AWC お題>書き出し限定/「あの部屋」の秘密  已岬佳泰



#45/569 ●短編
★タイトル (PRN     )  02/12/13  21:24  (284)
お題>書き出し限定/「あの部屋」の秘密  已岬佳泰
★内容
 問題編

 ここには凶器がなかった。
 あるはずのものがあるべき場所にないのは、なんとも気持が悪いものだ。
 コンクリート打ちっ放しの殺風景な部屋。床には血まみれの男がひとり。
「参ったなあ」
 現場を見回して本多は呟いた。S町セントラルビルの駐車場にある4畳半程度のコン
クリート部屋だった。見事なほどに何もない部屋だった。
「床も壁も天井も10センチ厚みのコンクリートべた塗り。唯一の出入り口にはやっぱ
り厚さ10センチの鉄製ドアがあって、しかもご丁寧に内側からも外側からも、頑丈な
南京錠が掛けられていたなんて。ミステリー小説じゃないけど、これじゃまるで密室で
すね……」
「さあ、どうかな」
 仙次警部は浮かない顔だった。2メートルはあろうかという上背。アメフトで鍛えた
広い肩幅の上にはブルドッグのような厳つい顔が乗っかっている。刑事部内では強面で
知られているが、本多とコンビを組むのは今日が初めてだった。
「そもそも、救急車の連中さえしっかりしてたら、こんなことにはならなかったのだ。
あいつらが急患をちゃんと病院に届けていれば……」
 仙次警部はそう言うと、また殺風景な部屋をじろりと見回した。

 事件の発端は、今日の午後2時過ぎ、ジョギング中の学生がS町踏切で発見した男の
礫死体だった。男の名は所持した免許証からS町駅前の進学塾「たまご塾」の経営者、
片岡修、38歳と分かった。この不景気である。倒産や自己破産といった暗いニュース
が多い。有名私立小学校「お受験」を応援しますというのがキャッチフレーズの「たま
ご塾」も、少子化の波をかぶり、経営は楽ではないはずだった。経営苦からの投身自
殺。まずは誰もがそう思った。
 冬休みに入って最初の土曜日。片岡は朝の受け持ちクラスを済ませると外に出たま
ま、行方が分からなくなっていた。
 あちこちに散らばった遺体を収容中に、線路脇にひしゃげた台車の残骸が見つかっ
た。台車には消防署のシールが貼ってあり、問い合わせてみると、救急患者の搬送用に
使用されるものだった。台車が単に線路脇に遺棄されたものか、死亡した片岡と関係が
あるのか。所轄署の捜査員が首を傾げている間に、本部から礫死体の解剖結果が伝えら
れた。
 電車に引きちぎられた片岡の体に「生活反応のない」傷が多数あったと言うのだ。自
殺が見せかけの可能性があるというわけである。担当した医師は「死体を電車に投げ込
んだのではないか」と所見を述べたという。しかも、死体が着込んでいたロングコート
のポケットに、強力な催眠ガスのスプレー缶が入っていたらしい。警察はにわかに色め
き立った。捜査員を繰り出し、現場の実況検分をやり直した。
 すると救急車が1台、S町踏切から坂を上がった道路わきに見つかった。後部ドアが
開いており、その中で救急隊員2名が意識を失って倒れていた。運転手もハンドルに持
たれて眠り込んでいた。

