AWC 想い人がいるだけで 1    寺嶋公香



#338/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  09/02/15  17:59  (321)
想い人がいるだけで 1    寺嶋公香
★内容
 小学生高学年ともなると、異性を意識して不思議でない。でも、それを面に
出すのは、ためらわれる。特に男子は、誰某が好きだなんて、滅多なことでは
口にしない。恥ずかしいとか、格好悪いとか、色々あるのだ。
 もちろん、絶対にしないわけでもない。全ては雰囲気だ。
 相羽暦達の場合、その雰囲気は夏休みが始まってすぐに催された林間学校、
そこでのテントに訪れた。きっと、似た体験をした人が多くいることだろう。
 さて。
 この際、暦の好きな女子が誰なのかは、今さら言及しまい。それよりも、彼
を驚かせたことがある。男子の多くが、好きな女子として、暦の双子の姉を挙
げたのだ。
「どこがいいわけ?」
 その場にはいない姉の碧を気にする風に、周囲をちょっと見回してから暦は
聞いたものだ。
 弟の懐疑的な質問には、テント内の五人からブーイングが、速射砲のごとく
返された。重なり合ってよく聞き取れないほどだ。どうにか、「何言ってやが
る!」というフレーズのみ、確認できた。
「落ち着け。順番に話せって。うるさくしたら先生が飛んでくる」
 そうして一番遠くの一人から順に、視線を向ける暦。
「そりゃあ、暦の双子の姉さんだけあって、確かに生意気で、気が強いところ
はあるけど。他のそういう女子と違い、おしとやかにもなれる」
 余計なことを前置きに持って来なくいい。
「男と女で区別しないしな。何ていうか、碧さんとは普通に話せる」
 同じクラスに双子の姉弟がいるため、みんなは下の名前で呼ぶことがほとん
どである。唯一人、暦だけは、碧のことを姉さんと呼ぶ。呼ばざるを得ない。
「それに、優しくて面倒見がいいじゃん。一、二年の扱いなんか、先生より上
手なときがあると思う」
 年下に懐かれるということは、精神年齢が同じということかもしれないじゃ
ないか。
「そういや、汚れるような仕事でも、嫌がりもせず、どちらかと言えば進んで
やってくれる」
 委員長だから、というのもあるはずだが。
 心の中で一つずつ反論していった暦。対して、最後の五人目は、他に言うこ
とがなくなったのか、それとも真打ちは任せろという心持ちなのか、誰もが思
っていたに違いないのにこれまで言わずにいた“理由”を答えた。
「何たって、見た目が最高!」
 結局はそれかよ。――暦は額に片手を当てた。そんな彼の嘆きをよそに、先
に答えた四人も我先にと同調を示す。再び、台詞が重なり合うが、総合すると、
「そうそうそう。すっげー美人。笑っても怒ってもかわいい。モデルやるだけ
あって、スタイルも抜群! 他の女子とは比べものにならない!」
 と、こんなところか。
「見た目で決めるなっての」
「そう言われると思ったから、初めに色々と答えたんだ」
「中身を重視しているとは、とても思えないな」
「いや、でもよ。暦もよく考えてみろ。中身がほぼ同じだったら、当然、外見
を比べる。そして当然、いい方を選ぶ、だろ?」
「中身、悪いところならいっぱいあるぜ。人の背中、平気で蹴る」
「背中?」
 薄明かりの下でも、友達五人が揃って怪訝な表情をなすのが分かった。
「家で、うたた寝してしまったとき、踏んづけられたんだよ。見えてるはずな
のに、わざとらしく」
「それは、暦が邪魔になっていたからじゃないのか」
「満員電車じゃあるまいし、よける余裕はいくらでもあったぞ。それに、姉さ
んは大の字で寝ること、しょっちゅうなんだぜ」
「大の字……」
 聞き手同士、顔を見合わせる。皆、多かれ少なかれ、にやけていた。
「イメージと違うが……ちょっと見てみたいかも」
 見せてやれば、幻滅してあきらめがつくんじゃないか。そう思わないでもな
いが、碧がそう易々と隙を見せないことも、暦はよく承知している。せめて、
この場でとくとくと言い聞かせてやろう。
