AWC 偽お題>書き出し指定>告四(前)   永山



#498/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  17/04/24  20:27  (368)
偽お題>書き出し指定>告四(前)   永山
★内容
 僕は告白したあと、その日が四月一日だと気付いた。あとになって気付いても、もう
遅かった。
 勇気をありったけ振り絞って告白したのに、目の前に立つおねえさんは真面目に受け
取らず、てんで相手にしてくれなかった。
「ははーん。綿貫君、それってエイプリルフールだよね?」
 こう言われて、僕はただただ動揺しただけなのに、恐らくおねえさんには「嘘がばれ
た、しまった」という顔に見えたに違いない。
「ち、ちが」
「だめだよ、大人をからかっちゃあ。こんなことして許されるのは、子供のときだけだ
からね。小学五年、いや、今日からは六年生か。小六って結構微妙だよ。私だからよか
ったようなものの、他の人相手だったら叱られてる。それどころか、ぶっ飛ばされてい
たかもしれないよ」
 文字通り、小さな子に言い聞かせる口ぶりで、おねえさん――正田義子おねえさんは
僕の頭に手をのっけた。そして僕の髪をくしゃくしゃにする勢いで撫でながら、続け
た。
「遊びたい年頃なのは分かるよぉ。だけど、私もこうしてお仕事があるからね。次のお
休みの日まで待ってて、いい子だから」
 僕はそれでも、告白を続けようとしたんだ。でもそのとき、おねえさんにはお客さん
が来て、そちらの応対が始まってしまった。こうなるともうだめだ。終わるまで、他の
ことには関心を向けない。経験で分かっている。
 僕はあきらめ、その日は家に帰った。休みの日まで待つつもりはなかった(そもそ
も、休みの日では意味がないのだ)ので、翌日にでも出直そうと思っていた。
 ところが、そうするには行かなくなる事情が、夜の内に起きてしまったのだ。それは
一本の電話から始まった。僕は携帯電話の音に起こされた。時間は、0時を回ったとこ
ろ。つまり、日付が変わったばかりのタイミングだった。
「誰?」
 寝床から気持ち上半身を出して携帯電話を握りしめ、ディスプレイを見たが、そこに
は数字が表示されていた。名前が出ていないということは、登録されていない人からの
電話だ。拒否設定は非通知のみ。基本的に、こういう電話にはなるべく親に先に出ても
らうのだけれど、夜中だったし、ベッドから出るのが面倒だったのもある。四月に入っ
たばかりで、夜はまだ冷える。
 一応迷ったのだが、僕は電話に出た。
「もしもし、どなたですか」
 不機嫌な調子になってしまった声で誰何すると、相手は「綿貫君?」と聞いてきた。
それが女の声だったから、驚いた。
「綿貫一郎ですが……」
 再度、どなたですかと問う前に、答が返って来た。
「夜遅くにごめんなさい。同じクラスの吉原です」
「よ、吉原さん?」
 思わずどもった。クラスの女子から電話なんて初めてだし、しかもこんな時間に掛け
てくるなんて何事だ? 一瞬、思い浮かんだのは、僕と親しい男子の身の上に何かとて
つもない不幸が降りかかり、そのことを知らせる役が吉原さんになったのではないかと
いう流れ。吉原さんはクラス委員長なのだ。
 けど、それにしては、口調が明るい。おかしい。いいことが起きたからってこんな時
間に電話連絡があるはずないし、一体何なんだろう。
「今、話をしてもかまわない? 時間ある?」
「うん」
 彼女は、明らかにひそひそ声だった。僕は同じように声の音量を絞り、低めた。
「こんな時間に、本当にごめんね。寝てた?」
「寝てた」
「わ、私はいつもは眠ってるんだけれど、今日は眠れなくて。日付が変わるのを待って
いたから」
「日付って、四月二日になるのを待ってたってこと?」
 誰かの誕生日なのかなと、漠然と考えた。心当たりはないけれども。
「そう。昨日だと、嘘だと思われる可能性があるもの」
「……あのさ、そろそろ話してよ」
「じゃ、じゃあ言う。大きな声を出さないで聞いてよ」
「? うん、分かった」
「――綿貫君。私とお付き合いしてください」
 滅茶苦茶早口で言われた。でも、ちゃんと鮮明に聞き取れた。
 僕は電話を持つ手が震えるのが分かった。かさかさ音を立てて、みっともない。左手
を右手で押さえて、それでも止まらないので、右手に携帯電話を持ち替えた。
「……あの……だめ?」
 吉原さんの不安な響きの声。僕は黙ったまま、首を横に振った。それでは伝わらない
と気が付いて、遅ればせながら口を動かす。
「だめじゃないよ! ぜひぜひ」
 みっともない返事になったが、誰も僕を責められないだろう。吉原さんは僕が一番好
きな女子であり、クラスの男子全体からの人気も高い。
 瞬時にして有頂天になった僕は、ありとあらゆる嫌なこと面倒ごとを忘れ、それらか
ら逃れようと決意を固めた。
 だから僕は、出直そうと思っていたおねえさんへの告白も、やめることにした。

 ――大人になるのを目前に控えた今になっても、当時のこの判断が正しかったのかど
うか、僕は非常に迷う。本来、二股に掛けるべくもない、全く異なる物事を天秤の左右
の皿それぞれに載せたのだ。揺れは収まらず、いつまで経っても結果が出ない。
 尤も、現状を思うと、正解を選んだと言える。僕は希望する大学に入り、充実した
日々を送れている。吉原との付き合いは今も続いている上に、同じ大学の同じ学部に入
ったという相性のよさを誇る。将来、一緒になるかもしれない。可能性は高い。
 小学六年生のあのときもし、おねえさんに告白していたら、現在の幸せはないことに
なる。断言できる。
 何故なら、僕はあのとき、人を殺してしまったことを、婦警である正田おねえさんに
打ち明けるつもりだったのだから。

