#400/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 12/02/27 23:57 (445)
相克の魔術 1 永山
★内容 16/01/07 03:29 修正 第3版
「まったくもって、嘆かわしい限りだ」
マルス・グラハンズは吐き捨てるように言った。彼の前、三メートルほど先
には大型テレビとビデオデッキが置いてあり、そのテレビ画面は再生VTRを
映し出していた。
「ケンツのような輩がテレビに出て、小手先の魔術を披露しても、何の益もも
たらさない。むしろ、我々魔術師にとって害になる」
「具体的にはどのような害が……」
探り探り尋ねたのは、雑誌記者テッド・メイム。マスコミ嫌いのグラハンズ
に、ケンツの出演番組を見せた上でのインタビューを取り付けるという、粘り
強さが信条だ。中肉中背、金色に近い茶髪と小さな目が特徴と言えば特徴の、
一見すれば気弱そうななりをしている。
「ケンツが本物かいかさま師かは知らんが、あの男のやるショーは、マジック
――ここでいうマジックとは奇術・手品の意味だが、奇術でも可能なものばか
りで占められている。私は本来、魔術師や超能力者と呼ばれる者のテレビ出演
に反対する立場だが、もし出るのなら、奇術では決してできないものを見せる
べきだと考えている」
「あれが手品の技術でできる? 僕にはさっぱり見当も付きません」
テレビの中では、ケンツが十指の先から炎を出したり消したりしていた。身
なりは赤いシャツに黒のズボン、トレードマークの白い手袋がまぶしい。
グラハンズは身体の向きを換え、画面から視線を外してから言った。
「私は奇術師の領域を侵食する気はないから、種を示唆することはやめておく。
専門家に尋ねるといい。うまくやれば秘密を聞き出せるだろう」
「では仮定の話ですが、グラハンズさんがもしもテレビで魔術を披露すること
になったら、何を見せていただけますか」
「不愉快な仮定だが、お答えしよう。テレビの収録というものは、大勢の人間
が関わり、現場は騒がしく雑然としていると聞く。時間が細かに決められ、出
演者ではなくテレビ局が主導権を握っていると。その通りであるのなら、私の
ような者でも、できることは非常に限定されてしまうのだ。ケンツがやってい
るようなことは確実にできるが、明白に魔術と分かる、奇術では不可能な現象
を披露できるかどうかは……その場に立ってみないと分からないというのが正
直な気持ちだ」
「そうですか。テレビ放映なしの、観客を入れたライブショーのような場合
でも?」
「時間の制約から解放される分、いくらかましかもしれないな。しかし、雑音
や多数の観客の存在といった不安定要素はある訳だね。そのような環境で、真
の魔術を発動するには、当人にも制御あるいは予測できないことが多く発生す
るものなんだ。一例を挙げるなら、魔術の発動の実現が、何分後になるのか何
時間後になるのか何日後、何ヶ月、何年後になるかは確約できないのだよ。シ
ョーとして成り立つまい」
メイムは内心、うまく言い逃れられているなと感じなくもなかった。無論、
そんな気持ちはおくびにも出さない。グラハンズはかつて、巨石を浮かせたり、
半日足らずで精密な石像を完成させたり、あるいは予言を的中させたりした実
績が伝えられる(主な証拠が伝聞と怪しげな写真しかないのが難だが)、伝説
の“魔術師”なのだ。
マスコミ嫌いで知られた伝説の魔術師に、新聞記者の人間がこうしてインタ
ビューできるだけでも行幸と言える。
「グラハンズさんが全てを設定できる立場なら、魔術を披露してもらえるので
しょうか」
「うむ。テレビを入れなければ、あり得るね。テレビはだめだ。どんなに超常
的なことをやってみせても、どうせ映像を細工したんだろうという連中が、必
ず出て来る」
「そうでしたか。実は、あなたがインタビューを受けてくれることを聞きつけ
たある人物から、言づてを頼まれています。マルス・グラハンズの魔術を世間
に知らしめる手伝いをしたい、その際の費用は全て持つと言っているのですが、
いかがですか」
「まず、どのような人物かを窺いたい。話はそれからだ」
「ドン・クレスコ氏。興行師として有名な方ですので、あなたもご存知かもし
れません」
「うろ覚えだが、もしや、テレビショーに出る前のケンツを売り出すのに一役
買った男ではないかね。つんつんした白髪頭で、いかにもやり手の雰囲気をま
とった」
「その通りです。気分を害するかと思い、伏せておくつもりでしたが……」
「ふん。その男、私もテレビの業界に引き込むつもりか」
「いいえ、そのような意図は全くないと。このことはしっかり念押ししてくれ
と言われています」
「どうだかね」
鼻で笑うグラハンズ。落ち着いた雰囲気が薄まり、若かりし頃の尊大さが甦
ったようだ。
「まあ、あなたの顔を潰すようなことはしたくない。たいがいの記者連中はこ
のような場で、『ちょっとした魔術でいいから見せてくれ』とねだってくるが、
メイムさん、あなたはそうじゃなかったからな。先方には考えておくとだけ伝
えてもらいたい。ただし、結論をいつ返事するかは確約できん」
「分かりました。もしかすると、クレスコ氏からあなたに直接、何らかの反応
があるかもしれませんが……」
「かまわない。接触してくるのは自由、こちらが拒否するのも自由だ」
グラハンズはそう言うと、テッドに手帳の切れ端をくれないかと頼んだ。そ
して一枚の紙を受け取ると、両手のひらで軽くまるめる。硬貨ほどの直径を持
つ球になった紙を、グラハンズは目の高さに浮かせてみせた。
「どうかな、テッド・メイム記者。これが魔術か奇術か、見分けられるかね?」
「……私には何とも……」
戸惑うテッドに、グラハンズは笑みを浮かべてこう付け加えた。
「今思い付いたんだが。私がケンツよりも優れた魔術師であることを証明する
場。それならば興行師の言葉に乗ってやってもいいかもしれない」
* *
フォーレスト・ケンツは、そろそろ飽きられ始めたとは言っても、まだまだ
売れっ子だ。それだけに、一記者のテッド・メイムが彼をつかまえるのには苦
労をした。“公演”終了後の控え室でケンツに会う時間を得たテッドは、事の
次第を手短に伝えた。
「グラハンズがそんな話を。面白いね」
黄金色をした前髪を手で軽く払い、口笛を短く吹くケンツ。目を大きく開い
た様は、興味・関心を隠そうとしていない。その大柄で厚い胸板の持ち主にし
ては、実に子供っぽい仕種だった。
「望むところだ。舞台が用意されるなら、いつでも応じましょう」
グラハンズからのいわば対戦要求を、ケンツはあっさり受けた。テッドは少
し興奮すると同時に、ケンツのスケジュールを心配した。いつでもと言っても
実際は早くても何ヶ月か先になるだろう。
「それで、クレスコ氏は何と?」
「まだ伝えていないんです。あの方はたまに、こうと決めたら先走ることがあ
るので。私はこの話を壊したくない。ぜひ実現してもらいたいから、慎重に動
いていることをご理解ください」
「なるほど。知っての通り、クレスコ氏とは旧くからの仲だが、確かにそんな
ところはあるねえ。メイムさん、あなたの判断は正しかったよ。クレスコ氏に
は、僕の口から伝えるとしよう」
「よろしいので?」
「ああ。ちゃんとあなた経由の話だと言っておくから、心配なく。それに僕は、
グラハンズとも全く面識がない訳じゃない。彼が渋ったとしても、引きずり出
してみせよう」
ケンツの口ぶりは自信満々だった。魔術を使ってグラハンズをおびき出せる
と言わんばかりに。
「グラハンズさんの様子だと、テレビは絶対に無理ですよ」
「承知している。少なくとも最初は、テレビなしで話をまとめることになるさ」
最初はというからには、二回、三回と対戦して一儲けとの目論みがあるに違
いない。その過程でテレビ中継を付けられたらさらに美味しい、ということで
あろう。
「実現の暁には、メイムさんのところの出版社で後援することになるのかな」
「まあ、その線で進むんでしょうね。できれば取材の独占も」
こちらも特ダネ狙いかつ後援狙い、お互い様だ。
両者の間で暗黙の了解めいた合意が成立し、取材がほぼ終わった空気になっ
た。その頃合を計っていたかのように、控え室のドアがノックされた。続いて
女性の声がして、ケンツが「お入り」と応じる。
「メイムさんにも紹介しておこう。僕の一番の助手、ニナイ・カラレナだ」
入って来た女性は、最前までテッドも観ていた舞台での格好そのままだった。
口元以外の顔を硬質な仮面で隠し、レオタードを改造したような衣装はラメで
きらびやかに飾り付けてある。浅黒い肌、栗毛色の髪にとても映えるデザイン
だ。肉体的アピールと魔術・超能力との間に具体的な関連性はないはずだが、
ショーの構成要素として必要なのがよく分かる。カラレナを目の当たりにし、
テッドはつくづく感じる。
仮面を外し、カラレナはテッドに頭を下げた。
「初めまして。舞台はお楽しみになりました?」
「ええ、とても興味深かったです。ショーアップぶりと魔術のアンバランスさ
が、緊張感を生んでいる」
テッドの感想に礼を述べたカラレナは、ケンツに顔を向けた。
「ケンツさん。三番目の演目のことで、ヤンが……」
「分かってる。――メイムさん、ここらで切り上げてかまわないかな?」
「ええ、用件は伝え終わりましたから」
魔術ショーの舞台裏を覗きたい気持ちはあったが、ここで無理な希望を出し
て信頼関係にひびを入れては元も子もない。テッドは退出することにした。
ただ、最後に一つだけ、現時点で聞いておきたい質問があった。記事の売り
になるポイントだ。
「仮にグラハンズさんとの対決が実現した場合、どのような形で勝負すること
を望みますか?」
「相手の出方次第だけれども、僕の希望としちゃ……身体を張った危険なもの
がいいね。スリルがあるほど、観客は盛り上がる」
台詞の中身とは裏腹に、天気の話でもするかのような軽い調子で答えたケン
ツ。テッドはドアノブに手を置いたまま、この日最後の質問をした。
「命がけでもかまわないと?」
「いいねえ。それこそ最高のスリルだ」
ドン・クレスコからグラハンズに正式な打診がされ、返答が注目された。
ケンツとの対戦に用いる形式以外は、グラハンズ側の要望を飲むことを原則と
していたが、それでも交渉は難航が予想されていた。テッド・メイムだけでな
く、他のどんな第三者にとっても、同じ見方をしただろう。十数年前に己の魔
術の公開をしなくなって以来、マスコミとは全く関係を持とうとせず、たまに
民間の研究機関に協力するぐらいだった魔術師が、おいそれと興行に出演する
とは思えなかったためだ。
ところが、彼らの予想は見事に外れた。マルス・グラハンズは首を縦に振り、
契約書に署名した。手練れのクレスコが、そのあまりのあっけなさにかえって
警戒し、サインに用いたインクがあとで消える“魔法のインク”なのではない
かと、グラハンズに尋ねたほどだったという(無論、真っ当なインクだった)。
ただ、若干、引っかかりを覚える点もなくはなかった。
「勝負の方法に関しては、まずはケンツ君の意見を聞きたい。不服があれば遠
慮なく言わせてもらうし、こちらからも意見を出そう」
グラハンズはそう述べたらしい。勘繰るなら、ケンツの持ち出した勝負方法
に難癖を付け、話をおじゃんにすることだってできなくはあるまい。グラハン
ズの提示した方法をケンツが無条件で飲めば成立するかもしれないが、不利に
なると予想される丸飲みを、いかにケンツといえども受けるとは考えづらい。
「最初から関わっているあなたにだけ、先行して特別に見せてあげるよ」
ケンツの招きで彼の邸宅を訪ねたテッドは、何となく高貴そうな名前の紅茶
をいただきながら、一枚の企画書らしき物を見せられた。
「今度、グラハンズに提示する対決方法だ。すでに、クレスコ氏経由で相手側
に届いていると思うが、記事にするのはもうしばらく待ってくれよ」
「その辺は承知しています。それよりも、これは……本当に危険というか」
ざっと目を通したテッドは、そう感想を漏らした。尤も、書いてあることが
実際に起こったとすればの条件付きだが、そこは胸にしまっておく。
とはいえ、常識人であるテッドが、実現を疑うのも無理はなかった。ケンツ
の提示する勝負方法とは、かいつまんで説明すると、次のような形式だったの
だ。――ケンツとグラハンズ両魔術師は、別々に用意された部屋に単独で入り、
内と外から鍵を掛ける。その際、ケンツは部屋に金属製の矢を持ち込む。グラ
ハンズが部屋に持ち込む物に関しては注文を付けない。両者が部屋に籠もって
から一両日中に、ケンツは魔術を用いて金属の矢をグラハンズめがけて撃ち込
む。グラハンズはそれを防いでみせよ――。
「衆人環視の中、これを行うと?」
