AWC メイドロボット VS ニンジャ 1 つきかげ



#370/598 ●長編
★タイトル (CWM     )  10/10/05  23:43  (417)
メイドロボット VS ニンジャ 1 つきかげ
★内容
世界は紅い光の中に沈みつつあった。
廃墟のようなビルが並ぶ向こうに、真紅に燃え盛る夕日が沈みつつある。
彼は、この場所が好きだ。
駅周辺の再開発が進む中、西側のこの地区だけは色々な事情から取り残さ
れていた。
しかし、ようやくこの西地区にも再開発が着手され、ビルの取り壊しが進
みつつある。
古めかしいといっても、歴史的価値があるほどには古くなく、単に古びた
だけののビルの多くは居住者の移転が完了しており、廃屋となっていた。
そのビルも一つづつ取り壊しが行なわれてゆき、この地区は本当に廃墟の
ようなビルの屍が晒される場所となっている。
ここを少し南に下ると、大きな規模の風俗街と飲屋街が一体化した夜の繁
華街があった。
陽が沈みきり、夜の中に街が沈みきると、そこから流れてくるひとびとで
この地区にもそれなりに人通りがある。
彼はその中で歌を歌う。
酔客の一部が時折立ち止まり、耳を傾ける。
彼はそうしたひとびと相手に歌うことで、満足していた。
金が無くなればバイトで稼ぎ、金ができればこの廃墟のような街の片隅で
歌う。
そんな生活であった。
ギターひとつを抱え、華やかなネオンが輝く街から少し離れたこの場所
で、枯れた声で歌い続ける。
そんな日々を過ごしていた。
彼のいる高架下の小さな広場は、かつてはホームレスのテントが並んでい
るような場所だったが、ビルの取り壊し工事が進につれホームレスたちも
移動してゆき、今でもここに残っているのは彼くらいのものだ。
血のように紅い夕日の輝きをあびて、彼はゆっくりとギターを取り出す。
まだ、酔客が流れてくるには早い時間だったが、彼は気にせず歌うことに
する。
聞くものがいなければ、それでいいし。
聞くものがいるならそれでもいい。
そんな歌い手であった。
彼が、その男に気づいたのは空が半ば藍色の闇に沈みこんだころだ。
その男は、今時のサラリーマンにしては珍しくきちんとビジネススーツを
着込んでおり、大きなキャスター付きのバッグを持っていた。
営業畑の人間にしては覇気がなく地味であったから、技術職なのかもしれ
ないがそれにしても影が薄い。
まるで夕闇から這い出してきた、幽鬼のようでもある。
その男はゴルフクラブを入れる細長い革のケースを肩から下げ、リストラ
されたサラリーマンのように呆けた顔で歌をきいていた。
陽が沈みきり街灯が光始めたころ、彼は歌い終わる。
幽鬼のように影が薄いその男は、突然狼のように凶悪な笑みをもらした。
彼は少しぞっとして、口を歪める。
「いい歌だったな。あんたの作った曲なのか?」
その男の言葉に、彼は苦笑を浮かべた。
「カート・コバーンも知らねぇのかよ」
「知らないね」
「スメル・ライク・ティーンズ・スピリットだ」
「会ってみたいね。そのカート・コバーンに」
「無理だな」
彼の言葉に、男は少し眉を上げてみせる。
「なぜ?」
「あんたあ、地獄に堕ちるタイプにはみえねぇ」
「いや」
男は、ネクタイを外し、上着を脱ぎ去る。
そのまま、手際よくスムーズにビジネススーツを脱ぎ去った。
彼は、あきれてその様を見ていたが、男は今度は手際よく黒いコンバット
スーツをバッグから取り出すと身につけた。
特に急いでいるように見えなかったが、着替えるのに数十秒しかかかって
いない。
そして呆れたことに、男は革靴を脱ぎ捨てると変わりに地下足袋を履い
た。
「まあ、おれは地獄に行くのは行くんだろうが」
男はそう呟くと、革ケースの中身を取り出す。
抜き身の刀が姿を現した。
彼は日本刀のことはよく知らなかったが、とても無骨な鉄の塊に見える日
本刀だ。
「行くのは後、千人ほど斬ってからになるだろうな」
「あんたいったい」
男は切っ先を彼に向けた。
不思議と彼は、恐怖を感じない。
殺気がなかったせいだろうか。
「えらく、無骨な刀だね」
彼の言葉に男は苦笑する。
「判るのか。戦場刀だ。胴田貫という。それに白研ぎだからな」
「白研ぎ?」
「観賞用ではなく、人斬り用ということだ。よかったな、あんた」
男の少し獰猛な笑みに、彼は鼻白む。
「なんだよ」
「あんたを斬るつもりだったんだが」
彼は、目を見開く。
「冗談だろ、なんでだよ」
「刀を研ぎ上げたところなんでな。ひとり斬って刀身に血脂を馴染ませて
おいたほうが、斬りやすい。しかし」
「ふざけんな、てめぇ」
彼は足が震えた。男は、笑みを浮かべたままだ。
「その気が無くなった。いい歌だったからな。つまらない歌なら斬ってい
た。カート・コバーンに感謝することだ」
「馬鹿いえ。なんでそんなくだらねぇことで斬られないといけねぇんだ
よ」
「ペテルブルクではもっとくだらない理由でひとが死ぬ。それに、殺そう
というんじゃない。手足を斬り落とすつもりだった。巧く斬るから綺麗に
つながるさ。それと、もうひとついいことを教えておいてやる」
「なんだよ」
男はもう彼のほうを見ていなかった。
バッグの中から銃を取り出す。
ライフルの銃身とショルダーストックを切り落としてコンパクトにした銃
だ。
ただ、コンパクトにしたといっても、普通の拳銃の数倍の大きさはある。
「このまま、ここにいたら確実に死ぬよ、あんた」
彼はギターをケースに戻すと、それを担いで立ち去ることにした。
視界の端に、大きなドイツ車のリムジンが見える。
彼は、最後に一言だけ発した。
「あんたの名は?」
「百鬼だ。亜川百鬼」

「社長、四門社長」
四門と呼ばれた男は目を開く。
学者のように冷利な瞳をしているが、身体は鍛えられ引き締まっている。
一見、ビジネスマンのようでもあるが、その威圧感は暴力の世界に身を置
くもののそれであった。
四門は口を開く。
「どうした?」
「あと10分ほどで着きます」
運転している男の言葉に、四門は頷く。
四門の乗るリムジンの窓の外は、夕闇に沈みつつあった。
あたりは、廃ビルの並ぶ廃墟のような街である。
多少は物騒な場所ではあるが、防弾ガラスで守られた装甲車のようなその
巨大なリムジンは襲われたとしても、容易く返り討ちにできた。
「王との約束の時間まで、あとどのくらいある?」
四門の言葉に運転している男が応える。
「20分ほどありますね。はやくついてしまいますが、時間をつぶします
か?」
「いや、かまわない。このままいこう」
四門は、少し伸びをする。
リムジンには運転している男と、あと三人の男が乗っていた。
皆、アメリカの傭兵会社から派遣された、屈強の男たちだ。
多少、大げさな気もするが武闘派のチャイニーズマフィアと話をするので
あるから、むしろ手薄なのかもしれない。
ただ実戦経験のあるSEALS出身のツーマンセル二組なら、相応の働きはす
るはずだ。
保険としては、十分といえるのだろう。
リムジンは少し細い路地のようなところへ、入ってゆく。
「細かい道に入るのだな」
四門の言葉に運転している男が応える。
「工事で閉鎖された道が多いもので。すぐ抜けます」
リムジンが曲がり角を曲がったところで、20メートルほど先に人影が見
えた。
黒い影のような人影は、手になにかを構えている。
どん、と音が響いた。
血飛沫があがる。
防弾のフロントガラスを砕いた銃弾が、運転している男の頭を貫いたの
だ。
残りの三人の男たちは、素早く反応する。
助手席の男はまずエンジンを切り、サイドブレーキを引く。
助手席の男と、四門の隣に座っていた男は拳銃を抜くと外へ飛び出す。
助手席の男が前衛で、四門の隣にいた男がバックアップだ。
四門の向かい側に座っていた男が銃を抜き、盾となる。
そのとき。
今度はもっと大きな轟音が響いた。
そして、何かが爆発したように、閃光があたりを覆う。
四門の盾となっている男がつぶやいた。
「スタングレネードか!」
光と轟音が消えたとき、影のような男はすぐ目の前に来ていた。
一瞬光が閃いたかのように見えると、前衛の男が頭の半ばを断ち切られて
倒れる。
白い脳髄を溜めたお椀のような頭骸骨が、地面に落ち滑っていく。
それが、横なぎにされた日本刀の一閃によるものだと理解するのに、数秒
かかった。
驚くべき太刀筋である。
バックアップの男が拳銃を撃つ。
間違いなく、影のような男の胴に着弾したはずであるが、男の動きはとま
らない。
おそらく9ミリ弾では、ボディアーマーを貫通出来なかったのだろう。
再び日本刀が閃き、拳銃を持った右手がリムジンのボンネットに落ちる。
金属のような輝きを持つ、血飛沫があがった。
影のような男はさらに刀をふるい、頸動脈を断つ。
バックアップの男は、吹き上がる血のなかに崩れ落ちた。
盾になっていた男は、助手席に移りエンジンをかけサイドブレーキをはず
す。
死体を運転席に置いたまま、ギアをバックにいれその場を離れようとす
る。
影のような男は、片手に銃を抜き撃った。
防弾ガラスは再び砕かれ、男の頭を貫く。
運転席は血に染め上げられた。
四門はむせ返るような血の臭いの中で、呆然とする。
プロの手練を片付けるのに、おそらく一分もかかっていない。
たったひとりの男にも関わらず。
スペシャルフォース一個小隊ぶんくらいの働きをしている。
ありえない。
そんなことができるとすれば、それはもう、怪物としか言いようが無かっ
た。
影のような男は、後部席のドアの前に立つ。
銃声が轟くと、ドアのロックが破壊された。
男は無造作のドアを開け、四門に声をかける。
「車から降りてもらおう」
四門はその言葉を無視し、平静を装って言い放つ。
「おまえが何ものかは知らんが、このあたりで手をひいておけ。ただでは
すまんぞ」
男はそれに応えず、日本刀を突き出した。
四門は突然走った激痛に、悲鳴をあげる。
膝の上に何かが落ちた。
耳の切れ端。
血が首筋を濡らしてゆく。
四門は、嗚咽をとめることができない。
「もう一度言う。車から降りてくれ。今度指示に従わなければ、目をえぐ
る。契約では命をとらないことになっているが、無傷でということには
なってない」
四門は車から降りた。
足の震えを押さえられない自分に苦笑する。
暴力には慣れているつもりだった。
ふるうこと、ふるわれること両方に。
しかし、今目の前にいるその影のような男には、次元が違うものを感じ
る。
「まず、その廃ビルに入れ。それからあんたの部下に電話だ。指示に従え
ば止血もしてやるしモルヒネもやる」
「ひとつ聞いていいか?」
四門の歩きながらの問いに、男は応える。
「指示にさえ従うなら、なんでも聞いてやるよ」
「あんたの名前を教えてくれ」
影のような男は、狼のように笑った。
「百鬼だ。亜川百鬼」