 もちろん僕は殺人鬼ではない。殺したのは一人だけで、それも計画的な犯行ではな
く、多分、過剰防衛の類に入るんじゃないだろうか。
 告白しようと考えた日の前々日は、日曜日だった。僕は、町の中心部から見て小学校
とは反対側に位置する山にいた。正式名称か知らないが、松城山とみんな呼んでいた。
大きな山ではないが、学校からは遠くて、自転車でも一時間半はゆうに掛かったろう。
子供らがしょっちゅう足を運ぶような場所ではなく、わざわざ遊びに行きたくなるよう
な施設がある訳でもない。植物や昆虫採集の“聖地”として認識されているくらい。だ
から、僕が問題の日にあの山に行って、あれを目撃したのは何の必然性もない、偶然の
産物だった、はず。
 詳しいいきさつは忘れたが、あの日曜日は朝から、僕の家の近所に住む叔父に着いて
行って、車で出掛けた。叔父は松城山の近くの神社か何かに用があったんだと記憶して
いる。僕は麓で一人、遊んでいた。何故、着いてきたのかというと、用事のあと、映画
を見に行くから一緒に来ないかと誘われたんだった。
 はじめに聞いていたよりも遅くなりそうだと叔父に言われたのをきっかけに、僕は山
に踏み行ってみた。ほんの少しだけ登るつもりが、薄気味悪い沼や廃屋や蔦やらを見て
回る内に、意外と楽しくて、いつの間にか中腹まで来ていた。中腹には平らかでミニサ
ッカーができる程度のスペースがあり、そこからは町が一望できたのだが、僕の興味は
背後にある鬱蒼とした林に向いた。季節は秋を迎え、徐々に葉が色づき始めていた。足
元に落ち葉が溜まっていたが、それは去年までの物と思われ、腐葉土とほとんど変わり
がなかった。
 僕の目当ては、さっき目撃した沼や廃屋がまたないかということにあり、そういった
ちょっと不気味な雰囲気の物を探して、歩き回った。
 最初は見付からなかったが、少し奥まったところに、沼を発見した。規模から言え
ば、池と呼ぶのがふさわしいのかもしれなかったけど、緑色に濁ったような水面は、い
かにも沼といった風情に感じられた。
 その先は行き止まりだったので引き返す。途中、不意に人の声がした。僕は反射的に
身を木陰に隠した。足元に丸くて平べったいフリスビー大の石があって、ぐらついた
が、何とか堪える。
 人の声とがさがさという音のする方を覗くと、セーラー服姿の中学生か高校生が、大
人の男に後ろから掴まえられているのが見えた。男の腕は、片方が女生徒の口元を覆
い、もう片方は胴体をがっちり抱えていた。身長差がだいぶあるみたいだけど、男は膝
を曲げ気味にしているため、正確なところは分からない。と、見ている間に男が女生徒
を仰向けに引き倒し、馬乗りになる。よく見ると、口を押さえている手には、白い布が
あった。薬を嗅がそうとしているのだと推測できたのは、だいぶ後になってから。リア
ルタイムでは、目の前の出来事にただただ唖然として、息を殺していた。
 薬が効いたのか呼吸困難に陥ったのか、やがて女生徒が静かになり、ほとんど動かな
くなった。男は馬乗りのまま、女生徒の首に両手をやった。
 それを見た僕は、唐突に思い出した。当時、僕らの住む県南部では、連続殺人事件が
広範囲に起きていた。最初の殺人から三ヶ月ぐらい経っており、僕らの市内ではまだ起
きていなかったが、隣接する複数の都市でも二件、発生していたと思う。
 その犯人は一部マスコミから「ロガー」なる名前を与えられた。無差別に老人や女子
供、つまりは弱者ばかりを狙う卑劣な快楽殺人鬼と認識され。殺害手段は様々だった。
それまでに起きていた八件の中では、扼殺を含む絞殺が半数を占めており、あとは刺殺
と撲殺、溺死させる、墜死させる手口が一件ずつ。何故、同一犯の仕業とされたか? 
小学生の僕はその正確な理由まで把握していなかったが、後年になって知ったことと合
わせて説明するなら、前の被害者の持ち物を次の被害者の服に忍ばせる点と、偶数番目
の被害者の身体のどこかに白墨で丸い印を残す点が挙げられる。
 被害者同士の関係は、ほとんどなかった。唯一、最初の被害者と次の被害者とは、同
じ小学校に通ったことのある女子中学生だった。ただ、中学は別々で特に親交が続いて
いる様子はなく、小学校時代にしても三、四年生時にクラスが一度同じになっただけと
いう、頼りないものだった。
 話を戻す。
 僕は恐かった。すぐそこで女子生徒を襲っている男が、殺人鬼ロガーに違いないと思
い込んだ。冷静になって考えれば、そんな根拠はまるでないと分かる。裏を返せば、そ
のときの僕は冷静ではなかったし、現在よりもなお子供だった。
 僕は逃げることすらできず、気付かれないようにと息を潜めていた。そのつもりだっ
た。
 だけど次の瞬間、男が僕の方を一瞥した。そう思えた。僕は顔を引っ込め、木陰に全
身を隠した。そのとき足元がまたぐらついて、少し音を立てた。男に聞かれたかもしれ
ない。だが、恐怖からすぐにまた覗き見るなんて真似はできなかった。
 どのぐらいの時間が経ったか分からないが、多分、五分と過ぎていなかっただろう。
男が僕の方へやって来る気配はなく、女子生徒の悲鳴一つ聞こえず、ただただ男が何か
しているらしい物音だけがしていた。僕は思い切って、顔を再び覗かせた。さっきとは
反対側からにしたのは、子供じみた対応策だった。
 が、またもや男に見られた。目が合ったような気がしたのだ。
 もうだめだ! このままここにいたら、殺されるっ。かといって逃げ出せない。パニ
ック寸前だった。あの女の人が殺されたあとは、僕なんだ。
 そこからあとの行動は、自分でもよく記憶していない。結果から推測した僕の行動
は、足元のフリスビー状の石を取り上げると、なるべく足音を殺して、男の背後から近
付き、そして男の頭部を殴打したらしい。何度も、何度も。男が女生徒に意識を向けて
いる間に、不意を突くのが唯一の勝ち目だと思ったに違いない。ともかく、僕は無我夢
中で殴っていた。
 手応えがなくなるまで、続けていたように思う。気が付いたときには、僕は宙を石で
漕いでいた。男は俯せの姿勢のまま、真下に倒れ伏していた。地面に沈み込むかの如
く。
 不思議だったのは、女生徒の姿が消えていたことだ。最初は、男の身体の下敷きにな
って、見えないだけだと思ったが、違った。誰もいなかった。
 よく見ると、男の頭の先に、向こうへと地面を何かが這ったような擦った痕跡ができ
ていた。最前までなかったものだ。つまり、女生徒は僕が男を殴打している間に、意識
を取り戻して逃げたらしい。痕跡は二メートルほどで途切れている。そこからは立ち上
がり、一目散に走り去ったということか。
 と、冷静な風に描写しているけれども、これは今現在の僕が、状況を整理して書いた
からこそで、小学生の僕はここまで落ち着いてはいられなかった。
 まず男が動かないのを見て、次に返り血を浴びた自分自身を見た。死んだ、殺したと
直感し、その場を飛び退いた。女生徒がいないのも把握して、混乱しつつも血塗れでは
出歩けない、どこかで洗い流そうと考えた。思い出したのが沼だ。僕はがくがくと震え
る膝を何とか操って、沼の畔まで辿り着くと、波紋のできていた水面に両手を突っ込
み、じゃばじゃばと音を立てて、目に付く限りの血を洗い落とした。さらに顔も洗っ
た。水を鏡代わりに見てみようとしたが、濁ってしまって全然役立たなかった。念のた
め、上着のジャンパー脱いで見てみると、ぱっと見では分かりにくいが、細かな赤い
点々が前面に残っていると分かった。しょうがない。沼に落としたことにしよう。僕は
ジャンパーを丸ごと沼に漬け込んだ。
 叔父の存在を思い出したのはその直後。今日は映画は無理だ。沼に僕自身が落ちたこ
とにして、連れて帰ってもらおう。そこまで知恵を働かせると、尤もらしく見えるよ
う、慎重に自らの身体を部分的に濡らした。
 皮肉なことに、その途端、空から雨粒がぽつぽつと落ちてきて、じきに土砂降りにな
った。でも、これは好都合だ。男の周辺の血までもが、雨で洗い流されていく。