「いや、完全に見せるのは無理だ。さすがのフォーレスト・ケンツ様でもね。
ここまで高度な魔術となれば、発動には大変な集中力がいる。部屋の中は、観
客から見えないようにしてもらう。もちろん、事前に改めてもらって、部屋に
妙な仕掛けがないことを証明するつもりだ。そういった細々とした点は、裏に
書いてある。あとで熟読するといい」
「いただけるので? ありがとうございます」
折り畳み、スーツの内ポケットに仕舞う。それから何気ない口調で聞いた。
「気になることがあります。この対決が実現し、ケンツさんが魔術の発動に成
功したとします。その上で、グラハンズさんが矢を避け損なって怪我を負った
としたら、それは警察沙汰になるのかどうか……」
「主催に名を連ねる出版社としちゃあ、揉め事は困るという訳だね。ごもっと
もだ。残念ながら、僕や助手は治癒魔法の類を使えない。相手側にもいないん
じゃないかな。いや、いてもそばに付いてもらっては困る。矢が命中したのに、
僕らが確認するより早く治療され、当たってないと強弁されたら面倒だ」
「まじめにお話しているのですが」
「いたってまじめ、真剣な話だよ。契約の際には、そのこともきちっと明記せ
ねばならない。急ぎ、追加しておこう。合わせて、この対決で双方の心身に何
らかの悪影響が生じても、相手を訴えない、自己責任であることも」
「……救急隊の手配は、万全を期すことになりそうですね」
ため息と苦笑を混じえ、テッドは言った。
舞台はすでに整った。
二人の魔術師の対決場所に選ばれたのは、郊外にある観光名所の一つ、旧い
城跡。城跡と言っても、石造りの堅牢な部屋を複数有する建築物が残っており、
修復により充分使える。また、その前庭には大勢の人間を入れることができる。
雰囲気も申し分ない。グラハンズとケンツが下見をした上で、対決の条件を満
たすうってつけの場所だと、合意したものだ。
「約束通り、テレビカメラは入れていない。他のマスコミにも制限を掛け、ス
チールカメラはテッド・メイム君のところだけだ」
満足だろうと言わんばかりに、クレスコは後ろ手に組み、胸を張る――とい
うよりも腹を突き出すようにして立っていた。話し掛けられた二人の魔術師は、
ともに小さく頷いた。勝負を前に、多少緊張しているのか、表情に硬さがあっ
た。
テッドは強い風に苦戦しつつも、手帳の頁を繰った。対決前、短い時間なが
らインタビューの機会をもらった彼は、最後に意気込みとエールの交換を頼ん
だ。
「危険は感じない。むしろ、相手の心配をしている。ケンツ君、くれぐれも注
意したまえ。私の魔術は確実に発動する」
隠しきれない自信を滲ませ、グラハンズが宣言した。今日の彼は紳士然とし
た普段のスーツ姿ではなく、古式ゆかしいマジシャンの衣装をまとっていた。
タキシード風の黒の上下に、赤く縁取りされた黒マントを羽織り、手にはシル
クハットという出で立ちだ。
「君のレベルがいかほどかは知らぬ。が、手加減はしてやろう。承知の上で身
構えておれば、どうにかかわすぐらいはできる程度に」
グラハンズが、ケンツの提案した勝負方法に対し、付けた注文は一つ。もし
も矢が撃ち込まれたのなら、その報復として用意したナイフで斬りつけるとい
うのだ。もちろん、部屋に籠もったままの状態で。
「ありがたいお言葉、痛み入ります」
強風の中、ケンツは前髪を押さえながら、挑発に対し丁寧に応じた。
「ただし、そのお言葉、そっくりお返しいたしましょう。我が手を離れた矢は、
とてつもなく素早い。心臓を貫かれぬよう、ご用心願います。いくら力の証明
のためとはいえ、血なまぐさいのは嫌いなのでね」
そう言うと、ケンツは勝手に切り上げ、先に城へと向かい始めた。石ころと
雑草の広場には、すでに観客が二百名近く入れられ、その前を通っていくこと
になる。案の定、テレビで有名な魔術師の姿を見つけた観客らから、歓声が上
がった。
「やれやれ。まともに魔術勝負をするつもりがあるとは思えない」
グラハンズは、軽蔑するような視線を振ったあと、同じ方向へ歩き出した。
強い風にも彼のマントがほとんどはためかないのは、魔術の力か、単なる偶然
か。
魔術師二人に続き、立会人としてこの興行を取り仕切るドン・クレスコ、記
者代表のテッド・メイム、物理学者で奇術愛好家でもあるヤン・フロイダーの
三人が城建物内に入った。
外から建物内はほとんど見えない。せいぜい、窓を通して覗き見る程度だ。
しかも通路が観客のいる広場に面しているため、魔術師の籠もる個室は一層見
えづらい。ならば通路のない、反対側に客を入れるべきだが、残念なことに反
対側は城壁の崩壊や地面の陥没などがあって手入れが行き届かず、荒れ放題。
ちょっとした崖のようになってしまっていた。雑木の枝の間から、各部屋の窓
はどうにか見えるものの、角度や光の加減によっては全く見通せない。
ちなみに、部屋の窓は開閉できる。が、それを利用して何らかの不正を密か
に行うことは、前述のように窓のすぐ下が崖状態であるため、到底無理である
と判断。それでも念のため、窓の外壁に某かの道具が貼り付けられていないこ
とが確認されていた。
五人揃って、まずは手前の部屋に入る。対決開始時、ここにはケンツが籠も
る予定だ。
「直前になって、助手の誰かが道具を設置するなんて真似も、これではできま
すまい」
入室するなり、早速窓外に目をやったのはフロイダー。テッドは、まだこの
学者に密なインタビューをできていないのだが、社の推した人物で、渡された
資料によれば、科学にも奇術にも強いとある。
「問題の矢を拝見したいのですが、どこにありますか」
「助手に持って来させます。今、観客の皆さんに披露している頃で、じきに来
ると思いますよ。しばしお待ちを」
ケンツに言われたフロイダーは、ならばと今度は室内の点検に入った。テッ
ドもついて回る。部屋は出入り口から見て横長で、広さは8×3.5ほどだろ
うか。窓や戸口を除けば、壁や床は石のみでできており、天井だけは修復時の
都合で現代的な施工が施されている。作り付けの棚に寝台、椅子と机が一組あ
る他は、特別な物は置かれていない。机の上には水の入った水差しとコップ、
寝台の下には日持ちのする食料が運び込まれていた。およそ三日分だという。
長期戦を想定しているらしい。
「どこにも不審な点はありませんね。隙間一つない」
フロイダーは納得したように呟いた。引き続き、ケンツの身体検査が行われ
た。何か目当てがあって探すのではないせいか、意外にあっさりと終わった。
ちょうどそのとき、ケンツの助手が姿を見せた。仮面をしていないが、カラ
レナだ。白い手袋をした彼女の手から、一メートル弱の矢がケンツに渡されよ
うとする。が、ケンツは直に受け取らず、フロイダーに渡すように指示した。
その様を、グラハンズは無関心を装いつつも、しっかりと見つめているのが、
端からでも分かった。
「意外と軽いですね。しかし、堅くて頑丈だ。この先端の覆いは、今取ってみ
てもかまわないので?」
「無論です。気を付けて」
危険防止のためであろう革製の覆いを取ると、鋭く尖った矢先が露わになっ
た。金属そのものを削って作られた物だと知れる。
「返しはなし。矢羽根もないんですね」
「魔術・魔法で飛ばすのに、矢羽根は不要ですよ。獲物を狩る訳じゃないので、
返しも必要ない」
「なるほど」
微苦笑を浮かべるフロイダー。当然ながら、彼は懐疑派の立場を取ることを
公言している。テッドもどちらかといえば懐疑派だが、不可解な事象を見せら
れると受け入れてしまう質だった。興行師のクレスコは、見解をはっきり口に
したことはなく、一儲けできれば何だっていいという考えなのかもしれない。
「末端付近にイニシャルを刻んでいるんですね。筆記体でFKと」
「ええ。間違いなく、この矢を撃ち込んだという証にね」
フロイダーから矢を受け取ったケンツは、次にグラハンズに声を掛けた。
「あなたも見ておきますか、グラハンズさん?」
「ありがとう。だが、手に取る必要はない。ちょっと見れば充分だ」
言葉の通り、一瞥しただけでグラハンズはマントを翻し、背を向けた。と思
ったら、また向き直り、懐より鞘に収まった短刀――ナイフと呼ぶより短刀の
方がふさわしく思えた――を出してきた。
「この部屋から出てまた戻るのも面倒だろう。私の用意した得物を、ここで確
認したまえ」
「手間を省くのはいいことです。ま、僕も見るだけで充分ですよ」
ケンツはグラハンズのナイフを受け取らず、手のひらを相手に向けた。グラ
ハンズはまた身体の向きを換え、フロイダーに言った。
「先生は?」
「私は手に取って確かめるとしましょう」
フロイダーはナイフを両手でおしいただくように受けると、その鞘を外した。
表れた銀色の刃が、周囲を映している。
「これは見事……。柄に高価そうな石がはめてあるし、宝飾品として値打ち物
なのでは」
確かに、平たい柄の両サイドには赤と青の石が一つずつはめ込んである。そ
れらの石を取り囲むように、複雑な文様?が施されていた。
「あいにく、金銭的な価値には興味がなく、承知していない。魔術を発揮する
のに最適な物を選び、ここに持って来たまでのこと」
「それだけ年代物、伝統のある品なんでしょうね」
フロイダーの感想に、グラハンズは何も述べず、ナイフを返してもらった。
「では、ケンツ氏はこのまま、部屋にとどまっていただけますか。このあと、
グラハンズ氏がもう一つの部屋に行き、それぞれ準備が整ったところで対決開
始と」
クレスコが笑みを浮かべ、揉み手をしながら言った。
「ケンツさんは相手の部屋を確認しなくてかまわないので?」
テッドが尋ねると、ケンツは「ああ」と応じた。
「下見は済んでいるし、グラハンズさんが何をしようと関係ない。先制攻撃を
仕掛けるのは、僕なんだ。仮に何らかの小細工で防御されても、文句は言わな
いし、物ともしない自信がある」
矢を手にした魔術師は、自信に満ちあふれた表情をしていた。
ケンツの籠もる部屋から、グラハンズのために用意された部屋まで、直線距
離にして四十メートルほど。実際の移動距離は、通路が若干折れているため、
五十メートルを超えようか。間に他の部屋や壁などはなく、ほぼ正対する位置
関係にある。
広さや形状、中の家具、果ては運び込まれた水や食料についてまで、二つの
部屋は同じである。出入りのための戸口の位置だけが反対だった。グラハンズ
の部屋の扉の前に立つには、通路を奥まで進まねばならない。。
二つ目の部屋の確認もフロイダーやテッドによって行われ、特段、異常は見
つからなかった。身体検査も何ごともなく済み、対決の時がいよいよ迫る。
「あちらはすでに内と外から施錠された。待たせては悪い。早くしようじゃな
いか」
グラハンズは、まるで自首してきた大悪党の如く、己の“収監”を急ぐよう、
求めてきた。即座に応じるフロイダー。部屋を出て、中から錠を降ろすように
と声を掛ける。音がして、施錠を確かめると、フロイダーはクレスコから受け
取った鍵と錠前で、外側からも部屋を封じた。
「これで二人の魔術師は、全く同じ、一種の監禁状態に置かれた訳だ」
錠前の鍵は二つともフロイダーが預かる。予備は(少なくともこの現場には)
ない。扉そのものの錠を開ける鍵は、クレスコが保持することになった。
「さて」
こほんと咳払いをしたクレスコ。
「対決が始まったとはいえ、ここからしばらくは、地味な絵しか見せられない。
お客を盛り上げるのは、君らに掛かっている。頼むぞ」
カラレナに言った。
そう、ショーとしてはとても間が持たない今回の対決で、場つなぎをするの
が、カラレナを筆頭とするフォーレスト・ケンツの助手数名と、マルス・グラ
ハンズに師事する弟子――これまた女性で、ジャッキー・レベルタだ。彼女ら
がいくつかの魔術・魔法・超能力を披露する手筈になっている。双方、対抗意
識を燃やしているのかもしれないが、こちらは勝敗をつけることはない。
先手のレベルタが、舞台に上がった。舞台は、本題の魔術師対決を遮らぬよ
う、観客でいっぱいの広場の横手に設けてある。よって、客が舞台を見るには、
顔を横に向けねばならない。
レベルタは生真面目そうな外見の女性だった。黒のショートヘアに眼鏡、黒
のスーツという地味な出で立ちで登場し、簡単なカード当ての実験を披露した。
待たされていた観客には、それなりに受けたが、このあと行われるであろうカ
ラレナ達のショーに比べると、数段見劣りする。
当たり前だ、とテッドは思った。グラハンズが“本物”か否かは判断できな
いが、超常的な力をショーとして見せるケンツを批判してはばからない。その
弟子が、ショーアップされた魔術をやる訳がない。
「舞台に立つ順番は、クレスコさんが指定したのですか」
話の種に、テッドは聞いてみた。
「いやいや。まずいと感じた場合は、口出しするつもりだったが、彼女らに任
せたらこうなった。問題ないだろう」