廃墟の街に、ツーシータのドイツ車が入ってくる。
あたりは、黒服の男たちによって封鎖されていた。
申し訳程度に、工事中の標識が立てられている。
ツーシータの車から、長身の男が降りた。
痩せており、ミュージシャンのように長い髪を靡かせている。
ただ、明らかにミュージシャンと異なるのは、その獰猛な目の輝きであっ
た。
まるで飢えた猛禽のような漆黒の瞳で、あたりを見回す。
「花世木さん」
花世木と呼ばれた長身の男は、黒服のほうを振り向く。
声をかけた黒服は、花世木に一礼をする。
「社長がいるのは、そのビルか」
「はい。踏み込みますか?」
「いや、戦争屋が来るまで待つ。要求はまだ何もないのか」
「はい」
「情報も無しか?」
「はい。戦争屋ですか。金がかかりますね」
花世木は苦笑する。
「どこが雇った鉄砲玉か知らんが、後でたっぷりとりたててやるさ。まさ
か、王のところが雇った者ではないだろうな」
「あそこの幇には内通者がいますので、あそこに雇われたのならすぐ判り
ます」
花世木は、しゃがみ込むと死体に被せられたカバーをめくり、覗き込む。
「日本刀か」
「はい、凄まじい切り口です。こんなふうに斬られた死体、始めて見まし
たよ」
花世木は立ち上がり、放置されたリムジンを見る。
防弾ガラスが二カ所砕かれていた。
黒服が感心した口調で説明する。
「多分、25ミリのライフル弾ですね」
「ああ?」
花世木は、呆れた声を出す。
「大砲じゃねぇか、それは。対物ライフルかよ」
「バーレットかもしれません」
「馬鹿言え」
花世木は、口を歪める。
「戦争屋、遅いな。所轄には連絡したのか?」
「はい。手だし無用ということで。やつらも命は惜しいですからね。通報
があっても工事中ということで片付きます」
「まあ、相手はひとりなんだから、そうそう派手な銃声も爆発音もたたな
いだろうが」
花世木がそう言い終えたとき、2台の軍用トラックが入ってきた。
トラックからコンバットスーツの男たちが降りてくる。
カラシニコフタイプの自動ライフルを手にしていた。
よく見れば中華製のコピー品であることが判るしろものだ。
「戦争屋のお出ましですか」
黒服の言葉に、花世木は歪んだ笑みで応えた。
男たちが整列た後に、黒のロングコートを身につけたおんなが降りてく
る。
狼の鬣のように波打つ黒髪を靡かせたおんなは、アイパッチで片目を覆っ
ていた。
それでもおんなは、とても美しい。
化粧をしているわけでもなく、残った片方の瞳は恐ろしく深い闇を潜ませ
ていたが。
それでも、闇色の光に覆われているような美を放っていた。
「マリア・キルケゴール大佐」
花世木に声をかけられた大佐と呼ばれたおんなは、楽しげに笑ってみせ
る。
「よう、花世木。おいしい仕事をありがとうよ。ヤクザひとり片付けるだ
けで2千万なんだろ」
花世木は憮然とした顔になる。
「殺したらペナルティーとして一割もらうぞ」
大佐は喉のおくで、くつくつと笑いながら煙草をくわえる。
「たった2百万だろ。太っ腹だな。一応注意するさ」
「社長が死んだときには、必要経費の精算のみだ」
「ふん。さすがにそれはないな。たかがヤクザひとりが相手だろ」
「嘗めないでくれよ。実戦経験のある特種部隊あがりの傭兵を4人殺して
いる」
大佐は、あはははと笑う。
「おいおい。USAの実戦配備経験があるサラリーマン兵士だろ。あたし
たちとそんなのを一緒にしてもらっては困るな」
大佐は獰猛な笑みを見せた。
「あたしたちはね。殺して殺して死体の山を踏み越えてここにいるんだ。
戦うことが生きることなんたよ、あたしたちは」
大佐は、ふうっと煙草のけむりを吐き出す。
花世木は、溜息をついた。
大佐は、傍らの痩せた男に声をかける。
「ヴォルグ、どうだ。いたか、ヤクザは」
ヴォルグと呼ばれた男は、赤外線スコープと、ノートパソコンのディスプ
レイに表示されたソナーの結果を見比べる。
「熱源が二つ。最上階の八階ですね、キルケゴール大佐」
「隣から屋上に行けるか」
「大丈夫ですよ」
「よし、ブリーフィングで確認したプランどおりだな」
大佐は、獲物を前にした虎のように優しく微笑む。
「ユーリの隊と、アレクセイの隊は屋上から。左右に展開して突入」
兵たちが応える。
「了解」
「イワンの隊と、アリョーシャの隊は非常階段を上がって廊下で待機」
「了解」
「ユーリとアレクセイの隊は、アサルトライフルを使うな。トカレフだけ
で十分だ。ターゲットの武装は日本刀。もしかしたら対物ライフル。ま
あ、そんなもの屋内ではじゃまになるだけだ。できれば、ターゲットは殺
すな」
「了解」
大佐は、手を振り下ろした。
「野郎ども、突入だ。あたしは腹が減っている。さっさと片付けて気前の
いい花世木のだんなの金でディナーを食いに行くぞ。王の店で満漢全席
だ」
男たちは静かに頷くと、闇のなかへ溶け込んでいった。
「花世木。30分かからんよ。こんな仕事を週一でくれればありがたい
ね」
花世木は肩を竦める。

「宮本武蔵は生涯で50数回の試合をして、一度も負けることは無かっ
た。これはどういことか、判るか?」
闇の中だった。
窓から、微かな光が入ってきている。
四門は、折りたたみ式の車椅子に縛り付けられていた。
広々した部屋。
かつては、オフィスフロアであったのだろうその部屋には今は何も置かれ
ておらず牢獄のように殺風景だ。
耳の傷には止血をされ、包帯を巻かれている。
モルヒネを打たれたおかげで、今は痛みはない。
百鬼と名乗った男は、キャスター付きのバッグから取り出したものを組み
立てている。
小さなハンドライトの輝きが、闇のなかに百鬼の顔を浮かび上がらせてい
た。
四門は、投げやりに応える。
「何が言いたいんだ、あんた」
「ああ、つまりだ。宮本武蔵は負けると判っている相手とは試合をしな
かったんだ。記録では細川藩の剣術指南役、松山主水の一番弟子村上吉之
丞との試合から逃げ出している。松山主水は、武蔵より強かったというこ
とだな」
「それが、どうしたんだ」
百鬼は、四門の不機嫌な返事を意に介さず、話を続ける。
手は作業を続けていた。
「松山主水は、二階堂流の使い手だった。武蔵はようするにその二階堂流
を攻略する術を編み出せなかったんだよ。二階堂流は無敵ということだ
な。事実ある種の魔法に近いものがある」
四門は吐き出すように言った。
「そんな遠い昔の剣術など、どうでもいいだろう」
「なぜ、おれが強いのかあんた知りたくないかと思ったてね」
「なんだと?」
百鬼は、闇のなかで四門のほうを振り向く。
闇のなかで影となって浮かび上がる百鬼は、悪魔のように見えた。
「おれは二階堂流の最後の伝承者だ」
四門は溜息をつく。
「あんたは自分が魔法使いだといいたいのか?」
「おれはただの剣術家だよ。現代は剣術家にとっていい時代だと思う。武
蔵も現代に生まれていればもっと斬ることができたし、もっと技を極める
ことができたはずだ。武蔵の斬った数は三桁にとどいてないたろう。おれ
は千人以上斬った」
「馬鹿な。そんなことできるわけが」
「ジョン・レノンの歌に戦争のない世界を想像してみな、っていうのがあ
るだろう。おれたちの住むこの世界は、まさにそれなんだよ。戦争のない
世界」
四門は目眩を感じる。
百鬼の言うことに、苛立ちを感じた。
こいつは、同じ時代、同じ世界に生きていながら、全く別のものを見てい
るかのようだ。
「戦争はなくなっていない。いくらでもやられているだろう。今この瞬間
も」
「戦争というのは、戦時法に基づき一定のルールに乗っ取って行われる外
交行為の延長だ。戦時法を無視した戦闘が行われれば、それは戦争てはな
く犯罪、テロルと呼ばれるものになる。現代、いや、第二次世界大戦以降
に行われた国家間の戦闘は全てテロルであると言ってもいい。そして、戦
争が無くなったということは平和も無くなったということなんだ。戦争は
時間と空間を区切って行われるものだが、テロルはそうではない。いつで
も、行使可能だ。現代とはそういう時代なんだよ」
四門はあきれて首を振る。
「あんたは、第二次世界大戦もテロルだというのか」
「もちろん。まさにそうだ。ドレスデン、広島。非戦闘区域に対する無差
別爆撃。戦時法では禁止されている。これをテロルと言わずして何がテロ
ルなんだ。それはベトナム戦争にも持ち込まれ、やがてテロルは常態化す
る。ヤルタ体制が継続している間はそれでも世界は安定していたが、それ
がくずれた以降。例えばボスニア・ヘルツェゴビナ、ルワンダ、チェチェ
ン、スーダン、ダルフール。社会的道徳的規制は存在せず、恣意的な殺戮
だけが世界に溢れ出した。国連はそれらを公式に容認した。つまり虐殺は
国際社会で倫理的に正当化されたんだよ」
四門は吐き出すように言う。
「屁理屈だろう、それは」
「かもしれない。でも、国家が正義を維持するのを放棄したのは否定しよ
うがない。歴史的に見てそれは始めての出来事だ。だからおれたちはもう
自らの意思において、自身の倫理を選択するしかないんだ。おれはチェ
チェンでも、ルワンダても、ダルフールでもそれをやってきた」
四門は鼻で笑う。
「あんたの倫理とはいったいなんだよ」
「美しく斬ること。ただそれだけだよ。武蔵の時代ですら、それは赦され
なかった行為だ。現代は素晴らしい、よい時代になったといえる」
そう言い終えると百鬼は立ち上がった。
組み上げていたものが、完成したらしい。
それは人型をしたものだ。
百鬼と同じくらいの背丈があり、同じコンバットスーツを着せられてい
る。
暗闇では本人と見分けがつかないかもしれない。
「よくできたデコイだろう。風船と形状記憶ワイヤーを組み合わせて出来
ている。ヒーターが最下部にあって中の空気を温めているから、赤外線ス
コープで見ても熱源として認識される」
百鬼はそのデコイを四門の傍らに置くと、バッグから取り出したスプレー
を身体に吹き掛け始める。
「なんだよ、それは」
「温度を下げるスプレーだ。氷の細かな破片を吹きつけてる。これで30
分ほどは、おれの身体は赤外線スコープに認識されない」
百鬼は、空になつたスプレーを放り捨てると、抜き身の日本刀を手にして
歩き出す。
「おい、百鬼」
「あんたの仲間があんたを救出するために、もうしばらくしたら突入して
くるだろうからな。身を隠すよ」
そういうと、壁にある電源設備の点検スペースへ入るためのドアを開き、
中へと入る。
後に残ったのは、デコイと四門だけ。
闇が音も飲み込んだように、沈黙か降りてきた。




#371/598 ●長編    *** コメント #370 ***
★タイトル (CWM     )  10/10/05  23:45  (399)
メイドロボット VS ニンジャ 2 つきかげ
★内容
屋上からは、廃墟のような街を見渡すことができた。
それは、地上に堕ちた星空にできた暗い穴のようでもある。
「ユーリ。作戦どおりおれたちがヤクザをしとめ、君達がバックアップで
いいな」
ユーリと呼ばれた男は頷く。
「了解した、アレクセイ」
この島国にきてもう2年近くになるが、ここまでイージーな仕事は始めて
な気がする。
ヤクザひとりを排除するのに20人以上が動員され、突入だけでも8人で
行うとは、過剰すぎる気がした。
「ターゲットはボディーアーマーを身につけている」
アレクセイは、ブリーフィングを続ける。
「できれば9ミリ弾で手足を打ち抜き、戦闘力を奪う。それが無理であれ
ば接近してスタンロッドをぶちこむ。それがうまくいかなければ、ユー
リ。ためらわずにカラシニコフを使え」
「判った、そうする」
カラシニコフは銃肩を折り畳んだ状態で、背負っている。
基本的には大佐の指示どおり、トカレフで片付けるつもりだ。
ユーリたちは配置につき、赤外線スコープを装着するとトカレフを手にす
る。
DPRK経由で入ってきた改造版トカレフであり、ダブルカラムの装弾数1
7発のダブルアクションであった。
セフティはついていない。
「よし、カウントダウンをはじめる。10、9、8、7」
ユーリは屋上の手すりにつけたワイアーを、胴に接続ている。
ワンタッチで取り外すことができるものだ。
「4、3、2、1、ゴー!!」
アレクセイの号令とともに8人全員が一斉に、8階へと降りる。
部屋の中でスタングレネードが炸裂し、容赦ない轟音と閃光がまき散らさ
れる。
それと同時にユーリたちは窓ガラスを破り部屋へ突入した。
アレクセイたちが発砲したらしく、銃声が響く。
ユーリは赤外線スコープの中でターゲットが倒れるのを見た。
部屋は再び闇と静寂の中に戻る。
アレクセイたちが、ハンドライトでターゲットを確認した。
「畜生、これは」
アレクセイが叫ぶのと、スタングレネードが炸裂するのはほぼ同時であっ
た。
轟音と閃光で奪われた視界が戻ってきたとき。
ユーリは、信じがたいものを見た。
アレクセイの身体が縦に裂け、左半身が床に沈んでゆく。
残りの三人も、胴で切断され、頭部を両断され、手足を斬り飛ばされてい
た。
チェチェンで、ボスニアでひとが死ぬのはさんざん見てきたが、ここまで
鮮やかにひとの身体が斬り裂かれるのを見たのは、はじめてだ。
紙を鋏で斬り裂くような、手軽さを感じる。
闇の中に黒い影が浮かびあがった。
日本刀を手にした、漆黒の悪魔。
奇妙なことに、赤外線スコープが熱源として認識していない。
「カラシニコフだ!」
ユーリは周りの三人にそう叫びながら、自分はトカレフを撃つ。
かき消すように黒い影は闇にのまれ、ユーリの左右で血飛沫があがる。
切り落とされた首が足元に転がり、金属の輝きを持つ血を迸しらせなが
ら、手足が飛ばされた。
ユーリは獣のように、絶叫する。
そして、頭部に衝撃を受け気を失った。

