長編 #2158の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
『漆黒の闇』 第五章 くだらない人間には、なりたくなかった。少なくとも、自分自身の条件をクリア ーした、ある程度、立派な節度のある紳士になりたいと、昔は、純粋に、そう願っ ていた。だが、現実はそれほど甘くはなく、あらゆる、すべてのものが、私のその 目標に到達する努力のじゃまをした。日本では、私も、くだらない人間になってし まいそうな気がした。そう思ったから、私は日本を出たのだ。 もう、人生を諦めた人間。もう、絶望した人間。もう、すでに、彼らの人生は終 わったのだ。一度、死んだ人間は、何度死んでも怖くないだろうが、私は、いやだ。 ただ、生きているだけでは、黙っていても、心の中のなにかが、死んでしまう。恐 怖の罠、無実の罪が、私を取り巻いて、誘う。日本は、サラリーマンと公務員しか、 認められていない。社会も、教育システムも、サラリーマンと公務員しか、対象に していない。 私は、世間と同化したくない。絶対に、世間の醜さや汚さを、私は受容しない。 軽蔑の対象としての存在は認める。何度も繰り返すようだが、もう死んでいる人間 と、協調して、いったい、なんになるというのか? 天国の門と、地獄の門の差は、 紙一重なのだ。 なぜ、もう死んだはずの人間が、生きているのか? いったい、なにが楽しくて、 生きているのか? 彼らには、もはや、心すらなく、ただ、自分ではまったく理解 していない、あいまいな感情だけで、生きている。つまらない近所付き合いや、仕 事上の付き合い、それが、人生だというのか? 『人と人との信頼は大事だ』『社会は、人と人との信頼関係で成り立っている』と、 多くの人々が、いろいろな形で、私に語った。他人の赤ん坊の誕生を、すべて慶び、 他人の死去を、すべて悲しめというのか? 大うそつきだ。じゃあ、テレビで、放 映されている多くの人の死や、死にかけた赤ん坊はどうなるのだ。たまたま、近所 に住んでるとか、職業上の付き合いとかで、全部同じ反応を示せというのか? 私 は役者ではないのだ。 私は生きている。生きている人間だ。社会のくだらない風習にとらわれて、楽し いとか、悲しいとかの演技をして、一生を無為に終え、台無しにしたくない。 くだらない人間は、どこまでいっても、所詮、クズだ。少なくとも、私は、まだ 人間だ。ただ、人間らしく、いやっ、というよりも、自分らしく、生きたいだけだ。 飾らず、気負わず、自分らしく、生きることだけが、私の世間に対して、いまでき る、唯一の貢献だ。その形が、平穏で質素なものであろうと、激烈な激しいもので あろうと。 世の中のくだらないパーツにならず、人にかかわらず、夢を追い、ただ、ただ、 豊かな景色の環境で暮らしたい。私の闘争。自分自身との闘い。自分に勝てれば、 きっと、世の中のすべてのものにも勝てる。私にとっては、妥協は死で、自我が生 なのだ。私は、自分自身の観念にかかわるものにしか、責任を持たない。社会の契 約から生じる義務は、履行されねばならない。だが、契約によって生じた義務を履 行する責任は、自分自身の良心や想念にまでは、及ばない。雇用契約の履行にすぎ ない労働に、道徳を持ち込むことはないのだ。 私は、自由でいたい。自分自身に対する責任を負いたい。自分の身は、自分で守 りたい。自分が、思うがままに生きたい。妥協して、生き残れば、真実は遠くなる。 理想の自己に到達することこそ、私の真実だ。たとえ、死ぬことになっても、愚か な結末を、私は望まない。 そう、負け犬が、他の人の足を引っ張っているのだ。負け犬の陰謀に、私は決し て屈しない。少なくとも、日本に住む若者のほとんどすべてが、なんだかんだ、言 いつつも、ほとんどがサラリーマンで、年収が低く、それ以上の飛躍的な向上は望 めない。品性の下劣な彼らの欲望を満たすには、しょせんは金しかないのだ。成功 したといっても、喫茶店の経営者が、せいぜいだろう。彼らの、どこに、未来があ るというのだ。もう、彼らには、未来などないのだ。彼らは、もう、死んだ。私と 同世代の人間のほとんどは、もう死んだのだ。なぜ、夢を捨てるのか? なぜ、生 きていられるのか? これ以上、生きていても、楽しいことなど、決してないのだ。 彼らの墓は、いまは無い。だが、彼らはもう墓に埋まっている。世俗の楽しみこそ が、彼らの迷い言であり、彼らの鎮魂歌なのだ。彼らに、生きている価値があるの か? 生きていて、楽しいのだろうか? 自分の家族を犠牲にしてまで、自分の血 縁以外の身の回りの出来事に、一喜一憂して、何が人生なのだろうか? 