AWC お題>行楽>そばいる(前)   寺嶋公香



#465/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  14/10/17  23:15  (274)
お題>行楽>そばいる(前)   寺嶋公香
★内容
「もしこれが二時間サスペンスドラマならサービスカット、アニメなら温泉回
というやつに当たるのかな」
 バスの車中、一行の誰かの呟きは、他のざわめきにかき消された。
 物語でよくあるように、「町内会の福引きで、二等賞の温泉旅行が当たった」
ということにしておいてもいいのだが、実際は違う。賞品は賞品でも、テレビ
のクイズ番組のそれだ。チーム対抗のクイズに風谷美羽として出演した純子が、
紆余曲折を経て獲得したものである。
 芸能人達だけで競うタイプのクイズ番組では、賞品は名目だけのこともある。
まず、優勝と準優勝、三位辺りまで賞品が出るとして、それぞれの順位に応じ
た品物が用意されていても、本当に順位通りの物を受け取るかどうかは決まっ
ていない。裏で誰がどれを持って行くか決まっていることもあれば、成績順に
好きな物を選ぶこともある。
 何故そんなシステムになっているのか。もらってもありがたくない賞品があ
るからだ。色んな番組に出て、似たような家電製品を二つも三つももらっても、
スペースを取るだけだ。食品の類も好き嫌いがある。特に不人気なのは旅行だ。
日程や行き先を固定されていては、スケジュールの都合がつかず、行く暇がな
い。いつでもどこへでも使える旅行券で、代用する場合もあるが、それとて売
れっ子芸能人には使いづらい。
 というような舞台裏を踏まえた上で――今回は事情を異にする。スポンサー
の旅行会社や旅先の地元自治体の意向により、日程・行き先とも固定の賞品が
用意された。そうなると、超売れっ子で多忙な芸能人は、いよいよ敬遠する。
結果、純子にお鉢が回ってきた次第。
 尤も、表向きは――つまりみんなに対しては、親戚が町内会の福引きで当て
た、ということにしておいた。同行者の中には、純子の芸能活動をよく知らな
い者もいるので、面倒な説明を避けるためだ。まあ、この辺の設定は些末なこ
とであり、気にしない方がよろしい。
「町内会の福引きにしては、人数が十名までフリーってのは太っ腹だなあ」
 唐沢は窓外から視線を戻し、誰ともなしに言った。
「モニターを兼ねているとは言え、ありがたい。おかげで、俺達もご相伴にあ
ずかれるわけだ」
「ちょうど夏休みだしね。でも、繁忙期に人数の調整が利くなんて、どんなに
寂れたところなんだろうって、心配していたわ。ただより高い物はないと言う
じゃないの」
 憎まれ口を叩いたのは白沼。今の時季、家族で海外旅行を恒例としてきた白
沼にとって、国内の地方の、あまり知られていない温泉地に足を向けるのは、
初めての経験に等しい。
 そんな白沼が呼び掛けに応じて参加したのは、一にも二にも、相羽の存在が
大きい。純子と相羽の仲を今では認めているものの、からかい混じりにちょっ
かいは出す、というスタンスだが。今は相羽や勝馬、鳥越ら男子と、白沼に富
井、井口ら女子とで、トランプ遊びに興じている。
「ガイドさん、まさか混浴なんて、ある?」
 唐沢の前に座る町田が、男性ガイドの方を振り返り、ふと思い付いた風に聞
いた。唐沢の幼馴染みで、しょっちゅう口喧嘩をしているが、仲はいい。トラ
ンプ遊びに混じっていないのも、町田が唐沢の何気ない軽口に噛み付いたのが
きっかけだった。
「ございます。ただし、純粋な意味での混浴風呂ではありませんが」
 男性ガイドの保谷(ほや)は、意味ありげな微笑を添えて答えた。声は優し
げでどちらかと言えば女性的。細い垂れ目が、柔和な印象を強くしている。な
のに、背は百九十センチを超えているだろう。こんな人がガイドなら、どこか
に案内されているとき、万が一はぐれても見付けやすい。
「純粋でないということは不純な……?」
「いえいえ」
 女子高生からの想像力たくましい質問に、ガイドの保谷は微苦笑を隠しきれ
ずに返した。
「混浴風呂の『風呂』の部分が。温水プールのような施設なら、一箇所ありま
すよという意味です」
「要するに、水着を着けて入る温泉てことですか」
 相羽が何やら思い出したように言った。ガイドは「はい」と即答する。