 それなりに人が往来する場所であるはずなのに、遺体発見のニュースはなかなか流れ
なかった。僕はまんじりともせずに翌日の三月最後の日を過ごし、夜を迎えた。
 そして、家族で二時間サスペンスを見ているとき、はっと気付かされた。画面では、
大人の男女がテントの中でセックスしていた。見ているこっちは、親子で気まずくなる
時間。けれども、僕は別の発見もあった。
 女の人が嫌がっていなくても、口では嫌と言う場合があることを、このドラマを見る
まで知らなかったのだ。
 途端に、恐ろしい考えが閃いてしまった。もしかすると、僕が木陰から目撃したあれ
は、男が女生徒を襲っていたのではなく、合意に基づいた性交渉だったのではないか。
だとしたら、僕は勘違いをして男の人を死なせたことになる。女生徒がいなくなったの
は、きっと、必死の形相の僕を見て、恐ろしくて逃げたのだ。
 殺人鬼をこの世から消したのなら、まだ救われる。それが全くの的外れで、勘違いか
ら人殺しになったのだとしたら、どうしようもない。最低だ。
 無口になった僕を、父と母はいつもの恥ずかしさから来るものだと思ったろう。僕は
それを受け入れ、そのままテレビのある部屋を出た。自分の部屋に入るとドアをしっか
り閉める。鍵が付いていないから、いきなり開けられないように、勉強机から椅子を持
って来て、ドアの前に置いた。これで少しは落ち着ける。深呼吸をし、どうすべきか真
剣にじっくり検討を重ねた。
 結果、通学路の途中にある交番勤務の制服警官、正田義子おねえさんに全てを打ち明
けようと決心したのだ。男が罪人であろうとなかろうと、小学生が背負い込むには重す
ぎる事態だったから。
 そもそも、冷静になって思い返すと、僕が目撃した一連のシーンが、全て演技だった
とはとても考えられない。外で演技する意味が理解できないからだ。特殊な状況で演技
したいのであれば、もっと人目に付かない場所を選ぶものでは? 松城山は観光地では
ないが地元の人が割とよく訪れるし、ましてや現場となったスペースは休憩するのには
ちょうどいい場所のように思う。本当に演技――つまり、映画か何かの撮影だとして
も、僕が石をふるった時点で関係者が飛び出してくるだろう。
 もちろん、反対のことも言えなくはない。あれが犯罪行為なら、犯人の男は何故、人
がいつ来るか分からないような場所で、女生徒を襲ったのか?と。ただ、この疑問は演
技説のそれよりは、遙かに納得しやすい説明が可能だ。犯人は我慢できなかった、もし
くは、犯人は被害者を押し倒したあと、茂みに引きずり込むつもりだった、という風
に。
 以上の考察から、僕は(小学生当時においても)、男は犯罪者であり、女生徒を襲っ
たのだと判断した。それにやはり、僕は間違いなく、男を殺したのだということも。
 そうして覚悟を決め、告白したのだが――相手にされなかった。エイプリルフールじ
ゃなくても、同じだったかもしれない。小学生が殺人を告白したって、簡単には信じて
もらえまい。それでも再度、日を改めて言おうと踏み止まった。なのに、まさかこんな
タイミングで、好きな子から告白されてるなんて。
 僕は決意を放り捨て、保身に転じることにした。
 そのためにまずやらねばらないのは、死体の隠蔽か、女生徒の発見か。僕はとりあえ
ず、ある予感もあって、現場に戻ってみることにした。犯罪者は現場に戻るという格
言?通りの行動になるけれども、他に選択肢がない。
 最初、叔父にまた乗せて行ってもらえないかと考えたが、そうそう都合よく行くはず
もなし。自力で、つまりは自転車で行くことにした。
 吉原さんとサイクリングならどんな長距離でも楽しい道のりなのだろうけれど、目的
が目的だけに、気が重い。足も重かった。松城山のすぐ近くまで来ると、警戒心が働い
て、一層のろのろしたスピードになった。もうすでに発見されていて警察が来ているん
じゃないかという恐れから、しばらく様子見のため、ぐるぐると周辺を何度か行き来し
た。が、異状は見られない。大人からすれば今日は平日、行楽に来る人もいないようだ
った。僕は自転車を適当な茂みに隠すと、思い切って現場に向かった。上り坂は所々き
つかったが、くだんのスペースには意外と早く到着した。人がいない今の内にと、気が
急いていたのかもしれない。
 僕は問題の現場を見渡せる位置に立つと、息を飲んだ。
 遺体が見当たらなかったのだ。

 あれは夢だったのか、なんて希望的観測に満ちた甘い夢は、小学生のときの僕だって
見やしない。
 頭の片隅で予感はしていたため、パニックに陥って叫び声を上げるなんて真似はせず
に済んだ。
 女子生徒が無事に逃げ出したのなら、ここに他殺体がある(少なくとも、流血沙汰が
あった)ことを認識しているのだから、警察に通報するはず。女子生徒が何らかの理由
で口をつぐんでいる可能性は低いと思うし、仮に口をつぐんだとしても、三日の間、他
の誰も現場を訪れないなんて、なさそうだ。
 なのに、現実には、丸三日が経過しても全くニュースに出ない。普通はあり得ない。
 そうなってくると、考えられるのは一つだけ。男の遺体が消えたのだ。
 かような分析に基づく“予感”通り、遺体は消えていた。凶器に使った平らな石すら
ない。
 僕はしかし、予感の的中を喜ぶよりも、新たな問題に実際に直面し、困惑していた。
死体が独りでに動くことはないのだから、誰かが動かしたに違いない。
 なお、男は実は死んでおらず、息を吹き返した後、去ったなどということはあり得な
い。僕が血を落とそうと奮闘し、十五分は経過していただろうけど、男の身体は微塵も
動いていなかった。確実に死んだのだ。
 では遺体を隠したのは誰か? 何が起きたかを知っている女生徒か。彼女にとって僕
は命の恩人だろうから、かばってくれるということはあり得る。警察が動いていないら
しいのも、辻褄が合う。
 これが正解だとして、女子中学生だか高校生だかが、大の男を移動させるには制限が
掛かる。単独ではほとんど動かせないはず。かといって、普通に考えるなら、知り合い
に協力を求められる状況でもない。
 僕は改めて広場を見回した。すぐに目がとまったのは、例の沼。あそこまでなら、女
生徒一人でも引きずっていけるのではないか。最後は足で蹴飛ばして、沼の底に沈めれ
ばよい。
 僕は沼の畔に立った。相変わらず濁っていて、底どころか水中がどうなっているのか
も分からない。
 遺体があるのならいつか浮き上がってくるだろうけれど、その頃には、色んな証拠は
流されて、人の記憶も曖昧になっていると期待できる……と、ここまで考えたものの、
だからといって楽観視できるものでもなし。せめて、本当に男の遺体が沈められている
のか、確かめたいと思った。
 無論、潜る訳に行かない。片膝をついてしゃがむと、水面に顔を近付ける。目を凝ら
すが、視界は変わらなかった。しょうがないので、手を入れて、少しかき分ける仕種を
してみたが、結果は同じ。いや、むしろ逆効果だったかもしれない。
 あきらめて手を引っ込めようとした瞬間、指先が何かに触れた。固くもなく柔らかく
もない。ゴムかプラスチックの感触に近い……?
 生き物だったら気持ち悪いなと思いつつ、もう一度同じ場所に右手を、恐る恐る入れ
た。さっきと違って、ゆっくりゆっくり水をのけるように手を動かす。すると、不意に
それは浮かんできた。
 ぷかりと浮かんだのは、黒っぽい色をした靴だった。サイズはそんなに大きくない。
僕ぐらいにちょうど合いそうな、でも女物らしく見えた。水に落ちてまだそう日が経っ
ていないのか、乾かせば使えそうな感じがする。
 と、突然、その靴に見覚えがあることに気付いた。飾り気のない、色も地味な、いか
にも学校指定の靴……もしや、これは。
「あの女子の?」
 思わず、呟いていた。
 まさか、あのときの女生徒は、男の身体の下から逃げ出したあと、行くべき方向を誤
って、沼に落ちたのか? 靴がそのままあるっていうことは、彼女自身、今も沈んだま
まなのか?
 背筋に戦慄が走った。全身が総毛立った気もする。
 がたがた震える自分を自分で抱きしめ、立ち上がろうとしたが、くずおれてしまっ
た。尻餅をついた格好で、しばらく動けなかった。口の中はからからだったが、唾を飲
み込んで、いくらか後ずさる。姿勢を立て直して、震えが収まるのを待つ。が、待ちき
れなくて、膝に意識的に力を入れてやっと立ち上がった。五秒ほど考え、靴は拾得する
ことにした。
 子供が行方不明になっても、誘拐事件である可能性を考慮して、すぐには報道されな
いケースは結構あるだろう。女生徒の場合もそれに当てはまっているのか。
 しかし、女生徒が沼で溺死したとすると、男の遺体を消したのは一体、誰なんだ?