「あがっ」
ユーリは、左手に激痛を覚え意識を取り戻す。
左手に、日本刀が突きたてられていた。
ユーリが意識を取り戻したことを確認すると、黒のコンバットスーツの男
はユーリの手から日本刀をはずす。
「指示に従ってくれ。断るならまず目をえぐる」
黒い男はロシア語で語りかけてきた。
ユーリは頷く。
「逆らう気はない」
「ありがとう。ではまず無線で連絡してくれ。余計なことを言えば、即死
ぬことになる」
「判った。しかしあんた、勝ち目はないぞ」
ユーリの言葉に黒い男は暗い笑みで応えた。
ユーリは指示通り本部のヴォルグに連絡をとり、服を男と同じ黒のコン
バットスーツに着替えた。
黒い男は楽しげに、車椅子に括りつけられた男へ語りかける。
「さて、見せてやろう。二階堂流の魔法をね」

「イワン、おい」
8階はフロアを南北に分割している。
中央にエレベーターホールと、トイレに給湯室、倉庫があり、オフィスフ
ロアの手前には東西に伸びる廊下があった。
その廊下の東西の端に、階段がある。
イワンたちは、西側の階段に、アリョーシャの隊は東側の隊に待機してい
た。
廊下は暗く、赤外線スコープでかろうじて状態を確認することができる。
イワンは声をかけてきた男のほうを振り向く。
「おれたちも突入したほうがいいんじゃあないか。もう、5分はたつぜ。
アレクセイたちが突入してから。いくらなんでもかかりすぎだ。第一スタ
ングレネードを二発も使っているのが気にいらねえ」
「まあ待て。突入するにしても、アリョーシャの隊だ。おれたちはバック
アップだ」
「それにしたって」
イワンは言葉をかさねる男を手で制す。
無線でヴォルグに連絡をとり、指示をあおぐ。
「まだ待機だ、おれたちは。ユーリから連絡があった。中は膠着状態のよ
うだ。人質を盾に取られている」
男は肩を竦める。
イワンは信じがたいものを感じた。
まさかたったひとりのヤクザ相手に、ユーリとアレクセイの隊がおくれを
とるなどというのはありえない。
何かが起こっているとしか思えなかった。
突然、オフィスフロアの扉がひらく。
黒いコンバットスーツの男が、車椅子を押して廊下にあらわれた。
「ターゲットじゃねえか」
後ろの男の言葉に、イワンはカラシニコフを構える。
銃声が響いた。
アリョーシャの隊が発砲したのだ。
黒い男は、薙ぎ倒される。
血飛沫が闇の中で一瞬、深紅の輝きを放つ。
アリョーシャの隊の、フロント役を担うツーマンセルが車椅子の男に駆け
寄り確保した。
「やれやれ、終わったな」
イワンの後ろで男が呟いた瞬間。
爆発音と閃光が、イワンたちの意識を一瞬とばした。
スタングレネードだ。
ヤクザはひとりでは無かったのか?
イワンはこころの中で舌打ちする。
気を緩ませてしまっていた。
「くそ」
イワンが視界を取り戻したとき、信じがたいものを見た。
フロント役の二人の男たちは文字どおり身体を両断されている。
ひとりは肩から股にかけて、巨大な斧で断ち切られたように。
もうひとりは、胴をギロチンで断ちきられたように。
そんなふうにひとを斬ることが可能であるとは、信じられなかった。
給湯室でバックアップをしていたアリョーシャたちが、カラシニコフを撃
つ。
日本刀を持った黒のコンバットスーツの男は、地面を転がり給湯室の前に
立った。
カラシニコフは、素早い動きのものを捕らえるには不向きだ。
反動が大きすぎて、コントロールしにくい。
ひとりが股間から肩口へ向かって斬り上げられ、縦に裂かれる。
最後に残ったアリョーシャの首が斬り落とされた。
ボールのように生首が廊下をバウンドする。
イワンは自分の目で見ても、とても信じられない。
ありえなかった。
イワン自身銃剣を使った格闘戦を、何度も経験している。
ひとの身体に、刃物を突き立てると何がおこるか判っていた。
筋肉が収縮し、剣を奪われる。
それを切り抜くなど、不可能だ。
ましてや、ひとり斬れば刃は血脂でなまくらになるもの。
ひとり以上の身体を斬ることなど、できない。
けれど、その男は子供が紙人形を鋏で切り刻むように、生きたひとの身体
を斬ってのけた。
悪魔としか思えない。
「くそう」
イワンたちは、カラシニコフを構えたまま凍り付いていた。
車椅子の男がターゲットとの間にいるため、撃つことができない。
黒い男は懐から出した紙で刀の血を拭う。
男は車椅子を押しながら、イワンたちのほうに近づいてくる。
「おい、やつはどういうつもりだ」
イワンが後ろからかけられた言葉に、唸りをあげて応える。
「10メートルのポイントまできたら、撃つ。頭を狙え。シモンを殺すと
今日はただ働きだぞ」
「自信ねえな」
イワンは苦笑する。
イワンの隊が戦闘するのは、本当に最悪のケースであった。
イワン以外は実戦経験の乏しい素人に近い男たちだ。
「それでもやれ」
「判ったよ」
黒い男は、10メートルポイントの少し手前で立ち止まる。
無造作に車椅子を脇にどけた。
信じがたい。
自ら命綱をはずすなど。
しかし、これが最後のチャンスだ。
イワンは撃てと叫ぶ。
その叫び声は、黒い男の裂帛の気合いに殺された。
イワンが何が起こったのか理解出来ない。
目に見えぬ、何かがイワンたちを襲った。
ほんの一瞬だけ、意識がとぶ。
無色で無音の津波がイワンたちを飲み込んだ。
それが通りすぎて意識が戻る。
多分、ほんの1、2秒のことだろう。
けれども。
意識が戻ったその瞬間に、黒い男は目の前にいた。
「うおおおぉ」
イワンは叫びながらカラシニコフを撃つが、黒い男は身を屈めながら剣を
ふるう。
左の腋下から、右の肩へと閃光が走る。
イワンは気がつくと、天井を見ていた。
その下に自分の胴が見える。
頭部と左腕を失いながら、イワンの胴はまだ立っていた。
左胸の切り口から噴水のように血が吹き出ている。
イワンは闇に飲まれる寸前に、黒い男が残りの三人を
斬るのを見た。
刃と化した風が吹き抜けるのを見るようだ。

「一体何をしたんだ」
四門は、呆然と呟く。
間違いなく百鬼は撃ち殺されるはずだった。
ほんの一瞬、戦争屋の兵たちは動きを止めている。
その瞬間に、百鬼は驚異的な速度で間合いを詰めた。
それは、魔法にすら思える。
百鬼の言ったとおりに。
「ああ、胴当てというやつだよ。古武道ではそう珍しいもんじゃあない」
「胴当て?」
「ああ。中国拳法の百歩神拳とおなじ理屈だ。気を飛ばし脳を揺さぶる」
「気をとばすだと?」
「振動波だな。固有振動。シンクロして増幅する。ごく微細なものだが、
効果は絶大だ」
百鬼は、刀を皮製の布で丁寧に拭っている。
血脂を落としているのだろう。
「今のが魔法か?」
「まあ、その一端という程度だな。思ったより少ない兵で攻め込んできた
ので魔法を使うまでもなかった」
あきれた話である。
おそらく四門が専属契約している戦争屋の戦力は今ので半減したはずだ。
四門は、溜息をつく。

