AWC ●連載



#1107/1158 ●連載    *** コメント #1106 ***
★タイトル (AZA     )  18/03/23  22:27  (262)
百の凶器 11   永山
★内容                                         18/04/10 19:48 修正 第2版
 村上に言われてからも、沼田はしばらく口を開かないでいた。改めて、「言いにくい
ことでも、かまわないのよ。今は吐き出すための時間だから」と村上がフォローしたと
ころ、沼田は面を意識的に起こした。意を決した風に見えた。
「昨日辺りから気になっていた。戸井田君と犬養さんて、意外なくらいに親しいんだな
って」
 彼女の視線の先では、戸井田と犬養が並んで座っていた。
 急に名指しで話題に上げられた二人は、傍目にも分かるくらいきょとんとしている。
演技だとしたら、やり過ぎなほど。次の瞬間には、言われたことを理解したのか、椅子
を動かして少し距離を取る。
「それが何か」
 戸井田が固い声で聞き返す。沼田はすぐに答えなかった。決意の表情とは裏腹に、ま
だ言い淀んでいるようだ。その合間を埋めるように、真瀬が口を挟んだ。
「そう言や、蝋の痕が点々と続いていたっけ。1番と6番コテージ」
「どういうこと?」
 聞き咎めたのは村上。返答の前に続ける。
「夜、どちらかがどちらかを訪ねたのね」
「――はあ。自分の方が」
 真瀬の方をじろっと見てから、戸井田は認めた。
「いつからなの」
「は?」
「いつから親しい関係になったのかと聞いているの」
「そ、それ、今、言わなきゃいけないこと?」
 質問攻勢に、戸井田は必死に防御する。犬養は好対照なまでに静かなままだ。身体の
向きを斜めにし、話題を避けようとしているのは明白だが、澄ました顔つきが度胸の据
わり具合を示していた。
「普通なら聞かないわ。今だからこそよ。あなた達が付き合っているのなら、ちょっと
考え直さなきゃいけないことが出て来そうだから」
 村上のこの言葉で、沼田も最後の踏ん切りが付いたようだった。犬養に向けて、やや
刺々しい口吻で尋ねる。
「この合宿に来て、事件が起きたあとに仲がよくなったんじゃないよね? 前からじゃ
ないの?」
「――だったら何だと言うんですか」
 犬養は案外、落ち着いた返事をした。ただそれは冷静であると言うよりも、疲労から
来るもののように映った。
「あなたと戸井田君が以前からそういう仲だったのなら、アリバイを崩せる余地が出て
来るわ」
 言いたいことのポイントが明らかになった。橋部がすかさず口を挟む。
「アリバイって、二日目午後のか。共犯だとしたら、何ができる?」
 その問い掛けに被せるようにして、戸井田が「共犯なんて冗談じゃない!」と叫ぶ。
犬養の方も、短く歯軋りの音がしたようだが、喚くのはみっともないと心得ているの
か、まだ反論や否定の狼煙は上げない。
「まあまあ、戸井田君も落ち着いて。今は思っていることを吐き出して、言い合う場
よ。言ってみれば、仮説なんだから。沼田さんの話を最後まで聞いて、それから。ね
?」
 村上が宥め役に回ると戸井田は一応、矛を収めた。発言者の沼田は、戸井田から柿原
へと視線を移動させた。その目付きに冷たいものを感じた気がして、柿原はわずかに身
震いした。
「犬養さんのアリバイを証言しているのは、君」
「ええ。村上さんに言われて呼びに行って、コテージの外から声を掛けたら、返事があ
りました」
「姿は見ていない?」
「もちろんです。ドアは開けてないし、窓の側にも回りませんでしたし」
 明朗に答える柿原を前に、沼田は得心した風に首を縦に振った。
「そうよね。姿を見ていないのがポイントだと思う」
「もしかして」
 橋部が口を挟む。皆まで言わぬ内に、沼田はまた首を縦に振る。
「そうです、声だけ出せればいいんです。スピーカーになる物を用意して、1番コテー
ジのドアに向けて設置。離れた場所から、例えば9番コテージから本人が喋って音声を
飛ばす。もちろん、訪ねてきた相手の声を拾わねばならないので、マイクも必要」
「そんな仕掛けというか機械なんて、私には知識がないし、物理的にも持ち運べません
でしたわ。とても用意できませんけれども?」
 犬養が初めて反論した。だが、彼女自身、沼田の言いたいことは分かっている様子
だ。戸井田の方を一瞥し、また沼田を見た。
「代わりに戸井田さんが仕掛けを用意してくれた、と先輩は言うんですわね?」
「そうよ。戸井田君なら機械に強いし、車で来たから、機械類を運び込むことも可能」
 戸井田が口を開き掛けたが、橋部が手で制した。
「言いたいことは分かった。客観的な疑問だが、実際にそんな細工をしたなら、機械が
どこかに残っているはずだが、見当たらないな。そんな機械が持ち込まれたんなら、つ
いさっき、コテージを調べたときに、何か見付かっていていいはずだ」
「大きさは分かりません。紙みたいに薄いスピーカーもあるくらいだから、どうとでも
なるのでは」
 沼田の受け答えを聞く限り、冷静さを失ってはいないらしい。
「なるほど。では、別の角度から聞くとしよう。仮に沼田さんの言うようなトリックを
用意していたとして、犯人はどんなタイミングで使うんだろう?」
「使うタイミング、ですか?」
 質問の意図が飲み込めない。そんな風に首を傾げ、口元を歪めた沼田。
「柿原が呼びに行くことを、犬養さんが前もって想定できていたかって意味さ」
「それは、誰が来るかは分からないでしょうけど、誰かが呼びに来るのを待ち構えて…
…」
「呼びに来るかどうかすら、確定事項じゃあない」
 鋭い口調の否定に沼田は明らかに怯んだ。だが、自説を簡単には引っ込めない。
「いえ、100パーセントでなくてもいいんです。可能性はそれなりに高いはず」
「呼びに来た奴が、コテージの中を覗いたら? 無人だとばれてしまわないか」
「覗けないように窓を閉めて、カーテンを引いておけばいいんです。実際、どうなって
いたかの確認はもう無理でしょうけど」
「じゃあ、呼びに来た奴がドアの前にずっと張り付いていたら? 一緒に行きましょう
って」
「そんなことはあり得ません。小津君も呼びに行かなきゃいけないんだから」
 この応答に対し、橋部は頬を緩めて首を振った。
「いやいや。そいつは結果論だ。あのとき、もしも村上さんが、柿原に犬養さんを呼び
に行かせ、別のもう一人に小津を呼びに行かせたとしたら?」
「っ……」
 言葉に詰まった沼田。確かに、1番と9番別々に人が呼びに行き、なおかつ、その人
物がずっと待ったとしたら、彼女の推理は成り立たない。犬養が1番コテージ内にいな
いことがばれてしまうだろう。
「他にも欠点はある。君の説だと、犯人は9番コテージからメインハウスに向かう訳だ
が、呼びに来るタイミングによっては、そいつと犯人とが鉢合わせだ。そうなっちまっ
たら、犯人に言い逃れはできない」
「……分かりました。納得しました」
 いつの間にか俯いていた沼田は面を起こし、絞り出すような声で言った。それから戸
井田と犬養のそばまで行き、「ごめんなさい。私が間違っていた」と頭を下げた。その
まま膝を折って、土下座までしようとすると、犬養が急いで手を差し伸べた。
「もういいですわ。先輩が躍起になっていたのは、端から見ていても分かりましたか
ら。小津部長が亡くなって、一番悲しんでる」
 犬養は戸井田へと振り向き、「かまいませんわね、戸井田さん?」と、この場にはふ
さわしくない、でも犬養のようなキャラクターでこそ許されるであろう笑顔で聞いた。
「あ、ああ。自分は実行犯と言われた訳じゃなし」
 戸井田は妙な空気に耐えられないとばかり、妙な理屈を付加しつつ、沼田の謝罪を受
け入れた。

「こう重苦しいと、次の奴が声を上げにくいだろうから」
 前置きをしつつ、肩の高さで挙手したのは橋部。
「村上さん、次は俺で」
「目算ありと先程言われた話ですか? それはそれで重苦しくなるのでは」
 警戒する村上に対し、橋部は首を左右に振った。
「いや、それじゃない。関係ないかもしれないが、とにかく軽めの疑問。だから、安心
してくれ」
「……分かりました。どうぞ」
 進行役に承知させると、橋部は真瀬をちょんと指差し、「左の手のひらをよく見せて
くれないか」と求めた。
「またウルシかぶれですか。もう無関係だと分かったでしょう」
 嫌がる口ぶりの真瀬ではあったが、席を立つと、左手を前に出してきた。テーブルに
手の甲を着ける形で腕を寝かせ、手を開く。そこにはまだ例の腫れが残っていた。
「参考になる資料がないので断定はしないが、これはウルシじゃなくて、虫刺されじゃ
ないか?」
 橋部の問い掛けに、真瀬は若干、顔を前に突き出した。
「え? 虫に刺されたなんて、記憶にない。というか、こんなに細長い痕になる虫刺さ
れって、その昆虫はどんな口をしてるんですか?」
「虫刺されってのは言葉の綾で、これ、ムカデの類と思うぞ。前に見たとき、気になっ
たことがあってな――ほら、二つの赤い点になっているとこがあるだろ、これ、噛まれ
た痕じゃないかな」
 橋部が爪先で示した先には、小さな赤い点が二つ、並んでいた。あれがムカデの口だ
としたら、そこそこ大きなサイズだろう。
「ええ? それこそ全く覚えがない。手にムカデだなんて、絶対に気付くって」
「確かに、ムカデに刺されると激痛が走るから普通は気付くとされる。が、寝ていたな
ら分からんぞ。特に、手や足がしばくら身体の下になって痺れた状態のときなら」
 橋部の強い口調に、真瀬は「まあ、それならそうだったんでしょう」と認めた。
「でも、だからって何だと言うんです?」
「大した意味はない。関さんのコテージに、ウルシによるトラップが仕掛けられていた
なら、逆に無実の証明になったのに、惜しいことをしたなと思っただけだ」
 橋部のその話を聞いて、柿原は黙っていられなくなり、つい口を挟んだ。
「その理屈はおかしいですよ。ウルシに触れても、かぶれない体質っていうだけで、無
実の証明にはなりません」
「――そうだな。間違えた」
 柿原と橋部のやり取りを聞いていた真瀬は、気疲れを起こしたか、背もたれに思い切
り体重を預けるような座り方をした。どす、と重たい音がした。
「他には?」
 村上の声にも、どことなく脱力したものがある。このまま終わってもおかしくない雰
囲気だが、橋部に本命の仮説が残っているようだから、そうも行かない。
 空気を打破するように手を挙げたのは、犬養だった。
「真っ先にお断りしておきますと、意趣返しをするつもりはありません」
 沼田を一瞥してから、彼女は気怠そうに続けた。実際、疲れているのは傍目にも明ら
かである。いつも入念に行う肌の手入れが今日は不充分なのか、角度によっては目の下
に黒っぽい影が認められた。
「これまでの事件でアリバイがある人を数えてみました。細かな再検証は煩雑になるの
でよしておきますが、時間的なアリバイは村上先輩に湯沢さん。空間的なアリバイは
私。使ったマッチ棒の数という、いわば物理的なアリバイは真瀬君。他に、戸井田先輩
も写真を撮っていたアリバイが認められる余地があると信じますが、私が言うのも何で
すし、機械に細工をすればごまかせるのかもしれませんので、ここでは認定しないもの
とします」
 そう言われた戸井田は、複雑な表情をなした。素直に喜んでいないことだけは確か
だ。
 犬養はそんな戸井田の様子に気付いているのかいないのか、先を続ける。やや芝居っ
気のある動作で、左手を開いて五本指を立てると、順に折り曲げていった。
「亡くなったのが二人で、アリバイ成立が四人。残りは四人――橋部さん、沼田さん、
戸井田さん、柿原君。この中のどなたかが犯人である可能性が高いと思われます」
「犯人がいる、と断定しないのかい?」
 橋部が興味深げに聞いた。犬養は充分意識的に言葉を選んでいたと見え、すぐに答を
返した。
「しませんわ。容疑者を取り除く条件がほんとに正しいのか、絶対の自信はありません
もの。思いも寄らないアリバイトリックや殺害方法があるのかもしれません。それに、
ここからさらに絞り込もうとしても、私には無理でした。関さんが亡くなったあとの、
皆さんのマッチ棒の数を頼りに考えるなら、一、二本しか使っていない沼田・戸井田の
両先輩には難しく、五本減っている橋部先輩が一番怪しい。でも、部長の右足を見付け
た過程を聞くと、五本くらい使うのも当然のように思えてきます。一応の注釈付きです
けれど一緒にいた方々の証言もありますし。それならば、残る一人、三本使用の柿原君
を俎上に載せてみましたが……真瀬君と一緒に火を起こしているのですから、火起こし
に使った分は誤魔化しが利かないでしょう。実質、私的に使えたのは二本。これでは二
本減っていた戸井田先輩と同じ条件です。犯行は難しいとせざるを得ません」
「――要するに?」
 言葉が途切れるのを待って、村上が確認する風に聞いた。
「要するに……マッチ棒の数からの犯人特定は無理です」
 犬養は、今度は言い切った。長口上に疲れたのか、ふーっと強めに息を吐いて、締め
括りに掛かる。
「別にぐだぐだな推理を披露したかったのではありません。マッチ棒を根拠にした絞り
込みは無駄だということを、共通認識として皆さん持っていらっしゃるのか、明白にし
ておきたいと思ったまでですの」
「まあ、はっきりとは認識していなかったとしても、ぼんやりと勘付いていたと思う
ぞ」
 橋部が言った。どことなく、苦笑いを浮かべているようだ。
「俺達は推理研だ。推理物が好きな人種のさがとして、程度の差はあっても、犯人を特
定しようと考えを巡らせたはず。で、当然、マッチの数に着目しただろう。そして、ど
うやっても特定できないと感じたんじゃないか」
 その言葉に、柿原は内心で何度も頷いていた。恐らく他の人も同じ気持ちに違いな
い、犯人を除いて――と思った。

「私も、一つ気になっていることがあります」
 湯沢から声が上がったことに、柿原は驚いた。思わず、椅子から腰を浮かせたくらい
だ。不用意な呟きで真瀬を怒らせてしまってまだ間がないのに、ここで新たに意見を述
べる勇気?を彼女が持っているとは、想像していなかった。
「事件に関係あるかどうか分かりませんが、いいですか」
「あなたが関係あるかもしれないと考えるなら、全くかまわない」
 村上に促され、湯沢は一層、意を強くしたようだ。
「ずっと不思議に感じていたんです。先輩方は皆さん、このキャンプ場は初めてじゃな
いんですよね?」
「まあ、そうなるな」
 橋部が言った。
「二年生全員を対象とするなら、前の春、参加できなかった奴もいるが、そういった二
年の部員で、今回初参加って奴はいない。俺も無論、複数回来ている」
「でしたら、明かりの不便さは充分に承知していたはずです。全く対策を立てずに、ま
たここに来られたんでしょうか?」
「なるほどな。尤もな疑問だ」
 橋部はそう言うと、二年生をざっと見渡してから、また口を開いた。
「湯沢さんが言いたいのは、明かりがなくて不便だと経験済みなら、二回目からは、何
らかの明かりを持参するものじゃないかってことだよな」
「はい、そうなります」
「俺に限って言えば、何にも準備してこなかった。基本、こういう場所に来るときは、
不便さを楽しむもんだと思ってる」
 彼の返事のあとを次ぎ、今度は村上が答える。
「私もほぼ同じ考えだけれど、加えて、懐中電灯用に乾電池を買ってくると聞いていた
ので、いざというときもそれがあるなら大丈夫と思っていたわ。それよりも湯沢さん。
あなたは、二年生以上が怪しいと言いたいの?」
「いえっ、違います」
 そう受け取られるとは想像していなかったとでも言いたげに、右の手のひらと首を左
右に強く振る。
「どなたか一人くらい、明かりを自前で用意されたのなら、早い時点で話してると思う
んです。それを言わないのは、どなたも用意していないか、最初から犯行を計画してい
たか。発端となった小津さんの件は、偶発的な色彩がとても濃いと感じます。ですか
ら、前もって計画して密かに明かりを持って来るというのはないはずです」
「そうね。充電器のときの理屈と同じになる。なのに、敢えて今、こんなことを言い出
した理由は何かしら」
「村上先輩の考え方に、私も同じだったんですが、少し前に、柿原君がDVDを借りて
いたと言ったのを聞いて、本当にこの理屈を信じていいのだろうかとちょっと確かめた
くなったんです」
「え?」
 全く予想していないところで名前を出され、焦りの声をこぼした柿原。
「僕が橋部先輩からDVDを借りてたことが、何かおかしいかな」
「おかしいっていうほどじゃないかもしれない。でも、気になったから。どうしてこの
場で返すんだろうって」
「観終わったのを返すのは、早い方がいいと思って」
「いつ観たの?」
 その質問を受けた瞬間、柿原は湯沢の疑問の根っこが何なのか、理解した。恐らく―
―今、キャンプ場でDVDソフトを再生できる機械を持っているのは、柿原だけ。で
も、バッテリーの残量から考えて、DVDをここで視聴したとは考えにくい。そうなる
と、合宿前から視聴済みだったことになる。ならばわざわざ持って来なくても、もっと
前の段階で返却できるはず。実際はそうなっていないのだから、何らかの裏事情がある
のでは。たとえば、密かに電源を確保できるような何かが――湯沢はそこまで考えたに
違いない。
「凄いよ、湯沢さん。まさかそういう推理をされるとは全然、想像すらできなかった」
「じゃあ、やっぱり、橋部さんが持って来た明かりの電源を借りて、DVDを観た?」
 少し悲しそうな目で問われ、柿原は急いで否定に走る。深刻にならないよう、努めて
軽い調子で。
「違う違う。推理の着眼点は凄くても、残念ながら外れ。橋部さん、DVDのことを言
ってもいいですよね?」
「しょうがない。DVDのことだけじゃなく、俺と柿原が二人で何を話していたかも全
部言わないと、説明が付かんな、これは」
 年長者の橋部は、威厳がなくなることを心配してか、情けない微苦笑と大げさなため
息をダブルでやってから、事の次第を話し始めた。

――続く

※行数の上限にまだ余裕があることもあり、追記するかもしれません。あしからず。




#1108/1158 ●連載    *** コメント #1107 ***
★タイトル (AZA     )  18/04/15  20:53  (189)
百の凶器 12   永山
★内容                                         18/06/05 12:46 修正 第2版
 柿原が所々で補足しつつ、橋部が説明をし終えると、真っ先に反応をしたのは湯沢だ
った。
「あ、あのことで橋部さんの意見を聞いていたのね。私ったら、知っていたのに、全然
忘れてしまってた」
 肩を小さく狭め、申し訳なさげに項垂れる。髪で表情が隠れる彼女へ、柿原が「大丈
夫、紛らわしいことを言った僕が悪いんだから」と慰めた。
「DVDのことはともかく、アナフィラキシーショックの話は、早く言ってほしかった
です」
 唇を尖らせたのは真瀬。村上がすかさずフォローに回る。
「あくまでも推測だからね。関さんが検索しようとしていたらしいってだけよ」
「しかし……確度は高いんじゃないですか、これって」
「ええ。関さんが何かを目撃して、そのことに気付いた犯人に口封じされたというの
は、ほぼ決まりじゃないかしら。小津君の死亡が、犯人にとって意図的な犯行だったの
か、不幸な偶然だったのかは、意見が分かれるでしょうけれど。私は、後者だと思う」
 村上の見解を聞きながら、湯沢の様子を窺う柿原。彼女は他殺説を採っていると思わ
れるけれども、現状はそれを言い出す雰囲気でないと推し量ったのだろうか、特に発言
はしないようだ。
 発言を続けたのは、真瀬だった。
「まあ、部長の死亡状況が想定できたことで、ようやく見えてきた気がしましたよ。ま
だまとまってないが、俺が考えた推理、聞いてもらえます?」
「拒む理由はないわね。でも、ちゃんとまとめてからの方がいいんじゃないかしら」
 村上が半ば諭す風に言った。それは、真瀬が些か暴走気味であることを鑑み、冷却期
間を取らせようという配慮だったのかもしれない。
 真瀬は改めて他の者を見渡した。村上の忠告を受け入れるかどうか、迷っている様子
がありありと窺える。
 そこへ、橋部が口を開く。
「時間の空白ができることを懸念してるんなら、無用だぞ。おまえが考えている間、俺
が推理を話すとしよう。もし万が一にも、それぞれの推理が被っていたら、笑い話にも
ならないが」
「そう……ですね。橋部先輩、お先にどうぞ。俺は考えてるんで、あんまり熱心に聞け
ないかもしれませんが」
「かまわん。――それでいいか?」
 村上に最終確認を取る橋部。
 二度目の意見開陳を求められた村上は、「今度こそ、本命の推理ですか?」と聞き返
した。時間の消費は予定していたよりもオーバーペースである。
「ああ」
「それじゃ、なるべく手短に、ポイントを絞ってお願いしますね」
 念押しした村上だが、彼女自身、効果を期待していない言い種だった。
 そんな副部長の気持ちを知ってか知らずか、橋部はわざとらしい咳払いをし、「さ
て」と言った。有名な言い回し――名探偵みなを集めて「さて」と言い――に倣った訳
でもあるまいが、どうも芝居がかっている。
「他のみんなはどうだか知らないが、正直言って、俺は暗中模索の五里霧中がずっと続
いていて、手掛かりはたくさんありそうなのに、ほとんど前進していない焦燥感ばかり
あった」
 語り掛けるような口ぶりにつられて、何人かがうんうんと頷く。話し手の橋部もま
た、その反応に満足げに首肯した。
「が、今朝だったか寝てる間だったが、ふと閃いた。ぴかっと光ったというよりも、そ
もそも論だな。問題のタイプが違うんじゃないかって」
「勿体ぶらずにお願いします」
 村上が嘆息混じりにスピードアップを求めた。橋部は、「真瀬に推理をまとめる時間
をどのぐらいやればいいのかと思ってな」と、言い訳がましく答えた。
「ま、ずばり言うと、犯人は何故、便利な明かりを作ろうとしなかったのか?ってこと
さ」
「便利な明かり?」
 一年生女子らの反応は、揃って怪訝がっている。
「下手な表現ですまん。そうだな、犯行に当たって使い勝手のよい明かりって意味だ。
作ろうと思えば、できたはずなんだ。そりゃあ、ロウソクを使う方法だとばればれだ
が、柿原が言ってたように割り箸ならどうだ。割り箸を大量に持ち出し、適当に折った
物を空き缶に入れて、火を着ける。紙を先に燃やし始めれば、箸にも簡単に火が回るだ
ろう」
「確かに。でも、実際にはそんなことをした証拠は出て来ていません。割り箸だって、
二膳しか減っていない」
 村上が指摘するが、橋部は力強く首を横に振った。
「悪いが、ピントがずれてる。俺が言いたいのは、どうして犯人はたくさんの割り箸で
安定的な明かりを作らなかったのか、という疑問さ。マッチをいちいち擦るよりずっと
効率的だろ。遠慮する必要はない。仮に割り箸を使い切ったって、マイ箸があるんだか
ら、食事には困らん。方法を思い付かなかったとも考えにくい。空き缶を燭台代わりに
する方法は、皆が真似した。そこから割り箸を燃やすことを発想するのに、ハードルは
高くないだろ」
「確かに……」
 戸井田が呟く。他の面々――犯人はどうだか知らないが――も、多分、同じ気持ちだ
ろう。
「便利な手段を採用しない理由は何だ? 頑なにマッチ棒を使ったのは、マッチ棒の数
で容疑者を絞り込めるようにという、俺達ミステリマニアへのサービスか? 普通に考
えて、そんな馬鹿な訳ないよな」
 指摘されてみれば、なるほどおかしい。盲点だった。長年の慣習のようなもので、こ
れこそミステリという底なし沼にどっぷり浸かりすぎたマニア故と言えるかもしれな
い。
「……作りたくても作れないとか? たとえば、手が不自由で」
 またも戸井田の呟き。疑惑を向けられたと意識した柿原は、間髪入れずに反論した。
「僕のことを言ってるんでしたら、的外れです。作れますよ。仮に血が付着したって、
燃やすんだから関係ない。気にせずに作れます」
「俺もそう思う」
 橋部からの応援に、内心ほっとする柿原。
「片手が使えれば充分だ。さあ、いい加減、俺の推理を話すとするかな。前提として、
犯人は他人に濡れ衣を着せようと計画したんじゃないかと考えた。まずは、柿原が外に
干していたハンカチに血が着いていた件。あれは柿原の思い違いではなく、犯人が小津
の右足を切断したあと、自分のコテージに戻る途中で、手に少し血が着いてしまってい
るのを見て、ふと閃いたんだと思う。この血を、干しているハンカチに擦り付けてやれ
ば、柿原に疑いを向けられるぞ、と」
 柿原にとって気分のよい話ではないが、一方でうなずけるものがあった。湯沢から借
りたハンカチに改めて血が付着した経緯を説明するのに、今の仮説は充分ありそうだ。
「この一連の事件に、計画性はあまりないだろう。ハプニングに対処するために、その
場で急いで組み立てた計画だから、多少の穴や矛盾がある。だからといって、さっき俺
が述べたマッチ棒のみに拘った明かりは、どう考えても不自然だ。犯人はマッチの明か
りに拘泥することで、己にとって有利な状況を作り出す狙いがあったんじゃないか? 
俺はその考えの下、メンバー各人に当てはめて検討してみた。すると、マッチの数によ
ってアリバイを確保できた者が一人いると気付いた」
 橋部は一気に喋って、容疑者の名を挙げた。
「真瀬、おまえだよ」
 挙げられた方の真瀬は、一瞬遅れて面を起こした。元々、橋部が話し始めた時点で、
俯きがちになって考えをまとめに掛かっていた様子だった。
 そこへ突然名前を呼ばれたのだ。暫時、意味が分からないとばかりに表情を歪めてい
る。そもそも、橋部の推理をちゃんと聞いていたのかどうか。
 その確認はせず、とにかく村上と柿原が、橋部の推理のポイントを伝える。すると、
真瀬はますますしかめ面になり、どういうことですかと地の底から絞り出したような声
で聞き返す。
「関さんが死亡した件で、真瀬にはアリバイありと認められた。犯行に必要とされる分
量のマッチ棒を都合のしようがないという理由だったよな」
「事実、足りなかった。仮に関さんのコテージまで、往復できたとしても、メインハウ
スでの家捜しや9番コテージ近くでのたき火の用意が無理だって、橋部さん、あなたが
言ったんじゃないですか?」
 目の色を変えての反論とは、このことを言うに違いない。食って掛かる真瀬に対し、
橋部は暖簾に腕押し、あっさりと前言を翻しに来た。
「あのときは言った。でも、考え直したってことだ。探偵が間違える場合もある」
「いやいや、あなたは探偵じゃない。だいたい、そんな屁理屈で俺を追い詰めたって、
すぐに行き止まりでしょうが! 何故なら、マッチ棒を使わないでどうやって明かりを
用意できたんだっていう疑問が解消されていない!」
「確かに。未使用の割り箸は減っていないし、使用済みの割り箸をちょろまかすのも難
しい。他に燃やす物と言ったって、密かに薪割りをして薪を増やしてもすぐにばれるだ
ろうし、湿気った木の枝や草じゃ無理だし、紙や布なんかがこのキャンプ場に充分な量
があるとは思えない。計画的犯行ではないのだから、身の回りにある処分可能な紙や布
の量だってたかがしれているだろう」
「ほら見ろ」
 言い負かせたという思いからか、言葉遣いが一層荒くなる真瀬。鼻息も荒い。
「どうしたって明かりは確保できないんだ。あとは何かあります? 俺が村上先輩と密
かに通じていて、懐中電灯を使わせてもらったとか言うんじゃないでしょうね?」
「私を巻き込まないで」
 呆れた口ぶりながら、努めて冷静に釘を刺す村上。橋部は苦笑いを浮かべて、「そん
なことは微塵も思ってない」と確言した。それから真瀬に改めて言う。
「明かりを用意する手段について、今はまだ確証がない。それよりも、真瀬も推理を話
してみるってのはどうだ? 俺が話したのとは違うかもしれないしな」
「あ、当たり前だ、自分自身が犯人だなんて推理、どこの誰がするか」
 真瀬は馬鹿負けしたように首を横に振った。
(これは……推理の出来はともかく、橋部先輩の誘導がうまい?)
 二人のやり取りを聞いていた柿原は、ふとそんな感想を抱いた。
(さっきまでの流れなら、真瀬君は当然、明かりを用意する方法を示せと、橋部さんに
続けて詰め寄るところだ。示せないのなら推理は間違いだと結論づけられる。なのに、
そうならなかったのは、橋部さんの推理がポイントポイントではいい線を行ってるのも
あるけれど、真瀬君にも推理を話せと水を向けたのが大きい。しかも、『俺が話したの
とは違うかもしれない』と付け足したせいで、真瀬君の方は勢いを削がれた感じだ)
 柿原の気取った通り、場は真瀬の推理を待つ雰囲気になった。
「じゃあ、誰が犯人だと考えた? 今の俺の推理を聞いて結論を変えるのに時間がいる
か? 犯人は橋部秀一郎だという推理に組み立て直すのに、どれくらい掛かる?」
「犯人だと疑われたから、やり返すために推理を変えるなんて、馬鹿げてる」
 真瀬は真っ当に反論し、橋部からの挑発的な言葉を封じた。橋部が何を意図して真瀬
を煽るのか、柿原には想像も付かなかった。多分、他のみんなも同じだと思う。
 ここで村上が二度手を打ち、注意を向けさせた。
「橋部さん、先輩らしくもうちょっと大人の振る舞いをしてください。収拾が付かなく
なりかねませんよ、まったく」
「自重するよ。今言いたいことは言ったしな」
 この受け答えに村上はまた一つため息を吐いて、そして真瀬に向き直った。
「それで真瀬君。たいして時間は取れなかったと思うけれど、推理を話せる?」
「話しますよ。こうまで言われたら、俺は俺の推理を話して、疑惑を払拭するのが一番
でしょう」
 真瀬も深呼吸をした。ため息ではなく、頭を冷やすための行為のようだ。
「なるべく冷静に話す努力はしますが、つい感情的になるかもしれないと、予め言って
おきます。もしそうなったら、ブレーキを掛けてくださって結構ですから」
 彼の前置きは、些か大げさだと思われたかもしれない。が、一方で、真瀬がこれから
犯人を名指しするつもりなんだという“本気度”を感じ取った者もいよう。一瞬、静寂
に包まれた場の空気は、真瀬が喋り出してからも変わらなかった。
「俺が着目したのは、例の呪いの人形でした」
 真瀬は、火あぶりに処されたような演出を施された人形のことを持ち出した。呪いの
人形という表現で、全員に通じる。
「あれを見て、何となくもやっとしたんだ。隔靴掻痒っていうか、中途半端っていう
か。あの人形、割り箸や枝、手ぬぐいと材料集めにはそれなりに手間を掛けた様子なの
に、作り自体は荒い、雑だなって」
「そう言われると……奇妙な印象受けるわね」
 村上が呼応した。真瀬の固かった口調は、この合いの手で若干、滑らかになった。
「でしょう? 特に、割り箸と枝を組んで大の字を作りたいのなら、何故、結ばなかっ
たんだろう?って思います。あれは布を巻き付けただけでしたから、ちょっと乱暴に扱
えば、崩れかねない」
「結びたくても、結べなかったのではありませんか。紐状の物が手近には見当たらなく
て。結ぶ物がなければ、結びようがありません」
 犬養が反論を述べたが、その見方は真瀬にとって織り込み済みだったようだ。間を置
かずに否定に掛かる。
「辺りには蔓草が生えているし、手ぬぐいの端をほぐせば、糸ぐらいできる。あるい
は、番線の切れ端だって落ちてる」
「ああ、そうか。だったら、犯人がそうしなかった理由は……」
 戸井田の呟きに頷いた真瀬が、言葉を継ぐ。
「ある意味、犬養さんの反論は当たっている。犯人は結びたくても結べなかった。紐状
の物はあっても、結べない。だから紐状の物を最初から用意しなかった」
「えっ、それってまさか」
 聞き手の何人かが、柿原を見やった。真瀬が仕上げとばかりに言い足した。
「その通り。犯人は柿原、おまえなんじゃないか」
 そして柿原の片手を差し示した。怪我を負った右手ではなく、左手の方を。
「おまえの左手は、今も動かないんだろう?」

――続く




#1109/1158 ●連載    *** コメント #1108 ***
★タイトル (AZA     )  18/04/27  21:52  (256)
百の凶器 13   永山
★内容                                         18/06/05 12:55 修正 第2版
「ああ」
 元々隠していないし、部内では周知の事実。特に力むこともなく、淡々と肯定する柿
原。彼の左手には神経の障害があり、自由に動かせないし、力もまともには入らない。
そのため、右手のひらに怪我を負っても右手を使い続けなければならない。バーベキ
ューのような立食の席では、補助具があると非常に便利だ。マッチを擦るぐらいなら右
手だけで充分だし、パソコンのキーボード入力は右手一本でも達者だが、手のひらサイ
ズを超えて複数の箇所を同時に押さねば作動しないような道具は、さすがに使えない。
「僕の手の状態が、犯人である証拠? どうして?」
 友人からの疑惑を受け止めた柿原は、まず当然の質問を返した。
「そりゃあ、決まってる。皆まで言わせるのか」
「遠慮なく、はっきり言ってもらいたいよ」
「……人形についての考察から、明白だろ。片手しか使えないからこそ、雑な造りにな
った」
「それだけ?」
「怪しむ根拠なら、他にもあるさ。まず、斧の柄に着いていた血。あれはやっぱり、お
まえの右手の傷から染み出たものじゃないのか。外に干していた借り物のハンカチに血
が付着していたというのだって、怪しいもんだぜ。血塗れになった手でついうっかり触
ってしまったのを言い繕って、いつの間にか血が着いたことにしただけなんじゃない
か、と思うね」
「……」
「まだある。小津部長の右足があとになって出て来たが、そのとき履いていた長靴の紐
はほどけたままだったんだろう? 犯人が一旦脱がせてから、また履かせるに当たっ
て、紐は元のように縛った方が本来の目的をカムフラージュできたはず。だが、実際に
は違った。犯人は結びたくても結べなかったんだ。それから、俺としては次の条件が一
番の決定打と考えている。関さんの遺体に見られる痕跡だ」
 真瀬の語調はいよいよ熱を帯びる。
「彼女の首には絞められた痕があったが、完全ではなかった。犯人が絞殺にしなかった
のは、片手しか利かないからじゃないか? 首に掛かったタオルをいくら引っ張って
も、片手では絞め殺すのは無理だろう。そして、その中途半端な絞めた痕跡を残したま
まだと、有力な手掛かりになってしまう。それを防ぐため、犯人はわざわざメインハウ
スに行き、持ち出した刃物によって関さんの首に傷を付けた。あれは切断を躊躇したの
ではなく、絞めた痕をごまかすためだったんだろう。片側だけに強く痕が残っていた
ら、犯人は片手にしか力が入らないことがばれてしまうからな」
「明かりの問題はどうなるの」
 ブレーキを掛ける意図があったのかどうか、村上が質問を差し挟んだ。真瀬の勢いは
衰えない。
「柿原、予備のバッテリーを持って来てたよな、パソコンの方」
「うん」
「パソコンのバッテリーをチェックするとき、予備のことをすっかり失念していた。予
備の方を使って、パソコンのバックライトを頼りにすれば、マッチやロウソクの数とは
関係なく、夜の犯行は可能になる」
「予備も調べてくれれば、使われていないと分かるよ、多分」
 柿原の受け答えに自信がなかったのには、理由がある。使い始めてかなりの年月を経
ているバッテリーなので、本体から外していてもそこそこ放電する。その減り具合によ
っては、使ったと疑われても仕方がない恐れがある。
「多分とは?」
 橋部から問われ、柿原は正直に答えた。話し終えるや、真瀬が怒気を含んだ声で言っ
た。
「何だよ、その言い分は。使っていなくても減ってるかもしれない? 証拠から排除し
てくれと言いたいのか。汚いぞ」
「何と言われようとも、事実を伝えたまでだよ」
「話にならねえ」
 声を荒げた真瀬だが、柿原に詰め寄るような真似はせず、何か堪えるかのように両拳
を強く握りしめた。彼が口を閉じた隙を狙う形で、橋部が村上に聞く。
「どう思う?」
「真瀬君の推理ですか。説明の付いていない点は残っていますし――」
「どこがですかっ? 言ってくれたら説明しますよ」
 村上の台詞に被せて来た真瀬。その興奮ぶりに、村上は「じゃあ、言うけれど」と応
じた。
「とりあえず、動機の有無を言及するのはありかしら」
 これには真瀬の機先を制する効果があったようだ。やや口ごもってから、答える。
「それは……説明つきませんけど、アナフィラキシーショックが小津さんの死因なら、
単なるいたずらのつもりだったのが、思いがけず大ごとになってしまった可能性が大き
いんじゃないですか。関さんは、その巻き添えを食らってしまった」
「柿原君が部長にいたずらを仕掛ける動機は」
「は? そんなことまで分かりっこないじゃないですか。いたずらに理由なんて」
「じゃ、いいわ。動機以外で言うと……柿原君には窓の格子を外したり取り付けたりす
るのって、結構大変だと思うんだけど」
「不可能じゃないでしょ。そうすることが絶対に必要となれば、できると思いますが。
それに、最悪、9番コテージの中に入れさえすればいいんであって、格子を外す行為は
絶対に必要。格子を填め直したのは発覚を遅らせるために、余裕があったから――」
「そこなんだけど、斧の柄に血が付着していた事実から、一足飛びに、安置している小
津君の遺体を調べましょうと言い出したのは誰?」
「……柿原、です」
 目を大きく開き、空唾を飲み、継いで俯く。虚を突かれた、想像していなかったのが
ありありと分かる反応を示した真瀬。村上はかまわずに疑問をぶつけた。
「柿原君が犯人で、発覚を遅らせる目的で格子を取り付け直したのなら、矛盾している
んじゃない?」
「確かに矛盾です。だが、疑われることを見越して、敢えて相反する行動を取ったのか
も」
「そんなことを言い出したら、理屈や蓋然性に因った推理はできなくなるわよね」
「……今のはなし、取り消す。でも、柿原を怪しむだけの理由はあるでしょうが」
「君が言っているのは、人形の造りのことね。そこなんだけど」
 村上はここで柿原に視線を当て、「言ってないの?」と尋ねた。
「え、あ、はい。わざわざ言ってませんでしたし、目の前でやる機会も、確かなかった
かもしれません」
 話しながら、キャンプ場に着いたその日も、長靴の紐は結ばずにただ履いただけだっ
たことを思い出した柿原。
「何の話をしてる?」
 真瀬が気短に割って入った。柿原は村上の様子を見て取り、自ら答えることにした。
「真瀬君は知らなかったみたいだけれども、僕は紐を結ぶことができるんだ。だから、
人形の作り方を根拠に、犯人は僕という説は成り立たない」
「何?」
 信じられない話を耳にした。そう言わんばかりに、口をぽかんと半開きにする真瀬。
「実際にやるのが早いだろ」
 橋部が言い、辺りを見渡す。察した湯沢がポケットから赤と白からなるカラフルなリ
ボン状の物を一本取り出し、柿原へ手渡す。長さは三十センチ余り、髪を結ぶのに使っ
ているようだ。
「ちょっと平べったいかもしれないけれど」
「ありがとう。問題ない、これくらいが一番やりやすいな」
 右手で紐の位置を整えてから握ると、柿原は片手で器用に結んだ。そして黙って真瀬
に示す。
 真瀬にとって想定外だったのだろう、しばらく言葉が出て来ないでいた。
「……木の棒と棒を結んで、固定することもできるのか?」
「できると思うよ。きつく結ぶために、足で踏んづけるかもしれないけれど。やってみ
ようか?」
「いや、いい」
 黙りこくって、また考える様子の真瀬。橋部が聞いた。
「結べない者がいないのなら、推理を根本的に見直す必要があるよな?」
「……いえ。柿原が実は結べたからって、あいつが犯人ではないことを証明するもので
はない。ですよね?」
「そりゃ、理屈の上ではそうなるが」
「だったら、最有力容疑者はまだ柿原だ。明かりの一点だけでも怪しいし、血痕のこと
も作為的に見える」
 頑なに唱える後輩に対し、橋部は次のことを聞いた。
「人形が紐状の物で結ばれていなかったことは?」
「それは……俺を含めたみんなが推理を間違えるよう、誤誘導するために敢えて結ばな
かった」
「その仮説はいくら何でも無茶だ」
 即座に否定され、真瀬は目を剥いた。
「どうして? 自分なら引っ掛からないとでも言いたいんですか?」
「そうだな……ある意味、そうとも言えるが、引っ掛からないんじゃなく、引っ掛かり
ようがない」
「え? ああ、橋部先輩は知ってたという訳だ。柿原が紐を結べることを」
 察しが付いたぞとばかり、ほくそ笑む真瀬。対する橋部は二、三度小さく頷いて、
「うむ、俺は知っていた。戸井田もだ。そして、村上さんも犬養さんも湯沢さんも知っ
ていた」
 と、事実を伝えた。
「……知らなかったのは俺だけってことですか?」
「ここに来ているメンバーの中ではな。あ、関さんも知らなかったはず」
 しばし唖然とする真瀬に、何故知っている者と知らない者とができたのか、事情を説
明してやる。
「――つまりだ、真瀬一人をターゲットにした偽装工作なんて、現実味に乏しいって思
うんだが。それとも何か? 真瀬は柿原から要注意人物と目されるほど、突出した探偵
能力を自負しているとでも言うか」
「そんな自負、あったとしても、自分から言いやしませんよ」
 苦笑と失笑と自嘲とが入り交じったような表情をなす真瀬。それは、動揺を覆い隠そ
うとするかの如く、徐々に広がる。
「柿原が怪しいとする理由は、まだ残ってる。関さんの首を絞めた痕に関する考察は、
充分に説得力があると信じる」
 改めてそう言われた柿原は、頭の中で、場にふさわしくないことをふと思い付いてい
た。
(首を絞めて殺す――絞殺――絞殺に関する考察。あ、おまけに『“関”さんに“関”
する』と来た)
 柿原はかぶりを強く振ってから、真瀬を見つめ返した。
「その理屈が通るなら、真瀬君だって怪しくなるよ」
「何?」
「左手の腫れだよ。それをウルシかぶれだと思っていたなら、そして凶器のタオルにウ
ルシが移ることを警戒したのなら、君だって片手で絞めようとするはずじゃないかな」
「馬鹿を言うな! ウルシを触ってからどれだけ時間が経ってるんだ!」
 真瀬が大声で否定したが、柿原にも言いたいことは残っている。
「もしくは、単にかぶれが気になり、力が入らない、入れづらかったということも想定
できるよね。かぶれは今も残ってるくらいだし」
 柿原の仮説に、真瀬はやや怯んだように見えた。自分の武器だと信じていた理屈を逆
手に取られたのだから、それも道理だろう。だが、真瀬は武器に固執する道を選んだ。
「俺が言い分を認めたとする。その場合、犯人はおまえか俺に絞られたと見ていいの
か?」
「僕はそんなつもりは……。素直な気持ちを言うと、親しい仲間を犯人だと指摘する覚
悟は、今の僕にはない」
「スイリストではあっても、名探偵にはなれないってか」
「いや、推理でも、まともな筋道は付けられていない。途切れ途切れのルートが散在し
ている状態とでも言えばいいかな」
「そのルートの一つでも、俺を犯人と示していないのか? 無論、絞めた痕跡以外で、
だ」
 真瀬と柿原のやり取りに、他の者は静かになっていた。二人の対決姿勢が、短い間に
作り上げられた感があった。
「ルートというか、まだ不可解な疑問点の段階だけど、一つある」
 柿原は考えながら答えた。
 真瀬は「言ってみろ」と荒い語勢で促した。
「じゃあ……真瀬君、借りた本にレシートが挟まっていたんだけど、覚えある?」
「ん? ある。というか、不思議でも何でもないだろう。買ったときのレシートを、し
おり代わりに挟むとか」
「うん。買った日付からして、レシートはその本の分と言えた。問題は、そのレシート
に、黒い痕があったこと。楕円形のね」
「何だって、黒い楕円? そっちは記憶にないな」
「これなんだけど」
 現物のレシートを取り出し、指先で摘まんで、見せる。微かな空気の動きで揺らめい
て、印刷された字は読み取りづらいだろうが、黒い楕円ははっきり見える。
「見せられても、変わらないな。記憶にない」
 真瀬は思案下に首を傾げ、慎重に言葉を選んだようだった。
「だいたい、挟んでいたことさえ当たり前すぎて、言われるまで忘れていた」
「じゃあ、無意識の内に下敷きにしたんだろうね。このレシート、よくある感熱紙だ
よ」
 柿原の指摘に、真瀬よりも早く、外野から声が上がる。
「あ、その楕円は、何か熱い物が当たった痕跡か」
「恐らくそうです。初めて気付いたときは薄暗い部屋だったのでぴんと来なかったんで
すが、明るいところで見直してやっと分かりました。そして、この楕円……形、大きさ
とも、缶詰とぴったり一致するんじゃないかな」
「――どういう意味だ? 何が言いたい?」
 真瀬が聞く。声の響きには、警戒が露わだ。
「レシートの挟まった本を借りたのは、三日目の夕食後だったよね」
「ああ」
「一方、僕ら推理研の面々が共通して、空き缶にロウソクを立てて使い始めたのは、同
じ三日目でも夕食よりもあと、だいぶ暗くなってから。それまでは使っていなかった。
これっておかしくない?」
「……」
 口元をいくらか動かしたが、最終的には固く唇を結んだ真瀬。代わるかのように、橋
部がずばり言う。
「俺達がロウソク立てとして空き缶の利用を始めるよりも早く、真瀬はそうしていたと
考えられるな。レシートは分かっていてか、たまたまかは知らんが、熱を持った缶の下
敷きになっていた。だから黒い楕円の痕跡が残った訳だ」
「それが何か?」
 口の中が乾いたのか、真瀬の声はかすれて聞こえた。咳払いをして、言い直す。
「それが何か問題ありますか?」
「問題あるわ」
 村上が言った。場の空気の調整役を担っていた彼女も、ここは疑惑の追及に出る。
「今、大変な状況になっているわよね。一人だけ蝋を地面に落とすことなく、ロウソク
を安定して持ち運べる方法を早々に思い付いて使っていたなら、どうして他のみんなに
教えてくれなかったの? 疑われるとでも考えたのかしら。そんなはずないわよね。み
んな異常事態に多少パニックになっていたから思い付かなかっただけで、普段なら簡単
に思い付く類の方法だもの」
「……蝋が落ちない方法をみんなに知らせたら、蝋を手掛かりにできなくなるから…
…」
「その言い分もおかしい。犯人は9番コテージ侵入事件の時点で、すでにロウソク立て
に空き缶を使っていたことは、ほぼ間違いないでしょ。今さら蝋が落ちる落ちないを気
にしたって、犯人特定にはつながらないと思うけど?」
 村上の舌鋒に、真瀬が一瞬、口ごもった。しかし、十秒足らずの思考時間を経て、再
度反論する。
「そ――そんなことが言いたいんじゃあないっ。俺は認めていないですから」
「?」
 主旨が飲み込めないと疑問符を浮かべたのは、村上一人ではなく、他の全員がそうだ
った。
「俺が柿原に本を貸す前は、レシートは真っ白だった。空き缶の痕がレシートに付いた
のは、柿原に本を貸したあとなんだ」
「ええ?」
 柿原は真瀬の台詞を思い返した。なるほど、追い込まれた感はあったものの、空き缶
を早くからロウソク立てとして使用したかどうかは、明言しなかったように思う。
「じゃあ、僕がわざと付けたと言うんだね?」
「ああ、俺を陥れるためにな。本を貸す前の時点で、犯人が空き缶をロウソク立てに使
っていたのは確定事項と見なしていたよな。濡れ衣を着せる策として、うってつけって
訳だ」
「……」
 これも決め手にはならないか、と内心で嘆息する柿原。尤も、落胆してはいない。決
定打になると考えていたのなら、自信を持って言い切る。最初から、疑問点を挙げるだ
けのつもりだったのが、真瀬の反論が過剰だったせいで、おかしな方向に行ってしまっ
た。
(でも、今の真瀬君の興奮ぶりや言い訳を素直に受け取るなら、犯人は彼ということ
に)
 柿原の感想は、真瀬以外のメンバーも同じ考えらしい。不意に降りた静寂の中、あか
らさまな疑惑の目が、真瀬に集中していた。当然、本人も察している。
「俺が犯人だと疑うのなら、さっきの問題を解決してからにしてもらいましょうか」
「さっきのって」
 村上が困惑げに言葉を途切れさせた。様々な証拠らしき物、ロジックらしきことが扱
われてきたおかげで、真瀬の言葉が何を指し示しているのか即座には理解できない。
「俺には明かりがなかったってやつですよ。関さんが亡くなった事件で、犯人はメイン
ハウスの家捜しをしたり、人形の火あぶりの儀式を用意した。いずれも明かりがないと
こなせない」
 確かに、この点に関して言えば、真瀬は犯人ではあり得ない。柿原の方が、パソコン
の予備バッテリーの件がある分、不利と言える。
 勝ち誇った真瀬に対し、その理屈を壊す声は上がらなかった――しばらくの間だけ
は。
「あの」
 湯沢の声は遠慮がちで大きくはなかったが、静かな場には充分に浸透した。
「そのことで、私、考えがあります」

