AWC 土と士 <上>  永山



#463/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  14/09/28  23:32  (396)
土と士 <上>  永山
★内容                                         16/12/07 04:31 修正 第3版
 夜、辺りには街灯もなく、暗がりばかりが広がっていた。
 昨日から両親が旅行に出て、こちらとしてはしばらく一人暮らしで、自由を
満喫できる。開放感に浸っていた。そこに緩みがあったのかもしれない。
 相手の存在に気付いたときには、すでに遅かった。「あ!」と叫ぶのが精一
杯で、僕・百田充は頭部に受けた衝撃を痛みに変換して感じる間もなく、倒れ
てしまった。
 アスファルトが頬に触れる。昼間の日光から蓄えた熱をまだ残していて、冷
たくはなかった。あちこちに擦り傷切り傷ができたと思うが、状況はそれどこ
ろではない。手足を突き出すように動かし、必死に抵抗する。
 相手は二人いるようだ。ただ、暴力を振るってくるのは一人だけ。もう一人
は……塀際に立ってこちらを見ている。
 抵抗虚しく僕は胸ぐらを掴まれ、引き起こされた。身体が云うことを聞かな
い。動かなくなる。電気ショックか薬物でも与えられたみたいだ。
 十文字先輩のことを、名探偵にしては武術の心得が不充分だなんだと評して
いたけれど、襲われたそのときになって初めて分かる。仮に技術を身に付けて
いても、簡単には力を発揮できまい。
 どうして襲われたのか、相手は何者なのか、さっぱり分からぬまま、いよい
よ危険な状態に――と感じた矢先、光が僕のいる位置を照らす。車かバイクの
ヘッドライトか? それよりも、助かったのか?
 僕は希望を見出したおかげで、最後の力を振り絞れた。

           *           *

「想像はしていたが……凄い包帯だな。顔の三分の一ぐらいが隠れているぞ」
 十文字先輩は驚きを新たにしたように、事実をそのまま指摘した。
 襲撃事件の三日。僕は動けるようになった。簡単な手術を受け、身も心も一
新できたように感じる。
 最初の探偵作業が、瀧村清治殺しの一件だった。ワトソン役が動けない間に、
瀧村の住所が分かったというので、今日は呼び出しに応じた次第である。ちな
みに場所は、七日市学園のカフェテラス。空いているときなら、特に何も注文
しなくても、だべっていられる。聴衆は僕一人きりだ。
 警察の発表によれば、瀧村清治は東京と埼玉の境に位置するマジックショッ
プ、その二階に住み込みの定員として居着いていたという。
 店のオーナーは七十過ぎの女性で、店は元々、夫が切り盛りしていた。マジ
ックに詳しい夫に先立たれたあとは、惰性で続けていたが、女性本人はマジッ
クについて知識も伝も乏しい。足を悪くしたのを機に、店を閉じようかと考え
始めていたところへ、瀧村が客として現れた。じきに、なんやかやと手伝って
くれるようになり、安月給でもいいから雇ってほしいと頼まれたことで、住ま
わせるようになったという。
 警察によって瀧村の部屋の捜索が行われ、結果、いくつかの興味深い物が見
付かった。
 一つは、犯行計画書。そう銘打たれていた訳ではないが、瀧村の犯行の青写
真と呼べる物が、ノートに文章として残されていた。それによると、大下俊幸
並びに菱川邦義を殺害し、密室殺人に仕立てることで、高校生探偵・十文字龍
太郎に挑戦し、罠に填めようと目論んでいた――と読めた。
 二つ目は、ある機械工具を購入した痕跡が見付かったこと。瀧村は死亡する
ちょうど二週間前に、ハンディタイプのコンプレッサーを手に入れていた。持
ち運びできるサイズで、細い管が付いている。ただ、部屋のどこにも現物は見
当たらなかった。店の女性オーナーには新しく考案したマジックを実現するた
めに狩ったと云っていたらしいが、もしかすると殺人トリックに使うつもりで
いたのかもしれない。
 最後の三つ目は、瀧村が他の殺人犯数名と知り合いだったらしいこと。その
中には、今春に起きた通り魔事件の犯人も含まれていた。瀧村が誘拐犯である
大下俊幸の居所を突き止められたのも、犯罪者間のコネクションを利したもの
と、警察では推定していた。
「想像を逞しくするに……」