「それで、持って来る物に水着推奨とあったわけかぁ。山奥に向かうのに、ど
うして? 泳げるような湖や川があるんだろうか、でも地図を広げても見当た
らないし……って悩んでしまいました」
「パンフレットに詳細を載せていなかったことは、お詫びします。軽いサプラ
イズのつもりでした。そう、サプライズと言えば、秋祭りに合わせてあの蓮田
秋人を始めとする芸能人の方を呼んでいただけるとかで、組合の皆さんも喜ん
でおりました」
 純子に顔を向けた保谷。純子は慌てて席を離れ、ガイドの隣に立った。
「そのことは、私の力でも何でもなくてですね」
「はい、そのように伺ってはおりましたが、後日、別の話も耳にしました。風
谷美羽様だからこそ、蓮田秋人さんも応じたと」
「――杉本さん、また余計なことを言いました?」
 車内に視線を巡らせ、お目付役のマネージャーを探す。最後部の座席の収ま
っていた杉本は、手を振って反応した。
「隠すようなことじゃないよ。大先輩から好かれている証拠。そのことをそれ
となく広めれば、君の評判も上がるんだし」
「うう、それはそうかもしれませんが、実力もないのに……って、杉本さん、
顔が赤いですよ? まさか、もうお酒?」
「いやノンアルコールしか飲んでない。僕って気分だけで酔えるタイプなんだ
なと、最近気付いたなあ。あはははは」
 普段から調子のよいところのある杉本は、ほろ酔い気分ならぬ気分だけほろ
酔い状態で、拍車が掛かっているようだ。
「お目付役があれで大丈夫なのかいな」
 唐沢が困ったような口ぶりで言った。無論、困ったようなのは口ぶりだけで、
顔を見れば面白がっているのが明白だ。
「じきに到着ですから、ぼちぼち降りる支度をお願いします」
 景色と時計を見てから、ガイドが告げた。最寄り駅で送迎バスに乗り込み、
出発してからすでに十五分は過ぎている。
「距離、結構ありますね」
 町田が率直な感想を述べると、保谷は頭に手をやった。
「ええ……私の立場で言うのも何ですが、交通の便がもう少しよければ申し分
ないんですよね。近頃のお客様は、駅を出てすぐに観光地、ぐらいの手軽さを
お求めのようで」
「時間を無駄にしたくない、という気持ちの表れかもなあ」
 トランプを仕舞いつつ、勝馬が言った。遊びながらも、会話はちゃんと聞い
ていたようだ。
「せめて、駅から宿までのルートに、観光名所というかパワースポットみたい
なとこがあれば、こんな風にトランプで遊んだりしないと思う」
 井口からも遠慮のない意見。ガイドは苦笑交じりに受け止めた。
「滝壺や大岩、神社といった見るべき箇所はいくつかあります。いずれも若干、
道を外れて奥まったところになるので、それらを回るとしたら、チェックイン
後に改めてという形を取っているんですよ」
「ずっと見てた訳じゃないけれど、割といい景色が続いてるように感じたのに」
 これは鳥越。天文部部員とあってか、自然の風景にも関心は強い方と見える。
「きれいな景色と言うだけじゃ、今の時代、弱いのよきっと。ドラマや映画の
ロケ地になった、とかじゃないと」
 富井はそう言うと、純子へと顔を向けた。はしゃいだ調子で続ける。
「ね、純ちゃん。ドラマの出演予定とかは? あったら、ここをロケに推薦し
てあげればいいよ」
「あは、本当に話があれば、そうしたいところだけど」
 あいにく、映像作品に出る話は、ここのところない。以前、しばらく断り続
けたことが影響しているのかもしれない。その上、香村倫の所属プロダクショ
ンが裏で手を回しているなんて噂も。
(さすがにそれはないと思うけど。ああ、でも、ほんと、自然がそのまま残っ
てる。立ち止まって、じっと見続けていたいくらい)
 窓の外を流れる景色は、山も川も、空も緑も、文字通り自然のままにそこに
あって、絵葉書の自然写真に感じるような作り物感はない。
(電柱や電線もほとんどないし。違和感があるのはガードレールだけ。仕方な
いけど)
 そんな風に思いを巡らせる内に、バスはようよう、旅館前に到着した。

 全員の部屋は、二階建ての二階に用意されていた。半分は和室で、半分は洋
室。さらにそれぞれ一人部屋は三つずつ、二人部屋が一つずつという構成。モ
ニターを兼ねているのだから、仕方がない。
「誰がどの部屋にというのは、皆様でご相談の上、決めてくださって結構です。
決まったら、あとで正式に記録します」