 僕は自転車を目一杯漕いで、家を目指した。安全運転に努める余裕はほとんどなかっ
たが、どうにか無事に帰り着いた。それから帰路を行く間にずっと考えていたことを、
自分の部屋に籠もってまとめようと思った。
 それは、男の遺体を隠したのは、やはり女生徒だったのではないかという考えだ。詳
しく言うと、女生徒が男を遺棄する過程で、誤って自身も落ちてしまったという仮説。
ないとは言えない。
 ただ、何となく心理的になさそうな気がした。何故かというと――僕が放置した凶器
が、あの現場には見当たらなかった。凶器と遺体の両方を沼に沈めるとして、先にやる
のは遺体の方を選ぶんじゃないかと思う。凶器を先に始末したあと、万が一にも男が蘇
生したら、女生徒には武器がなくなるし。
 いくら考えても推論は推論でしかなく、結論は下せない。男もしくは女生徒の遺体が
浮かび上がり、警察によって沼が浚われるのを待つしかないようだった。でも、女生徒
には生きていて欲しい。だからこそ、靴を持ち去ったのだ。彼女が生きているなら、靴
は脱げ落ちただけということになる。現場に残しておくと、男の遺体が発見されたと
き、男を殺した犯人につながる手掛かりと見なされるだろう。
 僕はそのときが来るまでは、せめて忘れていようと、小学生最後の一年間をいかに充
実したものにするかに意識を向け、そして吉原さんとの付き合いに力を入れた。
 が、それを妨げるかのように、気に掛かることが持ち上がっていた。春休み中に見た
朝のワイドショーでの特集だった。
 ロガーによる犯行が、ぴたりと止んだのだ。
 およそ十週の間に八人を殺したロガーが、音沙汰梨となってからもうすぐひと月にな
る。犯人はどうしたのか。どこで何をしているのか。分かりもしないことを、ゲストの
タレントや専門家と称する複数の男女がああだこうだと言い募って、特集は終わった
が、僕はこの事実を突きつけられ、嫌でも思い起こした。
 あの男がやはりロガーで、女生徒を九人目の犠牲者にしようとしていた? ロガーが
死んだから、犯行は止まった?
 そう解釈すれば、何もかもがぴたりとうまく収まる気がした。殺人鬼を葬り去ったの
なら、僕の精神も比較的安定するだろう。
 だけど、一方で、二ヶ月あまりで人を殺すような殺人鬼が、僕のような子供にあんな
にあっさりとやられるものなのだろうか。疑念は消えない。

 四月の十五日になって、動きがあった。ある意味待望の、である。
 松城山中腹の沼に遺体が浮かんだのだ。
 男性だった。
 速やかに警察の捜索が入り、一両日中に沼を完全に浚ったらしい。その結果、他に遺
体が上がることはなかった。
 沼には、長い間に投げ込まれたり落としたりした物が、大量に沈んでいたそうだが、
女子生徒の持ち物らしき遺留品はなかった、と思う。発表されていないだけで、見付か
った物があっても伏せられているのかもしれないが、とにかくニュースや新聞では何も
言っていなかった。
 一方で、男については、比較的多くの情報が出て来ていた。名前は大家延彦と言い、
三十五歳の独身、アパートに一人暮らし。二十八で結婚するも三十三で離婚。ビジネス
用品メーカー勤務でトップクラスの営業マンだったが、身体を壊して昨年末に休職。別
れた妻との間には子供が一人いるが、会うようなことはしていない。養育費はきちんと
払い続けており、生活に困っている様子はなかったという。
 アパートの部屋からは、ロガーに殺された被害者との関連を裏付ける物が複数発見さ
れたそうだが、ほとんどは明かされていない。正式発表されたのは、八人の被害者名を
書き記した手帳と、最初の被害者の皮膚組織が検出された革紐。特に後者は、有力な物
証と言える。もちろん、大家が紐を触ったという証拠も見付かっている。
 動機が不明だが、離婚や休職をきっかけに、少しずつ精神的に弱っていたんじゃない
かという説明がなされていた。小学生だった当時は、その説明ですんなり納得していた
けれど、今考えると随分と乱暴な話だ。
 結局、容疑者が死んでしまったせいもあり、大家が八件の殺人全てをやったという証
明は難しかったらしく、半分の四件で、容疑者死亡の不起訴処分という処置がなされ
た。僕が大家延彦を殺したがために、事件の完全解決ができなかったのだとしたら、ま
た僕の重荷が増えるが……。あの女生徒の命を守るためにやった正当防衛だと思い込む
ことにする。それに、大家延彦は少なくとも四人殺したと認められたも同然なのだか
ら、三人殺せば死刑と言われる日本の刑罰に照らせば、先んじて刑を執行してやったと
も言える。とにかく、そう思い込むことで、僕は心の均衡を保つことができた。
 夏休みに入る頃合いには、ロガー事件は決着を見たような空気になった。あとから思
うと、世間はロガーという殺人鬼に飽きて、次の大事件を求めていたような気がする。
 僕は吉原さんとの付き合いを深めた。と言っても、小学生のできることなんて、たか
がしれていたけれども。遊びに行くのも二人きりになることは滅多になく、グループで
出掛けた。
 松城山には足が向かなかった。だけど、そちらの方面になら行くことがたまにあっ
た。そのときだけは、忘れかけていた重荷とか緊張感とかを嫌でも思い出した。確率は
低いかもしれないが、あのときの女生徒とばったり出くわすという偶然が、起こらない
とは言えないのだ。相手が僕に感謝していて、秘密を公にする気がないとしたって、会
わない方がいい。そうに決まっている。


