AWC ひっきー日記18



#828/1158 ●連載
★タイトル (sab     )  10/04/16  10:19  (106)
ひっきー日記18
★内容
ヨーコさんとの電話が終わると、まだオンラインでいる、とばれるのが嫌
でスカイプを終了させた。ぴゅ〜ぅ、という音とともにタスクバーのアイ
コンが灰色になる。その横に出ている日付は1月5日午前1時。兎に角外
に出てみるか、というのではなくてただ単に缶コーヒーとタバコが切れた
ので買いに行く事にする。通販で買ったカーハートのニット帽をかぶる。
これは結構気に入っていたのだがこの前夜中にドンキめじろ台店に行った
ら天井から鈴なりにぶら下がっていたのでがっかりした。中二階のベラン
ダから駐車場に下りてチャリンコに跨ると駅前のローソンへ行った。暖か
い缶コーヒーとラークを買うと店の外へ。とりあえず一服。最近缶コーヒ
ー1本で3本ぐらい吸える。道の向こう側にバーミヤンがあって、あそこ
ら辺の舗道はタイルになっているのだが、この寒空の下スケボーに乗って
いる奴がいて、カラッ、カラッ、カラッと乾いた音が響いていた。あと二
人、うんこ座りしてタバコを吸っていて、もう一人、バーミヤンのガラス
に向かってブレイクダンスみたいなのを踊っている。ああいうのには近寄
らない方がいいと思ったが、ふと、あの踊っている奴って身長何センチぐ
らいだろうと思う。俺よりでかいか。聞いてみようか。まさかいきなり。
何気にチャリ押して行ってバーミヤンのガラスの反射を利用して背比べを
してみようか。俺はチャリを押しながら車の来ない横断歩道を渡った。そ
してそのまま進んで行ってダンス男とニアミス寸前になった所でガラスを
見た。全然あっちの方がでかいな。5センチは違う。でも俺はサンダル履
きだし向こうはかかとのある靴を履いているから実際には3センチぐらい
の違いだろうか。俺は177だからあの野郎は180で、かかとが4、5
センチの靴を履くとあのぐらに見えるのか。バーミヤンの角まで行ったと
ころでもう一回そいつを見た。身長だけじゃなくて肩もがっしりしている
し胸板も厚いな。全体的に逞しいな。家に帰ると、電気座布団の上に座っ
て電気ひざ掛けをかけて缶コーヒーをもう一本あけると一口飲んでタバコ
に火をつけて、「橋本真也 身長」でぐぐった。183センチかぁ。蝶野
185。三沢光晴186。三沢って蝶野よりでかいのかあ。画面の下の方
に「身長を伸ばすクレアチン通販」、「シークレットシューズ格安販売」、
「あと五センチ医学的に伸ばす」、「ヨーガと整体で伸長」とかいうリン
クが表示されている。何気に「あと五センチ医学的に伸ばす」をクリック
すると、磯谷式、川畑式、イリザロフ式というリンク先が出てきたので更
にイリザロフ式をクリックする。

イリザロフ法とは旧ソ連シベリアのクルガンの整形外科医アブラモビッチ・
イリザロフ教授により発見された骨延長術である。1950年代、従来の
治療技術では治療不可能な複雑骨折の治療にあたり教授は自転車のホイー
ルとスポークを使用した治療を行った。即ち骨折位置の上部と下部を自転
車のホイールとスポークによって固定し上部と下部のホイールの間を鉄の
棒で固定したのだ。しかし間違って本来あるべきより長めに鉄の棒を固定
したために骨折した骨の間に隙間が発生してしまった。ところがこの隙間
に新しい骨が成長するのを偶然発見したのであった。イリザロフ教授はこ
の原理を利用して脚部の骨延長術を開発した。まず大腿骨に切れ目を入れ
ておいて太ももの付け根と膝にドーナツ状のステンレス板をピンで骨に固
定しておき、二枚のステンレス板を調整ナット付き突っ張り棒で固定する。
骨の隙間は1ミリであり、24時間で骨、皮膚及び筋肉が同時に成長する。
そして一日1ミリのペースで突っ張り棒を伸ばして行く事で最高33セン
チの骨延長が可能である。但し通常は5センチ程度である。治療期間は半
年から1年半。費用は600万円

高い。

「治療例」というリンクをクリックすると治療中の太ももの画像が出てきた。
本当に自転車のホイールに脚を突っ込んだみたいに膝と太ももの所にホイー
ルがピンで固定してある。ピンの刺さっている箇所の皮膚は薬品のせいか内
出血せいかで紫色に腫れている。太もも全体も腫れていて土左衛門みたいで
ちょっとグロい。それから今度は磯谷式をクリックした。「全国礒谷式整体
院サーチ」とか「整体師の資格ドットコム」とか「磯谷式で身長を3センチ
伸ばしたブログ」というリンク先が出てきたのでブログのをクリック。