「救急車はこのS町セントラルビルから、瀕死の重傷を負っていた片岡修を搬送してゆ
く途中だったのだ」
 仙次警部は本多に説明するように言った。 
「片岡はこの部屋に倒れていたんですね」
「うむ。ちょうどあんな感じだな」
 仙次警部が顎をしゃくると、倒れていた血まみれの男が片手を上げた。
「もうよろしいでしょうか。どうも死んでしまった人の身代わりと言うのは、あまりい
い気持ちがしないもんで。それにこのケチャップはべとついていけません」
 所轄署から駆り出された田中刑事だった。こちらは丸々とまるで相撲取りのように太
っている。愛嬌のある丸顔は漫画のアンパンマンそっくりだ。
「瀕死の男は口を利けなかったと聞いたが」
 言われて、田中刑事があわてて首を竦めたように見えた。
「片岡修は今日の午後1時過ぎに、ここで倒れているところをS町セントラルビルの管
理人に発見された。ところで、なぜ俺たちがここに来たか分かっているのか、新人」
 ほら来た。仙次警部は新人いびりで部内でも名を馳せている。本多は背筋をのばして
応えた。
「片岡修がなぜそのような重傷を負ったのか、事故か他意か。解剖報告によると被害者
の首筋と腹部の大きな切り傷には生活反応がありました。片岡はここで首筋と腹部を切
りつけられたに違いありません」
 本多の答えに仙次警部は満足そうだった。
「そうだ。おそらく片岡はここで襲われた。片岡に重傷を負わせた犯人は、片岡がここ
で死んだと思った。ところが救急車がやってきて、片岡は運び出された。それで犯人は
自分の失敗を悟り、救急車の後を追いかけた。トドメを刺すためにな」
「しかし、犯人はなぜわざわざ死んだ片岡を電車に放り込んだのでしょう」
「恨みだろう。人を殺すような人間は頭のネジが狂っている。殺しただけではあきたら
ず、電車に放り込む。そういうヤツもいるんだ。さあ、まずはここで片岡を発見した人
間を連れてこい」

 S町セントラルビルの管理人は、繁田三郎と名乗る老人だった。きれいに剥げ上がっ
た頭に鍔つきの制帽を乗せているが、ともすればそれが滑り落ちそうで危なっかしい。
紺色の制服もよれよれで、管理人というより守衛さんという呼び方があっていそうだな
と本多は思う。
「その子はなんだ?」
 仙次警部が言ったのは、繁田老人の背後に隠れるようにして付いてきた女の子だっ
た。
「わしの孫じゃて。冬休みに入ったと言うんで、遊びに来てくれたんじゃ」
「繁田さん、これは殺人事件かもしれません。子供に話を聞かれるのは……」
 本多が言いかけると、繁田老人が手を振った。
「おいおい、老人の楽しみをとらんでくれ。この子をひとりで狭い管理人室に残してお
くなんて、かわそうじゃろうが。せっかく来てくれたのに、すぐに帰らせるのもなあ」
 本多が尋ねると女の子は繁田樹里、5歳としっかりとした声で名乗った。繁田老人の
制服の裾をしっかりと握り締めているが、警察だと分かるのだろう。緊張した顔は青白
くなっている。
「わかった。それじゃあ、早いとこ済まそう」
 そう言うと仙次警部は質問役に回った。本多はメモを取る。田中刑事はまだ床に転が
ったままである。
「このコンクリート部屋の使い道は何だね」
 最初の質問に繁田老人は顔をしかめた。
「そんなことわしが知るわけないだろうが。わしはこのビルの管理会社の人間なんだ。
そういう話はビルの持ち主に聞いてくれ」
「最近、ここを使っている人間を見たかい?」
「いんや、ないね。この半年くらい、見た事はないなあ。何も置いてないところを見る
と、倉庫というわけでもなさそうやね」
 繁田老人は唇をへし曲げて答える。

