AWC 君とともに館へ 上   永山



#427/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  13/06/30  20:27  (295)
君とともに館へ 上   永山
★内容
 テーブルの上を片付けていた渡辺(わたなべ)は、物音を聞いた気がして、
面を起こした。音のした方向――外に目をやる。
 窓の向こう、鈍色の空の下は、針葉樹が林立している。秋の景色の中、どこ
にも生き物はいないように見えた。少なくとも、目立って動く物は。
 だが、気配は感じる。どこか遠くで、何かがざわついているような。
 やがて、音がはっきり聞こえ出した。人の声と足音のようだ。近付いてきて
いるのは間違いない。渡辺は、中指で眼鏡のずれを直した。
「……二人、ですかな? 出迎えの準備をしなければ」
 つぶやき、また片付けの作業に戻る。手早く済ませ、不意の訪問者に備えよ
うと動き出した。
「まず、お湯を沸かすとしますか」

           *           *

 渡辺と名乗った四十がらみの男に案内された広間には、なるほど彼の言った
通り、先客が大勢いた。ざっと数えると、五人。外見で判断するなら、男三人
に女二人という構成だ。そこに私達二人が加わるので、男四の女三となる。
「おや、新顔が現れるとは、タイミングが悪い」
 五人の中で、一番背の高い男が言った。よく通る声の持ち主で、もみあげか
らつながるあごひげが印象的だ。細身だが、袖から覗く腕の逞しさから筋肉質
と窺える。
「ちょうど自己紹介が終わったばかりなんだ。少なくとも一晩は一緒に過ごさ
ねばならない仲だし、お互いのことを少しぐらい話してもいいだろうと。着い
て早々で悪いけれど、あなた方から自己紹介してくれないかな」
 彼の口調は耳に心地よいが、ペースに乗りっ放しというのもしゃくだ。
「かまいませんが、せめてあなたのお名前だけでも、先に聞かせてもらえませ
んか」
「おっと、こいつは失礼をした。新橋礼次郎(しんばしれいじろう)だ。アマ
チュアの登山家にしてアマチュアのカメラマン。雑文で食っている」
 男は名前だけでなく、他のプロフィールもすらすらと答えた。
「今日は仕事抜きで、彼女とドライブがてら、出掛けてきたんだが、土砂崩れ
に巻き込まれてにっちもさっちもいかなくなった」
 土砂崩れに巻き込まれたというのは、私達と同じ、前後の道をふさがれて動
けなくなったという意味だろうか。それとも、車そのものを流され、命からが
ら脱出したという意味か。
「ついでだから、私も自己紹介しておくわね」
 新橋に「彼女」とあごで差された女性が、椅子からすっと立ち上がった。す
らりとして彼女もまたなかなか長身だ。一礼してから始める。
「湯島佐由美(ゆしまさゆみ)、出版社で編集なんかをやっていたけれど、今
は辞めてパート。新橋とは仕事関係で知り合ったのが、今につながるといった
ところ」
 明け透けな物言いに、五人の間でできあがった空気が想像できた。新たに加
わる者としては、ここまでプライベートを語るのは少々敷居が高いが、仕方が
ない。私達は順に名乗ることにした。
「男沢黎(おとこざわれい)です。調査業をやっています」
「その助手で、左巻ひろみ(さまきひろみ)と言います。お見知りおきくださ
い」
 名刺を配らんばかりの体で、スマイルを振りまく左巻。あいにく、手元に名
刺はない。セカンドバッグごと、車に置いてきてしまった。災害に遭って車を
止めた直後、携帯電話が通じなかったため、近くの家で電話を借りてすぐに戻
るつもりだったのだ。それがこんなことになるとは。
「調査業とはつまり、興信所の人ですか」
 奥の方で向かい合って座り、チェスをしていた二人の内、向かって左の丸顔
の男が言った。無論、ゲームの手は止めている。
「ええ、まあ。掲げている看板は、一応、探偵としていますが」
「刑事事件も取り扱うような?」
「幸か不幸か、そんなケースに遭遇したことはありません」
 答えてから相手に自己紹介を眼で促す。男は察しよく応じた。
「僕は中田寿樹(なかたとしき)。こう見えても医者だ。獣医だけどね」
 きちんとした身なりで、顔が丸いだけで身体が太っている訳ではない。医者
に見えない風体ではないにもかかわらず、こんな物言いをするのには、コンプ
レックスでも持っているのだろうか。中田は正面に座る痩せぎすの男を指さし
ながら続けた。
「こいつも同業者で、名前は小林英孝(こばやしひでたか)。懇親会に出席し
たあと、帰り道で事故に巻き込まれたんだ。この辺には家がほとんどないみた
いで、参ったよ。なあ?」
「ああ」
 小林は生返事だけして、こちらを振り向きもしない。チェスに没頭している
様子だが、それほど劣勢なのだろうか。
 私達は最後に残った若い女性に目を向けた。実を言えば、五人の中で彼女が
最も目立つ格好をしている。大きなタオルケットを肩と膝に掛けているが、ラ
ンナーそのものの出で立ちをしているのがよく分かる。携帯電話をいじるも、
やはりつながらないらしく、舌打ちをし、しきりと首をひねっている。
「――ああ、私は安居恵美(やすいめぐみ)と言います。陸上をやっていて、
ちょっと単独で走りに出た矢先に、土砂崩れに遭って、帰れなくなったものだ
から……同僚に連絡着けば、すぐだと思うんだけれど」
「そういえば、ここには電話がないというのは本当ですか」
 渡辺から聞かされた話を、皆に確かめる。新橋が口を開いた。
「のようです。すでにお聞きでしょうが、こちらは作家先生が仕事から離れて
完全休養するために建てられた別荘だとか。その目的のため、外部とつながる
手段は一切ないという話でしたね」
「インターネットも?」
「恐らく。いや、そこまで突っ込んで尋ねてはいないけれども、こちらが電話
を求めた折に、電話がないがネットならつながるというのであれば、教えてく
れるのが普通でしょう」
「でしょうね」
 念のため、機会があれば確認しようと思ったそのとき、後方で人の気配がし
た。渡辺がいつの間にかいた。
「皆さん、それなりに歩かれてお疲れでしょう。軽食の用意ができましたので、
食堂に案内いたします」
 時計を見ると、午後三時。おやつにはちょうどいい。