――続く




#499/598 ●長編    *** コメント #498 ***
★タイトル (AZA     )  17/04/24  20:28  (466)
偽お題>書き出し指定>告四(後)   永山
★内容
 そして――七年後の今。
 僕と吉原は揃って大学に入り、上京した。さすがに住居は別だが、距離にして一駅と
違わないマンションに入った。同じマンションに入れなかったのは、吉原が家族の意向
もあって女性専用のそれを選んだからだ。結婚云々は別としても、互いの家族とも小さ
な頃から顔を合わせ、行き来もしており、公認の仲と言えるだろう。
 二人の時間を大切にするため、大学では、なるべる緩いクラブかサークルに入ろうと
考え、僕らは都市伝説研究会というサークルを選んだ。原則的に掛け持ち自由なので、
登録者数は百を超すが、サークル室に姿を見せるメンバーとなると二十人前後、さらに
そこからサークル名通りの活動に参加している者は、十人ぐらいだろう。
 僕と吉原は、都市伝説に興味がなくはないといった程度で、さっきの分類に従えば、
サークル室に姿を見せるが活動参加はあまり積極的でないタイプ。テストやイベントな
どの情報収集が目的のメインだった。
 ところが、ひょんなきっかけから、僕と吉原は活動の中心に躍り出る、いや、出され
る羽目になった。夏休みの合宿先を、先輩方が検討しているときのことだ。
「そういえば、君ら」
 部長(サークルだから会長と呼ぶべきかもしれないが、部長で通っている)の名倉絵
里さんが、部室中央の丸テーブルを離れ、僕らのいる長机の方にやって来た。
「何でしょう?」
 そう応じつつ、合宿先の意見を求められるものと思い、ホワイトボードに書き出され
た候補をちらっと見やった。
 しかし、予想に反して名倉部長はもっと個人的なことを聞いてきた。
「ロガーの事件が起きた地域の出身じゃなかったっけか」
「は、はあ」
 吉原も僕も似たような反応をした。厳密に言えば、僕の方がコンマ五秒ほど遅れたか
もしれないが。
「連続殺人事件のことですよね」
 吉原は笑顔でさらりと言った。怪談話でも始めそうな雰囲気だ。
「うん。えっと、七、八年になるかな」
 指折り数え、自ら納得したように頷く部長。僕も何か言わねば。鼓動の高まりを意識
しながらも、平静を装って、ゆっくりと口を開く。
「正確に言うと、出身って訳じゃないんです。隣接する市で発声しただけですから」
「それでも、話題にはなったろう? 小学生の頃なら、学校だってぴりぴりするだろう
し」
「はい。それはもう」
 笑みを絶やさない吉原。横目で見ていた僕も、つられて笑う。
「集団下校するようになったんですけど、登校のときと違って、上級生と下級生とで時
間を合わせるのが難しいから、すぐにやめになって。保護者が迎えに来るのをOKにし
たり、登校時にやってる交通安全見守り活動を、下校のときにも行うようになったり。
でも、子供の方は、距離的な実感なんてないから、家に帰ったら勝手に遊びに行ってま
したけど」
 彼女の思い出話を耳にして、僕も思い出した。隣の市まで殺人鬼が現れるようになっ
ていた割に、叔父は僕を一人で遊ばせていた。危ないとは考えなかったんだろうか。そ
ういえば、僕の親もあの日服を濡らして帰ってきた僕を、あんまり叱らなかった。叔父
を責める様子もなかったと記憶している。でもまあ、僕が見ていないところで、無責任
な叔父をきつく注意したかもしれないが。
 でも……。それなら後日、僕が自転車で遠出したのを、両親はよく許可したなと思
う。いや、嘘をついて出掛けたんだったかな? あのときは自分のことだけでいっぱい
いっぱいで、嘘をついている余裕すらなかったかもしれない。
「新年度になったら、全児童に防犯ブザーを持たせようっていう話まで出ていたらしい
んですけど、その四月中に犯人が分かって」
「犯人の遺体が見つかった沼だか池だかってのが、吉原さん達の地元でしょ」
 別の先輩が言った。妹尾という二年男子で、普段はあまり出て来ないが、合宿前にな
ると姿を現すそうだ。続けざまに、部長に尋ねる。
「ロガー事件で都市伝説って、何かありましたか?」
「メジャーじゃないし、都市伝説っぽさには欠けるかもしれないが、あるにはある。ロ
ガー生存説だ」
「ああ、それですか」
 その場にいるメンバーのほとんどが納得した風に頷いたり手を打ったりしたが、僕は
「えっ」と声に出して驚いていた。
「何だ、知らないの?」
「し、知りません。初めて聞きました」
「ふうん。吉原さんは」
「私もよく知りません。何か噂みたいなのは聞いたかもしれませんけど、地元はやっぱ
り、事件が身近だった分、決着したんだ、もうこれ以上は言うなって雰囲気があったの
かも」
「なるほどね。じゃあ、生存説の詳しい理由は知らないんだ? よろしい、話してあげ
よう」
 揉み手をしかねないほど嬉しそうに頬を緩めると、部長は資料を参考にすることな
く、以下の内容をそらで喋った。
 ロガー生存説をより厳密に表現するなら、二人による共犯説になる。つまり、ロガー
の犯行は、二人の人間の仕業であり、大家延彦はその片割れに過ぎない。もう一人は生
きており、今も犯行再開の好機を待っている。
 この説の根拠は、いくつかある。大家の犯行として認定された四件の殺人は、ロガー
の犯行八件の奇数番目のものばかりだったこと。一番目と三番目と五番目と七番目の殺
しが、大家の犯行で、二、四、六、八の偶数番目は共犯の犯行だとする見方。
 また、殺害方法が多岐に渡る点も、共犯説を補強する。大家の自室から紐状の凶器が
見付かったことで、考察や扼殺は大家が好んで用いた方法であり、他の手口は共犯の仕
業と推定される。
「あ、待ってください。ちょっといいでしょうか」
 突然、吉原が先輩の話を遮ったので、びっくりした。
「何?」
「記憶が朧気なんですけど、確か殺し方は、絞め殺すのが前半に集中していたような」
「その通り。奇数番目が絞殺や扼殺なんていう風にはなっていなかった」
「じゃあ、おかしい……」
「うん。そこがこの説の弱いところでね。だからあんまり話題にならず、今では風化し
ているのかもしれない」
「当時の警察の見解では――」
 名倉部長のあとを受けて、妹尾先輩が話す。
「ロガーは大家の単独犯行で、前半に絞殺や扼殺が集中し、後半は手口が変化したの
は、絞め殺すのに飽きて、新しい方法を試したくなったということだったかな。連続殺
人だと分からせるためのサインは、所持品のリレーとチョークで事足りる」
「絞殺が決め手じゃないのなら、どうして奇数番目が全て大家の犯行と認定されたんで
しょう?」
 僕も会話に加わっておく。長い間黙っていると、何となく不安を覚えるから。
 部長が反応する。
「地元で起きた事件なのに、頼りないな。この分じゃ、合宿先にしてもあんまりおいし
くなさそう」
「私達の地元を合宿先にして、ガイドさせるつもりでした? 無理ですよ、そんなの」
 吉原がこう応じた結果、僕らの地元を合宿先の候補にする案はあえなく没となったら
しく、そのまま話題が変わった。
 奇数番目が大家延彦の犯行と認定された理由は、聞けずじまいだった。なので、僕は
マンションに戻ってから、調べてみた。本当は帰宅を待たずとも、いくらでも検索する
手段はあったのだけれど、吉原と二人でいるときまで殺人事件のことを考えたくはなか
ったから、後回しにしたのだ。
「――なるほど。五番目と七番目の被害者の所持品の一部が、大家の部屋から見付かっ
ていたのか」
 独り言が出た。ノンアルコールビールを片手に、検索結果の画面を見ていく。
 所持品は順にハンカチとイヤリングで、ハンカチはきれいに半分に切り裂かれていた
という。部屋から見付かったのは半分だけで、もう半分が六番目の被害者の衣服に押し
込まれていた。イヤリングも部屋から出て来たのは片方のみ。もう片方は、八番目の被
害者の口の中にあったらしい。
「うん? こういう状況なら、六番目と八番目も、大家の犯行と見なせるんじゃないの
か」
 そもそも、一番目と三番目が大家の犯行と認定された上で、それぞれの被害者の持ち
物が、次の被害者の遺体のそばで見付かっているのなら、二番目及び四番目も同一人
物、つまり大家の犯行と見なしていいのでは。
 なのに、そうなっていないのには理由があるのか。
 検索結果を追ってみたが、警察の発表という形では、特に何もないようだった。
 ただ、芸能週刊誌やスポーツ新聞レベルの噂話として、大家にはアリバイがあったん
じゃないかという記事が見付かった。何番目の殺人かという言及はないものの、駅や商
店街、銀行などの防犯カメラ映像に、大家延彦らしき男が映っていたという。大家なの
か肯定も否定もしがたい画像でアリバイとは認められなかったものの、八件全部を大家
の仕業とするのにも引っ掛かりを覚える材料だったため、四件での書類送検に留まった
という経緯らしかった。
 改めて知ってみると、ロガーは二人いるとする説には、頷けるものがある。100
パーセントの肯定はまだ無理だが、あり得ない話じゃないという気になってきた。
 もし、ロガーがもう一人いたとして、そいつは共犯者を殺され、何を考えただろう?
 断るまでもないが、大家延彦の死は殺人事件として扱われ、今も捜査は継続してい
る。そのはずだ。これまで、僕の元を刑事が訪れることは一度もなかった。警察の方針
は知らないが、世間の大半は、ロガーは犯行中に反撃を食らって死んだ、自業自得だと
思われている。今度の検索で知ったが、ごく一部の人達、つまりロガー二人説を採る人
達は、仲間割れをして殺されたという見解らしい。どちらにせよ、世間一般は、大家延
彦に同情なんてしていないし、このまま犯人は捕まらなくてかまわないという風潮があ
った。だから警察も本腰を入れてないのではないか。そういう風に僕は考え、一応安心
して暮らしてきたのだが。
 本当にロガーがもう一人いて、共犯者を殺されたことや、その犯人だと思われている
ことに怒りを覚えているとしたら、そいつは僕を見つけ出し、落とし前を付けさせたい
と考えているではないだろうか。
 とは言え、そんな想像から、僕がぶるぶる震えているかというと、そうでもない。ロ
ガーは、共犯者を殺した人物を特定するために、どんな方法を採れる? まさか警察に
駆け込む訳に行くまいし、警察以上に捜査能力のある組織は、恐らく日本にはない。絵
空事の名探偵が入るなら、話は変わってくるかもしれないが。
 唯一、恐いのは、僕が大家を打ち殺すところを、もう一人のロガーが目撃していた場
合だが、七年も経ったのだから、心配の必要はない。いや、あの場にもう一人のロガー
がいたのなら、僕は即座にやられているに決まってる。
 意識することもなく、楽観的な考えに浸った僕は、その後も検索結果を適当にピック
アップしては、ざっと読む行為をだらだらと続けていた。やがて、瞼が重たくなってき
た。飲んだのはノンアルコール飲料のくせに。そろそろ寝る頃合いか。僕は最後のつも
りで、適当に検索結果をクリックした。
 それは誰かのツイッターらしかった。****年に@@市等で発生したロガー事件に
興味あります、みたいなことが書いてある。何か特別な情報や噂を知っている様子はな
く、逆に募集をかけている感じだ。名前は“きあらん”となっていた。
 プロフィール画像に目を凝らすと、イラストではなく、女の子の顔写真だと分かっ
た。小学生高学年ぐらい。細身と言うよりも痩せていて、面長に見える。後ろに映る電
柱や木の高さから判断すると、身長は結構ありそうだ。こんな小さな子が、七年前の事
件に興味を持つのかと怪訝に感じたが、プロフィールを読んで納得した。具体的な校名
はなかったが、東京の大学に通う学生で、年齢は二十一とある。当時なら十四歳。連続
殺人事件が近辺で起こったら、強烈な印象を残しても不思議じゃない。小さな頃の顔写
真にしているのは、プライバシーを守るため、今の写真を使いたくないからだろう。
 ――自分は今、どうしてこの女性の近辺で事件が起きたと思った? プロフィールを
見直して、すぐに答は見付かった。出身地が、僕と同じだった。
「あっ」
 次の瞬間、叫んでいた。
 髪に片手を突っ込み、がりがり掻きながら、目を細めて改めて顔写真に見入る。確信
を持てた。
 あのときの女生徒だ……。
 僕はみたび、プロフィールを読み直した。事件についての記述はなし。検索でヒット
した呟きに目を移す。彼女がロガー事件に興味を持った理由までは触れられていない。
情報を広く募る旨が書いてあるだけだ。始めたのが今年の四月からで、まだほとんど知
られていないらしく、リプライなんかも大した数じゃなかった。有益な情報が集まった
とは思えないが、一応目を通すと、怪しげな書き込みがいくつかあると分かる。「特ダ
ネを持ってるが、ネットで話す気はない。実際に会って、証拠ごと渡す」というニュア
ンスのものが、三つほど確認できた。まともに考えれば、ツイート主の女性に会いたい
だけの書き込みと思うのだが、きあらんは割と真摯に反応していた。と言っても、「会
います。日時はお任せしますから、待ち合わせ場所は※※警察署でお願いします」なん
ていう返しをするくらいだから、身を守る意識はちゃんと働いているらしい。無論、面
会が成立した様子はなかった。
「だからって、連絡を取る訳にいかない」
 ふっ、と息を細く短く吐いた。この女性が命の恩人を見つけ出し、礼を言いたいがた
めにこのつぶやきをしたのだとしても、僕には応じられない。勘繰るなら、警察の罠と
いう可能性だって、完全否定はできない。
 僕はネットを切断した。パソコンの電源をさっさと落とし、就寝の準備をする。
 何とも言えない、もやもやしたものを見つけてしまった。そんな気分では、布団を被
っても簡単には寝付けなかった。