 これらの情報を得た上で、十文字先輩はある推理を組み立て、語り始めた。
「瀧村は、他の殺人鬼達とグループを形成していたんじゃないだろうか。それ
も、密室等のトリックに拘った遊戯的な殺人や、殺したいから殺すといった無
差別殺人を好むグループを」
「そいつらが集団で、犯行を?」
 僕は合いの手代わりに質問を差し挟む。待っていたかのように、すぐさま返
事がある。
「その可能性は低いと思う。二名程度の共犯ならあるかもしれないが、基本的
に単独で殺人をなしていたんじゃないかな。グループといってもつながりは緩
やかなもので、司直の手から逃れるための情報交換が最大の目的だろうと想像
している。もう少し推し進めると、連中は互いに競っているのかもしれない」
「競うって、殺人をですか」
「そう考えれば、辻褄が合う気がしないかね? 我が七日市学園で起きた万丈
目先生殺害事件やこの前の瀧村が殺された件は、殺人コンテストで最下位にな
った者が、罰として消されて行っている、と」
「まさか。極端すぎますよ」
 笑って否定したつもりだったが、一蹴するには引っ掛かりを覚える説でもあ
る。僕は迷いながらも、先輩の説の否定を続けてみる。
「始末して行ってるんだとしたら、その殺し自体、同じグループの仕業なんで
すよね? だったら、もっと殺し方を工夫するんじゃないでしょうか。実際は
死体の状態こそ派手な部分もありましたけど、殺し方や状況は割とあっさりし
ていて、遊戯的殺人、純粋殺人らしくないというか」
「なるほど。尤もな見方だ。瀧村なんか、次の密室殺人をやろうとしていると
ころを、殺された風だった。まるで、コンテストの途中で邪魔されたかのよう
に。この違和感は、最初の前提を誤りと認めれば解消できる」
「仲間内で殺し合ったんじゃないとしたら、瀧村殺害犯は一体何者なんでしょ
う? 殺人鬼を殺せるような奴って、普通じゃないですよ」
「根拠に欠けるが、仮説ならいくつか浮かんでいる。たとえば、正義の味方だ」
「え?」
 いきなり飛び出した単語に、僕は反射的に聞き返していた。先輩はにやにや
笑って、補足する。
「天に代わって悪を討つ、というあれだよ。警察が捕まえられないでいる殺人
犯を見つけ出し、私的に制裁しているのかもしれない」
「警察を上回る捜査能力がないと、そんなことは不可能では。仮にそれをクリ
アしても、自らの手で殺す必要はないじゃありませんか。瀧村のような遊戯的
殺人者で、多人数の犠牲者を出している輩なら、司法に裁きを委ねても、現行
法では死刑判決が下る可能性は非常に高いはずです」
「確かにね。そう簡単に割り切れない心理というのも想定できるが、とりあえ
ず、脇に置くとしよう。正義の味方でないのなら、考えられるのは……近親憎
悪的な動機かな。似たような殺人集団が存在しており、瀧村達のグループを目
障りに感じ、一人ずつ始末している、とか」
「ますますなさそうな仮説だと思いますが、認めるとしても、矢張りおかしい
ですよ。遊戯的殺人グループのライバル集団なら、殺し方も同じく遊戯的でな
いと話が合いません」
「ふむ。一理ある。なら、こう考えてはどうだろう? 遊戯的殺人を好まない
殺人者が存在する、と」
「つまり、主義主張の違いで、二つのグループが殺し合っているという説です
か」
「厳密に云えば、グループ対個人でも成立するさ。遊戯的殺人のグループを、
一人の殺人者が狙う構図だ」
「辻褄は合いますね、一応」
「遊戯的殺人を認めない殺人者ということは、真面目な殺人を奨励しているこ
とになるな。ははは」
 冗談めかし、笑い声を立てる十文字先輩。僕もつられて笑ったが、相手の表
情が意外と真剣なままなので、慌てて引っ込めた。
「どうしたんですか?」
「いや……真面目な殺人、殺人に真摯に取り組む人種がいるとすれば、それは
殺し屋なんじゃないかと思ってね」
「殺し屋」
 口に出しても実感が湧かない。黒尽くめの服装に黒サングラスを掛け、ライ
フルを構える絵面が浮かぶだけだ。
「ビジネスで殺人を請け負うって意味ですよね、殺し屋って」
「そうなるだろうね」
「そんな殺し屋集団がいたとして、報酬もなしに、ただただ主義主張が違うか
らという理由で、遊戯的殺人犯を殺すものでしょうか。殺し屋らしくないって
いうか……」
「報酬を得ているのだとしたら、おかしくない。飽くまで殺し屋としての仕事