「え。ということは、ジャッキー・レベルタとカラレナ達が相談したのでしょ
うか」
「そのはずだ」
「敵同士なのに……」
「敵同士なのは親玉だけのようだ。助手と弟子は、穏やかに話し合いを持ち、
順番を決めたらしい。演目――と言っていいのかどうか知らんが、魔術が被ら
ないように配慮したそうだよ」
「ふうん。いがみ合ってばかりじゃ、魔術だの超能力だのといった力がいつま
で経っても世間に認められない、協力できるところは協力しようということで
しょうかね」
「何だってかまわん。ショーが盛り上がりさえすればいいんだ。カラレナ達の
腕前は心配していない。あとは、魔術師二人の対決でどう盛り上げてくれるか。
かつて、脱出奇術を得意としたマジシャンがいたが、その見せ方は素晴らしか
った。観客を飽きさせない演出を心得ていて、感心させられたものだよ」
昔を懐かしむように言うと、クレスコは葉巻に火を着け、ふかし始めた。
テッドは場を離れ、フロイダーの姿を探した。
科学的な立場からの検証役であるヤン・フロイダーは、当初、通路に陣取っ
て魔術師達の様子を見張ることを主張したが、集中力が乱れる・途切れる恐れ
があるとの理由で拒絶された。話し合いの結果、開始から二時間おきに五分程
度の巡回をすることが許可された。ちなみに巡回の権利は、テッドやクレスコ
にも許されている。
「まだ一時間ありますね」
広場の端で椅子に座っていたフロイダーは、腕時計を気にしていたようだが、
テッドが近付くのに気付くと、顔を上げた。
「待つのがこれほど辛いとは。せめて一時間半毎の巡回にしてもらいたかった」
「フロイダー先生、暇潰しにちょっと窺ってかまいませんか」
「答えられないこともあるかもしれないけれど、今ならおしゃべりを歓迎した
い気持ちですよ」
「ではまず、この役目を引き受けた経緯、いや、経緯は知っていますから、引
き受ける気になった理由をお聞かせください」
手帳を構えることなく、リラックスした態度で尋ねるテッド。
「まあ、一般の人とあんまり変わらないんじゃないかなあ。人並みに超科学的
なことに関心があるし、そこにいんちきがあるなら暴いてみたい」
「聞き方を変えましょう。仮に不正や嘘を見つけ、暴けたとしましょう。その
場合、先生は何を得られると思います?」
「うーん……名誉? 違うな。短い栄光、それと引き替えに、危険に晒される
恐れがないとは言えまいね。熱狂的な信奉者がいるかもしれない。まあ、その
可能性は低いと思ってますよ。でなきゃ、こんな役目、引き受けない」
「暴露に成功すれば報酬が跳ね上がる、といった取り決めはないのですか」
「ははは、残念ながら聞いてないな。ああ。あれは完全にマジック、奇術だね」
舞台方向を指差しながら、フロイダーが囁いた。今、演じているのはカラレ
ナらの一団で、物体浮揚をやっているらしかった。眼鏡に傘、鉢植えや火の着
いた蝋燭などが、しばし宙に浮いている。
「演出が著名な奇術のそれとそっくりだ。尤も、奇術と同じことを魔術でやっ
てみせたとも考えられるけれど」
口元を片手で覆い、苦笑いを隠すフロイダー。専門分野のみならず、奇術に
関する知識も確かなようだ。
それからもテッドはフロイダーと話し込み、ときに舞台に目をやりながら時
間を過ごした。そしてようやく、“巡回可”になった。フロイダーは言うまで
もなく、テッドも観客状況を伝えるレポート役と記者を兼ね、一緒に行動する。
巡回と言っても、室内に向けて声を掛けてはならないし、むやみに騒ぎ立て
るのも禁止。部屋の外観や通路に異変がないことを確かめるのが、目的の全て
である。
「怪しい人影を見咎めて、そいつを捕まえてみると魔術の鍵を握っていた、な
んて展開になれば、張り合いも出るんですが」
フロイダーは期待しない口調だった。実際、巡回はあっという間に、何ごと
もなく終わった。ケンツの、あるいはグラハンズのいる部屋から妙な声や物音
が聞こえるでもなし、通路をただ歩いただけに過ぎなかった。
「これでは意味がほとんどないな。もし万が一、何らかの絡繰りがあるんだと
しても、通路を利用するような方法は、我々の巡回時間を外してくるに違いあ
りません」
これではレポートにならないとテッドがこぼすと、フロイダーはこんな提案
をしてきた。
「では、念のため、次は不意を突いてみましょうか」
「どうやって。二時間おきに巡回することは、魔術師には丸分かりなんですよ」
「次は二時間後ではなく、二時間四十五分後ぐらいに行くとしましょう。最低
二時間空ければいいのであって、それ以上の間隔を空けることはルール違反に
当たりますまい」
「なるほど、理屈です」
二人はこのちょっとした妙案にほくそ笑んだ。
――続く
#401/598 ●長編 *** コメント #400 ***
★タイトル (AZA ) 12/02/28 00:00 (370)
相克の魔術 2 永山
★内容 18/11/08 03:05 修正 第4版
テッドとフロイダーの計画は、実行に移されなかった。二時間半を経過した
ところで、異変が発生したためである。
グラハンズの入る部屋の方から、恐らく椅子が倒れたのであろう激しい物音
がし、間隔を空けずに吠えるような叫び声が上がった。観客達にも充分聞こえ
たらしく、彼らはしんとなった。が、それは極短い時間で、じきにざわざわと
落ち着きがなくなった。フロイダーとテッド、それにクレスコの三人は合流し
て、すぐさま城建物内に飛び込んだ。その後ろをジャッキー・レベルタ、さら
に何ごとか気になったのであろう、カラレナまでもが着いて来た。ケンツの集
中を乱すとかどうとかは考えず、一目散にグラハンズの部屋を目指す。男三人
がほぼ同時に扉の前に辿り着き、十秒ほどあとにレベルタとカラレナも着いた。
その十秒間に、フロイダーが錠前の鍵を外し、クレスコはドアノブの上にある
鍵穴に鍵を差し込み、テッドはグラハンズの名を大声で呼んだ。
呼び掛けに対する反応はあったが、言葉になっておらず、意味を取れない。
クレスコが意を決し、鍵を回した。扉が開かれる。
途端に、「あっ。グラハンズさん!」「先生!」「どうした! 何があった
んだ?」と、怒号や悲鳴や叫び声が交錯する。
グラハンズは右の二の腕を左手で押さえ、床にうずくまっていた。傍らには
見覚えのある金属製の矢が落ちており、さらにその矢の先端は赤に染まってい
る。
「まさか、本当に魔術で?」
思わず呟いていたテッドの眼前で、レベルタが師匠に駆け寄る。舞台で見せ
た地味なイメージとは正反対の、俊敏で鋭利とも言える動作だ。
「先生! ご無事ですか!」
「あ、ああ。レベルタ君、大丈夫。かすり傷だ。本当に矢が空間を超えて飛来
するとは、ケンツの奴、なかなかやりおる」
強がっているのは明らかだった。何故なら、テッドには、グラハンズの顔色
は青ざめているように見受けられたから。
「早く医者に診てもらいましょう!」
「いや、平気だ。それよりもだ。私もやられっ放しではない。公約通り、ナイ
フで反撃した。咄嗟のこと故、どこに刺さったかは責任を持てない。早めにケ
ンツの様子を見に行く方がいいぞ」
伝説の魔術師のその台詞に、場の空気が緊張の度合いを増す。間髪入れず、
気配を残して走り出したのは、一番後ろで様子を見守っていたらしいカラレナ
だった。
「おおい、カラレナさん! 鍵がないとどうしようもないぞ!」
テッドの言葉は届かなかった。立ち止まらないカラレナを追って、まずフロ
イダーが動く。続こうとしたテッドだが、クレスコに呼び止められた。
「メイム君、私は責任者として医者を呼ばねばならん。鍵は君に預ける。いい
な?」
「は、承知しましたっ」
鍵をテッドに渡すと、クレスコはグラハンズに肩を貸し、ゆっくりとだが歩
き出した。その後ろをレベルタが心配げに着いていく。彼らの傍らをテッドが
走ってすり抜けると、グラハンズのマントが翻った。
程なくして、ケンツの部屋の前が見えた。錠前はすでに外され、カラレナは
半ば涙声になってケンツの名を呼びながら、戸を手で叩いていた。その手に鍵
らしき物が光っている。ということは、カラレナがフロイダーから錠前の鍵を
受け取り、開けたらしい。
「鍵、もらってきたっ。返事がないんで?」
質問しつつ、扉を解錠すると、「貸して!」とカラレナに要求された。甲高
いが凄みのある声に気圧され、テッドは鍵を渡した。若い美女の鬼の形相は、
何者であっても近寄りがたい雰囲気があった。
解錠と同時に、彼女は身体ごとぶつかるようにして扉を押し開けた。
――部屋の中にケンツの姿はなかった。無人であった。
ただ、寝台の中央辺りに、ナイフが突き立てられていた。近寄るまでもなく、
グラハンズが用意していたナイフだと分かる。
「……どういうことだ」
フロイダーは呻くように疑問を口にし、窓へと駆け寄った。現代風の三日月
錠が内側から下り、何者かが脱出したとは思えない。それでもフロイダーは窓
を開け、外を覗いた。テッドもそれに倣ったが、崩れた石垣や雑木があるばか
りで、人影や不似合いな物体などは見当たらない。何かが落ちたり下りたりし
た形跡は皆無だった。
テッドが頭を引っ込めようとしたとき、フロイダーが「もしかしたら」と首
を上に向けた。空を見上げる。否、部屋の上――屋根か天井か二階かは分から
ないが、窓から出て上に移動した可能性を思い付いたようだ。
が、フロイダーはすぐに首を横に振り、上半身を室内に戻した。テッドも上
を見、フロイダーの落胆を理解した。石のブロックが垂直に高く続き、先が見
通せない。とても登れそうになく、何らかの道具を使ったとしても、痕跡を残
さずにはいられないように思えた。だが、実際の石壁はこけや蔦、土塊などが
表面のいたるとこにあるが、どこも乱されていなかった。
そもそも、窓の三日月錠を外から掛ける方法がない。
「ケンツは金属の矢をグラハンズに撃ち込み、グラハンズはナイフで斬りつけ
た。その反撃をかわしたケンツは、密室状態の部屋からどこかに消えてしまっ
た……」
テッドは状況を整理するつもりで、独り言を口にした。全く整理できた気に
ならない。かえって困惑を覚える。
フロイダーはその間、部屋のあちこちを調べて回っていた。ケンツの隠れら
れる場所は寝台の下ぐらいだが、無論、誰もいなかった。そして、金属製の矢
も部屋から消えていた。
「とりあえず……ここはこのままにして鍵を掛け、クレスコさんやグラハンズ
さんに会いに行くとしましょう。報告しないといけない」
テッドの提案にフロイダーとカラレナが同意し、魔術師の消えた部屋は封鎖
された。そして城を出ようと歩き始めたそのとき、前方から若い男が駆け込ん
できた。
テッドには見覚えがあった。名前は聞いていないが、クレスコの下で働いて
いる男だ。何事かと尋ねるより先に、その男は叫んでいた。
「ご無事ですか? クレスコさんが心配されています。急いで出てください!」
「何故、そんなに慌てるんです?」
フロイダーが聞き返した台詞が終わる前に、男は続けてこう言った。
「グラハンズさんが亡くなったんです!」
警察の調べによると、グラハンズの死因は毒だという。検査で、矢で負った
右腕の傷から入ったと判明。矢尻及び矢尻とは反対の端――矢筈からも、同じ
毒物が検出された。加えて、傷口を微細に検証し、部屋に落ちていた矢が確実
に凶器であるとの断定に到った。これはケンツの用意した矢が手製であり、そ
の加工が非常に特徴的だったことがプラスに作用した。
指紋に関しては、ケンツの指紋は矢から全く検出されず、これは誤って毒に
触れぬよう、ケンツが手袋をして矢を扱ったことを示唆するものと考えられた。
逆に、グラハンズの指紋が検出されたが、こちらは彼が矢を手で払ったとすれ
ばおかしくはない。
“ケンツはグラハンズを殺すつもりだった。矢をかわされても、ちょっと傷を
付けさえすれば殺せるように、毒を塗布してまで。そして今は逃亡している”
――魔法が本当に使われたかどうかは別として、警察はこんな見解を取らざる
を得なかった。
が、この困惑すべき推測に、さらに輪を掛ける事実が発見された。
ケンツの籠もった部屋の寝台に突き刺してあったナイフを調べたところ、グ
ラハンズの命を奪った物と同じ毒が検出されたのだ。ちなみにナイフから指紋
は、一切出なかった。
「魔法だの魔術だの超能力で人を殺し、逃げ去っただなんて、絶対に認められ
ん。あり得ないのだ」
捜査会議の席で、アレックス・アーリントン警部は断言した。顔だけ見れば
細面で優男風の中年だが、背は高く、体格もがっちりしている。そこにこのよ
く響く低い声が加われば、生半可な連中があっさり白旗を掲げるのに時間は要
さない。
「おかしな具合にも、証拠は全て、フォーレスト・ケンツの魔術による犯行を
示唆しているかのように見える。そのようなことは断じてない。ちらっとでも