「おまえらがどんなイメージを持っているか知らないけど、風呂上がりなんて、
たまに、バスタオル巻いただけで歩き回ってる」
「なにーっ」
 途端に、五人と暦との距離が縮まった。暦の周りに、五つの頭が輪を描く。
「どういう状況だ?」
「どういうって……。とりあえず、おまえら、興奮しすぎ」
「てめー、いいから早く説明しろっ」
「説明することなんか、ない。そのまんまだっての」
「嘘つけ!」
 何人かの手で押され、暦は後ろ向きに倒れた。どたん、と派手な音がしたか
と思うと、男の先生の「こらっ、何を騒いでる? 早く寝んか!」という怒鳴
り声が、すぐ近くでした。聞き耳を立てていたのではないかと疑いたくなるほ
どの素早さに、暦達テント内の六名は冷や汗ものの沈黙をし、毛布をかぶった。

「なあ、暦。蒸し返すようだけれど」
 ゲームのコントローラーを握りしめたまま、勝浦(かつうら)が何事か言っ
た。しかし、ゲームの大音量のせいで、暦の耳には届かなかった。
「何? 蒸し暑い?」
 林間学校から帰っても、夏休み中ということもあり、遊び気分は抜けきらな
い。むしろ、ますます強まるばかり。
 七月末のその日も、暦は友達(当然、男子)の家に遊びに行っていた。両親
が共働きで家を空けがちな勝浦は、いくらでも騒いでいいというのを殺し文句
に、よく皆を誘った。尤も、そんな理由付けがなくたって、クラスメートの大
半は、誘われれば行っただろう。
 暦の他に呼ばれたのは、茂野(しげの)と所(ところ)だった。勝浦も含め
たこの四人は、林間学校でも同じ斑、つまり同じテントの下、あの話題で盛り
上がった仲だ。
「クーラー効いてて、下手すると、寒いくらいだぜ」
 暦の言葉を受けて言ったのは、茂野。実際、タンクトップ姿の彼は、今、借
りたタオルを両肩に掛けている。日焼けした肌が活発さを示しているが、目を
懲らすと鳥肌の立った箇所が見つかり、おかしい。
「違うよ。勝浦は、蒸し返すようだけれど、と言ったんだ」
 勝浦のすぐ隣に、片膝を立てて座っている所が注意を喚起した。眼鏡の奥か
らの視線は、しっかりと画面に向いている。ゲームを疎かにしない。
「そうなの?」
 同じく画面に集中している暦は、台詞を短縮した。おかげで、優しい響きに
なる。と同時に、ゲームも決着。終始冷静で抜け目のない所が、勝ち残った。
「で、何を蒸し返すんだ」
 喜びに浸るわけでもなく、所はコントローラーを置き、勝浦に尋ねた。その
ままゲームは中断、話を聞く雰囲気になる。
「碧さんのことさ」
 勝浦は、顔を背けながら早口で言う。改まった空気と、そこから生まれた静
けさが計算外だったのだろう。できればゲームしながら話したかったに違いな
い。
「姉さんのこと? で、蒸し返すってからには……」
 暦は少しだけ考え、じきに察した。察したが、敢えて分からないふりをし、
口を開かずにいる。できればゲームに戻りたいが、相手がいない。
 相手となるべき二名は、時間差こそあれ、暦と同じ結論に達したようだった。
「そうだ、思い出した。バスタオル」
「ああ、あれね」
 たった今気付いた風を装い、そのまま興味をなくしたかのように、コントロ
ーラーのボタンをかちゃかちゃさせる。
「状況の説明をしろ。ここなら、気兼ねなく話せるぜ」
 語気を強め、両腕を広げた勝浦。もはや開き直ったか、ゲームを放り出して
いる。よっぽど気になるらしい。しかも勝浦が特別なわけではなく、茂野はあ
からさまに「そうだ、言え言え」と煽るし、所もむっつりしているが、聞き耳
はしっかり立てているようだ。
「脱衣所に着替えがなかったから、取りに行った。それだけ」
 ため息混じりに答えた暦だが、納得してもらえなかった。
「普通、母親に頼むんじゃないか」
「何が普通なのか、分からないんだけど。俺のところは、自分でできることは
自分でするのが普通」
 父だけでなく、母も仕事でいないことがあるため、いつの間にかそれが原則
になっていた。
「……弟ってのは、ある意味、かわいそうだな。美人が同じ家にいても、何と