――続く




#1110/1158 ●連載    *** コメント #1109 ***
★タイトル (AZA     )  18/05/05  23:31  (208)
百の凶器 14   永山
★内容
「やれやれ。こんなにも君と相性が悪いとは、ここに来るまで思いもしなかったよ、湯
沢さん」
 真瀬が肩をすくめ、音を立てて椅子に座り直した。
「聞いてやる。言ってみろ」
 が、すぐには始まらない。始められないようだ。そこで柿原は湯沢の隣まで移動し
た。彼女が多少怖がっていると見て取ったから。
「大丈夫?」
「う、うん。どうにか」
「本当に何か考えがあって? まさかと思うけど、僕を助けようとして無理に……」
「そんなことない。さっき、閃いたの」
 湯沢が微笑むのを見て、柿原は驚くと同時に心配にもなった。そんな都合よく閃くも
のか? 柿原の不安をよそに、湯沢は背筋を伸ばして立った。勇気を振り絞った証のよ
う。
「きっかけは、橋部さんと沼田さんのやり取りと、犬養さんと柿原君のやり取りを思い
出したことです」
 名前を挙げられた内の一人、柿原はすぐ前で発言する湯沢を見上げた。何のことを言
っているのか、咄嗟には掴めない。他の三人も、思い当たる節がないと見える。互いに
ちらと顔を見合わせた程度で、特に発言は出ない。
「正確な言葉ではなく、ニュアンスになりますけど……沼田さんが濡らしたマッチ棒を
処分したと言って、橋部先輩は乾かせば使えたかもしれないのにと応じていました。そ
れから、犬養さんが折れたマッチ棒を処分したことを、柿原君が処分せずに残していた
ら無実の証明になったかもしれないのにと応じた」
「あれか。思い出した」
 いの一番に橋部が言った。柿原も記憶が甦った。
(だけど、この二つのやり取りで、何が……あ)
 脳の奥で、光が瞬いた気がした。湯沢の話の続きに耳を傾ける。
「もう一つ、ずっと引っ掛かっていたことがあります。犯人は何故、9番コテージの近
く、小津部長が亡くなっていた辺りで、人形の火あぶりの細工をしたのか。人形の火あ
ぶりから余計な事柄を削ぎ落とせば、何故、小さなたき火をしたのかという設問になり
ますよね」
「そうなるな。呪術めいた儀式だなんて、誰も信じない」
 橋部の相槌代わりの台詞を受け、湯沢も勇気の波に乗れたらしい。
「シンプルに考えてみたんです。犯人は何かを燃やして処分したかった。そうする意図
を知られたくない何かを」
 本当に燃やしたかった物をカムフラージュするため、呪いの儀式めいた工作をする。
ミステリマニアらしい発想で、いかにもありそうだ。柿原はそこを認めた上で、ではあ
そこには何があったのかを思い返してみた。
(部長が亡くなった辺り……。犯人が自らの血や汗なんかの証拠を落としてしまったと
は考えられない。部長の死因は、恐らくアナフィラキシーショックで決まりだ。犯人が
犯行現場に立ち会う必要はない。その他の物品を落としたとしても、いくらでも理由付
けができる。遺体発見の時点で、みんなで集まったんだから。そうなると、証拠隠滅な
どではなく、他の理由……たき火の前後で消えている物……あ)
 分かった気がした。柿原は黙って、湯沢の話の続きに集中した。
「亡くなっている小津さんを見付けたときのことを思い浮かべてみてください。あの辺
りにはマッチ棒が散らばっていましたよね」
「そうだ。確かに、小津部長自身のマッチ棒が散乱していた」
 戸井田が強い確信ありげに言った。他の者が信じないなら、写真で見せてやろうとい
う気概が感じられる。無論、実際にはそんな必要はなかった。皆が覚えていた。
「現場をなるべくいじらないでおこうってことで、マッチ棒もそのままにしていた。他
にマッチ箱もあったっけな。それら全て、犯人のたき火のせいで燃えてしまったようだ
が」
 橋部が記憶を手繰りつつ言った。
「はい。犯人の狙いはそこにあったんじゃないか。そんな気がするんです」
「分からんな。マッチ棒を無駄に燃やして、何になる?」
「無駄にしていないと思います」
「え?」
「犯人は、使えるマッチを密かに確保するため、マッチ棒を燃やしたかのように装った
んじゃないでしょうか」
「ん? ――あ」
 首を捻った橋部だが、すぐに何やら察した顔つきになった。湯沢が前振りとして挙げ
た話が、ここに来て生きてくるんだ――と、柿原は内心で理解した。
(遺体の周りに散乱していたマッチ棒が、まじないめかしたたき火のせいで全て燃えて
しまったと思わせて、実は犯人が回収していた。燃えかすなんて、誰も調べない……あ
れ? でも、時間の前後関係が合わないぞ)
 柿原は気付いた。湯沢の顔を見つめつつ、大丈夫かなと心配が膨らむ。
「マッチを拾って再利用したという発想は分かった。それをごまかすためのたき火だと
いう理屈も。しかし、たき火の直前にマッチ棒を回収したのなら、おかしくないか? 
たき火や人形の準備をしたり、刃物を手に入れたりするために、犯人はメインハウスを
家捜ししたはず。だったら、家捜しの前の時点で、マッチを余分に入手しておかなけれ
ばならない」
「もちろん、回収そのものはずっと早めにしていたんだと思います。小津部長の足を見
て確認しようと考えた段階で、火種はなるべくたくさんあった方がいいと判断するのは
自然ですよね」
 湯沢の語りっぷりに、揺らぎは見られない。指摘も織り込み済みということらしい。
質問者が橋部から戸井田に移っても、その自信に変化はなかった。
「確かにそうだけれども、あんまり早くマッチを拾ってしまうと、気付かれる恐れが出
て来るんじゃないかな」
「それもカムフラージュできます」
「どうやって」
「マッチの燃えさしを、代わりに置くんです。ただし、頭の部分はちょっと土に埋める
具合に」
 シンプルな解答に、戸井田は「あ、そうか」と応じたきり、口を半開きにしていた。
 そこへ、村上が確認する口ぶりで聞く。
「燃えさしのマッチ棒を集め、カムフラージュ用に回したって訳ね。数は足りるのかし
ら。通常、火を着けるのに使ったマッチは、そのままくべてしまうけれど」
「問題ないと思います。自分自身が私的に使ったマッチを、捨てずにそのままストック
しておけば」
「なるほどね。燃えさしのマッチをたき火で燃やすことで、マッチの軸が部分的に消し
炭みたいに燃え残れば、まさかマッチ棒のすり替えが行われていたなんて、思い付かな
い。実際、そんな風になってたみたいだし」
「拾い集めたマッチは、しばらく乾かすだけで使えるようになったでしょう。そして―
―真瀬君が早い内から缶詰の空き缶をロウソク立て代わりにすることを実行していたの
と考え合わせれば、真瀬君のアリバイはなくなったと見なすのが妥当だと思う」
 最後は、真瀬を見てきっぱりと言った湯沢。もしも真瀬が顔を起こして、彼女をにら
みつけでもしていたなら、こうは行かなかったかもしれない。しかし今の彼は、最前ま
での威勢のよさや威圧的な態度は影を潜めていた。机に左右の腕をぺたりと付け、やや
俯いた姿勢で聞き続けていた。
  と、そんな真瀬が面を上げた。
「終わったか?」
「え、ええ」
「やっとか。話しやすいように気を遣ったつもりだが、首が痛くなった。筋を違える前
に終わってくれて、助かった」
 真瀬の態度は落ち着いていた。柿原が右手だけで紐を結べることを知らされたとき
や、先んじて空き缶をロウソク立て代わりにしていた疑いを掛けられたときは、明らか
に動揺していたのに、もう収まっている。真瀬にとって、湯沢の推理披露は、彼自身が
落ち着くための貴重な時間稼ぎになった恐れがあった。
「アリバイが崩れたのは認めてもいい。論理的、客観的に考えて、それが当然。しか
し、アリバイのない人間が即犯人とはならないのも、また当然の理屈、ですよね皆さ
ん?」
「答えるまでもない」
 橋部が代表して応じた。
「だが、おまえの場合、アリバイが崩れると同時に、犯行が可能であることも示されて
しまったんだぞ。加えて、犯人の細工によって成り立っていたアリバイは、おまえだけ
だ。犯人は柿原に濡れ衣を着せようとした形跡があるが、それは柿原が右手だけでは紐
を結べないという間違った理屈に立脚していた。ここにいるメンバーの中で、そんな誤
解をしていたのは、おまえ唯一人だ」
 橋部は一気に喋った。言いにくいこと全て引き受けた、そんな覚悟が感じられる。
 対する真瀬は、橋部をじっと見返し、また一つ、長い息を静かに吐いた。それから一
転して、大きな声で捲し立てる。
「だから! ロジックだけで殺人犯を決め付けるなんて、できやしませんよ! いくら
理屈を積み上げても、俺は認めない。何故なら、今列挙した理屈やその元となった事実
が、真犯人の罠である可能性は否定できない。でしょう? クイーン問題ですよ」
 推理小説好きの間で通じる語句を持ち出し、唇の端で笑う真瀬。橋部ら他の部員から
の反論がないのを見て取ったか、さらに語る。
「小説に関しては、あれやこれやと解釈をこねくり回して、クイーン問題は回避できる
的な評論があるのは知っている。だがしかし、現実の事件の前では無意味なんだ。物的
証拠が出ない限り、いや、そんな証拠が出たとしても、それすら真犯人の仕掛けた罠で
あるかもしれないんだ」
「……そう言う真瀬君は、誰を犯人だと思ってるのかしら?」
 犬養が些か唐突なタイミングで聞いた。場の流れを変えよう、そんな意図があったか
どうかは分からない。ただ、彼女が時折見せる、空気を読まない言動が、ここではプラ
スに働いた。少なくとも、柿原らにとって。
「さあ? これだけ疑われたら、どうでもよくなってきた。俺以外なら、誰だっていい
さ」
「誰だっていい? そんなことあるはずないわ」
「何? 分かった風な口を」
「分かっていないのは、そちらでしょう。あなた、誰が殺されたの、お忘れ?」
「それは……」
 勢いが止まった。絶句した真瀬に、今度は沼田が言葉で詰め寄る。
「関さんのこと、好きだったのよね? なのに、どうでもいいだなんて、言える訳がな
いわ!」
「ち、違う」
 目を赤くした沼田の迫力に押された風に、真瀬は首をぶるぶると横に振った。
「俺が言ったのは、そういう意味の『どうでもいい』じゃあない。俺は、君らみたいに
仲間を疑うのが嫌になったんだ。だから、思うことはあっても、もう言わないと決め
た。そういうつもりで、どうでもいいと言ったんだよ」
 この答に、真瀬自身は満足したらしく、自信ありげに頷いた。
 不意に静寂が降りてきた。誰も発言しない、物音すらほぼしない時間が一分ほど続い
た。その時間を使い、橋部は柿原を一度見た。アイコンタクトのようにも感じられた
が、柿原には何のことだか分からなかった。
「真瀬。俺達は気にしないから、言ってみてくれ」
 静寂を破って、橋部が問う。真瀬は被せ気味に答えた。
「何をですか」
「犯人、誰だと思ってるんだ?」
「今さら……」
 横を向く真瀬に、橋部は辛抱強く語り掛けた。
「まあ、改めて言わなくても、だいたい想像は付く。少し前まで、おまえは柿原犯人説
を唱えていた。それは変わっていないんじゃないか?」
「……」
「俺もおまえのさっきの考えを聞いて、検討し直してみたよ。ほら、真犯人の罠じゃな
いかっていう」
「……それで?」
 改めて振り向いた真瀬。細められた目で見つめる様は、相手の真意を測ろうとしてい
るかのようだ。
「こう考えてみた。真瀬に掛けられた疑いが罠だとしたら、それができるのは誰か、っ
てな。まず……柿原の手について真瀬だけが誤解していることを確実に知っているのは
誰か」
 場に問い掛けてから、橋部は柿原へ向き直った。
「それは柿原本人だ」
 その台詞の効果を試すかのように、しばし口をつぐむ橋部。
 一方、柿原は心穏やかならず。
(橋部さん、一体どういう……?)
 疑問が頭を埋め尽くしたが、声にはならない。強いて出さなかったのかもしれない
が、本人にもそれは分からない。
「柿原以外は、たとえ日頃の態度で真瀬が誤解していることを把握できても、柿原が真
瀬に直接訂正した可能性を排除できないからな。無論、柿原の立場からすれば、部員の
誰かが真瀬に誤解を教えてやる可能性を考慮しなければいけないが、誤解が解かれたか
否かを確認できるのも柿原だけだろ」
「……そうなりますね」
 柿原は素直に認めた。理由は二つある。第一に、橋部の話の論理展開そのものは、さ
ほどおかしなものではない。強行に反発するのは、スイリストとしての名折れになる。
そして第二に、橋部は何らかの思惑があって、こんな方向に話を持って行ったのだと直
感したからだった。
(多分、橋部さんは二択に持ち込もうとしている……)
 そう信じて、敢えて乗る。
(そこからの決め手は、きっとアレだ)
「要するに、僕に濡れ衣を着せる筋書きの犯行が、真犯人の罠だとしたら、そんなこと
ができるのは、僕一人だってことですね?」
 時間を省くつもりで、柿原は論をまとめてみせた。果たして橋部はいかにも満足そう
に、大きく首肯した。
「話が早くていい。ハンカチの血だって、自分でやるなら目撃される危険はゼロに等し
い。レシートの黒い楕円にしても、柿原が第一発見者であるということは、裏を返す
と、柿原自身がきれいなレシートに故意に付けた可能性が残る。9番コテージの格子を
外したあと、戻したのは、片手の自分には大変な作業ですよというアピール。ああ、斧
の柄に血痕があっただけで、いきなり部長の遺体を調べようと言い出したのは、やり過
ぎ感があるな」
 橋部は目線を柿原から真瀬に移動させた。
「こんなところじゃないか、おまえの気持ちは」
「まあ……そうですね」
 真瀬は口元から顎にかけてひとなでし、考え考え、言葉をつないだ。
「他にも、たき火のトリックを使わなかったとしても、柿原には明かりを用意できた可
能性がありますし」
 予備のバッテリーの件を蒸し返す真瀬。橋部は「分かった分かった」と、首を何度も
振った。それから今度は、真瀬と柿原を除く、他の面々に向けて話し掛けた。
「どうだろう? 犯人が誰かっていう謎は、彼ら二人に絞られたんじゃないかと思うん
だが。機会や手段、それに今まで散々述べてきたロジックから、総合的に判断してな」

――続く




#1111/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  18/07/13  22:55  (  1)
魔法医ウィングル:密室が多すぎる 1   永山
★内容                                         21/03/26 12:12 修正 第5版
※都合により非公開風状態にします。




#1112/1158 ●連載    *** コメント #1111 ***
★タイトル (AZA     )  18/07/14  23:07  (  1)
魔法医ウィングル:密室が多すぎる 2   永山
★内容                                         21/03/26 12:12 修正 第3版
※都合により非公開風状態にします。




#1113/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  18/08/31  23:01  (  1)
ふるぬまや河童しみいる死体かな 1   永山
★内容                                         23/03/31 17:52 修正 第3版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#1114/1158 ●連載    *** コメント #1113 ***
★タイトル (AZA     )  18/09/01  20:08  (  1)
ふるぬまや河童しみいる死体かな 2   永山
★内容                                         23/03/31 17:53 修正 第4版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#1115/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  18/09/14  22:54  (487)
無事ドアを開けるまでが密室です <上>   永山
★内容                                         18/09/19 13:51 修正 第2版
「遅いですな」
 ごつごつした拳を所在なげに重ね直しながら、山元修(やまもとおさむ)が言った。
つぶやきと呼ぶには声が大きい。彼の目線は部屋奥の壁際に立つ柱時計を見ていたよう
だ。午前八時が近い。
「次郎様は朝寝するのが常でございますから」
 メイド兼執事の廣見郷(ひろみさと)が答える。ちょうど各人の前に飲み物を置き終
わったところで、空になったお盆を小脇に抱えている。館の主・牧瀬次郎(まきせじろ
う)の雇われ人であるのは間違いないが、年齢及び生物上の性別がよく分からない。昨
日はメイド服で出迎えてくれたが、今朝はスーツ姿(もちろん燕尾服ではない)。白い
肌のほっそりした足を見た限りでは女性っぽいのだが、肩幅が広くて背は高く、声は低
い。まあ、細かいことは気にしまい。
「それでも、客を招いておいてこれは、ちっと遅すぎじゃあないですかね」
 言外に、失礼だというニュアンスを匂わせる物言いの山元。同意を求める風に、朝食
の席をざっと眺めた。昨日の初対面時、元公務員と称したが、お役所勤めだったにして
は少々粗野な面が表立ってる。
「確かに遅い。先に食べてかまわないとか何とか、言ってくれていればともかく」
 上神楽太(かずわらくた)がお腹を片手でさすりながら呼応した。職業芸人で、この
名前は芸名である。たまにテレビ番組に出演しており、いわゆるお笑い芸人に疎い私で
も彼の顔は知っていた。年齢二十八にして声帯模写歴二十五年と謳っているが、あなが
ち嘘じゃないと思わせるレベルと言えそう。
「その点につきまして、特段の指示は受けておりませんが、通例に倣いますと、やはり
確認が必要かと」
「だったら確認取ってきてくれ。あ、いや。その上でだめだと言われたらますます腹が
立つな。一緒に行こうじゃないか。起こしてやる」
「それは――」
 廣見が答える前に、山元は蹴るように席を立った。空手の有段者と聞いているので、
本気で蹴ったら色々と壊れそうだ。歳は四十代後半といったところだろうが、まだまだ
エネルギーが有り余ってる雰囲気だ。
 山元の勢いに押されたか、先を行く彼に続いて、廣見も食堂を出て行く。ドアのとこ
ろでくるりとこちらを振り返り、頭を深く下げた。
「あの様子だと、たとえ起きてきても、一発ぐらいぶん殴りそう」
 ドアから視線を戻し、肩をすくめたのは丘野良香(おかのよしか)。舞台女優との自
己紹介だったが、私は顔も名前も見聞きしたことがなかった。見たところ歳は三十絡
み、険のある顔立ちだが整っている。
「万が一のときに止めるため、殿方がもう何名か行かれた方がいいのでは」
「空腹でしんぼうたまらんのが本音ですが、下手に騒いでつむじを曲げられても困るの
は皆一緒だし」
 丘野に応じた上神が、こちらに顔を向けてきた。
「水地さん、行きますか」
「かまいませんよ。そのいざというときに、私の腕力では、全然役に立たないでしょう
が」
 私は上神が立つのを待って、あとに続いた。
 館の主・牧瀬の自室は、食堂や客間からは少し離れた位置にある。直線距離を測るな
ら近いだろうが、細くて折れ曲がった廊下を行かねばならないため、時間を要する。一
本道とは言え、食堂から徒歩で五分はかかる。昨日、歩いたときの実感だ。
「念のため、急ぎますか」
 こちらから促すと、上神は「それもそうか」と呟いて、急に走り出した。足早にとは
思っていたが、走るつもりはなかったので面食らってしまう。それでもすぐに追い付い
た。
 最後の角を曲がったところで見通すと、先発した二人は牧瀬次郎の部屋の前に立って
いた。機嫌の悪い“主人”に追い出されたのかと思いきや、そうではないらしい。
「次郎様、次郎様」
 廣見が平板な調子ながらも声を張って呼び掛けていた。その右手は拳を作り、時折ド
アを静かにノックする。
「イヤホンかヘッドホンで音楽なんかを聴く趣味はあるのかい?」
 山元がじれったそうに足踏みをしながら、廣見に聞いた。その頃には私達もドア前に
到着していたが、黙って立ち尽くすしかない。
「ありません。ご自身のお屋敷で、ご近所様とははるかに距離があるのに、何に遠慮す
る必要がございましょう」
「理屈はいい。だったら、何で反応がないんだ?」
「さあ……」
 言い淀む廣見に代わり、私は口を挟んでみることにする。ドアノブに手をやって、確
かに施錠されていることを確認してから言った。
「呼び掛けても、起きてこないんですね? 在室は確かなんですか」
「朝早くに邸内を見回ったところ、玄関でスリッパを脱いだ痕はありませんでしたし、
靴を出した気配も同様で……」
「そもそも、今朝起きてからあなたは牧瀬氏と会ったのかな?」
「いえ、まだです。いつものことなので」
「うーん。部屋の出入り口はここだけ? 庭へ出られたり、別の部屋につながっていた
りとかは?」
 私の続けての質問に、廣見は首を横に振った。そして何か声に出して答えるつもりだ
ったようだが、私はかまわずに言葉を被せた。
「では、睡眠薬の類を服用した可能性はどうでしょう」
「それもないと思います。薬はお嫌いな方で、絶対に服まない訳ではございませんが、
眠れないからと睡眠薬を口にするようなことはないと断言できます。そもそも、この屋
敷には睡眠薬は置いてないのです。風邪薬ならございますが」
 いよいよ緊急事態か? 返事のないことを説明する状況を他に思い付かなかった私
は、何らかのアクシデント発生を想像した。が、後方から上神が些かのんきに意見を述
べた。
「もしかして、どっきりってことはないかいな?」
 上神は肥え始めた兆しのある身体をぬるりと動かし、私達の間を縫うようにして前に
出る。次いで、さっき私がやったのと同じようにドアノブをガチャガチャ言わせた。
「哀れな犠牲者が鍵を開けて入ってくるのを待ち構えているかもしれんね。どんな仕打
ちを用意してるのやら」
「どっきりだの仕打ちだの、我々が騒いでいるのを知りつつ、わざと出て来ないでいる
というのか」
 いち早く反応したのは山元。口調は荒っぽく、左の手のひらに右拳をばん、ばん、と
当て始めた。待たされている上に、そんないたずらで時間を取らされていたのだとした
ら、彼でなくとも怒りが増すだろう。
 私はなるべく穏便に事を進めようと、提案した。
「何にしても、鍵を開ければ分かることです。廣見さん、合鍵があるでしょう? 取っ
てきてくれますか」
「それが、次郎様が私用に使う部屋については、合鍵がございません。他人に開けられ
る可能性を残しておくのが嫌だと仰って、処分されてしまったのです」
「何、じゃあ、もしも急病で倒れる等していても、すぐには開けられないということで
すか」
 私の口ぶりは驚きと呆れを綯い交ぜにしたものになっていた。廣見は間髪入れずに答
えた。
「そのような場合が万が一にも起きれば、遠慮なくドアを壊して入れと言われておりま
す。出入りできるのはドアだけで、窓は高い位置に明かり取りの物が数箇所あるだけな
ので」
「それならそうしようじゃないか」
 山元が即座に主張した。有無を言わさぬ圧力がある。
「まあしょうがないんじゃない? 斧か何か持って来てよ、廣見さん」
 上神が相変わらずののんびりした声で言う。だが、廣見はこれにも首を横に振った。
「斧は昨日、山元様にお貸しした際に、持ち手が折れてしまい、使えなくなっておりま
す」
「あ、そうだった」
 額に片手を当てる山元。芝居がかった仕種は、斧を壊してしまったことの照れ隠しだ
ろうか。彼は昨日、牧瀬次郎のご機嫌取りのためか、斧を振るって薪作りに精を出して
いた。が、力が入りすぎたらしくて斧の柄を折ってしまったのだ。そのことで館の主は
怒ることはなく、薪作りについてちゃんと評価していた。
 この辺りで、我々が牧瀬次郎の館に集まった理由について、記しておこう。
 牧瀬次郎は表向き、芸術家を自称し、絵画や写真に凝っている。だが、実際の生業は
金貸しであり、ゆすり屋でもある。何らかの秘密を掴みうる立場にあり、かつ金に困っ
ている人間を見付けるところから、牧瀬の仕事はスタートする。そんな相手に金を貸し
てやり、返済が遅れたり新たに借金を申し込んできたりすると、返済を待つあるいは新
たに貸すことの交換条件として、秘密の情報を出させる。情報そのものが高く売れる場
合もあるが、それ以上にゆすりのネタとなる情報を牧瀬は好むようだ。ゆすりのネタを
掴むと、ターゲットを切り替え、金を脅し取る。相手が好みの異性であれば、金の代わ
りに絵や写真のモデルになるように要求する場合もある。
 この度、牧瀬の館に招かれたのは、この男の魔手に絡め取られた者ばかりであった。
無論、各人がどんなネタで脅されているか、牧瀬の口から具体的には言及されてはいな
い。君らは同じ立場の人間だとだけ言った。それで充分に伝わる。
 ただし、私個人に限って言えば、牧瀬と直接のつながりはない。私のある大切な人の
名誉を守るために、代理でやって来た。大切な人は既にこの世になく、彼女から代理を
頼まれた訳でもない。だが、何もせずにこまねいていると、彼女の秘密が公にされてし
まう。いきさつを知ってしまった私は、彼女の尊厳のために動くことを決意した。
 昨日、牧瀬は私達を前に宣言した。「明日以降、君らにはギャンブルで競ってもら
う。その勝負で勝ち残った者と敗者復活のゲームで勝ち残った者を除く全員の秘密を公
開するから、本気で臨んでもらいたい」と。
 何のギャンブルをするかなど詳細は今朝、発表予定。時刻の明示がなかったため、遅
れているとは言えないが、主が起きてこないのでは話が進まない。立場はこちらが弱く
ても、抗議の一つでもしてやろう……という気になっていたのだが、思わぬ事態が繰り
広げられつつあるようだ。
「他に適当な工具は?」
「大きな物はスコップぐらいです。あとは、極普通サイズの金槌やドライバー……」
 ドアの蝶番部分が廊下側に出ていれば、金槌やドライバーでそこを壊すことも可能か
もしれない。が、実際には生憎と逆向きだ。
「だったら、やむを得ん。力尽くでぶち壊してもかまわんですかな」
 指を鳴らした山元。空手の心得があるというから自信があるのだろう。その巨体でタ
ックルするだけでも、ドアを破れるかもしれない。
「先程申しました通り、次郎様の許可は出ています。山元様にお任せしますが、お怪我
をなさらないように」
「これは木材だな」
 山元は改めてノックし、言葉に出して確認を取る。
「金を持っていて、大きな屋敷に住んでる割に、意外と薄手のようだ。外見はプリント
されたシートでごまかしてあるのが分かるぞ」
 そんな風に見当を付けると、山元は我々に下がるように言った。それから彼自身の手
と足を見下ろすと、ジャケットを脱ぎに掛かった。すかさず、廣見が申し出る。
「お預かりします」
「あ、ああ。その前にハンカチを」
 ジャケットのポケットから濃いグリーンの大ぶりなハンカチを引っ張り出すと、右拳
に巻き付ける。バンテージ代わりということのようだ。ジャケットを持った廣見が再び
退いたところで、山元はドアを前に正対した。おもむろに呼吸を整え始め、長い息を吐
き、また少し戻した。かと思ったら、いきなり右拳を放っていた。
「うわっ」
 短く叫んだのは私だけじゃなかった。この場にいる山元以外の人間は、ドアをへしゃ
げさせて隙間を作るシーンを想像していたのかもしれない。だが山元は、ドアノブの近
くに突きによる打撃を一点集中させ、文字通り穴を開けた。
「これで鍵を……肝心なことを確かめ忘れていたが、内鍵は、客室と同じ位置、同じ構
造だよな?」
 右手を突っ込んだままの姿勢で、山元が肩越しに振り向く。そことは反対側に立って
いた廣見は、急ぎ足で山元の視界に入った。
「さようでございます。ノブの少し上にあるつまみを倒せば解錠されて開くはずです」
 二人のやり取りを聞きながら、私は室内の様子に注意を向けていた。できたばかりの
穴は山元の腕が差し込まれており、中は窺えない(そもそも山元の大きな背中が邪魔
だ)。しかし、これほど騒ぎ立てても、室内から牧瀬の動く気配は全く感じられなかっ
た。生きている気配、と言うべきだろうか。
「山元さん。念のため、注意してください」
「ん? 何だって?」
「これだけ音を立てて、牧瀬次郎氏は起き出すどころか、声一つ立てていません。もし
かすると……」
「急病と言いたいんだろう? だからこそこうやって開けたんじゃないか」
「いえ、そうではなく……死亡している、それも殺されている可能性があるのでは?」
「何を根拠にばかなことを言ってるんだ? ええっと、水地さん」
「強い理由はないですが、牧瀬氏に怨みを持っている人が昨日から、この屋敷に集合し
ています。誰かが思い余って殺したのかもしれないなと」
「……分かった。だが、安心してくれていい。昨晩、元公務員だと名乗ったが、実はそ
の公務員てのは警察官のことなんだよ」
「え?」
 驚く私達に、山元はにっと唇の端だけで笑って、それから鍵を開けた。錠の解かれる
乾いた音がかちゃり。
「よし、開いた。ま、念のため」
 山元は右腕を引き抜くと、半屈みになってドアの穴から中を覗く姿勢を取った。ドア
を全開にする前の安全確認という訳か。
「う?」
 山元がうめいた。警察関係者が呻き声を上げるとは、尋常ではない。
「どうしたんです? 誰かいるんですか? 牧瀬氏は?」
 矢継ぎ早の質問に直に応じる返答はなかった。代わりに、山元は急に乾いた声になっ
て言った。
「白いビニール袋が天井からぶら下がっている。サイズは大きなスイカ程度。中から人
の髪の毛みたいな物が覗いていて。半透明だから少し透けて見えるんだが、あれは人の
頭部に思える……」
 そこまで喋ると、山元は姿勢を戻し、ドアを押し開けた。山元がすぐには入らず、戸
口の前から退いた。おかげで私達にも部屋の中の様子が見えた。
 戸口のほぼ正面に、立派なデスクがあり、その椅子に腰掛けているのは男のようだ。
ようだと表現したのは、座る人間の頭部が見当たらなかったため。
 デスクとドアのちょうど中間ぐらいの地点。天井には照明器具を吊すためと思しきフ
ックがあり、片端を結わえられた虎ロープが垂れている。もう片端は白いビニール袋の
口を閉じると共に、袋自体をぶら下げる役割を果たしていた。長さは三メートル前後あ
ろうか。ビニール袋は、床から六十ないし八十センチメートルに位置している。数値が
曖昧なのは、ロープが少しばかり揺れていたから。揺れが収まると、だいたい七十セン
チだと見当付けられた。
 何よりも恐ろしいのは、買い物用と思われるその白いビニール袋越しに、目鼻が認識
できることだ。袋の口からは人毛らしき黒い髪が、トウモロコシの髭の如く飛び出てい
る。袋の中には赤っぽい液体がわずかだが溜まっているようだ。その液体がこぼれぬよ
うに用心のためか、袋の口はさらにもう一本、荷造り用のビニール紐らしき物で縛って
あり、その端が長く垂れ下がって床を掃いている。
「次郎様……?」
 不意に、自分と戸口との間に人影が。廣見郷だった。その肩をがっしり掴んだ山元
が、廣見を引き戻し、こちらを向かせる。
「主想いは感心だが、今はだめだ。あれはいたずらでも何でもなく、本物の遺体だろ
う。一見しただけでも犯罪の線が濃厚だってことは、子供にも分かる。よって警察に通
報する。君ができないのであれば代わりにやるが」
 結局、通報のための受話器は、廣見が取った。しかし、警察にはつながらなかった。
固定電話と壁のジャックをつなぐコードが、全て消えていたのだ。何者か――犯人によ
って処分されたに違いない。
「電話できないとは、まずいな」
 現場前に立って頑張っていた山元は、電話不通の知らせを受け、頭をかきむしった。
彼と一緒にいた上神は腹をさすりながら、「確かにまずい」と呟く。
「朝飯を入れないまま、街まで下るのはごめんでさあ」
 牧瀬次郎の館は、今では廃された村の奥の小高い丘に建っている。かつての地主の大
きな屋敷をそのまま購入し、改装したとのことだが、我々招待客は不便な立地に閉口さ
せられた。周囲に店はないし、公共の交通機関も通っていない。そもそも、まともな舗
装道は途中までで、野道山道を行かねばならなかった。
 恐喝者にとっては、我々にギャンブルを強制するため、逃げ出せない環境が好ましい
という訳らしい。ここまでは乗用車で連れて来られたのだが、現時点でその車は帰さ
れ、出て行くには歩くしかない。もしかすると、牧瀬が非常時に備えて、どこかに車を
隠している可能性はあるが……。そんな思いから、私は廣見を見やった。相手はコンマ
数秒で察した。
「生憎ですが、お車やバイクは用意されておりません。少なくとも、私は次郎様からこ
こにはその手の乗り物はないと聞かされておりました」
「あんたにも内緒で、車を用意しているってことはないか」
 山元が背後のドアをちらちら気にしながら、廣見に問うた。現場である部屋のドア
は、今は閉ざされている。もちろん、穴は開いたままだが。
「私は次郎様の言葉を信じております。ただ、次郎様が私に隠し事をなさらなかったと
は断言しかねます」
 どことなく悲しそうに廣見は答えた。
「じゃあ、隠せそうなとこはあるんだな?」
「いえ、皆目見当も付きません」
 山元は大きくため息を吐き出した。上神は俯きがちになり、かぶりを振った。人里ま
で歩くとなると、相当な距離がある。道中、アップダウンの激しい坂もあったのも悪い
材料になりそうだ。
「水地さん、あんたには他の連中に事態を知らせてくれって頼んだが、どうなってる」
 唐突に問われ、私は首を傾げた。
「どうと言われましても、伝えましたよ。そのあとすぐに、電話のところに行ったら、
不通だと言われて」
「そうじゃなくってだな。事態を聞いたはずの連中がここに来ないのは、何故なんだろ
うってことだ」
「そのことでしたら、私なりに判断して、待機していてくださいとお願いしたんです。
皆で押し掛けられると混乱しかねないし、山元さんが元警察の方だということでしたか
ら、お任せした方がよりよいと考えたんですが、いけませんでしたか」
「うむ。いや、ありがとう。確かにそうだ。水地さん、随分と落ち着いているように見
受けられるが、もしやそちらも警察関係か、あるいは死体に慣れた職業……医者や葬儀
屋かな?」
「いえいえ。しがない物書きってやつです。慣れているのは、事件の場に居合わせた経
験がこれまでにもあるからで」
 私が答えると、上神が恨めしげにこちらを見た。
「何だ、そうならそうと言ってくれればいいのに。山元さんと一緒に見張る役、代わっ
てもらいたかった。今ちょっと吐きそうになってるんで」
「現場周辺を汚されてはかなわんし、どうぞ行ってきてください」
 山元から促され、上神はドアの前から離れ、早足で去って行った。残った三人、私と
山元と廣見とで善後策を話し合う。
「警察に報せるために、街まで行くというのは動かしようがないとして」
 私は山元の顔色を窺いながら、一つの確認を行うことにした。
「敢えて聞きますけれども、本当にこのまま通報してもいいのでしょうか」
「どういう意味だい?」
 ついさっき、私を認めてくれるような柔和な表情を見せてくれた山元が、また険しい
顔つきに戻った。
「牧瀬氏が示唆していたのを素直に受け取ると、招待客の私達は全員、彼から脅迫され
ていた。この館には脅迫の材料が隠してあるはず。警察が来ると、それらが暴かれかね
ません。それでいいのかってことです」
「……俺は」
 間を取る山元。即答はしかねたようだ。
「俺が脅されてるネタは、元々一部の警察関係者なら知っている。それが表沙汰になら
ないようにするために、ここに足を運んだようなものだ。今さら捜査の過程で改めて警
察に知られても、大差はない」
 そう答えたものの、吹っ切れている訳ではなさそうなことは、当人の様子から伝わっ
てきた。視線が泳ぎがちで、落ち着きをなくしている。
「じゃあ、他の皆さんには犠牲になれと」
「動機に関わってくる。隠してはおけんだろうな、うん」
「――廣見さんはどうお考えですか」
 機先を制するではないが、話を三人目に振った。
「牧瀬氏の不名誉が白日の下にさらされる訳ですが」
「主従の関係にあっても、私は次郎様のしていたことを把握しておりませんでした。仮
に知っていたらどうしていたか、今となってはお答えのしようありません。ただ、死後
の主の不名誉は取り払いたいと存じます」
「不名誉って、脅迫行為に手を染めていたのは、厳然たる事実だぞ」
 呆れたように山元が指摘したが、廣見は決然と言い返した。
「どんな状況であろうとも、主をお守りするのが私の勤めです」
「ご立派な心掛けだが、それなら生前、正しい方向に導いて差し上げてほしかったね」
 皮肉を込めた言い回しをした山元。廣見は微笑らしきものを顔に浮かべ、「知らなか
ったのです。ご希望に添えられず、誠に残念です」と答えた。
「とにかくだ、名誉を守りたいってことは、今のまま警察を受け入れるつもりはないっ
てことだな?」
「先程までは、受け入れるつもりでいましたが、私、動揺していたようです」
 しれっとした返事に、山元は表情を歪めた。苦虫を噛み潰したようなを絵に描いたら
こうなるだろう。私は持ち掛けてみた。
「多数決と行きませんか?」
「屋敷にいる全員参加でか? 結果は見えてるな。尤も、俺だって多数派に回る気持ち
はゼロではない。隠し立てしても、じきに露見すると分かっているから、こうして真っ
当な意見を述べている」
「それなら、犯人を特定してから、警察に向かうというのはどうでしょう?」
「誰が犯人なのか、見当を付けたあとなら、警察も詳しく家捜ししないと思っているの
か。犯人の動機が脅迫されていたことなら、そこら中をひっくり返す可能性が大だぞ。
犯人以外の脅迫のネタも見付かるに決まってる」
「我々が自力で見つけ出し、処分すればいいんです。牧瀬氏を殺害した犯人の分のみ、
残すことにしましょう」
「そうするには、犯人特定が欠かせない、か」
 山元が急速に変節していくのが、手に取るように感じられた。気持ちが揺れているの
は明らか、と私は思った。
「執事はそれでも許せないんじゃないのか。牧瀬次郎の脅迫行為そのものは明るみに出
る」
 山元は自分で自分の決定を覆すのをよしとせず、廣見に下駄を預けた。
「皆様方が皆様方の都合で事実に手を加えるのでしたら、私も次郎様の名誉を守るため
に、事実に手を加えることを厭いません。たとえば……脅迫は不幸な思い違いであっ
た、と提案させていただきたい所存です」
 牧瀬の脅迫行為を暗に認めつつ、廣見は大胆なプランを口にした。今この場で詳しく
聞こうとは思わない。要は、牧瀬がある人物A(犯人)のプライベートな情報をたまた
ま得て、Aはその事実を知って、立場が弱くなるとの思い込みから牧瀬を殺した、とい
う風な筋書きであろう。
「しょうがねえな」
 山元は吐き捨てるように言った。些か芝居めいている。
「だったら、犯人を特定しようじゃないか。だが、期限は設けないとな。通報が遅れた
言い訳が立つのは、一日か二日か……」
 それ以上の遅れが難しいのは、容易に想像できた。警察へ知らせるために実際に行動
するのを三日以上も先延ばしにしては、そのこと自体が我々への疑いを招く火種になり
かねない。
「これから他の方達を説得するのに時間を要するかもしれません。だから、明後日の
昼、せめて朝までは猶予を」
 廣見の率直な意見。私は乗った。そして二人して、山元の顔を見る。
「ふん。どうせ最終的には多数決だろう。俺に決定権があるのなら、今の案に同意して
おこう。他言無用の約束を守り通すと誓ってもらうがな」
 何はともあれ、言質は取れた。この場にいない人達からも、了解を取らねばならない
が、さほど苦労はしまい。全員、脅迫のネタを警察にすら知られたくないはずだ。