『魔術の仕業かも』等と思うな。他に合理的な解釈を探せ。そしてそれ以上に、
ケンツの行方を突き止めるのが、現在の最優先事項だ。分かったな?」
叱咤と号令とを受けて、捜査員達が散っていく。アーリントン警部も意気の
合う馴染みの部下、コビー・セクストンとともに警察署を出た。
そして……車中、二人きりになったところで、アーリントンがセクストンに
こぼす。
「皆の手前、ああ言ったものの、五里霧中だ。君は正直なところ、どうだ?」
「奇妙な事件であることは間違いないですね」
運転席のセクストンは、茶色い髭が印象的な口に微笑を浮かべて応じた。車
は右に折れる。主要関係者から改めて話を聞くために、ケンツの事務所に向か
うところである。捜査開始後程なくして一度訪ねているが、今回は予告なしの
急襲を試みる。
「魔術の類なんて、毛の先ぽっちも信じちゃいませんが、あれだけ奇妙だとち
ょっとばかりぐらつきます」
「認めたくないが、俺も同感だ。科学的な捜査を尊重し、証拠を重視する。そ
の方針に従うと、非科学的な結論に行き着きかねない。厄介な事件だ」
アーリントンが頭を抱えたくなるのも無理はない。まだ公表を控えている事
実の中にも、理解しがたい事柄がいくつかあるのだ。
「警部も私も現実的な事件には強いが、この手の事件は……苦手というのは語
弊があるが、手を焼くのが常になってしまってますからねえ」
その後も事件について意見を交換しながら、目的地に着いた。カラレナを筆
頭とする助手がいるかどうかは不明だが、事務員が常駐しているのは確認済み
だ。
事務所手前で車を降り、歩いて近付く。駐車場の様子を覗き見たが、以前見
たときと比べて、車の台数は減りこそすれ、増えてはいない。目新しい車もな
いようだ。
「ケンツの奴が高を括って、魔術師でございますと得意顔で表れるとしたら、
ここか、警察署の前だと思うんだが」
「テレビ局や新聞社という線も、考えられます。ただ、そういった大っぴらに
姿をさらすより前段階として、事務所で準備をするのは大いにありそうですね」
「本当に魔術師なら、車で乗り付けやしないな。空を飛んでくるなり、何もな
い空間にいきなり出現するなり、やればいいんだ」
嘲る調子で呟いたアーリントンが、ふと建物の方を見やると、窓が開くとこ
ろだった。ガラス越しに刑事の到着を察したらしい。顔を出したのは、髪の長
い女性事務員。まだ距離があるので分かりにくいが、青ざめているように見え
る。
「――ああ、ちょうどよかった。刑事さん!」
深呼吸をし、思い切った様子で声を張り上げた事務員。髪が風のおかげで顔
に纏わり付く。が、かまうことなく、アーリントン達を手招きしている。
「何だ?」
怪訝さから、部下と顔を合わせたアーリントン。毛嫌いされこそすれ、歓迎
される立場ではないはずだが、これはどういう風の吹き回しだ……。
刑事二人が駆けつけると、女性事務員は窓越しに、「これを」と一つの封筒
を震える手で突き出した。宛名も切手もない、単なる白封筒だ。すでに開封さ
れ、ぎざぎざ模様になったその口からは、薄紅色の便箋が覗く。
相手のただならぬ様子に、アーリントンはハンカチをポケットから急いで引
っ張り出し、くるむようにして受け取る。事務員に尋ねるのはセクストンだ。
「これは?」
「郵便物の整理をしていたら、紛れ込んでいたのです」
「読みました?」
「はい。恐ろしくて、とりあえず戻して、警察に届けようかと思っていたとこ
ろへ、刑事さん達の姿が……」
眼鏡を押し上げつつ、質問を重ねるセクストン。彼の隣で、アーリントンは
便箋を引き出し、すぐに読み終えた。そして感じたままを声にした。
「こいつは確かに恐ろしい事態だな、事実とすれば」
便箋と封筒をハンカチごと渡されたセクストンは、指紋に注意しつつ、中身
を見た。そこには短い一文と、鮮明度の低いコピーされた一枚分の白黒写真が
あった。
『魔王の怒りに触れしフォーレスト・ケンツ、竜の怪物に屠られる』
写真には、どこかの森の中、ケンツと思しき人間が、身体のあちこちを裂か
れ、血を流して横たわる様子が切り取られていた。
「これ、ケンツでしょうか。確かに衣服は、姿を消したときとそっくり同じよ
うですが」
「さあて、どうかねえ。写真じゃ何とも言えん。何しろ、頭がないんだからな」
その人間からは頭部が失われていた。
封筒と便箋の調査が行われたが、明らかに触れた人物の指紋以外には、特に
これといったものは検出されなかった。
ただ、人の油脂分に反応する薬剤で、封筒の裏に、マルス・グラハンズの署
名がされていたことが分かった。何人かの手に触れ、気温がある程度上昇すれ
ば、グラハンズの名が浮かび上がる仕掛けが施されていた。現在、筆跡の比較
が行われているが、厳密な判定は難しいと見られる。
「グラハンズはすでに死んだ。本当に彼が出したメッセージとは考えにくい。
が、彼のために復讐を果たそうとする人物なら、こういった魔術に見せ掛けた
手品をやりかねんな」
アーリントン警部の判断により、捜査陣の一部は、グラハンズの弟子である
ジャッキー・レベルタの行方を探している。
平行して、ケンツの関係者にも連絡が取られた。ケンツには同居する家族が
いないため、助手達に連絡すると、真っ先にカラレナが捜査本部のある署へ駆
けつけた。そしてコピー写真を見るなり、行ったことがある風景だと言い出し
た。
「以前……三年ほど前でしたかしら。テレビ番組の企画で、魔術の屋外ショー
を行いました。そのロケハンで、足を運んだ場所と、記憶が重なります」
「そこはどこです」
カラレナは、郊外にあるSWという森林地帯を口にした。この事務所から車
で三十分ほどの所である。
そこへ早速向かおうとした矢先、カラレナが短い悲鳴を上げ、便箋を取り落
とした。
「何だ? どうかしましたか」
アーリントンがカラレナの手元を、セクストンが落ちた便箋を注視する。
「手に、文字が」
震えながら、右の手のひらを立て、その場にいる者に示すカラレナ。その浅
黒い肌には、紫がかった文字が浮かんでいた。肌が変色したらしい。
「まだ仕掛けがあったのか」
写真が鮮明な方がいいだろうと、便箋は警察でコピーした物ではなく、オリ
ジナルを手渡していた。
「警部、便箋の方にも文字が浮かんでます。これまたグラハンズの名前ですね」
拾い上げた紙を改めてビニール袋に入れ、セクストンはしげしげと観察した。
やがて、眼鏡の奥の目つきが鋭くなる。
「ヨウ素反応に似ている気がするな……。この紙、デンプンが含まれているの
かもしれません。仮にそうだとすると」
セクストンはカラレナの手に視線をやった。
「あなたの手に、何者かがヨウ素溶液で字を書いたことになる」
「……心当たりがあります」
意を決した風に、カラレナが言った。
「ケンツさんが亡くなったと報じられてから、色々な方が接触してきました。
その中に、ケンツさんと懇意にしていた占い師がいらして、私の将来を気にし
てくださったんです。そして今朝方、私の自宅に現れて、嫌な予感がするから
と手相を観てくださいました。そのときに、手のひらを清めると言って、極薄
い褐色の液体でなぞった……彼の仕業なんでしょうか」
「男の占い師ですか。名前は?」
「ラリー・ロレンス。でも、信じられません。あの方は、昔からケンツさんの
お知り合いで、互いに理解し合った仲に見受けられたのに……」
カラレナの感想とは関係なく、その占い師の手配が行われた。
「そいつの行方も気になるが、まずはこの遺体の確認をせねばならん。カラレ
ナさん、あんたも同行願おう」
急激に新たな展開を見せる事件に翻弄されるのを感じつつ、アーリントンは
警察車輌に乗り込んだ。こういうときこそ落ち着かねば。
森の中は、晴れた日の昼でもなお暗く、肌寒いくらいであった。それでも迷
うような深い森林でなかったことが幸いし、カラレナの案内で意外と容易く、
目当ての場所にたどり着けた。
「ふむ。そっくりだ。いや、全く同じと言っていい」
風景を遠くから眺め、便箋にある写真と見比べたアーリントンは、そう結論
づけた。
「だが、遺体がないぞ」
首から上のない遺体の代わりに、地面が焦げたように黒くなっていた。
「まさか、焼却した?」
セクストンが思い付きを述べると、アーリントンが「そんなことあるか?」
とほとんど否定せんばかりの疑問口調で返した。
「火を放って燃やしても、大のおとなの身体が、ほぼなくなるほどきれいに焼
けはしないだろう」
「ですねえ。となると、焼くには焼いたが、燃え残りをどこか別の場所に移し
たとか……」
きょろきょろと、辺りを探すセクストン。アーリントンも同様にしようとし
て、離れた場所にぽつんと立つカラレナの様子に気付いた。走り寄って、どう
かしたのか聞く。
「気分が悪いなら、車で待っていてもらって結構ですよ」
「それはありません。死んでいたのがケンツさんかどうかを確かめるまでは、
ここにいます」
「じゃあ、どうして怯えたような態度を」
「竜の吐く炎で焼き尽くされたんじゃないかと、そんなことが頭に浮かんだか
ら……」
「……ご冗談をと言いたいが、あなたは魔術や魔法を肯定する立場でしたな。
竜の存在も信じていると」
「いえ、その、完全に信じている訳ではないけれど……こんな跡形もなくなる
なんて」
「あなたの手前、魔術を即否定することはやめておくが、この犯行が人間業で
あることはじきに証明されるでしょうよ。遺体を見つければね」
きびすを返した警部の背に、「でも、ケンツさんは人にして魔術を……」と
いう呟きが届く。アーリントンは当然、無視した。
黒く焦げた地面を中心に、辺りを捜索したが、小一時間が経っても何の発見
もなかった。やがて、捜査員の一人が腰を伸ばそうと天を仰ぎ見た、そのとき
だった。
「――警部! 何かあります!」
「何だって? 報告するなら、はっきり、明確に言え」
怒鳴り返しつつ、その捜査員のそばまで寄ってきたアーリントン。若くて額
の広いその捜査員は、上方を指差しながら言った。
「あの木の枝のところ、大きな物体が引っ掛かっています」
「――言われてみれば」
高さ二十メートルほどの木の中程から伸びる太めの枝に、比較的細い枝数本
が重なり、ハンモックのようになっている。そこへ四角い物体が載る、もしく
は引っ掛かっているのが影で分かった。
早速、梯子が立て掛けられたが、充分な高さでなかったため、そこからさら
に身軽な捜査員が木登りした。そうした確認作業の結果、枝の上の物は、焼け
焦げた人間の身体であることに疑いの余地はなかった。
「こいつは……」
降ろされた遺体を見るなり、捜査員の誰もがほぼ同じように絶句した。それ
ほど、遺体の損傷は激しかった。胸元から腹に掛け、三本線の深い傷が走って
いたのだ。
「竜の爪?」
そう口走った若い刑事の頭を、アーリントンははたいてやった。
十数分後、同じ木のさらに高い位置にある虚から、人間の頭部が発見された。
これまた強烈な炎に炙られたらしく、顔面は焼けただれており、一部は炭化し
ていた。
「これでは誰だか分からんな」
アーリントンは片手で頭を掻いた。竜の炎に焼かれたと言い出す者は、さす
がにいなかった。
連続する殺しに、捜査員らは振り回されたが、それでも丸一日が経過する頃
には、様々な事柄が分かってきた。
枝や木肌には、何か固い物でこすったと思しき痕跡が、そこかしこに見られ
た。遺体を樹上に置いた方法は、魔術でも何でもなく、丈夫なロープを太い枝
に引っ掛け、滑車のように使ったものと推測された。大型の車が入り込んだタ
イヤ痕も、落ち葉に隠されていたが見つかっていた。単独犯だとしても、車を
使って牽引すれば、遺体の引き上げは可能ということになる。
「竜に見せ掛けて、急にしょぼくれたな。魔術らしさ全開のグラハンズ殺害は
魔術師ケンツの仕業。一方、ケンツ――と思しき男の殺害はグラハンズの知り
合いが、いかにも魔術らしく装って殺そうと頑張ったが、そこかしこに綻びが
生じた……こう見なせば、まあ合点は行く」
会議の席で、アーリントンは私感を述べた。
身元不明の焼かれた遺体は、男性であることしか分かっていなかった。立派
な体躯をしており、ケンツであってもおかしくない。トレードマークの白い手
袋をはめてはいたが、ほぼ燃え尽きており、布が皮膚に張り付いていた。指紋
も損傷が激しく確認が困難なため、他の方法による人物特定になるかもしれな
い。いずれにせよ、時間を要するのは確実だった。
「その割に、遺体の状態は猟奇的というか、呪いの生贄にされたみたいに、痛
めつけられていましたね」
セクストンの指摘に、皆が頷く。遺体が焼かれていた点や頭部切断もさるこ
とながら、胴体の三本傷に関する詳細が判明したためだ。刃物あるいはかぎ爪
状の物で付けられたと思われる長い創傷が縦に三本あり、いずれも深く切り込
んでいた。不気味なのは、その傷から何かを突っ込み、内臓をかき回したよう
