長編 #2161の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
『漆黒の闇』 第8章 いつのまにか、青森空港に着いていた。他の場所が冬であるように、青森も、ま た、冬だった。 私は、実家に向かう、タクシーの中で考えた、いや、正確にいうと、悩んでいた。 なぜ、母の葬式に出るはめになったのだろうか。私は、決して、出たかったわけで はなかった。私は、もう、父の顔も、母の顔も、見たくはなかったのだ。私は、も う、家族を捨てたのだ。私は、葬式が嫌いだった。他人の死を心から悲しむことが、 私には、できないからだった。他人どころか、かなり、近しい人や親しい人の死で も、悲しくなかった。私は、生まれつきの冷血ではなかった。成長するにつれ、い つのまにか、私の情感は、少しずつ、マヒしていった。多感な人間であった私が、 情に薄い人間になるに、一番貢献したのは、ほかでもない、母であったように、私 は思っている。そして、それは、おそらく、真実であるに違いなかった。それに、 私は、他人の自然死を羨んでさえいた。私は、いつも、人一倍、死と隣り合わせだっ た。自殺するのは、負けだと、思っていた。それが、私が生き続ける理由の一つに もなっていた。勝ち続けることこそが、生きることなのだと、私は、信じていた。 そうだ、いま、思いついた。母の葬式に出て、みんなの目の前で、母を罵ってや ればいいのだ。親戚や、親しい者の前で、罵倒してやればいいのだ。そうやって、 いままでの恨みを晴らせばいいのだ。みなの前で、母の棺桶に向かって、母を罵り、 母の顔を潰して、いままでの雪辱を晴らせばいいのだ。私は、そう、考え、そして、 それが、名案だと、思った。 タクシーが、実家の前で止まった。葬儀を知らしめる『忌中』の文字が、私の目 に入った。辺りは、もう、闇に包まれた、深夜になっていた。いつもの地方都市の、 寂しい夜とは、今晩は、少し違っていた。風が少しあり、雪が少し降っていた。雪 が散らつき、風が吹いて、闇がまどろんでいるようだった。葬式が、辺り一帯の雰 囲気を変化させていたのだ。線香の匂いがした。その匂いが、辺りの雰囲気を変え ていたのかもしれない。 実家と同棟に、家業である不動産屋の事務所があり、葬儀は、そちちのほうで、 やっているようだった。私は、その葬式の中に、入っていった。葬儀は、ただの行 事のように、何もなかったように、執り行われていた。やはり、親戚が来ていて、 私の姿をみて、しきりに、焼香するように、私を促した。私は、柩に近づいた。と ても、母を罵倒できるような雰囲気ではなかった。柩のそばには、父と、母と、姉 がいて、私を見た。父と姉は、とくべつ、悲しんだふうもなく、私が子供のころか ら見慣れている普通の顔をしていた。だが、兄は、阿呆のような顔をして、泣きじゃ くっていた。私は、何かに、いたたまれなくなり、兄に、『もう、泣くな』と、言っ た。しかし、兄は、泣くのをやめなかった。それから、私は、一歩前に、踏み出し、 柩の中にいる母を、のぞき込んだ。母の顔を見たとたん、私の心には、なんともい えない思いが、満ちた。私は、実家の茶の間に、小走りで、行った。不意に、胸が 痛くなって、怒りが、こみあげてきた。それから、私は、胸を押さえながら、ガレ ージに向かった。ガレージの中で、私は、自分の欲望を満たしてくれるようなもの を探した。不動産屋としての、さまざまな道具の中から、つるはしを見つけた私は、 それを手に取り、母の柩に向かった。母の柩の前で、私は、つるはしを振りかざし た。葬儀の参列者は、みんな、目を剥いて、その、私のさまを見ていた。私は、な んのためらいもなく、むしろ、衝動に駆られて、母の顔を狙って、つるはしを振り 下ろした。 つるはしの突端の、金属の部分が、母の顔ではなく、後頭部を直撃し、母の頭に、 コブシが入るくらいの、大きな穴を開けた。不思議と、血は、それほど、出なかっ た。武者ぶるいはしたが、まったくといっていいほど、私は、動揺せず、それどこ ろか、いつもよりも、冷静だった。確かに、興奮はしていたが、それは、胸のつか えがなくなるような、心地良いといったものに近いような感覚だった。母の頭の部 分は壊したが、顔は、まだ、そのままの原型をとどめていた。私は、大きく、息を 吸い込んでから、母の顔に狙って、つるはしで振り下ろした。今度は、狙いを外れ ず、母の顔に、つるはしの尖った部分が、めり込んだ。私は、土でも掘り起こすよ うに、母の顔をえぐった。母の顔は、卵の殻のように、割れて、黄身が飛び足すよ うに、ぐちゃぐちゃしたものが出てきた。 私は、少し気分が悪くなってきたが、力が続くかぎり、何度でも、母の頭を、ぐ ちゃぐちゃにしてやろうと、思った。そう思ったのと、ほとんど、同時に、私の左 足を掴む者がいた。兄だった。兄が、私に、止めようとしたのだ。兄の、その行動 を見て、ほかの参列者も、私に、飛びかかった。私は、なおも、残った右足で、母 の頭を踏んで、潰した。潰れた顔の、血や分泌液か何かの、ベトベトしたものが、 私の足に、こびり付いた。私は、茶の間に、皆に引きずられるように、運ばれた。 私は、狂喜して、興奮していた。私は、恥じることもなく、そして、自分の行為 を正当化していた。私は、笑った。笑いながら、皆の制止を振り切り、私は、家を 走り出た。家から、ある程度離れたところで、私は、ゆっくりと歩き出した。とう とう、やった。私は、とうとう、母に仕返しをして、雪辱を晴らしたのだ。私は勝っ た。私の本当の敵こそが、母だったのだ。いま、やっと、わかった。母こそが、私 の最大の敵だったのだということを、いま、悟った。いままで、私が、闘ってきた ものは、架空の敵だったのだ。物質的な私の敵は、確かにいたかもしれない。だが、 精神的な、私の敵は、たった一人しか、いなかった。私が、悪や、不正を憎んだの は、それは、すべて、母が、姿を変えたものだったからだ。しかも、母が形を変え た、それは、私の本当の敵ではなかった。母こそが、私の一番憎しんできた敵だっ たのだ。私は、せいせいした。気分が、すっきりしていた。後悔や、負い目は、まっ たくなかった。私は、正しいことをした。過去の苦悩に、打ち勝った。私は勝った のだ。 雪景色と、雪に囲まれ、私は、意気揚々と、駅に向かって、歩き続けた。私は、 また、ロシアに戻ろうとしていた。
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