「やられました、全滅です」
大佐は煙草を道端に吐き捨てる。
「言ったとおりだろう」
花世木は、うんざりしたように大佐へ声をかけた。
大佐は煙草を取り出し、火をつける。
大きく吸い込み、先端が紅く燃えた。
「嘘をついたな、花世木」
「あんたに嘘をついてもしかたないだろうが」
大佐は、煙を吐き出すと言った。
「あれがヤクザだと。ふざけるな。あれはそうじゃない」
「何だと言う気だ?」
「ニンジャだよ」
花世木は苦笑した。
大佐は、獲物を狙う獣の瞳で8階を睨む。
「ヴォルグ、ボカノウスキーのチームに非常召集をかけろ」
「判りました」
「おいおい」
花世木は大佐に声をかけようとして、その鋭い瞳にとめられる。
「いくらまでなら出す」
「ふざけんなよ、おい」
「二度言わすな。あといくらだす」
花世木はうんざりしたように、肩をすくめる。
大佐は殺気を全身から放っていた。
ひとつ間違えば、この場で頭を撃ち抜かれることになるだろう。
大佐は理解していた。
もう花世木も、自分もこの街でビジネスを続けるには難しい状況にある
と。
「五百万だ。四門社長と引きかえでな」
「いいだろう。ヴォルグ、MDシリーズは持ってきているな」
「ええ、大佐。MD1をアイドリングさせてます」
「MD1を起動だ。プログラムは局地戦Cモード。戦術プランはおまえが
今から組み上げろ」
「了解です」
「なんだよ、MDシリーズってのは」
「花世木さん」
黒服の男が花世木の背後から声をかける。
花世木は振り向いて、男の差し出す携帯電話を受け取った。
「事務所から電話が転送されてきました」
「今はそれどころじゃないのは判ってるだろう」
「ええ、しかし」
黒服は少し困惑した表情をしている。
「社長を拉致した男を雇ったという、おんなからなので」
花世木は、電話を耳にあてる。
「ねぇ、あたしを憶えている?」
「誰だ、おまえ」
「顔を見たら思い出すかな。パソコンはあるよね。メアド言うからそこに
メールして。テレビ電話をしましょう」
花世木は黒服に指示して、ノートパソコンを持ってこさせる。受信した
メールにはurlが記載されていた。
そこにアクセスすると、テレビ電話のシステムが起動される。
ディスプレイにおんなの顔が表示された。
まだ若い。
そして、その顔には見覚えがある。
「はぁい、久しぶりね。花世木ちゃん」
花世木は記憶をたどる。
そのおんなが泣きつづける姿が脳裏に甦った。
三年前のことだ。
そのおんなはまだそのころ、子供だったはず。
いや、今でも二十そこそこのはずであったが。
その異様に輝きを放つ瞳は、そのおんなを年齢以上に見せていた。
その憑かれた瞳は、おんなを百年以上生きている魔女のように見せたが、
同時に無鉄砲で危ういティーンエイジのようにも感じさせる。
「思い出してくれたのね」
「あんた確か真理谷。真理谷といったな」
「そう。あなたたちのせいで全滅させられた一家の生き残り。真理谷ゆ
き」
おんなはなぜか、くすくす笑う。
その酷く不安定な笑いは、花世木を不安にした。
「あなたのこと、覚えているわ。どういうつもりか知らないけれど、葬式
にまで来たよね」
「あれは、おれたちのせいではない。むしろおれたちも被害者といえる。
あの銃撃戦でおれたちも先代を失ったんだ」
真理谷の瞳が、暗くつりあがる。
「知らないよ、そんなこと。あんたたちが街中でドンパチやって、たまた
ま通り掛かったあたしの両親と弟が巻き添えで死んだ。あんたたちがいな
けりゃ死ぬことは無かったんだよ」
真理谷は、血を吐くように言葉を重ねる。
「あたしは全てを失った。愛するひとも。人生も。希望も、未来も。だか
らさ。同じ目に合わせてあげるよ、花世木ちゃん」
花世木は、目眩を感じる。
相手が自分達と同じような組織であれば、交渉することもできるし裏から
手を回して追い込むことができた。
しかし、このいかれたおんなが相手では、どうしようもない。
おそらくおんなを殺せば、状況は多分もっと悪化するだろう。
「ねぇ、あたしのこと頭いかれてるって思ってるでしょ」
「ああ」
「ふふ、困ったと思ってるよね。心配しなくてもいいよ。あたしの要求は
とてもシンプルだから」
「要求があるんだったらさっさと言ってくれ」
「3億でいいよ。ああ、もちろんドルじゃなくて円だから」
「円だと。元の間違いだろ」
「あいにくもう、3億使っちゃったからさ。回収したいのよね。3億くれ
たら還すよ。あんたんとこの社長」
花世木は苛立ちのあまり、目の前がくらくなる。
「おまえが3億使ったとか知るか。そんな金をどうして即用意できると思
うんだ。馬鹿か、てめぇ」
「だって、あんたたちの社長を拉致った悪魔は3億もとるんだよ。おかげ
であたし文無し。あんたたちってさ。売上高は年間20億あるじゃん。純
利益は3億越えてるよね。楽勝でしょ」
花世木は、考える。
なぜかこのおんなは自分達が3億の金を動かせることを、知っている。
確かにそれだけの金を、用意はできた。
しかし、遊んでいる金があるわけでは無い。
それをここで使ってしまえば、いくつかのビジネスが潰れることになる。
それが何を意味するのか。
表の経済がグローバル化するということは、当然裏経済もグローバル化す
る。
いや、その言い方は正しくない。
そもそも地下経済は脱国家的であり、成立したときからグローバル化して
いた。
簡単に言えば、国際的テロネットワークが資金調達をするために地下経済
を成立させていたのだから、グローバル化は必然と言える。
花世木たちの組織は、テロ組織から麻薬をはじめとする非合法商品の販売
ルートを握っていた。
チャイニーズマフィアや、ロシアンマフィアが武装して夜の街を力づくで
制圧しても販路を手に入れることは難しい。
麻薬で売上を伸ばすには富裕層を顧客としてとりこまないことには難し
く、そこには信頼関係が必要だ。
だからこそ、彼ら老舗のヤクザに存在価値がある。
とはいえ、花世木たちの変わりを捜そうとすれば、いくらでも見つかるの
も確かなことだ。
彼らに非合法商品を供給する組織とビジネスを続けるには、常に自分達が
有能で役に立つことを示し続けねばならない。
だからこそ、年間数億の金を払って戦争屋とも契約している。
自分達が武力面でもリスクヘッジ可能であることを知らしめるためだ。
極東および東南アジアでのビジネスでは、結構重要なことであった。
もし、ここで頭のいかれたおんなに3億払ったとしたら、おそらくテロ組
織は彼らをビジネスパートナーとては見なさなくなるだろう。
地下経済から駆逐されることになり、まさにおんなの望みどおり全てを失
うことになる。
しかし、四門をもし殺されたとしても、結果は同じ、いやそのほうが状況
は悪い。
四門は存在がひとつのブランドであるから、地下経済から駆逐されても利
用価値はある。
それすら失えば、花世木は表でも裏でも生きていく術を失う。
いずれにせよ、金を払おうが払うまいが、全てを失う。程度の差は多少
あったにせよ。
今のところどうすべきか、解はない。
「考えさせてくれ」
花世木の言葉に、真理谷は笑みで応える。
「いいよ。待ったげるよ。時間かせぎしたいんでしょ」
花世木は、呻きをあげる。
「時間かせいだら、あんたたちの傭兵がなんとかするかもしれないしね」
おんなの笑みには、獲物をいたぶる獣の残忍さが宿っている。
「そうやって希望をつないでさ。それを潰されたときのほうがね。絶望は
深いんだよ。知ってる?」
花世木はそれでもほっとする。
まだ、かろうじて可能性は残った。
真理谷の雇った悪魔は、かなりできる。
ただ、花世木の契約している戦争屋も、規格はずれの存在なのは間違いな
い。
油断があって手を焼いているが、本気を出せばたったひとりのニンジャを
殺せないはずはない。
「ひとつ聞いていいか?」
花世木は口を開く。
「なんでもどうぞ」
「一体どうやって3億の金を作った?」
あはは、と真理谷は笑う。
「ああ、なるほどね。あたしにバックがいると思っているんだ。まあ、
真っ当な考えだけどね、花世木ちゃん」
「違うのか」
「うーん。あたしが言っても信じられないかもしれないけれどね。自分で
確認したほうがいいよ。でも一応教えてあげる。あんたさ、葬式きたと
き、五百万っていう中途半端な金置いていったじゃん」
「ああ」
「ようするに、金を受け取ったからにはがたがた騒ぐなよってことなんだ
よね。すんごくムカついた。殺してくれよって思ったよ。でもね、その金
ももとでの一部にしたよ。保険金、家と土地を売ったお金全部注ぎ込んで
ネットを使ってデイトレーディングをやったのよ。それで3億に膨らまし
た」
「株でか? しかし」
「まあね。あたし一応大学で経済専攻だったけれど、素人だしね。そう簡
単にはいかないけどね」
真理谷は、暗く目を輝かせながら、憑かれた表情で語る。
「ようするにさ、株価の変動をフォローしきれないから損失が大きくな
る。だったら簡単。24時間、値を監視してればいいのよ」
花世木は苦笑する。
「できるわけがない」
「やったよ、あたし。三年。部屋に閉じこもって。睡眠も30分以内にし
てさ。食事はデリバリーでね。もうね。着替えもせずシャワーも浴びず。
百以上の銘柄の値を十台のディスプレイを使って常時監視して。あたしは
マシーンになった。閾値を越えて値が変動すれば売って買っての繰り返
し。コンマ2パーセント程度の利益を確保し続けて、投入資金を膨らまし
ていって」
真理谷は虚空を見据えて、少し笑う。
「あたし、やったよ。誰とも会わず話もせず。闇の中で数字だけを見つめ
て。運もあったけど基本的にはマシニックな操作で膨らませた」
理論的には可能なのだろうが。
壊れている。
花世木は、そう思う。
このおんなは壊れた機械だ。
そして、それを生み出したのは、おれ自身。
そう、思った。




#372/598 ●長編    *** コメント #371 ***
★タイトル (CWM     )  10/10/05  23:48  (462)
メイドロボット VS ニンジャ 3 つきかげ
★内容
花世木は、大佐たちのところへ戻る。
大佐とヴォルグは、トラックから運びだされた巨大な金属のタンクを見つ
めていた。
長さは2メートルくらいは、あるだろうか。
「そいつが、MD1なのか?」
大佐は、苦笑の形に口を歪めた。
「こいつはただの、アイソレーションタンクにすぎない。MD1はこの中
に眠っている」
「眠っている?」
ヴォルグが会話に割ってはいる。
「排液して、減圧します」
タンクから液体が排出されてゆく。
それを見ながら、花世木は大佐に語りかける。
「殺してもいいぜ」
「なんだと」
「ニンジャを殺してもペナルティは取らない。思う存分やれ」
「はじめっからそのつもりだ。ニンジャボーイは八つ裂きにしてやるよ」
花世木は苦笑する。
液体の排出が止まった。
ヴォルグはタンクについたレバーを操作してゆく。
六ヶ所についたロックが外され、タンクの上半分が開かれる。
花世木は、息を呑んだ。
「おい、なんだよ、これは」
タンクの中から姿を現したのは、可憐な少女だった。
まだ、眠っているのか目を閉じている。
ヴォルグは、少女の口についた酸素マスクをはずす。
顔立ちが人形のように整っている。
一糸纏わぬ姿のまま、液体の中に浮いていた。
腕には、チューブが何本も接続されている。
髪の毛は剃りあげられており、全身無毛であるためマネキン人形を思わせ
た。
「こいつが汎用人型対地兵器MDシリーズ1号機だ」
大佐の言葉に、花世木は肩を竦める。
「おいおい、冗談だろ。どう見たってそいつはただの女の子だ」
「見た目はカモフラージュともいえる。おい、ヴォルグ。起動だ」
「はい、大佐」
ヴォルグは、タンクについたパネルを操作する。
電子音がして、モータが起動された気配がした。
それと同時に少女の身体が痙攣する。
そして、その少女は突然身を起こした。
虚ろな黒い瞳を見開く。
ヴォルグは、少女の身体にとりつけられたチューブを取り外していった。
そして、ゴーグルのような形をした、網膜投影型ディスプレイを頭から被
せる。
ヴォルグは、パソコンをタンクに接続した。
キーボードを操作する。
「戦術プログラムをダウンロードします」
「虐殺忌避モードはオフにしたんだな」
「はい。作戦行動に入ったら殺しまくりですよ」
「それでいい」
網膜投影型ディスプレイから少し光が漏れて、少女の顔を夜の中に浮かび
上がらせる。
ディスプレイから漏れる光が激しく点滅するのに合わせ、少女の身体が小
刻みに震えた。
「おい、プログラムをダウンロードって。その娘はひとなんだろ」
大佐は酷薄な笑みを見せた。
「かつては、ひとであったというべきだな。ひとの身体を有機部品として
使用した、ロボットだと考えればいい」
「にしても、プログラムっていうのは」
「イデオット・サヴァンは知っているか?」
花世木は頷く。
「MD1は、人工的に造られたサヴァンだよ。脳内にプラグを埋め込み、
左脳と右脳の接続を切断した上であちこちにショートカットを作ってる。
意思や感情は機能しなくなったが、膨大な情報を正確に記憶可能となり、
電子計算機並の演算能力を持つ」
花世木は驚きの表情で、MD1を見た。
「確かにそいつは、ロボットだな」
大佐は残忍な笑みを見せた。
「それだけではない。脳が身体を制御する際にかけているリミッターがは
ずされている。普通のひととは桁違いの筋力を発揮する」
「一体誰が造ったんだ、こんなもの」
「頭のいかれたボルシェビキどもに決まってるだろうが。DPRKが拉致
したひと買い取って改造したんだ」
プログラムのダウンロードが終わったのか、少女の動きが止まった。
大佐は、ヴォルグに叫ぶ。
「コンバットスーツを用意しな」
少女、いやMD1は網膜投影型ディスプレイをはずす。
そして、タンクの中から出て地上へと降り立つ。
夜の空に輝く三日月のように、その白い裸身は闇の中へ浮かび上がった。
その姿は、ガラス細工のように繊細で、蜉蝣のように儚げである。
とても、戦闘できるようには見えない。
「おい、こいつは本当に」
花世木の言葉に、大佐はやれやれと笑みをうかべる。
「見た目はカモフラージュといっただろ」
大佐は拳をつくると、MD1の胴を殴りつける。
ごうん、と金属質の音がした。
「皮膚の下の骨格はチタン合金で補強されている。もしニンジャボーイが
斬りつけたら、刀がへし折れることになるな」
ヴォルグは黒い服をMD1の前に置く。
MD1は、手際よくその服を身につけた。
黒のゴシック調のドレスに白のレースがついている。
そして、三つ編みのおさげがついた黒髪のウイッグをつけ、白いエプロン
をつけた。
花世木は目を丸くする。
「何を考えてる」
「局地戦Cモード用、市街地で行動するのに不自然ではない擬装だ」
花世木は溜息をつく。
戦争屋の考えることは、理解しがたい。
ヴォルグはスーツケースから二丁の巨大な拳銃をとりだすと、MD1に手
渡す。
銃身が18インチはある、長大なリボルバー。
MD1は、トリッガーガードについたレバーを操作し、銃身を折り曲げ輪
胴式弾倉に弾丸を確認する。
大きな金色の薬莢が弾倉から姿を見せた。
ライフル弾のようである。
「どうだ、花世木。ダイナソーキラーだ」
「なんだって?」
大佐は楽しげに、銃弾を見ている。
「70口径のニトロエキスプレスだ。おまえ、ロスト・ワールドを知って
いるだろ」
「スピルバーグの映画か」
「いや、コナン・ドイルが書いた小説のほうさ。70口径のニトロエキス
プレス、チャレンジャー教授の雇ったハンターがティラノサウルスを仕留
めるために用意したライフルの銃弾だ。だからあたしたちは、ダイナソー
キラーと呼ぶ」
MD1は二丁の銃をひとふりすると、弾倉を収納しその巨大な銃が重さを
持たないかのようにくるくると回す。
デコレーションケーキみたいなレースのついたスカートをひらりとまくる
と、MD1は太股につけたホルスターに拳銃をすとんと納めた。
流れるような美しく動きである。
そしてMD1は、ビクトリア朝時代の淑女がするようにスカートの裾を
そっと掴むと優雅な仕草でお辞儀をした。
「なんなりとご命じ下さい、ご主人様」
大佐の瞳が黒い炎を噴き上げるように輝いた。
「命令を下す」
大佐は獣が咆哮するように、叫んだ。
「サーチ・アンド・デストロイだ、MD1。動くものは全て殺せ。殺せ。
殺せ、殺し尽くせ! 最後の血の一滴も見逃さず殺せ!」
MD1はアンティークドールのように美しく整った気品ある顔に、なんの
表情も浮かべず大佐の叫びを受け止めた。
「承りました、ご主人様」
ふわりと、風が吹いたように感じる。
MD1はたった一度の助走のない跳躍でビルの入口まで跳んだ。
まるで黒い揚羽蝶のように、重力から解き放たれたものの動きである。
そのまま、ふわりと音もなく踊るようにMD1は建物の中へと姿を消し
た。
花世木はうめき声をあげる。
「あんた、殺し尽くせって」
大佐は哄笑する。
「花世木、心配するな。ダウンロードしたプログラムのデータにはちゃん
と四門の情報も含まれてる。MD1は四門を撃ったりはしないよ」
「そうであることを、祈るぜ」
大佐はヴォルグを見る。
「今回の活動限界は、何分でくる?」
「10分ですね」
大佐は、むうと唸る。
「意外と短いな」
「前の出撃から二週間ですからね。まさか今回使うとは思って無かったで
すよ。でも、ニンジャボーイが持久戦に持ち込むのは無理です。一瞬で片
付きますよ」