 ガイド保谷の言葉に、十名は戸惑った。
「とりあえず……杉本さんは一人部屋でしょ、やっぱり」
 純子が言うと、当事者を除く全員が頷いた。
「確かに。高校生と相部屋になったら、どっちも気まずいな」
「和室と洋室、どっちがいいんですか」
「そりゃあ洋室がいいに決まってる。正直言って、布団が面倒かつ苦手で」
 子供か――と心の中でつっこんだ高校生が複数名いたのは間違いない。
「和洋はどうにでもなるとして、問題は相部屋の方だろ」
 唐沢が皆の顔を窺いながら言った。相羽があとを引き継ぐ。
「同性同士が大原則で、さらに旅館やガイドさんの意向を推し量れば……男同
士と女同士を一部屋ずつ?」
「いえ、気になさる必要はございません。本音は、カップルに使っていただい
て、どのような感想を抱かれるのかを把握したいところですが、未成年の皆さ
んにはそんなことさせられません。させたら、大問題になります」
「ですよね」
 相羽は首肯すると、しばし思案げな表情を覗かせる。そしておもむろに、皆
に聞いた。
「どうしても相部屋はだめだっていう人は?」
「一人じゃないと落ち着かないとか、いびきが凄くて恥ずかしいとか」
 唐沢が余計なことを付け足す。そんな例を出されては、意思表明しにくくな
るじゃないか。事実、誰も希望しない。
 と、そこへ白沼が手を挙げた。
「私、逆に二人部屋でいいわ。ただし、相手は指名させてほしいの」
「決定ってわけじゃないけど、誰と?」
 相羽から問われた白沼は、にっ、と口元だけで笑んでみせると、くるりと向
きを身体の換え、「涼原さんと」と言った。
「え、私?」
「そう。話したいことが色々とあるから。仕事の話もね」
「はあ」
 今回集まった女子の内、白沼とは特に仲がよいとは言えない。悪いわけでも
ないが、純子にとって比較的苦手なタイプだ。でも、直に名指しされると、断
りづらい。
「仕事の話をするのなら、僕が反対する」
 相羽が口を挟んだ。彼氏だからというのではなく、真剣そのもの。
「モニターって言っても、骨休めの旅行なんだよ。仕事を思い出させたり、披
露させたりするようなことはやめよう。――でしょ、杉本マネージャー?」
 相羽が口調を変えて、杉本に話を振る。当の杉本は、己の立場を思い出した
か、「ああ、そうだね。そうだ」と応じた。
 白沼は一瞬、不満そうに唇を噛んだが、すぐに破顔した。
「残念。でも、道理だわ。しょうがない。休ませてあげるためにも、涼原さん
は一人部屋に決定。いいわね?」
 この呼び掛けに「賛成」の声が重なり、純子の部屋が決まった。
(白沼さん……まさか、最初からこうなることを見越して?)
 かようなやり取りを経て、全員の部屋分けが済むと、それぞれ荷物を置いて、
またすぐ食堂に集合。これから昼ごはんである。
 食堂と言っても、合宿所や寮にあるようなただ食事をするための広間ではな
く、ホテル内レストランの趣があった。店内は和のトーンでまとめられていた。
木目調をふんだんに使い、壁には童や玩具を描いた優しい感じの絵をかけ、肩
肘張らずに食事できる雰囲気作りに努めている。
 天ぷらそば膳なるメニューを供され、舌鼓を打つ。ほぼ食べ終わる頃に、ガ
イドの保谷が姿を見せ、今後のスケジュールを話した。
「夕食の夜六時まで、基本はフリーです。ご希望の方は、近隣の名所・パワー
スポット巡りもできます。行かれる方は、午後一時半に、正面玄関にお集まり
ください。地元の方の案内で一時四十分までに出発します。その他のことで、
ご要望や分からない事がございましたら、私の方へ気軽にお声を」
「あの、名所巡りに誰も行かない、なんてことになるのはまずいんでしょうか」
 一番近くにいた純子が、小さく挙手して尋ねた。
「いえ、大丈夫です。村上さんという方が案内してくださるのですが、元々、
近辺の名所を日課で見回りされているんです」
「ゆるい意味で管理人て感じ?」
 町田が言うと、ガイドは苦笑を浮かべながらも、「そのようなところでしょ
う」と追認した。
「風呂の時間は? 決まってるんですか」
 今度は勝馬だ。保谷は小さなメモでも持っているのか、手のひらを一瞥して
から答えた。
「原則的に二十四時間、自由に入れますが、清掃の時間を取る必要があるので、
男湯女湯それぞれ一時間ずつ、入れない時間帯があります。日ごとに時間帯は