 S町セントラルビルはS町駅前通に面する6階建てのオフィスビルだった。駅からは
少し離れているが、テナントも名の知れた会社が多い。両隣も似たようなオフィスビル
だったが、土曜日とあって人影はなかった。警察の現場検証となれば、たいていどこか
らか野次馬が集まってくるものだが、今日に限ってはそういう連中もいなかった。
 片側2車線の道路を挟んで向かいには事務用品の卸会社や建機のレンタル会社などが
並んでいる。建機のレンタル会社脇には広い展示スペースがあって、様々な建機が並ん
でいたが、やはり、土曜日とあって客の姿はまったく見えなかった。
 片岡修が倒れていたという問題の部屋は、S町セントラルビルの一階駐車場内の奥に
設置されていた。高さ2.2メートルの箱型で一階の天井との間には僅かな隙間しかな
い。
「この部屋の用途は別のヤツに尋ねよう。ほれ、あそこを見ろ。あんたの見つけた男は
あんな感じだったか?」
 部屋についての質問をあっさりと引っ込めると、仙次警部は田中刑事を指さした。床
に倒れているケチャップまみれの所轄刑事を、繁田老人が冷ややかな目で見る。
「違うな。仰向けに倒れていたな」
「おい、仰向けだそうだ」
 仙次警部が怒鳴ると、田中刑事がもぞもぞと体を動かした。
「こんな感じか」
「もっと図体がでかい男だった。そんなスーツじゃなくて、もっと暖かそうなコートを
着ていたよ。それに、あんなにだらしなく前をはだけてはいなかったな。ちゃんとファ
スナーを締めてた」
 言われた田中刑事が背広のボタンを掛けようとあがいている。
「片岡が着用していたのは、リバーシブルのロングコートだと報告がありました」
 本多は補足した。
「リバーシブル?」
「はい。表と裏が色違いになっていて、どちらを外に出して着てもOKという便利な
コートです。ほら、サッカーの試合で、控えの選手がタッチライン脇で着込んでいる防
寒コートがあるじゃないですか。あんな感じのモノですよ」
「ふん、なるほど。それであんたは、片岡が血だらけで死にそうだったと所轄の捜査員
に言ったそうだが、もうちょい詳しく聞かせてくれないか」
 繁田老人が顎に手を添えた。ちょっとだけその時のことを思い起こしている風情だ。
「あれはひどかったな。床に血だまりができるくらいに出血していたからねえ。顔は蒼
白。目は閉じてたかなあ。口が半開きで、耳の下に大きな切り傷が見えた。まだ血が流
れていたよ」
「触ったか?」
「とんでもない」
「入り口のドアは閉まってたんだろう。あんたはどうやって男が中にいると分かったん
だ」
「昼飯帰りにわしがたまたま通りかかったら、中からうめき声が聞こえたんだ。ドアの
南京錠はかかったままだったからちょいと変だなと思った。誰かが閉じこめられている
のかなとね。ところが南京錠を外しても、ドアが開かないから驚いたよ。ほんのちょっ
と開いたドアのすき間から見たら、内側からも別の南京錠がかかっているじゃないか。
こりゃわしにはどうしようもない。部屋の中は暗くてその時に男の姿は見えなかった
ね。それで馴染みのロックスミス、近所の鍵専門の店なんだがね、そこの店主を携帯電
話で呼びだして、その南京錠のフックを鉄鋸で切断してもらった。そしたら、男があん
な具合に倒れていて、ぶったまげてそのまま119番したさ」
 鉄鋸で切断された南京錠も、入口に掛かっていた南京錠もすでに鑑識で調べてあっ
た。メーカ形式は違うが、どちらもどこの金物屋で売っている機械式南京錠で、半円リ
ングになったフックを錠本体に押し込んでロックするタイプだった。外側の南京錠をあ
ける鍵は重田老人が携帯していた。内側の南京錠のものはまだ見つかっていない。
「救急車が来るまでどうしてた」
「どうもしないやさ。下手に動かして男が死にでもしたら、わしらの寝覚めが悪くなる
