「あれはおれを援護したんじゃなくて、遺跡へのロマンにおくるエールですよ」 「だがホルストには差をつけたぞ」 はあ、と目をむき、 「まさかあいつもケイコを好きだって……?」 と鈍い反応を見せるクリシュナに、王李光は天をあおいで額に手をやった。 「これだ。あいつの態度を見てればわかるだろう。まったく、さきが思いやられ るよ」 苦笑しながら自分を見やる王の態度に、クリシュナはしばし黙考の体をとったあ げく、 「いいんですか、主任ともあろうものが、依怙贔屓なんぞなさって」 なかば意図的に論点をずらしたようだ。 それに対して王主任はわざとらしいほど生真面目な顔で答える。 「依怙贔屓などしちゃいないさ。個人的にはきみもホルストもまったくべつの意 味で気に入っている。ただ、ケイコの性格を考えると、同じ物理学者のホルストよ りはきみのほうが、伴侶としては適任だとは思っているな」 ははあ、なぜです? と質問が飛ぶより先に、背後の扉を開いて月華が姿を現し た。 「よう小姐。きみも議論の難解さについていけなくなったクチか?」 軽口をたたく李光に、月華は小首をかしげてみせた。 「議論がみょうな方向にそれたまま、老師が姿を消してしまったので、あとを追 ってきたんです。タカクラ・パターンの真偽はともかく、老師はほんとうに月が思 考、あるいはそれに類似したものをもっているとお考えなんですか?」 「直観的にはね、小姐。ただ、さっきホルストもいっていたとおり、証拠もなし にものごとを決めつけるのは危険なのも事実だ。可能性のひとつとして、いつでも 取り出せるよう、ひきだしの入口に置いてある、というところだな。それからひと つ、老師はやめてくれと、何度いわせるつもりなんだ、きみは」 口もとに微笑をとどめたまま言う主任に、月華はぺろんと舌を出してみせた。い たずらっ子のような神秘家のその表情に、クリシュナが信じられぬといいたげに驚 愕の顔をむけたが、すぐに気をとり直したか、 「なんです? 月が思考をってのは」 後頭部をぽりぽりとかきながら問うた。 ああ、と王李光は肩をすくめ、とまどったように考えこむ。 「直観、というか、子どもの連想のようなものなんだがね」 長い沈黙のあと、主任にはめずらしく歯に衣きせるような口調で、ゆっくりと口 にした。 「例の異変の瞬間……ああ、月が寝ごとをつぶやいている……。そういうふうに 思ったんだよ。で、パパラシッドのタカクラ・パターンの話を思い出してね。こう して確認にきた、というわけだ。大きな収穫はなかったようだがね……」 言いおいたきり、李光は瞑想にでもふけるようにして黙りこんだ。返答をさがし あぐねたか、クリシュナも口を開かず、月華はいつもの神秘的な無表情のままだ。 狭隘な基地内通廊におちたささやかな沈黙を、インド・アーリア人が辞去により 断ち切ろうとしたときだった。 「実は、おもしろいものがあるんだ、見るか?」 ふいに王李光が、ふたりを交互に見やりながらそうきいた。 「……星座ですね」 CRTに浮かんだ画像をまじまじと凝視しながら、クリシュナは不思議そうにつ ぶやいた。 「……なんの変哲もないような……。なにかおかしいところでもあるんですか?」 「ああ。あるよ」 簡潔に答えたきり、王主任は黙りこむ。もったいぶっているようには見えない。 どちらかというと、どう説明すればいいのか考えあぐねているようだった。 月華もまた、クリシュナと同様けげんそうに眉根をよせながら表示された天文画 像に見入っていた。 が、ふいにつぶやくようにして言った。 「見たこともない配置だわ。……どの象限です?」 言葉とともになにげなく李光に視線をめぐらせ――さらに顔をくもらせた。 どちらかというと、なにごとにも余裕ありげに対応する性格の王李光が、ひどく 深刻な表情を浮かべているような気がしたからだった。 「どの象限かは不明だ」 月華から、そしてクリシュナからもまるで視線を避けるようにしてCRTに双眼 を釘づけたままだった。口調がふてくされたような響きを帯びたのは、いったいな にを意味しているのか。 「こいつは仁科の天文班が撮影したもののコピーだ。