変わるので、お手数ですがフロントでお尋ねください、なお、温泉プールは朝
九時から夜六時までとなっています」
「お風呂の話が出たついでに聞いておきたいことが」
 白沼が口を開いた。最前の保谷の言葉は、分からないことがあればその都度
聞いてくれというニュアンスだったはずだが、今が質問タイムになってしまっ
た感がある。
「外湯めぐりはできます? それ以前に、外湯があるのかどうかを伺っていま
せんけれど」
「そうでしたね。はい、ございます。数は多くありませんが、歩いて行ける範
囲に四つ五つ。併せて、宿泊施設の内湯にも、入れるところがあります。詳細
はフロントにある冊子をお手に取ってご覧ください」
 このやり取りに、相羽が「……」と何やら言いたげに口をもごもごさせた。
が、結局言い出さずに終わった。間が空くことなく、次の質問の手が唐沢から
挙がる。
「身もふたもなくなっちゃうかもしれない質問、いいっすか?」
「何でもどうぞ」
「温泉やパワースポット以外の名物や、遊び場って何があります?」
「高校生ぐらいの方が楽しめる、という意味でですよね。ありません。――皆
さん、モニターを兼ねてらっしゃるからぶっちゃけますが、ここは、若い方で
も満喫できる温泉地を目指しています。でも、何らかの付属物で人を集めるの
はなるべく避けたいとの考えだそうですよ」
「じゃあ、温泉プールとやらを派手にバージョンアップするとかもなしかあ」
 どこまで本気なのか、唐沢が勿体なげに言った。保谷は笑みを絶やさず、時
計をちらと見た。
「そろそろお開きにしませんと、楽しむ時間がなくなりますよ? 他に質問が
あれば、その都度という形で、よろしいですか。よろしいですね」
 予定をちょっぴりオーバーして、昼食の時間が終わった。
「で、どうする?」
「完全自由行動でいいんじゃね?」
 相羽が問い、唐沢が答える。
「名所案内はある程度まとまって行かないと」
「そうか。明日もチャンスあるけど、今日、行く奴は?」
 これに対し、富井と井口が顔を見合わせたあと、手を挙げた。
「神社もあるみたいだから、お願いしておきたい」
「へー。何をお願いするの?」
 二人の隣にいた町田が尋ねる。と、富井は頬を少し赤くし、井口は「やだな
ぁ、芙美」と言葉を濁す。
 その反応で町田は察しが付いたようで、「ははん」と顎を撫でる。
「おおかた、彼氏ができますように、でしょ?」
 はっきり口に出したのは、白沼。
 ずばり指摘された富井達は、図星だったようで、「ううー、白沼さんの意地
悪!」「ほんとほんと。昔と変わってない」と口々に反発した。
「待ってよ。私も仲間みたいなものなんだから。というより、できあがってい
るカップルなんて、この中に一組しかないでしょ」
 白沼の発言により、視線は純子と相羽に集中した。純子は顔が火照るのを感
じつつ、逃げ道を探す。
「えっと、芙美は、唐――」
「ないない」
 町田は純子のそばに飛んできて、先を言わさぬようにした。唐沢との仲は進
展していないと見える。
「じゃ、僕ら以外の全員、参拝する? その間、何をしようか悩むな……」
 相羽はそう言うと、芝居がかった態度で腕を組み、小首を傾げて見せた。
「悩む必要はないぞ。俺は辛気くさいところは苦手だから、パワースポット巡
りは今日も明日もパスだ」
「ふむ。それじゃ参考にするから、何をしたいか言ってみてくれ」
「そりゃあ、プールだろ」
 唐沢の即答に、相羽は今度は本当に首を傾げた。
「どうして、『そりゃあ』なんだ? 今日が特に暑いなら分かるけれど、避暑
地だからむしろ涼しいくらい」
「温泉が嫌って程あるんだろ。最初に温泉プールに入っておかないと、入る気
が起きなくなるかもしれん」
「凄い理屈だな」
 相羽の評価に、唐沢は本人も自覚があるのか苦笑いを浮かべた。
「あとは察しろ」
「まあ、折角、用意してきたんだし、温泉の前に入ってもいいかな」
 相羽は純子に顔を向けた。目で、「君は?」と聞いている。
「私もそうしたいけど……一人じゃ無理。女子で道連れになってくれる人は?」
 と、町田を始めとする四人の友達を振り返る。
「うーん、どうしよう……」
「私らは名所巡りでいいよ。だって……」
 富井が純子にじと目を合わせてきた。その視線を、頭のてっぺんからつま先
まで動かす。
「スタイル比べられたら、たまらない!」
「そ、そんなことないって」