も感じないときた」
 呆れた口ぶりになり、勝浦は肩をすくめた。期待していたような返事は聞け
なかっただろうに、もうあきらめたのか、コントローラーに手を伸ばす。茂野
も同じようにした。
 が、最後の一人、所だけは違った。持っていたコントローラーを手放すと、
眼鏡のブリッジを中指の腹で押し上げる仕種をした。レンズがきらりん、と光
ったような……。
「ちょっと待った、暦君」
「ん?」
「さっき、着替えを取りに行った、と答えたように聞こえたんだけど、間違い
ないか?」
「……覚えていない。何を気にしているんだ?」
「取りに来た、じゃなく、取りに行った、なんだよね?」
「ああ……そう言った気がする」
「つまり、そのとき、君もまた脱衣所にいたことになる」
 所の発言に、勝浦と茂野が顔を見合わせる。空気が、ざわっと揺らいだかも
しれない。
 暦はしかし、即座に大きく首肯した。
「当たり前だろ。風呂に入ってたんだから」
「えー? ということは、もしかして、まさか、一緒に……」
 ひきつったような笑顔になった所が、暦を指差してくる。その腕が、かすか
に震えている。
「姉さんと? ああ、一緒に入ることもある」
「な、何だってーっ?」
 どかどかどかと、のし掛からんばかりの勢いで詰め寄られた。三人の顔が、
凄く近い。暦は仰け反りつつ、再びうなずいた。今度は小さく、だったが。
「み、見てるのかっ」
 そう聞く茂野の腕は、暦の服をつかんでいた。肩のタオルはもちろん、床に
落ちている。
 暦は、“何を”とは聞き返さずに、みたび、首を縦に振るのみにとどめる。
 ――つもりだったが、意に反して声が出た。
「ぐぇ」
 首を絞められた。本気でないと分かっていても、いきなりだったため、咳き
込む。「おまえー」やら、「何で平気なんだあ?」やら、恨めしさと羨ましさ
が混ざり合った台詞が耳に飛び込んで来るが、応えるどころでない。
「何にも思わないのか。君も、碧さんも?」
 所が堅い調子で聞いてくる。無理に落ち着こうとしているらしい。暦は呼吸
を整えてから、また一つため息をついた。
「……今よりも小さい頃から、一緒に入っていたからな。全然気にならない。
多分、姉さんも」
「念のために聞く。女子に興味や関心がないんじゃないよな?」
「人並みにはある」
「う〜む」
 唸って、考え込む所。静かになりかけたが、茂野が腕組みをしたまま、口を
開く。
「ほんっとに、姉弟ってだけで、無関心になれるものか? 信じられねー」
「みんな、姉妹はいないんだっけか?」
 一般論に置き換えようと、聞いてみる暦。「いない」「一人っ子」「兄貴な
らいる」と返事があった。
「じゃあ、一番近い感覚は、母親かな」
 このたとえには、うなずける部分もあったらしく、友達三人は納得した様子
を垣間見せた。その中で、所が応じる。
「ああ、分かるような。でも、それにしても、年齢が遠いか近いかで、違う気
もする」
「そうだぜ。暦は、弟と言ったって、同い年なんだし。碧さんの魅力が分から
ないなんて、かわいそうなやつだ」
 茂野が追随するが、暦としてもこれ以上は説明のしようがない。
「さ、もういいだろ。続けようぜ。それとも、ゲームの他に――」
「待てい。この際だから、聞いておきたいこと全部聞く」
 勝浦はテレビのリモコンを持ち、電源を切った。
「あとで」
「いや、次、また聞ける空気になるかどうか確実じゃないし、学校じゃ聞きに
くいし」
「しょうがないな……で?」
「で?なんて改まって聞かれたら、また言いにくい……。つまり、どんな身体
をしているのか、教えてくれないかなー、と」
「あ、それ、知りてえ」
「僕も」
 勝浦の軽い調子の質問に、茂野と所も即座に乗っかる。いずれも早口だ。
「聞いてどうするのさ」
「それは、なあ」
 三人は、ちらちらと互いに見合って、にやにやする。暦はこれ見よがしに嘆
息した。
「こっちも、言葉で表しようがない」
「暦君の感覚を聞きたいんだ。異性として見られないというのなら、どんな風
に感じているのか」
「うーん」