の一環でね。こう考えてくると、瀧村殺しの件で、コンプレッサーが彼の周辺
から消えていることも、何となく分かる気がする」
 こっちはちっとも分からない。首を捻る僕に、先輩は考えをまとめるためか、
少し間を取ってから答えた。
「僕らは、瀧村はホテルで密室殺人を演出する予定だったと推測した。それが
正しいとして、ではどうやって浴室を密室にするつもりだったのか。ハンディ
タイプのコンプレッサーを現場に持ち込み、何らかの形で使うつもりだったの
ではないか。しかし現実には、浴室はもちろんのこと、現場のどこも密室状態
ではなかった。密室が作られる前に、瀧村殺害犯が瀧村を殺したからだろう。
そして恐らく、犯人は瀧村の意図に気付いたんじゃないだろうか。コンプレッ
サーをどう使えば密室を作れるかと。その上で、意趣返しと云えばいいいのか
な、コンプレッサーを使って、瀧村を死に至らしめた」
「え? 意味が飲み込めませんが」
「瀧村の死因を思い出してくれたまえ。血管に空気を注射されたせいだったろ
う。コンプレッサーを使えば、死に至る塞栓を生むに充分な空気を、血管に送
り込めるんじゃないかな。無論、挿入口に工夫は必要だろうが、元々、瀧村自
身が用意していた可能性がある」
「つまり、瀧村案出の密室トリックにコンプレッサーを用いる場合と、犯人が
瀧村を殺害した方法には大差がない。応用可能な関係にあると」
「方法は同じだが目に見える現象が異なる、というやつだ。具体的にはまだ不
明だが。話は前後するけれども、今云った説に沿うと、犯人は瀧村を葬ったあ
と、コンプレッサーを持ち去った訳だが、僕はそこに密室殺人なんてさせない
という意志を感じるんだよ。これもまた、遊戯的殺人を忌避する、殺しを生業
とする者の姿と重なる。そう思わないか?」
 全体を俯瞰すれば絵空事の域を出ていない気がする。だが、各部分に焦点を
当てれば、それなりに説得力がある推理だと感じたのも確かだ。
「残念ながら、瀧村が密室トリックにコンプレッサーを具体的にどう使うつも
りだったかまでは、想像が付かない。浴室に通じるドアは、下部に幅三センチ
程だろうか、それなりに大きな隙間があった。そこからコンプレッサーの管を
通すんじゃないかとは思うんだが。
 まあ、密室に関しては一旦置くとしよう。実際には作られなかった密室のト
リックを、あれやこれやと論じるのは、楽しいかもしれないが、建設的ではな
い。僕が今一番気になるのは、この犯人が、我が校の関係者である可能性が高
いということだよ」
「ああ、それですか」
 四月、辻斬り殺人を重ねていた万丈目先生を校内のロッカーに押し込める形
で殺害。八月、ホテルの浴室で人を殺したばかりの瀧村を殺害。この二件が同
一人物の仕業とすれば、相当な奴だ。殺すための戦闘力だけでなく、精神力・
胆力においても。そんな輩が、高校の関係者だなんて、俄には信じがたい。
「さっき推理したように、殺しのプロなら、殺人犯を相手に易々と殺害に成功
していることも合点がいく。そんな恐るべき犯罪者が、七日市学園内に本当に
いるとすれば、脅威以外の何ものでもない。しかも、少し前に一ノ瀬君が指摘
したように、学校関係者の中でも生徒である可能性が一番高い。我々の考察が
的を射ているのなら、殺人犯は今まで尻尾をちらとも見せず、学園生活に完全
に溶け込んでいる訳だ。全く、恐るべき相手だよ」
 僕も同意しかけたそのとき、後方から、十文字先輩に声が飛んだ。
「ここにいたの! 探したんだから」
 五代春季先輩だ。結構なスピードで駆け寄ってきたが、息一つ乱していない。
流石、女子柔道期待の星、といったところか。
「普通なら捜査の情報を簡単に漏らしたりしないんだけど、今回は特別よ。ひ
ょっとしたら身の安全に関わるかもしれないんだから」
 急ぎの用事が他にあるのか、用件そのものが緊急事態なのか、五代先輩はい
きなり捲し立てるように話し始めた。
「感謝する。聞こう」
 慣れた調子で応じた十文字先輩。
「死んだ瀧村の身辺を洗っていたら、意外な人物との交流が明らかになったわ。
針生早惠子さんとつながりがあったみたいよ」
 その名前を耳にした途端、十文字先輩はがたんと音を立て、立ち上がった。

 針生早惠子さんは、十文字先輩から見て一つ年上で、他校――美馬篠高校の
三年生だ。彼女の弟である針生徹平と十文字先輩がパズルを通してのライバル