 純子はそう答えたが、第三者的には説得力を欠く。モデルをやっているだけ
あって、スタイルのよさはずば抜けている(除くバスト)。対抗できるのは、
白沼でやっと。その白沼が言った。
「うだうだやってると、本当に時間がもったいないわ。プールは私が付き合う
から、さっさと決めましょ」
 鶴の一声ではないが、これをきっかけに、ぱたぱたと決まった。富井と井口、
それに杉本と鳥越が名所巡り組。残る六人がプール組となった。

――つづく




#466/598 ●長編    *** コメント #465 ***
★タイトル (AZA     )  14/10/18  00:03  (283)
お題>行楽>そばいる(後)   寺嶋公香
★内容

 温水プールは建物の中にあった。でも、天井がガラス張りなので、太陽の光
がどんどん降り注ぐ。室温は、外よりも暑くなっているかもしれない。事実、
今日の水温設定は温水レベルではないようだった。
「温泉地の温水プールだから、期待していなかったけどさ」
 勝馬が湯船に浸かり、基、プール槽に入ったところで言った。屋内施設を見
回しながら続ける。
「銭湯っぽいのに、滑り台があるのはミスマッチだけど、面白いかも」
 彼の言う通り、片隅には滑り台があった。無論、大きな物ではない。高さは
公園に設定されているのと同等ぐらいだろう。ただし、滑る長さは結構ある。
目算で、約十五メートル。それにしては傾斜が緩やかだが、表面を水が激しく
流れており、この水流に乗ればそこそこスピードが出そうだ。
「貸し切り状態だし、今の内にばかみたいに滑っておくか」
 早速、唐沢が滑り台に向かった。途端に、「お!?」と声を上げる。滑り台
の向こうに何か見付けたようだ。
「何かあった?」
「ボールをいっぱい浮かべたプールがある。――浅い。幼児用かな。おっ。こ
の滑り台、プラスチックかゴムみたいな感触だ」
「怪我防止だろうね」
 相羽はそう意見を述べると、意識的に呼吸して、胸を膨らませた。それから
少し息を吐き、五十メートルプールの端から、クロールでゆっくりと泳ぎ出す。
勝馬も平泳ぎで続いた。
「女子、遅いな〜」
 勝馬の呟きに、唐沢は「予想できたが確かに」と応えてから、滑り台使用第
一号になる。
「お、わ」
 意味のない言葉を残し、滑っていく。思った以上に速い。あっという間に飛
び出し口に達し、さらに水の中を流される。
「――はは、こりゃいい。意外と迫力あった。まるで花屋敷のジェットコース
ターだ」
「まじ? 俺もやる」
 途中で泳ぎをやめ、引き返す勝馬。相羽は五十メートルを泳ぎ切ってから、
滑り台の方を振り向いた。
 滑ってきた勝馬と、待ち構える唐沢がぶつかりそうなのを、どうにか回避し
ていた。それだけでも危うい感じがなくもないが、次に唐沢が、立ったまま滑
ろうとするのを見て、相羽はつい声を上げた。
「おまえら、怪我するなよっ」
「大丈夫だって。擦り傷ぐらいはあるかもだが、怪我の内に入らん」
「……言いたくないけど、招待されて来てることを忘れずに」
 相羽がことさら真面目な調子で注意すると、唐沢と勝馬は目を見合わせた。
「ふむ。涼原さんに迷惑を掛けることになるかもしれないってか」
「それは本意ではないな」
 急に大人しくなる二人を目の当たりにして、相羽は急いで付け足した。
「ほどよいところで頼むってこと。万が一、その滑り台を普通に使って事故が
起きやすいのなら、それを伝えた方がためになるだろうし」
 そうして、折り返しを泳ぎ始める。今度は全力でバタフライだ。
 元いた地点に着くと、唐沢の姿がない。勝馬に聞くと、「ボールを拾ってる」
という返事。
「幼児用プールのボール? どうする気なんだ」
 上がろうと、プールサイドに腕をついて力を入れる。水から下半身を引き抜
いた瞬間、頭に極々軽い衝撃が。
「あ」
 再び水中に没してしまった。水面を見上げると、赤や黄色のボールが浮かん
でいた。
「投げるの禁止――ってなってないか?」
 怒鳴ろうとして、途中でやめた。全然痛くなかったし、プール施設に使われ
ている物で、ボールが当たって壊れそうな物は見当たらない。ガラスも強化タ
イプだ。
「ええっと、あ、あった。こっちのプールだけでお使いください、だってさ」
「やっぱり、投げるなよ」
 ボール二つを拾って、改めてプールから上がる。幼児用プールにボールを戻