 適切な言い方を探して、しばし黙考した暦。万が一、姉の耳に入っても怒ら
れないような言い回しは……。
 その様が、勿体ぶっている、あるいは答を渋っていると解釈されたらしい。
所がこんなことを持ち掛けた。
「話してくれたら、夏休みの宿題を見せてあげてもいいよ」
 言うだけあって、所は勉強ができる方だ。テストでは悪くても九十点はキー
プする。
 尤も、暦だって成績は悪くないし、いざとなったら姉と協力し合って半分の
労力で片付けられるのだから、この申し出は物凄く魅力ってほどではない。
 だから特に反応しないでいると、それを再び、条件に不満なのかと受け取ら
れた。今度は勝浦だ。
「前に欲しいと言ってたゲームソフト、今でも欲しけりゃ、やるぜ」
 暦は少し考え、思い出した。確かに、いいなとは口にしたが、欲しいとは言
わなかったはずだ。どうしても欲しければ小遣いで買っている。実際には買っ
ていないからには、是非とも必要なソフトではないんだろう……そう自己分析
した。
 そんな風に反応の鈍い暦に、三つ目の条件が示された。もちろん、茂野から
だ。
「今度、学校で野球をやるとき、ピッチャーを任せる。これでどうだ?」
 茂野の投げる球はクラスで一番速く、毎回、ピッチャーを務めるほど信頼さ
れている。おかげで、三番手ぐらいの暦は、やりたくても滅多に投げる機会が
回って来ない。
 これには多少ぐらついたが、暦は我に返ってかぶりを振った。
「ものに釣られたみたいで、かえって答えにくいっての。そんなことしてくれ
なくたって、答えてやるよ、まったく」
 強い調子に、所達は「いいのか」という具合に、上目遣いで見やってきた。
「その代わり、言い触らすなよ。ここにいる四人以外に広まったら、誰かがば
らしたものとして、三人とも、俺の言うことを何でも聞いてもらう。連帯責任
てやつだ」
「分かった。それでいいよ」
 所がうなずく。
「鞄持ちでも何でも引き受けるし、給食のデザートがいるなら三日分でも」
 勝浦が例を挙げる。
「好きな女子の縦笛を、黙って借りてきてやってもいいぞ」
 そして茂野が“落ち”をつけた。
「余計なお世話」
 つい、鼻息が荒くなった暦だが、どうしたものか、そのタイミングでよい言
い回しが見つかった。
「……彫刻」
「え? 何だって」
 一斉に聞き返されると、暦は目を斜め上にそらしながら、もう一度言った。
「彫刻のイメージかな、あれは。よく知らないけれど、ビーナスの……」
「彫刻といえば、ミロのビーナス? ビーナス誕生の間違いじゃないのか? 
貝に立ってる」
「いや、ミロの方だ」
 所の指摘を否定し、さらに続けた。
「絵にも、ああいう感じのはあるのかな。でも、絵の名前を知らないから。そ
れで……彫刻のビーナスほどじゃないにしても、姉さんは均整の取れた体つき
をしていると思う」
「しかし、確か、あっちのビーナスはかなり筋肉質だぞ」
「うん、だから、それ。姉さんも腹筋が結構ある」
「嘘だろ」
 茂野がすぐさま言って、にやにやしながら暦の脇腹をこづく。
「姉と仲が悪そうに見せながらも、実は仲良しで、本当のことを言いたくない
んだろ。だから嘘を」
「違うっての。姉さんは小学校に入るか入らないかぐらいで、ダンスやエアロ
ビクスみたいな運動を始めてさ。それ以来、ずっとレッスンに通って、自然と
鍛えられたってこと」
「でも、手なんか柔らかそうだし、胸も大きいし……」
 勝浦が訝しそうに呟いた。
「関係あるか? 腹筋が付いていたら、胸が大きくちゃおかしいという理屈が
分からねえよ」
「よ、要するに」
 所が確認を取るような口ぶりで、聞いてきた。語気を荒くした暦に、探りを
入れるような感じも含みつつ。
「暦君は、碧さんを、美術品みたいに見ている、ということになるのか」
「……知らん」
 ぷい、とそっぽを向いて、今度という今度こそはと、ゲームのコントローラ
ーを握りしめた。だがしかし、一旦火の着いた異性への関心は、なかなか収ま
る気配を見せない。
「なあなあ、暦。何で碧さんは、そんなに鍛えてんだ?」