まずどうして身長があと3センチ伸びるかについて説明したいと思う。とい
うかどうして3センチ縮まっていたのかということ。それは股関節がよじれ
ているからなのである。

人間は必ず左右どちからの足を利き足にしている。恐らく右利きの人が多い
から、左足を軸足にして右足から第一歩を踏み出す人が多いだろう。そうす
ると第二歩目は左足で踏み出す事になるので多くの人にとっては左方向に曲
がるほうが楽な動作である筈だ。陸上競技のトラックが左回りなのはその所
為である。そういう人は横になって脚の長さを比べると右脚の方が長い。右
脚が長い分、右側の股関節に負担がかかり、骨盤が右上がりの状態になって
いる。その状態で背骨が上に伸びているので背骨はいったん左に曲がって伸
びてから垂直を保とうとして今度は右に湾曲する。そうすると肩は左肩上が
りになっている筈。従って右足から歩き出す人はショルダーバッグは必ず左
肩にかける筈だ。

以上の様な原理で骨格は歪むのだがこの歪みは整体院の施術で一瞬にしてな
おり、その場で3センチ身長が伸びる。しかし長年の生活習慣で歪んでしまっ
たのだからすぐに元の歪んだ状態に戻ってしまう。だから生活習慣を全て変
えなければならないのである。例えば私の場合、寝る時には今までとは逆に
左側を下にして寝る。(この場合、足首、膝、太腿をベルトで固定しておく)。
朝起きる時も必ず左足から起きる。鼻くそをぼじる時にも左手で左穴からほ
じり、尻を拭く時も左手で拭く。ズボンを履く時も靴を履く時も左から。歩
き出す時も、扉をあけての第一歩も、エスカレータに乗る時も、左足から。
バイクにまたがる時も左足から。後ろにUターンする場合にも左足を右前に
踏み出して右回転で(前述の運動場のトラックとは逆の事をする)。面倒臭
いのが絶対に左に曲がってはいけないという事だ。じゃあ左に曲がりたい時
にはどうするのかというと「の」の字を書くように右回りで一回転して左に
進む。アホ臭いと思うかも知れないけれどもこの方法で一ノ矢という力士は
170から173に身長を伸ばして新弟子検査に合格して高砂部屋に入門し
たのである。

入会金     10,000円 

日常生活指導料 10,000円 

初回矯正料    5,000円 

礒谷式ベルト(3本1組)1,500円 

初回合計 26,500円

施術費用(2回目以降)3,000円

初回合計26,500円で3センチはリーズナブルかもしれないなあ、イリ
ザロフの600万円で5センチに比べれば。





#829/1158 ●連載    *** コメント #828 ***
★タイトル (sab     )  10/04/16  10:21  ( 52)
ひっきー日記19 ぴんちょ
★内容
身長の次は体重だ、つーか筋肉だ。橋本真也のファンには悪いがあ
んなぶよぶよした体は嫌だ。もっとこう、例えばマッスル北村みた
いな体がいい。マッスル北村についてぐぐる。「伝説のボディービ
ルダー、マッスル北村は東大中退後、東京医科歯科大学に入学する、
が、筋肉の増強に専念する為にここも中退して最終的には筋肉を目
一杯浮き上がらせる為に脂肪を徹底的に燃やしてしまって低血糖症
で死んでしまう。そこまで彼がのめり込んで行ったボディービルと
は何なのか」。やっぱ彼は見たんじゃないのか。ああなりたい体を。
バーミヤンのガラスに写る。その体を見た瞬間に彼にとってのある
べき肉体はその肉体になるんじゃないのか。つまり空想しただけで
喪失が発生するのだ。そして長い時間と労力をかけてこの喪失を埋
めていく。「1日に卵20個、牛乳3リットル、大量のプロティン、
ベンチプレス200キロ以上、スクワット250キロ以上と階段の
上り下りが出来なくなる程大腿筋を肥大させて、コンテストの直前
には最低限のカロリーしか摂取しないで脂肪を燃やす」。