したところで、ドアの向こうより黄色い声が流れ込んできた。磨りガラス越し
なのではっきりとは見えないが、女子三人が来たのは間違いない。
「さっすが、涼原さん。悔しいけど負けるわ」
 白沼の声。珍しく、素直に純子を誉めている模様。さらに感想が続く。
「それにしても昔に比べて、随分大胆になったわねえ。芸能界にいると変わる
のかしら?」
 これに被せるようにして、町田の声が一際大きく聞こえた。
「ほんとほんと。まさか、純子が貝がらの水着だなんて! いやーびっくりだ
わ」
 え。
 ガラス戸のこちら側にいた男子三人は、耳を疑い、それから次に互いの顔を
見た。
 否、見合わせたのは相羽と勝馬だけ。唐沢はドアの方に走り出していた。滑
って転ばないように、よちよちとペンギンみたいな走りだが。
 今この瞬間の、男子三人それぞれの脳内を記してみると、次のようになるだ
ろう。
  何が何だか分からないけど想像してどぎまぎ――勝馬。
  想像してみて本当のところを察した――相羽。
  とにかく一刻も早く見てみたい――唐沢。
 本能のままに動いた唐沢が辿り着くよりも早く、ドアは横にスライドした。
思わず、バランスを崩しそうになる唐沢だったが、中腰でどうにか踏ん張った。
 そこへ、町田と白沼に押されるようにして、純子が銭湯で入ってくる。
「――あれ?」
 床に向いていた目線を起こした唐沢は、意味が理解できず、ぽかんとした。
 純子が着ていたのは、白地に何か細かなデザインを施したワンピースの水着
だった。
「……唐沢君」
 純子は口元を覆った。明らかに、笑いを堪えていた。
「あーあ、予想通りの行動取ってくれちゃって」
 あとから来た町田も、呆れつつも笑っている。彼女の水着は、遠目には黒に
見える、深緑のワンピース。ショルダーの小さなフリルがアクセントだ。
 その左隣に立つ白沼は腰に両手首を当て、これ見よがしに嘆息した。ちなみ
に水着はやはりワンピースで、斜めのラインで区切って水色とピンクを配して
いる。先の二人に比べると、胸元や背中のカットが大胆である。
「唐沢君、あなたが町田さんにどれだけ知られているかが、ようく分かったわ」
「えーと。いっぺんに色々言われても、こっちは何が何やらさっぱり。まずは
……すっずはらさん! その水着、どうしたのさ?」
「え、これ。この夏用に買ったんだけど、似合わない?」
「いや、似合うけど。じゃなくて、さっき、芙美のやつが貝殻って。――まさ
かおまえ、俺をだますために嘘を?」
 話す相手を町田に転じ、唐沢は声を荒げた。しかし、町田は涼しい顔だ。
「嘘なんてついてませんよーだ」
 舌先を覗かせ、きつく言い返す。唐沢がさらに言い返そうとしたところで、
相羽が助け船?を出した。
「唐沢の早とちりだよ。今回は負けをさっさと認めて、白旗を掲げないと。傷
口が広がる」
「ど、どういう意味だ?」
「町田さんは『貝がらの水着』とは言った。でも、『貝殻』じゃあないってこ
と」
「ん?」
 相羽の説明を音声で聞いても、一発で理解するのは難しい。
「純子ちゃんの水着をよく見れば分かる……あんまりじろじろ見てほしくない
が」
 後半は小声でぼそっと付け足す。
 ともかく、言われた通り、唐沢はじーっと目を細め、純子の水着をよく見た。
そして不意に声を上げた。
「あ! 貝の柄ってか!」
 手のひらを額に当て、絵に描いたような「やられた」ポーズを取った。と、
やおら、お腹を抱えて笑い出した。
「参った、参りました。よく考え付くな〜。まさか、このためだけに、涼原さ
んにこの水着を持ってこさせたんじゃないだろ?」
「ばかね、そこまで用意周到じゃないわよ。さっき見て、思い付いたの」
「だよな。それに引っ掛かるなんて、俺の立場が」
 頭を抱えてみせる唐沢に、白沼が追い打ちを掛けた。
「立場というより、性格でしょうね」
 さて、唐沢達のやり取りは放って、相羽は純子に歩み寄り、手をさしのべた。
 純子も手を出しつつ、「ど、どうかな、この水着」と聞いてみた。
「似合ってる。すぐにでも一緒に泳ぎたい」
「よかった」
 ほっとして、胸をなで下ろす。そのとき、相羽が「でもその前に」と言った。
「?」
「準備運動、付き合うよ」
 相羽は純子の手を引き、まだわいわいやっている町田や唐沢達から距離を取
った。

 心地よい疲労感がある。身を委ねると、そのまま眠ってしまいそう。