 吐き気の治まった上神も加えて、全員が食堂に揃った。食事をしながらする話題では
ないし、かといって、聞いたあとでは食欲が著しく減じるかもしれない。迷うところだ
が、ここはすぐさま状況説明が始められた。
 牧瀬次郎の死について私が先に知らせておいた分、ショックは小さいだろうが、それ
が恐らく他殺であることや頭部が切断され、天井からビニール袋に入れられて吊されて
いたことなど、詳細が語られると、食堂内には重い静けさが下りた。
 その空気を破ったのは、電話のコードが始末され、警察への通報ができず、さらに犯
人特定のために警察へ知らせるのを遅らせるという提案がなされた段階だった。
 何のために?という当然の疑問が出され、脅迫の材料を独自に処分するためだという
答を示すと、大部分はとりあえずの納得を見せた。全員揃っての賛同を得られるのも間
近だと感じた矢先、一人の女性が手を挙げた。
「基本的には賛成してもよいかと思いましたが」
 中井江美香。昨日の自己紹介では、ありとあらゆるデザインを手掛けるデザイナーと
言っていた。実際、有名人らしい。他の女性招待客が反応を示していた。女性の年齢は
分かりにくいことが多いと実体験から思うのだが、中井は若作りをした五十前後だろ
う。今もきれいに着飾っているが、目元だけは自信がないのか、薄茶色のサングラスを
掛けたままだ。
「そこまで捜査妨害を厭わないのでしたら――元警察関係者の前で言うのはあれですけ
ど――」
 中井に一瞥された山元は、咎め立てせず、先を続けるように顎を振って促した。
「――いっそのこと、犯人の方を匿えばいいじゃありません? ここにいる全員で事件
を別の形にしてしまえば、架空の犯人をでっち上げるのは案外容易だと想像しますけれ
ど」
「それもそうだわ」
 素早い賛同を示したのは、安島春子。花に纏わる商品のメーカーで営業社員をやって
いると聞いた。外見からの印象は、三十代半ば、ドラマのキャスティングなら営業より
も事務が向いていそうな地味なイメージ。団子にしたヘアスタイルを飾る髪留めが、唯
一お洒落らしいお洒落。ただし、口を開けばかなりのお喋りで、人見知りしない性格だ
としれる。
「みんなあいつから脅されていたのでしょう? 裏を返せば、みんなあいつに死んで欲
しかった。殺してくれた人は、言ってしまえば……英雄?」
 さすがに最後の部分は言い淀んだが、主張できてすっきりしたような、晴れ晴れとし
た顔になっている。
 それはさておき、中井からの提案だ。私は予想しないでもなかったが、明確に口にす
ることは躊躇われるだろうと見なして、計算に入れていなかった。心情的には牧瀬殺害
犯を英雄だと認めてやりたいが、現実を思うと難しい。この殺人事件の周辺を多少ねじ
曲げるくらいならかまわずにやるが、殺人犯の片棒を担ぐような真似はしない。最後の
一線として守るべきラインじゃないだろうか。
 と、自分自身の考えは固まっていたが、おいそれと表明するのはやめておく。まずは
様子見だ。
 他の人達の反応は――。
 芸人の上神は、分かり易く「それもナイスかもしれんわな」と呟いた。本心か否かは
“当人のみぞ知る”だが、表情を見た限りでは真剣である。
 女優の丘野はいかにも女優らしいと評してよいのかどうか、普段の表情・態度を保っ
ている。特に何か言うでなし、迷ったり苛立ったりといった仕種も垣間見られない。私
のように様子見をしているのですらない風だ。
 彼女と似ているのが廣見郷。尤も、演技かどうかなどではなく、求められるまでは意
見を述べないと決め込んでいると見受けられた。言ってみれば職務に忠実で、今から朝
食を並べてくれと頼めばやってくれる気配を纏っている。
 最後に残る一人で、そして影響力が一番大きそうな山元はというと、腕を組み、片手
で顎を撫でていた。意外にも冷静に受け止め、頭の中で検討しているのだろうか。ある
種の、毒を食らわば皿までといった心境なのかもしれない。
「仮に、そちらの提案を入れて、偽装計画を練るとしてだ」
 山元は中井を短く指差した。
「何者を犯人に仕立てるんだ? こんな廃村の屋敷、我々以外に訪ねてくるような奴
は、まともじゃないだろうよ。泥棒か不法投棄者か、へんぴな土地に来たがる物好き
か」
「お待ちください、山元さん。私の提案には条件があるのです」
「ん?」
 中井が存外、強い調子で始めたので、山元は一瞬気圧された様子だった。
「皆で匿うと決まったとしたら、牧瀬次郎を亡き者にした犯人には、名乗り出ていただ
きたいのです」
 室内がざわめきで一気に満たされた。
「そりゃまた高いハードルの条件だ」
「承知の上です。それくらい信頼してもらわねば、匿えないと言いたいのですよ」
 当然の口ぶりの中井だが……これは受け入れられまい。
 牧瀬に恐喝されてきた者が、意を決して犯した殺人。それを認めて名乗り出ること
は、たとえ英雄視されていようが、第三者に新たな強請の材料を提供するに等しい。被
恐喝者として同じ立場であっても、信じ切れるはずがない。
 案の定、反対の声が上がった。一分ほどかしましい状態が続き、やや鎮まったところ
で、廣見が中井に尋ねた。
「私はどなたが次郎様の命を奪ったのか、是が非でも知りたい。理由は言わずもがなで
しょう。中井様は知りたい理由がございますか。信頼を築くという以外に」
「強いて言うなら、身を守るためになるかしら。皆で架空の犯人を仕立てて、真犯人を
知らないままでは、いつどんなきっかけで口封じされるか、分かったものじゃないでし
ょう」
 正体を知っていれば対処のしようもあるという理屈か。なるほど、分からなくはな
い。だが、そこまで言ってしまっては、殺人犯が最早名乗るはずがない気もする。
「どうやら中井さんの案を検討しても、膠着状態に陥るだけのようだ」
 山元が発言した。やはり元警察官というのは大きい。全員、静かに聞く。
「最初の案の通り、犯人を割り出すのがよさそうだ。首尾よく特定できたときは、その
あと処遇を決めればいいんじゃないか。犯人の事情というのも聞いた上で判断を下して
も、遅くはあるまい」
 彼の一声で方針は決定した。
 捜査をするとなると、山元を除く我々は素人だが、だからといって彼だけに任せる訳
にはいかない。山元自身が犯人である可能性も考慮せねばならない。
「殺人事件に遭遇したことがあると言っていたっけ。水地さん、あんたにサポートを頼
もうかな」
 とんだことで見込まれたけれども、一人では無理だと断った。荷が重い。結局、希望
者は全員、現場である牧瀬次郎の部屋を見ることができるとなった。ただし、単独では
だめで、現場に入るときは常に三人以上か、少なくとも山元が同行するとの決まりを作
った。
 といっても、最初の現場検証は誰もが気になるのは当たり前。全員が立ち会う。な
お、不用意に指紋を残さぬよう、全員が廣見郷の用意した手袋を装着済みである。さす
がに同じ物を七人分揃えるのは無理だったようで、ラテックス製の薄手のやつと軍手と
が入り混じっている。
「最初は、俺と水地さん、廣見さんの三人で調べるとしよう。他の人は廊下に」
 山元の方針に従う。彼が急いでいるのは、死体現象の変化を気にしてのことに違いな
い。それにもう一つ、気になっている物が恐らくある。
「廣見さんに聞きたいんだが、この部屋の鍵がどこにあるのか、見当はつくかね?」
「次郎様がどこに鍵を保管していたかということですね? 身に付けておかねば不便で
すから、衣服のポケット等に入れていましたが」
「やはりそうか。済まないが廣見さん、あんたに遺体の服を調べてもらいたい」
「かまいませんが……山元様が手ずからやるというのではいけないのですか」
「そうだな。ここいらで明確にしておくとするか。警察にいた頃、こんなことを言い出
したら噴飯ものだったが、牧瀬氏殺害の現場は密室だった可能性がある」
 山元の発言に驚く者はいなかった。皆、うっすらとではあるが想像していたようだ。
「部屋の唯一の出入り口であるドアは施錠され、鍵は一本しかない。その鍵が部屋の中
にまだあるのなら、遺憾ながら密室殺人だってことになる。確認のため、鍵を探す必要
があるが、その役は客の誰かがやるより、あんたが適役だろう。主従関係がうまく行っ
ていたかどうかは知らないが、一応、動機が見当たらないのはあんただけだし、鍵が一
本しかないというあんたの話を信じざるを得ない状況だからな。無論、最初にあんたを
身体検査させてもらうが」
 山元は、古典的な密室トリックを想定しているのだろう。犯行後、鍵を使って施錠
し、今こうして密室が破られて室内に入ってから密かに鍵を戻す――この方法を封じる
ため、鍵を探す役を一人に絞り、その一人の手元等をチェックする。
「――分かりました」
 ほんの少し不機嫌そうになりつつも、廣見は応じた。どうやら「主従関係がうまく行
っていたかどうかは知らない」云々と言われたことが、引っ掛かっているようだ。
 廣見の性別が分かっているのかどうか、山元は身体検査役に女性陣の中から安島を指
名した。思った以上に念入りなボディチェックの結果、OKが出た。さらに山元が改め
て廣見の手元や袖口を調べた上で、鍵探しがスタートする。その間も山元を始め、みん
なの目があるので、廣見が何らかの細工を施すのは不可能と断言できる。
 十数分後、牧瀬次郎の遺体は鍵を身に付けていないとの結論が出た。
「密室殺人ではないということですね」
 ほっとした響きの声を漏らしたのは、しばらく大人しかった上神。それでもまだ死体
に慣れないらしく、一番遠くから眺めているだけだ。
「密室殺人だったら、トリックを解かなければならないだろうから、面倒が一つ減った
ってところか。念のため、あとでお互いの身体検査をして、鍵を持っていないか調べる
必要も出て来たかもしれん」
 山元の呟きに、安島が過敏に反応する。
「どうして? 証拠になるような鍵を、いつまでも持ってる訳ないじゃない。どこかに
捨ててあるわ、きっと」
「その可能性が高いとは思うが、いざとなったら調べざるを得ない。今の内にその予告
をしてるんだよ、お嬢さん」
 山元は余裕の笑みを覗かせた。想像するに、彼の今の台詞には、犯人がもしもまだ鍵
を身に付けているのであれば、鍵を捨てる行動を取らせようという狙いがあるのではな
いか。できればそこを押さえて犯人特定につなげたい腹だろう。
 それはともかく、お嬢さんと呼ばれて喜んだのかどうか、安島は静かになった。代わ
って中井が異を唱える。
「問題の鍵を、被害者が身に付けているとは限らないのでは? 部屋のどこかに置いて
あるかもしれない」
「もちろんだ。これから調べていくが、先に済ませておきたいのは、この……物理的に
も心理的にも目障りなこれだ」
 山元は天井のフックからぶら下がる袋を指差した。頭部が入れられている買い物袋を
どう扱うのか、私も気になっていた。現場保存の鉄則から言うとそのままにしておくべ
きだが、殺されたのが間違いなく牧瀬次郎なのかの確認も含めて、中を調べる必要があ
るのも確かだ。

――続く




#1116/1158 ●連載    *** コメント #1115 ***
★タイトル (AZA     )  18/09/15  22:09  (465)
無事ドアを開けるまでが密室です <中>   永山
★内容                                         18/09/19 13:53 修正 第2版
「中を見てみるつもりだが、不慣れな人には刺激が強烈に過ぎると思う。俺が一人で見
るのもルールからはみ出すんで、今度こそ水地さんに付き合ってもらいましょうかね」
 不気味と表現したい笑みを向けられ、私は不承々々頷いた。
「私は飽くまで、山元さんの動作を監視するだけですよ。引き受けるからには厳しくや
りますけどね。先程の中井さんの言葉を借りれば、その袋の中に鍵が入っているかもし
れません。そう見せ掛けるために、山元さんが今まさに袋に鍵を入れようとしているの
かもしれない」
「頼もしい」
 山元は両手を広げて、私の方に見せた。指の間に何かが挟まっているということはな
い。袖については、とうにまくり上げてある。
「よろしいかな」
「はい、手は。失礼ですが、口の中も見せてください」
「ふむ、なるほどな。口に含んでおいた鍵を、隙を見て袋の中に落とすって方法か。あ
とで科学捜査に掛けたら、唾液だらけでばればれだが、悪くはない」
 私の考えを見事に読み取った山元は、素直に口を大きく開いた。中には鍵はもちろん
のこと、異物は何らなかった。
「それではやるぞ」
 吊り下げられた状態のまま、袋に手を掛けた山元。縛られた袋の口を緩め、上から覗
き込む。髪の毛を掴んで、中の物体を傾けた。瞬間、息を飲む様子が伝わってきた。
「――牧瀬次郎に間違いない。それに、これは……水地さん、とりあえず見てくれ。で
きれば廣見さんにも」
 私は山元に倣って、上から袋を覗いてみた。牧瀬次郎と思しき人の顔が分かる。山元
が今問題にしているのが何か、すぐに理解した。遺体の口元に鍵が押し込んであるの
だ。
 続いて覗き込んだ廣見は絶句した。取り乱しはしないが、ショックを受けているのが
傍目にも分かる。声がもし演技だとしたら、丘野といい勝負になるのではないか。
「残念ながら、密室殺人のようだ」
 山元の判断に、私は待ったを掛ける。
「え、あ、いや、念には念を入れて、あの鍵が本当にここの鍵か否か、確かめなければ
いけないのでは」
「おお、そうだ。廣見さん、見て分かるかな? 同じ鍵かどうか」
「……難しいですね。同じ物のように見えますが」
「試すのが早い」
 外野から声が飛んだ。丘野だった。振り返ると、彼女は廊下側から壁に手をついても
たれかかり、やや疲労気味のようだ。ポーカーフェイスも実際の死体を前にして、崩れ
かけていると言ったところかもしれない。
「確かに。俺がやるしかないか」
 山元は再度、両手を裏表ともしっかり私達に見せ、それから右手をゆっくりと袋の中
に入れた。人差し指と中指とで鍵を摘まみ取ると、それを皆から見えるように掲げる感
じで持つ。血餅を含んだ体液で汚れていたため、山元は廣見にちり紙を所望した。執事
のたしなみなのか、すぐにティッシュが渡された。それを受け取ると、山元は鍵を包む
ようにして汚れを吸い取らせた。完全にきれいになった訳ではないが、後々の指紋採取
を考えると、これが精一杯だろう。用済みになったティッシュは、廣見が引き受けた。
「では」
 みんなから見える状態のまま鍵を持って、ドアまで来た。山元が廊下側に回り、鍵穴
に鍵を差し込む。スムーズに入った。次いで回す。これまた滑らかな動きで、芯棒がス
ライドするのが分かった。
「この部屋の鍵だ。古びた感じは、コピーされた合鍵って風でもないが廣見さん、どう
だろうな?」
「……次郎様が身に付けていた鍵に相違ありません」
 廣見の証言により、密室殺人であることが確定した。

「いつ死んだのかとか、どうして死んだのかといったことは、分かりそうにないんです
か?」
 何人かから希望が出て、一時休憩に入っていた。全員揃って食道にいる。それでも犯
行現場のドアには、ガムテープを何本か渡して張り巡らせ、簡単には出入りできないよ
うにしておいた。
「残念だが、正確なところは無理です」
 安島の質問に、山元が答える。
「経験から推定するのであれば、死後……長く見積もって十時間、短くて二、三時間経
っている。死因は後頭部に二箇所、大きな傷を見付けたんだが、あれが死につながった
かどうかは分からない」
「発見したときから遡って十時間というと、昨夜の九時から十時にかけてですか。その
時分なら、まだ生きている牧瀬次郎氏を見た人がいるんじゃないでしょうか」
 私はお茶が冷めるのを待ちつつ、聞いてみた。
「だったら自分かな」
 反応したのは上神。だいぶ顔色がよくなり、声も快活だ。
「夜十一時ぐらいだったと思うけれど、あの部屋に牧瀬氏を訪ねたんよ」
「一人で?」
 山元が鋭い語調で聞いた。上神は慌てたように首を左右に振った。
「いやいや、怖いな。二人でしたよ。夜遅くに行っても相手にしてもらえんかもしれな
い。だから廣見さんにつないでもらって」
 上神の目線を受け、廣見が黙って頷いた。この場では執事も着席して、お茶を飲んで
いる。
「あらら。何か具体的に証言してちょうだいよ、廣見さん」
 おどけた調子で芸人から求められ、廣見はまた頷いた。
「あれは確かに午後十一時頃でございました。正確には三分ばかり過ぎていたと記憶し
ています。上神様と一緒に次郎様の部屋の前まで行き、私がお声がけをしました。上神
様の用件を伝えたところ、『今日はもう眠い。明日だ』と返事が。普段でしたら、日付
が変わるぐらいまでは起きておられるのですが」
「結局、断られたって訳か。用件てのは?」
 山元の尋問口調に、上神は身震いのポーズをしてみせた。
「取引を持ち掛けようと考えたんですよ。私はギャンブルは好きだが、下手の横好きっ
て奴で、今日予定されていたギャンブル勝負も勝てる気がしない。で、他の芸人のネタ
を教えるから、自分は金輪際見逃してくれとね」
「何て奴だ」
 軽蔑する風に吐き捨てた山元。これにはさすがにかちんと来たのか、上神が反駁す
る。
「昨日薪割りをやってごまをすってた人に言われたくないんですがね」
「あれは屋敷の内外を調べて回ってたんだよ」
 即座に言い返す山元。それにしても調べていたとは?
「どこかに恐喝以外の悪事の証拠がないかと思ってね。色々見て回ったが、何も出て来
なかった」
「そんなことをなさっていたんですか」
 廣見が驚きを露わにした。
「ちゃんと薪の山ができていたのに、信じられません」
 薪は非常時に備えての物で、ストックはいくらあってもいいとのことだった。薪小屋
は屋敷から少々離れたところにあるため、そこでの音はほとんど届かない。秘密の隠し
場所としてはうってつけと推測してもおかしくない。
「あれは短時間で急いでやった。無理をしたせいで、斧が壊れてしまったんだ。悪いこ
とをした」
 頭を下げる山元に、廣見は「それはかまわないのですが」と受けて、続けた。
「もしも――そんなことはないのですが、もしも次郎様の他の不法行為を掴めたとし
て、あなたはどうなさるつもりだったのです?」
「具体的には考えていなかった。交渉になったとき、有利に運べるかなと思ったまで
だ」
「そういえば、斧はどうなったんですか」
 ふと気になったという体で、中井が発言した。山元も把握していない様子で、廣見へ
と顔を向けた。
「柄が折れて使い物にならなくなったので、物置に仕舞いました」
「そう。だったら、牧瀬氏の遺体を傷付けたのは、斧ではないのね」
 ああ、なるほど。そこも攻め手の一つになるかもしれない。斧以外に使える道具――
凶器が屋敷内にはあるに違いないが、その在処を知らなければ遺体の頭部を切断するな
んて手間の掛かる行為はやるまいという考え方だ。道具を探すだけで時間を食ってしま
う。
 みんなの視線が再度、廣見に注がれた。
「残念ですが、特大サイズと言っていい肉切り包丁が、厨房にございます。刃物を求め
てキッチンというのは誰もが容易に連想するでしょう」
「そうか。ともかく、その肉切り包丁の状態を見ておきたい。犯行に使われたのなら、
痕跡が見付かるかもしれん」
 休憩を切り上げ、隣接する厨房に向かう。まだ全員、気力は萎えていないらしく、重
い足取りながらもぞろぞろと付き従った。
 調べた結果、肉切り包丁は廣見の言葉を借りれば特大サイズの物が二本、仕舞ってあ
った。血痕などは見当たらなかったものの、洗われたのか水で濡れており、使われた可
能性が高い。
「廣見さんが最後にこれを使ったのはいつ?」
「四日前に、次郎様への夕食で」
「そのとき洗ってから、こんなに濡れている訳はないわね」
 といったやり取りがなされるのを聞いて、私はまた新たな疑問が浮かんできた。タイ
ミングを計って、声に出してみる。
「犯人は何のために、被害者の頭部を切断したんでしょう?」
「そりゃあ、怨みじゃない?」
 間髪入れずに安島の答。私はまだ疑問の全てを言ってなかったので、補足した。
「怨みから必要以上に相手を損壊し、頭部をさらすというのは理解できなくもない。で
も、それと密室とがそぐわないんですよね」
「つまり、首の切断イコール明らかに他殺ってことになるのに、現場が密室状態なのは
おかしい、相反すると言いたい訳だ」
 上神が一気に捲し立てた。この男、血や死体に弱いだけで、本来は頭の回転が早いよ
うだ。
「恐らく」
 山元が考え考え、述べる。
「犯人は深い意図なしに密室殺人をやったか、もしくは当初は非他殺――自殺や事故死
に見せ掛けるつもりだったのが、相手の抵抗に遭ってそれが不可能になった。やむを得
ず、他殺になってしまったんじゃないか」
「前者は議論の余地がありませんが、後者はうーん、どうでしょう? 自殺や事故死に
見せ掛けるのが不可能になったとしても、頭部を切断することはないし、密室にする必
要もない」
「……あんたの言う通りだ。分からんな」
 あっさり認めた山元は、頭をがりがりと掻いた。

 食堂に戻り、お茶の残りを平らげてから、現場での検証を再開しようかという流れが
あった。が、動き出す前に丘野が切り出した。
「私、少々疲れてきました。次の検証には立ち会えそうには……」
「一向にかまいませんよ」
「ですが、一つ、思い浮かんがことがあるので、皆さん、聞いてもらえる?」
「え? ええ、いいでしょう」
 腰を浮かせていた山元が座り直し、丘野の話を聞く姿勢になる。もちろん、私達他の
者も同じようにする。
「凄く、怖いんですが……怖いというのは、事件のことではなく、他人を犯人扱いする
ことに対してなんですが、間違っていても許してもらえます?」
「ちょっと、何を言ってるんです、丘野さん? もしや、これから推理を話そうと言う
んじゃないでしょうな」
「そのまさかです。推理と呼べるほどのものじゃなく、証拠もない、思い付きですが、
皆さんで検討してもらえれば私も安心できる気がして」
 比較的険しい顔立ちの丘野が気怠そうに言う様は、病人の訴えに似ていて、誰もが大
人しく聞く他にない空気を作り出した。
「まあ、公的な場ではないし、的外れであっても不問にしますよ。名指しされた人だっ
て、簡単に認めるとは思えませんがね」
 その通り。いくら英雄的存在であったとしても、だ。
「当然、反論は聞きます。ただ、怒って腕力に出られるのだけはなしという保障が欲し
かったので」
 やけに慎重な丘野。彼女のそんな言動を目の当たりにしていると、過去に暴力沙汰の
被害者になった経験があるのかと勘繰りたくなる。
「それでは始めますけど……思い浮かんだのは、ある人の特技です。上神さん」
 いきなり名前を挙げた丘野。呼ばれた当人は、椅子の上で飛び跳ねたようなリアクシ
ョンをした。
「ほえ、私めですか?」
 自らを指差す上神に、丘野は首をゆっくりと縦に振った。二人の間は五メートルばか
り離れている。が、間に座る者――私だ――の身にもなって欲しい。
「テレビで見た上神さんの特技、お見事でした。男性の声ならコピーするのは簡単だと
も言ってましたよね」
「あ、あれは女の人と比べて簡単というだけで。それよりも、声帯模写のテクニック
が、この殺人事件と関係あるんで?」
「昨晩十一時頃に牧瀬次郎の部屋を訪れたが、ドアは開けられることなく、訪問を拒絶
する返事があったんですよね?」
「そうですよ。廣見さんが証人だ」
「もしかして、そのときすでに牧瀬は死んでいて、聞こえてきた声は、あなたが出した
ものまねだったのでは?」
「はあ? 何を馬鹿な」
「ドア越しに聞こえてきたような感じで声を出すこと、できますでしょ? 廣見さんに
それを聞かせて、そのときはまだ牧瀬が生存していたという証言をしてもらう狙いだっ
た。違いますか」
「違うも何も、何のメリットがあって、そんなことをしなくちゃならんのよ?」
 困惑が顕著な上神。だが、芸人の彼は演技もある程度はできるだろう。額面通りには
受け取れない。
「アリバイ作りです」
「は? アリバイって、死亡推定時刻が分からないのに、アリバイ作りをする意味がな
いですよ。分かってますか、丘野さん?」
「そこは目算が狂ったんだと。本当なら遺体が見つかったあと、すぐさま街まで下りて
いくはずだった。そうしていたらなら、警察が来て死亡推定時刻が出たでしょう。とこ
ろが現実はおかしな方向に話が進んで、今に至っている。アリバイ作りをしたのに効果
を発揮する状況が失われた。違いますでしょうか」
「ちょっと待った。警察に早く駆け込みたいのなら、犯人が電話のコードをいじる訳な
いじゃありませんかね」
「そこが巧妙なところです。あまり早く警察が来て検死されると、死亡推定時刻が正確
に、短い間隔で出されてしまう。昨日の午後十一時よりも前と出たらぶち壊し。それを
避けるために、電話を使えなくして、歩いて知らせに行くしかない状況を作り上げた。
こうすれば、警察への通報も遅れて、死亡推定時刻の誤差も広がるはず」
「想像力が豊かすぎるよ、あんた」
 かぶりを振った上神。突然のことに、有効な反論を思い付けないでいるように見え
た。
「なかなかユニークだが、その説には無理があるな、丘野さん」
 山元が潮時と見たのか、割って入った。
「どこがですか」
「通報を遅らすことで、死亡推定時刻がたとえば午後十時からの三時間と出たと仮定し
ますよ。そこへ廣見さんと上神さんが『午後十一時までは被害者は生きていた』と証言
することで、死亡推定時刻がまあ、午後十一時半から日付変わって午前一時までにしぼ
られたとしましょうか。ではこの時間帯に、上神さんに明確なアリバイが果たしてあっ
たかどうか」
「それは……男の人同士で何か話し込んでいたとか、あるんじゃ?」
「自分にはない。宛がわれた部屋に一人で籠もっていたからな。水地さんは?」
「私も部屋で一人でした」
 念には念を入れて、丘野以外の女性陣にも同じ質問がされたが、上神のアリバイを証
言する・できる者はいなかった。
「最後に上神さん自身にも聞こうか。アリバイを主張するかね?」
「言えるのは、部屋に一人でいたってことだけでさあ」
 主張すべき確実なアリバイのないことが、丘野の推理を否定する結果になった。
「どうだろう、丘野さん」
 山元に言われた丘野は、立ち上がって上神に頭を深く下げた。
「すみません。思い付きで物を言って、間違っていました」
「かまいやしません。ただ、一つだけ嫌味を言わせてもらいますと、こっちに向けてき
たさっきの推理、丘野さん自身にも当てはまるんじゃないかなと思うのですが、いかが
ですかね」
 鷹揚に許していた上神は、台詞の最後に来てにやっと笑った。彼の言葉の意味を丘野
が咀嚼するのは案外早かった。
「それは、私が俳優だから、声の真似もできるのでは?という意味ですか」
「ええ、ええ。ただ、さっきの説では私が廣見さんを証人にドアの外で牧瀬氏の声を出
したことになってましたが、あなたがやるとしたら室内にいたことになるかな。あなた
が牧瀬氏を彼の部屋で殺したちょうどそのタイミングで、この芸人と廣見さんとが連れ
立ってやって来た。呼び掛けられて焦ったあなたは、咄嗟にものまねで対応した。ドア
越しの声なんてはっきり聞き取れやしないし、低めて言えば女性だって男っぽい声にな
る。喋った量もたいしたことなかったし。とまあ、こう考えれば、あなたが犯人だとい
う可能性がクロースアップされる訳ですよ、わはは」
 当然ジョークで言っているのだろうが、なかなかきつい言い種ではある。現在の丘野
にとって、甘んじて受けるしかないだろう。が、真相とは関係なさそうなところで波風
を立てられるのは好ましくない。
「まあまあ、最初にも山元さんが言ったように、間違えても不問でしょ。丘野さんは素
人なんだから、仕方ないわよねえ。上神さんもさすが芸人よね。ブラックジョークまで
得意だとは知らなかったわ」
 安島が取りなす。明るい話しぶりが、重苦しくなった空気をやや回復させた。ところ
が。
「ついでだから、他に疑いを抱いてる人がいれば、今聞いておくというのはどうです
か」
 中井が言った。折角収まり掛けているというのに、燃料を投下することにつながりか
ねない。
「でしたら私が」
 意外にも、挙手したのは廣見だった。
「誰が犯人かなどと申すつもりはございません。密室についてあることが引っ掛かって
いたと言いますか閃いたので、聞いてもらいたいと思った次第です」
 他の者に容疑を掛けるというのでないなら、まあいいか。山元が無言で頷いたのを合
図に、廣見が話を始める。
「皆様ご承知と思います、次郎様が亡くなられているのを発見したとき、私も居合わせ
ました。その際の記憶を手繰りまするに、一つの光景が焼き付けられたみたいに印象に
残っています。それはドアが開けられた瞬間、ゆらゆらと小さくではありますが揺らめ
いている買い物袋の様子です。最初、私はドアを開けた勢いで風が起き、袋が揺れたの
だと思っていました。無意識に、疑いもなく受け入れていたと言えましょうか。でも、
少し考えてみて、違和感を覚えたのです。人の頭部は恐らくスイカの大玉くらいの重さ
は充分にあると思います。そのような重さの物を入れた袋が、ドアの起こした風くらい
で揺らめくでしょうか。とても信じられません」
 明快な疑問の提示に、ほとんどの者が言われてみればそうだという風に首肯してい
る。私は山元の反応に注目した。
「なるほどなあ。今言ったようなことを、俺も記憶している。確かに不自然だ。して、
それに対する結論は? 密室とどうつながるんだ?」
 早く知りたいとばかりに、身を乗り出していた。警察官は密室のようないかにもトリ
ックめいた謎が苦手だということだろうか。
「うまく説明できるかどうか分かりませんが、こう考えました。次郎様の部屋に限ら
ず、この屋敷の居室のドアは全て、外からは鍵によりロックされますが、内からはつま
みを倒すことでなります。次郎様を亡き者にした犯人は、外に居ながらにして内側のつ
まみを倒すことで施錠したのではないかと」
「もっと具体的に」
「犯人は次郎様の頭部を切断して、部屋の鍵と共に袋に入れて吊したあと、あの垂れ下
がったビニール紐を持って、廊下に出ます。続いて、ドアをなるべく閉めた状態にして
から、ノブ上のつまみにビニール紐を絡ませるのです。それからドアを思い切り強く閉
めれば、勢いでつまみは倒れるのではないでしょうか」
「……実験してみないと何とも言えないが……」
 どう評価しようか、迷っている様子の山元。
「俺がドアを開けたときも、まだ揺れが残っていたってことは、犯行から時間がほとん
ど経っていなかったってことになるのかな?」
「そうかもしれませんし、違うかもしれません」
「どっちなんだ」
「可能性について私見を述べるとしたら、犯行後間もなかったという可能性の方が低い
と推量します。よりあり得そうなのは、ビニール紐がつまみを倒したあとも完全にはほ
どけず、つまみに絡まったままだった可能性ではないかと」
「開けたときはほどけていたが……ああ、そうか。俺がドアを思い切り殴ったからか」
 山元が手のひらを叩いた。
「ドアを激しく殴った衝撃で、ビニール紐がつまみからほどけ、揺れ始めた。てことは
揺れも最初は強かったはずだが、死体に気を取られていたせいか、あるいは角度の問題
か、ドアにできた穴から見る分には気が付かなかったな」
 私もあの瞬間を思い出そうと努めてみた。買い物袋の揺れは……、判然としない。反
面、無理に思い起こしても、偽りの記憶に置き換わる恐れがある。やめておく。
「仮に密室トリックが当たりだとしても、犯人の特定や絞り込みにつながらない。とな
ると、やれるのは実際に試すことだが」
 席を立っていた山元は廣見に身体を向けた。
「本当の遺体を使う訳には行かない。できれば場所も違う部屋にして、同じ状況を再現
したいのだが」
「お任せください。どうとでなります。次郎様を殺めた犯人を突き止めるためなら、力
を尽くしましょう」
 胸を叩いて請け負うポーズをした廣見。これだけ見ると力強い男性そのものだ。それ
だけ意気込みもまた強いという証かもしれない。

 だが、そんな意気込みとは裏腹に、実験は失敗に終わった。
 同じサイズの部屋で、天井の同じ位置にフックを新たに取り付け、屋内の物置から虎
ロープとビニール紐を調達し、それらと石を詰めた買い物袋とで仕掛けを作り、実験に
臨んだのだが、ビニール紐はつまみから外れなかった。ドアとつまみの接合部に隙間が
あるため、そこに紐を絡めたら取れない。かといってつまみの部分のみに紐を絡めてや
ると、摩擦が足りないらしく、つまみを倒せないまま、紐が離れてしまう。
 万が一、山元の拳を超えるパワーが衝撃がドアに与えられ、何らかの偶然でつまみが
倒れた上で紐が外れたとしよう。すると今度は、振り子と化す買い物袋の動きが想像以
上に激しく揺れる。私や山元ら第一発見者全員がその動きに注意が向くに違いない。な
のに実際は、さほど気に留めていない。これらの実験結果から推して、廣見の考えたト
リックでは密室を作れないと言えよう。
「振り出しに戻る、ですか」
 落胆する廣見を山元が元気づける。
「振り出しよりは進展している。少なくとも、密室トリックはこの方法ではないと分か
った」
 実験とその準備に手間が掛かったおかげで、時間がだいぶ潰れた。遅い昼食を摂った
あと、また現場検証に取り掛かる算段になった。
 ただ、牧瀬殺しの犯人を特定する以上に、自身の脅迫の材料を見付けたいという方に
気持ちが傾く者も現れていた。中井、丘野、安島の女性達だ。
「早めに探し始めないと、警察が来るまでに見付けられないかもしれない。隠し場所と
して一番可能性が高いのは、あの部屋でしょう?」
「気持ちは分かるが、だからといって、殺しの現場を荒らすのは困る」
 山元が至極真っ当な主張をし、彼女らの希望を退ける。妥協案として、他の場所を探
すのは自由、ただし廣見の同行が義務づけられることになった。また、自分以外の恐喝
ネタを発見したときは、速やかに知らせることも決められた。
「という訳で、上神さん。苦手かもしれんが、一緒に動いてもらいましょうか」
「しょうがないなぁ」
 山元と私だけで捜査する訳にも行かず、上神が引っ張り出される格好になった。互い
に監視し合うぐらいの方が、不正を防ぐ意味でいいだろう。
「でも、何から手を着けるんです? 遺体と怖い演出と密室それぞれは一応、見たこと
になる訳で」
「家捜しだな。彼女らに申し訳ない気もするが、殺人に直接関係する何かが出て来るか
もしれん」
 山元は不器用なウィンクをした。
「無論、恐喝の材料らしき物が見付かったら、選り分けて保管しておく」
「脅迫のネタそのものが、殺しに直に関係していたら厄介ですね」
 何気なく言ったのだが、上神が食いついてきた。
「へ? 脅迫のネタが殺しに直にって、どういう状況よ?」
「たとえば、脅迫のネタが何らかの犯罪の凶器で、その凶器を使って牧瀬次郎氏が殺さ
れた、とか」
「あー、そういう。写真や手紙しか頭になかったわ〜。もしそれがあるとしたら、招待
客の中に、そもそも犯罪者がいる訳だ」
 上神はそう言うと、山元の方を振り向いた。
「殺人犯とは別に、元から犯罪者ってのがいたら、それでもかばいます?」
「最初の取り決めは守らねばならんだろう。脅迫の材料は各自で処分、あとは関知しな
い」
「脅迫の材料が見付からなかった場合は?」
「割としつこいな、あんたも。そのときそのときだ。警察に任せるしかない。見付から
なければ、どうしようもないだろう」
「ははあ、そりゃそうですね。ただ、ちょっと危惧してるんですよ。脅迫の材料を見付
け出せなかった人の暴走を」
「暴走というと?」
 山元がおうむ返しする間に、私には察しが付いた。というよりも、私自身も頭の片隅
で考えないでもなかったことだから分かった。
「屋敷ごと処分しよう、言い換えると燃やしてしまおうと考える人が出るかもしれな
い。そういうことですね」
「ご明察。物書きよりも探偵か刑事が向いているんじゃないかな、水地さん」
 形だけの拍手をする上神。山元の方は「そういう場合もあり得るか」と、苦々しい表
情になっていた。
「それにしてもおかしな。何にも出て来ないし、厳重に鍵を掛けた抽斗や金庫なんかも
見当たらない」
 上神はぬけぬけと言った。やはり、現場検証にかこつけて、脅迫のネタを見つけ出そ
うとしているようだ。
「他に考えられるとしたら、隠し扉かな。書棚の奥にもう一段、棚があるとか」
「もっと古典的に、分厚い本の中身をくりぬいた空間に隠してあるのかもしれない」
 私も調子を合わせて意見を交換する。山元だけは黙々と……探しているのは殺しの証
拠なのか、脅迫ネタなのか傍目からは判断のしようがない。
 私はまだほとんど手付かずの机回りを調べてみることにした。机で調べてあるのは四
段ある抽斗くらいだ。牧瀬は座ったまま首を斬られたのか、椅子とその前方は血に染ま
っており、ここを調べると確実に痕跡が残ってしまう。警察の捜査が入ったあとのこと
を思うと、迂闊に手出ししづらい。必然的に、血の飛んでいない部分に限られる。
 机の左前方に置かれた電気スタンドに手を伸ばした。ガラスのシェードは青と緑の色
が部分的に入ったアンティーク調で、品がよい。恐喝者のイメージにはそぐわない。そ
んなことを感じながら、スタンドをひっくり返して内側を覗く。すると、あった。
「山元さん、上神さん。来てください」
 すぐに二人を呼ぶ。シェードの裏に折り畳んだ深緑色の何かが貼り付けてある。色ガ
ラスのところなので、外からは見えなかった。
「おお、ようやく一つ発見かな?」
 手で鼻と口元を覆った上神がくぐもった声で言った。彼のためにという訳でもない
が、スタンドのコードをコンセントから外し、遺体から遠ざかると、改めて検分する。
「見付けた人の手柄だ。剥がしてみてくれるか」
 山元に促されて、私は手を伸ばした。セロテープで留めてあるだけなのだが、しっか
りと押さえつけてあるみたいで、手袋をした状態ではなかなか端を捉えなかった。素手
でやるのもまずいので、苦心してようやく剥がせた。
「これ、元は白い紙ですね。折り畳んだあと、濃い緑色をペンか何かで着けたんだ」
 観察すると共に、慎重に開いていく。誰の秘密が明かされるのか。興味はないが、恐
らくは恐喝のネタなんだろうと思っていた。
 しかし、予想は外れた。都合四回折られていたその紙には、ボールペンで書いたと思
しき直筆の文字が踊っていた。細かい字で、ぱっと見ただけでは内容は分からない。た
だ、文章の末尾にあるサインだけは大きな文字で、嫌でも読めた。そこには牧瀬次郎と
記されていた。
 牧瀬の筆跡を知らないが、これは牧瀬が書いた物? だったら、恐喝のネタではない
可能性が高い――そんな風に順序立てて思考を巡らせる暇もなく、私は目を凝らし、細
かい文字を追った。
<これを発見したのは誰かな。警察の人間か。私が死んでから何日が経過した? すで
に見抜かれているか、それともまだだませているか。お招きした方々は今、きびしい取
り調べにあっているか? 私に脅迫されていたという殺人の動機を背負わされて、さぞ
かし追い詰められているに違いない。
 だが、それもここまで。福音を記すとしよう。
 私は明言する。私は殺されたのではない。自ら死を選んだのである。調べればじきに
分かることだが、私は癌に冒されている。治ゆの見込みはない。今までの行いの報いが
来たと言えばそれまでだが、天罰を食らったまま旅立つのはいかにも悔しい。そこで私
は悪戯を思い付いた。私に怨みがあろう、殺意を抱いてもおかしくない面々を呼び集め
て、一夜明けると私が死体になっている。肉切り包丁で喉を掻ききられており、いかに
も殺されたように見えるはずだ。招待客らは慌てふためき、疑心暗鬼に陥りもしよう。
やがて警察の捜査が入り、犯人扱いされて震え上がるに違いない。私の理想では、誰か
が懲役刑を受けた頃合いでこのメッセージが見付かる流れが楽しくていいが、そこまで
は望むまい。何にしろ、滅多にできない経験を楽しんでくれたまえ。
 もう一つ、大事なことを書き忘れるところだった。君達招待客にとって最も心配なあ
れ、脅しのネタについてだが、既に処分を済ませた。君達を悩ませたブツは、この世か
ら消えた。処分した証拠はない。信じるかどうかは各人に任せるとする。
 そろそろ終わりが来た。警察諸氏が哀れな羊たちに健全な処遇をもたらさんことを!
                             牧 瀬 次 郎 >
 読み終えてしばらくの間、言葉が出なかった。他の二人も同様だった。
「……自殺だと? ふざけやがって」
 上神が最初に口を開いた。荒っぽい口ぶりそのままに、床を殴りつけた。
 山元はすっくと立ち上がると、机まで戻って、手紙を見付けてきた。その中身の便箋
と、最期のメッセージとを見比べる。
「間違いないな。牧瀬の字だ」
 忌々しげに呟き、額に手を当てた。私も頭が痛い気がした。
「牧瀬の死の真相が自殺であるなら、犯人探しは無意味になる。それに、脅迫の材料が
処分済みというのも事実であるなら、これで現状では最良の形で丸く収まるな」
 山元は気を取り直すように言った。
「まあ、悪いニュースじゃない。皆に知らせて喜んでもらうとするか」
 でも、私がそう簡単には喜べなかった。出て行こうとする山元と上神を呼び止める。
「待ってください。実際の事件現場との齟齬はどう解釈するんですか」
「齟齬?」
「全然おかしいじゃないですか。肉切り包丁で自殺したのなら、凶器はこの部屋に落ち
ていないといけない。首が切断されているのも変だ。まさか消えるギロチンが存在した
訳ないでしょう。袋に頭部を入れて吊すのだって、自殺したあとには無理。さらに、
我々に殺人の嫌疑を掛けさせたいのであれば、何で部屋を密室にしたんでしょう? 開
け放しておくべきだ」
 疑問の数々で溢れかえる。とてもじゃないが、牧瀬次郎のメッセージをそのまま信じ
ることはできない。
「分かった。水地さんの疑問は尤もだ」
 山元は私に正対した。
「恐らく、廣見郷が事後の細工をしたんだろうな。あいつが牧瀬の計画を事前に全て知
っていたかどうかは分からんが、死んだあとに色々手を加えたに違いない」
「牧瀬次郎に忠実な廣見さんが、勝手なことをしますかね」
「分からんぞ。案外、牧瀬の最後の願いを尊重しつつ、我々を助ける意味で現場を密室
にしたのかもしれない。密かにもう一本、合鍵があえば簡単なことだ」
「……いや、その解釈ではだめでしょう。やっぱり、頭部の切断だけはあり得ない。廣
見さんがやるとは考えられません」
 私が強く唱えても、山元はまだ頑張りそうだったが、上神がこちらの味方に回ってく
れた。
「廣見さんがやったとして、密室作りは招待客を助けるためという理由がある。けれど
も、首を切り落とすっていう行為には、意味が見出せない。こりゃあ、水地さんの勝ち
だ」
「……分かった。だがしかし、廣見でないのなら、誰が何のために、自殺を複雑な殺し
に見せ掛ける必要があるんだ」
「動機というか理由は分かりませんが」
 私は、少し前に廣見が言っていた密室トリックを思い起こしていた。あれをちょっと
変えてやれば、ただ一人、この部屋を密室にできたことになりはしないか。