からなあ。外でじっと待ってたよ。ロックスミスの店主、添田って言う男だが、あいつ
は忙しいとか言ってすぐに店に帰ったけどな」
「ふむ?」仙次警部の顔が変化した。「怪しいな。鍵屋の店主なら、南京錠に細工くら
いはできたろうからな。犯人は片岡を殺して(実際は死んでいなかったが)内側の南京
錠で鍵がかかっているように見せかけて逃走した。発見されたときに、内側から南京錠
が掛かっていれば、片岡は自殺したと思われる。それがねらいだ。それに、内側の南京
錠に気づいた管理人の繁田さんは、間違いなく、日頃馴染みの添田に鍵を外す依頼をし
てくると読んでいた。案の定、繁田さんに請われて南京錠を切ることになった添田は、
まんまと南京錠は最初から掛かっていたという風に振る舞った。ところが片岡は生きて
いた。店に帰ると言って添田が姿を消したのは、救急車を追いかけて、片岡を殺すため
だったに違いない。おい、新人。添田を任意で引っ張るぞ。来い」
 今にも駆け出しそうな仙次警部だった。本多がそんな仙次警部を押しとどめた。
「ちょっと待ってください、主任。お読みになったでしょうが、鑑識からの報告では、
外側の南京錠はきれい拭き取られて、指紋ひとつ残っていなかったのですが、内側の南
京錠からは被害者の指紋が、ほぼ完全な形で検出されました。主任のおっしゃるとおり
に、添田さんが何か細工をしたのなら、南京錠に触ったはずです。手袋をしていたにし
ても、片岡の指紋だけがべっとりと残るというのはどうでしょうか」
 仙次警部の足が停まった。しかし、すぐに口を開く。
「片岡は自分で内側の南京錠を掛けたというわけか。それなら、片岡は外で襲われたと
いうことならどうだ。それで犯人に追いかけられて、この部屋に逃げ込んで、内側から
南京錠をかけた」
「ちょい待った」今度は繁田老人だった。「それじゃなにかい。このドアがまるで鍵も
かけずに放置されていたみたいじゃないか。そんなことは決してないぞ。毎日朝夕2
回、わしが施錠を確認しておる。子供たちが面白がって入り込んで事故でも起こされた
ら大変じゃからな。今日だって、朝にはちゃんとかかっておったし、昼飯帰りにちらっ
と寄ってこの男のうめき声を聞いたときだって、鍵はかかっていたんじゃ」
「南京錠だろう。そんなものは、要領の分かっている人間にはヘアピンひとつで開けら
れるもんだ」
 仙次警部が言い返す。自分の推理にいちいちケチを付けられた気分なのだろう。
「ですが、主任」本多が間に入った。「片岡は瀕死の重傷を負っていました。相当の血
も流しています。もし彼が主任のおっしゃるとおりに犯人の手を逃れてこの部屋に逃げ
込んだというのなら、ドア付近にそれらしい血痕が落ちていていいと思います。でも、
床を見てください。血痕は片岡が倒れていたところにしか落ちていません。これはつま
り、片岡がこの部屋で切られたということになりませんか?」
「オマエはどうしてもこの事件を”あの部屋”にしたいようだな」
 とうとう、仙次警部はふてくされた口調になってしまった。
「あの部屋って、密室のことですか?」
 本多のひとことに仙次警部の鼻が大きく膨らんだ。本多が口にした「密室」という単
語に過剰反応したらしい。
「すべてのドアには内側から鍵。部屋の中には被害者ひとり。これは自殺か他殺か。閉
ざされた部屋での不可能犯罪。これこそ愚鈍な警察にはとうてい解明できない謎の”あ
の部屋”というわけか」
 仙次警部のブルドッグ顔が赤黒く充血していた。かなりアブナイ雰囲気だ。
「ね、帰ろうよ」
 恐れをなしたのだろう。重田老人の孫娘がすっかり青ざめていた。その頭を重田老人
がゆっくりと撫でた。
「そうじゃな。警察の方々、もう聞きたいことがなければ、わしは帰るぞ」
 