な痕跡も残っていたことだ。検死によると、焼かれたのは死後だが、傷を付け
られた時点で被害者は生きていたはずだという。
「これも、竜に食われたように見せたかっただけなんでしょうか」
「だろうな。遺体を木の上に置いた方法と一緒で、稚拙でばればれだが、死ん
だグラハンズが甦って復讐していると見せ掛けるため、精一杯の工夫なのだろ
う」
「警部の推理が的を射ているとしたら、犯人は魔術師やプロの奇術師ではなく、
手品ができるとしても、素人に毛が生えた程度がせいぜいの……」
「そう思わせるため、わざとへたくそにやったと考えられなくもないが、それ
にしては大掛かりすぎるな。そういや、ラリー・ロレンスとグラハンズのつな
がりは、まだ見つからないのか」
ケンツと懇意だった占い師のロレンスが、実はグラハンズとも知り合いで、
今度の件でグラハンズを殺したケンツに、ロレンスが敵討ちした――というの
が現時点での警察の仮説である。仮説を捜査方針とするには、グラハンズとロ
レンスとの関連を実証しなければ、話にならない。
「まだ何も出ません。当人も行方不明で」
ロレンスの身元を洗う任務を負う刑事二人の内、年嵩の方が立ち上がって答
える。
「それどころか、ロレンスという占い師、過去が手繰れんのです。記録が残っ
ていない。本名すら、依然として掴めません」
「現在の活動はどうなんだ。少なくともカラレナの前に姿を現すまでは、普通
に占い業をやっていたんだろう?」
「それはその通りなのですが」
若い刑事に交代した。緊張気味の声で報告を続ける。
「ロレンスは一応、小さな店を構えているのですが、店舗の貸し主がいい加減
で、まともな身元確認をしていませんでした。店は不定休というか、いつ営業
しているのかが不定期なため、常に客で賑わっているなんてことはなく、たま
に開いている風だったとのことです。実際、訪ねてみたときも閉まっていて、
無人でしたし。ただ、評判はよかったみたいです。言葉は曖昧でも、大柄なロ
レンスが低くて渋い声で告げると説得力があると感じるらしく、それなりに当
たるってことになっていました。加えて、常連客にはフォーレスト・ケンツの
魔術ショーのチケットを進呈することもあったとかで」
「無料券とはいえ、宣伝みたいな形で協力していたのか。だったら、ロレンス
がケンツを殺すというのは、しっくり来ないな」
早くも仮説が疑問視される。グラハンズ殺しともう一つの殺人は、同一犯に
よるものなのか、報復なのか。まだはっきりしない事件の全体像を掴むべく、
捜査陣を二手に分けることに決めた。城の事件をセクストンが、森の事件はウ
ェリントンという刑事が捜査を主導する。
アーリントンは全体の指揮を執りつつ、グラハンズ殺害を優先して追う側に
入った。
第一の事件関係者に再度の聞き込みを行う。その目的で、アーリントンとセ
クストンは車でヤン・フロイダーの職場を訪ねた。
フロイダーの勤める研究所は、大企業お抱えで、それなりに潤沢な資金を与
えられているようだ。広い駐車場を見回すと、そう感じる。
「警部、マスコミの車が一台」
「本当だ。面倒だな。うん? あれは魔術師対決を企画だか支援だかした、雑
誌社の車だぞ」
窓口に行き、用件を手短に伝える。応接室にすでに入っているから向かって
くださいと案内された。案内に従ってくだんの部屋に行くと、そこにはフロイ
ダーの他にもう一人、見覚えのある事件関係者がいた。テッド・メイムである。
――続く
#402/598 ●長編 *** コメント #401 ***
★タイトル (AZA ) 12/02/28 00:01 (410)
相克の魔術 3 永山
★内容
――テッドからの質問に対し、フロイダーはしばし思い起こす風にこめかみを
自らつついていた。程なくして記憶が鮮明になったようだ。難しい表情が明る
いものに一変すると、すらすらと答え出す。
「あの人は普段の見目と違い、大変な剣幕、形相でした。私も圧倒されて、即
座に渡しましたよ」
「そうでしたか。じゃあ、異変が生じて以降、扉が開かれるまでの間、フロイ
ダー先生はあの扉が内側から施錠されていたことを、確認したでしょうか」
「うーん……した記憶はない。だが、そこは重要ではないと思いますよ。内側
にいる人物には、鍵がなくても自由に開閉できるのですから」
「その通りですが、重要視しなくてかまわないんでしょうか……ん?」
首を捻ったテッドの視線の先、透明なガラスの壁越しに、巨漢の刑事が捉え
られた。そのすぐ後ろには、眼鏡の刑事もいる。ともに見覚えがあった。
テッドは、刑事二人の登場に、これは幸運だと偶然に感謝した。追い出され
ぬよう愛想よくしていれば、新しい情報を得られるかもしれない。と同時に、
こちらの推理をぶつけて反応を見たい気持ちも起きた。
「これは、ご苦労様です、アーリントン警部にセクストン刑事」
「……メイムさん。あなたの記事、読みましたよ」
「そりゃどうも」
すっくと席を立ち、テッドは握手を求めた。が、アーリントン警部はそれに
応じず、壁のように立ちふさがる。
「臨時増刊で雑誌を出すとは、売れると踏んだんでしょうな。事件の起きた当
日の様子を詳しくレポートされていて、なかなかに興味深かった。新しい発見
はなかったがね」
「はあ」
「それで今日はここに何用だ? 続報として紙面を飾る特ダネ探しかね」
「特ダネなら常に求めてますが、ここへ足を運んだのは、事件について語り合
ってみたかったからですよ。森での事件に関しては傍観するほかありませんが、
城の事件なら私は重要な関係者、発見者の一人ですからね。発見者同士で再検
証し、この不可解な状況に光明を見出そうとしている訳ですよ」
「ふん。一筋でも光明は差しましたかな」
「まあ、警察の先を越せるもんじゃないのは分かってますから、恐らく、刑事
さん達にはとっくに承知のことなんでしょうが」
「……」
アーリントンとセクストンは顔を見合わせ、今度はセクストンが言った。
「念のため、伺いましょう」
「そちらからも何か特別な話、お願いしますよ。できれば、森で見つかった首
なし死体の身元とか。やはりケンツでしたか?」
「あなたの話に値打ちがあると思えば、我々も手の内をいくらか明かすことを
考えないでもありません。さあ、どうぞ」
セクストンの穏やかだが決然とした物言いに、テッドは先に情報を出させる
のは疎か、確約させるのもあきらめた。アーリントン警部以上に難しい相手か
もしれない。
「実は、経歴を洗ってみたんです。ケンツとグラハンズの」
「それぐらいなら、警察も――」
「ええ、ええ、分かっています。ケンツが今よりもっと若い頃、奇術師の修行
をしつつ、大道芸人をやっていたことぐらい、突き止めているのでしょう」
「当然です。グラハンズにしても、奇術を学んだ経歴の持ち主だと判明した」
「では、ケンツの大道芸とは何か、具体的に調べは付いていますか」
「ん?」
セクストンの目が丸くなった。アーリントンはと見ると、首を傾げている。
「そこまでは調べていないが、事件に関係あるとは思えん」
「ケンツは鉄の胃袋を売りにしていました」
「鉄の胃袋って、何なんです?」
今度は目を激しくしばたたかせるセクストン。どうやら、大道芸に接するこ
とのない人生を送ってきたようだ。
「何でもばりばり食べてみせるんですよ」
「ガラスや釘なんかを食うあれか」
テッドの説明に、アーリントンがすぐさま反応した。彼の方は、よく知って
いるものと見える。
「はい。ケンツは人間ポンプ芸を兼ねていて、食べた物を口から戻すこともや
っていたそうです。戻すのは、金魚限定だったそうですがね」
黄ばんだ切り抜き記事やチラシを取り出すテッド。背が高く、厚い胸板の男
が小さな写真に収まっていた。顔立ちは、ケンツを想起させるものがあった。
切り抜きを見て、刑事達は納得した様子になった。
「この事実から、あなた方はどんな絵を描いてみたのですか」
「朧気ながら、ちょっとした仮説をフロイダー先生と一緒に構築しつつあった
ところです。まだはっきりした形になっていません。それについて触れる前に、
今度は刑事さんから、何かお願いします」
セクストンは求めに応じ、早口で答えた。
「森で見つかった遺体の身元は、まだ分かっていません。ケンツの可能性も、
そうでない可能性も五分五分」
「――それだけ?」
きょとんとするテッド。あんまりだとばかり、両腕を開き、肩を竦めてみせ
る。
「殺生というものです。何も聞いてないのと同じだ。頼みますよ、刑事さん」
「――アーリントン警部?」
セクストンは警部を振り返った。警部は無言で首を縦に振った。
「では、毒の入手経路について。グラハンズ邸の書斎、鍵の掛かる書棚で、ほ
ぼ空になった瓶が見つかりました。わずかに残る液体の成分を分析し、彼自身
の命を奪った毒と非常に似ているとの結果が出ています。異なるのは、濃度の
差ぐらいだという見込みです」
「ケンツでなく、グラハンズの。はあ……。あ、重要で有益な情報をありがと
うございます」
礼儀正しく頭を下げたテッド。上からアーリントンの声が降ってきた。
「重要ではあるが、有益とはあまり思えん。事態の混迷がますますひどくなっ
ただけだ」
「そうでもないと思いますが。フロイダー先生と話していた朧気な推理に、ち
ょうど当てはまりそうです。ねえ、先生?」
テッドの呼び掛けに、フロイダーは居眠りをしていた訳でもあるまいに、び
くりと身体を震わせた。それから落ち着きを取り戻し、「ええ」と答えた。
「矢とナイフの両方に付着していた毒が、グラハンズの用意した物となれば、
色々とすっきりします」
「ふん。勿体ぶられるのは好きじゃない。早いとこ話してもらいたいものだ」
「では……どうしましょう?」
フロイダーはテッドの方を向くと、遠慮する素振りを見せた。テッドは首を
左右に振った。
「フロイダー先生の方から話してください。情報を持ち込んだところ、先生が
思い付いたのですからね」
指名されたフロイダーは、一瞬戸惑った風に、椅子の上で身体を震わせた。
だが、咳払いをして落ち着くと、話し始めた。
「私が推測した事件の構図は、次の通りです。ケンツとグラハンズは危険な勝
負を行うほど憎み合っているように見せて、実は裏で通じていた」
「何と。どういうことだ?」
声を上げたのはアーリントン。異論を唱えようとしているのが、表情から分
かる。が、実際に異を唱えたのはセクストン。
「ケンツとグラハンズが通じていたという証拠は? 言ってみれば、最有力容
疑者と被害者がつるんでいたとは、ちょっと現実的でない」
「証拠はありませんが、過去を洗えば接点が見えてくるかもしれません。とも
に奇術を学んだなら、顔を合わせたことがあっておかしくない」
「……まあいいでしょう。続けてください」
「最初に断っておきますが、全て推測です。ケンツとグラハンズは、自分達が
注目を浴び、金儲けできる計画を思い付いた。不仲と見せ掛け、対決するショ
ーです。どちらが発案し、持ち掛けたのかは不明ですが、対決でグラハンズが
亡くなったことを思うと、ケンツが主体的だったのかもしれません。それはさ
ておき、二人の魔術師は八百長の対決を仕組みます。矢とナイフをそれぞれの
凶器にした、魔術による果たし合い。その裏は、二人とも軽傷を負うだけで、
互いに讃え合って幕を引く予定だったんでしょう」
「すみませんが、もっと詳しく。話がよく見えない」
セクストンの注文に、フロイダーは肩を竦め、テッドに助けを求めてきた。
「やはり、私の喋りではだめなようだ。ついつい、端折ってしまう。交代して
ください」
「承知しました」
テッドは改めて刑事二人に向き直り、頭の中で話す順序をまとめた。
「えー、グラハンズの立場に立って、話を進めます。計画では、グラハンズと
ケンツはそれぞれ、隠し持った凶器――グラハンズは矢、ケンツはナイフで自
らを傷付け、相手の魔術によってや危うくやられるところだったという演技を
する手筈だった」
「言いたいことは理解できました。が、簡単に、凶器を隠し持つと言いますが、
無理ではありませんか? 特にあの長い矢は」
「すみません、その辺りの方法は、まだ見当が付きません。でも、ケンツが部
屋から矢を消した方法と、グラハンズがナイフを消した方法なら、ある推理が
可能です」
「窓から放り出したとか言い出すんじゃないでしょうね。ケンツの脱出経路で
はないかという疑いから、窓の下は徹底した調査済みです」
「窓ではありません。ある意味、本当に消したと言えなくもないかな」
微笑を浮かべ、謎めかすテッド。
「……ああ、矢の方は察しが付きましたよ。さっきの話はここにつながるのか」
得心するセクストンに、アーリントン警部はどういうことだと肘で腹をつつ
いた。セクストンは右手人差し指を立てて、教え込ませるように言った。