「そうそう、俺も疑問に思った。太ってるわけでもないし、必要ないじゃん」
「姉さんは、母さんにあこがれて、目標にしてるからな」
 ぼそりと答える暦。
 暦達の母はやはり小さな頃からモデルを始め、今でも通用する身体を維持し
ている。その秘訣の一つは、レッスンにあった(と考えられる)。若い内に身
体を鍛え、内側にしっかり筋肉を付けると、齢を重ねても内臓の締まりが緩ま
ず、お腹が出ない、という。
「――そんな話を耳に挟んだせいか、姉さんは母さんよりも早くから、レッス
ンを始めて、とにかく腹筋を鍛えた。あんまり鍛えすぎたら、モデルの仕事が
減るし、今はほどほどでセーブしてる」
「なるほど、と言っていいのかどうか」
 感心したような、驚いたような口調で、所が感想を漏らす。そこへ茂野が、
陽気に言葉を被せた。
「何だっていいや。美人の母親、美人の姉を持ったおまえがうらやましいぞ」
「さっきは、ありがたみが分からない弟はかわいそう、とか言ってなかったか」
 暦が聞き返しても、茂野は口笛を吹くばかりで、ごまかされた。
 と、そのとき勝浦が唐突に、「ああ、いっぺんでいいから、見てみたい。暦
が何とかしてくれたら……」と口走った。暦は反射的に、相手の頭をはたいた。
「何を言ってやがる。調子に乗るな」
「違う、落ち着け」
 片手で頭を押さえ、もう片方の手で暦を制しようとする勝浦。暦はかまわず、
詰め寄った。
「何が違うって? さっき喋ったのは特別なんだぞ。言葉で説明するのみなら
いいかと思っただけだ。それをおまえら」
 他の二人が慌てて、「言ってない言ってない」と両手を振った。
「だから、誤解だって!」
 実際に口にした勝浦も、小刻みに頭を左右に振り、否定する。
「見てみたいと言ったのは、碧さんのお腹だよ! どんな腹筋なのかなと……
だからつまり、学校の水着だと見られないから、夏休みプールか海にでも」
 勝浦は、支離滅裂とまでは行かないが、まとまらないまま話している様子が、
明白だった。
「それで?」暦が低い声で重ねて聞いた。
「つまり……つまり、暦が碧さんを誘って、俺達とプールか海に遊びに行く。
そのとき、碧さんが学校の水着じゃなく、上下に分かれたやつを着てくれたら
なという意味で……」
「……そういうことか」
 いつの間にか勝浦の服の襟元を持っていた。ぱっと手放すと、勝浦はぐった
りとした体で、絨毯の上にへたり込む。いわゆる女座りみたいになっていた。
「俺の早とちり。ごめん」
 素直に悪かったと感じ、頭を垂れる暦。勝浦も胸元をさすりながらではあっ
たが、「いいって。分かってくれりゃ」と応じた。
「にしても、やっぱり仲のいい姉弟なんだな」
 場の空気を見て、茂野がすかさず口を挟む。さらに所の追い打ちが。
「勝浦の言葉を、裸に受け取る辺り、女性を全然意識していないってことでも
ないみたいだし」
 暦は一瞬、肩を震わせてから、声を張った。
「おまえら、うるさいっ。いい加減、他の話に移れ!」

――つづく




#339/598 ●長編    *** コメント #338 ***
★タイトル (AZA     )  09/02/15  18:00  (284)
想い人がいるだけで 2    寺嶋公香
★内容

「うん?」
 髪を洗い終わり、まとめた状態にしてキャップを被った碧が、視線にふっと
気付いたように、暦の方に目を向けた。
 湯につかり、バスタブの縁に腕を載せた格好だった暦は、瞬きを何度かした。
いつもの通り、恥ずかしさはみじんもないが、いつもと違うのは、暦が碧の身
体をじっと見ていたこと。
「何? 何かおかしい?」
 口元で笑った姉に、暦は聞き返した。碧はタオルを石けんで泡立てた。
「ちょっとね。我が弟も、やっと異性の身体に興味を持ったかしらと」
 答えたあと、左胸から洗い始める。
「興味がないことなんかないって、ずっと前から言ってるだろ。ただ、今日、
友達に言われて」
 夕食を前に、相羽家の子供二人は入浴中だった。普段は、一日の出来事をお
互いに喋って過ごす時間、空間。今日もそれと大差はないが、少しばかり趣が