――続く




#1117/1158 ●連載    *** コメント #1116 ***
★タイトル (AZA     )  18/09/16  20:59  (105)
無事ドアを開けるまでが密室です <下>   永山
★内容                                         18/09/19 13:54 修正 第2版
 私は脳裏に浮かんだ人物に目を向け、焦点を合わせた。
「山元さん、あなたがやったんじゃありませんか」

 〜 〜 〜

 相手が無言を保ったまま、およそ一分が過ぎたので、私は続けた。
「あなたは牧瀬次郎の自死を確認すると、部屋を出て、鍵を使って施錠した。そして
朝、ドアを破る際に鍵を室内に戻したんじゃないですか」
 山元はまだ何も言わない。上神が彼のそばから離れた。
「たった今思い付いたばかりなので、うまく説明できる自信はありませんが、基本は、
ドアに拵えた穴ですよね。あなたが拳でできた穴だ。そこから腕を突っ込んだとき、鍵
を戻すチャンスが生まれる。ああ、手に鍵を握ると怪しまれる恐れがあるので、ハンカ
チを巻いたんでしょう。ハンカチの下に鍵を隠していたんじゃないかと思う」
 私の推測語りに、上神が質問を挟んできた。
「鍵を戻すって言っても、フックから吊された買い物袋には届かないんと違うか」
「廣見さんが言っていたことを思い出してください。あの袋はビニール紐をノブの辺り
に結ぶことで、ドアのすぐ近くで固定されていたんでしょう。穴から腕を入れた山元さ
んは、内側のつまみを倒すのに手間取るふりをして、袋の中に鍵を落とし込み、ビニー
ル紐を解いて、徐々に緩めていき、できる限り穏やかに買い物袋をフックの下へと戻し
た。さすがに限度があって、私達が部屋に飛び込んだときも、袋は多少揺れていた」
「はあ、なるほど。理屈はつながってる」
 感心してくれた上神が、山元をまじまじと見返した。
「で、ほんとにやったんですか?」
「やった」
 意外なほど簡単に認めた山元。どことなく、表情がすっきりしたように見える。
「理由を聞かせてもらえますか」
 静かに尋ねると、静かな返事があった。
「あいつが、牧瀬が今さら改心して自殺で逃げるのが許せなかった」
「えっ、牧瀬の死が自殺とまで知っていたんですか?」
「ああ、偶然だがな。昨日の深夜、いや、日付は今日になっていたかもしれないが、と
にかく深夜だ。俺は脅迫されている人達をギャンブルで争わせようとするやり口がどう
にも我慢ならず、牧瀬にひとこと言ってやろうとこの部屋に向かった。その途中、台所
の方から肉切り包丁を片手に戻る牧瀬を目撃した。その鬼気迫る様子に思わず隠れた
よ。だが、俺達を皆殺しにするという雰囲気ではなかった。何かおかしいと感じ、あい
つをつけた。自分の部屋に戻った牧瀬は、ドアを半端に開け放した状態で、奥の椅子に
座ると、一度電気スタンドを灯し、笠の中を覗いてからまた消した。今思えばあれは隠
した紙片の具合を再確認していたんだな。そのあとすぐに、牧瀬は肉切り包丁で首を掻
ききろうとした」
「『とした』?」
 引っ掛かる物言いだ。山元は分かってるという風に頷いた。
「奴がざっくりやっちまう前に、俺は部屋に転がり込んで止めに入ったんだ。正義心と
か命を大切にってことじゃない。こんな形で死なれてたまたるかって気持ちだけだっ
た。それでもすこしおそかった。すでに刃が牧瀬の首に当たって、血が流れ出してい
た。暗がりの中、止めに入ったのが俺だと気付いたのか、牧瀬は言ったよ。『死ぬつも
りだったが、あんたに殺されるのも悪くないな。みんな苦しめばいい』と。その刹那、
俺は寒気でぞわっとして、つい、手の力が緩んだ。そのせいなのか、刃は牧瀬の首に深
く食い込み、一気に血が噴き出した」
 山元は一息つくと、己の両手を見た。そしてまた顔を起こし、話を再開する。
「奴は死んだ。俺は全員に事態を知らせようとした。だが、足が止まったんだ。このま
ま事実を伝えても、脅迫されていたことは明るみに出る可能性が大きい。諸悪の根源で
ある牧瀬は死んで逃げたが、秘密が暴露されることで招待客の中には針のむしろに座ら
される者がいるかもしれない。一方で、恐喝者が最後は行いを悔いて自殺しました、で
終わらせたくはなかった。こんな輩は無惨に殺されるのがふさわしい。死んだあとでも
その肉体を傷付けてやりたいほどだ。しかしそんな真似をすれば、状況は他殺に傾き、
俺達自身が危険な立場に立たされる。そんなとき、閃いたのさ、密室トリックを。昼
間、あちこちを嗅ぎ回って、使えそうな道具を色々と目にしていたせいかもしれない。
斧を壊れてしまったことも、俺がドアを力尽くで破る自然な理由付けになる。もうやる
しかないと思った。恐喝者の牧瀬次郎を、自殺ではなく明らかな他殺体に仕立てると同
時に、現場を密室にすることで簡単には我々が犯人と疑われぬようにする。その上、あ
いつの頭を切断して晒せるのだからな」
「……」
 私も上神も息を飲んで聞いていた。
「脅迫の材料に関しては、実はどうにでもなると踏んでいた。本当の最終手段だが、い
ざとなれば俺はかつての上司で、今やお偉いさんになった刑事の弱みを握っている。そ
いつをつつけば牧瀬次郎の持っている脅迫のネタ全てを内々に処理してくれるはずだ。
恐喝者に対抗する策が、脅しだなんて洒落にならんがな」
「もしかして山元さん、あなたが牧瀬次郎から脅されていたネタっていうのは、上司の
ミスか何かを被ったことなのでは……」
 私はふと聞いてしまった。聞いてから、詮無きことだとちょっと悔やんだ。
 相手は曖昧に笑って、「まあ、いいじゃないか」とだけ言った。
 このあと、山元はより詳細な犯行過程を語ったが、それらは第三者の想像し得る範囲
を大きく越えるものではなかった。強いて付け足すとすると、山元がその巨漢の割に迅
速に立ち回ったことぐらいか。
「鍵が……合鍵があったらどうしていたんです?」
「そのときはそのときだ。廣見さんに一時的に疑いが向くだろうが、動機の面で大丈夫
だと判断した。正直言って、牧瀬に従うような人間にはお灸を据えてやりたいと考えな
いでもなかったしな」
「もしも屋敷の中に電話が他にも設置されていたら、警察をすぐに呼ばれていたはずで
すが……」
「ああ、電話の数は確かに分からなかったからな。念のため、大元にちょっと細工をし
ておいた。断線程度だから専門家でなくても直せなくはないが、時間を稼げればよかっ
たんだ」
「返り血は?」
「牧瀬の首から血が噴き出したときは距離を取っていたせいもあって、ほとんど浴びて
なかったが、念のために着替えた。泊まりになることは分かっていたからな。それより
も、切断するときに手がぬるぬるになって、参った。台所から洗剤を拝借して、外で洗
い落としたよ。薪小屋の近くに水道があるんだ」
「買い物袋の口、縛ってあったはずですけど、手探りで鍵を押し込めたんですか」
「ちょいとしたごまかしがある。買い物袋の特定の箇所に小さな切れ目を作っておい
た。そこから入れたんだ。単純だろ」
「最後に……斧を壊したのは、わざとじゃありませんよね」
「もちろんだとも。どうしてそんなことを聞く?」
 私は対する答と共にもやもやを飲み込んだ。この元警察関係者は、最初から密室トリ
ックを駆使して牧瀬次郎を殺す計画を立てていたんじゃないだろうか。そんなことを思
ったのだ。斧の件だけじゃない。ドアの穴から片手を入れて、見えないまま細々とした
作業がスムーズに行えるものなのか。予め練習していたのではないのか……。
 今となってはどうでもよいことなのかもしれない。恐らく、牧瀬のメッセージは本物
だ。少なくとも牧瀬が癌を患っていたのが事実かどうかは、調べれば簡単に白黒はっき
りする。山元がすぐにばれる嘘をつくとは思えない。
 何はともあれ、残された当面の問題は二つだけになった。
 山元修の処遇をどうするか。そして、事の真相を廣見郷に伝えるべきかどうか。
 街に向かうと決めた時刻までまだ少しある。議論を尽くさねばならない。もちろん、
電話線を直せる可能性があることは伏せて。

――終わり




#1118/1158 ●連載
★タイトル (XVB     )  18/12/24  13:10  ( 32)
十億年のうたたね>1話目「初売り」 $フィン
★内容
2003年1月3日

一話目 「初売り」

 もとくんも知っているとおり、傲慢で自分勝手なS性格の女王様の私と奴隷犬と名乗っ
ているM性格のもとくんはまさに理想的な凸凹コンビです。Sの私のためにあらゆる手
段を使って喜ばすMのもとくんに私のごく平凡な日常の日記をご褒美として餌を与えて
いこうかなと考えています。

 今日も怠惰な私は昼までぐうぐう寝ていました。昼から大型スーパーのサティが初春イ
ベントでビンゴゲームをやっているのを知り原付バイクで制限速度を少しだけ超えて行
きました。サティに行く途中4台の自動車が玉突きおかま事故をやっていて原付バイク
をとめて眺めていました。警察官もおかま事故に検証するためにいたのでせいぜい5分ぐ
らいしかいられませんでした。自分が事故って不幸になるのは嫌だけど他人の不幸は非
常に楽しいのでもう少し長い間眺めていたかったです。 そんなわけでサティに行くが遅
くなり、着いたときはビンゴ券がもらえる整理券はもうなくなっていました。ビンゴ券
代の100円出して一等賞PS2が当たって一攫千金を狙っていた私は非常に残念でした。

 その後店内を散策していたら金色の卵の形をした中身が開けてみるまでわからない福袋
的なものが400円で売られていたので一等はゲームボーイだったので当たるように重さを
計ったり揺らしてみたりいろいろ調べたけど透視能力のない私はまったくわかりません
でした。一応それらしいものを選んで家で開けてみたら吃驚しました。

 中身はダイソーで売っているような紙でできたトランプでした。400円も出してダイ
ソー程度の品物って初春イベントを利用した悪徳商法の一つだと思います。私には物凄
くしょうもないゴミ同然のものだから姪っ子にプレゼントしてあげました。幸いなこと
に姪っ子はトランプをはさみでちょきちょきして切って喜んでいたのでよかったです。
糞っ。

 P.S 2018年11月現在、ネットで検索してみたら「金の貯金箱」(1個定価300円程度)で
売られているみたいです。外側の容器はわりと丈夫ないい品物だから300円払って貯金箱
として使ってみるのもいいかもいいかもしれません。




#1119/1158 ●連載
★タイトル (XVB     )  18/12/26  00:10  ( 15)
十億年のうたたね>2話目 「ボールペンが逝きました」 $
★内容                                         18/12/26 00:14 修正 第2版
2003年1月4日

「ボールペンが逝きました」

 ボールペンが逝ってしまいました。以前は適当な熱を使ったらインクがまた出てくる
と聞いたので100円ライターの火であぶったらレフィルがどろどろに溶けて逝ってしまい
ました。今度は同じ過ちを犯すまいとファンヒーターの前に立たせました。その結果イ
ンクがレフィルの中で別れて何か所ものセブラ模様になってまた逝ってしまいました。
可愛がっていただけに逝ってしまい哀しく思います。
 前にインクが出なくなったときは、ポールペンの先を立たせているかと思い寝かして
使っていました。今回もインクが出なくなったのは生まれつき持っている筆圧が高いせ
いかもしれません。事実何枚も紙を重ねているとすべてに凹凸模様が出てしまいます。
 どんなに努力しても最後までインクを使いきれたことがない今罪悪感に悩まされてい
ます。このまま永遠に不幸な業を背負って生きていかなければいけないのでしょうか。
ほんの少しでいいから普通の幸せが欲しかったです。




#1120/1158 ●連載    *** コメント #1110 ***
★タイトル (AZA     )  18/12/26  21:34  (257)
百の凶器 15   永山
★内容
 問い掛けられた側は、様々な反応――表情を覗かせた。
 柿原が真っ先に気になったのは、湯沢だった。彼女は、二択なんて生温いと言わんば
かりに、橋部と真瀬を交互に見据えている。僕の無実を信じててくれている、そう感じ
られて柿原は心穏やかになった。さっきまでざわざわと波立っていたのが、嘘みたいに
収まった。これほど心強いことはない。
 沼田もつい先程、真瀬に食って掛かったことから推測できるように、真瀬をより強く
疑っている。一方で、柿原に対して警戒を解いている訳ではなさそうだ。というのも、
彼女は柿原からも真瀬からも視線を避けるように、耳を覆うようにして頭を抱えていた
のだから。
 村上はというと、手書きのメモを読み返していた。本当に二択に決め付けていいの
か、再度の見直しをしているように思えた。責任者として安易に、年長者の考えに飛び
付かないように心掛けているとも受け取れる。
 戸井田は何やら犬養に耳打ちし、犬養はそれを聞いているのかいないのか、ほとんど
動くことなく、最終容疑者とされた二人に等分に目を配る。
「ようし、異論なしだな――とは断定しないが、現時点での心情的には、二人のどちら
かだと考えるのは当然の心理だと思うぞ」
 橋部が話を前に進める。
「もう一度聞く。柿原、おまえは真瀬を犯人だという説を支持するんだな?」
「え、ええ」
 支持も何も、僕自身が唱えたようなものだけれど。そんなことを思った。
「分かった。じゃあ、真瀬は? 柿原が犯人だという説を支持するんだよな」
「もちろんです」
 両者の返事を得て、橋部はまたもや満足げに首を縦に振った。
「様々なロジックによって、決め手こそないが、真瀬への容疑が濃くなった。それに対
し、真瀬の反論もそれなりに筋が通っている。各自の唱える説は、ほぼ同じ重みを持っ
ている。ここで何か決定的な、どちらかの説を放逐できる何かがあればいいんだが……
と思い悩む内に、気付いたことが一つある」
「何を言い出すかと思ったら、また新たに理屈をこねるだけですか」
 真瀬がいち早く反応した。勇み足気味だが、今現在の彼が取る立場からすれば、これ
は当然と言えよう。
「さっきから繰り返しているように、俺は認めませんよ。仮に、橋部先輩の言う『気付
いたこと』で、どちらか一人に絞られたとしたって、それが犯人の罠によるものではな
いと言い切れない限り」
「柿原が犯人という結論になってもか」
「ええ。結論によって態度を変えるなんて醜い真似、しませんよ」
「受け入れざるを得ないような理屈ならどうだ。罠である可能性が全くない……は言い
過ぎだとしても、限りなくゼロに近い理屈なら」
 笑みを抑え、持ち掛けた橋部。真瀬が答えようとするところへ、村上が割って入っ
た。
「ちょっと。数字で――確率で計測できるものじゃないんじゃありませんか。要は、当
人が納得するか否か。真瀬君の主張に対抗するには、それしかない」
「的確な指摘だ。ぐうの音も出ん」
 橋部は苦笑すると、真瀬に改めて聞いた。
「それでいいか?」
「……正直言って、そんなものがあるとは想像すらできない。あるんなら、見せてほし
いくらいだ。橋部先輩は、自信があるんですよね?」
「まあな。いい加減、この話し合い? 推理合戦?を切り上げないと、いつまでもここ
から動けんし、これを最後にしたい。それだけ自信があるってことさ」
「了解。さっさと言ってくれます?」
 真瀬は無関心を装うためか、橋部から顔を逸らした。横を向いたまま、頬杖をつく。
「慌てるな。準備もあるし、そもそも柿原の了解をまだ得ていない」
 そう言われて、柿原は急いで「了解です」と応じた。

「着目したのは、人形だ」
 現物を用意してから始めた橋部は、くだんの人形を机上に置き、上から指差した。頭
に当たる部位が、聞き手の方に向けられている。
「みんな知ってるかな? この頭部に使われている物は零余子だ」
 橋部のこの呼び掛けに対する皆の反応は――。
 戸井田及び犬養は、零余子そのものを知らなかったようだ。零余子が何なのかを一か
ら説明する余裕はないため、木の実みたいな物と思ってくれと橋部は言った。
「それが零余子だということは分かります」
 残る部員の反応は、村上のそれに集約される。
「何の零余子かまでは分かりませんけれども」
「山芋だ」
「山芋だろうと何だろうと、大した意味があるようには思えませんけど。というより、
わざわざ零余子を使う意味が分からなくて、奇妙な印象を受けますね。少々不気味で」
「なるほどな。俺も残念ながら、零余子を使った必然性なんてことには、考えは及んで
いない。飽くまで、犯人を絞り込むためのツールとして見ている。さあて、これから話
すのは部長の小津が言っていたことで、俺も見て回った限り、間違いないと感じた」
「あの、先輩、何の話でしょうか?」
 村上の疑問に応じる形で、橋部の説明は続けられた。
「このキャンプ場のある一帯で、零余子ができるのはただの一箇所なんだ。山の方へ続
く道があるだろ。あれが登りになる辺りに生えている。土質や水はけの関係で、山芋が
育ちやすいんだろうな」
「想像付いたけど、あそこって確か、崖みたいになってなかった?」
 湯沢に小声で問われた柿原は、うんとだけ言って頷いた。二人のやり取りを、橋部は
しっかり耳に留めていた。
「そうなんだ。崖の方に張り出した枝や幹に巻き付く格好で、山芋の蔓が伸びている。
その先にできる零余子は、簡単には採取できない。まず、木に登って採るのは無理」
「じゃあ、蔦を引っ張る?」
 戸井田が言った。橋部は彼の方を見てから、首を傾げた。
「蔦を引っ張っても採れる可能性はあるかもしれない。だが、実際にあの場所を見れば
分かるが、蔦を引っ張ったような形跡はない」
「零余子って、石か何かを投げて、当てて落とせるような物です?」
 今度は犬養の発言。零余子そのものを知らなかった彼女らしい質問と言える。
「試したことはないが、無理だと思う。それに、さっき話が出たように、崖に張り出し
ているからな。落とすようなやり方じゃ、零余子を手に入れられない」
「じゃあ、あれだ。物置小屋にある高枝切り鋏を使うしかない」
 再び戸井田。二年生とあって、すぐに思い至ったようだ。
「同意見だ。高枝切り鋏を使えば、零余子を手元に持って来られる。思い切り挟んだら
枝や蔦ごと実が落ちてしまうから、うまく挟めるよう、力の加減は必要だろうが、さし
て難しくない。ここで質問があるんだが、おまえ達は――」
 柿原と真瀬を等分に眺め、橋部は尋ねた。
「高枝切り鋏があることを知っていたか」
「その質問は、あまり意味がないのでは」
 答えさせる前に、村上が異議を唱えた。
「知っていたとしても、知らないと言えば済んでしまう……」
「それもそうか。だいたい、二人とも薪割り当番だから、部長にあの物置をざっと見せ
てもらったはずだよな。そのときに見付けた可能性は充分にある」
 物語の名探偵みたいにはなかなかいかないもんだなと独りごち、苦笑いを浮かべた橋
部。
「まあ、折角だから聞くとしよう。そうだな。二人は、高枝切り鋏を使ったり触ったり
していないか?」
「それなら」
 真瀬が肩の高さで短く挙手した。
「勝手に持ち出して、使わせてもらいました。黙っててすみません」
「へえ、それはいつ?」
「二日目の午前中だったかな。瞬間的に強い風が吹いて、肩に掛けてたタオルが飛ばさ
れてしまったんですよ。高いところに引っ掛かって、取れそうになかったんで、あの鋏
があったのを思い出して、使ったんです。だから、本来の切る動作はしていませんけど
ね」
「それは誰も見てないんだな?」
「多分。タオルを飛ばされたときは一人だったし、道具を持ち出すときや返すときも含
めて、誰とも会わなかったし」
「なるほど。――柿原は?」
「僕は、高枝切り鋏があること自体、昨日、橋部先輩に教えてもらって知りました。使
ってはいません」
 その際の橋部とのやり取りで既に高枝切り鋏や零余子について検討済みだった点は、
伏せておいた。
「だろうな」
 橋部は二人から視線を外すと、残るメンバーをざっと見渡した。
「念のために聞いておく。高枝切り鋏を使った奴、特に、零余子を切った奴、いるか
?」
 当然のように、誰もいない。数秒の間を置いて、真瀬が言った。
「まさか、高枝切り鋏の指紋を根拠に、俺を犯人に仕立てるんじゃあないでしょうね
?」
「そんなことせんよ。指紋が出るかどうか分からん。出たとしても、さっきの真瀬の答
と矛盾するものではないから、証拠とは呼べないだろう」
「じゃあ一体」
「犯人は柿原かおまえか、二人のどちらかだという地点に俺らは立っている。そして、
犯人が高枝切り鋏を使って零余子を手に入れたのも間違いない。実は、該当する場所の
近くで、切断された枝を見付けてある。山芋の蔦の絡んだ枝をな。犯人は高枝切り鋏を
使った、より正確には、使える人物でなければならない」
「それがどうかしましたか」
「あの鋏を持ち出したのなら、分かっているよな? 操作するには片手では無理だとい
うことくらい」
「――」
 真瀬の目が見開かれた。口元は何か言おうとしてひくついているが、声は出て来な
い。やがてその口を片手で覆うと、視線を橋部から外した。
「反論があれば聞く。できることなら、この推理を潰してもらいたいくらいだ」
「……いや、無理ですね」
 一転して弱々しい声で、真瀬が認めた。彼は柿原に目をくれると、一言、
「悪かった」
 と頭を垂れた。
「その言葉は、僕じゃなく、死んだ二人に言うべきなんじゃあ? どうしてこんなこと
になったのか、君がこんなことをした理由が分からないよ」
 話す内に声が細くなる柿原。実際、喉に痛みを感じていた。
「俺にも分からない」
 真瀬は顔を真上に向けた。

 いつの間にか空は雲が割れ、日差しが下りてきていた。移動開始を予定していた四時
を過ぎていた。けれども、まだ誰も動こうとしない。
 時間がまた少し経って、場の空気が落ち着いてきた。真瀬本人がぽつりと言った。
「最初は、ただの悪戯のつもりだった。なのに、こんなことになるなんて信じられな
い」
 その後も独り語りがしばらく続く。心の乱れのせいか、幾分感情的で行きつ戻りつす
る話し方だった。整理した上で客観的に記すと、次のようなニュアンスになる。
 元々、小津部長を驚かすだけで充分と考えていた。虫――ムカデに刺されることまで
期待していたのであれば、長靴に放り込むのは、踏み付けて死にかけのムカデではな
く、活きのいい奴にしていた。現実問題として、生きたムカデを捕まえて長靴に放り込
むには、真瀬自身にも危険が及びかねない。踏み付けて弱らせたのは危険を取り除くた
めだ。
 だが、ムカデの生命力を侮ってはいけなかった。踏み付けられて弱っていたとは言
え、その咬合力や毒がなくなる訳ではない。結果から推測するに、瀕死のムカデは最後
の力を振り絞ったのだろう。小津の右足を噛んでから息絶えた。噛まれた小津は当然気
付いて長靴を調べる。中にはムカデの死骸。これを捨ててから、長靴を履き直す。が、
程なくして身体に変調を来し、ふらふらと外をさまよい歩く。アナフィラキシーショッ
クを起こし、やがて死に至った。
「靴下が厚手の物だったのなら、こんなことは起きなかったはずなんだが」
 棚上げされていた疑問点を、橋部が改めて口にした。犯人なら事情を知っているかも
しれないと期待していた訳ではないだろう。小津部長の死が事故であることは、ほぼ確
実なのだから。
 実際、小津の右足の靴下が厚手の物でなかったのは、真瀬も関知するところではなか
った。
「恐らく、ですけど」
 発現したのは柿原。真瀬も何も知らないと分かり、考えを話す気になった。
「ムカデに刺されてアナフィラキシーショックを起こしたことから考えて、真瀬君の悪
戯よりも前に、部長は一度、ムカデに刺されていた可能性が極めて高いと言えます。そ
してそのことにより、右足がひどく腫れ上がったのだとしたら。つまり、厚手の靴下を
穿いたのでは、長靴に入らないほどに腫れたのだとしたら」
 小津にとっても、真瀬にとっても、全くもって不運としか言いようがない。
「右足を持ち去った上に、傷を付けたり、埋めたりしたのは、噛み痕をごまかすためな
のか?」
 橋部の問いに、真瀬は弱々しく頷いた。その反応に、村上が首を傾げる。
「待ってよ。仮に偽装工作をせずに、ムカデの噛み痕が見付かったとして、何がいけな
いの? 真瀬君の仕業だなんて誰も思わないでしょうが」
「見られてたんです」
 真瀬の声には力強さは残っていたが、苦しげでもあった。
「え?」
「部長の長靴にムカデを投じるところを、関さんに」
「それは……」
「彼女、ムカデとまでは気付いていませんでしたけどね。何かを入れるのを、後ろから
目撃していた。小津部長が死んで、ぴんと来たみたいです。みんなに言う前に、確かめ
たかったと。それで……夜、関さんのコテージに呼び出されて、尋ねられました。部長
が死んだのは俺のせいなんじゃないかって。悪戯のつもりだったのが予想外の大ごとに
なって、言い出せないのは分かる。でも言わなくちゃとかどうとか、説得されたと思い
ます……記憶がごちゃごちゃしていて曖昧だけど、多分」
 深い息を吐いて、真瀬は頭を振った。
「だが、いくら彼女から説得されても、こっちは認める訳にいかない。くだらないプラ
イドから悪戯を仕掛けた挙げ句、相手を死なせてしまったなんてことが公になったら、
人生終わりだ。だから、合宿が終わってから打ち明けると言って、有耶無耶にしようと
した。ところが、関さんはだったら今すぐにみんなに話すって言い出して……」
 己の手を見下ろす真瀬。
「彼女が行くのを止める、それだけのつもりだった。肩を掴んだとき、タオルに指先が
掛かって、いつの間にか……絞めてしまっていた。窒息死させてしまったのかどうか
は、分からなかった。でももう後戻りできないという気持ちから、包丁なんかを持ち出
して来て、刺した。首のためらい傷は、俺が自分で言ったそのまんま。絞めたときウル
シかぶれのことが頭の片隅にあったらしくて、片手だけに力が入ったような絞め痕にな
った。それを分からなくするために、刃物で傷付けようと思い立ったものの、できなか
った。それに、片手しか使えないのはもう一人いるじゃないかと思い直したのもある。
すまん」
 再度頭を下げた真瀬に、柿原はすぐには反応できなかった。
「……いいよ。それで関さんに余計な傷が付けられないで済んだのなら」
 折り合いを無理に付けて、こんな言葉を返していた。真瀬は吠えるような声を上げ
て、泣いた。いや、泣きそうなところを必死に堪えたようだった。説明する義務と責任
があるとばかり、踏ん張っていた。
「分からないことがまだある。呪いの人形みたいなやつの火あぶり、あれはやっぱり、
使えるマッチを密かに稼ぐためか」
 橋部が極力平淡な口調で尋ねた。「……はい」と返事があるまで、少し時間を要し
た。
「何で零余子を使った? あの人形に零余子が使われていなけりゃ、犯人の特定は無理
だったと思うぞ」
「零余子があそこにしか生えてないと知っていたら使わなかったですよ、多分ね」
「だが、それにしたってわざわざ零余子を使うなんて」
「あれは関さんが欲しがったから、渡した物なんです」
「ん? おまえが言っていた、木に引っ掛かった彼女のタオルを、高枝切り鋏でうまく
取ってやったときのことだな」
 黙って首肯した真瀬。横顔はそのときのことを思い起こしている風に見えた。
「一緒に付いてきた零余子を珍しがって、ポケットに入れたんだっけな。それが、彼女
に危害を加えたとき、こぼれ落ちた。最初は戻そうとしたけれども、人形のアイディア
は先に浮かんでいて、だったらこれを使おうと。せめて俺なりに関さんを送るつもりに
なっていた、かもしれません」
 弔いにも贖罪にも、恐らく真瀬の自己満足にすらならない行為。そんな余計な行為が
罪を暴くきっかけになった。
 皮肉めいているけれども。きっと、関さんの意思だ。彼女の気持ちが通じた。柿原は
そう信じることにした。
「他には? 何かありますか?」
 真瀬は場の皆を見渡して言った。村上が片手で頭を抱えるポーズを解き、おもむろに
聞く。
「トリック――という言葉を現実で使うのが嫌な気分なんだけど、仕方がないわね。小
津部長の件にしても関さんの件にしても、不幸な偶然だの突発的な行動だのという割
に、トリックを思い付くのが早すぎる、そんな印象があるのよ」
 女性言葉だが、怒気を含んだ声は迫力があった。
「本当に突発的だったのよね? 最初から殺めるつもりじゃかったのよね?」
「そんな。トリックは以前から考えていたのを使っただけ。犯人当てを――部内での犯
人当て小説の順番が回ってきたときに備えて、普段から思い付いたらメモをしていた。
そこから拾ったんです」
 真瀬の訴える口ぶりに、村上は案外あっさりと矛を収めた。その代わりに、今度は両
手で頭を抱えてしまった。下を向いたまま、ぽつりとこぼす。
「そういう訳なら、もう犯人当て小説は中止した方がいいのかもね」
 副部長の彼女は顔を起こし、時計を見てから再び口を開いた。
「せめてこれくらいは手遅れにならない内に、始めなくちゃ、移動を」

――終

※ムカデの毒でアナフィラキシーショックが起こることはありますが、日本国内で人が
死亡に至った事例は未確認とされています。




#1121/1158 ●連載
★タイトル (XVB     )  18/12/27  00:29  ( 13)
十億年のうたたね>3話目 「クレーマー」 $フィン
★内容                                         18/12/27 00:31 修正 第3版
2003年1月5日

「クレーマー」

  ボールペンの会社に文句を言うことにしました。以前買ったボールペンのレフィル
(芯)が三カ月で逝くのは異常だと思います。いつもボールペンたちが逝くたびに悲し
い思いをしています。何度も悲しい思いをするのには少しきついです。レフィルが三カ
月で逝ったのを不良品としてボールペンの会社に送りつけることにしました。抗議の文
章を打って封筒に入れて発送準備完了です。そのボールペンは太くて筆圧の高い私には
手になじみやすいものでした。一番好きだったボールペンでした。でも古くてどこの店
を探しても見つかりませんでした。もしかしたらボールペンの会社に愛用していたもの
が残っているかもしれません。それらしい文句を言って同じものを貰うことを計画して
います。




#1122/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  19/03/30  02:32  (  1)
白の奇跡、黒の変事 1   永山
★内容                                         23/04/10 21:05 修正 第4版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#1123/1158 ●連載    *** コメント #1122 ***
★タイトル (AZA     )  19/03/31  01:46  (  1)
白の奇跡、黒の変事 2   永山
★内容                                         23/04/10 21:05 修正 第3版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#1124/1158 ●連載    *** コメント #1123 ***
★タイトル (AZA     )  19/04/01  09:40  (  1)
白の奇跡、黒の変事 3   永山
★内容                                         23/04/10 21:06 修正 第3版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#1125/1158 ●連載    *** コメント #1124 ***
★タイトル (AZA     )  19/04/16  01:53  (  1)
白の奇跡、黒の変事 三   永山
★内容                                         23/04/10 21:06 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#1126/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  20/01/30  20:11  ( 55)
悟りを得るのは難しい 1   永山
★内容                                         20/01/30 20:11 修正 第2版
 小学生の頃、長期休暇の何日間を利して家族で父の実家に里帰りすると、僕と一緒に
よく遊んでくれる親戚のおにいさんがいた。
 名前を清武彩男《きよたけあやお》と言って、初めて会った当時は高校生で、のちに
大学に進んだ。医学部だから優秀だったんだと思う。
 あれは清武さんが大学三年生だったから、僕は小学五年生。その年の十二月下旬、僕
ら一家はいつものように里帰りした。
 年の瀬も押し迫ってきたある日、清武さんの父親が勤める会社の偉いさんが亡くな
り、葬儀が執り行われることになった。清武さんの母親はその偉いさんの姪で、夫婦
共々、葬儀に参列するのは当然の成り行きと言えた。
 両親がやや遠方まで出かけたことで、清武さんは一日中暇になり、何かしたいことが
できたかもしれない。だけど、午前中は僕と遊ぶ約束をしていて、ちゃんと守ってくれ
たのだ。二年生までに比べると、三年生は忙しさが若干軽減するから相手してやれると
か言っていた覚えがある。
 珍しく雪が降って、少し積もったこともあり、庭を兼ねた畑で外遊びをしてから、家
の中ではゲームに興じ、テレビドラマも観た。清武さんは医療ドラマを好んで観るけ
ど、医療ドラマが好きなんじゃなくて現実と違う点を探すのが楽しいみたいだった。
 昼が近付き、僕は食事のために帰る頃合いになった。帰りしな、清武さんは「両親が
戻るのは三時ぐらいだから、そっちがよければまだ遊ぶのに付き合えるぞ」と言ってく
れた。小学生に社交辞令を使うとは思えないので、本心から言ったのかもしれない。で
も、あとから思うと、用事を作ってスケジュールを埋めておきたかったのかもしれな
い。
 午後一時過ぎ、僕が再びやって来ると、清武さんの家から飛び出してきたコートの女
の人とすれ違った。鼻息が荒くて興奮した様子に見えた。さらに、玄関のドアが中途半
端に開けっぱなし。それらが僕に嫌な予感を抱かせる。声を出せないまま、急ぎ足で家
に上がり込むと、廊下で清武さんが身体を丸めて横向きに倒れていた。こちらには背中
を向けているため、表情なんかはまだ見えない。
「どどうしたの!」
 駆け寄って、反対側をのぞき込む。清武さんは苦悶の表情でおなかを両手で押さえて
いた。黄色っぽいセーターの腹部は赤色に変わっていた。
「刺された」
 短く言った清武さん。
「愛子《あいこ》、医学の知識ある。急所やられた。だめかも」
 切れ切れになる声でどうにかそう伝えてきた。僕はこの家の固定電話のあるところに
走って、救急車を呼んだ。次に近所の人も呼ぼうと思ったんだけど、清武さん自身に呼
び止められた。
「本の処分。おまえにしか頼めない」
 清武さんはおかしなことを言い出した。
「処分? 何言ってるのさ? 今それどころじゃ」
「感覚で分かる。俺もう無理。――机の引き出し。上から二番目の底、裏側。一冊だけ
まずいエロ本がある。死後見つかるの恥ずいから」
「はあ? 何言ってんの、ばかじゃねえの」
 よく覚えてないけれど、こんなときにこんなことを言い出す清武さんを罵った気がす
る。でも清武さんが、血まみれの手で懇願してくるものだから怖くなって、僕は机の引
き出しを見に行った。二番目を引っ張り出し、底を見ると紺色のビニール袋に包まれた
形で、大きめの本らしき物体がテープで貼り付けてあった。強引に引き剥がして、戻っ
てくる。
「これ?」
「う。救急にも見つかるな。頼む。欲しけりゃやる」
 言いたいことを言えたせいか、清武さんは静かになった。名前を呼んでも揺さぶって
も、反応がない。
 僕は本を胸に抱えたまま、家を飛び出し、自宅を目指した。親を呼ぶのが一番だと思
ったのと、本を隠すためでもあった。

 続く





#1127/1158 ●連載    *** コメント #1126 ***
★タイトル (AZA     )  20/02/13  21:11  ( 71)
悟りを得るのは難しい 2   永山
★内容                                         20/02/13 21:11 修正 第2版
 ……と、思いのほかシリアスな書き出しになったけれども、要するに僕が小学五年生
のときに、(多分)同じ年頃の少女の、今では非合法扱いになった写真集を入手できた
顛末を記しておきたかっただけである。
 清武さんはそのまま亡くなった。愛子という女性は当然逮捕されたが、さらにもう一
人、未成年(当時の法律で)の男子学生が愛子を唆して犯行に走らせたとして、事情聴
取を受けている。結局、愛子の思い込みの強さが招いた悲劇ということで決着した。
 殺人事件と、その後のことに直接的な関係はない。

 五年を経て、僕は高校生になった。勉強の成績はまずまず上位に食い込むし、体育も
水泳以外は何でもそつなくこなす自信がある。顔は二枚目ではないけど、太い眉毛がき
りっとして落ち着きのあるタイプによく見られる。実際は小心者なんだけど、まあ異性
から気味悪がられないレベルは保っていると思う。しゃべりの方は、男同士なら大丈夫
だが、女子が混じるとちょっとかしこまる。ましてや女子と一対一なんかだと、恐らく
緊張してしまうだろうな。
 問題の写真集は去年、単純所持を禁じる法律が施行されて、手放した……と言いたい
んだけれども、まだできていない。僕は割とびびりで、遵法精神も人並み程度には持ち
合わせているつもりだから、折を見て捨てようと思っていたのに、安全で適当な方法が
見付からなかったのだ。
 処分を考え始めたのは、法が施行されるひと月前。
 家族とずっと一緒に暮らしているため、いい機会がなかなか訪れない。家庭用の可燃
ゴミ袋なんかに突っ込んでおこうものなら、母親が確実に気が付く。古新聞や古雑誌の
束に紛れ込ませるのも同様。母は大昔、愛用していたアクセサリーを誤ってゴミに出し
てしまったことがあったとかで、以来、ゴミ出しにはチェックが厳しいのだ。
 ならば自分の手で捨てに行けばいいのだが、これが意外とうまくない。実際にやろう
として、恐怖を味わったのだ。
 一番近いゴミ収集日は月曜だからその前夜の日曜日、近所の自動販売機でジュースを
買って来ると理由付けして、僕は家を出た。十時頃だった。濃い黒色のビニールで梱包
した写真集を小脇に抱え、ゴミ出しのスペースまで三百メートルくらいかな。足早に向
かい、さっと捨ててくるつもりでいた。が、何の因果か、不意にパトカーのサイレンが
聞こえて来たんで、縮み上がってしまった。そのパトカーは町内の路地に入ってくるこ
とはなく、大きな道路をそのまま通り過ぎていったけれども、僕は家に飛んで帰った。
 もちろん、たった一度、たまたまパトカーが通り掛かったぐらいで諦めたりはしな
い。次のゴミ出し日である木曜前夜に再チャレンジした。前回のことは偶然さ、今度は
大丈夫と自分に言い聞かせつつ、夜道を急ぐ。ただ、念のために用心して、八月だとい
うのにシャツを一枚余計に着込み、その下に写真集を隠してみた。これならぱっと見、
本を持っているとは分からない。
 そうしてあと百メートルほど、ゴミ出しスペースが見通せる位置に来たとき、「よ
お!」と後ろから大きな声で呼ばれた。びくっとなって、悲鳴を上げるかと思ったよ。
振り返るまでもなく、自転車に乗った声の主は前に回り込んできた。
「なんだ、おまえかあ」
 近くに住む同級生の谷津康昌《たにづやすあき》だった。親友とまでは行かないが、
友達だ。ほっとすると同時に、いや待てよと注意の黄色信号が脳裏に点る。もしここで
こいつに写真集の存在を気付かれ、中身を見られたら……やばい。僕のこめかみを、暑
さ以外を起因とする汗が一筋、たらーっと流れた。
「ご挨拶だなあ。こんな夜に何してんの?」
「ジュースでも買おうかと思って。おまえこそ何。自転車ってことは多少は遠くまで足
を伸ばすんだろ?」
「彼女から呼び出された――ってのは大嘘で、親父に頼まれた。煙草、銘柄指定で買っ
て来いって」
「本人に行かせろよ〜。タスポ使ってるところ、知り合いに見られたらどうするのさ」
 今まさに自分が違法な物を懐に入れているせいか、心配する言葉が口をついて出た。
「んなこと言われたってな。目当ての自販機は歩くには遠い。親父は酒飲んだところ
で、車の運転は無論のこと、自転車だってだめだろ」
 谷津の親父さん、そこは違反しないように気をつけてるのに、未成年者にタスポを貸
し与えて煙草を買いに行かせることは何とも思わないのね。自由で都合のいい発想がう
らやましい。
「ま、気を付けてな」
「ははは。そっちも知らないおじさんに声を掛けられて、着いて行くなよ」
 とまあ、冗談を言われて無事に分かれたのだけれども、これでまた捨てる勇気が萎え
てしまった。二度続けて邪魔が入ったということは、もしかすると天からの警告ではな
いのか。ここで我を通して写真集を捨てたとする。木曜は資源ゴミも一緒に出せる日
で、換金に値する物が出される可能性が高い。比例して、そこを狙った“あさりちゃん
”――出されたゴミをあさって金になりそうな物を持って行く人のことをこう呼ぶらし
い――が出没する可能性も高まる。僕が家に帰ったあと、ゴミをあさりに来た人物が写
真集を発見し、黙って持って行くのならいいが、中身をむき出しにして放置したらどう
なるか。こんな物を出したのは誰だと近所で話題の的になるかもしれない。で、今さっ
き谷津に姿を見られた僕が、容疑者候補に挙がる確率は高い。そういう針のむしろ状態
なんて、想像するだけで嫌だ。
 僕はその夜も写真集を持ち帰った。