「ケンツは、金属を飲み込む大道芸を得意としていたと、言ってたじゃありま
せんか」
「うん? ああ、そうか。矢を食って始末したんだな」
「可能性の一つですが」
テッドは断定を避けた。
「矢を折り曲げ、短くして数回に分ければ、飲み込めるんじゃないでしょうか。
部屋から脱出したあと、戻せばいい」
「そういうことでよいのなら」
やり方を理解した、とばかりにアーリントンは顎を撫で、考えを話し始めた。
「グラハンズがナイフを消したのは、奇術的な小道具だな? 恐らく、最初に
確かめさせたナイフは、どこかボタンのような物を押せば、刃が引っ込み、一
見するとナイフとは思えぬ形になる代物だったんだろう」
「多分」
「しかし、亡くなったグラハンズを調べたが、そんな物はどこにも身に付けて
いなかったぞ。少なくとも報告されていない」
「恐らく、城の外へ出る際に、こっそり捨てたんでしょう。あるいは、搬送さ
れる車のどこかに押し込んだか。どこかにナイフ大の物体が隠されているとの
認識を持ち、根気よく探せばきっと」
「貴重な意見だ。考慮しよう。できる限り速やかに、人員を回す」
アーリントンは部下に目配せした。セクストンは弾かれたように、部屋の外
へ。連絡を取りに行ったらしい。
「あなた方の考えでは、グラハンズがケンツに乗せられ、共犯で計画を進めた
が、最後にケンツに裏切られ、殺されたということになる。その仮定に立つと、
凶器の準備の他にも、まだ大きな問題がある」
「はい」
「部屋の鍵、錠の問題だ。ケンツは部屋の錠をそのままに、いかにして抜け出
したのか。これの説明を付けねばならない。まさか、凶器は小手先の奇術だが、
部屋からの脱出は魔法だなんて、通らないからな」
冗談のつもりで言ったのだろう、アーリントン警部は唇の端をかすかにゆが
めて笑った。テッドも付き合い、
「もしもケンツが生きていて姿を現し、全ては魔術のなせる業だと主張するよ
うでしたら、こう言ってやればいいんですよ。『毒殺を選ぶのなら、矢に塗っ
たりせず、最初から毒を相手の口に魔術で放り込め済むんじゃないのかい?』
と」
と応じた。それから気を引き締め、脱出方法についてちょうど検討していた
ところだったと述べた。
「助手の動きに目を向けざるを得ない、でしょうね」
「助手というと、どっちのです? えー、ケンツに付いているカラレナ達か、
グラハンズの弟子のレベルタか」
セクストンは手帳を見て、確認しながら言った。
「当然、ケンツの助手です。カラレナ一人に絞っていいかもしれません。ご承
知の通り、私とフロイダー先生が二本の鍵をそれぞれ預かっていたんですが、
いずれも彼女に手渡しているんです。鍵を実際に使ったのはカラレナ。そのと
き、小細工の余地があったんではないかと思うんですよ」
「具体的な方法はまだ、ということなんですな」
「ええ、まあ。とりあえず、ケンツの脱出方法を解き明かすのが先決だと考え、
取り組んでいたのですが……。扉の鍵は、内側から開け閉めできるのだから、
ケンツ自身が開ければいい。問題は錠前なんですよねえ」
「あなた方が様子を見に行く前に、カラレナか誰かに鍵を渡しやしなかったで
しょうね」
セクストン刑事がフロイダーの方に身体を向け、首を傾げる風に聞いた。
フロイダーは小動物のような動きで、首を横に、小刻みに振った。
「とんでもない。私は又貸しなどしていません。途中で鍵を渡し、その人物を
一人で城に入らせてしまっては、実験の意味がなくなってしまうじゃありませ
んか」
「仰る通り。フロイダー先生の持っていた鍵が使われなかったのなら、あとは
……クレスコ氏がもう一つ、合鍵を持っていた可能性を検討すべきかな」
刑事二人は、示唆に富む話ができたことに感謝の意を示し、丁寧な挨拶を残
して立ち去った。
ドン・クレスコによると、錠前にしろ扉にしろ、それに合う鍵はそれぞれ唯
一つしかなく、複製もしていないという。また、クレスコは城での事件が起き
るまで、余興として行われたショーをずっと見物しており、建物には一歩たり
とも足を踏み入れていないと証言した。証人としては彼の秘書の他、ちかくに
いた観客数人も有名興行師の姿をちらちらと気にしており、信用できると思わ
れる。
「第一、私がケンツに協力して、グラハンズさんを殺すような計画に乗って、
何の得がありますか。損するだけだ」
己の領域であり商談の場でもある“社長室”で、刑事がうろちょろするのを
快く思っていなかったのだろう。アーリントンとセクストンの今回の来訪も、
露骨に嫌がっていたクレスコは、身の潔白を示せる目途が立つと、普段の勢い
を取り戻した。
だが、アーリントンも簡単には退かない。疑いが晴れたなら、そのままおと
なしくしてくれればいいものを、余計な反駁されると、少し灸を据えたくなる。
「動機なんて、何とでも考えられるさ。ありがちなところで、話題作りだな。
殺人までは知らされていなかったのかもしれん」
「冗談はよしてもらいたい、刑事さん。確かに一時的に話題になるだろうが、
フォーレスト・ケンツが行方不明じゃ、儲けにつながらん。それにもしも、仮
にだよ、話題作りのためにグラハンズさんを消すなんて真似をするなら、ケン
ツ対グラハンズでもっと引っ張って、充分に稼いだあと、事件を起こしますよ」
「穏やかでない発言だ」
アーリントンの指摘に、クレスコは水差しから注いだコップ一杯の水を一気
に干した。
「だから、仮の話だと言ったでしょう。本当にケンツとグラハンズさんが通じ
ていて、そのことを私が知っていたら、絶対にテレビで対決を実現させ、大い
に盛り上げてみせる。私にはその手腕がある」
クレスコの語りが熱を帯び始めたのを目の当たりにし、アーリントンは切り
上げた。代わって、セクストンが聞く。
「ついでなんですが、ラリー・ロレンスという人物をご存知ありませんか」
「ラリー・ロレンス? 何者だ、そいつは」
「知らない? 占い師で、ケンツのショーの招待券を客に配ることがあったと
いうから、てっきり、あなたが招待券を渡していたのかと思ったのですが」
「知りやせんよ。大方、ケンツの事務所に回した分から、さらにその占い師に
回してたんじゃないのかね」
「カラレナさんの話では、ケンツと懇意にしている占い師だそうなんだが、あ
なたは全く聞いていないと言うんだな?」
割って入ったアーリントンが最終確認をする。本人にそのつもりがなくても、
体格や声のせいで威圧的である。クレスコは首を竦め、「刑事さんに今聞いた
のが、初耳ですよ」と小声で答えた。
「しかし、ケンツの前身に関しては、承知してたんだろう?」
「ケンツの前身?」
目を見開き、唇を尖らせたクレスコ。とぼけているのか、本当に知らないの
か、外見だけでは判断が難しい。
「ああ。奇術師で大道芸人だったケンツを、おまえが拾ってやり、魔術師だか
魔法使いだかに仕立て上げ、売り出したんだ。違うか?」
「そ、そりゃあまあ。でも、半分当たり、半分誤解だよ、刑事さん」
クレスコの額に汗が浮かぶ。顔を寄せたアーリントンを、両手のひらで防ぐ
ような仕種をしつつ、しどろもどろになって答えた。
「魔術が本物かどうか何て詮索しないんだ。興行師は客が入って売れればいい、
それだけなんだから。大道芸をやってるケンツを見つけて、こいつは行けると
思って声を掛けたのは、そっちの言う通り。だが、演目は彼に任せた。つまり
私は、魔術でないと知っていながら魔術を売りにしたんじゃない。詐欺にはな
らんだろ?」
作り笑いを浮かべる興行師。
そこを心配していたのかと、アーリントンは内心呆れた。殺しに関与してい
るかどうかを見極めるため、色々と揺さぶりを掛けているのだが、この調子で
はどうやら無関係のようだ。
「最後にもう一つ、聞かせてもらおう。グラハンズと会ったのは、今度の件が
初めてか」
「はい。もちろん、伝説の魔術師の噂は耳に届いていたが、会ったことは一度
もなかったですとも、はい」
クレスコはすらすらと答え、追従笑いを顔いっぱいに広げた。
クレスコ所有のビルを出て、警察車輌に戻ったアーリントン達に、いいタイ
ミングで報告が入った。マルス・グラハンズを搬送した救急車の中から、四つ
の頂点を持つ星形の物が見つかったというのだ。中央のボタンを押すと、星の
一角の覆いが下がり、刃のような形状が姿を現す代物で、ナイフらしく見える
が実際に切ることはできないとのことだった。
「これぞ、探し求めていた物という訳ですね」
「ああ」
無線連絡を終え、すぐさま車を走らせに掛かる。模造ナイフの発見は、魔術
対決がケンツとグラハンズの共謀だったという説を強力に後押しするもの。捜
査を進めるべき道は間違っていない、そんな手応えを実感する。
「あとはグラハンズが矢をどこに隠していたのかと、ケンツがどうやって部屋
を抜け出したのか。この二つを解き明かせば、グラハンズ殺しは片付いたも同
然だ。重点は、それが森の変死体の件とどう結びつくかに移る」
「ケンツやラリー・ロレンスの居所を突き止めるか、被害者の身元を特定する
かができないと、想定し得る仮説が多過ぎて、なかなか見えてきそうにありま
せんがね」
「弱音を吐くな」
「すみません」
「せめて言葉には出さんでくれ」
このあともしばらく検討を重ねたが、何らの結論も閃きももたらされない内
に、車は署に到着した。そして早速、新たに見つかった模造ナイフを実際に見、
それが特殊な奇術用ナイフであることを知らされた。ケンツが籠もった部屋の
寝台に突き立てられたナイフと、外見はそっくり同じだった。
「念のため確認しておくか。毒の類は検出されなかったか」
鑑識結果に照らし合わせる。毒物を含め、何ら特別な物は検出されていなか
った。
捜査方針に矛盾しない物証の登場に、アーリントンが一定の満足を得ている
と、また新たな報告が入った。
樹上に引っ掛かっていた遺体の身元特定につながるものが、ついに見つかっ
たという。アーリントンとセクストンは、検死官の元へ急いだ。
「ちょうどこの場にいたウェリントン君には先に伝えたんだが、かまわんだろ」
どういった酔狂なのか、だて眼鏡をしている検死官は、アーリントン達の顔
を見るなり、そう言った。それから、問題の遺体の寝かされた台の前に移動す
る。
「もちろん、かまいやしない。ウェリントンには森の事件の指揮を執らせてい
るのだから。それでオルドニー先生、どんな手掛かりを見つけたって?」
「最も単純な個人識別の一つ、指紋だよ」
「指紋は採れそうにないと聞いていましたが……。まさか、足の指紋ではない
でしょうし」
セクストンが首を傾げるのへ、オルドニー検死官は遺体の服を指差した。纏
わり付くように、わずかに残る布地は、どこもほとんど焦げており、役立たな
いように、刑事達の目には映った。
「ここだよ、ほれ」
袖に該当するであろう箇所の布を、ちょいと引っ張るオルドニー。どうにか
白色と分かる布地には、紫っぽい縞模様が微かに記されている。
「これ、指紋ですか?」
「だと思う。ただし、被害者の指紋ではないだろうな。指のサイズを想像する
に、女性の細さだ、それは。そこでぱっと閃いたんだが、確かケンツの助手の
カラレナが、謎めいた占い師にヨウ素水溶液を手のひらに塗られて、デンプン
と反応したせいで、紫っぽく変色していたんだろう? そのときの名残で、指
紋が色込みで付着した可能性に思い当たった。調べてみると、間違いなく、ヨ
ウ素反応だったよ」
「ということは、この遺体はラリー・ロレンス……」
「これから照合して部分指紋がカラレナのそれと一致すれば、可能性は一気に
高まるね。尤も、未だに経歴のはっきりしない男だと分かっても、大した進展
にはつながらんかもしれないが」
「いや、大きく前進しましたよ」
アーリントンは興奮を抑え、礼を言った。
テッドは、系列の新聞社に勤める警察担当の記者から、有力な速報をもらっ
た。森の木に引っ掛かっていた遺体の身元は、ラリー・ロレンスである可能性
が強まったという。
「くれぐれも、確定情報じゃないことを念押ししておくぞ。それと、言うまで
もないが、まだ公にしてくれるなよ」
「承知している。いつもありがとうな」
「言葉の礼よりも、情報をくれ。おまえの方でも何か分かったり閃いたら、す
ぐに知らせろよ」
「もちろんだ。じゃあな」
電話を切ると、テッドは早速、記事の文章を組み立てに掛かった。
「ケンツだと信じていたんだがな。ロレンスが被害者なら、大幅に考え直さな
きゃ」
独り言を口にしてから、黙考に入る。
ケンツとグラハンズがいかさまの対決を計画。その計画に乗じて、相手を葬
ろうと考えた。グラハンズは矢の毒で死亡。ケンツはナイフに毒が塗られてい
ることを察し、カラレナかクレスコの協力で、部屋から消えてみせた。ロレン
スからグラハンズの復讐を示唆する手紙を受けたケンツ達は、ロレンスを返り
討ちにした……こういうことか?