「そんな体になって一体誰を抱く積もりッ?」脳内ヨーコがささや
いた。「ベッキー? それともキャロリン?」

そりゃあ俺は”あつものにこりてなますをふく”的に学習をするタ
イプだからな。梅干やレモンを数回食べれば見ただけでよだれが出る
様に、パブロフの犬の様に。だから酢豚で食中毒をおこしたら梅干や
レモンまで嫌いになる可能性がある。あるものをありのままには受け
取らず系列として把握するのだよね。レモンはレモンではなく酸っぱ
いもの系。女に関しても、或る具体的な女ではなくて、或る系列の女
として把握する。素人系、お水系、外人系など。そして俺はリトマス
試験をもって酸味を計る様に女に接するのである。脳内の話だが。佐
藤江梨子がやらせりゃあ小池栄子も根本はるみもやらせる、加藤ロー
サがやらせりゃあ黒木メイサも木村カエラもやらせる、と芋づる式に
考えて行く。逆に、加藤ローサが駄目なら木村カエラも黒木メイサも
諦めなければならない。こういう感じで、どんどん女を精製して行っ
て最後に到達するのは聖母マリアかメーテルか…。

「それを愛するのをプラトニックラブって言うのよ」脳内ヨーコがさ
さやいた。「それはもはや質量をもたないイデアの様な女なのよ。そ
んなのに対抗できる肉体っていったらギリシャの彫刻のポセイドンを
はるかに超えるとんでもないものなんだから。そしてあなたはどっち
も手に入れられない。つまり、ああなりたい肉体も、あんな自分が抱
く女も。だって両方ともイデアだから実在したいんだもの。それを無
理矢理やったら死んじゃうんだから。マッスル北村みたいに。もしや
るんだったら本田透みたいに脳内でやればいいのよ」

「なんだって」

「本田透が言っているわ。女はみんなバブル青田だ。食べ物はみんな
給食だ。そして自分はキモメンだ。だから脳内彼女で生きて行く」

「そうだったのかぁ」

(本田透先生のインタビュー記事。http://www.mammo.tv/interview/archives/no215.ht
ml)





#830/1158 ●連載    *** コメント #829 ***
★タイトル (sab     )  10/04/16  10:24  (120)
ひっきー日記20 ぴんちょ
★内容
次の日の朝、家の水道管が破裂した。もっとも俺は寝ていたのだが。
俺が起きた時には既に修理は終わっていたが蛇口をひねったら茶色い
水が出てきた。それで思い出したのだが、昔、従兄弟の家にアメリカ
の高校生がホームステイに来た時に水道水を飲んで言った。

「日本の水はまずくて飲めないね」

「飲むにしてはまずいかも知れないけれども、その水をシャワーにも
洗濯にも使うんだから水道水としては優れているよ」と従兄弟が言っ
た。

「でも俺はこんなにまずい水は飲めないからエビアンでも買ってくる
よ」

「僕は飲み水に金なんて払う気はしないね。それに子供の頃からそれ
を飲んでいるのだから平気だよ」

「子供の頃から飲んでいるからそれが飲み水として最適だと思うんだっ
たら、水道管からコーラが出てきてもビールが出てきても、それが飲
み水としてベストと思うんじゃないのか?」

「そんな事言われたってもう井戸は埋めちゃったんだからしょうがな
いじゃない」

という事を思い出しながらその日の夜、俺はヨーコさんにスカイプで
言った。「俺が生まれた時には既に水道はひかれていたでしょ。だか
ら俺はそれを飲み水と思って飲んでいるけれども、もし水道管から味
噌汁とかそばつゆが出てきても、俺はそれを飲み水と思って飲むんじゃ
ないの? だってもう井戸は無いんだから。そう考えてみると、飲み
水の何たるかは、水道を設計した奴の脳内にあるんだよね。それは水
道だけじゃないでしょ。例えばワタミね、例えば郁文館を卒業して、
ワタミの社員になって、ワタミファームの野菜を食って、親はワタミ
の老人ホーム…っていうんだったらこれはもうあの居酒屋のおっさん
の脳内制度の中で生きている様なものなんじゃないの? 俺の高校に
それと似た様な奴が居るよ。西武線沿線に住んでいて親はプリンスホ
テルの従業員で、もちろん通勤は西武線で、休みの日には西武遊園地
に行くという奴が。あんなのツツミの脳内に生きている様なものなん
じゃないの? そんでワタミとかツツミって、マッスル北村がボディー
をビルディングしたみたいに制度をビルディングしたんじゃないの?
 そう思うとマッスル北村がイデアをリアル肉体に求めたとしてもア
ホとは言えないんじゃないの? だってそうしないと今度はワタミと
かツツミの脳内に生きるしかなくなるんだから」