異なることになろう。
「何なに? 私のことが出たの?」
「うん……。姉さんは、クラスの男子に人気があることを、分かってる?」
「そりゃあもう」
 自信ありげにうなずいた碧。目を細めて、やけに嬉しそうだ。
「これだけの美人を放っておく男子の数なんて、クラスでは弟のあなたを除け
ば、片手で、ううん、じゃんけんのチョキで足りるんじゃないかな。なんちゃ
って」
「調子に乗んなよなー」
 実際にチョキを作って、ピースサインのようにポーズを取る姉へ、暦はため
息混じりに言った。
「その男子のほとんどが、恐らく、風呂に入っているときの姉さんの姿を想像
したことがあるんだ」
「……でしょうね」
 微笑みを浮かべたまま、身体を順次、洗っていく碧。
「恥ずかしくない? それか、気持ち悪いとか」
「全然恥ずかしくないと言ったら嘘になるけれど。気持ち悪くはないわよ。好
きな相手のことをあれこれ想像するのって、普通。暦も好きな子の裸、想像し
たこと、あるんじゃないの」
「答えなくても、分かってるくせに」
「まあね。あ、そうか。好きな子に気持ち悪く思われやしないか、不安だった
のね。それで、私に聞いてみて、女子の一般的な答にしようと考えたわけだ?」
「違うって」
 だいたい、姉の答を他の女子に当てはめていいのかどうか、判断しようがな
い。
「じゃあ、何よ」
「一緒に泳ぎに行かないかと誘われたら、行く? 行かない?」
「? つながりが見えない」
 二の腕をこすりながら、碧は首を傾げた。暦は急ぎ、言い足した。
「だから、色々と想像されても気持ち悪くないのなら、一緒に泳ぎに行くこと
くらい、楽勝だよなって意味」
「――あなた、友達から、私を誘うよう、頼まれたのね」
「簡単に言うと、そう」
「最初っからそう言えばいいのに。回りくどいわね」
「当日はセパレートの水着にしてくれ、という理由も説明したかったんだって
ば!」
 ちょっと声を大きくすると、風呂場ではよく響いた。思わず、首をすくめる。
「セパレート? そう言われても、理由がまだ分かんないんだけれどな」
「あいつらの話をかいつまんで言うと、学校とは違う格好で泳いでるところが
見たいってさ。嫌なら、断っとく」
「別に。まあ、女子が私一人じゃ寂しいな」
「誰でもいいから、友達を誘えば? 少なくとも、こっちの方は、女子が増え
て嫌がる奴なんていないと思う」
「誰でもって、小倉さんでも?」
「な、何で、そこで小倉さんお名前を特別に出す?」
「言わずもがなでしょ。ま、暦の言う“あいつら”全員が一人ずつ、女子を誘
うことに成功したら、私も参加するわ」
「無理だって。第一、それができるくらいなら、来てくれって姉さんに頼まな
いと思うぞ」
「暦、そろそろ交代」
 話題を打ち切り、腰掛けたまま、背中を向ける碧。身体や髪を洗うのと湯船
に浸かるのとを交代する。その前に、背中の流しっこだ。
「今、背中をごしごししろと命じられると、力一杯ごしごししてしまいそうだ」
 湯船から出て、泡を吹くんだタオルをぎゅっと握りしめる暦。碧は肩越しに
目だけ振り返って、釘を刺した。
「だめよ。肌を傷めるような真似をしたら、私だけじゃなく、母さんが大目玉
よ。仕事に差し支えることは、凄く怒るから。大勢の人に迷惑を掛けるって」
「分かってるよ。わざわざ、爪も切らせてもらいました。」
 念のため、自分の指先をじっと見つめる暦であった。よし、問題ない。
「その代わり、聞かせてよ、姉さん」
 碧の背の表面にタオルを滑らせつつ、暦は尋ねた。
「何が、その代わり、なの」
「つまり……小倉さんの名前を出したその代わり。逆襲だよ。姉さんの好きな
男子の名前、教えろ。教えてくれ。教えてください」
 斜め後ろから横顔を見、反応を伺いつつ、暦が言葉遣いを変えていった。姉
は気を悪くした風もなく、「そうね」と人差し指を自分の口元に持って行くと、
考える仕種。程なくして答があった。
「いないなあ、男子は」
「え」
 手が止まる。
「男子は、ってことは、まさか姉さん……」
「違う違う。ばかね」