 事態が急展開を見せたのは、僕がそのツイッターに気付いてから、四日か五日ぐらい
過ぎていたと思う。
 きあらんが殺されたのだ。
 最初にテレビのニュースで一報を見聞きしたときは、僕にとっては無関係な殺人事件
が起きたんだな、程度の認識だった。その後、ネットで改めてニュースを読み、ようや
く被害者がきあらんだと把握した。あの女生徒の本名は、荒木蘭子だと分かった。
 ロガー事件に関して情報を求めていたことも、関係者筋からの話として既に報じられ
ており、過去のロガー事件は瞬く間に注目されるようになった。
 翌日の続報では、さらに詳しいことが判明した。殺害方法は絞殺で、凶器は未発見。
遺体の傍らには、御影石の欠片が置いてあったという。八番目の被害者の所持品がどこ
にも見当たらなかったことから、ロガーが蘇って犯行を再開したのではなく、別人の仕
業だとする分析を、犯罪学者がワイドショーのスタジオでとくとくと語っていたが、午
後になって一変する。警察が八番目の被害者の入る墓を調べたところ、墓石の角が少し
壊されていたことが判明したのだ。鑑定待ちだが、恐らく遺体のそばにあった御影石
と、組成が一致するに違いない。
 僕は、大学をしばらく休むことにした。外出も控えねば。荒木蘭子は、もう一人のロ
ガーに見付かり、七年前の続きとばかりに殺されたのだ。そうに決まっている。
 ロガーが荒木蘭子の居所を突き止められたのは、きっとあのツイートが発端なんだろ
う。七年前、大家が九番目の犠牲者として荒木蘭子を襲うところを、共犯者は見守って
いたのではないか。八件の殺人も同様だったかもしれない。片方が実行犯で、片方が見
張り役。恐らく交互に殺人を行い、被害者の所持品を手に入れては、共犯者に渡してい
たのだ。
 ああ、そうか。僕は違和感の正体と理由に気が付いた。大家は九番目の殺人が未遂の
まま、死んだというのに、八番目の被害者の所持品を持っていなかったと思われる(持
っていれば、絶対に報道される)。犯行の時点では、共犯者が持っていたんだ。殺しの
あと、物を受け取るか、共犯者自身が物を遺体の懐に入れる算段だった……。
 だが、九番目はハプニング起きた。僕の介入だ。見守っていた方は、慌てたに違いな
い。飛び出して小学生の僕を排除するくらいできただろうが、その前に、どこの誰とも
分からぬ女子生徒に逃げられてしまった。下手に動くと、共犯者は捕まるリスクがあ
る。僕だけでも始末するという選択肢を選ばなかったのは、何故か。留まるリスクの方
が大きいと見て、早々に現場を立ち去ったのか。
 一人になったロガーは、長い潜伏期間を持つことになる。共犯を失ったことも大きな
理由かもしれないが、それと同時に、女生徒と僕の居場所を突き止める手掛かりを得る
必要があった。だけど、僕も女生徒も警察には行かなかったし、警察は大家殺しの犯人
を見付けられないでいた。名前の漏れようがない。長期戦を覚悟した犯人は、八番目の
被害者の所持品を、廃棄したのだろう。持ち続けていると、容疑を掛けられた際、物証
とされるから。犯人自身が市内の学校を中心に張り込みをすれば、僕や荒木蘭子を見付
けられたかもしれない。そうしなかったのは(しなかったはずだ)、やはり慎重を期し
たからに違いない。
 七年が経ち、犯人は荒木蘭子のツイッターに着目する。もちろん、全く無関係である
可能性もあったが、子供の頃の顔写真で確信を持てたのだろう。一方の荒木蘭子は、既
にロガーは死んだと思っているから、無防備になっていた。恐らく、他のツイートで上
げた写真に位置情報を含んだ物があって、ロガーは荒木蘭子の居場所を特定したのでは
ないか。仮にそうじゃなくても、市の中学校の卒業アルバムをどんなことをしてでもか
き集め、きあらんの子供のときと同じ顔がないか、当たっていけばいずれ本名が分か
る。本名が分かれば、あとはどうにでもなるのではないか。ロガーが殺人以外の犯罪に
どこまで精通しているかは分かりようがないが、一度狙った獲物は逃さないという執念
があれば、何としてでも調べ上げるのではないか。
 執念。
 脳裏に浮かべたその単語に、僕は身震いを覚えた。
 荒木蘭子の身に降りかかったのと同じことは、僕自身にも当てはまる。ロガーの次の
獲物は、恐らく僕だ。
 そのときから僕は、ネットをしなくなった。関係ない、意味のない行為とは思うが、
そうせずにはいられなかった。
 外出時には、色の濃い眼鏡とマスクを欠かさないようになった。帽子を被ることもあ
った。大学へもその格好で行ったが、周りの評判はあまりよくなかった。特に、吉原か
らは呆れられてしまった。理由を話せないのだから仕方がないが、これでもう彼女とは
別れるかもしれない。一緒にいて、彼女が巻き込まれるようなことになれば申し訳が立
たないという気持ちもある反面、別れたくない気持ちも当然あるので、現状では成り行
きに任せるとしよう。
 狙われてびくびくしているだけでは始まらない。対策も講じようとした。ロガーの顔
や姿を前もって知ることができればいいのだが、そんなことは無理に決まってる。だ
が、不審者の目星を付けるくらいなら、可能じゃないか? そこで思い付いたのが、荒
木蘭子の葬儀に足を運ぶことだったのだが……ロガーが姿を見せる確証がない上、自分
は危険を冒している。荒木蘭子の関係者でもないのに葬儀に顔を出せば、怪しまれる。
もしも警察が張り込んでいたら、注意を惹いてしまうだろう。天秤に掛けるまでもな
い。自らが不審人物であることを忘れてはならない。この程度の策ではだめだ。