仮にこの推理で正解だとしても、ケンツが部屋から抜け出る方法や、グラハ
ンズが矢を隠していた場所とか、あちこち抜けている部分があるから、記事に
はできない。“グラハンズとケンツは本物の魔術師だった!”ってことにすれ
ば簡単なんだが。いや、それでも、まだ説明の付かない点があるんだっけ。矢
の両端に毒が付いていた理由。グラハンズとケンツ、それぞれが同じ毒を用い
ようとしていたのも気になるんだが。
「あー、分からん」
頭をかきむしるテッド。原稿の升目が埋まるのは、まだまだ先になりそうな
雲行きだった。
身元不明遺体の衣服に残る指紋が、カラレナのものと一致を見た。この事実
により当然、二つ目の殺しもケンツが犯人だとする見方が強まっていた。
「気になることが一つある」
会議の場、全捜査員への確認の意味も込め、アーリントンは大きな疑問点を
挙げた。
「カラレナに前もって接触し、グラハンズの名が浮かび上がるように小細工を
したのは、ラリー・ロレンスだ。この占い師は、直接事務所に届けられた手紙
にも関与しているはず。何故なら、手紙の便箋からも同じくグラハンズの名が
浮かび上がったのだから。だが、手紙には森に遺体があることが記されていた。
あの写真は写りは悪いが、樹上にあった遺体と同一に見える。とすると、ロレ
ンスは自らをケンツに見せ掛け、死を選んだことになりかねない」
「警部、よろしいでしょうか」
ウェリントンが挙手した。発言を認められると、立ち上がって続けた。
「我々が集中して調べても、ロレンスとグラハンズのつながりは出て来ていま
せん。ロレンスとケンツのつながりなら、確認できています。このことから、
ケンツはロレンスを操ったんじゃないかと思うのです」
「操ったとは、どういう意味だ。魔法の催眠術とかじゃあないんだろう?」
顰め面で聞き返したアーリントン。相手は即座に首を水平方向に振った。
「無論です。ケンツはロレンスに、何らかの利益を約束するか、弱味を握るか
して、協力させていた――こんな推測は成り立ちませんか。恐らくロレンスは
殺人にまで発展するとは知らされず、単なる大掛かりな八百長の片棒を担ぐ程
度の認識で、応じたのでしょう。ケンツとグラハンズの魔術が本物であるよう
に演出するため、カラレナに接触して文字の細工をしたり、手紙をじかに投じ
たりした。ところが最後に来て、ケンツはロレンスを己に見せ掛けて殺害。こ
の世から消えて、殺人の嫌疑を逃れようという寸法だった……」
相手の話しが終わってしばらくしてから、アーリントンは感想を言った。
「うーん。ぴたりとはまっているところもあれば、しっくり来ないところもあ
るようだが」
警部に続いてセクストンが口を開く。
「ロレンスとケンツが中途まで共犯だったなら、手紙にあった写真の遺体は、
造り物ということに?」
「ああ、言い忘れていました。そうなるでしょう」
「ロレンスは殺人を知らなかったとしていたが、どうやって? グラハンズの
死は大々的に報道されていた。ロレンスが魔術対決の舞台裏を知っていたなら、
ケンツがグラハンズを殺したのではないかと疑いを持つのが自然だと、私は思
います」
「それは……ロレンスはケンツに、しばらく人目に付かないよう、隠れていろ
と言い含められたのではないかと。一切のニュースに触れる機会のない、山小
屋のような場所を用意して」
「ウェリントン刑事の説を実証するには、とりあえず小屋探しからですか」
場に少しだけ笑いが起きた。ウェリントンの唱えた推測は、筋はおおよそ通
っていても、まだ何の証拠もないことがはっきり示された。
「ウェリントンの主張は、基本的な捜査方針には沿っているのだから、証拠は
これから押さえていけばいい。俺が引っ掛かったのは、ケンツがそこまでして
どんな利益を得たのかってことだ。グラハンズと組んで魔術対決をでっち上げ
たのは、名をより高めるためと考えて、間違いあるまい。グラハンズ殺害はラ
イバルを蹴落とすため、あるいは口封じだとしよう。だが、ロレンス殺害はど
うだ。殺人の容疑から逃れるため、自らを抹殺するというのは、そこだけ取り
出せば理に適っているように見える。しかし、当初の目的、魔術師として名を
高める方が意味をなさなくなる。公の場に出て来られないんだからな」
「……ケンツは、グラハンズ以上の“伝説の魔術師”になりたかった、とか?」
「それだけのために殺人を犯し、今ある名誉や金を捨て、別人になって生きて
いくのか。もし俺が奴の立場だったとしたら、絶対に御免だね」
静まりかえる会議室。
「そこを踏まえると、ケンツがロレンスを殺害する個人的な恨みみたいなもの
がありやしないか、探るべきだ」
ロレンスの過去を洗う作業と平行して、ロレンスとケンツの関係をもっと深
く調査することが、新たな方針として加わった。
――続く
#403/598 ●長編 *** コメント #402 ***
★タイトル (AZA ) 12/02/28 00:01 (364)
相克の魔術 4 永山
★内容
捜査本部の置かれた部屋を出て、署の駐車場に向かう途中、アーリントンと
セクストンは、知り合いの男性が窓口を訪れていることに気付いた。殺人事件
の捜査に当たっている今、一般市民のちょっとした顔見知りを署内で見掛けて
も、よ
ほどのことがない限り通り過ぎるのが普通だ。が、あの男とは強く印象に残る
出会いをし、世話にもなった。二人の刑事は方向を換え、近付くと彼の背中に
声を掛けた。
「エイチ、久しぶりだな」
アーリントン警部の呼び掛けに、男は窓口の職員に短く礼を言って、振り返
った。
「ようやく会えた。アーリントン警部にセクストン警部補、力を貸して欲しい
ことがあって、探していたんだ」
「警察に先んじてフォグナッツ事件を見事解決に導いた君が、力を貸して欲し
いとはよほどの大ごとだな」
冗談かと思い、アーリントンは軽い調子で応じた。だが、目前の東洋系の男
は、真剣な眼差しを崩さない。ほぼ同じ身長で、目の高さも同じであるアーリ
ントンは、すぐに気付いた。表情を引き締める。「何が起きた」と聞き返す台
詞に、相手の声が被さる。
「アイバン君が四日前から行方不明なんだ」
「エイチさんの連れの、あの少年が?」
頭一つ低い位置で聞いていたセクストンが、言葉を挟む。エイチは「ええ」
と頷いた。
「行方不明と言ってもはぐれただけかもしれない。犯罪に巻き込まれたとは限
らないんだが、初めての異国の地故、僕一人で探すのには限界がある。一昨日、
ここを訪れて捜索を頼んだんだが、始めたのかどうかすらはっきりしない。ら
ちが明かないので、あなた方に会おうと思っていたんだ。忙しいのは分かって
いる。担当部署にアイバン君の行方を捜索するよう、お二人から口添えをして
ほしい。それだけでいい。心からお願いする」
頭を深く下げるエイチに、アーリントンは手を差し伸べ、すぐに上体を起こ
させた。
「そんなことなら、おやすい御用だ。あのときの御返しを、今、させてくれ。
おい、セクストン」
セクストンは無言で素早く行動に移った。担当部署のある部屋へ急ぎ、消え
る。
「事件を抱えていなければ、俺自ら手を貸すところなんだが、すまんな。あと
一歩とは言わんが、半分がたは解決したようなもんだ。片付けば、協力する」
「ありがとう。事情はよく承知している。魔術師の事件だろう?」
「さよう。いかにも君向けの、不可解で怪奇趣味盛りだくさんな……エイチ、
君の意見を聞きたい。その方がより早く片付くかもしれん」
「いや、アイバン君を見つけないと。警察の動きとは別に、一人でも探す」
「気持ちは分かる。だが、こう考えてくれ。我々の事件が早く解決すれば、そ
れだけ捜索に人員を割ける。発見も早くなる」
「……」
「少年の立ち寄りそうな場所に、心当たりがまだあるのか? あるのなら、若
いのを一人、そっちに差し向けたっていい」
難しい表情をしていたエイチは、首を横に振った。
「心当たりは全て当たった。何もないから、こうして警察を頼っている」
「だったら」
アーリントンがエイチの両肩に手を置き、最後の一押しをしようとしたとこ
ろへ、セクストンが駆け戻って来た。
「やりました。他に失踪人の届けは出ていないそうですし、すぐに取りかかる
とのことでした」
その報せに、エイチはやっと意を決したようだった。
「ありがとう。優先して動いてくれることに感謝する。魔術師の事件について、
話をすべて聞きたい」
警察署奥の小さな部屋に通され、事件の概要及びこれに関する調査結果を見
聞きしたエイチは、開口一番、「ケンツの大道芸が鉄の胃袋だという事実は、
警察でも調べが行き届かなかったほど、隠されていたのだろうか」と言った。
「まあ、確かにその気味はあった。雑誌記者が辿り着けたのだって、関連する
新聞社に、昔の様々なちらしが保管されていたからこそだったはず」
アーリントンが答えると、エイチは軽く頷いた。
「すると犯人は、ケンツが矢を飲み込んで消失させるという絡繰りを、警察に
見破られることはまずないと考えていたんじゃないかな。ばれるとしても、だ
いぶ先の話になると高を括っていた可能性がある」
「そりゃそうかもしれないが。だとして、何が言える?」
アーリントンは大勢の捜査員のことを頭に浮かべつつ、急いた調子で聞いた。
心中では、フォグナッツ事件の解決は単に運がよかっただけではないことを念
じた。
「ばれる恐れは少ないとはいえ、皆無ではない。カモフラージュを考えたと思
う。短くした金属の棒を多数飲み込めば、臓器の内側に細かな傷が付く。それ
を目立たなくすれば、見抜かれる心配はぐんと減る」
「そんな工作を、犯人は実際に行ったというのか?」
「森で見つかった遺体は、竜の爪で切り裂かれたかのように、胴体に三つの深
い傷を負っていたんだろう? おまけに、内臓をかき回されたような痕跡もあ
ったと」
「ああ、そうか。ではあの死体は、やはりフォーレスト・ケンツのものだと?」
信じられないという響きを声から感じ取ったのだろう。エイチは「捜査本部
では、ロレンスで固まっているのか」と聞き返した。
「ああ。判明して間もないから、そこの資料にはどこまできちんと説明されて
いるか知らんが、遺体の衣服に指紋があってな」
アーリントンは森で見つかった遺体をロレンスと断定した経緯を、細かく話
した。
だが、説明を聞き終わったエイチは首を捻った。
「僕は、遺体はケンツだと思う。無論、犯人が全てを見越して罠を仕掛けてい
る可能性も残るが、手間を掛けすぎだ。犯人は、『竜の存在を匂わせようと努
力したが、やり方が稚拙ですぐに見透かされた』という風に装っているんだ。
真の目的、内臓の傷を隠すための細工を気付かれないように。服に付いた助手
の指紋なんて、簡単に偽造可能だしね。むしろ、死んだのがロレンスだと誤認
させるための奸計と見なすべきだ」
「うむ」
唸ったきり、しばし沈黙するアーリントン。セクストンも言葉がなかった。
やがて、アーリントンが考え尽くした風に嗄れ声で発する。
「言われてみると、おかしいな。ロレンスがケンツに操られて行動していたの
なら、竜の仕業に見せ掛けたのはケンツがやったこと。自称魔術師がここまで
幼稚なやり方をするのは、腑に落ちない」
「グラハンズとその仲間のやり方が稚拙だと思わせたかったのかも。ケンツの
立場からすれば、竜云々の仕掛けをやったのはグラハンズの仲間だと世間に示
すことになるんですから」
セクストンの反論には、エイチが答える。
「警察は、ケンツが名を高めたくてこんな事件を起こしたと考えているんでし
ょうが。だったら、ケンツはグラハンズの魔術を貶めても、損をするだけだ。
これほどまでに凄腕の魔術師と対決し、相手を殺して逃走したものの、とうと
う捕まって殺された、という図式でなければいけない」
「……なるほど。ケンツがロレンスの遺体に三本線の傷を付けるまでならとも
かく、そこから内臓をいじくる理由がない。遺体がケンツなら、先ほど説明さ
れたように、理屈が合う。
ケンツも殺されていたとなると、その犯人は最初の見立て通り、グラハンズ
に近しい者で、グラハンズ殺しのみがケンツの策略だった、となるんでしょう
かね」
反論を引っ込め、メモを取っていたセクストンが面を上げた。エイチは呟く
ように「いや」と応じる。
「テッド・メイムという記者は、今回の事件に限ったとしても、謎を解決する
能力が相当に優れていると思う。問題は、記者にしては、人間関係を機械的に
見積り、計算のみで答を出すきらいがあるらしい点かな。考えてもみてほしい。
手を組んだとはいえ、心の中では密かに相手を殺そうと考えている二人が、相
手の用意した凶器を使い、自らの身体を傷付けるなんて芝居に、全面的に乗る
ものだろうか。相手に渡す凶器に自分が毒を塗ったように、相手も同じことを
しているかもしれない――通常の人間の思考はそういうものだと思う」
「つまり……自らを傷付けるなら、相手の用意した凶器を使わず、自らの用意
した物を使うはずだと。でも」
「でも、そんな凶器や凶器になりそうな道具を、グラハンズは身に着けていな
かった?」
エイチが先回りして言った。アーリントン達は率直に認め、首肯した。
「自分で用意した凶器なら、こっそり捨てる必要のある物ではなく、身に着け
たままでも目立たない道具を選びそうなものだ。なのに、身に着けていないの
は、この考え方は誤りである可能性が強い」
「……自分達の能力を否定するみたいでなんですが、奇術用の特殊なナイフと
同様に、捨てた可能性はどうです? 見付け損なっているだけで」
「おいおい」
苦い表情をなすアーリントン。
「問題のナイフ以外には、釘一本として落ちてなかったと報告を受けているぞ」
「ですね。それに思い出しました。確か……」
エイチの前に積まれた捜査資料から、一冊のファイルを選び取るセクストン。
ぱらぱらとめくり、目当ての頁を見つけたらしい。
「あった。グラハンズの腕に傷を作ったのは、矢の先端部で間違いないとの鑑
定が出ていたんでした。すみません」
「謝る必要はありません」
エイチが戸惑ったように、早い口調で答えた。
「可能性は低いが、全く同じ形状に削られた矢尻のみを用意し、自ら傷付けた
という考え方もできなくはないのだから」
「心遣いをどうもです、エイチさん。矢は手製なので、全く同じ形というのは、
まずあり得ません」
エイチの示した理屈を認めるとの合意ができたところで、推理は次の段階に
進む。
「グラハンズを殺したのがケンツでないなら、一体誰が?」
「いきなりそこに取り掛かるより、グラハンズが隠し持っていた矢に何故、ど
うやって毒が塗られたのかを考えるのがいい」
エイチの発言に、アーリントン達は一瞬「え?」という顔付きをした。ケン
ツが塗ったという仮定が、頭のてっぺんから爪先まで染みついてしまっていて、
その払拭ができていなかったせいだ。
「そうか。ケンツとグラハンズが共謀したのは、あくまでも魔術対決の八百長
だけ。相手を毒殺しようなんてつゆとも考えていなかったんだ。グラハンズは
多分、信用しきっていた相手から矢を渡され、毒の塗布なんて全く考えずに、
自分の腕に傷を作ったに違いない」
「グラハンズが信用しきっていた相手というと……ジャッキー・レベルタ?