だったことから、先輩と早惠子さんも顔見知りである。先輩は早惠子さんを好
ましい存在と見なしている節が窺われるけれども、深い関係という訳じゃあな
い(多分)。ここしばらくは疎遠になっている。早惠子さんが進学に向けて暇
がなくなったこともあるだろうが、ある事件により、針生徹平が命を落とした
のが大きいように思う。
 その後に起きた別の事件では、先輩は黒幕が早惠子さんではないかと疑った
みたいだが、結果的に空振りに終わっている。
「つながりとはどんな?」
「彼女の弟が、手品道具を瀧村の店で購入した履歴が見付かって、その線から、
どうやら姉弟ともに瀧村と面識があったようよ」
 針生徹平はパズルの他にマジックも趣味としており、学校で奇術倶楽部の手
伝いをすることも多々あった。
「単に、店員と客の関係じゃないのかい?」
「詳しくはまだ分からない。でも、名前が挙がるからには、何らかの根拠があ
るんだと思うわ。信じられなくても無理ないけど」
「いや、信じる。だが、信じるのは警察の捜査の段取りであって、そのことと
早惠子さんが犯人かどうかは別問題だ。今現在は単なる参考人、せいぜい容疑
者候補の一人に過ぎまい」
 これには五代先輩、「へぇ〜」と感心したような声を漏らした。両肩を上下
させ、息を吐く。
「とにかく、これは忠告のための情報なんだからね。万が一にも早惠子さんが
何らかの犯罪に手を染めているとしたら、あなたにも危害を及ぼす可能性があ
るということ。念頭に置いて、気を付けて。いつもいつも、ボディガードをし
てあげられないから」
「了解。注意するよ」
 十文字先輩が真摯な口ぶりで確約すると、五代先輩は一つ頷き、来たときと
同じように急ぎ足で退出した。
 その姿が視界から消えるのを待って、僕は聞いた。
「他の誰かに、また護衛を頼むんですか」
「そのつもりはないよ」
 先輩は即答した。椅子に座り直し、続けて喋る。
「そもそもだ、瀧村殺害犯が僕に私怨を抱いているとは思えない。この事件の
動機は、さっき見立てたように、殺人者同士の争いだと睨んでいる。僕に危害
を加えたいのなら、瀧村殺害時にいくらでもやりようがあっただろう。僕に濡
れ衣を着せることも、できたはずだ。だが、現実にはそうなっていない。ひょ
っとしたら、感謝さえしてるかもしれない。瀧村が僕に接触してきたおかげで、
犯人は瀧村の動向を掴めたかもしれないからね。よって、犯人がどこの誰であ
ろうと、僕を襲う気はないんだろう。少なくとも、今のところは」
「じゃあ、どうするんです? 犯人捜しはやめておきますか。先輩が何もしな
ければ、犯人だって動かないでしょうし」
「それは云い過ぎだ。かつ、楽観的に過ぎるな。僕の動きと無関係に、犯人は
次の行動に出るかもしれないじゃないか。世間には、遊戯的殺人者がまだまだ
大勢いるようだからね」
「ということは……」
 嫌な予感を抱きつつも、聞かずにはいられない。
「針生早惠子に会いに行く」
 宣言した高校生探偵は、口元を微かに上向きにしていた。
 十文字先輩がこの人の名を呼び捨てにするのは、初めてかもしれない。

 先輩は早速行動に移った。九月最初の金曜夕方、十文字先輩と僕は、線香を
上げる名目で、針生家を訪れた。
「――久しぶりね」
 そう出迎えてくれた早惠子さんは、存外、明るい口調だった。こちらに向け
あれた笑顔は決して作り物なんかではなく、晴れやかですらある。
「ライバルだったあなたに来てもらって、徹平も喜ぶと思うわ」
 仏間に通され、線香を上げる。針生徹平の生前をほとんど知らない僕にとっ
ては、第三者としての人並み以上の感慨は湧くはずもない。だから黙祷もすぐ
に終えて目を開けた。右横にいる先輩がまだ続けているのを見て、再び目を閉
じ、しばらく付き合った。
 それが済むと、隣の洋間に移り、お茶と菓子の用意された、四角いテーブル
に着いた。グラスは三つで、菓子は一つの大皿に盛ってある。
「思い出話をするつもりで来たのではないのです」
 僕ら二人とは反対側に座った早惠子さんに対し、最初に釘を刺した先輩。
「そうなの? それは寂しいけれども……かまわないわ。帰る訳でもないよう
だし、何か別の話でも?」
「早惠子さんは先月末日、どこで何をしていたか、覚えています?」
「藪から棒ね。夏休み最後の日は、特にすることもなく、この家にいたと思う
けれど……証人は身内しかいないから、認められないかしら」
