AWC そばにいるだけで・リフレインその1   寺嶋公香



#405/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  12/04/27  23:58  (465)
そばにいるだけで・リフレインその1   寺嶋公香
★内容                                         17/04/26 16:34 修正 第2版
 水曜日、小学校から帰った碧は台所に直行した。母が在宅していることは確
認済みである。
「次の日曜、クラスメートの家に行くね」
 用件を伝えてすぐに自分の部屋に行こうとした。そんな娘を母の純子は振り
返って呼び止めた。
「待ちなさい、碧」
「ん、何?」
 碧も足を止めて振り返る。包丁をまな板に置いて、手を拭こうかどうしよう
か迷っている。そんな風情の母が目に映る。
「気になるじゃないの。わざわざ断るところをみると、何かあるのかなと思っ
て」
「――私、いっつも、断らずに友達の家に行ってた?」
「そんなことはないけれど……。あ、クラスメートという言い方は、今日が初
めての気がするわよ」
 違和感の正体に気付いたとばかり、母が表情を明るくした。碧はかなわない
なと内心呟きつつ、どう説明するかを素早く考えた。
「実は、男子の家に行くの」
 ストレートに答えた。どうせごまかせない。
「ふうん」
 母の反応は碧が予想したのと違い、淡泊だった。
「お母さんは子供の頃、男子の家に行くのって珍しくない子だったの?」
「どうしてそう思うの」
「だって普通、小学六年生の娘が男子の家に行くと言ったら、もう少しびっく
りするとか、わけを聞こうとするもんでしょ」
「びっくりしてるし、わけも聞きたいわ。あなたがそんな言い方をするという
ことは、一人で行くのね?」
 母の注意力にはよく感心させられる。父はこれに輪を掛けて、観察力も分析
力もあるから、隠しごとをしづらいったらない。
 碧が黙って首肯すると、母は重ねて「もしかして、ボーイフレンド? 好き
な男子という意味の……」と尋ねてきた。最早、料理の下ごしらえは完全にス
トップしている。
「全然」
 碧は首を激しく左右に振った。ポニーテールが揺れる。
「小和田はどちらかと言えば……喧嘩相手じゃないけど……競争相手? 今度
行く羽目になったのだって、勝負して負けちゃったからで」
「小和田君というのね、その男の子。何だか面白そうな経緯があったみたいだ
けれど」
「面白くない。ここのところ、女子と男子に別れて、ドッジボールをやってて
さ。女子チームがずっと連勝していたのよ」
「暦も前に似たような話していたわ。六年生になって、身長で逆転されたせい
だって」
「そうそう。クラスで背の高い人も、ベストスリーまで女子だもの。それで、
私じゃないんだけれど、調子に乗った女子が何人かいて、男子を見下したよう
なことを言ったのかな。いつの間にか、罰ゲーム付きでドッジボールをするこ
とになってた」
「ところが今日、思わぬ敗戦を喫したと。罰ゲームが男子の家に一人で遊びに
行くこと?」
 小首を傾げる母。碧は「遊びに行くんじゃないよ」と否定した。
「半日間――正確に言うと朝の八時半から夕方五時まで、召使いをするの。何
でも言うことを聞かなきゃならない」
「メイドさんみたいなものね」
「どうかなあ。体操着を持ってこいとか何とか言ってたけど」
「罰ゲームは、碧だけ? 他の子は?」
「それそれ、そこなの!」
 不満の溜まっている碧は、声に思わず力がこもった。
「勝ったチームの中で、退場させた人数の一番多い人が、負けたチームの中か
ら一人を選んで召使いにするって決めてたのよ。それで負けが決まってがっく
り来たけど、でも私じゃなくて、男子を見下してた三、四人ぐらいから選ばれ
ると思ってたら――」
 そのときの悔しさと驚きが甦り、拳を握る碧。
「あいつ、何故か私を選んだ。わけが分からない」
「理由、その場で聞かなかったんだ?」
「ううん。何でよってすぐに聞き返したら、『おまえが女子のリーダーだし、
委員長だし』とか何とか、またわけの分からないことを」
「……女子が調子に乗ったのは、リーダーに全ての責任があるということかも
ね。あなた達の年頃では、珍しい考え方かな」
「でしょ? 普通、恨みのある当人を選ぶものなのに」
「恨みって」
 苦笑いを浮かべた母は、思い出した風に両手を合わせた。
「おやつ食べないの? 暦はもう持って行ったわよ」
「腹が立ちすぎて、忘れてた」
 そう言って、お腹に片手を当てる碧。腹が立ちすぎているせいではないだろ
うけど、あんまり空いていない気がした。

 小和田龍斗の家がどこにあるのか知らなかった碧は、双子の弟の暦から住所
を聞いた。
「あいつが転校したての頃に何回か行ったきりだけど、変わってないはず」
「そりゃそうでしょ」
 住所を見て、頭の中で地図を思い描き、だいたいの見当を付ける。これなら
大丈夫、迷わずに行けると確信した碧は、メモした紙を仕舞った。それから少
し考え、弟に聞いてみた。
「小和田君て、どんな性格?」
「姉さんだって、割と学校で話してるじゃん」
 宿題をとうに終え、絨毯の上で俯せになって本を読んでいる暦は面倒臭そう
に応じた。碧はそんな弟のぶらぶらさせている足をいきなり掴んだ。
「わ、何するっ」
「男子の間でしか出さない面もあるでしょ。そういうのを知りたいの」
「……日曜の対策で、少しでも弱点を掴んでおきたいってこと?」
「そういう気持ちもゼロじゃない。でも、それ以上に何でよりによって私なの
か気になるし、性格が分かれば明日どんなことを命令されるのかも、多少は見
当が付くかなと思って」
「命令ねえ」
 読書をあきらめた暦は本を閉じた。身体を起こし、ともに床に座った姿勢で
改めて話し出す。
「小さい弟や妹がいるはずだから、相手をさせられるんじゃないかな?」
「だったら、もっとふさわしい女子がいるわ」
 何人かの名前を挙げようとした姉の口を、暦は押しとどめた。
「まず言っておくと、というか前にも言ったように、姉さんは男子の間で人気
がある」
「それ、疑わしいのよね。本当に今でも?」
 自覚するようにはなっていた。だが、罰ゲームの対象に指名されるという憂
き目にあったあとだけに、甚だ疑問に感じてしまう。
「今もだよ」
 弟は呆れ口調になった。
「小和田は女子に関心ないみたいな態度を取るから、好きな女子が今いるかど
うかは分からないけれど、少なくとも姉さんを嫌ってはいない。だから多分、
意地悪な命令は出さないよ」
「そうかなあ」
「宿題関係とエッチなのはNGってその場で決めたんだし、だったら他にどん
な嫌なことがあるっての?」
「……変な顔を写真に撮られるとか、秘密を言わされるとか……」
「姉さんに秘密があるなら僕もぜひ聞きたい」
「あるわよ、秘密の一つや二つ。でも教えない。あ、同じ秘密でも、暦の秘密
を教えろって命じられたらどうしよっか?」
 いいことを思い付いたと言わんばかりに、にんまりする碧。暦はわずかでは
あるが、動揺を表面に出した。
「な、どんな秘密を知ってるってんだよ」
「さあ? 少し前までは、好きな女子の名前だったんだけど、もう知れ渡った
ようなもんだし、そうなると暦が初めて書いたラブレターの中身――」
「知ってるのか? 何で?」
 慌てて言葉を被せてきた弟に、姉はすっくと立ち上がって表情を緩めた。
「言わないわよ。他の男子が興味あるとも思えないし。まあ、知ったら知った
で、面白がるでしょうけどね」