「いただきます」
 みんなのかけ声で、純子は睡魔の深淵から引き戻された。遅れて「いただき
ます」と唱え、箸と茶碗を手に取る。
 夕食の席は、高校生だけによる女五対男四で、長テーブルに着いた。一人欠
けたフィーリングカップル番組状態だ。杉本とガイドの保谷は、別のテーブル
で摂る。彼らはアルコール込みだ。
(うん、おいしい。でも眠いなぁ)
 仕事明けのせいか、疲れが溜まっている。あまり意識していなかったが、プ
ールで遊んだあと、今や明確な自覚があった。寝ていいよと言われたらいつで
もどこでも眠れる。食事は焼きしゃぶがメインディッシュで、自分で焼く必要
があるのだが、最初の一切れを焼いて口に運んだきりになっていた。他のおか
ずとご飯を、自動的めいた動作で交互に食べてる。
「もー、純ちゃん危ないよ。顔焼いちゃうよ」
 隣の席の富井が甲高い声で注意してくれて、目がぱっちり開く。顔を焼くは
さすがに大げさだが、熱を頬で感じた。
 反対の隣側からは、二本の腕が伸びてきている。見ると、井口が、万が一に
備えて支えようとしてくれていた。
「ご、ごめん。ありがとう。もう大丈夫」
 頭をぶるぶる振って、がんばって目を開ける。箸を持ったまま、ぎゅっと握
り拳を作った。
「さっきから、頭が揺れてたよ。無理しない方が」
 町田からも心配げな声を掛けられた。彼女の正面に座る唐沢が言葉をつなぐ。
「そうそう。眠たいなら、部屋できっちり寝ればいい。食事はあとでも食べら
れるだろ、多分」
「でもこのあと、余興が用意されてるって」
 ガイドの説明によると、パフォーマー二名を呼んでいるそうだ。ともに地元
縁の人だが、活動拠点は東京で、故に今日は余興のために来たことになる。
「――相羽君。この頑固な主賓さんには、あなたが言わないとだめみたいよ」
 白沼が唐突に相羽の名を呼んだ。目をしばたたかせ、暫時、戸惑った相羽だ
ったが、すぐに察した。音を立てて椅子から離れると、長テーブルをぐるりと
回って、純子のところへ来た。
「行こう。拒むのなら――お姫様だっこしてでも連れて行く」
「……うん」
 人の目がなければだっこもいいかも。そんな想いがよぎったのは内緒だ。純
子は立ち上がると、マネージャーの杉本に一言断ってから、相羽と一緒に食堂
を出た。

「眠気の他には、何もない? だるさや頭痛、のど痛とか」
「うん、平気」
 不思議なもので、部屋に戻り、布団に入って落ち着くと、眠気が和らいだよ
うだ。しっかり覚醒したとまでは行かなくても、このまま残されるのは寂しく
感じる。
「電気はどうしようか?」
 電灯のスイッチである紐に指を掛けた相羽。その顔を、純子は下から見つめ
る格好になる。
「点けたままで、しばらくいてほしい……」
「いていいの?」
「話し相手になってほしい。その内寝たら――ごめんなさい」
 口元を薄手の毛布で隠し、お願いをする純子。
「お安いご用。眠るところを見届けた方が、安心できるし」
「……私が寝たら、すぐに出て」
「はいはい」
 返事は素直だが、表情がわずかに笑っているように見えて、不安に駆られる。
だが、気にしてもどうしようもない。
「どんな話をご所望ですか、お姫様」
「だからお姫様じゃないってば。……みんな、楽しんでるかな?」
「と思うよ。プールはあの通りだったし、名所巡りの方も、満足していたみた
いだった。富井さんや井口さんだけじゃなく、鳥越も天文に関係のある史跡を
見ることができたとかで、喜んでいた」
「それなら……よかった」
「他人の反応を気にするの、ほどほどにしないと、精神的に疲れるでしょ」
「そんなことないと思ってたけど、今の状況じゃ言えないなぁ」
 毛布を被ったまま、純子は大きくのびをした。所々、こっている気がする。
「骨休めに来て、心配掛けて、ごめんね」
「謝ることじゃないからさ。一生懸命、骨休めしなよ。この機会を逃したら、
また忙しくなるんだろ」
「そうする」
「……僕がいない場でも、周りの人の言うことをよく聞いて、よく考えて判断
する。がんばりすぎない。いい?」
「……はい」
 かみしめるような返事になったのには、わけがある。思い出してしまったか
ら。この旅行の間くらい忘れていようと努めていたし、他のみんなも触れない
でいた。が、当の相羽からそれを示唆するような話をされては、思い起こさず