百鬼は、ふと手をとめる。
ずっと、刀の刃を砥石で立てていたのだが、その作業をやめて立ち上がっ
た。
四門は、その全身を陽炎のように殺気が覆っているのを見る。
「なんだよ」
「まずいな」
百鬼は手際よく四門の体を車椅子から解放し、手足をワイアーで縛る。
その作業に数十秒しかかけていない。
「なんなんだよ」
百鬼は素早く四門を担ぎ上げると、フロアの送電設備点検用の扉を開き、
その中に押し込める。
「しばらく、ここにいてくれ」
「おい、説明しろよ」
「ひとではないものが、やってくる」
「ひとではないもの?」
百鬼は少しあせっているようだ。
扉が閉じられ、四門は闇の中に沈む。
悪魔のように危うい男をあせらせる存在に、四門は恐怖を憶える。
禍々しいものの気配を闇の奥に、感じるような気がした。

百鬼は、気配を消し給湯室の闇に潜む。
影となり、完全に闇の一部となっていた。
百鬼は気配が迫るのを感じる。
その足音と、移動する速度から考えると、ひとの能力を超えていた。
幾つもの戦場を潜り抜けてきた百鬼をして、想像のつかない存在が迫って
いる。
ついに、それは、百鬼の潜むフロアまできた。
階段を昇りきり、無造作といってもいいほど自然体で廊下に入り込む。
その姿を見て、百鬼は息をのんだ。
白のレースに飾られた黒のゴシック調のドレスに、白いエプロンをつけて
いる。
百鬼の頭の中に、メイドロボットという言葉が浮かんだ。
メイドロボットは踊るような足取りで廊下を進むと、ふと立ち止まる。
スカートの裾を可憐な仕草で掴むと、バレリーナのように優雅なお辞儀を
見せた。
「あなたを殺しにきました。ニンジャさん」
まるで漆黒の焔が吹き上げるように、殺気が迸る。
メイドロボットは、スカートの裾をまくると、二丁の巨大な拳銃を取り出
した。
少女の華奢な身体とは不釣り合いな、大きく凶悪な拳銃だ。
おそらく闇の中で、気配を消している百鬼の存在を赤外線スコープやス
ターライトスコープを使わずに感知できるはずはないのだが。
メイドロボットは正確に、百鬼の位置を把握しているようだ。
百鬼は、素早く給湯室の奥へと身を隠す。
雷鳴のような銃声が轟く。
百鬼は目をむいた。
銃弾は給湯室の壁を貫いて、百鬼に迫る。
百鬼は跳躍して、奥にある荷物運び用エレベータのホールへと入った。
そこにある鉄製の扉を閉め、ロックする。
銃弾は当然のようにその分厚い扉を貫通して、百鬼を追う。
物影に入ることは、全く無意味だ。
銃弾は、壁を貫いて百鬼を追ってくる。
しかも、壁を貫いて尚、殺傷力を失っていない。
おそらく、その銃弾を身体にうければ致命傷となるだろう。
百鬼は荷物運び用エレベータに乗った。
エレベータの扉を閉じる。
爆発音のような音が響き、ホールの入り口にある鉄製扉が破壊された。
メイドロボットは、トリッガーガードの下についたレバーを操作し、中折
れ式の銃身を折ると輪胴式弾倉から空薬莢を捨てる。
一瞬銃身が中に浮き、メイドロボットはスカートの下からスピードロッ
ダーに装着された銃弾を装填した。
その動作は数秒しか、かかっていない。
扉が閉まるのと、メイドロボットの銃が火を噴くのはほぼ同時であった。
身を屈めた百鬼の背中を掠めるように、扉を貫通した銃弾がエレベータの
壁に食い込む。
下のフロアについた。
百鬼は素早くパネルを操作して、扉を開く。
頭上で爆発音のような音が轟き、エレベータの天井がずしんと重みで軋
む。
百鬼がエレベータから降りるのと同時に、天井を破ったメイドロボットが
エレベータの中へと降りてくる。
エレベータの扉が閉まるのもかまわず、銃を撃った。
扉を貫通し、襲いかかる銃弾を躱しながらホールの出口の扉を開きロック
する。
そのまま、フロアの廊下に出て下のフロアの部屋に入った。
その部屋はかつては倉庫であったらしく、幾列もの棚が残されたままに
なっている。
百鬼は頭の中で素早く作戦を考えてゆく。
二階堂流には最後の奥の手がある。
百鬼が魔法と呼ぶものだ。
しかし、相手がひとである場合なら魔法も使えるが、ひとでなきものに通
用するとは思えない。
百鬼には、別の奥の手もあるが、そちらを使ってしまうのはリスクが高
い。
しかし、もう選択する余地はなさそうであった。
轟音が2回轟き、メイドロボットが倉庫に入ってくる。
百鬼は倉庫の奥へと移動していく。
メイドロボットの銃が火を噴いた。
銃弾は壁を貫くパワーはあるが、鉄製の棚にあたると軌道を変えられてし
まい百鬼から逸れてゆく。
百鬼は倉庫の奥へと移動していった。
そこには、小さな空きスペースがある。
十メートル四方程度の空間だ。
そこでなら、百鬼は奥の手を使うことができる。
地下足袋を履いた足元を確認しておく。
コンバットブーツほどの強度はないが、対刃対銃素材で作られており、ナ
イフを踏んだくらいでは足に傷がつくことは無かった。
その地下足袋は効率よく大地に力を伝えることができる。
メイドロボットは音もなく、宙を飛ぶように移動して来た。
舞踏会で可憐な舞をまう乙女のように、ふわりと百鬼の前に立つ。
純白のエプロンが闇のなか窓から差し込む微かな光のなか、白雪のように
淡く輝いていた。
アンティークドールのように整った顔に、薄く笑みを履いて。
凶悪な肉食獣のような殺気を振り撒いていた。
それは漆黒の焔が、暗黒の渦を巻いているようだ。
百鬼は電気を受けたように、全身に痺れのようなものが走るのを感じる。
そして、百鬼は知らぬうちに笑っていた。
おそらくダルフールでもルワンダでも、一個大隊に追われたときにも精鋭
の特殊部隊と対峙したときにも感じることができなかった、死線に立つと
いう感触。
一体いつ以来感じていなかったのか思い出せないようなその感覚に酔いし
れていた。
麻薬の感じに近いものがある。
全感覚が極限にまで研ぎ澄まされており、部屋の中の空気の流れまで感じ
取ることができた。
光は細かな粒子となり、あたりに満ち溢れている。
全身を巡る血の一滴すら、その動きを感じ取ることができた。
ほんの一秒が、数分に匹敵するほどに感じられる。
それらの感覚が一時的に強化されたもので、数分後には反動で動けなくな
るのは判っていたが、それでも今ここで全てを出し尽くさねば死ぬことも
間違いない。
メイドロボットは、その長大な銃を百鬼に向ける。
残りの銃弾はそれぞれの銃に二発づつ、計四発であった。
その凶悪な佇まいを持つ、大口径のリボルバーは不釣り合いに可憐な手の
なかで暗い殺気を噴き出す。
百鬼は、頭の中のスイッチを入れる。
縮地という技が古武道にはあった。
一瞬にして、相手との間合いを潰す移動を行う体術。
要するに、頭が制御して身体にかけているリミッターを一時的にはずし筋
肉の潜在的力を解放する技だ。
百鬼はそれにアレンジをつけている。
銃を持った相手との間合いを潰したとしても、相打ちになる可能性があっ
た。
相手に幻を見せ、銃弾を無駄遣いさせる。
それが、百鬼の技だ。
高速で左右に移動しながら、メイドロボットとの間合いを潰す。
全身の筋肉と心臓が過負荷に身をよじりながら悲鳴を上げる。
百鬼は、意識が苦痛で真っ白に焼け焦げてゆくのを感じた。
メイドロボットの銃が火を噴く。
二発の銃弾がコンマ一秒程度遅れて通過する。
メイドロボットは百鬼の残像を撃ったはずだ。
脳は全身をコントロールするのに力を使い切っているため、脳裏に浮かぶ
メイドロボットの映像は酷くぼんやりしたものになる。
意識は一秒が永遠に感じられるほど、脳は高速に処理を行っていた。
そのため、視覚から色や質感は失われ、モノクロームの世界となる。
音もまた、水の中で聞くようなものになっていた。
闇と静寂の世界。
深海に沈んだようである。
身体もまた、深海の水に閉じ込められたように重く身動きがとれなくなり
つつあった。
実際にはありえないほどの高速で動いているのだが、粘塊に捕らわれたよ
うに身体が重い。
もう一度二発の銃弾が放たれる。
その弾道を百鬼は肉眼で捕らえていた。
コンマ一秒は遅れている。
メイドロボットは残像を撃っていた。
メイドロボットには、百鬼の姿は三つの残像に見えているはずだ。
百鬼はこの技を影分身と呼んでいる。
弾丸は百鬼を掠めて後ろの壁に着弾し、爆発音のような音をたてた。
身体のそばを掠めただけで、棍棒で殴られたような衝撃がある。
その衝撃を堪え、前へ進む。
間合いは潰せた。
銃弾も全て使い果たしたはずだ。
百鬼は液状になった空気を切り裂きメイドロボットに斬りかかる。
胴田貫はがつん、と音を立ててメイドロボットの首筋に叩き込まれた。
百鬼は苦笑する。
あわよくばと思っていたが、さすがに首筋の急所はアーマーでガードされ
ているようだ。
メイドロボットは銃を捨てた。
胴田貫をメイドロボットは左手で掴む。
右肘が刀身に叩き込まれた。
胴田貫がへし折れる。
百鬼は刀を捨て、腰からスタンロッドを引き抜く。
それをメイドロボットの左目に差し込んだ。
火花が飛び散り、電撃がメイドロボットの頭部を覆う。
青白い稲妻が、三つ編みのおさげの頭を包んだ。
眼球は人工のもののようだ。
おそらく水晶体の代わりに超小型のスターライトスコープを埋め込んでい
るのだろう。
百鬼は下腹に殺気を感じる。
メイドロボットの足が振り上げられてゆく。
百鬼の意識は通常の速度に戻りつつあったが、それでもメイドロボットの
前蹴りをとらえることができた。
足先が鳩尾に食い込むと同時に、後ろへ飛ぶ。
威力は凄まじいが、同時に後ろへ跳躍することで半減させる。
それでもメイドロボットの前蹴りは、車に跳ねられたくらいのパワーが
あった。
5メートル以上吹き飛ばされると、百鬼は壁に激突する。
意識が暗くなった。
身体は限界を超えており、動かすことができない。
メイドロボットが膝をつくのが見える。
百鬼は上半身を起こす。
骨は折れていないようだ。
打撲のみらしい。
おそらく、内臓も無事。
百鬼は呻きをあげながら、嘔吐した。
血は混じっていない。
胃液だけだ。
メイドロボットは、ゆっくりと仰向けに倒れる。
百鬼は安堵の溜息をついた。
これ以上は戦うことは無理だ。
そのとき。
メイドロボットの上半身が跳ね起きる。
百鬼は、悲鳴をあげる身体を無理やり起こし、膝をつく。
しかし、メイドロボットの残った右目は虚ろだ。
驚いたことに、メイドロボットは言葉を漏らす。
「おかあさん」
メイドロボットは、ぼんやりとした表情で言葉を重ねた。
「おかあさん、今何時なの?」