 朝八時半には着いていなければいけない。距離だけなら自転車で十分掛から
ずに行けるはずだけれど、碧とって初めての場所。念のため、彼女は朝八時に
自宅を出た。前籠には、薄いピンク色のスポーツバッグを入れてある。中身は
体操着やタオル、ブラシその他諸々。
(お泊まり会に行くみたいじゃないの)
 自分の想像がおかしくて、噴き出した。笑いを堪え、覚えた道順を急ぐ。す
ると案の定、早く着いてしまった。ヘルメットを取り、バッグと入れ替わりに
前籠へ。それから髪の乱れを直してと、時間を潰すのも五、六分が精一杯。
「さぁて、どうしよう……」
 道路を挟んで反対側から、小和田龍斗の家をちらちら見やる。二階建てのな
かなか大きな家屋ようだ。角度の緩やかな屋根のおかげか、広そうに見える。
駐車スペースがあるが、今は空っぽで、脇に自転車が三台、置いてあった。碧
が乗るのと同じぐらいのサイズが一台に、小さめのが二台。
(そういえば、三人兄弟と言っていたわ。一つか二つぐらい下と思ったけれど、
あの分だと小学一、二年生かな)
 当たりを付けた碧だったが、ふと今の自分の有り様を客観的に捉え、気恥ず
かしくなった。他人の家をじろじろ見て、家族構成を想像するなんて、時間潰
しにやることではない。これなら、早く到着したことを伝えた方がまし。
 そう思い、自転車を押して玄関先に向かい始めたところ――その玄関のドア
が勢いよく開いた。
 赤のサスペンダースカートを着た、女の子が飛び出して来た。
「あ。この人? ねえ、この人?」
 碧の方を指差しながら、後ろを振り返る女の子。足下への注意が疎かになっ
ているようだが……。奥には小和田龍斗がスニーカーを突っかけ、少々ふらつ
きながら出て来ようとしていた。と、彼が面を起こすのと同時に、女の子が転
びそうになった。
「あっ」
 小山田と碧が揃って声を挙げた。すでにそばまで来ていた碧は両腕を伸ばし、
女の子を支える。重心が高いせいか、案外押された。しゃがんでしっかり受け
止めてから、「大丈夫?」と尋ねた。相手はびっくりしたみたいに、目を真ん
丸にしてこくりと頷く。後ろから小和田が追い付いた。
「悪ぃ、窓から見えたんで、来たっていったら、飛び出していって止める間が
なかった。――って、何でスカート履きなんだ?」
「何でって」
 いきなり妙な質問をされた碧は、女の子――小和田の妹に違いない――の手
を取ったまま、すっくと腰を上げた。そして右肘に掛けたバッグを、前に出す。
「体操着なら持って来たわ」
「……ちゃんと聞いてなかったな。体操着でも何でもいいから、動きやすい格
好してきてくれって言ったんだ」
「……ごめん、聞き違えた。あのときは罰ゲームの対象にされて、動転してた
のよ」
 頭を下げた碧。つられたか、女の子までお辞儀している。
「ま、いいや。碧さんでも間違えることあるんだな」
「私って、どういう風に見られてるわけ?」
「そりゃあ――おっと、もうすぐ八時半だ。油を売ってないで、しっかり働い
てもらおうかな」
「あと五分ぐらいあるじゃない」
「着替える時間だよ。でも弱ったな。着替える場所、考えてなかった」
 言葉をぽんぽん交わす“年長者”二人の間で、女の子は視線とともに首をせ
わしなく振り、やがて待ちくたびれたように声を上げた。
「ねえ、龍斗兄。紹介してよ、ねえ」
「そうだった。えー、同級生の相羽碧さん。昨日、罰ゲームに負けて、じゃな
かった、ドッヂボールに負けて罰ゲームとして今日半日、小和田家の……メイ
ド? 違うか。まあ、そんなところだ」
 かなりいい加減な紹介と説明だわと、内心呆れる。小和田は碧に向き直り、
逆方向の紹介を始めた。
「こっちが妹の千鶴子で、二年生。あっちが――」
 と示そうとして、小和田は首を傾げた。その対象が不在であることに、今初
めて気が付いたらしい。
「おーい、鷹! 鷹彦、どこ行った?」
 弟は鷹彦というようだ。呼ばれても姿を現さなかったが、ふと視線を感じた
方角に目をやると、玄関戸の蝶番側にできた隙間から、外を窺う小さな子の姿
が見え隠れしている。
「何してる」
 小和田が小走りで行き、弟の手を引いて出て来た。
「こっちが鷹彦、やっぱり二年」
「二人とも二年生っていうことは、私と暦みたいに双子?」
「ちょっと違うんだな、これが」
 碧が言うのへ、気付いてくれたかと嬉しそうに答える小和田。
「鷹は四月生まれ、千鶴(ちづ)は年が明けて三月生まれなのさ」
「へえー、一年経たない内に、二人の子を産むなんて、珍しい気がする」
「だよな。親父達が頑張ったんだ」
「――下ネタ?」
「ち、違うっ」
 漫才かコントめいたやり取りを通じて、碧は小和田の性格を何となく理解し
ていった。
 と、そのとき、しばし入り込めなかった千鶴子が、我慢できなくなったとば
かりに割って入ってきた。
「ちゃんと挨拶させてよ、龍斗兄。――はじめまして、小和田千鶴子、二年二
組です」
 そして元気よく言い放った。