 続く




#1128/1158 ●連載    *** コメント #1127 ***
★タイトル (AZA     )  20/04/28  19:30  ( 71)
悟りを得るのは難しい 3   永山
★内容
 考えすぎなのは分かっている。分かっているんだけれども、最悪の場合を想定してし
まう性格だし、そうしないと落ち着かない。
 そもそも捨て場所はゴミ収集所でいいのか? 通りすがりの人々の目にとまる恐れの
あるあのスペースに捨てるのは、適当じゃない気がしてきた。ではどこにすればいいん
だろう。ゴミ処理業者や古本屋に処分を頼みに持ち込むのはだめだ。人と顔を合わせる
のは無理。ゴミ収集ではなく、町内の廃品回収はどうか。やっぱり、中身を見られる恐
れがあるんだろうな。チェックされたら同様に「誰がこんな物を置いていったんだ?」
と騒ぎになって、調べようという流れになるかも。防犯カメラに顔が映っていたなんて
ことになったら目も当てられない。
 こういうときはネットに頼るとしよう。検索して調べてみたら、“白いポスト”って
いう物があるらしいと知った。青少年にとって教育上よくない書籍等を投函して、子供
達の目から遠ざけるのが目的だとかで、エロ本全般やアダルトDVDなんかを入れてい
いとのこと。
 これだ!と思ったものの、どこに白いポストがあるのかが分からない。生まれてこの
方、一度たりとも見た覚えがなかった。昔はたくさんあったが、数を減らしているらし
い。行政のホームページを当たっても情報はないみたいだし、苦心惨憺して検索を繰り
返して、所在地付きのリストが掲載されたサイトがようやく見つかった。全国の目撃情
報を元にして作られた物だった。
 そこのリストを当たると、一番近くでも電車で六駅先と判明。降りたことのない駅だ
が、どうやら駅舎を出てすぐのところに設置されているみたい。ぱっと来てぱっと捨て
てぱっと帰るには好都合だなと、真剣に検討し始めた矢先、地図で確認して仰天した。
駅の目の前に交番があるじゃないか!
 何となく怖い。もしかして、白ポストに捨てに来る人と捨てられる物を密かに見張っ
ているんじゃないだろうな。その上で怪しい人物には声を掛け、捨てる物の中身を調べ
るのかも。
 想像がまたも悪い方へと膨らみ、やる気が萎えた。別の白ポストにしようと、二番目
に近いところを調べる。するとこれまた交番が近い。三つ目も同じだった。これ以上遠
くとなると、ちょっと行けそうにない。それに、移動距離が長くなれば、他人に見つか
るリスクも比例して増す。
 燃やせたら一番いいんだけれども、あいにくと都会ではそんなスペースはない。まさ
か調理コンロの上で焼く訳にもいかないし。
 こうなると、写真集をそのままの形で捨てるのは諦めるべきかもしれない。手間が掛
かろうが、一枚ずつ剥がし、ハサミで切り刻む。これしかない。いくらうちの母親がゴ
ミのチェックをするからって、細切れになった紙片をジグソーパズルのごとく元通りに
並べるまではしまい。
 ただ……大量の紙片を一つの袋に入れていたら、何これと詰問されそうな予感があ
る。演劇部に頼まれて紙吹雪を作ってみたけど、作りすぎてしまったんだ、とでも答え
ようか? 簡単にばれそう。
 どれを取っても大小の不安がつきまとう。でもどれかにしなくちゃいけない。考え抜
いた挙げ句に、最寄りの白ポストに投じることに決めた。テレビのニュースなどで盛ん
に言っているじゃないか、法施行から一年間は捨てるための猶予期間だと。一年が経過
した時点で、罰則規定が実施に移される。裏を返せば、今なら見付かってもまだ大丈
夫。捨てに行くところを警官が見付けたからって、とがめるはずがないんだ……多分。
 このような変遷を経て、やっと決心がついたのは夏休みの最終日。遊びとか宿題とか
で忙しく、写真集のことばかり考えていられる状況じゃなかったため、こんなに時間が
掛かってしまった。平日に捨てに行くのは難しいだろうから、九月に入って最初の日曜
日、七日に決行するぞと心のメモ帳に刻んだ僕だったが……。

 二学期の初日。始業式が終わって教室に入ると、僕は異変にすぐ気付いた。
 僕の席は最も廊下寄りの列の最後尾で、左隣の列よりも一つ分、席が多かったのだ
が、今朝は違っていた。隣に席が設けられている。
「これは――転校生か?」
 思わず声に出た。それだけ僕にとって転校生という存在はどきどきするものなのだ。
これって多分、小学生のときの思い出に起因している。転校してきた子が超絶美少女
で、近寄りがたい雰囲気すらまとっていたのだ。その子は僕の席の隣に来た訳ではなか
ったけれども、もしも隣合う席だったら全然授業に集中できなくなっていたかもしれな
い。
 と、ここまで考えて、当たり前の事実に気付く。転校生は男の可能性だってあること
に。
 おかげで冷静になれた。過度な期待はせず、心静かに転校生の登場を待とう。そうし
て迎えた朝のショートホームルーム。
 先生のあとについて入って来たのは――女子だった。
 そして僕はまたもや思わず声に出してしまっていた。
「あ」
 何ごとかと数人に振り返られたが、曖昧に笑ってどうにかごまかせたと思う。
 転校生の女子がきれいな子だったのは間違いのない事実だ。だけど僕に声を上げさせ
たのはそんなことではなく。
 例の写真集のモデルの子にうり二つだったのだ。

 続く





#1129/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  22/05/05  21:40  ( 62)
連作掌編:語り部を騙る者の物語 1   永山
★内容                                         22/05/11 19:53 修正 第3版
第一話.返す言葉はある


 小学四年になる不知火《しらぬい》ハルカは、テレビドラマを観ていて、ふと引っ
掛かりを覚えた。

<お言葉ですが、アーモンド臭とはあの香ばしい香りではなくて>
<お言葉を返すようですが、アーモンド臭とはあの香ばしい香りではなくて>

 青酸系の毒物についてはさておき、「お言葉ですが」と「お言葉を返すようですが」
の
二通りの言い方があることに。
 調べてみたけれども、違いがよく分からない。むしろ、違いはないと言っていいかも
しれない。
 調べた本によっては、「お言葉ですが」は「お言葉を返すようですが」の誤用から転
じた、としているものもある。
「ねえねえ、御坊田《ごぼた》さん。どちらが正しいっていうのはないの?」
 御坊田|育人《いくと》は、ハルカの親戚の学生で長期休暇のとき限定で勉強をみて
くれる。
「どちらも通用する、でいいんじゃないかな」
 勉強から脱線する話に苦笑いを浮かべつつも、御坊田はまともに取り合った。
「でもまあ先に生まれた言葉を正しいとするのなら、想像だけで言うけど、多分、『お
言葉を返すようですが』の方が先だろうね。『お言葉を返すようですが』なら意味はだ
いたい伝わってくるけれども、『お言葉ですが』は、予備知識なしにストレートに解釈
したら、何を言われているのか分からない。だから、省略形と見なすのがすっきりする
ように思う」
「それは私も思った。何でもかんでも略すのが当然みたいな傾向があるから。ただ、別
のことも考えてみたわ。聞いてくれる?」
「僕が聞かないと言ったって、君は聞かないでしょ」
 言葉遊び風の返しに、頬が緩む。
「『お言葉ですが』の方が先に生まれた表現だと仮定したら、どんな場合があるかなっ
て考えたの」
「へえ。そんななさそうな仮説をありそうに仕立てるって?」
「うん。昔は今よりも言葉に対する感覚が鋭かったんじゃないかしら。だから『お言
葉』と言うだけで、相手の言葉って分かるでしょ。相手を立てた上での」
「うん? それは現代でも同じ」
「それはそうだけど、意識は薄いでしょう? 昔の方がより敏感に感じ取っていたと」
「出だしから苦しいなあ。まあ、認めてあげるよ」
「敏感な昔の人は、『お言葉ですが』という言い回しだけで、お、何だこれは?とぎょ
っとしたと思うの。敬意を表す『お言葉』に『ですが』という否定的な表現が引っ付い
ているんだから、ただ事じゃない」
「……なるほど。一理ある」
「推し進めると、『お言葉ですが』っていうだけで、あなたの言葉、拝聴しましたが、
それはちょっと違うんじゃないでしょうかというニュアンスを含んでいることは誰もが
分かたのかも。だとしたら、『お言葉ですが』が先に生まれたんだけど、時代があとに
なるに従って、言葉に対する感度が鈍い人が増えてきた、あるいは言葉を新たに学ぶ人
が増えてきた。そういう人達には『お言葉ですが』ではぴんと来ない。だから、もっと
分かり易い言い方として『お言葉を返すようですが』が生まれ、広まった」
「ふうん、ちょっと面白い。学術的にどうこう言えるレベルじゃないけど、言葉につい
ての考え方として面白い」
「よかった」
「こましゃくれた女の子に、口先で丸め込まれた気もするけどね」
「ひどいなあ。喜んでたのに」
 ハルカがふくれ面をすると、御坊田は「やめなさい」と笑いながら注意した。
「僕には判断する材料がないから。でも、そういう探究する感覚を身に付けているの
は、いいことだよと、これぐらいは言える」
「たんきゅう? ちょっと待って調べるから」
 ハルカはポケットサイズの国語辞典を取り出し、該当する項目を探した。
 言葉に関して色々と興味を持っているおかげで、学齢にそぐわない難しい言葉を知っ
ていることもあれば、簡単な言葉を知らない場合もあるのだ。

 つづく




#1130/1158 ●連載    *** コメント #1129 ***
★タイトル (AZA     )  22/05/06  17:11  ( 74)
連作掌編:語り部を騙る者の物語 2   永山
★内容
第二話.字誤の世界


 不知火ハルカは小学四年生にしては大人びていて、同性の同級生とちょっぴり合わな
いこともある。そのせいだけでもないのだけれど、クラスでは無口な女の子というキャ
ラクターで通っている。
 国語の授業のときだった。
 漢字の読み書きのテストが行われ、終わってすぐに採点に入った。
 今ではこんな方法を採らないところもあると聞くけど、ハルカの通う学校では、隣の
クラスメートと答案用紙を交換して、採点する場合がある。今回もそうだ。
「あの、不知火さん」
 先生が板書する正解を参考に、○×を付けていると、隣の男子、|内藤《ないとう》
君から困惑いっぱいの声がした。
「何でしょう?」
「ここ、二つも書いてあるんだけれど、これはどういう……」
「あ」
 言われて思い出した。
 “<はじめまして>、佐藤さん。わたしの<なまえ>は鈴木です”という文章の、<
>の中を漢字で書けという問題なのだが、最初の括弧の解答欄にハルカは、『初めまし
て・始めまして』と二行に渡って書いてしまっていた。どちらかを消すつもりだったの
に、忘れていたのだ。
「ごめんなさい。×にしておいて」
「うん。惜しいな、ここだけなのに」
 内藤君は赤ボールペンで跳ね印を付けながら言った。
 ハルカも採点し終わり、用紙を彼に返すと、そのときにさらに言われた。
「漢字、得意なのに、何で?」
「……習ったときは、初の方の『初めまして』だったというのは覚えていました」
「え? だったらなおさらわけが分からない」
「……話すと長くなるけれども、先生に怒られても知りませんよ」
「いいよ。今、先生は質問受付中みたいだから大丈夫」
 顎を振った内藤君。確かにその通りで、先生の机には何人かの児童が群がっている。
「『初めまして』を習った授業のあと、理屈では納得できていなくて、家で調べたんで
す。『お初にお目に掛かります』だから『初めまして』が正しい。それはいいとして、
どうして『始めまして』はいけないのか。『これから友達付き合いを始めましょう』で
『始めまして』という理屈は成り立たないのか」
「へえ、そんなこと考えてるんだ。僕もちょっとは考えたけど、先生の言うことだから
疑問に思わなかった」
「私もそのつもりで理解し、記憶する気でしたが、家で調べてみてびっくり。昔の辞典
や辞書には、『始めまして』が正しいとなっている物が意外と多いんだそうです」
「ほんと? 面白いな」
「私も同感で、自分で詳しく調べたくなったんですが、悔しいことにすでに調べた当時
中学生の方がいらしたとかで、それならその人の調べた結果の文章を読んでからにしな
くてはいけないと思い、探しているところでした」
「なるほどと言いたいところだけど、テストで答二つ書いた理由にはなってないよう
な」
 内藤君は結構理詰めで聞いてきた。なお、彼は学年で一、二を争う優等生で、ついで
に女子からの人気もおしなべて高い。単なるガリ勉じゃないってこと。
「理由は、すぐあとの問題にあります」
 ハルカは内藤君のテスト用紙の一点を指さした。
 読み取り問題の一つに、<初孫>があった。二通りの読みを書けというもの。
「ここに二通りとあるから、つられたってこと?」
「違います。『はじめまして』の正解が『初めまして』なら、こんなすぐ近くに『初』
の字を含んだ問題文があるのはおかしい。これはもしかしたら『始めまして』と書いた
方がいいのかなと変な風に考えてしまって……そしてこのざまです」
 ため息を吐きがっくりとうなだれてみせるハルカ。それを見ていた内藤君は、しばら
く顎に片手を当てて考える様子。が、不意に立ち上がると、「テスト、もういっぺん貸
して」とハルカの答案用紙を持って、先生の机に向かってしまった。
(わざわざ先生に言いに行くなんて)
 半分呆れながら様子を見守っていると、先生が椅子を離れ、ボードの前に立った。適
宜板書しつつ、解説をスタートする。
「問題2の4だが、念のために説明の追加をしておくな。『はじめまして』は授業では
『初めまして』だと教えたけれども、本当のところ、歴史的にというか、昔は開始の方
の『始めまして』も使われていたんだ。だから『始めまして』も間違いとは言い切れな
いんだな。ただし、全国模試とか中学や高校といったよそのテストを受けるときは初の
方を書く。今ではそちらが優勢だから」
「結局今のテストはどーなるの? 開始の方でも○にしていいの?」
 疑問の声が飛ぶ。
「今回だけ○にする。次からは、初の方に絞るからな」
 先生が言うと、クラス全体が少々湧いた、点数アップになる子が多いみたい。
「よかったね」
 戻って来た内藤君から、答案が返される。くだんの箇所の跳ね印は斜線で消され、大
きめの赤丸が記されていた。

 つづく




#1131/1158 ●連載    *** コメント #1130 ***
★タイトル (AZA     )  22/05/11  19:50  ( 84)
連作掌編:語り部を騙る者の物語 3   永山
★内容                                         22/05/11 19:53 修正 第2版
第三話.素語彙《すごい》当て字


「この前、学校で夏目漱石をやったんだけどね」
 御坊田育人がそう切り出して、続けようとするのを、不知火ハルカはストップを掛け
た。
「あまりにも情報が足りてないよ。学校で、夏目漱石作品の劇をやったのか、偉人伝の
朗読で夏目漱石役を演じたのか、それとも一番ありそうな国語の授業で夏目漱石作品を
取り上げたのか。はっきり言ってくれなきゃ」
「ごめんごめん。ハルカちゃんにはかなわないな」
 後頭部に片手をやる御坊田。
 週末、親戚が集まって夜の食事をしたあと、御坊田家を不知火の一家が訪ねていた。
御坊田の家は家電販売を営んでおり、閉店時の売り場スペースは子供らにとって、いい
遊び場になっていた。
 今は、マッサージ機能付きの椅子に座って、彼ら二人で話し込んでいる。
「三番目だ。国語の授業。ただし、作品を読むというよりは、昔の文豪の使った当て字
がテーマだったんだけど」
「何それ、面白そう」
「漱石の『それから』に、馬に尻と書く単語が出て来るんだ。ちょっと待ってて」
 話だけで説明するのがいちいち手間だと感じたか、御坊田は椅子を離れると、レジの
近くの机から紙と鉛筆を持って戻って来た。
「“馬尻”と書いて、さて何という意味でしょうか」
「そのまんまではないんだよね。当て字なんだから」
 少し考え、髪に手を当てるハルカ。
「もしかして、ポニーテール?」
「はは。クラスの大半がそう思ったよ。僕もその口だ」
「じゃあ……カランかな」
「え。どうしてカラン? どこからそういう発想をしたの」
「そんな反応するってことは、間違いなんだ……。確か馬は英語でホースでしょ? 同
じ綴りじゃないと思うけど、ゴムホースのホースと掛けて、そのホースのお尻と言った
ら、蛇口に差し込んである側だから。でも蛇口をわざわざ馬尻って言い換えるのは変だ
し、カランかなあって」
「ユニークだね。クラスでそんな発想したのはいなかったな。でも英語に拘っていた
ら、正解には辿り着けない」
「英語がだめということは、日本語? ば、ばしり、ばじり――バジルって夏目漱石が
健在だった頃から日本にあったのかしら?」
「さあ? なさそうだけど、とりあえず正解ではないよ」
「うーん」
「ハルカちゃんは女の子だし、結構お上品なところがあるから無理かもな」
「う? つまりはその反対、下品であれば解けるって意味だよね。馬……じゃじゃ馬?
 それとも馬鹿?」
「一旦、馬から離れようか」
「じゃあ、尻。普通、尻っていうだけで下品と言えば下品なんだけど」
「脱線するけど、尻の上品な言い方って知ってる?」
「お尻、じゃないよね。えっと聞いた覚えあるのよ。どんな字を書くかまでは記憶して
ないけれども、おいど、かな」
「そうそれ。一応、関西方面の方言てことになってるけど、昔は全国区だったらしい」
「……バケツ?」
「いきなり正解出す? まあ当たりだけど」
「ふうん。バケツかあ。何か、馬とか尻とか全然関係ないのね。文豪だから、少しは元
の意味を想像させる漢字を使うものと期待しちゃってた」
「はは、形無しだねえ。じゃ、漱石センセーのためにもう一つ、発音したらほぼ答なん
で、最初から書くけど」
 午房田は紙に印氣と書いた。
「これは何を表現してるでしょうか」
「発音が近いってことだから、インキ――インク?」
「早いな。簡単すぎたか」
「うん、バケツよりはずっと。ただ、印は書き記すとか印刷を連想させるから、インク
のイメージがなくもないね。私は好きだわ」
「授業で習って初めて知ったんだけど、夏目漱石は当て字を多用したことで有名らし
い。ロマンを浪漫としたのもそうだって」
「え、それ凄い。雰囲気あるよね、浪漫て」
「一方、現代では甘露栗と書いてマロンと読ませる……」
「栗だけでマロンなのに、甘露って。まあ分からなくもないけど」
「しかもこれ、女の子の名前」
「え。付けたいのなら片仮名でいいのに」
「否定はしないんだ? この手のいわゆるキラキラネームって、あんまり評判よくない
けど」
「うーん、私も好きじゃないわ。ただ、割り切ってるところもある。いざとなったら名
前、変えることができるよね、確か」
「そうだね。手続きは面倒だろうけど」
「それに、言葉は生き物だから変化して当たり前っていう人は多いのに、人名には目く
じらを立てるのって、筋が通らない気がして」
「ははあ。そういう理屈か。まあ、世間一般がキラキラネームをよしとしないのは、読
めない、ペット感覚で付けてる、といった理由が多いだろうな」
「中には、読めて、子供のためを思って真剣に付けたって言うのもきっとあるよね。即
興だけど、天下を取って最高の世界を作って欲しいと願いを込めて、|天最世《あさよ
》とか。でも付けない方がいいなー」
 明確な基準を持てないことで、居心地が悪く感じてしまう。
「感覚で判断するとしか言えないんじゃないか」
「ううーん、それでいいのかなあ。その内、|七五三太《しめた》もキラキラネーム扱
いになるかもしれないわ」

 つづく




#1132/1158 ●連載    *** コメント #1131 ***
★タイトル (AZA     )  22/05/12  21:18  (142)
連作掌編:語り部を騙る者の物語 4   永山
★内容
第四話.言葉遊びで遊ばれる


 五年生になった不知火ハルカだったが、新学年早々に熱を出してしまった。
 動くのがひどく大義に感じるほどだったので、学校を休むことにする。家で大人しく
していると、午後からは体調が多少は上向いてきた。しかし、まだ起き上がれるほどで
はない。ベッドで横になり、布団を被って、読書をして時間を費やしている。
「ハルカ、起きてる?」
 ノックの音に、本を伏せるハルカ。母の声だ。ちょっと前に、すりおろしたリンゴと
ヨーグルトを運んでもらったばかり。何の用だろう。
「はい。何?」
「クラス委員長だっていう子が、お見舞いに来てくれてるわよ」
 ハルカの部屋は二階にあり、ドアを閉じていれば一階の物音はほとんど聞こえない。
だから来訪者にも気付かなかった。
「……名前を言わないの?」
「クラスの代表で来ただけだから、ですって」
「直接お礼を言いたいから、上がってもらってほしいんだけど、いい?」
「私はかまわないけれども、ハルカはいいの、そんな格好を見られても」
「別に、恥ずかしい格好はしていないし、内藤君なら問題ない」
「内藤君ていうのか、なるほど。覚えておいた方がいいかしら」
「お母さん、早く呼んで」
 母を階下に追いやってから、ハルカは枕を背もたれ代わりになるよう位置を調節し、
上体を起こした。耳を澄ませ、しばらく待っていると、とんとんとんとかすかな響きが
伝わってくる。階段を上がってくる音に違いないけど、男子にしては随分と静かに思え
る。
 程なくして振動が止んだ。二度のノック音にハルカは「はい」と返事した。
「えっと、不知火さん? 僕だけど、開けていいのかな」
「“僕だけど”って、オレオレ詐欺じゃないのだから、名前を言ってください」
「同じクラスの内藤、です」
「どうぞ入って」
 ドアが開いた。ランドセルを背負い、手提げ鞄を持った内藤が、ややおずおずとした
足取りで入って来た。学校での様子と比べると、ちょっぴり緊張気味のようだ。
「ドアは開けたまま、それとも閉める?」
「空気が冷たく感じるので閉めて」
「やれやれ。その調子なら、だいぶ元気みたいだね」
「身体は熱っぽくて、寒気を感じるのは朝も今も一緒なの」
 答えつつ、ハルカは自分が普段よりもお喋りになっていることに思い当たった。学校
ではもうちょっと口数が少ないのだけれども、今日は半日寝たきりで、好きな本を好き
なだけ読めるとは言え、退屈を覚え始めていたのかもしれない。
「お見舞いと言っても、宿題とノートの写しを届けに来たんだけどね。あとお知らせが
一枚」
 手提げ鞄を広げ、中からプリント類とルーズリーフそれぞれ数枚を出してきた。
「机の上でいいかな」
「お願いします。あ、でも、何か特別に注意する事柄があるのでしたら、今すぐ聞かせ
て」
「特別な……ないと思う。お知らせは毎年恒例の春の遠足だし」
「そうですか。ありがとう……内藤君のお家、こっちの方だったかしら」
「方向は同じだよ。クラス委員長だから指名されたんだろうけど、別に苦にはなってな
い」
「……副委員長は? こういうとき、女子には女子が来るものと思っていましたけれ
ど。|山岡《やまおか》さんも休みだったとか?」
「いや。山岡さんはお稽古事で。実を言えば、他に女子何人かが手を挙げて立候補した
んだけど、先生が却下した」
「どのような理由で」
「おまえらが行ったらお喋りで時間を潰して、治るものも治らなくなりそうだからだ
め!だってさ」
「そうして代わりに来た内藤君と、こうして話し込んでいては、何の意味もないと」
 微笑した不知火に、内藤も「そういうこと」と同調した。
「じゃ、先生の期待に添うよう、さっさと帰るとしますか」
「待って。退屈し掛けていたところなの。学校で何かあったか、聞かせて」
「え、家では意外とわがままなんだね」
「今日は特別です。常にマイマザーというわけではありません」
「え? マイマザー?」
「“わがまま”を二文字ずつに分解して、無理矢理英語にした表現。知りません? か
なり有名な言葉遊びで、マイファザーイズマイマザーって言うの」
「『私の父は私の母です』だと思わせて、『私の父はわがままです』ってわけか。なる
ほど、そういうのが好きなら、一つあったよ。今日の学校での出来事で」
「聞かせて」
「英語じゃないけど、言葉には二重の意味があるっていうのがよく分かる話。……一
応、プライベートなことだから、名前は伏せる方がいいのかな」
「話の芯が分かれば何でもかまいません」
「じゃ……放課後のことだから、またあまり時間が経ってないな。クラスの女子が話し
ているのが、耳に入ってきたんだ。状況は、A子さんは新しいクラブを作りたくて、B
子さんを誘っている。最初にA子さんが『奇術部を作りたい』と言ったら、B子さんは
『記述部って何を書くクラブ?』って聞き返した」
 内藤は立て板に水とばかり、すらすらと語った。聞き手の不知火としては、すぐには
飲み込めず、小首を傾げた。
 彼女の様子を見て察したか、内藤はランドセルからノートと筆入れを取り出すと、
ノートの空いているところに鉛筆で「奇術」「記述」と書き付けた。
「これで分かる?」
「はいはい、分かりました。この二つの単語、単独ならイントネーションで区別できそ
うだけど、後ろに『部』を付けると差がなくなるのかな」
 そう言って不知火は、キジュツブ、キジュツブと口の中で繰り返し言ってみた。
 そこへ、内藤が「これにはまだ続きがある」と愉快そうに付け加えてきた。
「続きって、言葉遊びとしての?」
「うん、そうなると思うよ。A子さんはB子さんの勘違いを打ち消して、こう説明す
る。『その記述じゃなくて、マジックの奇術だよ』って。これを聞いたB子さん、『マ
ジックって、やっぱり書くものじゃないの』と反応した」
「あはは。そっかあ、二段構えで被るのね。奇術と記述する、マジックとマジックペ
ン」
「そこまでしか聞かなかったんだけど、多分、B子さんは分かっていてわざととぼけた
みたいだった。少なくとも、マジックペンのところは」
「分かった上でそのやり取りができるのでしたら、A子さんとB子さんは息ぴったり
ね。――あ、同音異義語で『いき』って結構複雑だと思わない?」
「『いき』? さっき言ったのは呼吸の『息』だよね。他には……息を合わせるは同じ
か。ああ、『活きがいい』というのがあった。生活の活だ」
「まだあるわ。『意気に感じる』『心意気』と、『粋なはからい』」
「ふうん。何となく、意味が似通ってるような」
「内藤君もやっぱりそう思う?」
 布団から少し乗り出す不知火。内藤はちょっとびっくりしたみたいに、頭を引いた。
「う、うん。完全に同じってわけじゃないけれども、同じ線上にあってつながっている
というか」
「でしょ。そうなのよね。多分、根っこが同じ言葉なんじゃないかなって気がするんだ
けれども、ちょっと調べたくらいじゃ判断がつかなくって」
 身振り手振りを交え、興奮してきた様子の不知火を前に、内藤は小さく息を吐いた。
「あんまり根を詰めて考えたら、熱がぶり返すんじゃないかな?」
「うう、それは嫌」
 布団を被り直し、横になる。一旦目を閉じたが、あることが頭に残って、すぐさまぱ
っちり開く。口調を戻して言ってみた。
「ついでに思い出した話の種があるんですけれど。一度、男子に聞いてみたかったんで
す」
「しょうがないな。最後だよ」
「聞いて、引かないでくださいね」」
「うん?」
「たとえば……宣伝のためのチラシを作って、町のお店に置いてもらえるよう頼みに行
く場合を思い描いて」
「――思い描いた」
「お店の人にどんな風に言って頼む?」
「『このチラシを置いてもらえませんか』じゃないかな」
「そうではなくって……食べさせてとか、当たらせてとか、そういう表現にして欲しい
んだけどな」
「最初から言ってくれなきゃ分からないよ。えっと、このチラシを置かさせて……あ
れ?」
「ふふ、今なんて言ったの? チラシを?」
「おか……」
 ※このときの内藤君、別の漢字変換が頭に浮かんで、離れなくなっていた。
 顔を真っ赤にして打ち消す。
「違う! これはえっと、そう、『さ入れ言葉』だっけ? あれだよ。必要ないのに
『さ』を入れちゃうっていう誤り」
「はいそうです。引っ掛かってくれて嬉しい。正しくは?」
「『チラシを置かせてください』、だろ」
 軽く呼吸を乱しつつも、どうにか答えた内藤。
「まだ油断してはだめよ。方言とまで言っていいのか知らないのだけれど、『見せて』
を『見して』、『眠らせて』を『眠らして』みたいに違う言い方をする場合があるわよ
ね」
「う、うん。――分かった。もう続きは言わなくていいよ」
「『置かせて』をこれに当てはめるとどうなるでしょう?って言いたかったんですけ
ど、気が付いたのならやめます」
「まったく……そんなこと考えてるとは、全然思わなかった」
「くれぐれも、引かないでくださいね。あくまでも言葉遊びの一環なのですから」

 つづく




#1133/1158 ●連載    *** コメント #1132 ***
★タイトル (AZA     )  22/06/01  20:29  (102)
連作掌編:語り部を騙る者の物語 5   永山
★内容
第五話.外来種駆除ではありません


「ねえ、外来語ってどう思う?」
 不知火ハルカの質問に、御坊田育人はきょとんとなり、目をぱちくりさせてしまっ
た。幸い、ソファに仰向けに寝っ転がった姿勢で、本を立てて読んでいたので、顔は彼
女からは見えなかったはず。
「随分と漠然とした質問だなあ」
 しおりを挟んでから本を閉じ、脇に置いた。身体を起こして相手を見やる。
「何か具体的に思い描いている言葉でもあるんじゃないの?」
「ううん。いいから答えてよ」
「そっちがよくても、こっちがよくないんだけどねえ。――あ、思い出したぞ。だいぶ
前になるけれどハルカちゃん、不満そうに言ってたっけ。『またそのまま片仮名にした
だけだわ』とかどうとか」
「うん。外国で生まれた商品や製品、その他言葉が日本に入ってくるとき、片仮名で表
しただけっていうことが増えてるんじゃないかなって」
「うーん、統計的なデータがあるのかどうか知らないけど、実感はあるね。まあ、外国
から入ってくる新たな言葉自体、昔に比べたら爆発的に増えてるような気がするけれど
も」
「私が生まれる前のことは、話で聞くか物の本で読むしかないけど、昔は外国から入っ
てくる新しい言葉を従来の日本語で言い表そうって、もっと努力をしていた印象がある
わ」
「たとえば?」
「そうねえ、電話なんてどう? えっと、基本的なことを確認してないんだけど、外国
で発明された物だよね?」
「そうだね。発明したのはグラハム・ベルということになってて、確かスコットランド
だったかな。電話がスコットランドの地で発明されたのかは僕は知らないけど、実用
化、製品化されたのが西洋なのは間違いないよ」
「よかった。それでもしも今の時代に電話が日本に初めて入ってきたとしたら、ほぼ間
違いなく、電話とは名付けられなかったと思うの。そのまま、テレホンかテレフォンに
なった」
「なるほど。あ、でも厳密には違うかな」
「どうして?」
「固定電話の形では入って来なかったろうから、携帯電話の英語名かスマートフォンか
のどちらかになっていたんじゃないだろうかと思った」
「あ、そっか。じゃあスマートフォンはそのままとして、携帯電話は……モバイル?」
 問い掛けに、御坊田は黙って携帯端末を操作して、検索で答を見付けた。
「セルラーもしくはセルフォン、セル、モバイルフォン……色々あるみたいだ」
「仮に、スマートフォンにいかにも日本語らしい名称を付けるとしたら、どんな漢字を
当てはめる?」
「漢字限定か……直訳するパターンだと、細電話かな。もちろん、スマートフォンのス
マートは賢いという意味なのは知ってるけれども、思い返してみると、スマートフォン
が入ってくるまでは、スマートって細いという意味でしか、認識してなかった気がする
な」
「そうなんだ? スマートヘリやスマートスピーカーも、あとだもんね」
「意味の通りなら、賢い電話で賢電かなあ。最早、電話という括りに収まってないのは
明白なだけに、違和感が残る」
「電話が賢くなって、色々な機能が付いたと解釈すれば問題ないでしょ」
「文句ばかり言わないで、ハルカちゃんの意見を聞かせてくれよ」
「まあ、やっぱり電話の電の字は残したい。何でもしてくれる相棒みたいな存在ってこ
とで、相電。広い意味で使用者を導いてくれるから、導電……は元からある言葉に被っ
ちゃうか。補助してくれるから助電なんてどう?」
「次から次へと、よく出て来るなー。でも、どれも違和感がある。慣れ親しんでいない
というのもあるだろうけど、“携帯電話”ほどぴたりとはまる感じがないね」
「言われてみると、携帯電話は日本語として違和感がないわ。漢字二文字に拘りすぎた
かしら」
「そのしっくり来る携帯電話も、ケータイと呼ぶのが当たり前になったという現実があ
るから、何とも言えない」
「そっかぁ……あと、もう一つ思い出したわ。テレビよテレビ」
「外来語を略したパターンだね。テレビジョンからテレビ。それが?」
「この間初めて知ったんだけれども、テレビは受像機っていう言葉が与えられていたん
でしょ? どうして定着しなかったのかなって考えたらしばらく眠れなくなっちゃっ
て」
「……受像機だとちょっと長い、かな」
「そんなあやふやな。仮説を出すにしても、もっとそれらしいことを言ってよ。期待し
てるんだから」
「待って。とりあえず検索して調べてみる……って、ハルカちゃんならとうに調べてる
よね?」
 手を止めて、小学五年生の顔を見据える。すると彼女は「もちろん」とあっさり認め
た。
「けど、分からなかった。多分なんだけど、テレビ受像機っていうのが正式名称として
あって、省略するときにテレビを残したみたい。どうしてテレビの方を残したかとなる
と……やっぱり字数が少ないから?
 それで、ラジオはどうなんだろうと思った。ラジオもテレビと似たようなもので、で
も無線電信機とか無線装置とか、頭にラジオが付いていない単語も生まれているのに、
残らなかった」
「無線と言うだけだったら、他にも色々な物を含めてしまうからじゃないか? モール
ス信号とかトランシーバーとか。はっきり区別するために、より細かい区分としてラジ
オと呼ぶようになった説に一票だな」
「ふうん、ありそうな気がしてきた。じゃあ、もしかすると、ラジオが日本語として先
に定着していたからこそ、テレビ受像機は“テレビ”になったのかも」
「どういう意味だい?」
「声だけを受信する物の次に、絵と声を受信する物が出て来た。これら二つの。放送を
受け取るための機は械同系列に並んでいると見なせる。そこで先にあったラジオに倣
い、同じ片仮名三文字になるよう、“テレビ”とした」
「『講釈師、見てきたような嘘を言い』の口だね」
「ひどいなあ、一生懸命考えたのに。スマホだって片仮名三文字よ」
「それはむしろ、日本人もしくは人間が三文字・三音節の言葉を覚えやすい、好むとい
うのがありそうだけど」
「そんなことないと思うわ。有名人やスポーツのペアの愛称は、四文字も多いんじゃな
い?」
「……確かに。人種の好みにまで言及し出すと、収拾が付かないから、この辺りでお開
きにしよう。ね、ハルカちゃん?」
「いいよ。ただし、一つだけ宿題」
「宿題?」
 本を開き掛けた御坊田だったが、動きを止めた。
「そう。そのまま片仮名にで言い表す外来語を、漢字で表してみるっていうやつ。ド
ローンで考えてみて」
 やれやれ。御坊田は苦笑を浮かべつつ、息を吐いた。
 飛ぶ忍者で、飛忍はどうだろう。ドローンだけに。

 つづく




#1134/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  22/07/06  19:39  ( 56)
連作掌編:語り部を騙る者の物語 6   永山
★内容
第六話.言葉が壊死

 別に、嫌味な調子で言ったつもりは全然なかったのだけれども、相手が怒ってしまっ
たものは仕方がない。
「来いっ、必殺・招龍拳を味あわせてやる!」
 クラスの男子四、五人ぐらいが、校庭の片隅でごっこ遊びをしていた。その台詞が耳
に入って、不知火ハルカは思わず反射的に、
「味わわせる」
 と呟いていた。
 その声が意外と通ったらしくて、一番近くにいた男子が「ああ?」と反応を見せた。
「味あわせる、だろ?」
 聞いてきた、と言うよりも、間違っているのはおまえの方だろと言わんばかりの詰め
寄り方をされ、不知火は上体を少し後ろに反らした。
「いえ、味わわせるです」
 その様子にただならぬ気配を感じたか、他の男子もごっこ遊びを中断し、「何だ?」
「どうした?」と集まってきた。
「必殺技を『味あわせる』じゃなくて、『味わわせる』だって言うんだ、不知火……さ
んが」
 学校のルールで、呼び捨てはだめということになっている。そうでは会っても、つい
呼び捨てしそうになる人は結構いる。
「え、嘘だー」
「いくら不知火さんの言うことでも、信じらんねえ」
「『見合わせる』とか言うし」
 反発の集中砲火に晒されたが、だからといって事実を曲げる訳には行かない。
「これで見て」
 持ち歩いているポケットサイズの国語辞典を取り出すと、男子達から受ける圧を押し
返すように、前に突き出した。
「くれぐれも言っておきますが、『味わわせる』の項目なんてありませんから。『味わ
う』の用例を見てください」
 そしておよそ一分後。
「そっちが正しいのは認めるよっ」
 当たり前だが、不知火の完全勝利。それでも、食い下がる者はいる。|日下三郎《く
さかさぶろう》、きっかけとなった“味あわせてやる”発言をした男子だ。
「でも、テレビなんかでよく言うじゃん。言葉の乱れが問題になるたんびに、言葉は生
き物だから変化していくのが当たり前だとか何とか。『味あわせる』もそういうのに含
まれるんじゃないか」
「少なくとも今の時点では、含まれていないと思います。使用例としてまだ多数ではな
いでしょうし、純粋に文法の間違いから来る誤用ですから。これが別の――たとえば、
『押しも押されぬ』なら、誤用が増えていると言えるかもしれない」
「誤用って、どこが? 『押しも押されぬ』で合ってるだろ」
「間違っています。『押しも押されもせぬ』です。もう一つ、ニュアンスの似た慣用句
に、『押すに押されぬ』があって、これらを混同したことで生まれた誤用が『押しも押
されぬ』だと言われています」
「そうなんだ……。でも、それってつまり、言葉が生き物だっていう見本みたいな話に
なるんじゃ?」
「『押しも押されぬ』では意味が分かりません。強いて言うなら『押すことと押されな
いこと』かな。『押しも押されもせぬ』なら、『押しもしないし、押されもしない』と
なり、この慣用句の意味――実力があって堂々としているという状態に通じます」
「だったら、どんな場合に誤用だった言葉が、正しいものと認められるんだよ?」
「だから、誤りは誤り。誤った言葉を用いる人が多数を占めれば、認められることもあ
る、という程度の認識が妥当でしょう。
 そもそも私、思うんです。言葉は生き物とたとえられる通り、変化していって当然。
でも、だからといってそれまでの言葉を無闇矢鱈と死に追いやっていいのかしら、っ
て」