 その時、どこかで電子音がした。
 田中刑事ががばっと起きあがる。彼の携帯電話だった。
「救急隊員が意識を回復したようです。さっそく事情聴取をしましたが、彼らを襲った
人間の特定は出来ていません。彼らはてっきり片岡にやられたと思ってます。救急車は
S町セントラルビルから意識をなくすまで、赤信号で一度停まった以外は途中停車はし
ていないので、外部から第3者が侵入したとは考えにくいと言ってます」
「ふん。死にかけた重傷患者がいきなり催眠ガスでも噴射したと言うのか。あほらし
い。どうせ、その救急隊員らは居眠り運転でもしていたんだろう」
 仙次警部の憤懣が救急隊員に向かって吹き出した格好になった。
「それと、片岡はS町セントラルビルから担架で運び出されていますが、その時にはほ
とんど脈も取れないほどの危篤状態だったそうです。それで、台車に乗せてS町の救急
室に直接乗り付けようとしてました。ここは台車ごと患者を搬入できるように、入り口
が高く作られているのです」
「瀕死の患者を略奪されたんじゃ、消防署も情けなくて消防隊員を弁護できんだろう」

 重田老人に呼んでもらったロックスミスの店主、添田吾朗は中肉中背の50歳前後の
男だった。つなぎの作業服は灰色でくたびれており、胸にLocksmithという赤
糸の刺繍があった。髪の毛は白いものが混じっていて、表情も暗い。喋る声も商売人に
しては低くて聞き取りにくかった。
「あんたは、この部屋の南京錠を切ってから、そのまま店に帰ったらしいが、どうして
なんだ」
 仙次警部がいきなり核心に切り込んだ。添田はぼんやりとした顔のままである。
「どうしてと言われても、わたしの仕事は終わりましたから、用が済めば店に戻るのは
当たり前でしょう」
「重傷の男を残してか?」
「だって、わたしには関係ありませんよ。S町セントラルビルの中で起きたことだし、
管理人の繁田さんが救急車を手配したというんで、私が残ってそれ以上何ができたと言
うんです。わたしは医者じゃないし、倒れていた男とはまったく面識もなかったんです
からね」
「あんたは片岡修を知らないと言うのか」仙次警部の顔色がちらりと落胆の色を見せた
が、すぐに立ち直った。「それで、店に戻ってから何をしていた」
「店番ですよ。帰ったらすぐにお客がひと組来て、あれこれ防犯アラームの話をしてま
したよ。結局、契約をしてもらったのは午後2時頃でしたけどね」
 添田を帰すとすぐに、田中刑事にロックスミス周辺の聞き込みを仙次警部は指示し
た。添田の言う客の所在を確認するのだ。もし添田の言う通りなら、彼は容疑者リスト
から外れる。
 田中刑事が所轄から応援を呼び、駅前通に出ていった。
 それを見送る形で本多と仙次警部はコンクリートの部屋を出た。
「おい、新人」仙次警部が大きく伸びをしながら声を掛けてきた。「確か、こういう探
偵小説があったな。ある乗り物で殺人事件が起きたんだが、実は乗客乗務員全員がグル
だったってやつ」
「ミステリーの古典とも言われる名作ですね」
「今回の事件もそれかもしれないな」
「は?」
「救急車だよ。意識を失っていたという救急隊員ふたりが口裏を合わせているんだ。や
つらが片岡を救急車の中で殺し、その死体を台車ごと踏みきりに放置した。その後で催
眠スプレーを自分たちに吹きかけて気を失った。つまり、そういう自作自演の事件では
ないかと言うのだ」
「それは……」
 ムリがあるでしょう。そう言いかけて止めた。仙次警部がにやにやしていたからだ。
どうもからかわれたらしい。
「ま、それはないだろうな。繁田老人が片岡を発見したのが、たまたま昼飯帰りにうめ
き声を耳にしたからという偶然。重田老人の119番で出動した救急隊員が、瀕死の片
岡を救急車に乗せたのも偶然の巡り合わせ。こんな偶然を組み合わせて殺人事件を描い
たら、いくら探偵小説だってご都合主義とか言って批判されまくるだろう。ましてや現
実の事件で、偶然に乗り込んできた患者相手に、こんな手の込んだ殺人芝居を即座に打
てるか。搬送中の急患を殺すだけなら、救急隊員であればもっとそれらしい露見しにく
い方法がありそうに思えるしな。例えば、片岡の傷口を広げて出血量を増やし、失血死
させるとか」
 そう言うと、仙次警部はしばらくの間、目を閉じた。

「どうも、気になる」
 目を閉じたまま、仙次警部が呟いた。
「何がですか」
 合いの手を入れながら、本多は仙次警部の視線を追って、部屋の外に目を移した。道
路の向こうにあるレンタル会社。展示場に並ぶ建機の数々。それらが視界に飛び込んで
くる。
「被害者の片岡が着ていたというロングコートがひっかかる」
 仙次警部が目を開いていた。さっきまでの鋭い目つきではなく、どこかちょっと気弱
そうな(見間違いか?)光がある。
「あの繁田という管理人の証言。それと被害者の職業だ」
「片岡修は進学塾の経営をしていました。それがこの事件と関係があると?」
「そんな気がする」
 仙次警部の歯切れがイマイチ悪い。さっきまでの断定的な口調も影を潜めているし、
気のせいか、顔色も暗い。
「それに、繁田の孫娘。どうして今頃、繁田の勤務先に来たのかな」
 そう言うと、仙次警部は頭をふりながら「あの部屋」を出たのだった。

(問題編・終わり)

 本多の独り言:刑事部では強面の新人いびりで知られる仙次警部(捜査主任)です
が、もうひとつ、肝心なことを忘れていました。彼には過去に難事件と言われた謎めい
た事件を幾つも解決したという伝説があるのです。ただ、私はデスクワークから今回初
めて、現場担当になりましたから、実際の仙次警部の捜査には立ち会ったことがありま
せん。
 果たして、仙次警部はこの「あの部屋」(仙次警部曰く)の謎を解けたのでしょう
か。