 浴室に隣接する脱衣所で着替えたあと、まず命じられたのは、掃除だった。
「ほんとに、召使いか使用人扱いなのね」
「だってしょうがねえだろ。他に思い付かねえんだし」
「小和田君の部屋も片付けちゃっていいの?」
 碧が腕まくりをすると、小和田は腕を前に突っ張り、大慌てで両手を振った。
「それは困るっ。つーか、そんなに汚れてねーし」
「じゃあ、千鶴ちゃんや鷹君の部屋は、どうすれば……」
「うーん。本人達に聞いてくれりゃいい。とにかく、やって欲しいのは廊下と
階段と、あと俺達が共同で使う遊び部屋」
「いいなあ、子供達だけの遊び部屋があるなんて。ところで、さっきから気に
なってるんだけど」
 箒とバケツと乾いた雑巾を渡された碧は、三角巾の収まり具合を気にしつつ、
振り返った。
「ご両親は?」
「あ? 仕事でいない」
 当然のように答える小和田。碧は念のため、「二人とも?」と質問を重ねた
が、返答はやはり“応”であった。彼女の家庭でも、両親とも仕事で不在とい
うことはあるので、特に驚きはしない。ただ、小さな弟や妹がいると、一番上
の子は大変かもしれない。
「何時頃お帰りになるの?」
「夕方になる。罰ゲームが終わる五時よりも遅いに決まってるから、関係ない
だろ」
「……お昼はどうすればいいのよ」
 少々むすっとして、食事のことを持ち出す。
「お昼って、昼飯だよな。ついでだから言っとく。頼みたいことの本命は、昼
飯なんだ」
「ひょっとして、料理も作れって?」
「ああ。休みの日って、親がいないと自分達で昼飯用意しなくちゃいけない。
俺だと、インスタント麺とレトルトの繰り返しだから……たまにはその、千鶴
と鷹にまともな昼飯を食べさせてやらないとかわいそうだと思って」
 話す内に恥ずかしさを覚えたか、どんどん早口になった小和田。顔を逸らし、
続けて言う。
「この間、何で碧さんを選んだのか、不思議がってたみたいだけど、家庭科の
調理実習を見てて、クラスで料理の腕が一番ある女子に頼みたかった、それだ
けだからな。恨みはない」
 碧はすかさず、「恨まれてたまるか」と言い返した。でもさっきむくれたの
が嘘のように、その顔には笑みが広がる。嫌われていたのではなかったし、意
地悪をされたわけでもないと分かった。その上、料理が上手と認められたとな
れば、ご機嫌にもなろうというもの。
「材料はー?」
 掃除に向かいながら、ふと疑問に思って聞いてみた。まさかお金を出して、
買いに行かされはしまい。
「冷蔵庫にある物で適当に頼む」
「分かったわ。やってみる」
 ある物で作れなかったらどうしよう――そのときはそのときだ。

 廊下のぞうきん掛けを始めた矢先、小和田が姿を見せた。それまでずっと、
弟と妹の相手をしていたらしく、楽しげな声が聞こえていたが、一段落したら
しい。
「どう?」
 掃除途中の状況を見せ、こんな具合でいいのかを確認する。小和田はざっと
見渡し、「いいと思う」と答えた。それを聞いてぞうきん掛けを再開する碧。
端まで行って、戻ろうと向きを換えると、目線の先にコンパクトカメラを手に
した小和田の姿を捉えた。
「な、何やってんのよ!」
「そのまま続けてくれ」
「カメラでしょ、それ? 何のために……」
「だって、クラスの男子連中に言われてんだよな。証拠の写真を撮れって」
「証拠?」
 ぞうきんを両手で握りしめ、しばし説明を聞く体勢にならざるを得ない。
「だから、碧さんがちゃんと罰ゲームを受けたって証拠だよ」
「小和田君から言ってくれれば、それでいいじゃない」
「俺もそう思った。けど、あいつら、『それじゃあ完全には信用できない。見
に行く』って言い出したから。大勢で押しかけられても迷惑だし、そっちだっ
て嫌だろ」
 碧はこくこくと頷いた。
「それで写真を何枚か撮るから、おまえらは来るなってことになった」
 これで説明終わりとばかり、シャッター音。
 碧は首を傾げ、かゆくもない頭を掻いた。
「しょうがないわね。あんまり変なところを撮らないでよ」
「変なところって?」
「着替えてるところ」
「撮らねえって! あくまで罰ゲームの証拠のためなんだからな」
「でもさっき、後ろから撮ったんじゃない? お尻のアップとか、恥ずかしい
んだけど」
「……」
 言われて初めて思い当たったらしく、小和田はコンパクトカメラの撮影済み
画像を確認し始めた。やがて答えたその声は、最前よりも小さくなっていた。
「……無意識の内に撮ってた。何となく、面白いかと思って。嫌なら削除する」
「どっちでもいいよ。そんな写真、見せたら見せたで、小和田君、他の男子か
らからかわれるんじゃないかな」
「……それもそうだ」
「あとね、私、これでも一応はプロだから。もしもプライベート写真を売ろう
としたり、流出させたりしたら、事務所が訴えるかも」
「げ、まじ?」
 小和田はあわてふためき、両手の中で、カメラを踊らせ、挙げ句に取り落と
しそうになった。どうにかセーフ。そこへ碧が声を掛ける。
「うふふ、もちろん冗談よ」
 やり返した碧は、口元をほころばせた。小和田は反対に汗を拭う仕種をする。
「あせった〜。迂闊に写真を撮れないかと思った」
「証拠のためだけなら、それ用にポーズを取ってもいいんだけど、嘘っぽくな
るかしら。まあ、適当にどうぞ」
「どーも。じゃ、遠慮なく。この家だと分かる場所がいいよな、やっぱり」
 などと会話しつつ、ぱしゃりぱしゃりとシャッターを押す音が小さく響く。
何枚か撮られた時点で、小和田の口数が減ったことに気付いた。
「終わった?」
「ん……改めて、モデルのアルバイトをしてるの、納得できるよな」
 撮影済み画像の具合を確かめていたようだ。碧はそばまで行って、顔をしか
めた。
「またセクハラめいたことを言う」
「そんなつもりじゃないって。真面目にそう感じた。段違い」
「ありがと。でも、誰と比べて段違いって?」
「クラスの他の女子とか」
「いいのかな、そんなこと口に出しちゃって。みんなに知られたら、小和田君、
嫌われるかも」
「……仮に碧さんが言いふらしたとして、碧さんも嫌われるぞ、多分」
「それもそっか。じゃ、内緒ね。――写真はもういいでしょ。掃除、最後まで
済ませるから、気が散らないように、さっさと行った行った!」
 碧が言うと、小和田は「お、おう。ありがとな」と早口で応じ、素直に退散
した。
 それからまた小一時間ほど経過し、日が少し高くなってきた。
 広い家とはいっても、余計な障害物がある訳でなし、また、日常的に溜まっ
た埃や軽微な汚れを落とす程度の作業だったので、廊下と階段の掃除は意外と
早く片付いた。
「これぐらいやれば、文句ないでしょ」
 ぞうきん掛けを終えたろうかを振り返り、碧は呟いた。腕の汚れていない箇
所で額を拭いつつ、視線を振る。小和田の姿を探すが、見当たらない。最終的
なOKをもらいたいのだが。
 碧は小和田がいるであろう遊び部屋とやらを、声を頼りに探した。どうせそ
こも掃除するよう言われているのだ。
(ここね)
 ふすま越しに三人の声が聞こえる。和室を遊び部屋にしているのは、ひょっ
として、むやみに暴れないようにするための予防策か。
「入るよ? いい?」
 ふすまをノックするやりにくさを覚えつつも、碧は声を張った。
「どーぞ」
 反応したのは千鶴子の声。ほんとに元気がいいなと感じつつ、碧がふすまを
開けると、仲良く?遊ぶ三人の姿が目に入る。小和田は四つん這いになり、弟
と妹を背中に乗せていたのだ。碧と目が合うと、慌てて立ち上がろうとする。
「……カウボーイごっこ?」
「その、疑問形でぼそりとつっこむの、やめろよ。何故か、物凄く精神的ダメ
ージが」
「――廊下と階段、ひとまず済んだから、あれでいいのか見てもらおうと思っ
て来たのだけれど、お邪魔だったかしら」
「邪魔じゃないけど。あと、別に見なくてもいい。さっき写真撮ったときに見
たし、あれなら充分OKさ」
「それじゃ、残るはこの部屋だけね。ふむ、結構散らかってる」
 手で庇を作り、見渡すポーズの碧。実際、そうしたくなるほど広い部屋だ。
あちらこちらに、模型や人形といったおもちゃ、あるいはボール、本、クッシ
ョンなどがほったらかしになっているが、にもかかわらず広く感じる。
「ここは掃除機で頼む」
「いいけれど、先に散らかっている物を片付けないと、色々と吸い込んでしま
いそう」
「分かった。一緒にやるとするか」
 小和田が小さな二人に声を掛けると、千鶴子は「やるー!」と手を真っ直ぐ
に挙げた。鷹彦は黙ったまま、頷いていた。