 食事の最中に尋ねてみたが、インターネットの類もないという答だった。
 それどころか、テレビやラジオも置いていないそうだ。仕事を離れると言う
よりも、俗っぽい文明から離れるための屋敷と言えそう。
「そういえば、作家先生とはまだ対面できていませんね。名前すら聞いていな
い」
 こう言い出したのは、獣医の中田。口に食べ物を含んでいるように見えるが、
その淀みないしゃべりからすると空っぽらしい。
「差し支えがなければ、教えてもらえませんかね」
 コーヒーのおかわりを注いで回る渡辺は、その作業が全員分終わってから答
えた。
「申し訳ありません。差し支えがあるのです。あとでマスコミに知られると、
うるさく面倒なことになるかもしれないと、危惧されていまして。皆さんを歓
迎しているのは間違いございませんが、今回のことは他言無用でお願いします」
「ええ、そりゃまあかまいませんがね。お目にかかって感謝の気持ちを伝えた
いのですが、それもだめですか」
「いえ、会うことには何ら問題ありません。顔写真を非公開にしていますので。
それに伴い、筆名ではなく、本名ならお伝えできます」
「何だ。それを早く言ってくださいよ」
 拍子抜けした風に、中田は笑った。渡辺はきちんと頭を下げ、「気を持たせ
るような真似をして、すみません」と言った。
「本間国彦(ほんまくにひこ)というのが、この主の本名です。後ほど、皆さ
んと会う機会も設けられると思います」
「後ほどってことは、今は忙しい訳だ?」
 口を挟んだのは小林。
「一人で何をされてるんです? テレビもネットもないとこに滞在して、部屋
にこもってやるようなことって」
「それが……私でも苦笑を禁じ得ないのですが、小説を執筆なさっているとの
ことでして」
「はあ? 仕事を離れるために、ここに来たと言ってませんでしたっけ?」
「仕事を離れ、自分の書きたい物を書くために、ここに来るのだそうです。私
は文学にさほど造詣はなく、また先生の作品を読んだことはありませんが、出
版関係者にもし知られれば、関心を抱く会社も出てくることでしょう」
「なるほどね。作家は書きたい物を書かせてもらえる訳ではないってことです
か」
 湯島が微苦笑混じりに言った。大方、自身のかつての仕事を思い出したんだ
ろう。
「そんなことよりも、ここにいることを知り合いに伝えたいんですが、どうに
かなりませんか」
 安居が気忙しく、早口で言った。手は相変わらず、携帯電話を触っている。
「申し訳ありません。そのご要望には――」
「渡辺さん達がトラブルに巻き込まれたり、病気になったりした場合、どうす
るんですか。何かあるんじゃありません?」
「そのときは、お隣まで行くしかありません」
「隣って……どこですか」
 食堂にある南向きの大窓に視線をやる安居。腰を浮かし、外を覗こうとして
いるが、恐らく家並みは見えまい。
「直線距離にして一キロ強、離れています。山肌を登らねばなりませんから、
実際は三十分ほど掛かるでしょうか。何せ、実際に歩いたことがないもので。
そもそも、お隣も別荘ですから、人がいるかどうか分かりませんし、土砂崩れ
の影響が及んでいないかも不確かです」
「――自動車、いえ、自転車でもないんですか」
「自転車でしたら、雨ざらしの物が一台ありますが、動くかどうか。それに道
は険しいですよ。獣道とまでは言いませんが」
「……仕方がないわ。歩いて行ってくるので、道順を教えてください」
「かまいませんが、あちらが不在だったときはどうするので」
「どこかガラス窓を割って、電話を借りるつもり。緊急事態だから、許される
んじゃない?」
「それはあまり感心しません。差し出がましいですが、おやめになるべきかと」
 眉根を寄せる渡辺。
「どうして」
「皆さんの話から、明日の昼までには、仮復旧がなると思います。それまで待
てば済む話です。どうしても待てない理由がおありですか?」
「どうしてもって言われると、違うけれど。でも、早く知らせるに越したこと
はないわ」
 二人のやり取りに耳を傾けながら、私は考えていた。安居恵美を後押しすべ
きか、いさめるべきか。というのも、災害に遭う直前まで、気になるニュース
をラジオで聞いていたからだ。
「ちょっと、いいですか」