グラハンズの書斎から毒の瓶が見つかったのも、彼女が忍び入って隠したとす
れば、符合します」
アーリントン警部の言葉を受け取ったセクストンが、誰もが真っ先に思い付
くであろう説を唱えた。これにエイチは疑問を呈した。
「グラハンズの弟子が矢に毒を塗るのなら、矢筈にまで塗る必要がない。犯人
が矢尻と矢筈の両方に毒を塗ったのは、塗る段階でどちらが矢尻なのか、分か
りづらかったためなんじゃないかと思う」
「分かりづらかった、ですと?」
解しかねるとばかりに、大げさかつ何度も小首を傾げるアーリントン。
「矢を手にできれば、どちらが矢尻かぐらい、明白でしょう。犯人には見えて
なかったんですか」
「たとえば、厚手の布越しだとすれば、矢尻と矢筈の区別は付きにくい」
「エイチさん、あんたは何を言わんとしているんだ? 分かり易く言ってくれ。
厚手の布って何なんだ」
「グラハンズのマントですよ、警部」
当たり前という風はエイチは答えた。
「被害者がマントをしていたのはその通りだが、マントの裏側にでも矢を隠し
ていたと?」
「裏、それも縁の辺りでしょう。矢がすっぽり収まる、細長い筒状の空間が備
わっているんじゃないかな。なるべく早く、確認していただけると話を進めや
すい」
「分かった。セクストン、行ってくれるか」
頼まれたセクストンは部屋を出ようと席を立ったものの、ふと足を止めた。
「エイチさんはどうしてマントに着目したんです? 他に矢を隠せそうな物が
ないから?」
「それもあるが、メイム記者のレポートが大いに役立った。警察も情報収集に
懸命だと見えますね。メイム記者の書いた事件当日のレポートが載った雑誌ま
で入手し、資料に加えるとは」
こう言われて、セクストンとアーリントンは、ますます困惑した。
「ざっと読んではいたが、マントについて、何か特別なことが書かれていたっ
けな?」
「具体的に明示されている訳じゃなく、断片的ですね。かいつまんで言うと、
部屋に籠もるまでの間、グラハンズのマントは重々しくて強風にもほとんどな
びかなかったのに、傷を負い、部屋から出るときにはメイム記者が横を通った
だけで翻るようになっていた。そう読み取れる」
「てことは」
雑誌を手にし、確認のために記事のある頁を探しながら、アーリントンは考
えをまとめた。
「重量のある矢が収まっている間、マントはひらひらせず、部屋で矢を抜いた
あとは、ひらひらするようになったということか!」
「だと思います。ああ、セクストン警部補。もしマントに矢を隠す場所があっ
たなら、その入り口と奥の辺りに毒がしみこんでいないかどうか、検査に回し
てもらいたい」
セクストンはエイチの頼みに無言で首肯し、今度こそ駆け足で廊下に飛び出
した。
「あなたはグラハンズのそばに立つ好機を得ると、毒液を彼のマントに垂らし
た。毒を含ませたスポンジか、スポイトでも使ったんでしょうな。矢の両端か
ら毒が出たのは、どちらの端が矢尻か分からず、両端に毒を垂らしたからだ」
「警察の方が仰るくらいだから、その方法で矢に毒を付けることは、可能なん
でしょう。でも実行できるのは、私だけじゃないはずです」
アーリントンの詰問を事務所で受けたカラレナは、平然とした態度で返事し
た。そう、あまりにも平然と、淡々としているので、反論とか反駁といった雰
囲気はまるでない。
「確かに、マントに矢がセットされたであろう時間帯から、グラハンズが部屋
に籠もるまでの間に、マントに近付けた者なら誰でも可能だ。だが、わざわざ
毒をマント越しに垂らす必要があるのは、あなたぐらいしかいないように思え
るんだが」
アーリントンは揺さぶりを掛けた。彼の隣では、セクストンがメモをこれ見
よがしに取りつつ、じっとカラレナを見つめている。
それでもカラレナは落ち着きを失わなかった。
「何の証拠にもなりません。でしょう? 楽に毒を塗れる立場の人が、私に罪
を着せるために、わざとマント越しにやったのかもしれませんもの。毒薬の瓶
だって、グラハンズさんの邸宅で発見されたと聞いています。彼のお弟子さん
辺りが、怪しいのじゃありませんか」
レベルタのことを仄めかす台詞を繰り返すカラレナ。アーリントンは口元を
僅かに緩めた。あまりにも予想通りの反応だったからだ。
「書斎に瓶を置けたのは、グラハンズ本人やその周りの人間だけではないと、
我々は考えている。ケンツ一味とグラハンズ一味が組んで、大掛かりな出来レ
ースを行うには、綿密な打ち合わせが必要だろう。互いに相手宅に出入りした
としても不思議じゃない」
「たとえそうだとしても、それが即、私が毒を塗ったことにはつながりません
よね? 私が主張した、誰にでもできるということを、刑事さんも認めてくだ
さっただけの話」
「毒の塗布に限れば、そうかもしれない。だが、ケンツが部屋から抜け出すの
を手伝えるのは、あなただけだ。違うかな?」
「私がケンツさんの一番の助手だからですか。そんな理由だけで疑うなんて。
だいたい、ケンツさんは手伝いなどなくても、魔術の力であんな部屋、簡単に
抜け出せたんです」
「馬鹿々々しい。あなたが通路側から錠前を外して、ケンツを出してやったん
だ。そのあと、錠前を元に戻して知らんぷりを決め込んだようだが」
「仰ってる意味が分かりませんわ。錠前を用意したのは、興行師のクレスコさ
んです。私が自由に開閉できるはずないじゃありませんか」
「錠前そのものを壊し、自分で用意した別の錠前を付けりゃいい」
「――」
カラレナの顔から、すーっと血の気が引いたように見えた。
「クレスコ氏は錠前の型をしかと覚えてはいなかった。また、ケンツとグラハ
ンズ双方の人間は、城の下見をしたんだろ? その際、錠前も見せてもらった。
似た代物を用意するのは、さほどの手間じゃあるまい。あとは、元の鍵を強引
にでも受け取り、手の中で自分の用意した錠前の鍵とすり替える。部屋の扉の
鍵についても、同様の手順でやれば、ごまかせるだろうさ」
「……私はその時間、舞台に立っていました。アリバイがあります」
「確かに舞台に立ったようだが、出ずっぱりじゃあなかったはずだ。それに、
カラレナさんは通常、仮面をして演目をこなすそうだな。スタッフに似た体格
の女性がいれば、身代わりを頼める」
「ア、アリバイは不確実でも、あの城の建物に、人目に付かずに入り、ケンツ
さんを連れ出すなんて芸当が――」
カラレナの抗弁を、アーリントン警部は余裕を持って受け止め、的確に返し
ていく。
「あの建物への出入り口は一つじゃないし、見張りがいた訳でもない。少し注
意をすれば、誰にも見咎められることなく出入りできる。ケンツを連れ出すの
も、派手な衣装から地味な作業着にでも着替えさせれば、万一目撃されても、
まさかケンツだとは思われないだろう」
「……どうしても私を犯人にしたいようですね。証拠がおありですの?」
「今、調べさせているところだ。あなた自身ではなく、他の助手が購入したと
も考えられるので時間は掛かりそうだが、すでに好感触を得ている。目処が付
けば、事務所や個人宅なんかも捜索する流れだな」
「仮にじょ、錠前を買っていたとしても、それは私がケンツさんの脱出を手助
けしたことの証明、傍証に過ぎません。グラハンズさんやケンツさんを殺した
犯人は、別にいます」
エイチが予想した通りの反応を示すカラレナに、また笑いそうになる。アー
リントンは堪えた。
「その主張は無理があるな。カラレナさん、あんたが以前話したところでは、
森で遺体が見つかる日の朝、ロレンスの訪問を受けた。そしてそのとき、さも
呪いらしく文字が浮かび上がる仕込みをされた。そうだな?」
「ええ、その通りよ」
「我々の調べでは、ラリー・ロレンスなんて人物は実在しないようなんだがね」
「嘘よ。ちゃんと店を出して、占いをやっていたわ」
「正確には、ラリー・ロレンスと名乗る人物がやっていた、だろ。ロレンスの
店舗内の指紋を調べても、ほぼ皆無だった。これを我々は、ロレンスに化けた
人物が指紋を残さないように努めていたためと推測した。だが、いくら注意し
ても、完全に指紋を残さないのはかなり難しい。手袋や靴下の指先が少し破れ
ただけでも、指紋が部分的に残る可能性が生じる。特に靴下は、気付きにくい
からなあ」
「足の指紋が出たというの?」
声が震え始めたカラレナ。アーリントンは彼女の質問にまともには答えなか
った。
「とりあえず、あなたの足の指紋を採取させてもらいましょうか」
「拒否したら?」
「今はしょうがないが、いずれ礼状を持って来ます。たとえ足の十指を切断し、
始末されても、別の家に指紋の一つや二つ、残っているでしょうな」
カラレナの様子を見ると、最早陥落したに等しかったが、アーリントンはだ
め押しをしておく。
「ロレンスの存在が架空であるなら、あなたの証言は何だったのか、理解でき
なくなる。本当に占い師は現れたのか、そいつは何者かが化けていたのかな。
あなたとロレンスは、そこそこ顔馴染みだと見受けましたが、あなたは変装に
気付かなかったのか、とね」
「……」
「そういえば、ケンツのやっていたショー、今後の予定もなるべくキャンセル
せずに続ける意向と聞いたが、その場合、主役を張るのはやはりあなたかな、
カラレナさん? 美人だから、客にさぞかし受けるだろう」
すっかり項垂れたカラレナに、アーリントンは重要な点を聞き出そうと、質
問をぽんと投げ掛けた。
「あなた一人でやったのか、助手何人かの共謀か? ケンツ魔術団を乗っ取る
なら、最低でも一人は共犯がいると睨んでるんだがね」
警察の発表を受け、テッド・メイムは捜査本部のあった署に駆けつけた。ア
ーリントン警部らを前に得意顔で述べた推理が一部、大きく間違っていたこと
が気に掛かっていた。今後の良好な関係を期待し、まずは謝罪しておこうとい
う計算もあったが、それ以上に、警察が如何にして真相に辿り着いたのかを知
りたかった。
アーリントン警部をすぐに掴まえることはできなかったので、魔術師事件の
捜査に当たった刑事に片端から聞いて回り、解決に一役買った一般人の存在を
知った。
「公表はしないが、彼がいなかったら、解決が多少遅れていたであろうことは
認めざるを得ないね」
刑事達は揃ってそんなことを証言した。刑事としての誇りを覗かせつつ、そ
の一般人に感謝もしている。そんな雰囲気を感じ取れる。
「公表しないのは何でなんです? 普通、そんなに貢献したのなら、表彰もん
でしょうに」
「本人が固辞したと聞いている。実は、事件解決後、男の連れで青年だか少年
だかが行方不明で、総力を挙げて捜索したんだ。その甲斐あって、早めに無事
発見できた。とても感謝されたよ、一人一人と握手を交わし――」
聞き込み相手の刑事が、言葉を途切れさせた。視線はテッドの頭の上を通り
過ぎ、後方の高いところに向いているよう。が、すぐに視線を外すと、その刑
事は「警部、すみません」とだけ言い残し、そそくさと立ち去った。
振り返ったテッドは、アーリントン警部のへし口を見上げることになった。
「あ、お久しぶりです。探していたんですよ」
「まったく、“口が軽い刑事”なんてものは、矛盾した存在だと言っていい。
――メイムさん、お久しぶり。何を嗅ぎ回っておられるのかな」
「人聞きが悪い。私はあなたに会って、事件解決の祝福と、私自身のいい加減
な推理のお詫びをしようと思って来たんです」
「そりゃどうも。詫びることはない。素人さんの意見を丸飲みした我々の、い
や、私の責任だ。どんなに素晴らしく映る考えでも、冷静に見極め、取捨選択
せねばいかんという教訓になった」
憮然とした表情のまま、アーリントン警部は自嘲気味に言った。テッドはこ
こぞとばかりに質問を差し挟む。
「素人の意見と言えば、魔術師の事件の解決には、一般市民が大きく寄与した
そうですが」
「市民ではない。厳密に言うなら、彼は旅行者だ」
「え? ということはもしや、すでにこの街を発った?」
「そのはずだが。不都合でもあるのか」
小さく舌打ちしたテッドを、警部がやや心配げに見下ろす。
「いえね、その頭の冴えた男性に一度会って、インタビューをしたいと目論ん
でいたのですよ。警部さん、引き留めてくれればよかったのに」
「無茶を言いなさんな。ああ、でも、一ついいことを教えてやろう」
「何です? 行き先を聞いているとか?」
期待に目を輝かせるテッド。アーリントンは苦笑を浮かべた。
「違う。エイチ――彼の名前だ――は君を結構高く評価していた。謎を解こう
とする思考回路が優れているとかどうとか」
「ははあ。警部さんが私の推理を伝えたんですね」
「捜査に関する資料は全部見せたからな。そうそう、君が臨時増刊号に書いた
記事が、大きな手掛かりになったのも言っておかないとな」
「え? そんな大事なことまで、私は書いた覚えが……。どのくだりなんでし
ょうか」
飼い主に纏わり付く愛玩犬のように、テッドは立て続けに質問した。アーリ
ントンの顔を見れば、徐々に面倒臭くなっているのが明らかだった。
「メイムさん、あんたならそれぐらい、推理すれば分かるさ。エイチが評価す
るほどなんだし」
「と言われましてもねえ。やはり、どうしても当人に会いたくなった。ねえ、
警部。せめてフルネームを教えてくれませんかね」
「……これが今日最後の質問と約束するのなら、教えてやってもいい」
少し考え、条件を出した警部。対照的にテッドは即答した。
「約束します」
「エイチ・テンマという名の、東洋系の男だ」
――終わり