 子供の遊び部屋を片付ける間、碧は千鶴子に懐かれ、よく話した。モデルや
芸能界に強い興味があるらしく、碧にあれこれ聞いてきた。懐かれるというよ
り、纏わり付かれると表現した方が適切かもしれない。おかげで片付けが、思
ったほど捗らなかったくらいだから。
 一方、鷹彦との距離は、初対面のときからほとんど変化していなかった。鷹
彦は兄にぴったりひっついていて、碧とはほとんどまともに話もしていない。
碧が視線を向けると、すぐに顔を背けてしまう。
(嫌われてる感じはしないものの、気になるなあ……)
 考え事をしつつ、床に散乱する物を片付けていると、ふと、手にした本に意
識を吸い寄せられた。白と赤からなるカバーに、黒い文字で『感嘆符の密室』
とある。ちょっとした評判を呼んでいる推理小説で、碧もいずれ読みたいと考
えていた。
「小和田君て、こういうの読むの?」
 顔を起こし、書籍を示しながら聞いてみる。目線の先では、小和田と一緒に
鷹彦も振り返っていた。名字で呼んだせいだろう。向こうも小さいながら気付
いて、慌てて顔を伏せていた。
「あ、それか。読んだよ。ふりがなのない難しい漢字が多くて、時間掛かった
けどな」
「というか、推理小説、好きなの?」
「ま、好きな方だよな、うん。怪人二十面相と少年探偵団が最初で、それから
明智小五郎、シャーロック・ホームズの順に読んでいった」
「ふうん」
 小学校の授業には、読書の時間があるけれども、クラスの男子がどんな物を
読んでいるかなんて、まるで知らなかった。小和田のイメージだと、スポーツ
選手の伝記物を好みそうな感じだが、完全に外れだった。いや、スポーツ選手
の伝記も読めば、推理小説も読むのかもしれない。
「私もミステリが好きで、よく読むのよ」
「暦から聞いて知ってる」
「あらら。余計なお喋りをしてるんだろうなあ」
「だいたい、碧さんと暦は揃って手品好きだろ。そこから想像できてた。おい、
手が止まってる」
 言われて片付けに戻る。話題を換えるつもりはなかったのだが、千鶴子に話
し掛けられ、芸能界に関するお喋りを再開することに。
「レイセスの紫苑に会ったことある?」
 千鶴子は、人気バンドのギタリストで俳優もやっている二枚目の名前を挙げ
た。小学二年生にしては、なかなかませている。
「残念、私はないなー」
「なんだー」
「でもね、私のお母さんが共演したことあると言っていたわ」
「ほんとに?」
「本当よ。千鶴ちゃんは観たかな、ちょうど一年前ぐらいにあった、『ローア
ンドロープ』っていう特撮」
「観た観た! ていうか、あれで紫苑のこと覚えたもん」
「あの番組に、私のお母さんもゲストで出たのよ。引退した元アイドル役で」
「覚えてる。へー、おばさんには見えなかったよ。若くてきれいな人だった」
 千鶴子の発言に、碧は微苦笑を浮かべた。この子は私の母を何歳と思ってい
るんだろう?
「碧おねえちゃん、じゃあねえ、アイリーン・ワトソンは?」
 今度は、ハリウッド一線級の女優と来た。ファンタジー作品のレギュラーキ
ャラクターがはまり役で、少女と中年女性を演じ分けたことでも高く評価され
ている。碧も映画で観て、メイキャップ技術込みとは言え、感嘆させられた。
さすがに接点は皆無だ。そのことを告げると、千鶴子は意外にがっかりした様
子は見せなかった。
「大きくなって、アイリーンに会えるくらいになってね」
「千鶴ちゃん。私、まだモデルしかまともにしたことないんだけどなぁ」
「スーパーモデルになればいいわ」
 当たり前のように、簡単に言う千鶴子。碧は苦笑を禁じ得なかった。

 冷蔵庫の扉を開けると、食材がたっぷりあった。ぱっと見たところ、レトル
トや冷凍食品、インスタントの類が多く、生鮮食料と呼べそうなのは、卵とキ
ュウリぐらいだった。
(この冷凍してるお肉、高い! 何だかもったいない買い方してるなー。私が
気にすることじゃないけど……。何にしたって、お昼にこれは贅沢)
 他の物を探す。
(卵とグリンピース、鶏肉のささみでオムライス。あ、豆腐が出て来た。麻婆
豆腐ができるかも。とりあえず、サラダは作りたいのだけれど、キュウリの他
に生野菜が……。念のため、聞いてみようっと)
 廊下に顔を出し、小和田を今度は下の名前で呼ぶ。すると、当人はすぐに飛
んで来た。
「何だ何だ。急に龍斗なんて呼ぶから、びっくりしたぜ」
「千鶴ちゃんと鷹君に勘違いさせないためよ。それよりも、生野菜、もっとな
いの?」
「野菜はあんまりっていうか、ほとんど食べないからなあ。あ、芋とかゴボウ
ならどっかに保管してたはず」
 小和田が探しにかかると、じきに見つかった。じゃがいもやにんじんといっ
た根菜類が、地下収納スペースにまとめて置いてあった。
「……まあ、何とかサラダもできそうね」
「サラダ? ダイエット食に付き合わせる気かよ」
「失礼ね。まず、私はダイエットなんて必要ない。次に、サラダがメインのよ
うに思ってるようだけれど、ちゃんと考えてますから」
「まじ?」
「何がよ」
「ダイエットしてないっての、本当かってこと」
 そう言いながら、小和田は視線を上から下へと――碧の頭のてっぺんから爪
先まで――動かした。
「人の身体をじろじろ見るなっ。嘘なんかついてないわよ」
「悪い。いや、やばいなあ。俺、さっき千鶴にモデルやるようなおねえちゃん
はどんな物食べるんだろうねって聞かれたから、適当にダイエット食だろって
答えちまった」
「訂正しときなさいよ。出るべきところが出て、引っ込むべきところが引っ込
んだ身体になるためには、食べて運動しないと無理。少なくとも私はそうして
る」
 例外はいるけれどもと心の中で付け足す。碧の母がその筆頭だ。
「それじゃ、そろそろ本格的に取り掛かるけれど、リクエストがあるのなら今
の内よ。変更できるかどうかは別にして、希望は聞きますから」
「特にない。鷹が物凄いピーマン嫌いだが、ピーマンは買ってこないからない
だろうし」
「了解」
「……手伝わなくていいか?」
 三角筋を被り直した碧は、不意にそんな声を掛けられて戸惑った。
「何言ってんの。小和田君、あんたは今日、私をどういう名目で呼び出して、
こういうことをさせてるんだったかしら?」
「……まあ確かに」
「いつもは昼食作りの時間、二人の面倒を見られないんでしょ? 今日は一緒
にいてあげなさい。いいわね?」
「言われなくても、そのつもりだ」
 吹っ切るように強い調子で言うと、小和田は台所から小走り気味に立ち去っ
た。
 後ろ姿を見送った碧は、微笑混じりの息をついた。
(さあ、がんばって美味しいのを作らなくちゃ)

