長編 #2108の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
時代は流れて、明治元年(慶応4、1864)、この年の4月27日。 長崎港に降りたったジェントルマンが一人。このジェントルマンの正体は、野村文夫 である。もうすっかりハイカラになってあかぬけた風貌になった。洋服もビシッとき まっていて、文句のつけようがない。人間、変われば変わるものである。長崎の土を 踏みしめて、肩のあたりに疲れがどっとおしよせて来た。「いやあー疲れた疲れた。 船は酔うから嫌いだ。それにしても懐かしいなあ、長崎はあまり変わってない。萬国 新聞紙によると日本は凄い事になってるらしいが、何だかそんなふうには見えないぞ ……。」 大きく深呼吸する。日本の空気を吸うと、気の抜けたような脱力感が体を支配する。 さあ、これからどうするか。一応広島に帰るとの連絡は入れたものの、藩の方ではど んな反応をするか分かったものではない。なにしろ密航したんだからなあ。でも、も う徳川幕府は無いからな、大目に見てくれるだろうよ。まさか打ち首なんて事は無い よな……。まあどっちにしても、広島に行ってみようじゃないか。 この時期の日本、一人でも外国の知識を持った人物が欲しかった。広島藩も同様であ る。 藩主、浅野長訓は野村の帰国を耳にした。「ついに奴が帰って来ましたぞ!」家臣の 一人が藩主のもとに最新の情報を持って来た。「ううーむ、ついに帰ったか!どうし ようか。貴重な人材だろうから、罰するには惜しいよなあやっぱり。」 「どうしますか?それでは役職を与えますか。でも、奴は罪人ですぞ。」 「今、英語が喋れる人間がいるだけでもわが藩に取って助かるのだ。そうだろ、そう だろ?だったら罰する事はない。そうだよなあ?」 「では、そのようにとりはからいますが、本当によろしいんですね」 「ううーん、逃げないように見張りはつけておけよ。ひょっとしたらとんでもない事 をしでかすかもしれんからな……。」 藩主としても頭の痛い問題だ。なにしろ、こうした事はそうたびたびあるものではな い。結局、広島藩は野村をおとがめなしで出迎えた。それに加え、仕事も与えた。そ れに加えて、高待遇で出世も早い。洋行はしてみるもんですな。ただ、文夫の斬新な ザンギリ頭だけは問題になったが、大した騒ぎにもならずに済んだ。 以下、彼の歩んだ役職である。 明治元年(1864)洋学教授職、広島藩主の御供頭添役次席 明治2年(1865)洋学校教官と議事所議員兼任 明治3年(1866)ついでに医学掛教授も兼任、その後東京に出て民部省奏任出仕 明治4年(1867)庶務権勢(従七位)、民部省廃止によって工務省に出仕、工学 権助(従六位)明治6年(1869)工学助兼測量正 明治7年(1870)専任測量正、内務省六等出仕(測量正兼任)、内務省五等出仕、 駅逓寮勤務 とまあ忙しい。しかし、ここで問題が生ずる。彼は、洋行帰りである。こういった高 官の生活に甘んじているのは、洋行帰りの彼にとって、なんとなく物足りないものだっ た。 張合いが無い。 フツフツと、こんな考えが頭に浮かんでは消え、また浮かぶ。(俺はこんな事をする ためにわざわざアバディーンまで行ったのか?何かが違う……何かが。) 雨がぽつぽつと降り始めた。いつものように仕事が終わり、野村は帰りの人力車に乗っ てため息をつく。 「はーあ……。」 「……元気が無いようですね、旦那、どうかしましたか」若くてたくましい体を持つ 男が、振り向いて野村に声をかける。 「ん、いや。何でもない」 「悩み事でもあるんですか。悩み事はパーッと遊んで発散させるといいですよ。あっ しなんて、走ってりゃ悩みもふっとんじまうけどね。頭いい人はいろいろ悩むからさ」 「フフ、いくら遊んでも、問題の根本が残るから駄目さ。悩んでいても仕方の無いこ とではあるがな……」 雨は本降りになって来ている。逃げ惑う町人が見える。 「やってくれ。」 「へい。」 