「保留としましょう」
「その日、一体何があったの? 十文字君のことだから、また事件絡みなんで
しょう」
「仰る通りです。ある殺人事件の犯人にして、その後殺された男の件を追って
いまして」
「誰かからの依頼?」
「いえ、成り行きで。巻き込まれたからには、最後まで付き合ってやろうと思
いましてね」
 相手を試すつもりなのか、先輩の返答には、少し嘘が含まれていた。瀧村殺
害犯はどうか分からないが、瀧村は先輩への挑戦の意味を込めて、犯罪を行っ
ていた。だったら、先輩も事件の当事者だ。成り行きなんかではない。
「どの事件を示しているのか分からないけれど、私には無関係な話ね。アリバ
イを尋ねるということは、私がその人殺しを殺したと考えているようだけど」
「そこまでは言っていませんよ。話を聴きたいんです。早惠子さんはその人物
と面識があるようなので」
「誰?」
「知り合いの中に、最近亡くなられた方がいるんじゃあ?」
「……心当たりはないわね。本当よ」
 早惠子さんの受け答えに、十文字先輩はとうとうカードを切った。「……瀧
村、ですよ」と絞り出すような声で告げる。
「……瀧村って、マジックショップの?」
「ほら、ご存知だ」
「待って。亡くなったなんて、今初めて聞いた。知らなかったのよ、本当に」
「どの程度の面識があったんですか」
 先輩は早惠子さんの主張を受け流し、質問に入る。
「徹平があの店のお得意さんだった関係で、私も足を運ぶようになった。親切
にしてもらったし、一度、街でばったり会ったときは、喫茶店に入ったことも
あったけれど、それだけ」
「順番に行きましょう。早惠子さん、あなたはマジックに興味はなかったので
は? それなのに、店に行くとは」
「弟の付き添いで行ったらおかしい?」
「高校生になる弟が、ほんの数駅離れたところにある店まで行くのに、姉が付
いていくのは過保護に映りますね」
「思い違いをしてるわ。すでに何度か店に行ったことのある徹平が、私を誘っ
たのよ。『姉さんでもあそこに行けばマジックが好きになるから』と云われて、
一度ぐらいは付き合ってあげようと、行ってみたの。そうしたら、徹平の云っ
た通り、結構はまったわ。でも今は、ね。徹平を思い出し過ぎてしまうから、
マジックの一切合切を遠ざけてる」
「初めてその店に行ったのは、いつでした?」
「私が初めて行ったのは、今年の四月頃だったかしら。弟はもっと前に見付け
て、通っていたようだけれども」
「それじゃあ、ほんの短い間だったんですね、マジックにはまったのは」
「ええ。マジックの名前も種も、ほとんど教えてもらわない内に」
 早惠子さんは思いを凝縮するかのように、語尾の声を小さく低くした。真っ
当な話にも聞こえるし、無関係であるとアピールしている風にも聞こえる。
「それじゃあ、これを聞いてもしょうがないかな? 実は、彼は持ち運び可能
なハンディタイプのコンプレッサーを購入していたんです。事件後、それが見
当たらなくなっている。何に使おうとしていたか、早惠子さんは聞いていませ
んか」
「残念だけど。そもそも、コンプレッサーを持っていたことすら、知らなかっ
たわ。恐らく、徹平が亡くなったあとなんじゃないかしら」
「かもしれませんね」
 これを機に話を終え、引き上げることになった。

 針生家からの帰途、充分に離れる頃合いを待っていたのか、十文字先輩はい
きなり話し始めた。
「彼女は口を滑らせた」
「え?」
 聞き返した僕を無視するかのように、先輩は続けた。
「よほど甘く見られたらしい。油断にもほどがある」
「あの、彼女って、早惠子さんを差しているんですよね? いったいどんなこ
とで口を滑らせたのでしょうか」
「気付いていないのか。あれほど明白なものは、なかなかないぞ」
 呆れたとばかり、見下す視線をくれた。反発せずに、教えを請うとしよう。
「分かりません。教えてください」
「思い出すんだ。いいかい。彼女は瀧村と聞いて、マジックショップ店員と分
かった。おかしいじゃないか。瀧村は志木として活動していたんだぜ? まさ
か、彼女にだけ正体を明かしていたのか? 仮にそうだとしたら、余計に怪し
いだけだ」
「なるほど……少なくとも早惠子さんは志木竜司が偽者で、その正体が瀧村だ
と知っていたことになる」
「だからと云って、彼女が瀧村殺害の犯人と断定はできないけれどね。我が校