 軽く挙手し、発言を求める。二人が静かになったので、それを承諾の意に受
け取った。
「私も徒歩でよそに向かうことを、考えないでもなかった。ただ、ラジオのニ
ュースで殺人犯が逃げていることを言っていたのが、どうも気になって。ここ、
本間さんの別荘が見えなかったとしたら、車を離れるのもやめておこうと思っ
たぐらいですよ」
「そんなニュース、知らないわ。本当?」
 安居が言い、渡辺を振り返った。だが、テレビやラジオ、インターネットの
ない屋敷に暮らす彼が、最新ニュースを知るはずもない。首を横に振るばかり
だ。
「私も知らないな。ラジオを付けていなかったから」
 新橋が言うと、同乗者であった湯島佐由美も首をこくこくと縦に振った。
 彼らとは反対に、中田と小林は車中でラジオのニュースを入れていた。
「僕らは聞いた。電波状態が悪くて詳しくは分からなかったが、今朝、殺人の
容疑者が警察を振り切り、この近くに入り込んでいる可能性が高い、みたいな」
「それだけでしたか?」
 自分の得ている情報と、若干の開きがあるため、私は聞き返した。返事はイ
エス。ならば、私の知っていることを伝えねば。
「私が聞いたのは、もう少し詳しい話でした。信じがたいのですが、殺人容疑
の逃走者が二名いると言うんです」
「えっ、二人?」
「それは……共犯関係にあるということですか」
 小林が考え考え聞いてくる。私は頭を左右に振った。
「違います。別々の事件で、一人は知り合いを刺した現行犯、もう一人は殺人
罪で収監されていた脱獄犯。現行犯の方は氏名も何も分かりませんが、脱獄犯
の方は言っていました。三村幸道(みむらゆきみち)、三十五歳。体格や外見
については、言及がなかったかのかどうか、よく聞き取れませんでした」
「そんな凶悪犯が二人、同時にこの一体に逃げ込んだ?」
「確定事項じゃありません。目撃情報があった訳でもないようだし、可能性だ
けでしょう。山に逃げ込めば全て、この近辺となり得るんですしね。とは言え
――」
 私は安居に向き直った。
「外は、殺人犯が二人もうろついているかもしれない。そんなところに出て行
くのは危険だと警告しておきます」
「……滅多に出くわすものじゃないんじゃないかしら? この近所に逃げ込ん
だのが確実ならともかく、砂浜に適当に投げた小石二つ、みたいなもの。わず
かな可能性を恐れ、行動を起こさないのは性に合わないな、私」
 強がりの現れか、口調を変えた安居。こちらとしては、最悪の事態に備える
よう、説くしかない。幾度かのやり取りを経て、提案した。
「どうしても行くのであれば、条件が二つあります。明るい内に出発して、戻
れる時間帯にすること」
「それくらい。私なら今からいけば、間に合う」
「もう一点。単独では行かないでください。少なくとも一人、あなたが信用で
きる人物と行動を共にしていただきたい」
「それは……ちょっと難しいわね。私だけ連れがいない。会ったばかりの誰を
信用していいのか……」
「信用と言っても、別にその人物が殺人逃亡犯であるかどうかという意味では
ありませんよ。いざというときに頼りになると思える人物を選べばいい」
「そう言われてもね。すぐに出発したいから、脚力もそこそこなければいけな
いし」
 自身以外の女性を見やる安居。一般的な感覚の持ち主なら、みんなスタミナ
に難がありそうだと判断するだろう。事実、彼女はそう判断したようだ。
「行くとしたら、男沢さんにお願いします」
「――私でかまわなければ、着いていきましょう」
 予想しないでもない展開だったが、相手の決断の早さは意外だった。よほど、
外部と早く連絡を取りたいと見える。
「黎が行くなら、自分も」
 ひろみが行動を起こそうとするのを、「ここにいてくれ」と止めた。
「どうして? 足手まといにはならないよ」
「君はここにとどまり、万が一に備えるんだ。逃亡犯が現れても、冷静に行動
できるだろう?」
「……しょうがないなー」
 普段なら駄々をこねることもある助手だが、今回は緊急事態だからか、割と
素直に引き下がった。余計な時間を取られずに済み、助かる。
「それでは、道順のメモと、水筒に入れた飲み物をご用意しましょうか?」
 渡辺が気を利かせて申し出てくれた。ありがたく受けることにする。