人力車は走り出し、しばらくして文夫の家に到着した。 野村はこの時期、すでに何点か本を著している。啓蒙書や西洋の事情を書いたもの、 民権論を論じたもの。どれもこれもが、野村の思い描いた「夢」の詰まった書物だ。 「よおよお、聞いておくれ。英国はこんな所なんだぜ。西洋はこんなにも進んでいて、 日本はこんなにも時代遅れなんだぜ……驚いたろう?今までの俺達はなんて情けなく て小さくて、馬鹿な人間だったんだろう。なあ、そう思わないか?俺達日本人は、本 当に馬鹿でクズで猿でさ。そう思わない?そう思うだろ、えっ、そこの兄ちゃん。ボー ッとしてる暇は無いんだぜ、わかるか?」……と、本が語りかける。 自分の書いた書物を読み返して、興奮している自分に気付き、ふっと空しくなる。若 い日の興奮が行間からヒシヒシと伝わってきて、それが痛いほどだ。今でもこの気持 ちに変わりはない。それどころか、日に日にそれが強くなっていっているほどだ。 ゆっくりと家でくつろいで、(野村文夫の家は洋館で、かなりの豪邸である。)酒を 飲み始めると、いつものように妄想が頭を支配し始める。文夫は、フリーダムの国、 「日本」にいる夢を見る。町行く町人が、明日の世界について議論している。これは こうすべきだ、ああするべきだ。西洋の服を着た日本人が、日本国民が国を動かして いる。町には陸蒸気(汽車)が走り、ガス灯がともり、馬車が走り……そして朝起き ると、新聞だよ、新聞が毎日来ていてさ!みんなでそれを読んで、アレコレ議論して 議論して、議論してだな……。 そこで目がさめる。「夢か……。ああ、夢なんだろうか?いつになったら!いつになっ たら夢じゃなくなるのだ!」 文夫の目から、ボロボロと涙がこぼれだす。自分の非力さに悲しくなり、海の向こう にある桃源郷の事を想った。そして、ついに文夫は決心した。 もう、こんな仕事はやめる!! 明治10年(1877)1月15日。 野村は決心を固めた。 「今日、辞職願をたたきつける。これはもう決めた事だ。」 いつものように内務省に出仕した野村文夫は、辞職願いをぽんと出して、今日限り内 務省をやめる事を告げた。内務省の役人はなんとか引き留めようとしてあれこれと条 件を述べ、待遇を良くすることを約束した。 だが、野村の決心は硬い。 「あなたがたがいくら待遇を良くしてくれても、そんな事は関係ありません。新たな 目標を見つけたのでやめるだけの事です」 「何をしようと言うんだね?」 「そうですね、まず、民衆が楽しめるような読物を発行しようと思っているのです」 「おい、本気か君?そんな事のために高収入を投げ出そうと言うのかね?もう少し考 えてみたまえよ。冷静になって、もう一晩考えてみてはどうだね」 「充分考えて決めた事です。」 野村の目がきらきらと輝いている。 「どうしても辞めるか?」 「どうしても、です。」 「本当に?」 「ハイ、本当に辞めます」 「……そうか、本当に辞めるか。引き留めても無駄なようだな……。まあ良い、辞表 を受け取ろう。」 「ハイ、長い間お世話になりました」 「なに、こちらこそ君のおかげでいろいろ助かったよ。そうだ、私の家にも一部届け てくれないかね。その、もし君が新しい雑誌を作った時には。」 「ハ、ハイ。真っ先にお届けしますよ」 こうして野村文夫は内務省をあとにした。この年2月25日、新聞、雑誌の発行を目 的とした会社、団団社(だんだんしゃ)を創立。 創立者、野村文夫。 この時四十歳、もう中年。だが、そんなことは関係ない。つまらぬ世間を面白くする のは、心、志だ。文夫には、志があふれるほど満ち満ちていた。中年とは言え、その 燃える気持ちは青年や少年にも負けないものであった。「やるぜえー。」と、文夫は 拳を固めて空を見上げる。今までの退屈な役人生活の世界とは全く違う世界が、目の 前に広がっている。彼は、いますぐにでも走り出したい衝動にかられていた。 .
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