の生徒ないしは関係者という条件からも外れてしまう」
 尤もな理屈だが、放擲するには惜しい推理と感じた。僕は抜け穴を探した。
「あ、でも、早恵子さんは同じ高校生なんだから、変装すれば潜り込めるんじ
ゃあ? 制服一式を揃えて着込んで」
「夏休み中ならともかく、四月の事件がな。ゴールデンウィークと重なる部分
もあるが、基本的に学校のある平日だ。美馬篠高校の生徒としても日常を送る
必要がある。七日市学園と美馬篠の両方に姿を現すのは、大変だ。というより
も不可能だろう」
「それでも念のため、アリバイを調べてみてはいかがです? 美馬篠高校に本
当に登校していたか」
「……ワトソンの意見に従うとしよう」
 高校生探偵は、珍しくも僕の意見を素直に取り入れてくれた。

 流石と賞賛すべきなのだろう、二日後の日曜日には、十文字先輩は早惠子さ
んのアリバイについて調べ終えていた。僕はしかし調査に同行できなかった。
というのも、病院で術後の経過を看てもらう必要があったせいだ。包帯はすっ
かり取れたのだが、事件捜査がどう進んだのかが気になっていた。
 成果を知るために、先輩と会うことになった。場所は何故か、一ノ瀬和葉の
マンションを指定された。
「よ、ようこそようこそ。歓迎するに、にゃん」
 僕を出迎えた部屋の主・一ノ瀬は、思い切ったように僕の両手を取り、激し
く上下に振ってくれた。相手をするのに疲れる存在だ。
「十文字さんは先に来ているから、存分に話すといいよ」
「はあ。一ノ瀬はどうする?」
「聞くともなしに聞いてる、よん。……菊とも梨? 面白いかも?」
 独り言の世界に入ったようなので、勝手に進む。彼女が示していた部屋に入
ると、十文字先輩がいた。ソファの背もたれに手を掛け、書架を眺めていた。
「おっ、着いたか。まあ座りたまえ。一ノ瀬君の許可なら取っている」
 笑みを浮かべながら僕を促し、先輩自身もソファに腰を下ろした。
 云われた通りにすると、一ノ瀬がティーセットを運んできた。僕らの前のテ
ーブルにカップや急須などを並べると、少し離れた場所にある椅子に、ちょこ
んと腰掛けた。最前の宣言通り、聞くともなしに聞くつもりらしい。
「君の云うことを聞いてよかったよ」
 唐突にそう切り出した十文字先輩。僕が「はい?」を聞き返すと、その反応
を予想していたみたいに、間髪入れずに続ける。
「針生早惠子さんは、確かに四月下旬に、学校を休んでいる」
「そうでしたか。じゃあ、あの人が犯人という可能性が高まりましたね」
「ところがそううまくは運ばない。早惠子さんの休んだ日は、万丈目殺害の期
日とは合致しないんだ」
「何と……」
 がっくり。折角よい推理を提示したつもりだったが、矢張り簡単ではない。
「さて、それなら次に検討すべき仮説が、自然と頭に浮かぶだろう」
「何ですか」
「共犯だよ。グループによる犯行である可能性は捨てきれない。一人は偵察役
で、ターゲットの存在や習慣を確かめる。一人は実行犯で、偵察役からの情報
を元に、ターゲットを確実に仕留める。こう考えると、早惠子さんも容疑の圏
外に去ったとは云えない。瀧村の名を知っていた件もある」
「もし当たっているとすれば、複数犯のメリットは、学校を休むことを目立た
なくする効果があるかもしれませんね。一人で何日も休むよりは、ずっといい」
「まあ、そいつは微妙だな。一日でも休めば目立つさ。とにかく、疑問が残っ
たことは間違いない。だから、彼女に直接質問をぶつけてみた」
「ええ?」
「学校を休んだ理由は何か。休んだ日に、何をしていたのか」
 名探偵らしく頭脳労働の面で突出するも、腕力面では些か頼りない。不足分
を行動力で補っている感じか。無謀と云えなくもない気がするが、先輩には何
らかの確信があっての“容疑者訪問”なのだろう。
「それで、どうでした?」
「百聞は一見にしかず……ちょっと違うか。早惠子さんの休んだ理由は、葬儀
に出るためだった。父方の祖父が病死している。もちろん、弟も学校を休んで
参列していた。アリバイもしっかりしている。彼女が、万丈目や瀧村を殺した
一味である可能性は極めて低いと判断していいだろうね」
「振り出しに戻る、ですか」
 努力はなかなか実らぬものだと、肌で味わった。
「落胆するよりも、先にやるべきことがある」
 十文字先輩が云った。どうせ、真相解明に向けて新たな一歩を踏み出すとか