――つづく




#406/598 ●長編    *** コメント #405 ***
★タイトル (AZA     )  12/04/28  00:01  (430)
そばにいるだけで・リフレインその2   寺嶋公香
★内容                                         17/04/26 16:26 修正 第3版
 ゴボウとにんじんとキュウリのサラダ。
 チャーハンはソーセージ入り。
 白だしの素で作った汁物には、スライスしたじゃがいもが浮かぶ。
「ここまでは分かる。これ何だ?」
「中華風パスタよ」
 乾燥パスタをお湯で戻した物に、麻婆豆腐風のあんをソースにして掛けた物。
「麻婆豆腐の素も、家になかった気がするけど」
 パスタの皿をしげしげと見ながら、千鶴子が言った。
「なかったわ。でも片栗粉や調味料があれば、こうしてできるの」
「挽肉ってあったか?」
 小和田が箸の先で、パスタの上の肉をつつく。碧は行儀が悪いと注意してか
ら、
「期限切れの迫ったレトルトのハンバーグを見つけたから、それを潰して、ね」
「おー、なるほど」
「感心されると、恥ずかしい。昔から知られた、余り物を活用する基本中の基
本よ。さあ、冷めない内に」
 勧める碧も実は空腹を覚えていた。朝から働きっぱなしだったせいに違いな
い。椅子に座り、両手を合わせる。軽く目をつむったとき、「お」と小和田の
声が聞こえた。
 その声に目を開けると、箸を手にした小和田が見えた。
「家でもやるのか、『いただきます』って」
「当然」
「しょうがない。――ほら、鷹、千鶴。『いただきます』しろ」
 箸を置き、三兄弟妹揃って、手を合わせる。
「いただきます!」
 さて、お腹が空いていても、作った当人としては他人の感想が気になるし、
真っ先に口を付けるわけに行かない。箸を持つだけで、三人が一口食べるのを
待った。そして、「どう?」と聞く前に、反応が返ってきた。
「……美味しい」
 最初に言ったのは、意外にも鷹彦だった。チャーハンを続けざまに、かき込
むように食べ始めた。
「変な組み合わせと思ったけど、このスパゲッティも美味しいよ」
 これは千鶴子。長いパスタを高く持ち上げ、その下からぱくっと食べようと
している。美味しいと言われたばかりで、注意する気が削がれてしまった。
 代わりに、まだ黙ったままの小和田に顔を向けた碧。
「味はどう?」
「言う必要あるか? 二人に同じだよ。ま、俺の目に狂いはなかったってこと
だな」
「……光栄ですわ、ご主人さま」
「ばかなこと言ってないで、碧さんも食べなって」
「お許しを得ましたので、改めていただかせてもらいますわ」
「……ったく」
 食事中の話題に関しては、やはり千鶴子が主導権を握り、碧にモデル業のこ
とをあれこれ聞いてきた。流れで、碧が母の場合について話す回数が増える。
そうする内に、ふと小和田が言い出した。
「そういや、碧さんのお母さんが出ている昔の映画、観たことあるんだ」
「ありがとう。でも、本人の前では、昔の映画って言ったらだめよ」
「まじか。会えたら、気を付ける」
「でも放送されたかしら? 最近はなかったと思うけど」
「レンタルしてきた。クラスで噂になったから、男子何人かで借りて、観たん
だよ」
「うわあ。わざわざどうもです。私か暦に言ってくれたら、家にあるのを貸し
たんだけどな」
「観たのを秘密にしておきたくて。少女漫画が原作の恋愛映画なんて、同級生
の親が出てるとかじゃなきゃ、絶対に観ない」
 そういうジャンルの作品を、クラスの男子の誰がどんな顔をして借りに行っ
たのやら。
「確かに美人だよな。碧さんに似てるし」
「それは私も美人だと言うこと?」
「自覚してるくせに、今さら何を」
「ばれたか」
 碧は舌先をちらと出し、笑ってみせた。そのときになって、お茶を用意して
なかったことに気付く。立ち上がったはいいが、どこに急須や湯飲み、お茶の
葉があるのか、すぐには分からない。小和田に「どうした?」と問われ、お茶
の準備忘れを伝える。
「座って。それぐらい、俺がやる」
「でも、今日一日は」
「だから、お茶ぐらいは俺が入れる。その方が早い」
 洗面台の方に向かう小和田。碧は向き直ると、椅子に腰掛け直した。
「龍斗兄はあんな態度取ってるけど、碧おねえちゃんのこと、とっても感謝し
てるから」
 フォローのつもりなのだろう、千鶴子がすかさず言った。小音量なので、小
和田の耳には届かなかったようだ。
「ありがと。私も来るまではちょっと憂鬱だったけれど、今は来てよかったと
思ってる。あとで時間があれば、二人とも遊びたいな、千鶴ちゃん、鷹君」
「私もー」
 そう呼応する千鶴子の隣で、名前を出された鷹彦がびっくりしたように目を
開け、碧の顔を見ている。微笑みかけると、今度は視線を逸らさず、鷹彦も笑
顔になった。
「僕も遊びたい」
「よし、決まりっ。もしも時間が取れそうじゃなかったら、二人からお兄さん
にお願いしてね」
 そんな会話から三十秒と経たない内に、お湯が沸き、お茶を入れて小和田が
テーブルに戻ってきた。
「何の話をしてたんだ?」
「別に。お茶、ありがとう」
「――碧さんは、映画とかドラマとか、出る気はあるの?」
「あるわ」
 この問い掛けが小和田から出たことに少し驚いた碧だが、返事は即答だ。
「今は、映画に出たい・ドラマに出たい、じゃなくて、色々経験してみたい、
の一つなんだけれどね。一応、演技の勉強は独学でしてる」
「へえ。将来はやっぱり、そっちの、芸能界入り?」
「分かんない。他にやりたいことが出て来るかも。全然別のことをしている可
能性の方が高いと思うわ」
「ふうん。俺が言うことじゃないけど、モデルまでやめるのはもったいないと
思うぜ。……それに、俺がファンの有名人の知り合いになったら、サインを頼
むつもりなんだから」
「誰のファン?」
 碧が率直に聞き返すと、小和田は明らかに戸惑いの表情を見せた。意地の悪
い言い種に、碧が何らかの怒った反応をするものと思い込んでいたらしい。
「えっと……俺の一番会いたい有名人は、架空の人物だからいいや。だいた
い、実在する人物の名前を挙げたら、それと知り合うよう、努力してくれるの
かよ」
「まあ、今日中に頼まれれば、私は召使いだから考慮せざるを得ないわけだし」
「ばか、未来にまで効力あるはずないだろ。もしあったら、たとえば……十年
後、俺の大学卒業祝いに花束持って来い、とか言えることになる」
「小和田君て、根が正直で、優しいんだね」
「――」
 何か言い掛けた小和田だったが、もう何を言ってもしょうがないと考えたか、
口ごもると、残りの料理を一気に片付けに掛かった。
 と、兄と碧の会話を、食事を中断してまで見守っていた千鶴子が、ここぞと
ばかりに口を開いた。
「ねえねえ、碧おねえちゃん。モデル、絶対に続けて欲しいって私は思ってる
よ」
「そうね。アイリーン・ワトソンと顔見知りになれるよう、がんばらないとい
けない」
 約束はできないけど、目標の一つにするのも悪くないかも。
「鷹彦君は、会いたい有名人って誰かいる?」
「僕は……ルナティカル・ナイト」
「ルナティカル・ナイトって、ああ、あのアニメの」
 ようやく小学校低学年らしい答を聞けて、どこかしらほっとする碧。だが、
次いで首をちょっと傾げてしまった。ルナティカル・ナイトなる男性キャラク
ターは確か、長寿アニメ番組「フラッシュレディ」シリーズの登場人物で、ヒ
ロインを陰から日向から見守り、助ける役だ。少女向けのこのアニメにおける、
ヒロインの憧れの対象でもある。
(鷹君て、女の子向けのアニメ観てるんだ。多分、男の子向けも観てるんだろ
うけど、自分のなりたい理想の男性像が、ルナティカル・ナイトということな
のかしら)
 そんな風に想像を巡らせ、碧は、斜め前に座る恥ずかしがり屋らしい男の子
について、そんな風に想像を巡らせた。兄の小和田龍斗とは、性格をかなり異
にするようだが、ともに架空の人物に会いたいという辺りは似ていると言えな
くもない。
「ああ、うまかった。ごちそうさん。いや、ごちそうさまでした」
 いち早く食べ終えた小和田が、手のひらを合わせた。鷹彦と千鶴子も慌てて
箸を置き、同じようにしようとするので、碧は「ゆっくり食べていいのよ」と
言ってあげた。そのあとから、小和田に対し、「かまわないわよね」と確認を
取る。
「問題ない。最初、いただきますをやらせたせいだな。あ、碧さんこそ、ゆっ
くりしとけよ」
「急に優しくなった感じ」
「一時十五分から、またこき使ってやるからさ」
「……納得したわ」
 小学校と同じだけ昼休みをくれるらしい。といっても、食器洗いでそこそこ
時間が潰れてしまいそうだ。
「あ、そうだ。おやつも手作りできるか?」
 台所を出て行こうとしていた小和田が、勢いよく振り返って聞いてきた。碧
は口に運び掛けていたじゃがいもをストップし、眉間に少ししわを作った。
「さっき、そういう目で冷蔵庫を見ていないから、できるかどうか分からない」
「足りない材料は買ってきてくれてもいいよ。実は、親からおやつ代としてお
金を預かってるんだ」
「お菓子の方がよほど難しいのよ。でも、一応は考えてみる」
「よし、任せた」
 小和田の声に反応して、千鶴子と鷹彦が期待一杯の顔を見合わせるのが碧の
視界にも入った。
(こうなると分かっていたら、自宅で時間があるときに作って、何か持ってく
ればよかった)
 内心、ぼやいた碧だった。