 叔父から電話をもらったのは、僕が訪ねてきた家族に素っ気ない対応をしたしばらく
あとのことだった。
 叔父と話すのは、二年ぶりぐらいになる。直に会ったのは、もう五年ほど前になるの
ではないか。
「元気か? 何かあったんじゃないかって、みんな心配してるみたいだぞ」
 叔父の若々しい声は、うるさいくらいだった。僕は電話を耳から少し離し、応じた。
「うーん。ちょっとね。たいしたことじゃないんだけど、僕にとってはたいしたこと
で」
「何だ何だ、思わせぶりだな。家族や友達に言えない悩みか」
「でもないんだけど」
 曖昧にかわして終わらせるつもりだったけれども、ふと嘘の理由を思い付いたから、
そっちの方に叔父や家族の意識を向けさせておこう。
「まあ、叔父さんにだったら、話してもいいかな。昔、小さなときにはよく相手しても
らったし」
「こんな冴えない中年男でよければ、聞き手になってやるよ」
 叔父は自分では中年ぶるが、見た目は声と同様に若々しい。去年か一昨年にもらった
年賀状に、旅先での写真が載せてあったが、一つ上の父が、白髪が増えて老け込んだ印
象なのとは正反対に、IT企業の若社長って雰囲気を持っている。まあ、飽くまでイ
メージだけれど。今の実際の職業は――以前聞いたときから変わっていないとして――
カメラマンだ。と言っても、芸術家じゃないし、記者でもない。ありとあらゆる様々な
物事を撮影して、素材写真として提供する。そんな企業に所属している。
「実は今、仕事で東京まで出て来てる。今は無理だが、暇なときは相手してやれるぞ」
「会わなくても、電話で充分だよ。それがさ、ずっと付き合ってきた彼女と最近、すれ
違いが増えてきた感じでさ」
「それって、えっと吉原さんて子のことかい? 勿体ない」
「別れたい訳じゃないよ」
「理由というか、心当たりあるの?」
「なくもない。こっちはこの頃、あんまり出歩きたくないのに、向こうは外に行きたが
るとか、僕が都会の空気が汚れてる感じがして嫌だから、マスクとサングラスを掛ける
ようにしたら、不審人物だ何だとひどい言い方をされたんです」
「はは、そんなくだらないことで! 気に病む必要なんてないだろ。自然に元通りにな
るさ。ならないようなら、君が少し妥協すれば済む」
「妥協、ですか。男から折れた方がいいんですかね」
「まあ、いくら平等が唱えられても、そういうことになるかな」
 乾いた笑い声を立てる叔父。ようやく音量が調整された。耳を近付けたところで、話
題を少し変えられた。
「実はもっと深刻なことで悩んでるんじゃないかと思って、気になってたんだよ」
「深刻ですよ」
「だから、もっと、さ。ほら、そっちであれが起きたじゃないか」
「あれ?」
「ロガー事件だよ」
 一瞬だけ、どきりとした。心臓の鼓動が早まったようだ。鼻で強く息をして、整え
る。
「ああ、あれですか。完全に同一犯なのか、模倣犯なのかは分からないんじゃないです
か。第一、ロガーは七年前、沼で死んだのだから」
「そうだけどさ。まことしやかに囁かれていたロガー複数犯説を採用するなら、生き延
びたロガーがまた犯行を始めたように見えるだろ。君にとっちゃ、地元を離れたのに事
件が引っ付いてきたみたいで、いい気分はしないだろうと思ってね」
「それはまあ」
「ロガーが沈んでいた沼にも、遺体が見つかる直前と言っていいくらいに、出掛けたも
んな。覚えてるよ。あのときは君が沼に足を滑らしたとかで、服を濡らして一騒動だっ
たけれど、まさか殺人犯の遺体が浮かぶとは」
 僕は再び電話を遠ざけた。腕の長さ分いっぱいに。聞く内に、頭を締め付けるような
感覚に襲われた。何でこんな。他の人とロガー事件について話しても、ここまで不快な
気分になったことはなかった。僕が大家を殺したあと、最初に会った人物が叔父だから
か?
「まあ、何ともないのならいいよ。――聞こえてるかい?」
「あ、はい。聞こえてます」
「君の彼女は、事件について、何か言ってた?」
「吉原さんですか。うーん、楽しい話題ではないので、彼女との会話にはほとんど出て
来ません。ただまあ、サークルで話題に出たことがあって、そのときは割と平気な感じ
で話してましたよ」
「聞いたのは、吉原さんの話した内容なんだけどな。ロガー事件が起きてからの」
「ああ。そうですね……何言ってたっけ。印象に残らないくらい、ごく普通でしたよ。
また始まったのかしらとか怖いねとか」
「特段、トラウマが出てるようではないと。それならよかった」
 出ているとしたら、僕の方だ。
「しかし何だな。大家延彦の死亡推定日時ってのは、幅があるけども、僕らが松城山に
行った日も入ってるんだよな。ど真ん中に。だから、ひょっとしたらひょっとして、す
でにもう沼には死体が沈んでいたかもしれない訳だ。その沼の水に濡れたと思うと、君
だって平気でいられないんじゃないか?」
「や――やめてくださいよ」
 僕は無理矢理笑った。自分の声なのに、少し遠くに聞こえる。
「そんなことあり得ませんよ。あったとしても、死にたてなら水に混じってはいないで
しょう、その、体液とか」
「ははは、死んだばかりかどうかは分からんぜ。幅があるんだから、最も早い時期に死
んでいたとしたら、得体の知れない物が沼の水に溶け込んでいたかもな」
 叔父の声は明るい。だが、呪いのように僕の耳に届く。
「もしかすると、そのせいかな? 君の身体に染みついたロガーの体液や血液やらが、
今になって呪いの執念みたいなものを爆発させてさ。その結果、君の近くでロガー事件
が再開したのかもしれん。犯行に及んだロガーはかつての共犯なんかじゃなく、ロガー
の霊が乗り移った人間なんだよ」
「――」
 僕は何事かを叫んで、電話を切っていた。

 一眠りして、目が覚めて、飲み物と食べ物を軽く入れて、しばらくすると落ち着いて
きた。時計を見ると、深夜三時過ぎだった。
 冷静になったところで、ふとした疑問が頭の中をよぎった。
 叔父は何故、電話であんなことを言ったのか。いい年した大人が、悪ふざけにしては
度が過ぎるのではないか。
 想像を逞しくし、さらに七年前を思い出そうと試みる。
 七年前のあの日。松城山の近くまで、叔父の車に乗って連れて行ってもらったとき、
叔父は一体何の用事があったんだ?
 子供だったから詳しく聞かされていなくても当然だと思っていたが、本当は何もなか
ったんじゃないか? いや、言えなかったのでは?
 たとえば、叔父こそがもう一人のロガーであり、大家の犯行を見守ることこそが用事
だった――。
 証拠はない。根拠もゼロに等しい。妄想レベルだろうか。
 反証ならすぐに挙げられる。叔父がロガーなら、犯行現場の近くまで僕という子供を
連れて来て、自由に遊ばせたりするものか? 普通はしない。
 だが、殺人鬼は普通じゃない。たとえば、僕を十番目の犠牲者にするつもりだったと
考えれば、連れて来たことに説明が付く。身内を犠牲者に選ぶのは、犯人にとってリス
クを高める行為だろうけれど、最後のつもりならあり得るんじゃないか。犠牲者の数が
十で打ち止めならきりがよい。
 だとしたら、僕の早すぎる反撃は、ロガー達にとって予想の埒外だったのかもしれな
い。だから、僕を止めることすらできず、荒木蘭子には逃走を許し、大家は命を落と
し、叔父は立ち去るしかなかった。
 この仮説を肯定するなら、叔父は共犯者を殺したのが僕だと知っていながら、ずっと
放って置いたことになる。いつでも殺せるから? いや、むしろ、順番に拘ったのか。
九番目の犠牲者として荒木蘭子を見つけ出し、殺してから、最後に僕を殺そうという当
初の計画に拘った。
 すると――どうなる? 今や、ロガーにとって残す標的は僕だけ。叔父はロガーの片
割れとして、最後の“仕事”を遂行しようとする。さっきの電話は、殺しに行く前の様
子見だった? そういえば、こっちに出て来ていると行っていた。悪趣味な話を聞かせ
てくれたのだって、僕を恐怖させ、追い詰めるためにやったのでは。いや、そうに違い
ない。そしてじきに、ここへ来る。外出の機会がめっきり減った僕を、いつまでも待た
ないだろう。叔父なら、訪ねる理由を作れる。拒んで先延ばしにすることは、恐怖の先
延ばしにつながる。だったらいっそ、迎え撃った方が賢明なのでは。
 僕は椅子から立ち上がった。嘱託を離れ、台所を見渡す。キッチン下の扉の裏には、
包丁が何本かある。他に武器になりそうな物……修学旅行のとき、若気の至りで購入し
た木刀。あれを持って来たはずだ。どこに仕舞ったか……。
 僕は小学生のとき、吉原と付き合うために、秘密を抱える決心をした。彼女と別れな
い内は、秘密が増えるくらい、何ともない。