#46/569 ●短編    *** コメント #45 ***
★タイトル (PRN     )  02/12/13  21:25  (114)
お題>書き出し限定/「あの部屋」の秘密(続)  已岬佳泰
★内容
 解決編

 仙次警部は、添田の店周辺を聞き込みに当たっていた所轄署の田中刑事を呼び戻し
た。もうそっちはいいということだろう。
「進学塾に何があるんですか」
 田中刑事の運転する車で、問題の進学塾「たまご塾」があるS町駅へと向かいなが
ら、本多は改めて尋ねてみた。どうやら、仙次警部は今度は(真面目な)謎解きをした
らしい。しかし、行く先を告げたまま、しばらくはむっつりと黙り込んでいた。
「塾の経営者の片岡修がなぜ、昼間っからあんな倉庫のようなところにいのか。そのわ
けを考えてみろ。そして彼はそこで重傷を負った。誰かに襲われたのだ。その動機には
おそらく彼の普段の行動が関係しているに違いないと睨んだ」
「つまり、仕事上のトラブルですか?」
「いや、もっとプライベートな話だろう。一応、犯人の目星はつけた」
 仙次警部があっさりとそう言った。
「え? いったいどういう?」
 田中刑事が驚いてのけぞった。本多も同様の気分である。
「片岡は犯人と一緒にあの部屋に入ったのは間違いない。南京錠の指紋から、ドアに内
側から鍵を掛けたのは片岡本人であると断定していいだろう。問題は片岡はそこで何を
しようとしたのかだ」
「何をしようとしたのか、ですか」
 本多は考えてみた。冬休みの土曜日。塾の経営者が、オフィスビルの一階駐車場に放
置された倉庫のような部屋で、いったい何をしようとしたのだろう。まったく、答えが
浮かばない、田中刑事もだめらしい。首を傾げて唸っている。
「ここからが俺の推理なんだが、片岡は犯人に危害を加えようとして反撃され、瀕死の
重傷を負ってしまったのではないかと考えた。根拠は後で分かるが、犯人と片岡の関係
からするとそういうことになる。そして犯人は逃げだそうとした。犯人には、あの部屋
を密室にするというつもりはなかった。内側の南京錠を外して、何か合図を、例えばド
アを叩くとかすれば良かったのだろう。その合図で外側の南京錠も開くハズだった」
「重田老人がグルだったと言うことですか?」
「イヤ違う。繁田老人は犯人にとっては予定外だった。繁田老人が言ったように、彼は
昼飯帰りにたまたま”あの部屋”の前を通ったのだ。そこで片岡のうめき声を聞かれて
しまう。ドアの外に繁田老人がいる。鍵屋を呼んで、南京錠を切る算段をしている。”
あの部屋”には身を隠すような場所はなにもない。そこで犯人は一計を案じた」
「それであの部屋を、まさに”あの部屋”にしたわけですか。でもいったいどうやって
……」
「それも片岡の仕事先、たまご塾に行けば分かるはずだ」
「さきほど主任は、片岡が着ていたロングコートが気になると」
「うむ」
「そこに何か秘密があると言うことでしょうか」
 仙次警部が顎をしゃくった。車の前方にS町駅のロータリーが見えている。片岡の経
営していた「たまご塾」は駅ビルにあるという。
「片岡の解剖の結果を思い出してみろ。首筋と腹部に生活反応のある大きな傷があった
という報告だったな」
「はい」
 本多と田中は同時に頷いた。
「ところが、”あの部屋”に倒れていた片岡は、ロングコートの前面ファスナーをきっ
ちりと締めていたとと繁田老人は証言した。これはどういうことだ……」

 たまご塾は、S町駅の駅ビル3階フロアの一角にあった。すでに片岡の死は伝えられ
ており、本多が案内を乞うとすぐに共同経営者だという奈良井啓介が出てきて、事務室
脇の応接室に通してくれた。奈良井は眼鏡を掛けた神経質そうな男だっ た。
「片岡さんについて、嫌な噂を聞きましてね」
 応接のソファに腰を下ろすなり、仙次警部が言った。そんな噂はまったく知らない本
多と田中だったが、そこはポーカーフェースをかろうじて保つ。奈良井が「やっぱり」
という顔になった。
「もう本人が死亡しておりますので、お話ししましょう。実は塾としてもたいそう 困っ
ておったのです」
 そうして奈良井は渋々といった具合に話し始めた。田中刑事が急いでメモを取るために
手帳を取り出した……。