何とか、そんなところだろう。
「少し前から気になっていたのだが」
 先輩はソファを離れると、僕の目の前に立った。そして、思いも寄らぬ問い
掛けを寄越した。
「君は一体何者なんだ?」

――続く




#464/598 ●長編    *** コメント #463 ***
★タイトル (AZA     )  14/09/29  01:11  (123)
土と士 <下>   永山
★内容                                         16/12/07 04:30 修正 第3版
「な……何を云い出すんですか、先輩? 僕は僕ですよ。百田充です」
「確かに、僕の知っている百田君とよく似ている。だが、微妙な差異を感じて
いたのだよ。それでも気のせいかと、百田君の自宅に電話をして確認したかっ
たんだが、ちょうど家族が旅行中だという話を思い出した。そこで、僕は一計
を案じ、君が百田君であるかどうかを判断した。少し前にその答えは出ていた
んだ。君は百田充ではない」
「莫迦々々しい。僕は百田です。どんな根拠があって、そんな言い掛かりを?」
「君が百田君なら、今日この部屋に来た瞬間に、おかしなことに気付かなけれ
ばならない」
「……おかしいって、部屋の模様替えでもしたんですか。そんなの、気付かな
くたって不思議じゃありませんし、いちいち指摘するほどでもないでしょう」
 僕の力ない反論。名探偵はとどめを刺した。
「君は彼女を誰だと思っているんだい?」
 十文字先輩は身体の前で両腕を開き、この部屋の主を示した。だれって、彼
女は一ノ瀬和葉……。
「まさか――あの人は、一ノ瀬和葉ではない?」
 やっと。やっと分かった。そうか。いや、しかし。
「そうだよ。知り合いに代理を頼んだんだ」
「だ、だけど、彼女は同じクラスにいた。写真も確かめた」
「写真? もしかすると、百田君になりすますために、彼と親しい人物に関す
る個人情報を得るべく、学校のサーバーに不正アクセスしたのかな。それなら
思惑通りだ」
 勝ち誇る高校生探偵。口調は変わっていないはずなのに、“上から目線”を
感じる。
「一ノ瀬君の写真は、一ノ瀬君自身の茶目っ気で、他人の写真とすり替えてあ
るんだ。複数回クリックすれば、当人の写真が表れるように細工してあるそう
だが、実際の仕掛けはまだ見たことがないから分からない」
「で、でも、彼女は」
 と、一ノ瀬和葉だと思っていた女生徒を指差す。彼女は椅子から腰を上げ、
手には何やら長い物を握りしめていた。
「金曜の一日だけだが、クラスに潜り込んだとき、いた。確か、一ノ瀬と名乗
っていた……気がする」
「違う」
 くだんの女生徒が声を発した。さっき、訪問時に出迎えてくれたときの声と
は全く異なり、酷く冷たく響く。
「それは貴様の思い込みに過ぎない。あの時点で、一ノ瀬さんになりすます訳
がないであろう。十文字さんが貴様に違和感を覚えたのは、あの日の放課後、
会ってからなんだからな」
「……十文字探偵に今、協力しているからには、百田充ともかなり親しいはず。
なのに、事前に調べたときは分からなかった。誰なんです?」
「――十文字さん、答える必要がありますか?」
「別に答えなくていい。逆に、僕らがこいつを問い質さなければならない。口
を割らないようなら、手荒な真似をしてもかまわない。任せるよ」
 十文字先輩は僕の真正面に立ったまま、プレッシャーを掛けてきた。こっち
は腰を上げられない。
「聞きたいことはたくさんあるが、何をおいても最初はこれだ。百田充君をど
こへやった? 無事でないのならただじゃおかない」

           *           *

 あとから聞いたところによると、無理矢理摂取させられた眠り薬とアルコー
ルが身体から抜け切るまで、丸二日ほどかかったそうだ。
 実際にはもう少し早い段階で、意識ははっきりしていたつもりなのだけれど、
所々で記憶が飛んでいる。大小ままざまな穴が開いたボードで、向こうの景色
を見ようとするのに似ているかも。
「とにかく無事でよかった。何よりだな、百田君」
 十文字先輩は退院の日に合わせて来てくれた。僕自身が密かに期待していた
音無の姿はなく、代わりに一ノ瀬を連れていた。
「命に別状はなかったという意味で無事ですけど、小さい怪我ならしたんです
よ。それに加えて、両親から大目玉を食らいそうですし」