            *             *

「――ええ。大家延彦とは全く関係ありませんでした。他人の犯罪に便乗して、連続殺
人を起こせるかどうかという、一種の実験みたいなものを試みたかった。ただ、それだ
けです。だから、最初の方は私も彼と同じ殺害方法、絞殺を選んだんです。でも、自分
の犯行だという証拠も欲しかったので、チョークで白い印を残しました。
 最初の被害者? 最初とは、私にとって最初という意味ですね。大家が起こした最初
の殺人、桑間さんを殺した現場に行って、一人で冥福を捧げている女の子の中から物色
したんです。桑間さん同じ学校の子になると面白くないから、制服で区別しました。そ
うして選んだ三島さんが、まさか桑間さんと小学校時代同じクラスになったことがあ
り、しかも密かに付き合っていた仲だったとは、予想外の結果でしたが。ただ、その事
実を警察は掴めなかったみたいですね。それだけ慎重に、周囲に隠して付き合っていた
んでしょう。私だって、三島さんが持っていた手帳を見て、初めて知ったんです。おか
げで、大家と私が別々に起こした殺人なのに、期せずして連続殺人の様相を呈してしま
った。はい、生前、桑間さんが使い古した腕時計を三島さんにプレゼントしただけなん
でしょう、きっと。
 そのことを知った僕は、次第に面白いと思いました。大家が次の殺しを行うのなら、
何とかして三島さんの所持品を渡してやろうと考えた。最悪でも、次に大家が殺した被
害者の懐に、三島さんの手帳の一部を押し込んでやろうと。でも、大家がもう殺す気が
ないのなら、僕が自分でやるか、別の殺人を見付けるしかない。迷ったんですが、賭け
てみることにしました。大家は、自身の殺しを、誰だか分からない奴に勝手に連続殺人
に仕立てられたと思ってる。憤慨してるか面白がってるかは分からないが、乗ってくる
に違いない。そう考えたんです。こっちからコンタクトを取れないかと、新聞広告やネ
ット上に簡単な暗号文を載せてみたり、桑間さん、三島さんそれぞれの殺害現場に足を
運んだりしたんですが、なかなかうまく行かない。そうこうする内に三件目と言うべき
か二件目と言うべきか、殺人が発生した。絞殺で、しかも三島さんのアクセサリーが遺
体の上に置かれていたというじゃありませんか。大家の仕業だと直感しましたね。あ、
もちろん、その時点では大家なんて名前、分かってないですよ。最初の奴がまたやった
んだ、っていう認識です。
どうやって手に入れたのかは知りませんが、想像するなら、弔問客を装って三島家に上
がり込んで、うまくやったんじゃないですか。
 で……ですね、こうなったら私も続けなければいけない。今言った想像の通り、三人
目の被害者の、ええっと福木家の葬式に行ってみたんです。そのとき、ちょっとしたい
たずら心から、手に白のチョークを持ってみたんですよ。一見、煙草に見えるように。
 そうしたら――驚きましたよ! あの瞬間ほど驚き、そして嬉しかったことはない。
 声を掛けてきたんです、大家延彦が。さすが、同好の士だ。私達は最初の数分こそ互
いに警戒しましたが、じきに分かり合えました。このときになって初めて、私と大家は
共犯関係を結んだんです。
 それからは簡単でした。所持品を入手するのが楽になりましたから。私は大家から、
福木さんの身に付けていたシャープペンを受け取り、次の殺しのときに置いてきまし
た。あとはこの繰り返しです」

            *             *

 床にばったりと倒れた叔父の左手が、いつの間にかテーブルから落ちていたテレビの
リモコンに当たった。次の瞬間、テレビが入った。ニュースをやっていた。
 僕は返り血を浴びた顔を、用意しておいたトイレットペーパーで拭いながら、何の気
なしにアナウンサーの声に耳を傾けた。
<ただいま入りましたニュースです。ロガー事件の再開とも言われる女子大生殺人事件
の容疑者として、**署警察は自称・心理学者の男を逮捕しました。男の名は江畑栄
介。四十歳。警察に捜査協力した経験も幾度かあるとのことです>
 足元から、う゛ぉとんという音がした。僕の手から、木刀がこぼれ落ちていた。
 視界が揺らぐ、世界が揺らぐ。耳の中で何かがぐるぐる回って、脳の奥に入り込んで
くる。
「じゃあ……叔父は何だったんだ?」
 電話からほぼ二十四時間後、僕の部屋を訪ねてきた叔父は、もう二度と動かない。

            *             *

「普段、どうやって大家と連絡を取り合っていたのかと問われましても……何が不思議
なんです? 携帯電話を使った形跡がない? そりゃ当然です。使っていないのだか
ら。その気になれば、秘密裏に連絡を取ることは難しくはない。急ぐ必要がないのな
ら、一定間隔をおいて、決められた場所にメモを残すだけでも事足ります。尤も、私達
も多少は警戒していましたから、毎回、伝達方法は変えていました。
 大家が殺されたときのこと、ですか? いえ、残念ながら、たいしたことは何も知り
ません。現場の近くにはいなかったので。大家がターゲットを殺害後、所持品を交換す
る約束で、麓にて車で待機していたのですが、明らかに襲われたらしい少女が逃げ出し
てきた。これは大家がミスをしでかしたと直感したので、私はさっさと逃げることにし
ました。ただし、少女の顔はしっかりと記憶に刻みましたよ。大家が仕留め損なったの
なら、狙う価値があると感じたので。どこにいるのか突き止めるのに、思いの外、時間
が掛かってしまったな。こうして捕まったのは、ブランクがあったせいかもしれませ
ん。まさかあんな古寺の墓場に、あんな最新式の防犯カメラがカモフラージュの上、設
置されているなんて、まるで想像できなかった。
 えっ、恨み? ああ、大家を殺した犯人に、復讐しようとは思わなかったかってこと
ですか。特にしようとは……。共犯関係を結んだと言っても、助け合うというのではな
かった。相方がミスをしても、我が身の安全確保を第一に考え、行動を選択することを
原則としていました。
 ただ、今になって思えば、私が捕まったのは、大家という共犯を失ったのも大きかっ
たのかな。そういう意味でなら恨んでいます。七年ぶりに」

            *             *

「そうか……」
 時間の経過とともに、何とかして論理的な思考を取り戻した僕は、あり得べき一つの
新説に辿り着いた。テレビを消し、木刀をきれいに拭き、包丁を仕舞った。
「ロガーは三人の共犯だったんだ」
 間違いない。そうでなければいけない。

――終




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