彼らは、 自分自身の人生について、それで満足なのだろうか? 私は、嫌だ! 嫌だ! 嫌 だ! 何十回でも、何百回でも、言うが、私は、嫌だ! 彼らの意志で、社会が構成されているというのか? ならば、社会が悪いのは、 彼らのせいだろう。きちんとしているはずの、社会のシステムが機能しないのは、 その部品であるパーツ、すなわち、人間が、欠陥品なのだ。欠陥があったり、壊れ ている部品は、取り替えられねばならない。人間が正しくないのは、その人間の、 理想自我自体が、誤っているせいだ。自然の摂理によって、生み出されたシステム は、常に正しい。正しくないのは、システムではなく、人間、すなわち、人間の目 標、理想の姿だ。 私の過去は、私を苦しめ、私を育て、はぐくみ、その結果、私を大きく飛躍させ た。しかし、私は、そのことに感謝はしない。私は、自分の過去を憎む。たとえ、 それが、最初から、定められ、決められていた、運命だったとしても、私は、過去 の人生や運命を憎む。今の私は、宗教家のように、十字架を背負った人間なのだ。 時を重ねるにつれ、真実は、ますます、つらくなる。夢は、失われず、どんどん、 大きくなり、ますます、はっきりと、私の心を打つ。夢は、ますます夢になってい き、どんどん遠くなる。誰もが、ほんとうのことや、真実には、背を向け、遠ざけ、 忘れようとする。ヘンゼルとグレィーテルの追い求めても、追い求めても、遠くな る、青い鳥のように。いつまでも尽きることのない、お菓子の家を、私は手に入れ、 そして、大切な何かを忘れてしまったのだ。 そして、その童話の中のように、翔んでゆく、青い鳥を追っているうちに、私は 重大なミスを犯した。童話では、青い鳥は、結局、最後には、どこにいたのだろう か? 私は、いま、それを思い出すことができない。私の青い鳥は、私の理想自我 は、いったい、どこに? 心の中の何かが、私をさいなむ。私は、人生に勝利した。勝利したと、思ってい た。だが、それこそが、最も、狡猾で、卑劣で、汚い罠だったのかもしれない。私 は、闘って、勝った。確かに勝った。だが、それは、自分の勝ちを、世間に誇示し ただけのことにすぎない。 ほんとうは、闘うまえから、夢を捨てなかったという点で、もう、すでに、勝っ ていたのだ。ずっと前から、心の中では、そのことに、気づいていたはずなのだ。 ただ、私は、彼らの首根っこを押さえ付け、渾身の力を込めて、床に打ちすえて、 勝利を誇示して、満足していただけなのだ。 そうだ、私は、この世に生まれ出でたときから、黙っていても、もう勝っていた。 私の、今までの努力は、無駄だったかもしれない。くだらない世間との闘争に、本 気でかかわりあったことを、たったいま、この瞬間にむなしく感じた。 自分の生活空間の『場』の雰囲気に呑まれたくない。惰性で、追従はしないし、 私にはできない。魔は、そこかしこにいる。フィクションのドラマではなく、現実 では、顔の無い人間だけが、魔ではないのだ。老人や、子供や、赤ちゃんや、死や 不幸を背負っているかわいそうな人ということも、あり得るのだ。安易に、人に同 情したくない。世間体や、場の雰囲気に呑まれて、私は、行動してはいないのだろ うか? 私は、ほんとうにしたいことを、行動として、具現化しているのだろうか ? ほんとうに、私は、生きているのか? それとも、生きているフリをしている だけなのか? 素晴らしい、幸せな人生を送っているフリをしているだけなのでは ないだろうか? 決して、自分のためではなく、他人のために、幸せを装おう。他人に、いろいろ な形で、自分の栄華を見せびらかす。他人が手に入れられないものを手に入れ、高 いものを食べ、その一方で、小説を書き、賞を取るための工作をしている。自分の 富裕、優秀、完璧、幸福を、必要以上に、他人に露出して、見せびらかしている。 猫のケンカのように、私は、自分を少しでも大きく、見せようとしている。 これが、ほんとうに、私のしたいことなのだろうか? もしも、この、他人の体 を踏み付けにして、他人の頭を床に思い切り、打ち付けて、自分自身を誇示する行 動が、ほんとうに、私のしたいことであれば、問題はない。 ただ、ほんとうに、こういうことがしたかったのか、という、疑問は、常に抱い ていた。最初のころには、まだ、夢を持っていた。いろいろな、無邪気な子供が、 持つような夢が、私にはあった。 闇の淵は、どこにでも、現れる。私が、名をあげ、地位や名声を得て、金も手に 入ると、何かが変わった。私の中の、何かが、変化した。闇の牙が、目を剥き、私 の夢を、萎えさせた。
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