 昼の一時十五分を過ぎると、早速買い物に出掛けることにした。千鶴子が着
いて来たがったが、何を作るのか完成するまでのお楽しみ、という理屈をこね、
一人で店に向かう。
 この近所のスーパーを知らなかったので、小和田から教えてもらっていた。
歩いても大して掛からない距離だが、時間の短縮と、万が一にも迷った場合を
思い、自転車にする。ペダルを漕ぎ始めてすぐ、最初の角を曲がり、そのまま
通り過ぎようとしたとき――。
「うん?」
 そこにいた何名かの人影を、横目で捉えられた。見覚えがあると感じてブレ
ーキを掛け、振り返った。
「あんた達……何してんの。探偵ごっこ?」
 クラスの男子三人が、塀に張り付かんばかりに立っていた。向かって右から、
男子で一番背が高いがおとなしい性格の清原、空手をやっているらしい色黒の
真田、いっつも駄洒落を言ってる印象が強い芹沢。いつも連んでる顔ぶれとい
うわけではなく、珍しい組み合わせだった。
「別に」
 真田が答えた。それだけで済ませておけばいいものを、「近くに俺ん家があ
って、たまたま通り掛かっただけさ」と余計なことを付け足した。
「ふうん。そういえば三人ともこの近所だった気がするけれど、偶然、みんな
が揃ったの?」
「おお」
 真田はそう答えたものの、苦しい言い訳だと気付いたらしい。目を逸らした。
代わって、芹沢が口を開く。なぜか手を拝み合わせ、顔いっぱいに笑みを広げ
ながら。
「正直に話すから、怒らんで聞いて」
「聞かなくてもだいたい想像付くけど、いいわ、話してみてよ」
「ああ、よかった。僕らはただ、罰ゲームをちゃんとやってるか、見てみたい
と思っただけで」
「やっぱり」
 碧は大げさに息をついた。自転車のスタンドを立て、腰の両サイドに手を当
てる。
「いるのは三人だけ?」
「あ、うん。でも、元はといえば、一番近い清原が、他の奴らから様子を見て
来てくれって言われて、その気になったのがきっかけだけどさ」
「本当なの、清原君?」
「うん」
 清原は聞こえるか聞こえないかの細い声で言って、頷いた。
「頼んだのは誰なのかしら」
「それは……最終的には、クラスの男子のほとんどが乗り気になって……」
 最初に言い出したのは誰なのか、追及してやってもよかった。が、買い物に
向かう途中だということを思い出した碧。すでに結構、時間を費やしている。
「外から中、覗いてたんじゃないでしょうね?」
「覗こうとしたけど、無理だった」
 悪びれずに答えた真田を、碧はきっ、とにらみつけた。
「だめでしょうが! 他人の家を覗くなんて。それとも、小和田君から了解を
取ったと?」
「そ、それはないけど……写真を頼んだだけ」
「あんたらの指し金だったのね」
 ため息を重ねた碧。何だかこの数時間で、一気に歳を取った気がしないでも
ない。
「罰ゲームはちゃんとやってる。特別なことは何も起きていない。明日にでも
写真を見せてもらって、小和田君から話を聞けば分かることよ。だから今日は
解散! いいわね」
「わ、分かった」
 剣幕に圧された三人は、それでも少し惜しそうにしつつ、承知した。
 自転車のスタンドを戻し、サドルに跨った碧に、芹沢が尋ねた。
「最後に一つだけ」
「あんたって人はコロンボか」
「罰ゲーム、もう終わったのかなと思いまして」
「まだよ。これから買い物。帰って来たときにまだいたら、ただじゃおかない
からね」
 言い残して、碧はペダルを踏む足に力を込めた。遅れを取り戻さなくちゃ。