 つづく




#1135/1158 ●連載
★タイトル (sab     )  22/07/15  11:21  (155)
ニューハーフ殺人事件1    朝霧三郎
★内容                                         22/09/15 17:33 修正 第4版
 警視庁池袋署の警部補、水戸光男は、或る日、大腸内視鏡検査を受ける為に、
T女子医大系の病院を訪れた。
 検査に先立ち、下剤2リットルを飲んで、大腸の中身をじゃーじゃーと
排泄しなければならなかった。
 ロッカーに入って、肛門のところがくり抜いてある紙パンツに履き替えると、
検査着に着替えた。
 出てくると、看護師が手の甲に点滴の注射針を刺した。
ぽたぽたと点滴筒の中を落ちてくる水滴は、脱水症状を予防する生理食塩水らしい。
 こういう状態で、準備室のソファに座ると下剤を飲みだした。
 パウチに入っている液体を紙コップに注ぐと、とりあえず一杯飲んだ。
 甘くないポカリスエットみたいな味がした。
 水戸光男以外にも3人のジジイがいて、それぞれポカリを飲んでいた。
 すぐ隣のジジイは、天パーの赤鼻で、カーっと下剤を飲み干すと、
こっちをやぶ睨みに睨んで言った。
「そっちの旦那は随分若いねぇ」
「いやぁ、もう古だぬきですよ」
「あんた、あれだなぁ、三國連太郎の息子に似ているなぁ」
「はぁ?」
「そらあ、佐藤浩市だよ」と奥のジジイが言った。
「どうにかしたのかい?」と赤鼻のジジイが言った。
「職場の検診で潜血反応が出ちゃったんですよ」
「そらあ大変だ」
 と、全く大変ではない様に言うと、更に一杯注いで一気に飲んだ。
「ぬるい。せめて冷やしておいてくれたらなぁ」
「そんなことをしたら下痢しちゃうよ」と奥のジジイ。
「どうせ出すんだろうが」
「ちげえねー」
「わははははは」とアホみたいに笑ってから赤鼻は又こっちを睨む。
「出なかったら浣腸されちゃうよ」
「えっ。詳しいですね。痛いんですか?」
「浣腸が?」
「いや、内視鏡が」
「うーん、コーナーのところで、カメラの先っぽが、ぐーっと大腸を押すと、
痛いこともあるね。でも女医さんにやってもらうと痛くないんだよなぁ。
ここは女子医大系の病院だから、若い女医さんが多くて、
今日も三人の内二人は若い女医さんがやるんだよ。
それは、ホームページで検査する医者の名前をチェックして、
それから待合室にぶら下がっているディスプレイの顔写真をチェックして
確認したんだから間違いないんだよ。
ところが残りの一人が野郎で、この病院の病理医なんだが、
どんなに辛い検査でも患者のために心を鬼にしてやっています、
とかホームページに書いていやがって、そんなのにやられたら堪んないな。
……佐藤浩市君も、女医狙いで今日にしたの?」
「そんなことないですよ」
「とにかく野郎の医者にやられたんじゃあ、当分立ち直れないからな」
 などと話している内に腹がごろごろしてきた。
夕べ飲んだ下剤が効いて今朝から下痢だったのだが、
その上にこんなポカリを飲んだものだから、すぐに効いてきたのだろう。
「ちょっと、もよおしてきましたんで」
 言うと、水戸光男は点滴のキャスターをガラガラ押しながら便所に向かった。
 キャスターごと大便所に入るとバタンと扉を閉めた。
 便座に座ると同時に、ぶりぶりーっと固形のうんこが出た。
それからシャーっと水の様な便が。しかしまだ茶色い。
これが透明になるまであのポカリを飲まなければならない。
 ウォシュレットを強にして洗浄のボタンを押すと、
排便と同程度の勢いで温水が出てくる。
シャーッと。
 準備室に戻ると又ポカリの続きを飲んだ。
 他のジジイも入れ替わり立ち替わりキャスターを押して便所に行った。
「うっ」。水戸光男にもすぐ第二波が襲ってきた。
 又便所に行って、シャーッと水の様な便をする。
 そうやって十往復ぐらいして肛門が火照ったころに便は透明になった。
 やがてジジイたちは一人又一人と検査室に連れていかれ、
最後に水戸だけが取り残された。
 テーブルの上のポカリのパウチや紙コップも片付けられて、
キャンディの包み紙がまるめて転がっているだけだった。
キャンディは味気ないポカリを飲みやすくする為に二粒、三粒、与えられていた。
 すぐに看護師が迎えにきた。看護師は点滴をチェックしてから、しゃがみこんで
「ミトさんね」と言ってきた。
「そうです」
「じゃあ、案内しますから」
 さあ、いよいよだ。水戸は看護師に脇を支えられる様にして検査室に向かった。
 がらがらがらー、と検査室の引き戸を開ける。
 床も壁も蛍光灯で白く光っていた。真ん中に妙に小さい検査台があって
モニタがアームで固定されていて腸壁が映っている。
あと、血圧、脈拍のモニタもある。
 奥の方に机があって、女医が背中を向けて座っている。
(やった。女医だ)と水戸は思った。
 女医はPCに何か打ち込んでいたが、脇にCDラジカセがあって、
音楽が流れていた。
 そこは影になっていて薄暗かったのだが、
CDラジカセの青色LEDを見ている内に、
カーオーディオのイコライザーを連想して、
瞬間的にまったりした気持ちになる。
(あの音楽だって患者をリラックスさせる為というよりも、
女医自身をリラックスさせる為なんじゃないのか)、
と、華奢な体にクリーニングの糊でバリバリの白衣を着ている女医の背中を見て
思った。
水戸は女医の顔を見てやろうと思って「よろしくお願いします」と言ったが、
絶対にこっちを向かない。照れてんじゃないのか。
 水戸は看護師に促されて 検査台に寝かされた。
 腕と指先に血圧計、脈拍計を装着される。
 腹をおさえる係りと背中をさする係りの看護師が前後にスタンバイする。
「それじゃあ膝を抱える様にして丸まって下さいね。…先生、準備できました」
と看護師。
 電灯が落とされ室内が真っ暗になった。
 女医は、ぐるっと旋回して水戸の背後に回った。しかし暗くて顔は見えない。
「それじゃあちょっとぬるっとしますから」という美声が聞こえた。
 と思ったら、いきなり指2本を突っ込まれて、ぐるり一周撫でられた。
ちんぽがピクピクっと反応する。
「入ります」
 言うと女医は内視鏡の挿入を開始する。 
 直腸からS字結腸の方へずぶずぶと挿入されていくのが分かる。
しかしこの段階では、肛門の括約筋で擦れる感じがするだけだった。
 S字結腸から大腸へのコーナーに差し掛かると、
「仰向けになって足を組んで下さい」と言われて、
体を仰向きにさせられる。「膝小僧の上にふくらはぎを乗せる格好で」
 ほとんど正常位の恰好で金玉の下からずぶずぶ突っ込まれる。
 突き上げる様な痛みが襲ってきた。
「ううぅ」。水戸はうめいた。
「リラックスして、息を吐いて、息をはいて」と言いながら、
看護師が腹を押してくる。
カメラが大腸を突き破って飛び出してくるのを押さえているかの様に。
 女医はカメラのノブをルービックキューブでも回すみたいにカチャカチャ回したり、
或いは、肛門のところでカメラを出し入れしながら、
更にずぶずぶと突っ込んできた。
 大腸を通り越して盲腸に向かうコーナーで、又、横向きに寝かされて、
更にぐいぐい突っ込まれる。
「はい、盲腸に達しましたからね。後は抜きながら見ていきますからね。
ミトさんもモニターを見ていて下さいね」と言われると、
看護師に又仰向けにさせられて、膝の上で脚を組んだ。
 しかし散々あちこにを向いたものだから、紙パンツの丸くくり抜かれた箇所が
上にずれていて、チンポが丸見えになっていた。
しかも勃起はしていないもののガマン汁が出ている。
血圧計のモニタには脈拍130と出ていたが、その明かりでガマン汁が光っている。
ここからは抜くだけなので、全く痛みがなく、
その分アナルで擦れる感じがよくわかって、
ますます(勃起するんじゃないか)と水戸は思った。
 女医はどんどん抜き出したのだが、腸壁を見る必要からか、
エアーをどんどん吹き込んでくる。
 看護師が腹を摩りながら言った。
「ミトさん、どんどんガスを出して下さいねー、
おならじゃなないですからね、恥ずかしくないですよー」
 そして肛門を緩めると、ぶーーーーーと、空気が出た。
(これはマン屁の感覚か。いや、チナラでもない。オナラでもない。
これがアナラの感覚か)。
 勃起はしていないし、ガマン汁も、肛門から漏れ出してきたゼリーで
ベトベトで分らない。(これは案外いい塩梅かも)と思いつつ、
ミトはかま首もたげて、モニタと女医を交互に眺めていた。
 ところが検査も終盤にさしかかったところで、いきなり隣の検査室のドアがあいて、
例の野郎の病理医が入ってきた。
 女医の横に立つとモニタを見て、「なんかいっぱい出来てんなー、細胞とったの?」
と言われた瞬間に、肛門に激痛が走った。
「痛てー」水戸は腰を浮かせた。
「ミトさん、リラックスして 息を吐いて」と看護師。
 そして水戸はラマーズ法の様に息を吐いたのだった。
 最後に肛門からカメラがぽろりと出た時には、
全くの異物に成り果てていたのであった。
 電気がついて、女医はPCにかじりついた。
 病理医の姿はなかった。
 看護師は後片付けを始めていてもうかまってくれない。
 水戸は、肛門から出るゼリーを紙パンツでおさえつつ、検査台から下りた。
「細胞取りましたから。結果が出るのは2週間後ですから」と、
女医が背中を向けたまま言った。
「どうもありがとうございました」と水戸は糊でバリバリの白衣の背中に挨拶した。




#1136/1158 ●連載    *** コメント #1135 ***
★タイトル (sab     )  22/09/15  17:48  ( 12)
ニューハーフ殺人事件人物一覧    朝霧三郎
★内容
石浜勇之介。(デカ長)。池袋署の警部補。捜査一課係長。立川志の輔似。五十五歳。
水戸光男。(通称ミツさん)。池袋署の警部補。佐藤浩市似。定年間際。六十歳。
小林達也。(通称コバちゃん)。池袋署の巡査部長。江口洋介似。三十五歳。
加藤凡平。(通称カトーちゃん)。池袋署の巡査部長。高木ブー似。三十三歳。
関根啓子。(通称啓子巡査)。関根恵子似。二十七歳。
佐伯明子。(通称明子巡査)。渡辺満里奈似。私立大学で心理学を専攻していた。
二十五歳。
斎藤警視。池袋署に赴任予定の管理官。桂文枝似。国立大学で心理学を専攻していた。
五十歳。
アリス。ニューハーフ風俗のシーメール。目元が蒼井優似。二十歳。
あきな恋。ニューハーフ風俗のシーメール。本田翼似。二十二歳。
マキコ。ニューハーフ風俗の受け付け。マツコ・デラックス似。二十八歳。




#1137/1158 ●連載    *** コメント #1136 ***
★タイトル (sab     )  22/09/15  17:54  ( 11)
ニューハーフ殺人事件プロローグ    朝霧三郎
★内容                                         22/09/15 17:57 修正 第2版
「死への欲動」と肛門性愛は結びついている!
これは普通のミステリーではない。
事件が起こり、謎があり、謎を解明してスッキリする、というミステリーではない。
この物語の主人公である、デカ・水戸光男(通称ミツさん、定年間際)は、
或る日受けた大腸内視鏡検査をきっかけに肛門性愛に目覚めた。
同時に殉職したいという「死への欲動」にもかられた。
彼は、職場の花である関根啓子巡査を守って殉職したいと思った。
何故、水戸光男は殉職したいと思ったのか。
その死と肛門性愛に何の関係があるのか。
そこらへんを深掘りして謎を解明するというのがこのミステリーの謎解きである。
ぐりぐり深掘りしますので読者が楽しんでいただけたらと思います。




#1138/1158 ●連載    *** コメント #1137 ***
★タイトル (sab     )  22/09/16  09:07  ( 83)
ニューハーフ殺人事件2    朝霧三郎
★内容                                         22/09/18 15:17 修正 第2版
(副題:なぜリア充していないと勝ち組にひりつく様な嫉妬を感じるのか?)

 病院を出てきたところで、内ポケットのピーフォンが鳴った。
「ミツさん、具合はどうだ」とデカ長のだみ声が響いてきた。
「大した事ないですよ」
「そりゃよかった。じゃあゆっくり休んでくれ、と言いたいところだが、事件発生だ。
サンシャインシティアルパ1階のタリーズコーヒーの前で、遺体発見だ」
「殺しですか」
「そりゃまだわからん。現場には、コバと、明子、啓子が行っている。
カトーちゃんを迎えにやるんで、ミツさんも至急向かってくれ」
「了解」

 山手通りの西池袋の高架下あたりで待っていると、カトーがパトカーで現れた。
 サイレンも赤色灯もOFF。
 山手通りから、西池袋通りに入り、ダイヤゲート池袋のアンダーパスにもぐりこん
だ。
「全くごついビルをたてるもんだ。西武は銭が余っているのかなぁ。
税金払ってないから」
 ダイヤゲート池袋をフロントガラスごしに見上げながら水戸光男は言った。
 道路の低いところで赤信号で止まった。
 横断歩道のところで、中年のホームレスがビッグイッシューを売っていた。
 警備員が、ここで売るなと文句を言っていた。
「なんだ、ありゃあ、西武の警備員か?
サイレンならしてやるか。道路は西武のショバじゃない、警察のものだと。
もっともあんな警備員、西武の社畜にもなれない派遣社員だろうがな」
「シャチク?」とカトー。
「社畜だよ。家が西武なんとか台で、西武線で西武の会社に通っていて、
買い物は西武で、野球も西武、休みの家族サービスも西武園、みたいなやつ。
 そこまで社畜にならないといけないのかって思っていたんだがな。
 俺は実家が西武ひばりヶ丘だから、そんなのが多くてね。
 それが見ていて嫌で。
 だから俺は桜田門に就職したんだよ。西武より格上だろう?」
「……」
「だから、四谷署とか新宿署とかJR系のがよかったんだけれどもなぁ。
渋谷署なんて最悪だよな。公園通りは西武が作った、なんて。
あと、高輪プリンスとか、赤坂プリンスなんて最悪。
だけど、池袋署に来ちゃった。ここも西武色が強いからなぁ。
お前はそういう事思わないの?」
「えっ、何をですか?」
「西武が銭を持っていて気に入らなくないのか、って」
「関係ないでしょう…。つーかリア充していればそういう社会の事は気にならない、
と明子巡査が言ってましたよ」
「へー。お前はリア充しているからな。アニメや漫画で」

(リア充していると社会の事は気にならない、か)
 光男はふと思った。
(確かに、リア充していた若い頃にはそういうのは何も思わなかった。
カトーと同じぐらいの歳の頃、ストリップにハマっていて、
警察官の癖に本番まな板ショーに上がる程ハマっていたが、
他の常連が
「俺達がこんな事しているあいだにホリエモンなんかにいいようにやられちゃって」
とか言っていたのを聞いて、
「何でホリエモンなんて気にするんだろう、関係ないじゃないか」
と思ったものな。
 又、別のジャンケンマンが店に入ってくるなり
「酒鬼薔薇が捕まったぞ」
と言うのを聞いて
「サカキバラって誰? どっかの女衒?」
ぐらいにしか思わなかった。
当時世間を騒がせていた神戸市須磨区の連続殺傷事件の酒鬼薔薇だが、
警察官の癖にそんな事なんとも思わなかったものなあ。
何故だろう。
何故リア充していると何にも感じないんだろう)

 信号が変わるとカトーは赤色灯だけ回して、車を出した。
 池袋駅方向に左折して、すぐにサンシャイン通り60に入る。
 しばらく行くとサンシャインビジョンに着いた。

「平日なのに結構な人ゴミだなあ」
小走りでサンシャインシティを走りながら光男が言った。
「しかも、B1噴水広場では、子供向けにアニソン歌手がイベントをやってるんすよ」
「本当かよ、野次馬が集まっていなけりゃいいが」
 タリーズの真ん前から、噴水広場が見下ろせた。
 何も知らない家族連れが子供を肩車してショーをイベントを見ていた。
 子供が風船を離してしまい、宙にふわふわとただよっていた。

現場には「立入禁止 KEEP OUT 警視庁」と書かれた黄色いテープが張り巡らされてい
た。
それをくぐって「規制線」の中にミツさんとカトーは入っていった。
 関根啓子と佐伯明子が、女という事もあり、
仏さんとは少し離れたところに突っ立っていた。
 巡査部長の小林達也が片膝を突くようにしゃがんでいて、
 ガイシャにかけられた布をめくって覗き込んでいた。




#1139/1158 ●連載    *** コメント #1138 ***
★タイトル (sab     )  22/09/18  15:20  ( 46)
ニューハーフ殺人事件3    朝霧三郎
★内容                                         22/09/25 15:23 修正 第2版
(副題:最近の遺体は何故安っぽいのだろうか?)

 近くに行くと、ミツさんとカトーもしゃがみ込んだ。
「ご苦労様です」とコバ。
「ああ」
 右わき腹の下に刺し傷があった。
 スーツの下の白いワイシャツに血が大きく滲んでいて、固まって変色していた。
 スーツの内側のタグは「A/X ARMANI」。
 少し離れたフロアのタイルにも血のかたまりがあった。
「あそこで刺されてのたうち回って転がってきたのかな。白昼堂々とやったのか」
「開店間際だと」とコバ。
「混乱にはならなかったのか」
「たまたま噴水広場でイベントをやっていたんで、死角になったんでしょう」
「急所を一突きか。プロのしわざかな」ミツは呟くように言った。
「刺されたのは急所だけじゃないみたいですよ」
 仏に布をかぶせるとコバは立ち上がって、「証拠品袋」を目の前にもち上げた。
「これ、なんだかわかります?」
 大きめななまこの端にコルク抜きの様な柄が出ている。
「なんだそりゃ」
「聞いて驚かないで下さいよ。これは、アネロスといって、こいつを肛門から入れて、
肛門の括約筋を閉めたり緩めたりして、直腸の中で移動させて、
前立腺を刺激して感じるっていう道具ですよ」
「ドライオーガズムだ」とカトー。
「カトーちゃん、詳しいじゃない」とコバ。
「漫画で読んだんだよ」
「本当? やった事あるんじゃないの?」
「ある訳ないじゃん」
「こいつがガイシャの肛門の中に突っ込んであったんですよ」
 コバは証拠品袋をぶらぶらさせた。
「こんなところで脱がせたのか」とミツさん。
 ガイシャのズボンを見ると、ベルトが緩められていて、ハンケツが出ていた。
「いや、あまりにも盛り上がっていたので、下ろしてみたら、
これが出てきていたんですよ。
どんなに便秘しているやつでも絞首刑になると脱糞するっていうから、
刺されて死ぬ時に出てきたんじゃあないっすか…、ふふふ」
とコバは鼻で笑うと、ミツの方を見た。
「何を顔色変えているんですか?」とコバ。
「いやあ、ちょっと」とケツのあたりをおさえる。
「全くとんでもない変態ですよ、そう思いませんか?」
 ミツさんも立ち上がると、腕組みをして、遺体を見下ろした。
(それにしても、ミノムシみたいに丸まっていて、チンケな遺体だ)
とミツは思った。
(昔の遺体は「太陽にほえろ!」のショーケンや松田優作の様に迫力があった。
今の時代は色々なものから迫力が無くなっている気がする。
何で最近の遺体は安っぽくなっちゃったんだろう)
「ミツさん」とコバが言った。「ミツさん、何考え事しているんですか。ミツさん」




#1140/1158 ●連載    *** コメント #1139 ***
★タイトル (sab     )  22/09/19  12:21  (166)
ニューハーフ殺人事件4    朝霧三郎
★内容                                         22/09/25 15:19 修正 第2版
(副題:ガイシャが安っぽいのとアネロスと何か関係があるのか)

「そんで、他に所持品は」ミツは顔を上げると言った。
「こいつがガイシャのスーツのポケットに突っ込んでありましたよ」
 コバは別の証拠品袋をかざして見せた。
 ボロボロになった漫画本の漫画が裏と表に見えた。
 そこに描かれているのは、
「な、なんだ、その丹下段平は」とミツ。
「いや、似ているけれども違いますよ。原作者は梶原一騎で同じなんですが、
これは、「あしたのジョー」の丹下段平ではなく、
「愛と誠」の砂土谷という不良高校生ですよ」
「それで、高校生か」
 漫画の砂土谷はスキンヘッドに、片目にアイパッチ、
レザージャケットの上下を着ていた。
そして一本鞭をもっている。
「一体どんな漫画なんだ」とミツさん。
「そりゃあカトーちゃんが詳しいだろう。知ってる」とコバはカトーを見た。
「そりゃあ知ってますよ。超有名ですから。
 その、砂土谷っていうのは、緋桜団っていうヤングマフィアを率いて
花園実業という悪の学園の周辺で暴れているんですよ。
その花園実業に、主人公の大賀誠がいるんですが。
あと青葉台学園という名門校に、ヒロインの早乙女愛とか、
「早乙女愛よ、岩清水弘はきみのためなら死ねる!」の台詞で有名な、
岩清水弘とかもいるんですが。
そもそも、大賀誠っていうのは、子供の頃にスキー場で早乙女愛を救ったんですが、
その時に眉間に傷を負って、ついでに家族も滅茶苦茶になっちゃって、
それが原因で札付きのワルになるんですが。
愛はそれに責任を感じていて、青葉台学園に転校させて更生させようとするんです。
でも、そこでも問題を起こして、花園実業に転校するんです。
あと、問題があるのは、花園実業周辺だけではなくて、
早乙女愛の父親とかも国家レベルの汚職事件に巻き込まれていて、
悪徳高官や暴力団に母親が誘拐されたりするんです。
その母親は、大賀誠が喧嘩殺法でやっつけて救出するんですが。
あと、黒幕の前総理も検察に逮捕されて、それで一件落着ってなるんですが。
そこにまたまた砂土谷が現れて、大賀誠はナイフで背中をさされ、
その場では死なず、愛のところにいって、口づけをして、そして死ぬ、
というのが大筋ですけど。
その砂土谷の絵は、大賀誠を襲う前のページですね」
「さすがに詳しいな。こっちは?」
 コバは証拠品袋を裏返すと反対側の漫画を見せた。
 早乙女愛の後ろ姿とバイクに跨った大賀誠が描かれている。
「そのバイクのシーンは、
悪徳高官と暴力団に誘拐された愛の母親を大賀誠が助けてきた後に、
愛が母親に逆ギレして、家を出て行って浜辺に行っちゃうんですね。
そこに誠が来たシーンですね。
その後で、砂土谷が登場して、大賀誠はナイフで背中を刺されるんですが」
「こりゃあ、CB750じゃないか」とミツさんが言った。
「いや、CB500だよ」とカトーちゃん。
「750だよ」
「500ですよ」
「何れにしても、今のバイクと違って、重々しさがあるよな」とミツ。
「重々しさ?」とコバ。
「今のバイクは、ハヤブサでもニンジャでも機械で作りましたって感じで、
この漫画のナナハンみたいに、スポークでもエンジンでもマフラーでも、
手造りで作りましたという重々しさがない」
「はぁ」とコバはため息交じりに頷いた。
「バイクだけじゃなくて、昔のコカ・コーラのCMなんて見ると、
路線バスにリベットがずらーっと打ってあって、重々しさがあるんだよなぁ。
ああいうのが、街というか漫画に風情を作っているんじゃなかろうか。
今の漫画にはそんな風情はない。
1970年代と1980年代の漫画は区別出来ても、
2010年と2020年は区別出来ないだろう。
カトーちゃん、そう思わない?」
「リベットがないから時代が分からないって事?」
「それだけじゃないよ。
全てが安っぽくなっているんだよなぁ。
なんつーか。
時代劇から馬がなくなって迫力が無くなったし、
歌謡曲からストリングスが無くなって情緒というか趣が無くなったし。
昔は、そうだなあ、だるまストーブもあったし、教室の床が木だったし、
セーラー服もウールだったから、そういうのはコクがあるというか、濃かったよなあ。
それが今じゃあエアコン、リノリウムの教室、アクリルのセーラー服、
という化学繊維的なものになってしまった。
ウールのセーラー服を着ていた女子高生が本当の女子高生って感じがするな。
今のAKBみたいなのはケミカルな模造品って感じだよ。
そうだっ。そういう感じで死体もチープになった。
そうだよ。この仏さんが妙にチープなのはそういう理由だよ」
「何でそんな事が人間にも起こるんですか。
漫画やバスがシームレス構造の為に手造り感がなくなったというのは分かりますが、
そんなの人間にどうして起こるんですか」とコバ。
「それが起こるんですよ」と明子巡査が口を挟んできた。
「なにぃ」キーっとコバが睨む。
「いいですかぁ」と明子巡査。
「ああ、言いなさい言いなさい」とミツさん。
「最近、「砲艦サンパブロ」っていう映画を見たんですが。昔のハリウッド映画で。
それのオーディオコメンタリーで、キャンディス・バーゲンが言っていたんですが。
スティーブ・マックイーンの顔は動物的だって。
だから、迫力があるのだ、って。
理性的な人間だったら何もしないだろうが、
動物的だから次の瞬間に何をするか分からない。
その緊張感がオーディエンスに伝わってきて、それがいいのだ、と。
これを、キャンディス・バーゲン理論と私は名付けました。
それで、ここからは私の想像ですが、
多分、だるまストーブや教室の床が木だったりすると、
動物的な顔になるんじゃないでしょうか」
「そうだよ。その映画は俺も好きでDVDも持っているのだが、その通りだよ。
スティーブ・マックイーンもそうだが、
昔の俳優はみんな濃いよ。
濃いというか動物的だよ。ショーケンでも松田優作でも。
そういう理由からこの仏は薄いんだな」とミツは足元のガイシャを見下ろした。
「その事とアネロスとなんの関係があるんですか」とコバ。
「どうなんだ、明子君」とミツは明子巡査に水を向けた。
「そりゃあ…」と明子巡査
「関係あるのか」
「ない事もないかと」
「なんなんだ、言ってみろ」
「でもー、想像ですから」
「想像でもいいから」
「でもー…」
「あそこに監視カメラがあるー」とカトーが明後日の方向から言ってきた。
「えっ、監視カメラ? あれに映っているかな」とコバ。
 コバは黄色テープのところまで行くと、
野次馬の群集整理していた警備員の一人を手招きで呼んだ。
「おい、君、あのカメラの記録はどこにある?」とコバは警備員に言った。
「へい、地下の警備員室で録画していますが」
「そこ行ってみよう」

 ミト、コバ、カトー、啓子巡査、明子巡査の五人は地下の警備室に行った。
 ミトが警備員室の鉄扉を叩く。
 出てきたおっさんの警備員に警察手帳を見せた。
「池袋署の水戸といいますが、
アルパ1階のタリーズ前の事件の動画を見たいんだがね」
「それならこっちに」
 警備員室に入っていくと、角のフレームの上部にディスプレイがあり、
中段にデルのPC、下段にHDDが3台置いてあった。
 ディスプレイは16分割になっていたが、
その一個を指示しておっさん警備員が、
「ここが、タリーズの前ので、今、切り替えます」と言った。
 その場所だけを拡大すると、犯行現場の遺体、警官、鑑識などの
ライブ映像が映し出された。
「それ、巻き戻してもらえない? 九時とか十時とか開店前の時間に」
「はい」
 キュルキュルキュルーっと巻き戻すと、ガイシャと男がチラッと映っているシーンが
あった。
「そこだ、そこを再生して」とコバ。
 再生された映像で、ガイシャと向き合っているのは、
あの「愛と誠」に出てきた砂土谷みたいな恰好をした男だった。
 男とガイシャはしばらく向き合っていたが、男がガイシャの懐に飛び込むと刺した。
それから砂土谷はきょろきょろとあたりを見回した。
「よし、そこでストップだ」とコバ。
「あ、この人」と、明子巡査と啓子巡査が口を揃えて行った。
「知っているのか」とコバ。
「ホームレスの人だわ」と啓子巡査。
「ホームレス?」
「実は私たち炊き出しをやっているんですけれども…。明子巡査は元少年課だし、
私は元生活安全課ですから、欠食児童やホームレスが可哀そうで」と啓子巡査。
「そうだよなあ。
こんなサンシャインシティを持っている西武みたいな金持ちもいれば、
七人に一人は欠食児童だって?
 ホームレスは、ブルーシートの小屋を訪ねていったりするの」とミツ。
「今時そんなホームレスはいないんですよ。みんな夜中はサイゼかマックにいて、
そのお金を稼ぐ為に昼間はアルミ缶を拾うんです。
そうやって1日歩いているから、靴がボロボロで。
だから、ボロボロのスニーカーを履いている人を見かけたら
おにぎりを渡すんです」と啓子巡査。
「その中にこの砂土谷がいたと」とコバ。
「え、ええ」と啓子。
「あんな恰好しているのか」
「え、ええ」と啓子。
「片目にアイパッチをしていて菜っ葉服を着ていて」と明子。
「どこにいるんだ」
「多分…」と言ってから啓子巡査は口ごもった。
「お前ら、自分が世話しているホームレスを売るのが嫌だなんて思うなよ、
重要参考人なんだから」とミツ。
「60通りか、西口の芸術劇場前のサイゼリヤにいると思います。夜中は」と啓子。
「そうか。じゃあ、とりあえずそいつを確保だな」とコバが言った。




#1141/1158 ●連載    *** コメント #1140 ***
★タイトル (sab     )  22/09/23  12:10  ( 22)
ニューハーフ殺人事件5    朝霧三郎
★内容

副題:何で西武だけじゃなくて、芸術劇場の野田秀樹まで嫌いなの?

「じゃあ、今夜、ミツさんと俺とで
60通りと芸術劇場前に二手に分かれて張り込みますか」とコバ。
「東京芸術劇場かぁ。俺はあそこが嫌いなんだよなぁ。
野田秀樹が芸術監督をやっているだろう。あいつが嫌いでなぁ」とミツさんは言った。
「なんなんですか、それは」
「いやぁ、昔の話だが、俺は、キャンディーズの蘭ちゃんが大好きだったんだよ。
全キャン連っていうのがいて。
自分は田舎の中学生なのに、大学生が全国規模の組織を作って牛耳っている、
みたいな感じだったんだよ。
キャンディーズが解散した時に、
蘭ちゃんは、最初に野田秀樹の夢の遊民社に入ったんだけれども、
もしかして、ああいう偏差値の高い奴らが全キャン連なのか、と思ってな。
その後、大森一樹の映画に出演して、
やっぱりああいう偏差値の高い奴らが好きなのか、と思ってな。
大森一樹と結婚するんじゃないか、と思って。水谷豊と結婚して本当によかったよ」
「なんなんですか。西武の次は、野田秀樹に大森一樹ですか。
成功している奴はみんな嫌いなんすか」
「まぁとにかく、60通りと芸術劇場前にはコバとカトーちゃんで行ってくれよ」
とミツ。




#1142/1158 ●連載    *** コメント #1141 ***
★タイトル (sab     )  22/09/23  12:18  ( 73)
ニューハーフ殺人事件6    朝霧三郎
★内容                                         22/09/29 13:13 修正 第3版
副題:何で「愛と誠」の岩清水弘は死にたかったんだろう?

 コバとカトーちゃんがその日の夜8時から60通り店と芸術劇場前店で張り込み、
深夜12時頃に芸術劇場前店にターゲットのホームレスが現れたところを、
任意同行を求めて、署にしょっぴくと即取り調べとなった。
ミツさんは便所にいた。
(あれだけ下剤で洗浄したのにまだ便が残っている。
これじゃあアネロスなんて使えないな。
あのアネロスは2日ぐらい断食しないと清潔に使えないんじゃないか。
或いは健康なうんこがでて直腸が空洞になれば平気なのか)
そんな事を思いながら便所から出てきて取調室に行ってみると、
明子巡査が耳打ちをした。
「変な事言っています。頼まれたって」
コバとカトーに変わってミツが取り調べをした。
コバは「ちょっと俺は検視の結果を聞いてきます」と言って部屋を出て行った。
「頼まれたって金でか」ミツさんはホームレスの前に座ると言った。
「はい」
「いくらで?」
「十万円」
「その金、今持ってんのか」
「財布の中にありますよ」
「見せてみろ」
 ホームレスが財布を出すと取り上げて中身を見た。
 クレジットカードを引っ張り出す。
「このクレカはお前のか」
「いえ。それは頼まれた人ので。使えると思って」
「明子ちゃん、これ、誰のか調べてくれ」ミツは言うと明子巡査に渡した。
更に財布の中を捲ると、ガイシャの免許証まで出てきた。
「こんなものまで引っこ抜いてきたのかよ」
免許証の住所氏名は
『埼玉県上尾市壱丁目**コーポマンディ202
橋久吉』
免許証の写真はその場で写メして捜査員に共有された。
「これじゃあ、ガイシャになりすましていると思われてもしょうがないぞ」
言うとミツはホームレスの顔を睨む。
「その目はどうした」
 ミツはホームレスの革のアイパッチを指差した。
「へい、生まれつきで」
「そんで砂土谷の恰好しているのか」
「サドヤ?」
「「愛と誠」の」
「知りませんね」
「じゃあ、そのレザージャケットはなんだ。
前は菜っ葉服を着ていたっていうじゃないか」
「これは柳沼さんがくれたんですよ」
「ガイシャかあ。他には」
「そういえば、死ぬ時にこう言っていました。
「早乙女愛よ、ボクはきみのためなら死ねる」」
「え?それは二巻の岩清水弘の台詞だなあ。
実際にリンチにあって死にそうになるのは八巻だが。
ガイシャは大賀誠になりきっていたんじゃないんですかねぇ。
どっかで混乱があるのかなあ。
結局、太賀誠も最後には死ぬんですけれどもねえ。
きみのためなら死ねる、っていうのは岩清水弘ですからねえ。
ガイシャは死にたかったのかなあ」とカトーちゃん。
「そうですよ、オレは頼まれただけでなんです。
刃物を構えて立っていろって。それで向こうが勝手に飛び込んできたんです」
「なんの為にそんな事するんだよ」とミツさん。
「そんなのあっしに聞かれても」
「岩清水弘って何で死にたかったの?」ミツさんはカトーの方に言った。
「さぁー」
「それが分かればガイシャの柳沼なる人物が何故死にたかったのかも
分かる気がするな」とミツさん。

 検視を見に行っていたコバが帰ってきた。
「検視の結果、やっぱり、あの右わき腹からのナイフが致命傷との事です。
あと、こんなのが出てきました」
 コバは証拠品袋をひらひらさせた。
”大宮ハリウッド座 割引券”
「ミツさんちの近くですね。行った事あります」とコバ。
「むかーし、何回か行ったけれども、最近は」
 本番まな板ショーがないので行っていない、という言葉は飲み込んだ。





#1143/1158 ●連載    *** コメント #1142 ***
★タイトル (sab     )  22/09/23  12:25  ( 69)
ニューハーフ殺人事件7    朝霧三郎
★内容                                         22/09/25 15:22 修正 第2版
副題:何で殉職したいんだろう。

水戸光男はその晩当直だった。
夜勤明けの九時半頃、署の庇から出てくると
東のお天道様に向かってあー〜っとのびをした。
池袋駅から埼京線に乗り、赤羽で京浜東北線に乗り換える。
電車はすぐに荒川橋を渡りだした。
レールのつなぎ目の音がコツンコツンと鉄橋に響いていた。
電車が徐行すると、車窓から緑地で野球をしている人達が見えた。
窓の上半分が開放されていて、晩秋の冷気をともなった風が入ってきていた。
何時も光男はここで妄想を開始する。
突然、連結部のシルバーシートのあたりに、高橋啓子巡査が浮き出てきたのだ。
窓から、緑地のグラウンドの方が見ている。
陽の光受けた啓子の横顔は、ローマのコインに彫刻してもいいぐらいの美形だった。
日差しに目を少し細めていて、髪の毛が窓の上半分から入ってくる風になびいていた。
電車は徐行していて、トラス構造の鉄橋の斜材の日影が
啓子にカシャカシャと差していた。
 突然連結部のドアが勢いよく開くと、な、なんと悪役商会、丹古母鬼馬二と
八名信夫が乱入してきた。
 丹古母が勢いをつけて啓子の隣に座り込む。
そして、匂いでもかぐように顔を近づけて、目をぎょろぎょろさせながら迫っていく。
 啓子は体を小さくした。
 つり革にぶら下がっている八名が言う。
「よぉ姉ちゃん、真っ直ぐ帰ったってつまんねーだろう、
これから俺たちとどっか行こうじゃねえか、
カラオケでも行こうじゃねえか、よお」
 そして丹古母は考えられる限りの下品な笑い方で笑うと、
首筋あたりをめがけて、べろべろべろと舌を出す。
 電車ががくんと揺れた。
 八名が、「おっーっと」と言って身を翻すとそのまま
啓子の膝の上に座ってしまう。
「電車が揺れたんだからしょうがねえや」
「やめろーッ」叫ぶとミツは敢然と立ち上がった。
 二人は、一瞬あっ気に取られた様にこっちを向く。
 なーんだオッサンか、という感じで、
啓子を放置すると肩をいからせてこっちに迫ってきた。
「なんだこのオッサンが。スポーツでもするか」
言いつつ八名がこっちの襟を掴みにくる。
 すかさずミツは手で払った。
 おっ、猪口才な、みたいな顔をして更に手を突っ込んでくる。
 それを又払う。
 ネオ対エージェント・スミス、みたいな組み手をしばらくやるのだが、
丹古母が、遠巻きにミツの背後に回ると、懐からドスを抜いた。
 そして卑怯にも背後からドスでミツの背中を袈裟切りに切り付ける。
 白いワイシャツが裂けて背中の肉もざっくりと切れる。
「キャーッ」と悲鳴を上げて啓子が顔を覆う。
 しかしミツはがっばっと丹古母の方に向き直ると、
超人ハルク並のパワーを発揮して、
まるで紙袋でも丸める様にぐしゃぐしゃにすると放り投げてしまう。
 今度は八名に向き直ると、「ちょっと待ってくれ。話せば分かる」
などと泣きを入れてくるのを無視して、同様にぐしゃぐしゃにして放り投げる。
 ……電車が反対方向の電車とすれ違って、窓ガラスが風圧でバーンと鳴った。
 妄想から覚めた。
 電車が行ってしまって静かになっても、もう妄想の続きはなく、
啓子巡査は現れない。
なんとなく背中に手を回したがシャツが切れているわけもない。
(あのまま妄想が続いていたら、俺は殉職していただろう。
シャツが切れて肉もさけて、そっから出血して出血死する。
啓子巡査が覆いかぶさる。
「死なないで、死なないでー」
しかし俺は息を吹き返す事はなかった。
…萌える。
自分の死に萌える。
何でだろう。
何で俺は殉職したいんだろう。
岩清水弘もこういう気持ちだったのだろうか)
「京浜東北線の南浦和行きです。次の停車駅は川口です」
という車内アナウンスで目が覚めた。
しかし、何故殉死したいのかという謎はしばらく脳内を駆け巡っていた。




#1144/1158 ●連載    *** コメント #1143 ***
★タイトル (sab     )  22/09/25  15:59  ( 80)
ニューハーフ殺人事件8    朝霧三郎
★内容                                         22/09/29 13:05 修正 第2版
副題:何でドン・キホーテって、自由な気分にさせてくれるんだろう。


水戸光男は西川口駅で降りると、西口のロータリーに降り立った。
右回りに歩くと、何時も飯を食う一番街があった。
そもそも西川口という街自体、東京近郊にありながら、不謹慎な感じがして、
居て、気楽なのだ。
何が不謹慎かって、この一番街にも、ラーメン屋、中国料理店、焼肉店、
などに混じって、「整体サロン、アカスリ、リラクゼーション、泡泡、洗体」
とか、
「究極の癒し、メンズエステ、アロマの恋」
などという怪しげが看板を出している雑居ビルがあるのが不謹慎で、いい。
つい最近までは、外人がロレックスやヴィトンのコピーの腕時計やバッグを、
露店で売っていた。
又つい最近まで、NK流という通常は本番行為が違法である店舗で、本番行為を行う、
本サロ、マントルなどがあり、「西川口流」、略してNK流などと言われていた。
今はそういう表だった違法さはなくなった。
そうなると逆に、しっかりと外人は根を下ろしてくる気がする。
隣の蕨の芝園団地など、五十%は外国人だし。
そういうのは光男にとって微妙だった。
25年前、ストリップ劇場で本番まな板ショーに参加していた頃には、
ホリエモンや酒鬼薔薇が全く気にならなかった様に、
外人は全く気にならなかった。
しかし歳食ってくると、尊王攘夷みたいになってくる。
(職場で「諸君!」とか読んでいたあのじじいどもと同じ境地に自分がなるとは)
と光男は思った。
大好きな一番街をスルーして、駅前通りを西へと歩いて行くと、
すぐにドン・キホーテが見えてきた。
(何でドン・キホーテって、自由な気分にさせてくれるんだろう。
そういえば、明子巡査が、表参道のブランドショップだと緊張して買えないけれども、
同じ商品がドン・キホーテなら気楽に買えると言っていた。何故だろう)
と思いつつ店内に入る。
 一階食品フロアでは何故か天狗印のビーフジャーキーだの
モンスターエナジーなどが目に入る。
二階の、四千九百円のスーツやら、ホストが履きそうな先の尖った靴が置いてある
コーナーをスルーして、
ヴィトンやエルメスがガラスショーケースに入っているブランド品の
コーナーもスルーすると、
その奥に、TENGAコーナーとコスプレグッズコーナーが堂々とあって、
その奥に、そこだけ暗くなっていてアダルトグッズコーナーがあった。
丸で秘宝館にでも入る気分になって光男はそこに入って行った。
エリア全体が薄暗く、商品陳列棚には、
オナホール、電動オナホール、ローター、バイブ、などが並べられている。
棚に並んでいる、ディルド=勃起した男性器を模した張型、を眺めつつ歩いて行く。
「みちのくディルド」の前で光男は足を止めた。
超小型LEDスポットライトに浮かぶそれは、ディルドの定番で、
太さ直径4センチ、長さ19センチ、吸盤付きのものだ。
(さすがにでかいだろう。
血管までリアルに再現されているが、これだとでかすぎる)
 光男は一歩足を進めて隣の棚を見る。
そこはアナルグッズコーナーでスティック型、ビーズ型、プラグ型、
例のアネロスもある。
それらの商品群が真っ暗闇の中に陳列されていているのだが、
真ん中に、5インチ程度の小さい液晶テレビがあって、
水着の女がディルドの使い心地を解説していた。
「これは、なんと8連のアナルビーズ、ラブファクターアナルビッグバン。
先端の小さいビーズは1センチ、根元の方のは2.8センチで、入門者向けかな。
入れる時には、アナルの収縮力で勝手にのみこんでいきまーす。
全部入ってから、ブリブリブリーっと引き抜かれる時が最高に気持ちいいの。
吸盤付きと、コックリング付きの2種類があります」
真っ暗なアナルグッズのパッケージに囲まれた小さな液晶テレビに映る
ぴちぴちビッチ見ながら、(なんていい感じなんだろう)と光男は思った。
(これは、何かのタブーを犯す感じだ。
ところで、吸盤というのはどうやって使うんだろう。
風呂場の鏡にでも貼り付けて女が一人で使うのだろうか。
それとも野郎向け?
昔、女医の西川先生の診察室に、肛門にモップを突っ込んで抜けなくなったという
トンデモ患者が現れて、「何でそんな事になっちゃったの?」と聞いたら、
「掃除していたら入った」と言った、という話があった。
あれは絶対にモップのブラシの方をベッドの柱にでもくくりつけておいて、
柄を肛門に挿入していたに違いない。
そうするとハンズフリーになるので両手で前をいじくれるから。
そういうニーズから、吸盤付きのディルドが開発されたのでは。
しかし俺の部屋のベッドの壁はタイルじゃないから、くっつかない)
 光男は棚の商品を目で追って行った。
 パッケージのラベルがLEDスポットライトに浮んでいる。
 コックリング付きのアナルビーズを掴むと脇に抱えた。
それから隣に陳列してあった、「ペペ スペシャル バックドア」
というローションも抱えた。





#1145/1158 ●連載    *** コメント #1144 ***
★タイトル (sab     )  22/09/26  13:28  (121)
ニューハーフ殺人事件9    朝霧三郎
★内容                                         22/09/29 13:07 修正 第2版
 副題:『砲艦サンパブロ』のスティーブ・マックイーンみたいに死にたいのか、
それとも介抱されたいのか。

 駅前通りから陸橋通りに入って陸橋とは逆方向に5、6分行った、
中山道に近い辺りに、水戸光男のヤサはあった。
 六十になっても、水戸光男は独り者だった。
 誰も居ない2DKのアパートに入ると、玄関脇のキッチンの冷蔵庫から
ペプシを取ってきて、寝室に入った。