 約1時間後。
 本多は仙次警部と重苦しい足取りで歩いている。車は田中に運転させて、所轄署に帰
したところだった。
「しかし、塾の子供が犯人だったなんてまったく意外でした。どうしてそういう推理に
なったのか、聞かせて欲しいですね」
 奈良井から入手した塾の生徒リストを見ながら、本多は嘆息した。
「片岡が着ていたロングコートだな」
「さっきの切り傷ですね」
「うむ。それとリバーシブルということだ。リバーシブルってことは、コートのボタン
やファスナーが表からでも裏からでも掛けられるって事だろ」
「はい」
「発見者の繁田老人は倒れている田中を見て、片岡はもっと図体が大きく見えたと言っ
た。田中だって、警察官だか相撲取りだかわからんほどのぶくぶくの体型だ。それより
も大きく見えたというには、片岡はよほどの大男であったことになる。それで、リバー
シブルのロングコートだから、その下に幼稚園児くらいの子供が刃物を持って潜むとい
うのもアリかなと気づいたんだ。内側からファスナーを引いてしまえば完全に中に隠れ
るからな。ただし、それが現実的に可能になるにはリバーシブルのロングコート以外に
もいくつかの条件が必要だった」
「例えば?」
「まず、片岡は仰向けに倒れていることだ。救急隊員は患者を担架で運んで台車に担架
ごと乗せるが、その間中、患者は仰向けだ。これが俯せなら、コートの下に隠れても体
を反転させたときにばれてしまう」
「なるほど。確かに片岡は仰向けに倒れていました」
「それと刃物だ。片岡の死体には首と腹部に生活反応のある大きな切り傷があった。と
ころがコートはファスナーがしっかりと締まっていた。犯人の子供はおそらく、瀕死の
片岡が着ていたコートの下に潜り込んだ。ところがファスナーが閉じない。コートの裏
側と体の間に子供ひとりのスペースはなかったのだ。極めて気が滅入る想像だが、犯人
はスペースを稼ぐために片岡の腹を切ってその中に潜もうとした……」
 本多は一瞬、声を失った。血まみれになったのは片岡ひとりではなかった……。その
情景を想像すると暗澹たる気持になる。そうすると……。
「救急車の中で催眠スプレーを吹いたのも、その子供ですね」
「おそらくな。催涙スプレーが片岡のポケットに入っていたと言うから、もともとは片
岡が彼の個人的な趣味のために持ち歩いていたものだろう。それを犯人が使ったのだ。
救急車の中にいつまでも隠れているわけには行かなかったろうし、腹に傷の残った片岡
を残していては、自分の細工がばれてしまうと思ったのかもしれない。それで台車ごと
片岡を救急車の外に押し出した。台車は坂道を転がって、そのまま踏切まで行ってしま
い、電車に轢かれることになった」
 仙次警部の声が低くなる。本多の脳裏をもっと恐ろしい想像が横切った。
「あるいは電車に轢かせたのは復讐だったのかもしれませんね。奈良井の話では、片岡
が常習的に塾の子供たちに性的ないたずらをしていたというじゃないですか。経営者だ
と言うだけで、塾の講師連中はそういうことを知っていながら、見過ごしてきた。それ
に対して、子供たちは自衛の手段に出たということかもしれません」
「この事件はひとりの犯行ではないだろう。片岡に性的ないたずらをされていた複数の
子供たちが”あの部屋”で片岡を殺すつもりだった。だから、犯人は刃物を用意してい
たし、片岡に対して大した抵抗もせずにあの部屋に入った。そして、ふたりが入った
後、邪魔者が入らないようにと他の子供、おそらく繁田老人の孫娘だろう、が部屋のの
鍵を外から掛けた。孫娘なら、管理人室から鍵を持ち出して、スペアを作るのも容易に
出来たろうからな」
「ううむ。そうすると、繁田老人の孫娘が老人を訪ねてきたというのは」
「おそらく、現場が気になったんだろう。それにしても、やりきれんな」
 仙次警部はそれっきり黙り込んだ。本多も言葉が出てこない。
 ふたりはこれから、たまご塾の生徒の家をしらみつぶしに訪問する予定であった。

(解決編・終わり)




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