異変に関して情報を得るた めにあちこちに問いあわせたとき、観測チームのアハンマド主任から参考資料とし てわたされた」 「あり得ない星座の配置ってんですか? そりゃたしかに気味が悪いな」 クリシュナが傍白するのへ、王主任ははじめて視線をむけた。 静かに首を左右にふりながら向けられたその双眸の奥の光り方は、どこかうつろ だった。 「あり得ない――ってわけじゃないらしい」 「……でもさっき――」 わけがわからない、と抗議しかけるクリシュナを手で制し、李光はつづける。 「アハンマドの、当惑まじりの説明によるとこうなる。解析の結果、該当する時 代は、百五十万年ほど前になる……ということらしい」 はあ? と目をむくクリシュナ。一拍おいて反応したのは、月華だった。 「待ってください、この写真が撮影されたのは?」 「異変の最中さ」 「それがなぜ、百五十万年前の星ならびなんて写っているんです?」 まるでのみこめずに訊く月華に、主任は力なく首をふってみせる。 「アハンマドもそこらへんがまったく納得がいかないらしい。整備担当は断じて 機器の不調などではないと主張しているらしいが、ほかに説明は――」 ――それに気づいたのは、三人のなかでは意外にもクリシュナが最初だった。 頭の芯から、なにかが膨れあがっていくような、異様な不快感。前回と同様、幻 惑に三人は一様にぐらりとよろめき、瞬時、視界が高速で揺さぶられるようにして 混濁する。 オ……、と、耳鳴りのようなものが頭蓋内部をかけ抜けたような気がした。 終わらない。 長い。最初の“異変”は、時間にしてコンマ数秒のごく短いものだったはずだ。 が、新たに襲ってきたこの異常は、果てぬ反響のようにいつまでも居すわったまま だった。 幾度となく光景が上下左右に揺れ、やっとその揺らぎがおさまりかけたとき、ク リシュナは数時間もその状態がつづいたかのような錯覚を自覚した。 ぐらぐらと揺れる頭をさだまらぬ手でおさえつつ、時計に目をやる。主任のコン パートメントに足を踏み入れてから、十分と過ぎてはいない。 むう、と喉を鳴らしつつ、四囲を眺めやる。主任は床に尻もちをついたまま呆然 と両目を見ひらき、月華はスツールに半身をもたせかけたままうなだれていた。 己もまたフロアになかば倒れこんでいたことに初めて気づき、呆然としながら声 をかけた。 「イエファ、ウォン主任、大丈夫ですか? まったく、来るなら来ると前もって 言ってくれりゃあ……」 理屈にあわぬことをつぶやきつつ、ふらつく両足を踏みすえてなんとか立ちあが る。幾度も腰を砕かせつつ立ちあがろうとする王主任を横目に、崩おれたまま微動 だにしない月華の肩に手をかけた。 「イエファ。……イエファ?」 軽く揺さぶった。反応がない。 はっとして主任と目を見あわせ、伏せる顔にあわてて手をかけ、いたわるように して上むかせる。 湖のような黒瞳は、焦点もさだまらぬまま虚空にむけられていた。 「月華!」 王李光が矢のような勢いでかけ寄り、月華の頬を両手でつつみこんだ。名前を連 呼しつつ小刻みに揺するが、反応はまったくない。 途方にくれ、ふたりは目を見あわせた。 もうしあわせたように再び視線を落とすと――双の黒い宝石は、なにもない宙の 一点を凝視していた。恐怖に、慄えるようにして。 魂切る絶叫が、基地内に響きわたった。 5.間隔 「シューベルトCB、シューベルトCB、こちらファンレディ1107S7、通 信機のチェックです。聞こえますか?」 『通信状態は良好です、ケイコ。調子はどう?』 進発する三台のムーンカーの先頭を切りながら呼びかけると、ほとんど間髪をお かずに、ややがらがら声の感があるハスキーヴォイスが返答をおくってよこした。 調子は? と訊かれて受信状態か、自分たちの体調をきかれたのか判断に迷った あげく、景子は答える。 「異常は見られないわね。わたしたちもすこぶる元気です」 『結構よ。ここのところトラブルが多いから充分気をつけてください。ケイコ、 無事に帰ってくるのよ。スケジュールでは、あなたたちが外に出るのを見送るのは これで最後だから』 「? どういうこと?」 『地球から定期便が着くのは知ってるわね? 私はそれに乗って帰還する予定で す。任期切れ、よ』
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