           *           *

 出発は延期された。恐らく、無期延期だ。
 出発しなかった訳ではない。出発した途端に障害にぶつかったのだ。
 裏庭を抜けていくのが少しでも近道だからと、渡辺に案内されてこの屋敷の
裏手に回り、何メートルか歩いたところで、私と安居は人間の死体を発見した。
植え込みの傍らに、隠れるように倒れていたのは、恰幅がよく、鼻の下に髭を
蓄えた四十代後半と思しき男。身なりはスーツ姿だが、上着はなく、白シャツ
のみだ。この季節にしては少々肌寒い格好ではないか。衣類のよしあしは分か
らないが、革靴は高級品と分かる代物だった。
 安居とともに屋敷に取って返し、渡辺を呼ぶ。気分がすぐれないという安居
をおいて、今度は渡辺と二人で遺体発見場所に戻った。
「絞殺……でしょうか?」
 彼の意外と冷静な反応に、質問を被せる。
「それよりも、この人は誰なんです? てっきり、作家先生だと思い、あなた
を連れて来たんですが」
「いえ、先生ではない。少なくとも私に見覚えはない……です」
 念のための確認のように、遺体の顔をのぞき込んだ渡辺だが、すぐに首を左
右に振った。
「しかし、この家とつながりのある人物である可能性は高いでしょう。先生を
呼んで、確かめてもらえませんか」
「なるほど、そうすべきですね」
 しゃがんでいた渡辺は揉み手のような仕種をし、腰を上げた。彼と目を合わ
せ、尋ねる。
「即座に警察へ通報したいが、外部との連絡手段はないんですよね」
「はい」
「殺人逃亡犯が身近にいるかもしれないとなると、無闇に出歩くのも危険。と
なると……道がつながるであろう明日の昼まで待つしかなさそうです。最終手
段として、近くで大火事でも起こして救助ヘリの注意を惹く、という方法も考
えられなくはありませんが」
「それは避けたい」
 最終手段の内容に驚いたのか、渡辺は執事役の仮面を外し、素に戻ったよう
な口ぶりで応じた。
「とにかく、この場は私が見ていますので、渡辺さんは作家先生を連れて来て
ください。それと、遺体に被せる毛布かシートのような物があれば、用意して
ください。あっ、皆さんに注意喚起も」
「承知しました。男沢さんは一人で大丈夫でしょうか?」
「しばらく見張るぐらい、何ともありません。護身術の心得もあります。それ
よりも、屋敷中の戸締まりをチェックした方がいいかもしれない。もう侵入さ
れている可能性も考えて、これからは慎重な行動が必要になる」
「分かりました。くれぐれもお気を付けください」

 館の主は、五分足らずで現れた。茶色のサングラスを掛けた、四十代ぐらい
の男が作家先生らしい。中肉中背で色白だが、文筆業のイメージは薄い。手が
ごつごつしているせいだ。
「本間国彦です。挨拶が遅れまして、申し訳ない」
「こちらこそ、お世話になっています。お礼を早く述べたかったのが、こんな
とんでもない事態になってしまって」
 簡単な挨拶を交わし、当面の問題に取り掛かる。横たわる死人の顔を見ても
らった。
「どうでしょう?」
 本間は顔を近づけ、サングラスを上げて目を凝らした。だが、じきにやめる
と、「知らない人だ」とつぶやいた。
「格好からして、歩いて来たという雰囲気ではありませんな。表に車が止めて
あるかもしれない」
「待つ間に見てみましたが、近くに乗り物の類は見当たりませんでした。タク
シーで来ていたか、私達と同じように、土砂災害で前後の道を寸断された結果、
降りてここまで辿り着いたんだと思います。逃亡犯が人質として連れ回してい
た可能性もあります」
「この別荘に着いたから、用済みになった人質を始末したと?」
「あり得ます。あとで男何人かで組になって、屋敷内を調べたいのですが」
「なるほど。ぜひ、やらねば。早い方がいい。ここは放って、戻らんと」
「放っておく訳には行きません。遺体を調べることはかなわなくても、現場保
存の必要があります。渡辺さんにシートを頼んだんですが……遅いな」
 裏口のある方を振り返ると、ちょうどブルーシートを抱えて出て来る渡辺の
姿が見えた。