 机に腰掛けると、引き出しから外では吸わないアイコスを取り出して、
タバコステックを差し込むと、すーっと吸い込んではーっと吐き出す。
 吐き出された煙はエアロゾルですぐに霧散した。
 とりあえずコーラを飲みながら一本吸い尽くす。
 吸い殻は、薬瓶に入れてギュッと蓋を締めた。
 さっきドンキで買ってきたアナルビーズを黄色いレジ袋から取り出した。
 とじ紐を3本つなぎ合わせて、アナルビーズのコックリングに結びつけた。
 机の中にあったコンドームを取り出すと、アナルビーズにかぶせた。
(こういうことをするのはこれが初めてじゃない)と光男は思った。
(そもそも最初から、精通の時から、俺はおかしかった。
 精通したのは遥か四十八年前、中二だったが、あの頃は性に関しては全くの無知で、
俺のペニスは、包皮がカリんところに溜まった恥垢にひっかかって
剥けないでいたのだが、
あれを無理に剥くと、えんどう豆の様に脱落するんじゃないかと思っていた。
 それでも入浴の度に、少しずつ溶かしていって、
そしてとうとうある晩剥け切った。
 生後十四年にして、とうとう外気に触れた自分の亀頭。
 最初は皮を剥いて突っ張らせて膨張させることだけで快楽を得ていた。
 ただ、あの頃から 肛門の疼きはあって、
自然とアナルをいじるようになった。
 それがエスカレートして、ペンやらドライバーやらリコーダーを
枕元に並べておいて、夜な夜なアナルへの挿入を楽しむ。
 そうしてとうとう或る晩射精したのだが、
それは包皮を強く剥く事と肛門への刺激のみによる精通だった。
 だからって別にホモじゃない。
 じゃあどういうプレイがいいのか、というと…)
追憶から目を覚ます様に頭を振ると、光男は、
アナルビーズを持って、ベッドに移動した。
 ベッドの向こう側の真ん中へんにクローゼットの取手があるのだが、
そこに紐を縛り付けた。
 ペペのローションをアナルビーズにたらすと、指先で入念に塗りつけた。
(これで準備オッケーだ)
 ベッドに横になって、仰向けに寝て両足を開いてみたり、
左横向きに寝て左手でハンケツを掴んで右手で挿入をこころみたり、
結局、左横向きに寝て金玉鷲掴み、
右手の人差し指でアナルビーズの一個目を肛門に押し付けた。
 括約筋がビーズを押し戻そうとするが、力を入れると、
ヌルッっと吸い込まれていった。
二個目以降は、アナルビーズを引っ張れば括約筋が吸い込もうとするので、
その勢いで吸い込む様にする。
そうやって、とうとう8連の全部を直腸に入れる。
両手を前に回して、右手でペニス、左手で睾丸を握った。
 そういう状態で、腰の動きだけで、アナルビーズを抜こうとしては、
括約筋を締めて肛門内に吸い戻す。
 アナルビーズの丸みが括約筋を刺激するたびにペニスがびくびくするのを
更に手で揉む。
 そして光男は妄想の中へ沈んでいった。
(ここはどこだ。
 ここは京浜東北線の駅の医務室か。
 オレは丹古母鬼馬二に切られた背中の傷の為にここにいるのか。
いや違う。
ここは野戦病院だ。
俺は『砲艦サンパブロ』のスティーブ・マックイーンみたいに、
中国の奥地に教師として赴任したキャンディス・バーゲンを助ける為に、
奥地に入っていって、そこで、殉死するのだったが、奇跡的に助かったのだ。
薄暗い野戦病院のカーテンの向こうから、
ナイチンゲールの格好をした啓子が現れた。
啓子はかがみ込んで俺の顔を覗いた。男前な顔が間近に見える。
「包帯の交換にきました」
 ピンセットやガーゼの乗ったトレイをもったまま啓子は背後に回った。
 それから、かちゃかちゃ音を立てて準備をしていたが、やがて、
傷口に詰め込んであるガーゼを取り出す。
「いたッ」
「我慢して」言うと、啓子は背中で処置を続ける。
 それが終わると、こっちの二の腕に手を乗せて耳元で
「まだまだ肉が盛り上がってくるまでには時間がかかりそうだわ」とささやいた。
「じゃあ体を拭きます」
 啓子に背中を拭かれる。腰のあたりから、尻の膨らみのあたりまで拭かれる。
「あ、肛門の中の弾の傷跡も消毒しないと。
でも、出血して血が固まってしまっているわ。
これだけ固まっているとお湯で拭いただけでは無理ね。捲綿子で取り除かないと」
 啓子はまず、尻のほっぺを広げて肛門を露出させて、
大雑把に肛門周囲をタオルで拭いた。
 それから、親指と人差し指で、ぐーっと肛門を広げると、捲綿子を挿入してくる。
 血で汚れた捲綿子は鉄の皿に捨てられた。
 啓子は更に指に力を入れて思いっきり肛門を開くと、
二本目の捲綿子を突っ込んでくる。ぐりぐりぐり。
 そして、汚れた捲綿子を捨てる。
 やがて固まった血は綺麗に取り除かれて、ピンクの直腸粘膜が現れた。
丸で十四年ぶりに恥垢が取り除かれた亀頭の様に綺麗なピンク色をしている。
「ほら、こんなに綺麗になった」啓子はこっちの二の腕に手を乗せると
俺の顔を覗き込んだ。
「それじゃあ肛門の内側にクリームを塗っておきますからね。
必要な処置ですからくすぐったがらないで」
 言うと啓子は、クリームを乗せた指2本を肛門に滑り込ませてきた。
ずぶずぶずぶ。
「ああーっ」
「我慢して」
 クリーム擦り込ませるために、肛門の内側にぐるり一周指を這わせた。
 ぬるぬるぬる。
「あっ」
 更にもう一周、ぬるぬるぬる。
「あーーーッ」
「はい終わりましたよ。今度は奥の前立腺の方にも塗りますからね。
これは、治療上必要なことだから恥ずかしがらないで」
 言うと指2本を付け根まで挿入させると、前立腺側を、ぐりぐりぐり。
「あーーーー」
「もう少し我慢して」ぐりぐりぐり〜。
「おおーーーー」)
 そしてリアルの光男は大量の射精をした。
 ぴゅっぴゅっ、とペニスが痙攣する度に括約筋が閉まって、
アナルビーズがギューッと吸い込まれる。
しかし既にそれは性的な快楽ではなくて、排便の際の肛門の感覚に成り果てていた。
 はぁーと光男はため息をついた。
 ティッシュの上に放射線状に撒き散らされた精液からは、
かすかな栗の花の匂いが立ち上ってくる。
 肛門からアナルビーズを取り出してコンドームを外した。便はついていなかった。

 机のところに戻ると、丸で一仕事終えたみたいに、又タバコに火をつけた。
スーッと一吸い。
 PCを立ち上げるとYoutubeにアクセスした。





#1146/1158 ●連載    *** コメント #1145 ***
★タイトル (sab     )  22/09/26  13:32  ( 38)
ニューハーフ殺人事件10    朝霧三郎
★内容                                         22/09/29 13:08 修正 第3版
副題:『ロッキー』や『タイタニック』があれだけヒットするなら
みんな死にたいんじゃないのか。

射精の後は何故か、プロラクチンが分泌されるからか、賢者タイムで、
芸術的な気分になった。
(音楽でも再生しようか)
 しかし再生したのは、お気に入りの映画の一場面だった。
 何時もこういうタイミングで見るのは、女の為に殉死するという類のものが多い。
例えば『タイタニック』でローズの身代わりになって冷たい海に沈んでいく
ディカプリオとか。
『砲艦サンパブロ』で揚子江の上流にキャンディス・バーゲンを助けにいって
中国の兵隊に狙撃されて死ぬスティーブ・マックイーンとか。
 しかし今日はより血なまぐさいのが見たくて『ロッキー』のラストシーンを再生し
た。
 バカで間抜けなロッキーは偶然タイトルマッチの挑戦権を手に入れた。
でも勝てる訳ない。
でももし15ラウンドまで立っていられたら自分はゴロツキじゃない。
そう心に決めてロッキーは立っていた、アポロの強烈なパンチを浴びながら。
顔は腫れに腫れて、上瞼は切れて血が流れていた。
そして最終ラウンド、ロッキーは闘志むき出しで向かっていく。
逆に追い詰める展開になり、ダウンを奪えそうにもなる、
しかし最後はアポロがゴングに救われて終了する。
そして、いよいよ判定の結果、アポロ、アポロの勝ちー。
でもロッキーはもはや試合結果なんてどうでもよかった。
リングの上から恋人を探したのだ。
「エイドリアン、エイドリアン、エイドリアーン」
そして二人は抱き合った。
 ふと思う。
(『ロッキー』って、京浜東北線の中での俺の妄想、
丹古母鬼馬二との対決と似ているよな。
 女の為に殉死する。
 という事は『ロッキー』もアナルに突っ込まれたかったのではないか。
 更には、この手の映画のオーディエンスも、
みんなアナルに突っ込まれたいんじゃないのか。
 別に、ダンディズムとアナニーは直接はつながらないのだが。
AVを見るように、『ロッキー』を見ながらオナニーをするという事はないのだが。
でも、どっかで、アナニーとダンディズムはつながっていると思う)





#1147/1158 ●連載    *** コメント #1146 ***
★タイトル (sab     )  22/09/28  10:37  (101)
ニューハーフ殺人事件11    朝霧三郎
★内容
副題:ストリップ劇場で本番まな板ショーまでやる癖に、
何でゴルフ場の風呂でちんぽを見られるのが恥ずかしいのだろう。

仮眠をとって午後3時に目を覚ました。
シャワーを浴びてから、コミネのシングルライダースジャケットを着こむ。
階下に降りて、ホンダ N-BOXに乗り込んだ。
昔はアコードに乗っていたが、所ジョージの世田谷ベースだの
ヒロミの八王子なんたらだのを見ている内に車に金をかけるのがバカらしくなった。
コミネのジャケットだって、松本人志がクロムハーツの六十万の革ジャンを買った
と聞いて、三万のコミネにしたのだった。
(何でこうやって他人の事が気になるのかな。所ジョージとかヒロミとか)
ミツは思う。
(特に最近はヒロミが日立系の電動工具のCCOだかになったと知って、
キーっとなった。
滝川クリステルがいい歳こいて子供も出来ずに動物愛護運動なんてやっているのをみて
好感をもっていたが、
突然、進次郎と結婚した上に妊娠までした、と聞いて、
つまり、いきなり勝ち組・勝ち犬になったと知って、
びりびりびりーっと、何かが避けた。
なんで、そうやって他人の事にキーっとなるんだろう)
そんな事を思いつつ、キーを回す。
目的地の大宮ハリウッド座は昔通っていたので、ナビ無しでもいける。
かわりにSHOの“ヤクブーツはやめろ”を大音量で流した。
表通りの中山道に出ると、どんどん北上する。
桜木町の交差点を右折して、さいたま春日部線に入ると、
新幹線と在来線の高架をくぐった。
大宮宮町に入ると、三井のリパーク大宮宮町四丁目に入庫した。
ソープだの高級リラクゼーションだののある裏道を歩いて行くと、
「大宮ハリウッド座」の電飾袖看板があった。
自分が池袋署に入った時には既にあった古いストリップ劇場だ。
といっても、ストリップ劇場は一代限り、
今や新しいストリップ劇場は始められないのだが。
ここは大宮警察管内で、そこの生活安全課が公然わいせつ等で
定期的にガサ入れしていたが、
ガサ入れ情報を知っているものだから、安全な日にはよく行って、
昔は本番まな板ショーにまで参戦したものだった。
原チャリで来る防寒パンツを履いた鉄工所の兄ちゃんで、
客席で食パンを丸めて食っている奴、とか、
給料は五万貯金して五万田舎に送ってあと全部使っちゃう、と東北なまりで語る
鋳物屋の兄ちゃん、などのジャンケンマンを思い出す。
テナントビルの内階段を上る。
階段の踊り場に、「大宮ハリウッド座 SM Festa2022秋」
という横断幕に、SM女王様だの、男の縄師、調教師だのの写真が貼られていてた。
『開演1st 11:30〜
  2st 15:00〜
  3st 19:30〜
入場料金 男性¥5000円 女性4000
早朝(13時まで)男性4000』
 階段を上り切って自販機で4000円のチケットを買うと、
入り口の小窓に出して半券を受け取る。
「ごゆっくり」と小窓の男が言った。
 中は多少薄暗いが、ピンクの蛍光灯に照らされていた。
音楽はエニグマというドイツのグループの「サッドネス」という、
黒ミサでかかる様な曲。
横6×縦10のミニシアターぐらいの空間で、
奥から手前まで細長いステージがせり出していた。
劇場の天井に鉄パイプがはわしてあって、
奥のステージの上には鉄パイプに滑車が付いていて、
女が縛られて、エビぞりで吊り責めされていた。
ダースベイダーの恰好をした男が、滑車のロープの先にあるウィンチハンドルを
カチャカチャ回して女を下げる。
女は下ろされるとロープを解かれて、正面を向かされると、
胸だの股間だのをダースベイダーのゴム手袋をはめた手で撫でられていた。
鈴木杏みたいなハーフ顔の女。歳は25、6だろうか。
今度は四つん這いにさせられて、尻を客席に向ける。
「さあ、お客さん、これに興味のある方はどうぞおあがり下さい」
と言うとダースベイダーは、500mlはあろう、ガラス製のシリンジをかざした。
客が5人上がる。
ダースベイダーは、バケツの液体を吸い上げると、先頭の客に渡した。
女の肛門に先端を入れると、注入していく。
女は腹をびくびくさせながら耐えている。
2人目の男に液体入りのシリンジが渡されて、又、肛門から注入。
シリンジをもって並んでいる奴らを見て思ったのは、
(あいつらはマッチョなやつらだ)という事。
裏動画で、廃墟での輪姦モノで、マッチョな白人が20人ぐらいで、
女のアナルを犯していくという動画があったが、
ああいうのもマッチョだと思えてしまう。
(自分だって、本番まな板ショーで平気で人前でやる癖に、
何で集団でやっている野郎を見るとマッチョだと思うんだろう。
つーか、本番まな板ショーまでやる癖に、
付き合いでゴルフに行った時に、ゴルフ場の風呂場でちんぽを見られたくない、
と思うのは何故なんだろう。
ああいう公衆浴場で平気でふるちんでいる奴を見るとマッチョな奴だと思う。
なんで自分はちんぽを見られたくないんだろう。
本番まな板ショーまでやる癖に。謎だ)
注入が終わると、ハーフ顔の女は正面を向いて立たされて、
下腹部をダースベイダーの黒い手袋の手でなでられる。
5本という事は2.5リットルは下腹部にたまっているのか。
女は、あーん、と言って内またになってへたりこみそうになる。
「じゃあ、ここでやれ」とダースベイダーは丸まった鞭をもった手で、
脇においてある、バスタブ大の水槽を指した。
ハーフ顔の鈴木杏は、透明な巨大水槽に入って、縁を握ると、両足も縁に乗せて、
尻だけを水槽に入れる恰好になって、身をくねらせて喘ぎだす。
あ〜あ〜、あ〜あ〜。
最後列からじゃあ見えないが前の方では肛門丸見えだろう。
じゃ、じゃ、じゃーーーーと液体だけだした。
実が出ないのがスカトロ趣味のない人には幸いだ。
そして、拍手。ぱらぱらぱら。
「はい、これにて、名取ベッキー嬢のSMショーは終了でございます。
続きましては魔流湖ルカ女王様によります調教ショーです。
準備の間しばらくお待ち下さい」というアナウンス。




#1148/1158 ●連載    *** コメント #1147 ***
★タイトル (sab     )  22/09/29  13:28  (156)
ニューハーフ殺人事件12    朝霧三郎
★内容

副題:風呂場でちんぽを見られるのは嫌なのに、磔になって晒されたいのは何故か。

うなぎの寝床みたいな場内の、前面までステージの花道がせり出していて、
先端に回転舞台=でべそ、があった。
その周りに低いベンチの様なシートがぐるり一周ある。
水戸光男は空いている席にしゃがみ込んだ。
隣に座っていた中年のおっさんが覗き込んできた。
「あんた、これ?」と額に指を丸めてあてた。
「え、そう見える?」
「目付きが違うからなあ」
「まあ、似た様なもんだ。探偵だよ。人を探している」
(そうだ、俺は捜査に来たんだった)
光男はスマホを出してアルバムを開くと、ガイシャの免許証の写真を表示して、
隣のおっさんに見せた。
「この男を探しているんだよ」
「あ、知っている」
「本当かよぉー、一発でビンゴだ」
「この男は上尾の美川憲一といって、上尾から来ているやつだよ」
「どんなやつ?」
「変態だからみんなから嫌われていたな」
「どんな変態なんだ?」
「露出狂でねえ。ポラロイドショーの時に、
自分まですっぽんぽんになって、仮面舞踏会みたいなアイマスクをして、
女を抱きあげて子供に小便をさせる様なポーズをさせて、
自分もちんぽを晒していて…。
そういえば、次に出てくる女王様にもよく調教されていたな」
(自分も変態は大嫌いだった)と光男は思う。
(昔、本番目当てに劇場に来たら、
SMショーをやっていていて、
女王様に金玉を赤ロープで縛られたうえに聖水を飲まされる、
というショーをやっていたが、
奴隷のジジイが、ショーが終わっても、何時までも、ステージ袖の手前の座席で、
余った聖水をブランデーグラスでちびちび飲んでいて、
赤ロープで縛られた金玉も露出したままでいて。
あのジジイはぶん殴ってやりたかったな。警察官だからやめておいたけれども。
それにしても何で人は変態を嫌うんだろう。
ところで、今日の女王様は赤ロープで金玉を縛って聖水ショーなんて
やらないだろうなぁ)
「次に出てくる女王様ってなにやんの?」
「ケツに腕を突っ込んだり」
「えっ」光男はビクッとした。
「はい、それでは、魔流湖ルカ女王様の登場です」
と場内アナウンス。
場内のライトが落とされると、
90年代のダンスミュージック『don want short man』が流される。
紫のライトを浴びて、ノースリーブのロングドレスに
ロートレックの絵みたいな帽子、
『ティファニーで朝食を』のオードリーヘップバーンみたいな長いキセルを持った
女王様が、キャスター付きバッグを引っ張って登場した。
でべそのところに来ると、半分ニヤつきながら、客席の客を見下ろす。
「さあ、今日も変態がいっぱい集まってきたわねえ。
関東中から私に調教されたくて集まってきちゃうのよねー。
さあ、この中で私の奴隷になるのは誰なの?」
言うとあたりを見回す。
すると本当に変態どもが、自分を選んでくれという強烈なオーラを出して、
おあずけを食らった犬みに、くんくんしている。
その時、一人の銀行員みたいなカバンをもったサラリーマンが入ってきた。
「さあ、誰が上がるのかしら」
「おれ、おれ」と言って、そのサラリーマンは靴を脱ぐと
そのままステージに上がっていってしまった。
(あのサラリーマン、何をやられるのか知っているのか。
本番行為でもやらせてもらえると勘違いしているんじゃないのか)
ところが、そいつはステージの袖に行くと、スーツを脱いで、
ネクタイを解くのももどかしいように、ワイシャツも脱ぎ捨てると、
ランニングとブリーフだけになった。
「それも脱ぎなさい」
と言われて、完全なすっぽんぽんのふるちんになると、でべその先端にくる。
「そこにお座り」
と女王様に言われて正座する。
ここで、場内にピンクの蛍光灯が点灯。
女王様はキセルを片付けると、カバンから革手錠を出して、
まずサラリーマンを前手錠で拘束して四つん這いさせる。
首の後ろから背中、ケツの方にさーっとなでると、パンっとケツをひっぱたいた。
「さあ、何をしてほしいの? まずこれだろ」
言うとカバンからバラ鞭を出した。
客の方に、「これ、そんなに痛くないんですよ、ちょっと腕出してみて」と言って、
客が腕を差し出すと軽くパンと振り下ろす、「そんなに痛くないでしょう」
と言ってから奴隷に、
「お前、羨ましいんだろう」と言う。「お前もやって欲しいんだろう」
言うと背中にバラ鞭をたらしてくすぐってから、
大きく手を振り上げるとぱーんとひっぱたいた。
奴隷は、あーーん、とよがる。
女王様はもう一発、ぱーんとひっぱたく。
男の豚の様な肌には、赤い痕がピンクの蛍光灯の下でもわかる程度に浮かび上がる。
それじゃあ次はこれね、と、ローソク。
ライターで火をつけると、ローソクを客にほーらほらという感じでかざす。
「これ、そんなに熱くないのよ、ちょっとお客さん腕出してみて」
と言うと差し出された腕に数滴たらす。
「熱くないでしょう。あら、痕ついちゃったかしら。
家に帰って奥さんになんていい訳するの?」
突然奴隷の方を見る。「お前は黙って丸まっていればいいんだよ。
それとも、お前も垂らしてほしいのか」
「はい」
「じゃあ仰向けになりなさい」
奴隷は万歳をした状態で、両足も広げるようにのばした。
ちんぽが露出する。
「さあ、ここにたらすわよ」
とろとろー、とちんぽにローソクをたらす。
「ああー、あつい」
「やめて欲しいの」
「…」
たらされたローソクはすぐに固まって、女王様がぱらぱらと払ってしまう。
奴隷は再び四つん這いにさせられると、
金玉を思いっきり握られる。
「つぶしてほしい」
「それだけは勘弁して下さい」
「じゃあ、何をするの。さあ、言ってごらん」
「アナルです」
「そうよねえ」
女王様はゴム手袋を取り出して手にはめると、ピチンと音を立てた。
ローションを出して奴隷の肛門にたらした。
「何本入れてほしいの」
「4本」
「4本でいいの?」
「5本」
「じゃあ、まず軽くほぐしてやる」
女王様はまず2本入れた。
「これ、お店でやると5万はするのよ」と手前にいる客に語りかける。
ちらっとそっちを見た奴隷の尻を、指を入れていない方の手でひっぱたく。
「お前は黙って感じていればいいんだよ」
女王様は一回抜いてから、指を4本を縦に並べると、挿入した。
次に4本の指に親指を這わすようにして肛門に挿入すると、
ズルっと手首まで入れてしまう。
「さあ、どう?」
「はぁ、はぁ〜」と奴隷は喘いでいる。
光男はというとちんぴく状態で見ていた。
(俺が乗ってもいい)とさえ思っていた。
(廃墟での輪姦モノは嫌いでも、みんなの前でいたぶられるのはいい。
何でだろう。
警察学校時代、風呂場でみんなにちんぽを見られるのは嫌だったが、
寮の個室のベッドに入ると、
高校時代のクラスのマドンナを守る為に、敵に捕らえられて、
磔にされて、みんなに晒される、
そんな自分を想像して、うっとりしていた。
丸でアポロに打ちのめされるロッキーが見られたい様に、見られたい。
そのクラスのマドンナが今は啓子巡査に変わっているのだが。
何で風呂場でちんぽを見られるのは嫌なのに、
磔になって晒しものになりたいんだろう)
女王様は、アナル調教が終わると、ゴム手袋その他を始末して、
今度は紙オムツを出して、奴隷の首の後ろに敷いた。
「それでは最後に聖水ショーを行います」
奴隷にまたがると、じゃー、じゃー、じゃー、と放尿する。
ごぼっ、ごぼっ、ごぼっ、と、奴隷は飲む。
「ちゃんと飲めよ、後で俺がステージに上がるかも知れないんだから」
と客がヤジを飛ばした。
「お黙りなさいッ。これは私の奴隷です。私の奴隷に文句を言えるのは私だけ」
客は静まり返った。
じゃーーーーっと、放尿して、
奴隷はごぼごぼごぼと喉を鳴らして聖水を飲んでいった。
聖水ショーが終了すると、紙オムツ他全てをキャスター付きバッグに入れて、
女王様は楽屋に引き上げて行った。
「はい、魔流湖ルカ女王様のSMショーでした。拍手よろしくー」
とアナウンスが入る。
ぱちぱちぱち、とまばらな拍手。





#1149/1158 ●連載    *** コメント #1148 ***
★タイトル (sab     )  22/09/30  12:37  ( 68)
ニューハーフ殺人事件13    朝霧三郎
★内容                                         22/10/08 07:09 修正 第2版
副題:男の癖にペニス羨望があるの?

(そうだ、俺は捜査に来たんだった)と気が付いて水戸光男は席から立ち上がった。
出口を出て行って小窓の中の店員に「ちょっと、これこれ」と言いつつ、
警察手帳を突っ込んでひらひらさせた。
「ちょいとばかり今の女王様に話を聞きたいんだがな」
「ちょっと待ってください」
と言うと、店員は携帯で電話をかける。
「もしもし、受付だけど。ルカ女王様いる? でかけた? どこに。飯ぃ?」
小窓の中から店員がぎょろった目でぎょろりと見上げた。
「たった今でかけて行ったらしいんですよ。次のステージまで2時間はあるから、
それまでは帰ってこないかもなぁ」
「どこにでかけて行ったんだ」
「さぁ、車だろうから」
「わかった」
水戸光男は、一階まで階段を駆け下りると、付近のコインパーキングを見回した。
いたいた。
ロングコートの女王様が赤のアルファロメオに乗るところだった。
「ちょっと、ちょっと」と言いつつ光男は駆け寄った。
「ちょっと女王様、聞きたい事があるんだ」
「あら、なんです? 個別の相談だったらお店の方でお願いしたいんですけど」
「いや、そうじゃないだ、俺はこういうものなんだけれども」
警察手帳を見せる。
「あら、刑事さん?」
スマホを出すとガイシャの写真を表示した。
「この男を知っている?」
アルファロメオのコアラの鼻みたいなフロントグリルによりかかって
女王様はしばし凝視した。
「ああ、この男なら、何回か調教した事あるけれども」
「あ、そう」
「でも、結局この人は真性の奴隷じゃなくて、肛門性愛者だったのよね。
アナルを攻めてくれ攻めてくれっていうんだけれども、
私のペニバンじゃあ満足しなかったのよ」
「ぺにばん?」
「ペニスバンド」
「あぁ」
「本当のおちんぽに入れられたいんですって。
それじゃあニューハーフヘルスねっていうんで、紹介してやったのよ」
「どこを?」
「早稲田の方にね、リブレ高田馬場っていう、シーメール専門のお店があるのよ。
店長が知り合いなんだけど。
そこを紹介してやったのよ。
刑事さんもそこに行けばあの変態の情報が得られるかも知れないわよ。
場所はスマホでググればすぐに出てくるから。リブレ高田馬場で」
「分かった、ありがとう」
「どういたしまして」
言うと、女王様はアルファロメオで出てゆく、排気ガスは残らない。
(たしかに、あの女王様にペニバンで責められるよりも、生ちんぽを入れられた方が
いいかも知れないな)と光男は思った。
(ここで問題なのは、生だからいいという事ではない。
昔、ストリップ劇場の知り合いで、
どっかの歯科医院で女の歯科助手に生手で歯茎をマッサージされて勃起した、
などと言っていたやつがいたが、そういう問題ではない。
ペニバンを装着した“女”よりも、
生ちんぽをもっている“男”の方がいいという事だ。
という事は、俺には男の癖にペニス羨望があるのか)
光男は眉間に皺を寄せて考えた。
(でも俺はゲイじゃない。
スティーブ・マックイーンやシルベスター・スタローンに
カマ掘られたいとは思わないもの。
しかしペニス羨望はある。
例えば、啓子巡査にペニスがあれば最高なのに、と思う。
それは変態なのだろうか。
変態じゃないだろう。
変態だと思う奴は実際に“泉水らん”とか“ellahollywood”で検索して画像を
見てほしい。
そうすれば、これがゲイじゃない事が判明するだろう)
光男はスマホをOFFするとズボンのポケットに入れた。




#1150/1158 ●連載    *** コメント #1149 ***
★タイトル (sab     )  22/10/03  11:43  (354)
ニューハーフ殺人事件14    朝霧三郎
★内容                                         22/10/05 12:14 修正 第3版

副題:男の癖にペニス羨望があるの? Part2。

N-BOXの車内に戻るとスマホを出して“リブレ高田馬場”で検索。
“リブレ高田馬場”は一番上に表示された、勿論。
『コンパニオンのほとんどが現役OLや学生という23区内の超穴場優良店です。
“彼女”達は元女優でも元モデルでもないから初々しいったらありゃしない。
その癖テクは極上というからおったまげー。
そんな男の娘とニューハーフがあなたを…』
そこをタッチすると店のhpが表示された。
在籍一覧、スケジュール、料金…というメニューの中から、在籍一覧をタッチ。
AKB48メンバー一覧の様に画像がつらーっと表示される。
その中から、なるべく加工していなそうで、かつ、好みのタイプ…
見るんだったら平手友梨奈や満島ひかりみたいなDNAを感じさせるタイプ、
例えば蝶の様な生物にはDNAを感じないだろうか、そういうタイプ、
しかし個体としては、蒼井優やちょっと古いが眞鍋かをりの様な
きりっとした目元の女が好みだったが…
のパネル写真をタッチする。
プロフィールのページが表示された。
大きめのパネル写真は数秒ごとに切り替わっていたが、
その1枚は、
バックで片足をテーブルに乗っけている写真で、ビキニ姿なのだが、
股間にふくらみがこんもりとあり、ぺろりを脱がせばちんぽがでてくると思えて、
光男は萌えた。
尻周辺もホルモンをやっているせいか、女性的なふくらみがあり、
色も白いのでアナルもピンクかも知れない。
喉がカラカラになってきた。
スマホを擦ってスクロールさせる。

【スペック】
名前:アリス
年齢:22歳
T:170
B:90 (Dカップ)
竿:有り 玉:有り
Pサイズ:15
タイプ:ニューハーフ/地毛

【オプション】
AF:◎
逆アナル:◎
3P:◎
生フェラ:◎
射精:○
ソフトS:◎
ソフトM:◎

『パネルの通り、月夜のごとく澄んだ目元が印象的なアリスさん。
引き締まった抜群のスタイルにホルモンも効いてきて、
ピンクのびーちくがでてきばっかり。
でも、ペニクリはまだびんびんという、
トラニーチェイサーにはたまらない状態。
しかも、プレイに関してはまだ修行中の未熟者、
かえっていろんな事ができちゃうかも。
とにかく元気なので、カマなしでも逆AFok。
もちろん透明射精つき。
こんなトラニー現在進行形のアリスを逃す手はありません。
本当にこの旬な時を逃すなんて、ありえませんyo----』

(メール予約するしかない)光男は決断した。
『お客様のお名前  水戸光男
お客様のメルアド mitu2022@gmair.com
お客様の電話番号 080−**88−19
ご希望日時    10/15 19:00
ご希望の希望タレント アリス
希望コース 90分
個室又は出張 個室
AFのタイプ コンパニオンの逆アナル』
これだけ入力すると送信をタッチした。

一回車から降りると、コインパーキング横の自販機から
デカビタCを買って戻ってくる。
キャップを外して、ごくりと喉を潤す。
ナビに店の住所を入力すると案内開始ボタンにタッチした。
「ルート案内を開始します。実際の交通規制に従って走行して下さい」
というナビの音声案内に従って、車を発進させた。
すぐに新大宮バイパスに出ると、ひたすら南下。
高島平からは池袋線の下を走っていって、山手通り、新目白通りと走っていって、
山手線の高架をくぐって右折すると目的地だった。
走行距離キロ28.9キロでも全然疲れない。
犬は獲物を追いかけている間は全く疲れを知らないというが、
トラニーチェイサーもトラニーを追いかけている間は疲れないのか。

高田馬場1丁目パーキング3時間1500円に駐車すると、
一通の裏道を歩いた。すっかり日は暮れて人通りもまばらだ。
坂が多くて路面電車が走っていて、丸でサンフランシスコみたいに変態が似合う街だ。
こういう街だとN-BOXでも平気だ、と感じる。
内堀通りとかだと、軽だとダメだと感じる。なんでだろう。
店の場所が分からないので電話する。
「もしもしぃ」相手の声は太いがオネエの声だった。
「予約している者なんですけど」
「どちらさん」
「水戸といいます」
「ミトさんね、はい、今どちらにいます?」
「高田馬場整形外科の前」
「じゃあ隣にセブンがあるでしょう。その隣のマンションがそうだから。
504をおして下さい」
 到着すると、オートロックで部屋番号を押す。
「19時から予約している水戸ですが」
アイホンのライトが付いてから、無言のままオートロックが解錠された。
504に入るとそこが受け付けになっていた。

玄関先にカウンターが据え付けてあって、身長180センチ体重100キロの
巨漢のオカマが手をついていた。
「いらっしゃい」
玄関右手には三段ボックスがあって、DVDが積まれている。
裏DVDでも売っているんだろう。
カウンターの向こうはダイニングで、応接セットがある。
その奥に引き分け戸があって、向こう側は和室か。
左手にもドアがあって洋室がありそう。
その手前が洗面所で洗濯機が回っている。
その左側がキッチンコーナー。
マドンナの「Live To Tell」が流れていた。
(懐かしい。昔大宮ハリウッド座で聴いた曲だ)
和室から、一人若いトラニーが出てきて、
キッチンコーナーの冷蔵庫からドリンクを出すと持って行ったが、
途中で止まって、ちらっとこっちを見た。
そのトラニーが和室に帰ると、
別のトラニーが顔を出してこっちを見る。
顔を引っ込めると、部屋の中から、キャッキャッ聞こえてくる。
「誰が指名されるんだろう」とか話しているのでは。
トラニー達の柑橘系の香水の香りが漂っている。
目の前の巨漢オカマはチョコレートの香水を付けていた。
それからマドンナの「Live To Tell」。
一気に気分が高揚してくる。
どんなに陳腐な景色でも若い性的な人間と、
良い曲、マドンナの「Live To Tell」とか、と、
香水の香りとでドーパミンが出るのでは。
…と見回していたら、
「あんた、警察の人」とオカマが訝った。
「いやいや、そんなんじゃないんだ。顔がごついからよく間違えられるけど」
「あら、そうぉ? あんた、あの子をご指名ね」とタブレットを見せてくる。
「いやー、まだ初心者で」
「それにしちゃあお目が高いわね。それじゃあ20000円になります」
財布から1万円札2枚を出して渡す。
それと引き換えに、キーボックスから出した鍵を渡される。
「それでは206号室でお待ち下さい」
(なんだ、あの奥に入れてくれるんじゃないんだ。
マンションの別室が個室になっているのか)

206は504とは違ってリビングもなく、純然たるワンルームだった。
真ん中にベッドがあるだけで後は造り付けのクローゼットがあるだけ。
道具はあの中にあるのだろうか。
ちょっと肌寒い気がして、光男は自分でエアコンを入れた。室温は暖房26度。
きんこーん。
「おじゃましまーす」
鼻にかかった声で言いながら、アリス嬢が玄関を開けて入ってきた。
ユーチューバーの元男の子の青木歌音が言っていたが、
元男の子は女の声を出す為に「ワレワレハウチュウジンダ」と鼻声を出して
だんだん高くしていくのだ、と。
それで鼻声なんじゃなかろうか。
とにかく、一目見た瞬間に、いい、と思った。
蒼井優に似た切れ長の目で、鼻すじも通っていて、顎はとんがっている。
走ってきたのか、息が荒く、小鼻が収縮している。
息のニオイはピーチとかフルーツの香り。
最近、光男は、pornhub、XVIDEOSなどで、shemalesで検索して動画を見ていたが、
時々、マット・ディロンがズラをかぶったような顎の発達したシーメールが出てきて、
ああいうのは冗談じゃないと思っていたのだ。
(つまり自分は相変わらず女を求めているのか)とも思うが、
とにかく今目の前にいるアリス嬢の女らしさに、いい、と思うのだった。
「君、いいねえ」光男は素直に言った。
「ありがとうございます」
「なんつーか、両性具有の魅力があるよ。
つーか、男の娘とニューハーフの違いって何?」
「ホルモンをやっていないのが男の娘で、やっているのがニューハーフですね。
いくら無し無しでもホルモンをやっていなかったら男ですね。
無し無しでやっていないなんてあり得ないけれども」
「君はホルモンやっているの」
「やってます。だから最近おっぱいがでてきた」と自分で乳を寄せた。
「じゃあ、私脱ぎますから」
アリスは、デニムジャケットを脱ぐとクローゼットに入れた。
ぴっちりとしたカジュアルシャツに、スリムなジーンズ。
ほんのりと乳房のふくらみもわかる。
それも脱ぐと、ブラとパンティになった。
おっぱいはかすかに膨らんでいるのに、股間は盛り上がっている。
又、喉がカラカラになってきた。
クローゼットからバスローブを出すと、「お兄さんもこれに着替えて」
と渡してくる。
「パンツも脱ぐの」と光男。
「もちろーん」
「なんか飲むものないかなあ」
「なんで? 喉乾いてきちゃった」
アリスは冷蔵庫から、ジャスミン茶のペットを2本だしてきてくれた。
バスローブ1枚でベッドに座るとブラにパンティのアリスが横に座った。
「じゃあ、上、脱ぎますね」と言うと、ぺろんとブラを外す。
白い水泳選手の様な肌にかすかに膨らんでいる乳房、そしてピンクの乳輪がある。
「君いいねえ」
アリスはうずくまる様にしてパンティも脱ぐ。ダビデ像の様な包茎が現れた。
まさにダビデの包茎。
「君、最高だよ」
「お兄さんも脱いで」
光男はバスローブを脱ぐ。
「わー、結構たくましいですね」
「歳の割にはね。ボクシングで鍛えているから」
光男は「君いいねえ」を繰り返しながら、アリスの背中をまさぐると、
胸の方に手をまわして、微かに膨らむ乳房を手のひらでおおい、
ピンクの乳首をつまむ。
手を尻にまわすとお尻のほっぺを開こうとする。
「ああ、まだシャワーを浴びていないから」
「いいよ、そんなもの」
ここで、ひらりと身をかわすとアリスはベッドの上で四つん這いになった。
猫の伸びのポーズ。
色素沈着していない肛門に、股にはさまれた金玉とペニスをいいと思う。
「君、いいねえ」
「どこが?」
「顔と、ちょっと出たおっぱいと、大きすぎないダビデのペニスが」
四つん這いで、肛門が見えていて、股間に金玉を挟んだ状態で、
蒼井優似のアリスがこっちを見ている。
(何を俺はいいと思っているのだろう。
顔がいいと思うっているのか。
絶対にマッド・ディロンじゃダメだから、女を求めているのか。
みんなボーイ・ジョージに何を求めているんだろう。
しかし、絶対にそこにまんこがあったらダメだから、女を求めている訳じゃあない)
「マッド・ディロンみたいなのはごめんだからな」光男は呟いた。
「えー、なに、それ」
「いやー、エロ動画のシーメール物で、マッド・ディロンみたいに
顎の長いのがズラをかぶったのがあって、ああいうのはかなわないな、と」
「ふーん。ホルモンが遅かったのね。かわいそうに。
じゃあ、お兄さん、逆AF希望ですよね」
「逆AF、やられたい」ジャスミン茶を飲みながら言った。
興奮して喉はカラカラだった。
アリスは前面に立つとペニスを見せた。
「じゃあ、逆AFなら…」
と言って自分の股間を見下ろす。「あー、どうしよう、まだ私の立っていない」
勃起していない包茎のペニスをこちらに寄せてくる。
「ちんぽおおきくして」とアリス。
アリスのを見ると、勃起はしていないが、
立ったら光男のより2、3センチはでかかろうというサイズだった。
(舐めたい)と光男は思う。
(肛門性愛だけじゃないじゃないか。包茎のちんぽも好きなのか。何でだろう。
何で包茎のちんぽが好きなんだろう)
謎が脳内でうずまいて、それでテンションが上がる。
最初手で持ち上げてみたが、
触らないまま空中にある状態のダビデの包茎を口で受けてみたい、と思った。
アリスの前に跪くと目の前に包茎ペニスがあった、朝露に濡れる朝顔の蕾の様な。
「じゃあ、吸うよ」
生まれて初めて人のペニスをしゃぶった。
口の中で徐々に勃起してくると、包皮が剥けるのも分かった。
勃起してくると、アリスは手を伸ばしてきて、こっちの乳首を強めにつまんだり、
なでたりした。
完全に勃起すると、ハモニカみたいに横を舐めたり、リコーダーの様に
縦に舐めたりする。
今やアリスのペニスはぎんぎんにいきり立っている。
そして上半身には小さい白い乳房とピンクの乳首があるのだ。

「じゃあ、逆AF行く?」とアリス。
「いきます」
「じゃあ、最初、ほぐしてあげる」
アリスは体を離すと、
クローゼットから短めのアナルビーズとローションを出してきた。
「じゃあ、お尻にこれ塗らないと」
「え、何それ」
「これが一番いいのよ。SODローション ロングバケーションタイプ」
(SODってそんな物まで作っているのか。「マネーの虎」の高橋がなりは。
そんなものを作るんじゃあ生産設備も必要だろう。そんな資産があるのか。
それともOEMで名前だけ貸しているのかなあ。なんか、西武の堤一族みたいな
勢力の大きさを感じて、嫌だなあ)
そんな事を考えている間に、ローションは塗られて、
アナルビーズの一個目は既に吸い込まれていた。
「ほら一個吸い込んだ」とアリス。「お尻を緩めて、緩めて。
ほら、又一個吸い込んだ」
そうやって、すぐに5個まで吸い込む。
「じゃあ、抜くわね」
ずるずるずるーと引っこ抜かれる。
そして、指2本でアナルをぐりぐりする。
(感じるー)
しかし不思議な事に、ちんぽは萎えていた。
「さあ、お尻の方はバックオーライ」
アリスは、コンドームを取り出すと、器用に装着した。
光男のちんぽを見て、「あれぇ、勃起していないのにお汁がたれている。
勃起していないのに感じているの?」と言う。
手を伸ばしてきて、こっちのちんぽに指を絡めてくる。
「じゃあ、四つん這いと正常位とどっちがいい?」
「う、正常位」
「じゃあベッドの上で仰向けになって」
ベッドに仰向けになると、
アリスがこっちの膝の後ろをおしてきてM字開脚させられる。
その状態で、アリスは勃起したペニスを押さえるとこっちの睾丸の下にあてがう。
腰の力で鬼頭だけぬるっと入ってきた。
「ほら、頭だけもう入っちゃった。じゃあ、もっと深く」
ずるずる、と入ってくる。
「ほら、もう根元まで入った」
それから抜く。
又入れる。
こっちの脇の下あたりに手をつくと、アリスはペニスを出し入れしだした。
(肛門で擦れる感覚がたまらない)
自分のペニスを見ると本気汁が溢れていた。
「いいよ。すごくいいです」
言うと抱き着いてアリスの乳首を吸う。
アリスはこっちの首すじに抱き着くと、ピストン運動を始めた。
「はあ、はぁ」と溜息がもれる。「はぁ、いいです」
「いきそう?」
「いきそうです」
ちんぽも勃起していた。
アリスは上体を起こすをこっちのペニスをしごきだした。
「じゃあ、行っちゃって」言うと、ピストン運動を激しくする。
「あ、ああ、ああ、ああ」
すぐに果てた。
その途端に肛門が拒否する。
「あー、もういい」と光男は腰を引いた。
「ふうぅ」ペタン座りするとアリスは微笑した。
「やっぱ早いよね。ベテランになると勃起しないまま射精する人がいるんだから。
そういう人は、たらたらと何時までも射精しているの。
“ところてん”っていうんだから。私じゃ出来ない技だけど」
こっちのちんぽを握って精液の残りを絞り出すと拭いてくれる。
自分のコンドームも始末した。
人心地着くと二人は、ベッドに座ってジャスミン茶を飲んだ。
「まだ、50分も余っている。スイッチして、お兄さんがこっちにAFして
フィニッシュしてもよかったんだよ」
「俺もそう思ったよ。入れられたいが入れてもいいと思った。
何でそんな事思うんだろう。
アリスのプロフィールにも、AF◎、逆AF◎ってあったよねえ。
ゲイだったら、たちとねこは入れ替わらないだろう。
女を求めているが、ペニスを求めていて、しかも、ねことたちが入れ替わる。
何でちんぽが欲しいのかぁ」
「3つ説があるの。
第一の説は、ペニスをクリトリスに見立てている感じ。
ペニクリっていって、バイブを鬼頭に当てて、行きそうになると離して、
おさまると又当てて、って、何回もやると、じわーっと精液が滲み出てくるっていう
プレイもあるんだけれども。
第二の説。女にペニスがあるのは面白いという説。
第三の説。女性性器嫌悪説。気持ち悪いじゃん、おまんこって。
内臓みたいで」
(インターフェースが変わったって事か。
つまり、相変わらず女を求めてはいるのだが、つながる箇所が女性性器から
男性性器に変わったという事か…。
何気、関根啓子巡査ののナニを想像してみたら、内臓が剥きでている様で、嫌だな、
と思えた。という事は第三の説かも知れない。
いやー、それがペニス羨望の理由とは思えないなぁ)
「そういうのは、あきな恋さんが詳しいよ」とアリスが言った。
「誰?」
「あきなさん。私の先輩」
「へー、自分の客に他のニューハーフを紹介するのかい」
「そうじゃないけれども、あの人は色々教えてくれたから」
「ところで、“ところてん”って、何よ」
「直腸から入れると前立腺の上に精嚢っていう精液の溜まっているところがあるから、
そこをつくと、たらたら垂れてくるんだよ」
「それもあきな嬢なら出来るの?」
「超上手いよ」
「ふーん」
光男は立ち上がるとクローゼットを開けた。
ジャケットのポケットからスマホを出すと、
例のガイシャの写真を表示する。
アリスに見せた。
「この人知っている?」
「えー、何でそんな事聞くの?」
「俺の友達なんだよ。
こいつが、この店にいいニューハーフが居るって言うんだけれども、
誰だか教えてくれないんだよ」
「ふーん。見た事あるなぁ。あきなさんが店外デートしていたのかな。
うーん。もしかしたらそうだよ。多分」