にいられない。
(留学、するんだよね、もうすぐ)
 旅行から帰れば、準備に追われる時期に入る。無理をして旅行に参加したの
は、相羽も同じかもしれない。
「あは」
 多少、努力して笑顔を作った純子。相羽が不思議そうに、どうかしたの?と
尋ねてくる。覗き込もうとする相手に、純子は笑みを保ったまま答えた。
「最後の言葉はそっくりそのまま、相羽君に言いたいわ。がんばりすぎないで」
「うん。じゃあ、がんばるとするよ」
 相羽も同じ笑みで返した。

 目が覚めると、午後七時四十五分だった。相羽とのおしゃべりを差し引いて、
多分一時間強、眠ったことになる。お腹の空き具合は微妙だったが、余興のこ
とを思い出し、食堂に向かう。近付くにつれ、にぎやかさが増す。歓声だ。ま
だ余興は終わっていないらしい。
 邪魔にならないよう、そろりそろりとドアを開け、途中で止める。様子を窺
うと、食堂の上手にちょっとしたステージがこしらえられ、そこで若そうだが
白髪だか銀髪をした男性が、マジックらしき出し物を演じているのが見えた。
かなり巧みなようで、みんな集中して見ている。
 どうしよう。一区切り着くまで、ここで待っていようか。そんなことを考え
ていると、
「――ほ?」
 いきなり目の前に現れたのはピエロ。クラウンと表現すべきか。「ほ」の発
音の口をしたまま、純子をじろじろ、オーバーなジェスチャーで上から下から
観察する。
 この人がもう一人のパフォーマーなんだとは見当がついたものの、どうして
いいのやら分からない。戸惑っていると、手を引かれた。赤い白粉で分厚い唇
を描いたクラウンは「しーしー」と発声して、マジシャンを含めたみんなを注
目させた。
「お。おはよう」
「早く見なよ。結構凄いから」
 友達はそう言うのだが、クラウンが手を離してくれない。あれよあれよと、
押し出されるようにして舞台へ。
「遅刻した罰として、お手伝いをお願いします」
 デリー飯富(いいとみ)と自己紹介したマジシャンは、ダンディな声で告げ
た。そこから三連続でカードマジックの手伝いをしたのだが、確かに凄いレベ
ルだった。トランプにした自分のサインが自在に動いて、こすり合わせた別の
カードに移る。サインしたカードをトランプの山に入れてどこにあるか分から
なくしても、一枚選べば必ずそのサインカードが出てくる。そして、サインし
たカードが消えたかと思うと、密閉したボトルの中に現れてフィニッシュ。
「お礼にそのボトルは差し上げます。あ、種が気になると思いますが、中身は
お酒なので、開けるのは大人になってからにしてください」
 両手に収まるサイズの角瓶と、マジシャンの顔を交互に見ながら、純子は礼
を述べた。
 これで解放されるかと思ったら、クラウンに制された。まだ緊張を解いては
いけないらしい。
 クラウンはジェスチャーで、腕時計を見る仕種を繰り返す。
 するとマジシャンの飯富が、ぽんと手を打ち、「忘れるところでした。杉本
さんからお借りしたままの腕時計をお返ししなければ」と言う。純子を除いた
観客は全員、状況を理解している。恐らく、杉本から腕時計を貸りて何らかの
マジックをやり、時計がどこかへ行ってしまっているのだ。それをこれから出
現させようということに違いない。
「どうやら、杉本さんの腕時計はマネージャーの魂が乗り移ったようですね。
タレントさんが心配で、部屋まで様子を見に行っていたようですよ」
 そんな口上から、飯富は純子からボトルを一旦預かると、左肩に手を乗せて
きた。
「すみませんが、腕をゆっくりと持ち上げてもらえますか。皆さんに、左手首
がよく見えるように」
「――えっ、これ」
 薄手のカーディガンの袖をまくると、腕時計が填めてあった。
「全然気付いてなかった?」
「は、はい」
「いいマネージャーさんですね。あなたのことを常に見守っている。あ、あな
たの年頃なら、彼氏さんの方がいいでしょうかね」
「それは……」
「ま、腕時計は杉本さんに返してあげてくださいね」
 促されて、腕時計を外す。すると。
「これ……シール?」
 文字盤の裏に、黄色地のシールが貼ってあり、そこには相羽の文字でこう書
いてあった。
<僕が一番近く、そばにいるから>

――おわり




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