――続く




#428/598 ●長編    *** コメント #427 ***
★タイトル (AZA     )  13/06/30  20:28  (286)
君とともに館へ 下   永山
★内容                                         14/01/12 10:48 修正 第2版
 館内を調べて回ったが、侵入者は見つからなかった。が、これで安心できる
とはとても言い切れない。すぐ近くで様子を窺っているかもしれない。さらに
疑うのなら、救いを求めて来た五人――私達二人は除かせてもらったが、屋敷
の人間からすれば七人――の中に、善良なふりをして紛れ込んでいるかもしれ
ないのだ。
 そんな仮説を、迷った末に、全員の前で口にした。疑心暗鬼を生じる恐れが
あるが、注意を喚起するには、周知徹底しておく必要がある。
「殺人逃亡犯がこの中にいるとして、ですよ」
 新橋礼次郎が口を開く。ゆっくりとした口調で、考えながら話をしているの
がよく分かる。
「免許証のような、身分を証明する物を持っている人は? いない」
「携帯電話は照会すれば証明になるでしょうが、現状では照会自体が無理でし
ょうね」
「そうなると、理屈で容疑を絞り込むしかない。ですよね?」
 同意を求められ、仕方なしに頷いた。疑心を煽るような行為は、なるべく避
けたいのだが。
 新橋は、こちらの心配を知らぬまま、続けた。
「誰か一人が犯人だとしたら、私と佐由美は除外できるんじゃないですか? 
私は彼女の身元を保証できるし、逆もしかり。犯人が脅して言うことを聞かせ
ているのではないことくらい、見れば分かるでしょうし」
「その理屈が通るならありがたいな。僕らにも当てはまる」
 中田寿樹が言い、小林英孝の肩を叩いた。小林の方は分かりにくい笑みを浮
かべているようだ。
 すると今度は、唯一人、単独行動でここに辿り着いた安居恵美が声を上げた。
「私が怪しいってことになるの? 犯人は男って言ってなかった?」
「いや、男と判明しているのは脱獄した方だけで、もう一人は性別不明だ」
「そんな。私がその逃亡者だとして、こんなランナーの格好をしてると思う?」
「普通はしないだろう。でも、衣服を着替える必要に迫られ、盗んだ物が偶々
そういった服装だったということもないとは……」
 中田が推測を述べると、安居は反論に窮したようだった。が、思わぬ方向か
ら援軍が現れる。左巻だ。
「ちょっと待ってよー。こういうのはどうかな? 逃亡犯は二人。彼らが偶々、
逃亡中に出くわし、意気投合した。二人はコンビで行動している」
「ばかな。あり得ない」
 我が助手のとんでもない仮説には、当然ながら否定の声が上がった。新橋、
中田、小林の三人が順に偶然性を非難する。
 しかし、左巻は口が達者だ。男三人を向こうに回し、とうとうと言い立てる。
「こんな偶然、確率が低くて起きるはずがないというのでしたら、逃亡犯が一
人でもここに現れるのだって偶然だし、このタイミングで土砂災害が派生し、
私達が孤立させられたのも偶然。逃亡犯がこの近くに逃げ込んでいたのなら、
災害で命を落とすか、少なくとも動けなくなっている可能性の方がよほど高い
と思いません?」
「しかし――」
「最初に、逃亡犯がこのお屋敷に紛れ込んだという仮定を認めた段階で、たい
ていの偶然は許容すべきなんです。人を疑うからには、それくらい当然ではあ
りませんか」
「……よし。じゃあ、我々二人組の者にも、なりすましは可能だと認めよう」
 新橋がやや興奮気味に応じた。
「だが、それで何になる? 絞り込めないのなら、意味がない。少しでも安全
を確保し、安心したいからこその検討ではないのかね」
「今の絞り込みを否定だけであって、絞り込みそのものを否定はしてないです
よ。できる限りのことをしましょう。公平にね」
 左巻が調子に乗っていることが、よく分かった。今は止めても無駄だろうか
ら、成り行きに任せるとする。
 と、そのとき、館の主から思わぬ申し出があった。
「皆さんが望むのであれば、監禁場所を提供できるが、いかがかな」
「監禁?」
 その穏やかでない表現に、誰もが本間を振り返った。本間は満足げな笑みを
浮かべると、うろうろと歩きながら話を続けた。
「怪しいとにらんだ人物を、閉じ込めておける部屋がある。外からは施錠でき
るが、内側には窓もなければ鍵穴すらないという部屋がね。それも、お誂え向
きに、二部屋」
 逃亡犯が二人紛れ込んでいても対応可能、という意味か。
「明日、外部との行き来が可能になるまでの間、怪しい人物二人を決めて、閉
じ込めておく。皆さん、やりますか?」
「……」
「殺人が本当に起きている、この事実を忘れずに。野放しにしておくと、寝首
をかかれる恐れ、ないと言い切れるかどうか」
「仮に、監禁を実行するとして」
 誰も口を開こうとしなくなったので、聞いてみる。
「まず、その部屋は元々、何のための部屋なんです? まさか最初から監禁目
的で作られたのではありますまい」
「平たく言えば、物置ですな。ちょっとでもいる物や、骨董品の類を運び込ん
でいたら、結構な量になったので」
「通気や採光はどうなんです? 人が入っても、大丈夫なんでしょうね?」
 私が質問を発したことで空気の緊張が解けたのか、新橋が聞いた。
「通気は全く問題がないはず。光の方は、窓がないから暗いが、電灯が設置し
てある」
「監禁されても、食事はもらえるんでしょうね?」
 口数が極端に減っていた湯島が、現実的なことを尋ねた。それにしても、監
禁の実行を前提に話しているのが気になる。本当にこれでいいのか。
「無論です。まあ、私一人が決めることではないが」
「犯人が捕まって、監禁されていた人は全くの無実だったとなった場合、その
責任はどうなるんだろう?」
 別の意味で現実的な疑問を投げかけたのは、小林だった。これには誰も答え
られない。私は意見を述べた。
「もし仮に監禁を実行するのであれば、全員合意の上でやらねばなりません。
加えて、検討の結果、監禁されることになった者も、後に訴えることはしない
と確約する必要があるでしょう」
「思いますに」
 部屋の隅に立っていた渡辺が、静かな調子で言った。
「監禁という表現がよろしくないかと。せめて軟禁、隔離、一時的措置などと
表現すれば、皆さんも気が楽になるのではないでしょうか」
 まただ。どうして監禁実行が、さも決定事項のように語る? 皆でひとかた
まりになって過ごすとか、逆に各人個室にこもって一歩も出ないとか、身を守
る方法なら他にもあるだろうに。
 だが、渡辺のこの発言は、他の者の背中を押したようだ。これより夕食を挟
み、話し合いを行い、最大で二名の者を翌日正午まで“軟禁”状態に置くこと
が決まった。