彼女は薄闇の中に身を起こした。
傍らにある目覚まし時計を手にとり見る。
6時30分を回ったところ。
いつもどおりに目が覚めたようだ。
夜が明けて間もない時間。
外はまだ灰色に閉ざされている。
彼女は身を起こすと、階下に降りた。
「おかあさん、いないの?」
食堂のテーブルには、彼女の朝食が用意されていた。
ひとの気配はない。
彼女の母親は、どこかに出かけたのだろうか。
テレビだけがつけられており、ひとの声を聞こえている。
彼女はテレビの音声を聞き流しながら、食事をはじめた。
『20世紀のはじめまで、ひとは光を伝達するエーテルという存在を仮定
  していたのですが。
 今では、エーテルというものは意味を成さなくなっています。
 けれども光は波ではなかったのでしょうか?
 アインシュタインは、光は波であると同時に粒子であると定義していま
  す。
 これはとても奇妙なことです。
 波は空間の中に偏在しますが、粒子は極所にしか存在しえません。
 コペンハーゲン解釈に基づけば、波である光が粒子に変換される瞬間、
  それは観測した瞬間であるとされます』
彼女はぼんやりと、夢で見たことを思い出す。
奇妙な高揚感のある、けれど殺伐とした夢。
彼女はメイドふうの衣装に身を包んで、なぜか銃を撃っていた。
誰と戦っていたのか、なぜ戦っていたのかは、記憶が霞の中にあるように
思い出すことができない。
『では観測される以前の状態は、粒子が何箇所かに潜在しており、観測さ
  れると同時に一箇所に収縮したというのでしょうか。
 これが有名な、シュレディンガーの猫のパラドックスを生み出す概念で
  す。
 わたしたちが意識して世界を観た瞬間に、世界は一意の状態に決定され
  る。
 観測されるまで猫は生きているのと死んでいるのが重なり合った状態で
  すが、観測される、つまりわたしたちが意識し、思考の対象とした瞬間
  に生か死か一意に決定されるのです。
 これはエヴァレットの多世界解釈で説明すると、重なり合った並行宇宙
  から、ひとつの宇宙が選択されるというべきなのでしょう』
彼女は、まだ夢の中にいているかのようだ。
現実感が希薄だ。
あたりは霧につつまれているように、ぼんやりとしている。
まだ彼女はどこかで、メイド服を着て戦っているのかもしれない。
それは多元宇宙の重なり合った状態。
そして目覚めれば、どこかのあたしか、ここにいるあたしが、どれかに意識
は収縮する。
その突拍子もない考えに、彼女はくすりと笑う。
『さて、光に話をもどしましょう。
 波の状態にある光はまだ実在しているとはいえません。
 それは、場の性質として波動関数で現される、虚構の存在です。
 私たちがものを見るときには、網膜で光を波から粒子に変換していま
  す。
 哲学者のベルクソンは、目とは光という問題の解であると語っていまし
  た。
 目とは、ある意味では波動関数の収縮装置であるといえます。
 そして、世界を実在にいたらしめる装置であるともいえます。
 生物の進化が爆発的に進むのは先カンブリア代であると言われますが、
  そのときに起こったできごとが何かといいますと、目を持った生物の出
  現なのです。
 生物が目を持たなかった時代は、まだ進化の流れは起きていなかった。
 目を持った生物が出現したとたん、世界は始まりわたしたちのところへ
  と至る流れへと収縮していくのです。
 目を得たとき。
 生物は夢から目覚めたのです』
彼女は食事を終えると席を立つ。

学校についた。
それほど早くついたはずではないのだが、教室には誰もいなかった。
いや、ひとりだけ先客がいる。
黒い制服を着た男の子だ。
彼女はその男の子に声をかける。
「亜川くん、おはよう」
亜川は、ゆっくりと彼女のほうを振り向く。
整った顔立ちであるが、特徴はなくどちらかといえば影が薄いほうであ 
る。
何も言わず、亜川はただ会釈を返した。
「ねえ、亜川くん。あたし、とてもへんな夢を見たの」
教室の中もみょうに薄暗かった。
天気が悪いのだろうか。
すべて靄がかかっているような。
左目の奥で何かが渦巻いているような気がする。
ここではないどこかの現実と、この教室のできごとが。
左目の奥で結びついているかのような。
彼女は少し困惑しながら、言葉を重ねる。
「あたしね。メイド服を着て銃を撃っているの。あたしはロボットに改造
させられたのよ。可笑しいでしょ」
彼女はあははと笑ったが、亜川は無表情のまま彼女を見ている。
「それでさ、変な事にね」
世界は薄闇の中でマーブル上に溶けていっている気がした。
この教室の外は、色々なものが重なり合った廃墟のような場所になってい
て、全てが混ざり合ってゆくような。
不思議な感覚。
「あたしが戦っている相手が亜川くんなの」
亜川はゆっくりと頷く。
「その夢はまだ終わっていない」
「え?」
意外な亜川の言葉に彼女は問い返す。
「夢はまだ続いている。どこかに収縮することを求めながら」
彼女は眩暈を感じ、膝をつく。
そう。
ここは、まだ夢の中。




#373/598 ●長編    *** コメント #372 ***
★タイトル (CWM     )  10/10/05  23:49  (344)
メイドロボット VS ニンジャ 4 つきかげ
★内容
百鬼はメイドロボットが立ち上がるのを見た。
自分に向かってゆっくりと歩いてくる。
百鬼は身を起こし、膝をつく。
手の中には錐刀がある。
一投で決めなければならない。
ふわりと重力を失ったようにメイドロボットが宙に舞う。
着地すると同時に、錐刀を投じた。
左目に突き刺さる。
メイドロボットの動きが止まった。
幾度か痙攣し、そして再び口を開く。
「亜川くん」
百鬼はなぜかその言葉に戦慄を覚える。
まるで、現実が溶解し流れさってゆくかのような恐怖。
「夢は終わるのかしら。これが夢なのかしら」
メイドロボットの手に、左目から抜いた錐刀がある。
メイドロボットは構えた。
避けなければと、百鬼は思うが。
メイドロボットの速度よりはやく逃れられるとは思わない。
「亜川くん、おはよう」
そう言ったとき、メイドロボットは唐突に停止した。
百鬼は溜息をつく。
なぜか生き延びることができた。
あと10秒動いていれば、間違いなく百鬼は死んでいた。

「活動限界です」
ヴォルグの声に、大佐は頷く。
「ニンジャボーイは10分生き延びたのか?」
「MD1から送られた最後の識別信号では、対象は生きていることになっ
ています」
「悪運が強いな、ニンジャボーイ」
大佐は溜息をついた。

「おい、どうなっている」
花世木が苛立ちの声を大佐にかける。
「MD1がやられてもう打つ手がないというんじゃないだろうな」
大佐は、凶悪な目で花世木を見る。
花世木は少したじろいだが、その殺気のこもった目を見つめ返す。
「MD1は基本的には時間稼ぎだ。やられる気は無かったのは確かだが。
確実性はひとの兵士より薄い。所詮ロボットだからな」
「だったらどうしようと言うんだ」
「もう少し、時間をひきのばせよ。花世木」
「いいかげんに」
その時、2台の黒いワンボックスカーが現場に入り込んできた。
花世木は舌打ちする。
「おい、何事だ」
黒服が、花世木に声をかける。
「王が、来ました。社長が拉致られたのを聞きつけたらしく」
花世木の表情が曇る。
ワンボックスカーから屈強の男たちが降りてきた。
皆、ジャケットを羽織っているが、その下には対刃対弾アーマーを着込ん
でいるようだ。
腰に大型拳銃とコンバットナイフを提げている。
男たちの後から、長身の男が姿を現す。
ビジネスマンのような七三分けの髪型の似合わない、分厚い身体の持ち主である。
そして表情が豊かな、濃い顔立ちをしていた。
花世木を見つけると、満面の笑みを浮かべる。
「花世木、助けに来たよ、わたしたち」
「王大人」
花世木は苦渋に満ちた顔になったが、王は気にせずにこやかな表情のまま
花世木に歩みよる。
大佐たちは、無表情のまま見物するつもりのようだ。
「やっかいな男に狙われたものね。よりによって」
花世木は、眉をあげる。
「やっかいな男? 何かご存知なのですか?」
「もちろんよ。ハンドレッド・デーモン」
大佐の表情が、少し強張る。
王は、大げさに顔をしかめた。
「指輪物語の映画あるよね。あれに出てくる王子が自分の国取り戻すの
に、幽鬼の軍勢をひきつれて戻ってくる」
王は、やれやれと首をふる。
「あれみたいな感じよ。ルワンダ、ダルフール。我が国の特殊部隊は何度
も酷い目にあったね。まるで。百の幽鬼に襲われたみたいに」
王は、オーバーアクションで語り続ける。
「音も無く忍び寄り、静かに斬る。百もの幽鬼が襲いかかってきたよう
に、兵たちが斬り殺される。わたしたち、こう呼んでたね。百鬼と」
「百鬼」
花世木は、繰り返す。
王は、うんうんと何度も頷いた。
「なぜか、刀というアナクロ武器がすきね、百鬼は。でも、よかったよ。
わたしたち、百鬼を追い詰めた」
「追い詰めた?」
花世木は困惑した声を出すが、王はにこやかな笑みでかえす。
「人質をとって立てこもるなんて、馬鹿なことしたものね。幽霊は神出鬼
没だから恐ろしいのに。袋の鼠に自分からなってくれれば、恐くないね」
花世木は少し皮肉な笑みを見せた。
「では、王大人なら、その百鬼というテロリストを殺せると」
「もちろんよ、花世木。簡単なことね」
大佐が背後でむっとなるのを感じたが、花世木は気にせず言った。
「どうやるおつもりですか?」
「正面から行けばいいよ、どうか斬らせてくださいねと」
大佐の怒気が殺気に近づいているが、無視することにする。
「斬らせてはくれんでしょう」
「もちろんよ。斬られるのはこっちね。でも、相手はたったひとりで人質
いるから逃げれない。日本刀なんて、せいぜい10人斬れば血脂でなまく
らになるね。そこをやればいいよ」
さすがに、正気の発言とは思えなかった。
10人差し出して斬らせると言っているのか、この男は、と呆れ顔で花世
木は王を見る。
王は気にせず、にいっと笑って背後の男たちを示す。
「15人用意したよ。こいつらを斬らせる。そして、わたし、とどめさす
よ」
「本気なのですか、王大人」
「一人二百万で売る。安いね。困ったときお互い様と日本ではいう。いい
言葉。だから安くしとく。どうね?」
花世木は、王を睨みつけた。
王は、うふふと笑い返す。
「判りましたが、即金は無理です。支払いに時間をください」
「決まりね。一筆書いて。ここにサインよ」
花世木は、唸る。
手回しがよすぎるし、やることがふざけすぎていた。
しかし、花世木には選択の余地がない。
花世木は差し出された紙にサインした。
「ありがとう、花世木。では行ってくるね。これは大変なチャンスね。百
鬼を殺したとなれば、懸賞金でるよ、国から」
あははと笑いながら、王は自分自身も鞘に納まった長剣を手に取ると、建
物へ向かう。
15人の男たちがそれに続く。
大佐は肩を竦めた。
「あの馬鹿、斬られるぞ」
ロシア語でヴォルグに囁きかける。
ヴォルグは苦笑した。
「いいじゃないですか。少しでも弱めておいてもらいましょう。ボカノウ
スキーたちがつく前に」
大佐は鼻をならす。