#1151/1158 ●連載    *** コメント #1150 ***
★タイトル (sab     )  22/10/07  12:37  ( 52)
ニューハーフ殺人事件15    朝霧三郎
★内容

副題:何故アナルをせめられた後は殉死したくなるのか。

N-BOXに戻った頃には、すっかり賢者タイムになっていた。
(何時もこうなると、殉死したくなる。
啓子巡査を守って殉死したい。
何か見るものはないか)
水戸光男は、とりあえず、エンジンをかけてスマホをUSBをつなぐと、
アマゾンプライムで「ロッキー」を再生した。
14ラウンドが終了して青コーナーにロッキーが戻ってきたところからの再生だった。
ここまで打たれに打たれて瞼が腫れあがっている。
「目が見えない、切ってくれ」とロッキー。
「バカ言うんじゃない」と老トレーナー。
「いいやらやってくれ」
「よし、やれ」
瞼を切開すると鮮血がほとばしる。ぷしゅー。
15ラウンドのゴングが鳴らされる。
「止めたら殺すぞ」と言ってロッキーはリングに出て行く。
まずは、アポロのアッパーがヒット。
思わずロープまでのけぞるロッキー。
しかし体勢をたてなおすと、右脇腹をかばっているアポロに、にじり寄っていく。
ロッキーのボディーが効いているに違いない。
ロッキーの左右のフックが炸裂。
身もだえるアポロ。
更にロッキーのボディー。
アポロはジャブを返してくるだけ。
ロッキーは激しい連打。
ロッキー左右に激しく連打。
チャンピオン、ロープによりかかって、ダウン寸前。
まさか奇跡の逆転か。
まさか最後の最後でロッキーが勝つのかー。
しかし、ここでゴング。
「リターンマッチはやらないぞ」とアポロ。
「俺も断る」とロッキー。
「15ラウンドを戦ってどんな気持ちですか?」インタビュワーが迫ってくる。
そんなのは無視してエイドリアンを探すロッキー。
「エイドリアーン」
「リターンマッチは」
「そんなの知るか…エイドリアーン」
「ロッキー、ロッキー」とリングに入ってくるエイドリアン。
「エイドリアーン」
二人は抱き着くと、強く抱擁する。
「ロッキー、アイラブユー」
「俺もだ、アイラブユー」
ここで突然映画は終わる。
(俺も殴られたい)と光男は思った。
(啓子巡査の愛を得る為に瞼をはらして、切開して鮮血を噴出して、
更に殴り合って、そして、啓子巡査の愛を得たい。
なんなら、ここで死んでもいい。
…それにしても、何で肛門性愛の後には殉死がくるんだろう。
どういう回路でつながっているのだろう)





#1152/1158 ●連載    *** コメント #1151 ***
★タイトル (sab     )  22/10/07  12:43  ( 72)
ニューハーフ殺人事件16    朝霧三郎
★内容

副題:シーメール風俗を極めるとイケメンコンプレックスが解消されるのか


翌朝、刑事課に行くと、
デカ長の石浜勇之介が、デスクに腰掛けて新聞を読んでいた。
身長182センチ股下90センチの長身。
真っ黒に日焼けしていて、肝臓でも悪いんじゃないかと思えるぐらいだ。
髪の毛がイノシシ並にびっしり生えていて、
それを自分でカットするというから、毛足が豚毛歯ブラシみたいになっている。
長めの襟にネクタイだけぶらさげて、3ピースのチョッキだけ着ている。
裏地は赤い刺繍の柄物だった。
マグカップのコーヒーをすすってから、デスクにドンと置く。
腕時計を見ると、ネクタイを締め出す。

こういう男が、男らしい男なのではないか。
どちらかというと、スティーブ・マックイーンの様な動物臭さがある男。
「愛と誠」に中の悪徳政治家の様な濃さ。
こういう男なら、伊勢丹メンズ館でオーダーメイドのワイシャツを作ったり、
帝国ホテルのゴールデンライオンでカクテルを飲んでも似合うのかも知れない。
(そんなところは麻生太郎みたいな上級国民の行くところで、
一般大衆が行ったら断られる)と光男は思った。
次の瞬間、ビッグイッシューを配っているスニーカーをすり減らしたホームレスや
ダイヤゲート池袋最上階の西武堤一族などが連鎖して、
カーっとしてくる、のが何時もの事だった。
ところが、今朝は違った。
夕べのアリスの一件があってから、ちょっと違う。
デカ長が単なる加齢臭のあるおっさんに見えてきたのだ。
例えば、夕べの一件がある前は、俳優の阿部寛とかTOKIOの長瀬の様な男が
イケている男だ、と思えていた。
しかし、今は、濃い顔の男は、アナルがくさそう、と思えるのだ。
むしろ、BTSの様な醤油顔ののっぺりした男の方がいい。
(もしかして、シーメール風俗を極めれば、イケている男へのコンプレックス、
西武的なものへのコンプレックスが無くなるのか)と光男は思った。

「さあ、打ち合わせやっちゃうか」とデカ長が新聞を畳んだ。
コバ、カトー、明子巡査、関根啓子、そして光男がデカ長の机の周りに集まる。
ホワイトボードには捜査に関係した資料が張り付けられていた。
ガイシャの写真、殺害現場の写真、
ガイシャの免許証、クレカ、「愛と誠」の最終巻、
大宮ハリウッド座の割引券の写真、
容疑者のホームレスの写真。
「一昨日のガイシャがサンシャインシティアルパで白昼堂々刺された件だが
このホームレスが犯行を自供した」とデカ長は容疑者の写真を指差した。
「じゃあ、事件は一件落着ですか」とミツさん。
「それがそうは行かないんだ。裏がありそうで」
「裏? 誰かが裏で何かしていたっていうんですか?」
「そう言っている人がいるんだよ」
「誰が」
「管理官だよ」
あと数日で、警視庁捜査一課から、警視が管理官として赴任することになっていた。
「それで事情を聞きたいというので、わるいが、ミツさんと、明子巡査、
二人で、管理官のところに行ってくれないか」
「分かりました」と明子巡査。
「ミツさんが休んでいる間に、
コバとカトーちゃんでガイシャの部屋をガサ入れしたよ」とデカ長。
「何か出てきた?」ミツさんはコバの方を見た。
「「愛と誠」全集。アネロス他アナルグッズ多数。
あと、自分が磔になった写真多数」とコバ。
「自分が磔になった写真?」
「あれは露出狂かなあ」とカトーちゃん。
「今日だが、コバ、カトーちゃんは、ストリップ劇場への聞き込みを頼む」
「了解」
「ミツさんと明子は管理官の方を頼む」
「了解」
「啓子巡査は、証拠品あさりに付き合ってくれ」
「まだ何かあるんですか」と光男が聞いた。
「裸の磔の写真が大量にあって、ちゃんと見れていないから、
ちゃんと見ておきたいんだよ」
(そんな事に俺の啓子巡査を使うのか)と光男は思ったが、
定年間際の窓際警部補には何もいうことはできない。





#1153/1158 ●連載    *** コメント #1152 ***
★タイトル (sab     )  22/10/10  11:41  ( 59)
ニューハーフ殺人事件17    朝霧三郎
★内容

副題:ドン・キホーテが自由な理由

署を出て、大嫌いなダイヤゲート池袋のアンダーパスをくぐって、
一昨日事件のあったサンシャインシティを通り抜けると、すぐに池袋線の下に入った。
音羽、江戸川橋、飯田橋、竹橋、と走って内堀通りに入る。
さっき通った音羽の手前が早稲田なので、光男は昨日の事を思い出していた。
「早稲田とかさあ、ごちゃごちゃした街だと俺のN-BOXでもいいけれども、
内堀通りじゃあ、こういうクラウンじゃないとダメだよな。何でだろう」
「それはですねえ、「神の死」がないからですよ」と明子巡査。
「えええ、なにー、「神の死」って。又心理学的な話?」
明子巡査は何かと言うと心理学的な分析をするのだった。
「まぁ、心理学というよりは消費論ですけれどもね。ボードリヤールとか」
「…」
「例えば私は表参道のブランドショップが苦手で全然ダメなタイプなんです。
手の脂がブランド品についてしまう様な気がして。
でも、同じ商品でも、ドン・キホーテなら気楽に触れるんですね。
同じ様に、世田谷通りの外車のディーラーは苦手でも、
オートバックスなら安心していられるんですね。
それは「神の死」があるからなんです」
「うーん。ポリポリ」と光男は運転しながら頭をかいた。
「表参道のブランドショップは神につながっているから近寄りがたいんですよ。
表参道っていったら神社につながっているでしょう? 
でも、ドン・キホーテに持ってきて、神と引き離してしまえば、
それは、「神の死」の状態なんですよ。
それはちょうど欅坂46のナチスファッションと同じで、
ああいうものは、旧日本陸軍の軍服と同じで、
旧日本陸軍が着ていれば神々しい感じですけれども、
敗戦で「神の死」を迎えれば、ただのコスプレになっちゃうんですよ。
専門用語でシミュラークルと言いますけど。
そういう感じで、高田馬場なんて、「神の死」んだ街だから、気楽だから、
N-BOXでも大丈夫なんですよ。
でも内堀通りは「神の死」がないから、つまり神が生きているから、
だから、クラウンじゃないとダメなんですね」
「じゃあ、池袋は? 「神の死」はあるのか? 
あそこも、サンシャインシティの方だとN-BOXだと舐められる感じがするぞ」
「それは西武が、なんちゃって神だからですよ」
「なんちゃって神?」
「神でもないのに、神の様な尊大な態度をとっている感じ」
「西武って、国土計画とかプリンスホテルとか名前からして不敬罪っぽいものなあ」
「そうですねえ」
などと話しながら内堀通りを走っていた。
「昼飯、どうする?」と光男が言った。
「又、本部庁舎のレストランですか?」と明子巡査。
「どっか、ここらへんでもいいよ」
車はまだ皇居外苑を走っていた。
「ぐるなびかなんかでどっか探して」
明子巡査はスマホを出すと、検索した。
「うーん、このあたりだと、東京會舘に「ル ブール ノワゼット」
というレストランがあって、ランチは2750〜です」
「高い」
「うーん」
明子巡査がぐずぐずしている内に車は右折して晴海通りに入る。
「日比谷公園に日比谷パレスというのがあってランチは3630〜」
「高すぎだよ」
「ここらへんで安いのは、法曹会館のレストラン マロニエですね。
日替わりランチ、ロールキャベツ900円。
 谷崎潤一郎の「細雪」にも出てきたと書いてあります」
「そこでいいよ」




#1154/1158 ●連載    *** コメント #1153 ***
★タイトル (sab     )  22/10/10  11:45  (142)
ニューハーフ殺人事件18    朝霧三郎
★内容                                         22/10/12 08:07 修正 第6版
副題:ガイシャが薄い理由とペニス羨望の理由

レストラン マロニエの前には、ランチの見本が並べてあった。
ラーメン800円。
チャーハン700円。
ランチメニュー(日替)ロールキャベツ、サラダ、スープ付き900円。
「これでいいや」と光男はランチメニューの食券を買った
店内に入ると会議室にある様な椅子を引いて腰掛けた。
「なんだよ、社食みたいな店だな」と光男。
「村上春樹みたいですね」と明子巡査。
「え、なんで?」
「皇居の周りをうろうろしていると、村上春樹みたいにおのぼりさんに
なった気分になるんですよ」
「おいおい、俺らだって警視庁の警察官なんだからおのぼりさんってことは
ないだろう」
「村上春樹の小説って、
はとバスみたいに都内の名所をぐるぐる回るんですけれども、
西武系とか出てこないんですよね」
「へー」
「和敬塾とか、イグナチオの土手とか、伊勢丹の裏の深夜映画館とか、
アルプスの広場とか、
はとバスみたいに東京の名所が出てくるのですが、渋谷とか出てこない。
「ノルウェイの森」に限ってですが。
あれはミツさんみたいに、コンプレックスがあるんですかね。
西武とか金持ちに。
金持ちなんて糞くらえ、と書いていますが」
「村上龍の小説には出てきそうだな。プリンスホテルとか。
村上龍の方が濃いんじゃないの? 村上春樹に比べて」
すぐにロールキャベツが運ばれてきた。
「それにしても、あのガイシャは薄かったな」
「あのガイシャが薄かったのは…」
ロールキャベツを口に運びながら明子巡査が言う。
「やはり「神の死」が関係しているんですが」
「おい、又精神分析かよ」
「ブランド品に限らず、男女関係でも、
「神の死」がないと付き合えない人がいるんですよ。
ちゃんとした素人の女性で、成人式に振袖を着て行く様な女性とかには
近寄れない。
そういう人がどこに行くかというと、風俗店です。
何故なら、風俗店には「神の死」があるから。
成人式で振袖を着ている女子には神がついているから触れられない。
だから、とりあえず、風俗店に行く。
それも、しかし、長続きしない」
「何で?」
「生活安全課が手入れをして、風俗店は潰れるから。
そうすると、肛門性愛に走るんです」
「え、何で?」
「もともと、振袖の女性に触れられないのも、
ブランド品に触れられないのと同じで、
相手に手脂がついてしまう、
醜い自分の身体の脂がついてしまうという不安からでしたが、
この段階で、
自分の身体を嫌っているんですね。
だって身体からは手脂が滲み出てきますからね。
だから、拒食症患者が皮下脂肪を嫌うみたいに、
どんどん身体を殺していくんです。
滅私です。
これは、フロイト博士流に言うと、死に向かっている感じですね」
「死に向かう?」
「ええ。普通は胎内から母子関係、そして世界と進んでいきますが、
ガイシャの場合は逆で、
世界、母子関係、胎内、そして受精する前の死と逆方向に進んで行くんです。
「死への欲動」です。
生に向かっている時にはエロス、ペニスの愛ですが、
死へ向かっている時はタナトス、肛門性愛なんです。
性の退行というやつですね」
「性の退行…」
「つーか、手脂がつくから素人の女には触れられないのだから、
ペニスを向ける相手はいない訳ですから、肛門性愛に走るしかないんですが」
「増えているのか、肛門性愛というのは」
「統計資料がある訳じゃないですが、生活安全課の人に言わせると
増えているって事ですね。
まず、あのガイシャが使っていたみたいなアナルグッズがやたらと売れていると。
でも、それじゃあおさまらないで、次には、ニューハーフ風俗に走るんです」
「何でゲイじゃないんだ?」
「そもそも同性愛者じゃないですから。
それにゲイだと「薔薇族」みたいに濃い感じですしね。
もっと薄い、BLみたいな感じです。
というか、そもそもは、手脂を嫌っているから、薄くなるんですが、
「はいからさんが通る」の阿部寛の旧日本陸軍の軍服は濃いけれども、
敗戦という「神の死」があって、
欅坂46のナチスのコスプレになると薄くなる、というのに似ていますね。
だから、あのガイシャは薄いし、
多分、ニューハーフを追いかけているんじゃないかと推察しますね」
「うーむ」
「でも、いい事もあるんですよ」
「なに?」
「そもそも、ミツさんが苦手と言っている伊勢丹メンズ館でも、
阿部寛の旧日本陸軍の軍服でも、
神があるから苦手だったんですよね。手脂があるから。
でも、自分も薄くなって、相手もニューハーフとなると、
もう、伊勢丹メンズ館でも、イケメンでも、コンプレックスがなくなるんです」
「何で?」
「そもそも、男性って最初は母親を愛していますよね。乳児の頃は。
だって、母親に捨てられたら餓死だから。
だから、母親を愛するんですが。でも父親にダメって言われて、
外に出て行って別の女を探す。
この様に、胎内から母子関係、世界と出て行くんですが、さっき言ったみたいに。
この世界で探しているのが、振袖を着た素人の女です。母親の代替品として。
でも、その女にもダメだ、手脂がつくから、となって、
ニューハーフに走るというのは、
タナトス、「死への欲動」ですから、
これは、又母親のところに戻ってきている感じです。
母子関係のとこまで戻った時に何を求めるのかというと、
自分の求めるものではなくて母親の求めるものを求めるんです。
みんながヴィトンを求めるから自分もヴィトンを求めるみたいに、
母親が求めるものを自分も求めるんです。
この時母親が求めているものは何かというと、
父親のペニスを求めていますから、
自分もペニスを求めているんですね。
つまり、ニューハーフのペニスを求めているんです。
という訳で、もうこの段階では、母子の外の世界の、
振袖の女とか、表参道のブランドショップとか、阿部寛みたいなイケメンは
関係なくなっちゃっているんです」

(本当かも知れないとも思う)光男はロールキャベツのスープを最後まで
スプーンですくいながら飲むと思った。
(もしニューハーフを相手にしていたら、
西武へのコンプレックスも、
阿部寛みたいな濃いイケメンへのコンプレックスも
解消されるというのなら、夢の様な話だな。
本当だろうか…。
滝川クリステルがムカついていたが、
それは、昔、30代の頃、大宮ハリウッド座で遊んで帰ってくる時に、
金曜、土曜、日曜と遊んで、
日曜の夕方にJ−WAVEの「サウジサウダージ」を聞きながら
帰ってきていたのだが、
今、「サウジサウダージ」のナビゲーターは滝川クリステルで、
俺の失われた時の位置に座っているという感じがするからだ。
それでも、滝川クリステルが結婚もしないで動物愛護運動なんてしている時には
よかったが、進次郎と結婚妊娠となると、ムカーっとして、
それは、伊勢丹メンズ館や西武にムカつくというのと似ているのだが。
しかし、「サウジサウダージ」を思い出してムカついているところに
アリスがいるとすると、なんとなく、J−WAVEも「サウジサウダージ」も
関係ないじゃんと思えてくる。
そもそも、あんなにまったりしたボサノバじゃなくて、
ハウスとかトランスって感じがするし。
だから、シーメールとやっていれば、滝クリ的なものへの憎しみからは
逃れられるのかも知れないな。
それに、俺のペニス羨望の理由も分かった気がするし。
しかし、そこまで推理しているとは、
明子巡査というのは見かけによらず鋭い女だな)




#1155/1158 ●連載    *** コメント #1154 ***
★タイトル (sab     )  22/10/13  15:04  (131)
ニューハーフ殺人事件19    朝霧三郎
★内容                                         22/10/23 10:36 修正 第3版
副題:もともとタナトス的な人が肛門性愛に走る。

水戸光男と明子巡査は桜田門の警視庁の内部に入った。
V字型の桜田通り側の6階に捜査一課はあった。
パーティションで区切られた接客室で待っていると、すぐに斎藤警視が現れた。
背が高くて色が白くて、如何にも頭が切れそう。
「どうぞ」と席をすすめられて、会議室用の固い椅子に座った。
斎藤警視も着席すると「さっそくだが」とすぐに話を進めた。
「だいぶ捜査も進んで、容疑者のホームレスも自白をしているから、
ここらで終了という感じなんだろうが、そうも行かない理由があるんだ。
実は、1年ぐらい前に、京都の方で類似の事件が起こっている。
被害者は警察マニアの30代の男だが、
京都の建築現場で、立ち小便をしているところホームレスに刺される、
という殺られ方だった。
これが、ガイシャの写真だ」
水戸光男と明子巡査は斎藤警視が机の上に出した写真を見た。
ガイシャは長髪で、胸元をあけた長い襟のワイシャツに3ピース。
腹の左側、肝臓のあたりから出血している。
「この服装が問題なんだよ。
今時、メンズビギのスーツにワイシャツ、それに長髪だ。
ガイシャのヤサを家宅捜索したところ、
「太陽にほえろ! マカロニ刑事編」のDVD-BOXが発見されたのだが、
それには、「13の金曜日マカロニ死す」が収録されている。
そのドラマのショーケンのファッションとガイシャのファッションが似ているんだ。
場所も、ドラマの方は新宿の工事現場だが、
実際の事件でも京都の工事現場で類似している。
それと、池袋の事件との類似点だが、京都のガイシャは、解剖の結果、
肛門が脱肛、つまりアナルローズ状態なんだ。
これは、過度の肛門性交によりそうなるそうだが。
さらに捜査を進めて行くうちに、
ハッピーメールでこのガイシャとやりとりしていた看護師Xという存在が浮上した。
このXは肛門性愛の調教師で、しかもニューハーフだった。
ネット上ではやりとり出来たのだが、リアルでは任意聴取もできなかったのだが。
「太陽にほえろ!」のDVDもこの看護師がプレゼントしたという事だ。
そして、アナル調教も繰り返していたそうだ。
しかし、このXとは会えずじまい。
容疑者のホームレスは、ガイシャに頼まれて刺したと言い張っている。
もしかしたら、看護師Xが、アナル調教を繰り返し行って、
それから、「13の金曜日マカロニ死す」の死に方で死ねと洗脳して、
それでガイシャがホームレスを雇って自分で死んだんじゃないか、
という仮説が出ていた。
それでも、ホームレスが犯人という事で立件されたのだが。
そんな事件があった後に、今回の池袋の事件だ。
もし京都の事件が、看護師Xのアナル調教による
「13の金曜日マカロニ死す」の死に方で死ね
という洗脳によるものだとしたら、
池袋の事件も、誰かによるアナル調教と、
「愛と誠」の様に死ねという洗脳によって死んだんじゃないか、
という想像が出来る」
ここまで語ると、斎藤警視は水戸光男と明子巡査の顔色でも観察する様に注視した。
「まあ、あなた達には変な話に聞こえるかも知れないが、
こういう、肛門性愛とか、死への欲動とも思える死に方とか、
そういう事に関しては、池袋署の方では何か考えているの?」
斎藤警視の問いかけに、水戸光男と明子巡査は押し黙っていた。
「そういう難しい事はちょっと」もじもじしながら水戸光男は言った。
「個人的な意見でいいなら、ない事はありません」明子巡査が言った。
「ほー、なんだね。聞いてみたいね」
「池袋のガイシャですが、あれは「母へのおねだり」的欲望を持ったまま
大人の世界に入って失敗したんじゃないかと思うんですが」
「「母へのおねだり」?」
「「母へのおねだり」というのは、
幼児は言葉を持っていませんから、
母親に「おっぱいが欲しいのかな、オムツが濡れているのかな、
それとも何かな」と、あれでもない、これでもない、と、
想像してもらいたいんですね。
あれも、これも、全ての愛を欲しがる、みたいな感じですが。
何を与えられても、泣き続ける赤ん坊の様な感じですが。
だって、何が欲しい訳ではなく、母親の無限の愛がほしい訳で、
それが万能感なのですから。
それは、エロスというよりかはタナトス的な愛です」
「なんだね。フロイトかね」
「そうです」
「フロイトが池袋の事件と関係があるのかね」
「だって、アネロスを持っていたのですから。肛門性愛ですから」
「そうか。まあ、続けて」
「エロスというのは、おっぱいとかうんちとか、母の脂肪とか、
ぽちゃぽちゃしたもので、適当でいい加減で人間的なものなんですね。
一方タナトスというのは、もっとカクカクした完璧なもの、
まだへその緒がつながっていて、永久に栄養が流れてくる様なもの、
人間も微細なレベルでは原子ですから、
原子だったら、元素の周りを電子が規則正しく回っているから、
そういう規則正しさを求める、みたいな欲望がタナトスです。
そういうタナトス的なものを、エロス的なぽちゃぽちゃした母親に求める、
タナトス的な乳児だった」
「池袋のガイシャが?」
「ええ」
「そういう乳児だったと」
「ええ」
「それで」
「だから、当然エロス的母親は人間ですから完璧なものは与えられない。
そこで、このタナトス的な子供は愛されなかったと思う。
愛を得ないまま大人になった。
そして大人の世界に参入する。
大人の世界とは、例えば、伊勢丹メンズ館でスーツを作って、
どこかこ洒落たレストランでランチをする、みたいな世界ですが。
ところがこのガイシャの免許証の写真を見ると、顔が歪んでいるんですね。
シンメトリーじゃない。イケメンじゃない。
となると、伊勢丹メンズ館でもこ洒落たレストランでも笑われる訳ですよ。
ドレスコードに引っかかって入れてもらえないみたいな感じですかね。
ここで、乳児の頃、母親とエロスのやりとりがあれば、
エロス的に、あの店員変な奴だな、ぐらいで済むのですが。
たまには自分の歪んだ顔をバカにする人間もいるだろうが、愛してくれる人もいる、
とエロス的に考える。
でも、エロスを拒否したタナトス的な乳児ですから、
タナトス的に拒否されたと感じて、万人に笑われていると思う。
自分が醜いから愛されないのだ、と。
シンメトリーじゃないから受け入れられないのだと。
そして完璧なものを求める訳です。女なら、すっぴんを捨てて何回も整形を繰り返す。
男だったらボディービルをやって鍛えるような。
ここで、愛がエロスからタナトスに変わるんです。
ぽちゃぽちゃした女性のおっぱいや性器を求めているのではなく、
そんなのは否定して、
つまり女性的なものへの勃起、射精というものではなくなり、
肛門性愛の様な反復的なものになるんです。
何故肛門性愛かというと、女性性器じゃないからですが」
「ふーん。じゃあ、そこで肛門性愛に走ったとして、
何で死なないとならないのかね」
「肛門性愛に走るのは、伊勢丹メンズ館の様な“世界”から母子関係に戻ってきて、
そこで、肛門をいじられるみたいな感じですから、
その先には、へその緒が直結している胎内に戻りたいという欲望があり、
更には受精前の死の状態に戻りたいという「死への欲動」があると思われます。
その「死への欲動」を体現したい訳ですから、
肛門で悶える感じです。
丸で拷問でも受けているみたいに」
「君はそんな事をどこで学んだんだね」
「大学時代、心理学科で」
「どこの大学で」
「中央大学です」
「あの田舎の私立大学かい」と斎藤警視は言った。






#1156/1158 ●連載    *** コメント #1155 ***
★タイトル (sab     )  22/10/14  16:53  ( 70)
ニューハーフ殺人事件20    朝霧三郎
★内容                                         22/10/20 11:48 修正 第2版

副題:脳科学的に肛門性愛と「死への欲動」を考える

「私は東大で認知心理学を学んだが、別の解釈が出来る。
それは脳科学的な解釈だが」
「はぁ」
「聞きたい?」と如何にも言いたそうに聞いてきた。
「はぁ」
「ちょっと最初はとっつきにくいが。
脳には、というか、大脳辺縁系と大脳基底核には海馬と尾状核というところが
あるんだが。
海馬は空間把握をするところで、
尾状核は反復記憶みたいな場所なんだけれども…。
海馬は空間認識だから、海馬がでかいと空間認識に優れるんだ。
だから、ロンドンのタクシードライバーは海馬がでかいんだけれども。
タクシーの運ちゃんに限らず、ネズミでも、
迷路、よくネズミの実験で使う迷路ね、実験心理学とかでも使ったでしょう、
その迷路の真ん中に餌をおいておいてネズミを放すと、
海馬があれば、餌の位置を俯瞰的に一発で当てるんだね。
ところが実験で、ネズミの海馬を損傷させると、尾状核を使う様になる。
そうすると、迷路の角から入っていって、たどり着けないと戻ってきて、
又次の角、というように、トライ&エラーを繰り返す」
「海馬だと俯瞰的に見るけれども尾状核ではトライ&エラーを繰り返す」と明子巡査。
「その通り。
又この実験では、尾状核は反復性障害にも関係あるとされている。
何回も何回もガス栓を確認しないとダメなガス栓恐怖症などだが。
あれは実際には見えていないんじゃなかろうか。
海馬が健全なら一発見て閉まっていると確認できるが、
尾状核だと、迷路の角から餌を見る感じだから、ちらちらしていて
よく見えていないんじゃないのか」
「フロイト博士の反復強迫、嫌な事を反復するというのに似てますね。
拒食症患者がリスカを繰り返すとか」
「フロイトは脳科学の発達していない時代に、
脳科学的な事を言い当てたかも知れないね。
エロスとタナトスは、そのまま海馬的と尾状核的に置き換えられるから。
こういう海馬から尾状核への移行は、ストレスによって
引き起こされると言われているが、
現代の様なストレスの多い社会だと、摂食障害になってリスカを繰り返したり
するのかも知れないね。
昔みたいに、ぽちゃぽちゃした、有機的な世界にいれば、
海馬の世界だから、まったりとしていられたけれども、
現代の様に、カクカクした、幾何学的な、化学系床材で出来たような空間にいたら、
ストレスが溜まって、ヒステリーになるのかも知れないね」
「それは、昔の教室が、だるまストーブに木の床だっのが、
空調がエアコンになって床も化学系床材になったんで、
ストレスがたまる、って感じですか?」
「だるまストーブに木の教室だったら、オナラぐらいしても平気だが、
エアコンに化学系床剤だと、そういうのもNGになるかもね。
身体的にストレスを与えるから、尾状核的になる。
尾状核は1か0かの幾何学的な脳だから、
無機的で秩序を好み、ぽちゃぽちゃした有機なものを、嫌う。
なんつーか、ロハスを嫌う。
有機的なものを嫌う。
フロイト的に言えば、エロスを嫌う。
それとは反対のタナトス的反復を求める。
射精ではなく肛門性愛。
エロスな女を求めている訳じゃないから、
対象は肛門になり、相手の肛門は自分の肛門でもあり。
…なんとなく分かるかね」
「なんとなくは。でも、尾状核だと何で「死への欲動」が発動されるんですか?」
「尾状核は反復性障害に関係するから、フロイトの反復、
つまり死の欲動と…」
「えっ、フロイト博士にかえるんですか」
「さっき話したハッピーメールの看護師Xだが、そいつが、
尾状核の死にたくなる気持ちを誘発させたんじゃないか、
という説も出てきている。
まあ、あの件に関しては、犯人はホームレスで処理されたが、
真犯人は看護師と睨んでいるがね。
池袋の事件も誰か京都の看護師の役どころの人間がいるんじゃないかと
想像している訳だよ」




#1157/1158 ●連載    *** コメント #1156 ***
★タイトル (sab     )  22/10/14  17:00  (109)
ニューハーフ殺人事件21    朝霧三郎
★内容                                         22/10/24 14:04 修正 第5版

副題:シニフィアンに跳ね飛ばされると最後はアナルに走る。
まず、何故シニフィアンに跳ね飛ばされるのか。

警視に会って緊張したから、どっかこ洒落たカフェでリラックスしていこう
という事になって、
丸の内1stのパーキングエリアに警察車両を駐車すると、
三菱UFJ信託銀行本店の1階にある「DEAN & DELUCA カフェ丸の内」に入った。
天井が高いガラス張りの空間。
入り口のカウンターで、ブレンドコーヒーとパンプキンチョコチップケーキを
トレイに乗せて窓際の席へ。
「すごーい、お洒落」と明子巡査はきょろきょろしていた。
「私は本当にこういう、お洒落な空間が苦手で、
一昨日の現場のタリーズみたいなカフェですら苦手なんですよぉ。
大学も中大で田舎ですから、お洒落な都市空間が苦手で、
就職の時にも品川のオフィス街とか、ミクシィのある渋谷スクランブルとかにも
行ったけれども、
それこそ、だるまストーブと木の床ではない空間だから、
もう、自分の身体、特に胃腸が、そういうお洒落な空間を苦手にしていたんですよ」
店のカウンターの方を見ると、若いOL3人が財布だけもって買い物に来ていた。
カフェラテにクッキーを買うと、テイクアウト。
「三菱UFJ信託本店のOLさんですかね」と明子巡査。
「いやー、3時だから銀行員って事はないんじゃない? 
どっか、近所のOLだろう」
タイトなスカートでお尻ぷりぷりで、高いヒールを履いている。
「私、ああいうお姉さんにコンプレックスがあるんですよ」と明子巡査。
「こんな化学系建材の都市空間に居て、
コーヒーとクッキー食べて、うん○もぶりぶり平気でする、という。
自分の身体というエロス的なものと、
化学系建材というタナトス的なものの調和に優れているという感じがして。
だって、すごいと思いません? 
大理石みたいな柄の化学系建材に囲まれた空間で、
コーヒーとクッキーを買って、
おちょぼ口から胃腸に流し込んで、
今度はTOTOのウォシュレットのあるトイレに行って肛門から出すというのは」
と繰り返した。
「ああいうOLが、表参道のブランドショップでブランド品を買うんだ、
と思いますね」
「俺も似た様な経験をした事があるよ」と光男は言った。
「俺は埼玉のJ大学というFラン大学にいたんだが、
Schottのムートンジャケットを着ていたんだな。何故か。
Schottならブランド品だと思って。
それを着て、埼玉のJ大学から電車で、伊勢丹メンズ館まで行って、
クロムハーツのショップで、革ジャンを見ていたら、
いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、60万円?
店員が出てきて「手が出ないでしょう」と言ってニヤついていやがって。
チャラ男の店員が。
「そのジャケット、豚革?」と俺のジャケットを指さす。
「豚革でしょう」と俺の顔に向かって豚革、豚、豚と連呼する。
俺には豚革が似合いだとでも? 
ふざけやがって。ショップの店員の癖に。
あのクロムハーツの革ジャンは松本人志とかが着ているのかなぁ。
それ以来伊勢丹メンズ館的なものが苦手になったよ。
それは、明子君の表参道のブランドショップみたいなもの?」
「そういう伊勢丹メンズ館とか、このディーンアンドデルーカとか、
三菱UFJ信託のオフィスとか、そういう都市空間の事を、
シニフィアンって言うんですよ。専門用語では。
それでその中で消費生活に戯れている限りは安定しているんですね、
精神分析的には。
でも、私はダメでしたね。私は胃腸が信じられない、という感じで。
タナトスな空間で自分のエロスな身体を維持するのに自信がなくて。
おちょぼ口でクッキーを食べてコーヒーを飲んで、
肛門から排泄して綺麗にウォシュレットで洗浄するという。
なんでミツさんはダメだったんですか?」
「俺はニキビだな。あの時、ニキビが出来ていた」
「そういうのも、精神分析的には、「母へのおねだり」なんですよ」
「俺は、母親に何もねだっていないよ」
「「母へのおねだり」というのは、おっぱいが出たり出なかったり、
うん○が出たり出なかったり、ニキビがあったりなかったりで。
つまり、身体とか脂肪とか、ぽちゃぽちゃぽちゃしたもの、エロス的なもの
に関わる事なんです。
都市空間に行くとそういうのが気になっちゃって。
そういうのを無くすために拒食症になる。
脂肪を全て無くせば、あったりなかったり、というのはもう起きないから。
母の愛があったりなかったり、というのはもう無いから。
斎藤警視の言葉で言えば、海馬的ではない、という感じで、尾状核的ですかね」
「ところで、品川のオフィス街とか行ったのに、何で警察官になったの」
「それは、都市空間はタナトス的で、エロスな身体が不安定だったから、
だから、桜田門に就職したという…」
「何で桜田門だと堂々としていられるの?」
「それは例えば
大東亜共栄圏の旧日本陸軍みたいなもので、「神の死」がないというか、
ナチスの親衛隊だったら軍服自体がアイデンティティになるから自信満々ですよね」
「よく分からないが」
ずずずずーっとコーヒーをすする明子巡査。
(30代、大宮ハリウッド座に通っている頃、ホリエモンとか酒鬼薔薇とか、
へー、どこの誰?という感じだった。
その頃、素人もやらせるどうかと思って素人にも手を広げて行って、
5、6人と付き合っていた。
そうしたら、なんとこの俺の誕生日をアンナミラーズで祝ってくれた、女が3人で。
俺一人の為に。
その時、面倒くさいな、大宮ハリウッド座でジャンケンに勝ちさえすれば
すぐにただまんにありつけるのにこんな素人と絡んでいるのは、と思った。
その頃は伊勢丹メンズ館もなんとも思わなくて、ポロショップで、
試着が出来ない筈の被り物のシャツなど、何枚も着散らかしても平気だった。
なんたって、桜田門だからなあ。
桜田門の警察手帳を内ポケットに入れていれば、
ナチスの親衛隊の軍服を着ている様なもので、
伊勢丹メンズ館なんて屁とも思わなくなるのかもな。
しかし、今も桜田門だけれどもそんな元気はない。
加齢によって、シニフィアンとやらに弱くなるのかな。
或いは、金さえあれば、銀座の天ぷら屋や寿司屋に行ったりするのかもな、
小津安二郎の映画に出てくるジジイみたいに)
「つまり」と光男は言った。「シニフィアンというのは都市空間みたいなもので、
それはタナトスな空間だから、エロスに自信の無い人には居心地が悪い。
胃腸に不安があるとか肌が荒れているとか。そういう事か?」
「そんな感じですね。それでシニフィアンに跳ね飛ばされて引きこもる」
明子巡査はずーずずずっとコーヒーをすすった。





#1158/1158 ●連載    *** コメント #1157 ***
★タイトル (sab     )  22/10/25  13:56  (109)
ニューハーフ殺人事件22    朝霧三郎
★内容

副題:シニフィアンに跳ね飛ばされると最後はアナルに走る。
何故シニフィアンに跳ね飛ばされたのにシニフィアンを気にするのか。

「だったら、静かにアパートに引きこもっていたいのに、何で気になるの?」
「何が、ですか?」
「さっき、ミクシィ本社の入っている渋谷スクランブルとか言っただろう」
「はい」
「そう聞いただけで、ミクシィだけじゃなくて、
「渋谷で働くアメーバーブログの社長」とか「はてな」とか、
そういうのが、びびびびびーっと連鎖するのだけれども。
それは、西武が気に入らないとか、野田秀樹が気に入らないとかと
同じ感覚で、何でそんな事が起こるんだろう。
シニフィアンに跳ね飛ばされたのなら、
静かにアパートに引きこもらせてくれればいいのに」
「それはそういうものなんですよ。
私は都市空間がダメで、
就職の時に品川のオフィス街で目が回ったんですけど、
それより4年前、受験の時に、代ゼミに行ったんですけど」
「代々木ゼミナール?」
「ええ。
夏休みに抜け駆けして、友達には黙って、代ゼミに行った事があったんです。
そうしたら、すごいストレスで。
山手線なんて乗車率190%とか。
教室もすし詰め状態で。
それで嘔吐恐怖症になったんですね。
吐くんじゃないかという強迫観念に襲われたんです。
それで、近所の心療内科に行って、
それは1週間ぐらいで落ち着いたんですけれども。
1週間ぶりに駅前に行って、当時はまだ駅前に啓文堂とかあったんですけど、
書棚を見たら、新潮文庫の100冊とかがずらーっと並んでいたんですね。
それを見て、自分は新潮文庫の10冊も書かなければならないと漠然と思ったんです。
それと同時に、マザーテレサとか神谷美恵子とかジョン・レノンみたいに、
世界平和の為に活躍しないといけないと思えてきて」
「おいおい、それが、「渋谷で働くアメーバーブログの社長」となんの関係が
あるんだよ」
「だから、ミツさんだって、伊勢丹メンズ館でバカにされて、
埼玉の田舎に引きこもった時に、
西武が気に入らないとか野田秀樹が気に入らないとか出てきたんでしょ?」
「ああ」
「その時に、何かにハマったものありません。
オタク系のものでも、私の新潮文庫の100冊みたいなものでも」
「そういえば、俺、今でもボクシングジムに通っているだろ」
「はい」
「ボクシングに最初にハマったのは、あの頃だなあ。
ボクシングマガジンの別冊のボクシング年鑑にハマって
ボロボロになるまでページをめくったよ。
特にヘビー級のボクサーが好きで、
フレージャー、フォアマン、スピンクス、ホームズとかね」
「へー。正にそういう感じですよ。
シニフィアンに跳ね飛ばされた時にデータベースにハマるんですよ。
それがお経だとカルトにハマる。
ところが、新潮文庫の100冊にしろ、ボクシング年鑑にしろ、
そういうのは、ラインナップとして用意されたデータベースではなくて、
人間の脳が尾状核的だから、連鎖していってしまうものだと思うんですよ」
「おいおい、尾状核なんて斎藤警視の言っていた事じゃないか」
「でも、ああいうネズミの実験とか、心理学科でも結構有名で、
認知心理学も認知科学も似ているから知っているんですよ」
「へー」
「だから、ミツさんが、ミクシィ、とか、
「渋谷で働くアメーバーブログの社長」とか「はてな」とかが連鎖しちゃうのも、
尾状核的な人間だからですよ」
(俺が尾状核的な人間か。
そうかもな。
何しろ夕べアリスに感じちゃったんだから、
池袋や京都のガイシャに近いのかもな)
「渋谷といえば、渋谷系の音楽ってあるじゃないですか。
「フリッパーズ・ギター」とか「ピチカート・ファイブ」とか。
知ってます?」
「知ってるよ。時代だもの」
「あれって、リミックスサンプリングって言われるじゃないですか。
なんかのデータベースからカットアンドペーストしてきているって。
あれって、90年代になると、色々なストレスが増えたから…、
それこそ、だるまストーブや木の床から、化学系建材の建物になった、とか、
だから、尾状核的になって、それで連鎖しているだけじゃないかと思って」
「そんなに難しい事じゃないよ。
俺は61年生まれで90年代に30代だったが、
その頃給料も増えてきたから車も買って、
カーラジオはFMで、
J−WAVEが流れてきて。
タワーレコードが井之頭通りからファイヤー通りに移ってきた頃だけれども。
あの頃に金、土、日と遊んで
夕方に「サウジサウダージ」を聞きながら帰ってきたんだよ。
あの頃を忘れられる訳がない。
それが今や、J−WAVE、六本木ヒルズ、滝クリ、JAL「サウジサウダージ」が
セットになって、陰のシニフィアンになっているんだからなぁ。
シニフィアンに陽と陰があるなら」
「そりゃあ、一見セットになっている様に感じますが、
実は、ミツさんが尾状核的だから連鎖しているだけなんじゃないんですか?」
「じゃあ聞くが。
90年代、大宮ハリウッド座にハマっていた頃、
ホリエモンとか酒鬼薔薇とか、社会を騒がせている存在が、どこの誰ですか? 
って感じだったのは何故? 
何で尾状核的に連鎖しなかったの?」
「そりゃあ、そのストリップ劇場で、まったりとしていれば、
海馬のニューロンの受容体にまったりイオンが流れてきて、
受容体をふさいでしまうから、
もう、尾状核的なイオンは流れないんですよ」
「ふーん」
「私、池袋や京都のガイシャも、ミツさんの言う陰なシニフィアンに
尾状核的にびりびりしていた奴じゃないかと思うんですよね」
突然明子巡査は事件の話をしてきた。
「池袋のガイシャはA/X ARMANIで、京都のガイシャはメンズビギ
ですからねえ。そういう感じがしますね」
(池袋のガイシャは大宮ハリウッド座からリブレ高田馬場に行っている。
俺もガイシャも尾状核的な人間なのだろう。
何しろ、昨日アリスに感じちゃったんだから。
というか、どうして尾状核的な人間だとアナルで感じるんだろう)





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