「うーん」とヨーコさんは唸った。「確かにね。イデアっていうのは
本来脳内にあるべきものだったんだけれども。どんなに細いシャーペ
ンで線を引いても本当の線は描けないのと同じで脳内にだけあるもの
だったのだけれどもね。デカルトがね。デカルトって知っている? 
「我思う故に我あり」と言った人ね。これはすごい事なんだよ。だっ
て普通「自分が居るのは誰のお陰か」と聞かれれば、親のお陰、とか、
社会のお陰、とか、昔だったら神様のお陰とか言うでしょう。それを、
自分のお陰と言ったんだから。これはもう火あぶりになっても不思議
じゃない事だったんだよ。でも一回そう言ってしまうと今度は脳内に
あるこの方法を使って自然に働きかけてみようじゃないか、っていう
話になるのね。そんな事をしたら格差が生まれるかも知れない、でも
与えられた能力を、これを所与というんだけれども、これを最大限に
使って自然に働きかければ全体としては豊かになると。でも結果とし
てはリアル世界に脳内革命を起こしてしまったんだよねぇ」

「デカルトなんてしらねえよ」俺は言った。「そんな難しい事考えな
くても、普通に考えりゃあ、やっぱりこの世の中には君臨している奴
がいるんだよ。しかもそいつが風船おじさんみたいな基地外だって事
もあるんだよ。それがワタミだのツツミだのだったらスルーすればい
いんだけれども、スルー出来ない事だってあるんだよ。法律とか医療
とかそうでしょ。そんでスルーできないんだからひたすら「ちゃんと
していますように」と祈るしかないんだよ。そういうのを読んだんだ
から。俺だって本を読むんだから」。

そして俺はカフカについて調べている内に見付けたカミュの『異邦人』
の一部を読んでやった。これはアラブ人を殺して死刑判決を受けた主
人公の脳内台詞だ。

私の善意にもかかわらず、私はこうした傲然たる確実性を受け入れる
ことはできなかった。というのは、要するに、確実性に基礎を当てた
判決と、判決が言い渡されてからの、その冷酷な施行とのあいだには、
こっけいな不均衡があったからだ。判決が十七時にではなく二十時に
言い渡されたという事実、判決が全く別のもであったかも知れぬとい
う事実、判決が下着をとりかえる人間によって書かれたという事実、
それがフランス人民(あるいはドイツ人民、あるいはシナ人民)の名
においてというようなあいまいな観念にもとづいているという事実、
−こうした全ては、このような決定から、多くの真面目さを、取り去
るように思われた。それでも、そうして宣告がされるや、その効果は、
私が体を押しつけているこの壁の存在と同じほど、確実な、真面目な
ものになることを、私は認めざるをえなかった。

「やっぱりこいつはスルー出来ないと分かると今度は、法律がちゃん
としていますように、と祈るようになったんだよ。こうなるとやっぱ
り死刑囚よりかは裁判官の方が有利だよな。ひきこもりよりかは斎藤
環の方がいいに決まっているよな」。

「うーん」と又又ヨーコさんは唸った。「制度内権力者って、人をお
ちょくるのが好きなんだよね。私も『異邦人』は好きだけれども」と
いうとPCから離れて1冊の本を持ってきた。「これこれ、これね。
ちょっと読んでみようか」と言ってページをめくる。「ここだ」ヨー
コさんが読んだのは死刑囚が獄中のベッドの下だかにへばりついてい
た新聞の記事を読んだ時の脳内台詞だった。

一人の男が金をもうけようと、チェコのある村を出立し、二十五年の
のち、金持ちになって、妻と一人の子供を引き連れ、戻って来た。そ
の母親は妹とともに、故郷の村でホテルを営んでいた。この二人を驚
かしてやろうと、男は妻子を別のホテルへ残し、ひとりで母の家へ行っ
たが、男が入って行っても、母にはそれと見分けがつかない。冗談に、
一室かりようかと思いつき、金を見せた。夜なかに母と妹とは男を槌
でなぐり殺して、金を盗み、死体は河へ投げ込んだ。朝になって、男
の妻が来て、それとは知らずに、旅行者の身許を明かした。母親は首
をつり、妹は井戸へ身を投げた。私はこの話を数千回も読んだはずだ。
一面ありそうもない話だったが、他面、ごく当たり前な話でもあった。
いずれにせよ、この旅行者はこうした報いをうけるねうちがないでも
ない、からかうなんぞということは断じてすべきではない、と私は思っ
た。

「きっとカミュはおちょくられるのが嫌いだったんだよね。当り前だ
けれども」。

それからヨーコさんはかつてのおちょくられた経験を教えてくれた。
ヨーコさんをおちょくったのは客だったのだけれども制度内の権力者
だった、と言っても法律家ではなくて医学生だったのだが。そしてヨー
コさんは徹底的にぐぐってそいつのブログを発見したのであった。

(『異邦人』は新潮文庫版。窪田啓作訳)





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