唐突に扉が開き、四門は、外へ引き摺り出される。
四門は、フロアの床に座り込んだ。
百鬼は、酷く消耗した顔をしている。
「悪かったな、狭いところに閉じ込めて」
四門は苦笑した。
「悪いと思うなら、解放しろよ」
「残念だが、それは無理だ」
百鬼は、いつものように無表情だが、しかしその顔は幽鬼にとり憑かれた
ようにくらい。
心なしか、肩で息をしているかのように見える。
四門は車椅子に戻されることなく、フロアに座らされたままだ。
百鬼はバッグからプラスチックケースを取り出すと、カプセルの錠剤を取
り出し飲む。
四門の視線に気がついたらしく、ケースを四門に差し出してみせる。
「ただのアンフェタミンと、カフェインのカクテルだ。あんたもやる
か?」
「ただのだと? 結構だ」
百鬼は少し肩を竦めると、ケースをバッグへ戻す。
そして、バッグの底にある蓋をはずし、中から細長い棒状のものを取り出
した。
革の鞘に納まった日本刀である。
ただ、柄がついてない。
百鬼は、バッグの中からラバーグリップとなった柄を取り出す。
日本刀に、手早くグリップを取り付けると、革製の鞘から抜き放った。
蒼ざめた光が、闇の中に浮かび上がる。
四門は息を呑んだ。
「まさか、こいつを使うことになるとはな。まあ、こいつのほうが魔法は
使いよいのだが」
百鬼は、自嘲のような笑みを浮かべている。
「見ろ、美しいだろう」
百鬼は、四門のほうへ刀身をかざしてみせる。
確かに、さっきまで百鬼が使っていた無骨な刀と違い、優美な美しさが
あった。
それは、ひとを斬るという特化した目的に向かう機能性と、見事に融合し
た美しさである。
持つものの、心に魔を呼び込む類の美しさであった。
「村正だよ。いい刀だ。ひとを斬るのがおしいくらいだ」
百鬼の意外な言葉に、四門は苦笑する。
百鬼は、抜き身の刀を持ったまま立ち上がった。
「どうも、次の客が来たようだ」
百鬼はフロアの入り口に向かって、数歩踏み出す。
入り口から、屈強の男たちが入ってきた。
十人以上はいる。
そして、その男たちより頭ひとつ高い男が最後に入ってきた。
長身の男は、背が高いだけではなく身体が分厚い。
その身体に似合わぬ、七三分けのビジネスマン風ヘアースタイルだ。
やたら濃い顔に、笑みを浮かべている。
「はじめまして、百鬼。わたし、王いいますね」
百鬼は、四門と壁を背後に背負い、刀を正面に構える。
部屋に入ってきた男たちは、皆大きなコンバットナイフを持っていた。
ナイフとはいえ、刃渡りが50センチ近くはある鉈に近いものだ。
「あなたの噂はかねがね聞いてますね、百鬼。わたし、あなたの望み、
判ってるよ」
百鬼は無言のまま、刀を構えている。
その回りを8人のおとこたちが、半円状に囲んだ。
のこりの男たちは、王と名乗った男の回りに控えている。
「百鬼、あなた結局のところ、金とかそういうものは、どうでもいいと
思っているね。要は、斬りあいたい。それが望みよね」
王は、上機嫌に言葉を重ねる。
「それが?」
「斬りあいをさせてあげるね。わたしたち、あなたと果し合いしにきた」
「ほう」
百鬼は、笑みを見せた。
「好きにすればいい。斬りかかってくるなら、斬りふせるだけだ」
「簡単じゃないよ。わたしたち洪家拳の使い手ね。棒術を応用して剣も使
いこなす」
「だから?」
「一応、降伏するか聞いておくね」
「しないよ」
王は、嬉しそうに笑う。
「日本刀という武器の選択は、悪くないと思うね。室内の戦闘において
は、武器としては拳銃よりも合理的ではある。でも、長すぎるね。より有
効なのは、このナイフくらいの長さよ」
四人の男たちが間合いをつめ始める。
手には、コンバットナイフを構えていた。
殺気が闇の中に満ちてゆく。
漆黒の火花が散っているようだ。
唐突に、百鬼の身体から緊張感が消える。
百鬼は、携帯電話を取り出すと、ひとことふたこと話した。
「状況が変わった」
百鬼は殺気の消えた、落ち着いた表情で語る。
「話がついたようだ、人質は解放する。武器を収めろ。そうすれば、おれ
も刀を捨てる」
「残念ね」
悲しげな顔をする王に、百鬼は穏やかな笑みを見せると、突然地面に前の
めりに倒れる。
そのまま前転し、左側にいた男の足を斬った。
百鬼のフェイクを信用したわけではなかったろうが、虚をつかれた形に
なっている。
どすん、と足を残したまま、男は床に倒れた。
百鬼は刀を突き出すと、その男の頚動脈を斬る。
百鬼は、地面を這うような姿勢から右側の男へ向かう。
男が反射的に突き出したナイフを持った右手を斬り飛ばした。
血を振りまきながら、ナイフを持った右手が床に落ちる。
そのまま、上段から一気に斬り降ろす。
左半身が、身体から離れ左手が床に届いた。
血が放物線を描いて床に撒き散らされる。
その男が倒れるのを見届けないまま、背後から繰り出されるナイフを身を
屈めてかわすと、胴を薙いだ。
とんと、百鬼が下がるのを追うように腹から血が噴き出る。
切り口から別の生き物のように、ぞろりと内臓がはみ出てきた。
男は内臓の出た腹を押さえながら前に倒れる。
百鬼は無造作に移動しながら、右側の男へ間合いを詰めた。
薙ぎ払われるナイフをかわし、刀を横へ薙いだ。
顔面が真ん中で断ち切られ、目玉を収めた顔の上半分が床に落ちて跳ね
る。
百鬼は、そのまま後へ下がり刀を正眼に構えた。
その左右に死体がバリケードとして築かれた形となる。
百鬼の前に道ができていた。
ひとりづつしか通れない道が。
奇声をあげながら、ふたりの男が斬りこんでくるが、縦一列になってし
まっている。
百鬼は身を屈めて先頭の男のナイフをかわし、股間から肩口まで一気に斬
り上げた。
身体を両断した男の後ろから、ナイフが突き出される。
その腕を押さえると、頚動脈を裂く。
血を噴出しながら倒れる男を突き放し、また後に下がる。
左右から同時に男たちが死体のバリケードを越えて切りかかった。
百鬼は右側の男が着地する瞬間に、その片足を薙ぐ。
倒れるところを突き飛ばし左側の男にぶつける。
男が、足を斬られた男にぶつかって体制を崩した隙をついて、首を斬りお
とした。
一瞬にして8人の男たちが斬られている。
百鬼の回りには、さらに高い死体のバリケードができた。
ひとりづつしか、近寄れない状態になっている。
足元は流された血で、かなり踏み込みにくくなっていた。
百鬼は四門を背にし、刀を正眼に構える。
その足元に何かが転がった。
スタングレネードである。
それが炸裂し、百鬼と四門は視界を失う。
雷鳴のような銃声がいくつも轟く。
四門は、必死で身を屈める。
銃声からすると、大口径マグナム弾のようだ。
着弾すれば、アーマーを貫通しなくても骨が砕ける。
百鬼は死体を盾にして間合いを詰めていた。
正面にいる男に死体を当てて、そのまま首を跳ねる。
左側にいる男を袈裟懸けに斬ると、そのまま刀を車に回して右側の男の頚
動脈を裂く。
最後に残った男が撃つマグナムをサイドステップでかわし、一瞬にして間
合いをつめる。
縮地であった。
銃を持った腕を斬り飛ばし、上段から斬り降ろす。
刀は右肩から入ると胸を裂き、左腋から抜けた。
さすがにもう、身体を両断することはできないようだ。
傷口から血を噴出しながら、男は倒れる。
「だいぶ、お疲れのようね。百鬼、あなたもあなたの刀も」
王はそう言うと、抜き放った直刀の長剣を百鬼に向けた。
分厚く丈夫そうな鉄の塊みたいな剣だ。
百鬼は、正眼に刀を構える。
明らかに、肩で息をしていた。
さすがに、疲労はピークになっているようだ。
「わたしとあなたは多分同類ね」
王は、剣を構えたまま語る。
「わたし、10代のころ非合法の賭博格闘技の選手だった。金持ちが金
を、殺し合いに賭けるゲームね。わたし、そのゲームでチャンピオンだっ
た」
王は、百鬼の様子を見ている。
疲労した状態がフェイクなのか判断しかねているようでもあった。
「そこで金持ちに気に入られ、用心棒として雇われて、手柄をあげて。幇
の幹部としてとりたてられた。でも、自分の全力の技は使ったことない
よ。それはあなたも同じね、百鬼」
王も百鬼も動かない。
四門から見て、王の構えは見事なものに見える。
疲労している百鬼とそう力の差はないかもしれない。
ただ、どちらも動けないのはおそらく、先に動いたほうが不利であるから
なのだろう。
「あなたも、自分の持つ技全てを使いたいね。自分の血肉に刻まれている
殺人の技術を全て解放したい、そう思っているね。それは、わたしも同
じ。わたしたちは、同じ種類の人間ね」
王は、にいっと顔を笑みで崩した。
百鬼は無表情のままだ。
突然、王が裂帛の気合を放つ。
がくん、と百鬼の頭が後へ仰け反る。
百歩神拳と呼ばれる技だ。
相手を倒すほどの力は無いが、ジャブ程度の威力はありそうだ。
百鬼の視線が王からそれた瞬間、王が間合いを詰めていた。
縮地である。
百鬼と同じ技を王も使っていた。
王は、気合を放ち上段から剣を叩きつける。
おそらく、刀で受ければその刀をへし折って、そのまま百鬼の頭を割るつ
もりだ。
百鬼は無造作にその剣を左手でつまんでとめた。
凄まじい速度で振り下ろされた長剣は、ひょいとつきだされた百鬼の左手
の人差し指と親指に摘まれて止まる。
いや、そうではない。
王の身体が金縛りにあったように止まっていた。
百鬼は摘んだ剣を脇によけると、刀を王の首筋に押し当ててひく。
さすがに頚動脈を裂くことはできたようだ。
血が噴出する。
王は硬直状態にあった。
動くことができないようだ。
「残念だな」
百鬼は、溜息まじりにつまらなそうに言った。
「おれは10代のころ、ポルポトの支配するカンボジアにいた。生きるこ
とは斬ることだった。あのころからな」
唐突に王の身体の硬直がとけ、膝をつく。
「馬鹿な」
王はかろうじて言葉を紡いだ。
「そうか、刀を気の増幅装置として使い、脳を揺さぶるのか」
「心の一法。二階堂流の魔法だよ」
王は、そのまま崩れおちる。
「あんたのはまあ、エリートの趣味としてはいいところにいってたんだが
な」
百鬼はそう呟くと、四門のところへ戻る。
「あれが魔法か」
四門は呆然と呟く。
あきらかに、百鬼は死ぬはずだった。
理解できないことがおこっている。
「まあね。宮本武蔵が恐れて逃げ出した技、心の一法。気を刀の光にのせ
て放つ。目から入った気は脳神経を一時的に麻痺させる」
四門は、溜息をついた。
説明を聞いても理解できるものではない。
百鬼は、疲れたようで腰を下ろすと熱心に刀の血脂を拭い始めた。
「松山主水は、大名行列を見物にきたひとびと全員を金縛りにしたと公式
文書に記録されているがな。おれのはとてもそこには及ばん。まず、全員
がおれと刀に注目してくれないことには無理だ。だからああいうふうに一
対一にしてくれれば助かるんだが」
やれやれと、百鬼は溜息をついた。
「おれもまだまだだよ」