「何だっけ、こういう日本と外国が一緒くたになった感じ」
 ふかした(といっても電子レンジを使ったが)さつまいもを裏ごしし、甘み
を若干プラスし塩を少々。そうした物を、ラップを用いて手頃なサイズの丸や
星形にまとめ、生クリームや削ったチョコで飾り付ける。
「和洋折衷?」
「それそれ。でも、うまいな、これ」
「ありがと」
「お茶にも合うだろうけど、牛乳との組み合わせが絶妙」
 誉めまくる小和田から、千鶴子と鷹彦へ視線を移す。二人とも一つ目を平ら
げたあと、二つ目は彼らオリジナルの飾り付けに挑戦している。
「あ、いいな」
 千鶴子が鷹彦の皿を覗き込んで言う。鷹彦の皿には、雪だるまのような形が
できあがっていた。
「真似するのもしゃくだし〜」
「真似ていいよ、千鶴ちゃん」
「だるま落としにするっ」
 ……数だけなら雪だるまよりも多くなりそうだ。碧は笑い声を抑えながら、
小和田の顔を見やった。
「あとは何があるの?」
「さて、どうするか。風呂掃除と便所掃除を頼もうと思ったら、いつの間にか
やってやんの」
「やっぱり、やってよかったのね。あんまり汚れていなかったから、簡単に済
んだけれど」
「……宿題」
 口をもぐもぐさせてから、小和田が探るような調子で言った。碧は即座に拒
否の返答。
「それ、なしって決めたじゃないの」
 小和田は飲み物で口の中を空にすると、まともに反論してきた。
「全部じゃない。一箇所だけ分からなかったんだ。そっちはもう済ませたんだ
ろ? そこを教えてくれ。やってくれって言ってるんじゃないんだし」
「私の答で合ってるとは限らないわよ」
「かまうことない。ヒントほしいだけだからさ」
 それなら学校でも友達同士でやっていることだし、別に問題ないか。碧は承
知した。片付けをしている間に、その宿題を持って来てと言った。
 小和田がいなくなり、テーブルの方を振り返ると、千鶴子の前にある皿には、
和菓子のタワーができあがっていた。
「こら。食べ物で遊ぶのは、ほどほどにしようね。分かった? そして、残さ
ず、きちんと食べるように」

 小和田が持って来たのは国語のプリントで、最後の文章題がどうしても分か
らないとのことだった。
「登場人物の気持ちなんて、絶対にこうだと言い切れないだろ。だから苦手な
んだよな。台詞ではこう言っていても、心の中では何を考えているのやら」
「ひねくれてるわね−。素直に解釈すればいいのよ」
 碧がこの手の問題の受け取り方を講釈し、それを繰り返すこと三度。小和田
はようやく納得できたのか、答の欄を彼なりの言葉で埋めた。
(それにしても)
 碧は小和田の手元を肩越しに覗きつつ、思い出し笑いをした。その瞬間、小
和田が振り返ったので、表情を見られてしまった。
「笑ってるってことは間違ってる?」
 焦りを露わにする小和田。碧は急いで首を左右に振った。
「そうじゃないの。今のは思い出し笑い」
「じゃあ、間違ってないんだな?」
「多分ね」
 小和田は大げさな動作でほっとした。筆箱に鉛筆を戻しながら、碧に尋ねる。
「で、何を思い出して笑ってたんだ?」
「隠すことではないんだけど、プライベートというかプライバシーに関わるの
よね」
 はぐらかそうとするが、小和田はここぞとばかりに切り札をちらつかせた。
「ご主人様命令だ、答えなさい」
「もう、しょうがないわね。前に、お母さんから聞いた話にそっくりだったか
ら、つい笑っちゃっただけよ。昔、お母さんがお父さんと知り合ったばかりの
頃、宿題で同じようなことがあったんだって」
「その、両親が知り合ったのって、いつだ?」
「小学六年生のときだって。夏休みの終わり近くに公園か空地みたいなところ
で偶然顔を合わせて、宿題の話になって、教え合ったみたい。そのとき、お父
さんがお母さんに聞いたのが、やっぱり国語の文章問題で、登場人物の気持ち
を答えるものだった」
「へー。昔から苦手な奴はいるってことだな」
「苦手な理由もだいたい同じだったと思う。ひょっとすると思考する方法、過
程が似ているのかもね」
「じゃあ、もしかして、碧さんのお父さんて推理小説やマジックが好きとか」
「当たり。私の家族のマジック好きは、お父さんの影響よ。推理小説の真似事
って言ったら怒られるか。習作を書いたこともあるみたいだし」
「ははあ」
 そんな大人と思考方法が似ているかもしれないと言われたためか、小和田は
結構嬉しそうだ。顔が少々上気している。
「さあ、小和田君。あと一時間ちょっと。何をすればいい?」
「やらせること、考えてたんだがもうなくなった。あとは――千鶴や鷹と遊ん
でやって」
「待ってました!」
 手を打って喜ぶ碧の反応に、小和田は怪訝そうに首を捻った。
 その後はある意味、濃密な時間を過ごしたと言える。四人以上がいないとで
きないボードゲームを繰り返し、飽きるくらいにプレイしたあと、なぞなぞを
出し合ったり、あやとりや折り紙を教えたり、ついにはリクエストに応じてモ
デル歩きを披露したりもした。そのまま、千鶴子と鷹彦にレクチャーしている
最中、時刻を告げる柱時計の音が鳴り始める。
「あー……」
 すぐ近くで、弟相手に遊んでいた小和田の声の調子が変わるのが聞こえた。
碧はでも、彼の声も時計の音も聞こえなかったふりを続けた。
「次は何をして遊ぼうか」
「じゃあ、フラッシュレディごっこ!」
 千鶴子は鷹彦の方を見て言った。気を遣ったのか、彼女自身もフラッシュレ
ディが好きなのかは分からないが、楽しそうなのは間違いない。
「ようし、やろっか。そうなるとフラッシュレディは千鶴ちゃんで、鷹君は当
然、ルナティカル・ナイト。悪者は私とお兄さんとで決まりっ」
 碧は振り返り、小和田の腕を引っ張った。
「おい」
「なーに? まさか、主役をやりたいって言い出すの?」
「じゃなくて、碧さん、時間はいいのか」
 相手はひそひそ声になっていた。碧は柱時計を見上げ、今初めて気付いた風
に反応した。
「あ、もう五時を過ぎてたか。でもまあ、私はかまわないよ。まだ少しいられ
る。ただ、電話だけ入れておきたいな」
「……好きなようにして」
 小和田はそう言うと、くるりと身を翻し、弟達の前に立ちふさがった。そし
て何やらいかにも悪役らしい名を名乗り、ごっこ遊びに入った。
(普段からやってるのかな。のりのりだわ。悪者の名前も、その場で思い付い
たような、二度と言えそうにない長さのをすらすらと)
 感心しつつ、とりあえず自宅に電話するため、部屋を離れた碧だった。