 話し合いを始める前に、容疑者二人の選び方について、いくつかの取り決め
がなされた。
・多数決で決める
・屋敷側の人間である本間と渡辺は投票には加わらない。討議には参加する
・安居恵美は不利なので二票分の権利を持つ。ただし、一人に二票分を投じて
はならない
・時間は午後九時半までの二時間

「真っ先に考えるべきは、容疑者に関する明白な条件よ」
 優先的に発言権を与えられた安居が、先制攻撃とばかり始めた。
「それは何か。男沢さんがもたらした情報。逃亡犯の一人は、三十五歳の男性
ということです。言い換えれば、外見が三十代から四十代ぐらいの男性が候補
という理屈になるわ」
「当てはまるのは、ひぃ、ふぅ……四人」
 ひろみが指さし数え上げる。無論、私も含めてだ。だが、助手の発言とあっ
て、反論は私に向けられた。
「お言葉だが、男沢さん。あなたが聞いたというラジオのニュースだが、正確
なのかい? 雑音でよく聞き取れなかったのを、勝手に補ったんじゃあないで
しょうね?」
 新橋の問い掛けに、即座に首を振って否定を返す。
「誇張や妄想のない事実です。こいつも聞いていました」
 と、左巻ひろみにあごを振る。当人はにこにこ顔で首肯した。誰の味方をす
るでもなく、公正にやっているのだから、後ろめたくはないのも当然だ。それ
でも、助手なんだからもう少し配慮してくれてよいものを。
「知り合い同士の証言では、信憑性が薄いとは言えませんか」
 渡辺が余計な口を挟んでくれた。ため息をついてから反論する。
「もしそうだとしたら、私自身には容疑が掛からぬよう、偽情報を流すと思い
ませんか? 逃亡犯が三十五歳であることを伝えるメリットがない」
「確かにその通り。だが、館に集まった男性陣を見て、似たような年齢の者ば
かりだったので、やむを得ず三十五歳ということにした……とも考えられます」
 そこまで深読み、裏読みされるとは。
「いいですか。その場合なら、年齢の情報を伝える必要がない。ラジオを聞き
取れなかった、と言えばいいんです」
「……なるほど、そうですね」
「そもそも、こうして検討会を行うかどうか、予測できるものじゃないでしょ
うに」
「さすが、探偵を仕事としてるだけのことはありますね」
 新橋が言った。最前から彼は湯島と何やらささやき合っており、気にはなっ
ていたのだが、どうやら話がまとまったらしい。
「男沢さんの証言に比して、中田さん達のラジオに関する証言が、怪しく思え
てきたんですが、どうでしょうか」
「どういう意味だ、そりゃ」
 気色ばむ中田。小林の方は、表面上は冷静さを保っている様子だ。唯一、テ
ーブルに置いた手の人差し指が時折、震えて、こつこつと音を立てている。
「色々な意味がありますよ。我々に、逃亡犯が一人だと思い込ませようとした
のではないかとか、詳しい情報を一切聞いていないことにしたのは誰かに罪を
なすりつけるのに好都合だからじゃないのかとかね」
「く、空想にもほどがある」
 中田は新橋を強く指出した。が、すぐに引っ込める。怒りを飲み込みつつも、
我慢しきれない部分が態度に出た感じだ。
「そういう見方もあるのは認める。だが、僕は違う。もちろん、小林もだ」
「証拠はないがね」
 小林が渡辺の方を向いて、釘を刺した。同じことを言われないように、先手
を打った形である。そのまま、小林は自説を展開した。
「正直な気持ちを言うなら、怪しさでは、自分はやはり、安居さんが最右翼な
んだな」
「今までに挙がった他に、怪しむ根拠でもおありでしょうか」
 尖った口調で聞き返す安居。案の定、雰囲気がどんどん悪くなっていく。
「昼間、あれほど出たがっていたじゃないか。あれ、逃げ出そうと思ってたん
じゃないのか」
「何を言うかと思ったら。私は男沢さんと一緒に出るつもりだったんですよ」