#374/598 ●長編    *** コメント #373 ***
★タイトル (CWM     )  10/10/05  23:50  (291)
メイドロボット VS ニンジャ 5 つきかげ
★内容
ディスプレイを見つめていたヴォルグが溜息をつく。
「動きがとまりましたね」
大佐が獣じみた笑みを見せる。
「やられたか、王のやつ」
「おそらくは。動いているのは二人分の熱源だけですから」
「おい」
花世木は、大佐に声をかける。
「どうするんだ、いい加減待てないぞ」
「そういうな」
大佐は、笑みを浮かべたまま花世木の後を指差す。
「ようやく、ボカノウスキーが到着だ」
軍用トラックが2台、到着する。
トラックから降りた金髪で長身の男が、大佐の元へ歩み寄った。
「よう、ボカノウスキー。遅いぞ」
金髪の男は、青い瞳を眠たげに曇らせる。
その顔立ちは、恋愛映画の主人公のように甘く整っていた。
「大佐、あんたに言われたものを持ってきたが」
トラックから男たちが降りてくる。
大きな重火器と、長い槍のようなロケットランチャーを持って。
「正気か、あんた。この街中であんなもの使うとは」
「当然だ、ボカノウスキー」
ボカノウスキーは、恋人に囁くように甘い口調で言った。
「もうこの街を捨てるのか。まあ、あんたには合わなかったんだろうが」
「ごたくはいいから、さっさと用意しろ」
「おい」
花世木が怒声をあげる。
「なんだよあれは。RPGじゃないのか」
「よく知ってるな、RPG9だ」
大佐は平然と言ってのける。
4台の銃機関銃と、3機のRPG9が配置されていった。
コンバットスーツの男たちが、弾薬とミサイルをトラックから運び出す。
サーチライトも設置され、小型発電機に接続されてゆく。
「ふざけるな。相手はひとりのニンジャだろうが。これでは戦争だ」
「はじめから戦争だよ」
大佐はふてぶてしい笑みを浮かべ、煙草に火をつける。
「ただ、これはあんたたちの戦争ではなく、あたしたちの戦争になった」
「何をする気だ」
「MD1の戦力は戦闘ヘリ一機分に相当する。ニンジャボーイはそれを上
回る戦力を持つならそれ相応の対応をするさ」
大佐は、獲物を前にした虎の瞳で花世木を見る。
「この街を瓦礫の山に変えてやるよ。ボスニアやチェチェンみたいにな」
「おい待てよ、大佐」
花世木は、大佐に歩みよろうとして携帯電話が鳴っていることに気がつ
く。
「ねぇ、花世木ちゃん。あんたじらしすぎ」
電話は真理谷からのものだった。
「もう待てないって。あんたも限界でしょ」
「判った」
選択の余地は既に無くなっていた。
ここで金を払わなければ、ニンジャもろとも四門は殺される。
せめてそれは避けたかった。
「どうすればいい」
「これから言う口座に3億振り込んで。入金がオンラインで確認できた
ら、悪魔くんには撤収してもらうから。あんたのとこの社長は、あんたの
とこで回収しなよ」
「おまえをどうやって信用すればいい? 解放されるという保証は?」
「無理だわそれは。信じてもらうしかないけど」
「ふざけるな、それで3億も払えるか」
「じゃあ、先に解放してあげる。一度電話切るよ。あんたの社長からの電
話を確認しなよ。でも、もし3億を5分以内に払わ無かったら殺すから」
電話が切れる。
すぐにコールがきた。
四門からだ。
「社長」
「解放された、金を払ってくれ」
意外と冷静で落ち着いた声だ。
花世木は信じてみるしかないと判断する。
「判りました」
すぐ、電話が切れる。
また、コールだ。
「今ので限界。これで信じられなきゃ、あんたおしまいよ」
「判った、ちょっと待ってろ」
花世木は黒服にノートパソコンを持ってこさせる。
銀行の24時間オンラインサービスのサイトへアクセスした。
指定された口座へ金を移動させていく。
処理が完了したポップが表示される。
「オッケー。あんたとの社長は解放する。ただ、回収は自分でなんとかし
なよ」
「ああ」
「ねえ」
真理谷は、暗く静かな声で語る。
「絶望は味わえたかな?」
「うんざりするほどな」
「そう。でも残念なからまだ、それは始まったところよ」
「くそでもくらえ、馬鹿やろう」
真理谷はけたたましく笑う。
花世木は舌打ちして、電話を切った。
そのとき、爆発音が響く。
地面が震えた。
サーチライトに照らされたビルは紅蓮の炎を窓から噴き出している。
RPGを撃ったようだ。
花世木は叫ぶ。
「おい、待ってくれ。まだ社長が中に」
大佐は振り向くと、無造作に拳銃を撃った。
弾丸は花世木の耳をかすめる。
血がしぶき、花世木は悲鳴をあげしゃがみ込む。
「がたがたうるせぇ」
大佐はものを見る目で花世木を見ていた。
「せめてものアフターサービスだ。5分だけ待ってやるからその間に失せ
ろ。その後もまだあたしたちの前をウロチョロしてたら、撃つよ」
「花世木さん」
黒服が花世木の腕をとりたたせる。
花世木はビルが黒煙と紅い焔に侵されていくのを見ながら、その場からは
なれてゆく。

百鬼は刀を研く手を止める。
携帯電話を取り出した。
操作をし、メールを確認する。
百鬼は立ち上がると、四門の手足を拘束していたワイヤーを外した。
四門は立ち上がり、百鬼に目で問いかける。
「あんたを解放する。まず、電話をしてあんたの部下に解放されたことを
知らせてくれ」
四門は溜息をつく。
どうやら、身代金を払う決断に追い込まれたらしい。
「時間があまりない。命が惜しければ手早く話を終わらせることだ」
四門は携帯電話を取り出すと、花世木をコールする。
「社長」
花世木はかなり憔悴した声を出す。
話をしたかったが、目の前に百鬼のいる状態で多くを語るわけにもいかな
い。
「解放された、金を払ってくれ」
「判りました」
要件だけを伝え終わると電話を切る。
「さあ、急ぐことだ。もうすぐここは破壊されるぜ」
「なんだって」
百鬼は、出口を指差す。
「廊下の突き当たりにビルの外部にある非常用階段へ出れる扉がある。そ
こから出ろ。そこにとなりのビルへ移れるようにラダーを用意してある」
「判った」
「運がよければ、生き延びれる。急げ」
四門は、廊下へ出ると走る。
突き当たりにある非常口を開けると、非常階段の踊り場へ出た。
扉を閉めたとたん、轟音が立て続けに起きる。
目の前にラダーがあった。
それを使い、隣のビルの非常階段へと移動する。
さっきまで四門のいたビルは、炎と黒煙に包まれていた。
それはこの世が終わる景色であるかのように、暗い空に向かって灰と煙を
噴き上げてゆく。
再び轟音と火柱があがる。
四門は急いで隣のビルへと入ってゆく。

ボカノウスキーは、焔につつまれたビルを見つめる。
大佐は、カラシニコフを構えビルからニンジャボーイが出てくるのを待ち
構えていた。
やれやれと思う。
たかが一人の日本刀を武器にしたニンジャであれば、なんとでもやりよう
がありそうだと思う。
ボカノウスキーは咥え煙草でさらにRPGがビルへ撃ち込まれるのを見
る。
さすがにこれでは、警察も黙っていられないだろう。
この島の警察くらい恐れるほどのものではないが、ビジネスをこの国で続
けるのはもう無理だ。
(いい国だったんだが)
ボカノウスキーが溜息をつき、煙草の煙を吐いた。
「シモンが脱出しましたよ」
赤外線カメラからの映像をノートパソコンで監視していたヴォルグが報告
する。
大佐は吐き出すように言った。
「そんなものほっとけ」
大佐は苛立っているようだ。
「ニンジャボーイは、なぜ出てこない。自殺する気か」
ふと、何かを感じボカノウスキーは空を見上げる。
「あきれたな」
ボカノウスキーは、煙草を吐き捨てた。
黒煙の隙間から影が見える。
パラグライダーのようだ。
「大佐、やつは自殺するつもりらしいぜ」
ボカノウスキーは空を指差した。
大佐も空を見上げる。
うめき声をあげた。
「ライトをあてろ!」
ビルに向けられていたライトが空に向けられる。
そこに浮かび上がったのは、パラグライダーを漆黒の翼のように広げた、
闇色の影のような男であった。
手には日本刀を持っている。
ライトの光を浴び、冬の三日月がごとく日本刀が冷めた輝きを放つ。
大きな翼を広げた黒い鳥というよりは、それはおとぎ話に登場する悪魔の
ような姿であった。
「気に入らないな」
大佐は唾を吐くと、カラシニコフをかまえる。
ボカノウスキーもカラシニコフを肩付けした。
「撃つか?」
大佐は、目で制する。
「もう少し待て。やつは降下してきてやがる。ふざけやがって」
「思ったほど、風がなかったんでしょうね」
ヴォルグが呟くように言った。
なんにしても、空にいては逃げようがない。
もう少しで射程内に入ってくる。
ボカノウスキーは奇妙な違和感を感じた。
日本刀が奇妙な輝きを放っている。
まるで、高速で点滅しているような、キラキラと瞬いている感じ。
それが次第に火花を放っているように見えてくる。
視界が暗くなり、ニンジャの姿が次第に小さくなってゆく。
ボカノウスキーは危険を感じて目を閉じた。
脳に衝撃が走り、意識が闇に飲み込まれる。
水の底から浮上するように、意識を取り戻した。
何がおこったのか判らない。
視力は戻ったが、身体を動かすことができなかった。
全身が氷づけにされたようだ。
他のものも同様に動けないようであり、皆空へ銃を向けた状態で立ちすく
んでいる。
あたかも、時間が止まり全てが結晶化したようだ。
ひとびとは人形化して固まっている。
そして、闇色の悪魔は地に降り立っていた。
その動きは速い。
日本刀を男たちの首筋に一瞬あてる。
血が噴き出し、倒れてゆく。
歩きながら一瞬にして、首の頚動脈を裂いていた。
ひとりに数秒しかかかっていない。
ボカノウスキーは、脳の中のスイッチを入れる。
動きそうだが、不完全だ。
大佐も頚動脈を裂かれ、地に堕ちる。
ヴォルクも血の中に沈んでいた。
ボカノウスキーが最後になるらしい。
ニンジャが後、数メートルとなったところでボカノウスキーはカラシニコ
フを撃つ。
フルオートで弾幕をはる。
掻き消すように、ニンジャの姿が消えた。
一瞬、視界の片隅に光が走る。
カラシニコフをそちらに向けた。
影のような男が視界に入る。
引き金をひこうとしたが、力が入らない。
地面に血が広がってゆく。
それが自分の血であることに気がつくのに、しばらくかかった。
ボカノウスキーもまた、頚動脈を裂かれていた。
意識が闇に飲み込まれてゆく。
目の前にいる影のような男に笑みを投げかける。
(地獄でまたあおうぜ、ニンジャボーイ)
その言葉を発したつまりだったが、それもまた闇に飲み込まれていった。

彼は久しぶりに、その場所へ帰ってきた。
夕闇のなかに沈みつつあるその建物は、戦場での爆撃を受けたように廃墟
と化している。
その、巨大な獣の屍のような建物の残骸は、血のように紅い夕日の下で
黒々と横たわっていた。
彼はギターを抱え、苦笑いしながらその廃墟を見つめる。
(派手にやりやがったなあ)
プレスの報道では、ガス漏れによる爆発事故とされていた。
報道といってもごく小さな扱いではあったが。
長らく立入禁止であったこの地区もようやく工事が再開され、彼も入り込
むことができた。
その目で見て、彼は確信する。
これは、あの男の仕業であると。
彼に百鬼と名乗ったあの影のような男がやったことに、間違いないと思
う。
何故それが報道では事故とされ、最小限の扱いとなっていたかは判らな
い。
何にしても、もうこの地区に踏み込むものは殆どいなくなった。
彼もこの場所へ来るのは、今日が最後になるだろうと思う。
馴染みの場所で、最後にもう一度歌っておこうと思った。
日が沈み、黒い巨大な屍が闇に飲み込まれていく前で、彼はギターを掻き
鳴らす。
気がつくと、その女がいた。
白いロングコートを夕闇の中に、幽鬼のように浮かび上がらせた女。
その目は何かにとり憑かれたように見開かれ、暗黒の太陽がごとき瞳を輝
かせながら。
女は彼の歌を聞いていた。
「いい歌ね」
歌い終わった彼に、女は声をかけた。
彼は口の端を歪めてそれに応える。
「つまらない歌だったら、景気づけに撃ち殺していこうと思ったなだけ
ど」
「おいおい」
女はポケットから拳銃をとりだすと、腰のホルスターに納める。
「そんなくだらないことで、ひとを撃つなよ」
「もっとくだらないことで撃ち殺されたひとを知ってるよ」
「誰だよ」
「あたしの家族」
女はにぃっ、と笑って見せた。
「なあんてね」
彼はそっと溜息をつく。
「変な歌詞ね、黒い鳥たちが夜を横切って飛んでいくなんて。あなたが
作った歌なの?」
彼は肩を竦める。
「ニール・ヤングも知らねえのかよ」
「うん」
「B52だよ」
女は目で問いかける。
「黒い鳥は、B52だ。世界を焼き尽くす爆弾を搭載した爆撃機が、夜を
横切って戦場へ飛んでいくのを見つめている歌さ。世界はゆっくり確実
に、破滅の淵へと雪崩落ちてゆく。それをただ見つめて歌うのさ、ヘルプ
レス、ヘルプレス、ヘルプレス」
女は何か楽しそうに笑い声をあげる。
「今の気分にぴったりだわ」
大きなドイツ車が女の後ろに止まった。
「あたしは、走りつづける。この街が、この国が焔と闇に沈みきるまで」
女はドイツ車に乗り込む。
「縁があったらまた会おうね」
車は走り去った。
彼はギターを担ぎあげる。
そして、闇に飲み込まれてゆくその街を後にした。




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