 結局、午後五時五十五分までいた。
 小さな子達にもっといてとせがまれ、弱ったが、小和田の助け船――「碧お
ねえさんを困らせると、あとで恐い目に遭うんだぞ、俺が」――で、解放して
もらえた。
「またいつか来てね。でなきゃ、私が碧おねえちゃん家に行きたい。だめ?」
「いいよ。千鶴ちゃんと鷹君ならこんなに仲良しになったし、大歓迎」
「僕も?」
 鷹彦が自分も入っているのを聞いて、驚き半分、嬉しさ半分といった表情を
なした。「もちろん」と碧が答えると、嬉しさのみが顔いっぱいを占めた。
「ほらほら、だらだらと引き留めるなよ。着替えとかあるんだから」
 小和田の言葉で、碧は着替えなければいけないことを思い出した。千鶴子と
鷹彦に手を振ってバイバイし、脱衣所に駆け込む。
 それから帰り支度を終えると同時ぐらいに、小和田の母親が帰宅。急遽挨拶
する羽目になって慌てた碧だったが、ある意味ほっとしてもいた。あと少し時
間がずれていたら、着替えの最中だったかもしれない。
「あなたは龍斗のガールフレンド? 仲良くしてやってね」
 前半部分を否定する間もなく言われ、碧は「はい」と笑顔で答えるしかなか
った。優しげで話し好きそうな夫人を目の当たりにし、果てしなくお喋りが続
きそうな予感を抱く。ここは長居をせずに済むよう、吹っ切って帰るのがよさ
そう。
「もう遅いし、早く帰らないといけないんだ」
 小和田が絶妙のフォローをしてくれた。その上、「あ、俺、送ってくるから」
と母親に断ってから、碧に続いて家を出たのには驚いたが。
「本気? 罰ゲームがまだ続いていて、送らせろという命令なのかしら」
 門扉から出るなり、そう尋ねる碧に、小和田は押してきた彼自身の自転車を
指差した。
「大まじめだ。最後ぐらい、格好付けさせろよ」
「あら。顎で人をこき使って、気分よさそうに見えてたのに」
「全然」
 碧の隣に追い付いた小和田は、頭を強く振った。
「クラスの友達にあれやれこれやれと命令するのって、面白いのは最初だけだ
ぜ。ずっと続けてたら、居心地悪くなった。だいたい、罰ゲームの話にあんま
り興味なかったんだ。ドッジボールで一番当てたのは狙ったわけじゃないし、
別に権利を放棄してもよかったんだけど、俺が放棄したら二番目の奴に権利が
行きそうだったから、それも癪だし」
「二番目に当ててた男子って、真田君だったわよね。嫌いなの?」
「そんなんじゃないけど、あいつに権利をやるのが嫌っていうか……。なあ、
自転車、乗ろうぜ」
 ずっと自転車を押していたことに気付く。二人は相次いで自転車に跨り、そ
れぞれ漕ぎ始めた。
「私の家、知ってるの?」
「――知らない」
「じゃ、着いて来て。帰り、迷わないように記憶しといてよ」
 少し先行する形で、夕闇が広まりつつある空の下、自転車二台がゆっくり進
む。
「碧さん、そのー、今日はありがとう」
「――到着してから言ってくれるものと思ってた」
 斜め後ろからの感謝の言葉に、碧は前を向いたまま、くすっと笑った。
「まともに顔を見て言えるかよ、こんな恥ずかしい台詞」
「そう? まあいいわ。でも、罰ゲームでしたことなのに、お礼を言われるの
は変な感じ」
「分かるだろ。俺だけじゃなく、千鶴と鷹の気持ちだよ」
「なるほど。それなら素直に受け取れる」
 信号待ちで止まった。横に並んだ小和田の表情を覗き見ようとすると、目が
合った。お互い、すぐに前を向く。次に口を開いたのは小和田。
「あのさ。罰ゲームの時間、一応、五時までだったけど、延長したよな」
「それが?」
「てことは、まだ終わってないとも言えるのかなと思って。元々は半日、つま
り十二時間て約束だったし」
「な、何よ。まさか、夜の八時半まで何かさせようっていうんじゃ……」
「そんなに時間いらねー。五分あればいい」
「五分」
 碧は少しだけ考え、「それならいいわ。五分経ったらお終いよ」と応じた。
 信号が青になったが、小和田は動かず、よって碧も漕ぎ出せない。
「これから言うことを、笑わずに聞くように。誰にも漏らさないように。それ
とできれば本気で考えてほしい」
「……クイズの出題?」
「ああ、もう、条件を一個付け足す。黙って聞くように」
「はい」
「――俺、正直言って女子に興味なかったけど、今日一日で碧さんが好きにな
った。ガールフレンドとして付き合ってください」
「……」
 碧は笑いそうになった。唇をぎゅっと内側に噛み、それでも間に合わないと
悟ると、こほこほと咳をしてごまかす。
「あのさぁ……笑うなって言っただろっ。本気で言ってるんだからなっ」
「ごめん。笑いそうになったのは、違う意味でおかしかったから」
 自転車を降り、片手で胸元を押さえる碧。呼吸を整える間、小和田も自転車
から降りた。
「違う意味って何なんだよ」
「罰ゲームはまだ続いているんだから、命令すれば話が早いのに。『ガールフ
レンドになれ』って」
「……思い付かなかった。ていうか、そういうのは意味ねえってば」
 オレンジ色の光の中、小和田の顔が赤らむのが見て取れたような気がする。
碧は時刻を確認させた。
「もう五分経った?」
「あ? ああ、だいたい」
「それじゃあ、返事は保留ってことで」
 一度赤に戻っていた信号の色が、再び青になった。
「ちょ、ちょっと、そりゃあなし」
 自転車をスタートさせる。小和田の慌てる様が手に取るように分かるので、
「気を付けなさいよ」と注意した。

 もしも小和田龍斗が、昼間のやり取りで、会ってみたい有名人の名前をはっ
きり答えていれば、彼の告白に碧も即座に返事していたかもしれない。
 小和田の会ってみたい有名人――架空の人物――はシャーロック・ホームズ
であり、碧の今現在の憧れの人は、実在の名探偵なのだから。

――おわり




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