「一人ぐらいなら、振り切るなり殺せるなりできると踏んだのかもしれない」
「冗談を。だいたい、裏手で身元不明の遺体を見付けたのは、私と男沢さんで
す。もしも逃亡犯なら、わざわざ遺体のそばを通りますか?」
「それは……裏を掻いたのかもしれん」
「待てよ」
 中田が割って入ったかと思うと、こっちを見た。
「安居さんが助けを呼びに行こうとするのを、一番止めていましたよね、男沢
さん」
「ええ。危険と思ったので」
「本心から言ってます、それ?」
「どういう意味でしょう?」
 挑発して来ているのだと感じる。しかし、ここで腹を立てても仕方がない。
平常心を心がけ、耳を傾ける。
「助けを呼びに行かれたらまずいから、止めたんじゃないでしょうね? どう
しても止められないと分かると、今度は着いていくことにした。隙を見て、安
居さんを襲うつもりで」
 中田の新たな説に、安居も私に驚きの眼差しを向けた。若干、距離をおこう
とする仕種が見られなくもない。
「思い出してください。私が着いていくことを希望したのではなく、安居さん、
あなたから私を指名したんでしょう」
「あ――そうだったわ」
 安居は緊張を解いて肩を落とし、ほっと息をついた。
「探偵さんは、どなたか怪しいとにらんでいる人がいるのですかな」
 本間に問われ、困ってしまった。答えたくない質問だ。しかし、答えなかっ
たり、分かりませんと言ったりしたら、無能の烙印を押されかねない。不当な
評価は辛抱できない、我ながら困った性格をしているのだ。
 少し考え、場の均衡を保つためになら、推測が間違っていても、あとで言い
訳が立つ、と思った。これまでにあまりやり玉に挙がっていない人達に言及し
てみることにする。
「私には天邪鬼なところがありまして。今のところ、新橋さんと湯島さんには、
たいした疑いは掛かってないようですが、本当にそれでいいのでしょうか」
「何か不審な点がありますか」
 語気をやや強めつつ、新橋は湯島の肩を右手で引き寄せた。結束のアピール
は、この場では長短どちらもありそうだ。
「たとえば……私達が広間に入るなり、あなたは喋り出した。あれって、主導
権を握りたい意識の表れと分析しました。主でもないあなたがそうしたがるの
は、他でもない、殺人逃亡犯のニュースについて、各人がどれだけ把握してい
るかを探るためではないかと」
「想像力のたくましい探偵さんだな。陳腐な台詞を言わせてもらえるなら、探
偵よりも作家に転向した方がいいんじゃないですか」
「引退後の職業として、考えてもいいですよ。ただ、今の疑問は真剣な意見で
すから。皆さんも考えてみください。逃亡犯がまだ警察に捕まらず、逃げてい
られるのは、災害というアクシデントも影響しているでしょうが、そこに加え
て逃亡犯達が賢いからですよ、きっと。こんな場でも、疑われることのないよ
う、ずるがしこく振る舞える術を身に付けているに違いない」
「くだらない。根拠のない推測だ」
「ほら、今もさも賢明なように振る舞い、意見を切り捨てる」
 ちょっと言い過ぎたか。できれば投票不成立を狙っての発言を続けてきたが。
徒に混乱させるのは本意でない。ここらが潮時だろう。
「ま、それを言い出すと、私だって、探偵ぶって実は逃亡犯なのかもしれませ
んがね」
 このあともしばらく、愚にも付かない議論が続いたが、じきに材料が出尽く
した。制限時間まで十五分ほど残していたが、決を採ることとなった。
 方法は無記名投票で、渡辺が全ての準備をしてくれた。開票作業も彼の役目
となる。
「集計が終わりましたので、発表させていただきます」
 渡辺はメモ用紙を片手に、こほんと咳払いした。しーんとした室内に、やけ
に響く。
「ともに三票ずつで、新橋さんと男沢さんが最多得票でした」
「……」
 何ということだろう。探偵が犯人扱いされ、軟禁の憂き目に遭うとは。