「うん? 何故だ? 君のご両親は心配こそすれ、怒ることはないだろう。探
偵の手伝いなんてやめろとでも?」
「いや、事件に関してはごまかせるかもしれません。まだ伝わっていませんか
ら。伝わってないからこそ、のんきに旅行日程を最後まで消化してるんです。
ただ、僕は自宅を長い間留守にしていて、そのことを親は知ってるんですよ。
家の電話に出なかったから」
「そこは正直に話すべきだ。隠しておいて、あとで真実が伝わったら、それこ
そ探偵活動はお預けになりかねないぞ。そうなったら、とりあえず僕が困る」
「……考えておきます。もし旗色が悪くなりそうだったら、先輩、助け船をお
願いしますよ」
 十文字先輩は笑いながら快諾した。
「ところで、僕を騙っていた奴、結局は何者だったんですか」
「あ、それがあったな。幸い、正体がばれたあとは素直な奴で、積極的に供述
しているよ。細部に不明な点はいくつか残るが、おおよそ判明した。まず……
あいつは僕の中学時代の同学年で、同じパズル研究会に入っていた。入会は僕
の方が先だったし、僕にとって彼はライバルには値しないと判断したから、あ
まり記憶に残っていない。その上、君そっくりに整形していたせいで、すぐに
は見抜けなかったよ」
「全く……。そいつ、何て名前です?」
「千房有敏(ちぼうありとし)という。僕は全く認識してなかったんだが、千
房は僕を打ち負かしたいとずっと以前から考えていたらしい。だが、在学中に
は願い叶わず、中学卒業後、働きながら機会を窺っていたようだね。そして七
日市学園内で殺人事件が起きたと知るや、計画をまとめたようだ。僕に失敗さ
せる、ただそれだけのために、顔を変え、君になりすました」
 病的な執着を感じた僕は、思わず肌をさすった。薄気味悪い感覚を払拭しよ
うと、質問をした。
「失敗させようというのは、真犯人を知っていて、その真実から先輩の推理が
遠ざかるように誘導していたと?」
「いや、万丈目殺しや拓村殺しの真実を知っているというんじゃないらしい。
ただひたすら攪乱を狙ったと云っている。無論、裏付けが必要だが、例のコン
プレッサーの用途について全く知らないようであるし。
 引っ掛かるとすれば、千房の犯行自体が、遊戯的な匂いを纏っている点だな。
人を殺してこそいないが、タイプとしては瀧村や万丈目に近いと云えそうだ。
だから、千房こそが瀧村殺害犯である可能性は、ゼロとはしない。遊戯的犯罪
を好むグループが存在するとして、そのグループ内での粛正行為かもしれない
からね。一方で、千房の証言を信じるなら、万丈目殺しは千房の仕業ではなく
なる。この辺り、整合性の取れた説明が付くかどうか……今後の捜査待ちかな」
「もし万が一、目的を達していたら、千房って奴はどうしたんでしょう? 僕
を生かしていたのだから、また元に戻る気だったんでしょうけど、僕は襲われ
た記憶があるんだし、簡単にはいかないに決まってる」
「記憶喪失にでもするつもりだったのかねえ。まあ、詰めが甘いというか、行
き当たりばったりな面もある犯罪者だよ、あいつは。何せ、百田君になりすま
そうというのに、音無君の存在を全く察知していなかったんだから」
「……」
 僕が音無を好きだというデータは、学校の個人情報には記載されていまい。
「剣豪さんの名前が出たところで、思い出した!」
 珍しく静かにしていた一ノ瀬だったが、それを帳消しにするくらいの大声を
突然発した。
「充っち〜、もっと入院が長引けば、お見舞いとして渡すつもりだったお宝が
あるんだけど……見たい?」
 勿体ぶった云い回しで、明らかに楽しんでいる一ノ瀬。僕は手のひらを上に
向けて、右手をまっすぐ前に出した。
「くれ。お見舞いには間に合わなくても、退院祝いがある」
「分かったよん。でも持って来なかったから、あとで渡すね。映像と音声、楽
しめるはず」
「映像と音声? まずます気になるじゃないか」
 着替えを詰めたバッグを振り、不満をあらわにする。
 と、ここでも一ノ瀬は珍しい反応をした。どうした風の吹き回しか、教えて
くれたのだ。
「ふっふっふ。掛け値なしのお宝映像ですにゃん。何しろ、あの剣豪・音無さ
んが、語尾に『にゃん』と付けて喋ってるんだからっ」

――終




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