           *           *

 左巻ひろみは、軟禁状態におかれる直前の男沢黎から、ある指示を受けてい
た。
(誰が誰に投票したか調べてくれ、と言われてもなあ)
 宛がわれた部屋にこもり、内側からしっかりと施錠した左巻は、行動に移せ
ないでいた。
 勝手に出歩いて、うろちょろできる雰囲気ではなかった。殺人逃亡犯と思わ
れる恐れが強い。その上、もしも各人に会えたとしても、素直に答えてくれる
か怪しいものだった。それだけ、あの検討会が雰囲気をぎすぎすしたものに変
えてしまったのだ。
(まあ、人狼ゲームみたいになっちゃったから、険悪になるのも無理ないとは
思うけど。それよりも、先生は何を疑問に感じて、こんな指示を出したのか)
 仕方なく、ベッドに寝転がり、仰向けで考える左巻。髪の毛が蜘蛛の巣のよ
うに広がる。
(当然、投票結果に疑問を覚えたからなんだろうけれど……どうして、という
かどこに疑問を? 総投票数は、安居さんが二票分持ってたから、八票。で、
先生と新橋に三票ずつ入ったから、六票。差し引き二票。自分は湯島に投票し
た。彼女が怪しいって訳じゃなく、犯人が万が一、暴れ出した場合、一番足手
まといになりそうなのが彼女だと思ったから。先生も同じ理由で、安居に入れ
たと言っていた。これで合計八票。
 ……うん、おかしい気がする。私達以外の五人が、先生と新橋に三票ずつを
入れたことになるけれど、内訳が納得できない。まず、二票分を持つ安居は同
じ人に二票を投じられないのだから、先生と新橋に一票ずつ入れたことになる。
あの討論会の流れで彼女が先生に票を入れるのは違和感あるけれど、とりあえ
ずそこは棚上げ。新橋はまさか自分自身に入れるはずないから、先生に入れた。
新橋の恋人らしい湯島も、同じはず。これで先生に三票だから、残る中田と小
林は新橋に入れた。あれほど安居を疑っていた中田と小林のコンビが、どちら
も安居に入れないなんてあるだろうか?
 何かおかしい。この理由を話せば、誰に投票したかを打ち明けてくれるんじ
ゃないかしらん? でも、あー、だめ。理由を話すチャンスが……。
 少しでも話を聞いてくれそうな人って――いるじゃないの)
 左巻は上体を起こした。ベッドのスプリングが微かに軋む。
(執事さんに聞けばいいんだ。あの人なら、開票もしたんだから、内訳を知っ
ているし。なーんだ、最初からあの人に聞けば簡単に済む話だったんだ)
 そうとなれば、行動は早い方がよい。左巻はベッドから飛び降りると、手櫛
で髪を整え、服のしわを伸ばした。それからドアのロックを解除した。
 扉を開け、できた隙間から廊下に首を出す。左右を窺い、誰もいないことを
確かめる。そして、渡辺がいるであろう部屋を目指し、歩き始めた。
(……そういえば)
 息を潜めて歩く道すがら、無意識の内に引っかかっていたことが、心に浮か
んだ。
(開票のとき、執事さんは何で、投票結果を全部は言わなかったんだろ?)

           *           *

<――逃亡中だった殺人容疑者と殺人罪で服役していた脱獄囚が、相次いで身
柄拘束されました>

<――真壁(まかべ)容疑者と三村服役囚とは面識がありませんでしたが、逃
亡の最中に出会い、意気投合した模様です>

<――二人は、Nにある作家の竜藤輝平(りゅうどうきへい)さん、本名・本
間国彦さん所有の家屋に侵入し、竜藤さんと手伝いの男性を殺害した後、竜藤
さん宅の家人になりすましていました>

<――竜藤さん宅では、竜藤さんらの他にも男女七名の変死体が確認されてお
り、身元の確認を急ぐとともに、両容疑者の関与を追及しているとのことです>

<次はCMを挟み、Nで発生した土砂崩れの復旧に関して、続報をお伝えしま
す――>

――終




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