 間髪入れずに否定し、それから笑いをこらえるのに苦労する様子が、ありあ
りと伺えた。
「ばかと言われるほど、的外れか?」
「手を動かして、暦。素早くやってくれないと、お互い、湯冷めしかねない」
 暦は仕方なく、手の動きを再開した。
「それで? 男子にいないというのは、どういう意味?」
「同級生にいない、ということ。もっとはっきり言えば、同じ年頃の子にはい
ません。納得した?」
 今度はしっかり振り返り、意地悪げな笑顔を見せる碧。暦は軽く舌打ちし、
「納得した」と応じる。それから、背中全体に湯を掛けてやりながら、「でも」
と付け足した。
「じゃあ、大人なんだ、好きな相手って」
「そうよ。――ありがと」
 身体の向きを換え、今度は、碧が暦の背をこすってやる。暦は少し考え、鎌
を掛け気味に聞いた。
「里中(さとなか)先生?」
「うん? どうして。さっきのあなたの疑問、そのままお返しよ。どうして里
中先生の名前が出てくるのか」
「だって、先生の中なら、里中先生と一番仲がいいように見えるよ、姉さん」
「そうかもね。だけど、好きな相手というのとは違うわ。第一、先生に限定す
るのがおかしい」
「えっ、けれど、大人って、他に考えられ……」
 語尾が消える。碧はレッスンを受けているから、そっち方面の関係者がいる
のだ。当然、男性もいる。暦は詳しくは知らないが、若くて格好いい人も一人
や二人、いや、もっといたような。
「誰? 僕の知らない人なら、あとで写真を見せてよ」
「ううん。知っている人よ。間違いなく、会っているしね」
「……もったいぶらず、名前を言ってくれっ」
「――ああ、もう。ほら、動くから、ほっぺに泡が着いちゃった」
「あとで取る。それより名前」
 後ろを向いた暦は、また顔を前向きに戻し、返事を待つ。思わず、貧乏揺す
りが出た。
「はいはい、じゃ、教えるけれど、誰にも言ったらだめよ」
「分かった。約束する」
 暦がそう応じると、碧は洗面器をお湯で満たしながら、何事か言った。断片
的にしか聞こえなかったが、それでも暦は、え?と驚いた。信じられず、再び
振り返ろうとしたところへ、ちょうど背中を流すお湯が。
「うわっ!」
 顔、特に口にお湯が掛かって、むせる。
「だ・か・ら、動かないでって言ってるでしょ。私のせいじゃないからね」
 暦はかまわず、しかし多少咳き込みながら、確認を試みた。
「誰だって? もういっぺん」
「何度も言わせないでよ、しょうがないわね。地天馬さんよ」
 答えた姉は、当たり前のような顔をしていた。

「分からないな」
 暦は机に向かった姿勢で、幾度目かのつぶやきを繰り返した。
 食事を含む家族団らんの時間を過ごしたあと、只今は自分達(暦と碧)の部
屋で、とりあえず、夏休みの宿題に取り組んでいる。
「分からない問題は、あとで一緒に考えるんだから、次に進めば?」
 右方、やや後ろから、碧の声があった。これまでいくらつぶやいても返事が
なかったのが、やっと反応してくれた。
「宿題じゃなくてさ。風呂でのこと」
「地天馬さんを好きだって話? いいじゃない、別に」
 碧はノートを閉じた。最低ラインのノルマはこなしたという証だ。折角のチ
ャンスに、暦は話を続ける。
「地天馬さんなら、僕も好きだけど、姉さんの言う意味は、文字通り、恋人に
ってことなんだよね」
「あなただって、そのつもりで聞いたんでしょう。違った?」
「違ってない」
「何が分からないわけ? あり得る答じゃない」
 相変わらず、この件に関しては当然と言った表情を崩さない碧。小首を傾げ
た弟の前で、姉はさらに続けた。
「当人の目の前で言うのはおかしいかもしれないけれど、我が家にはいい男が
二人もいるんだもの。お父さんと暦。私、まだ小学生なのに目が肥えてしまっ
て、仕方がないわ。身近な人で、お父さんや暦に並ぶ男性なんて、そうそうい
ない。地天馬さんぐらいよ」
「僕のこともはともかく」
 ほんと、本人の前でそんなこと言うなよ、と思いつつ、口には出さない暦。
ただし、目の下辺りが少々赤くなっていたけれども。
「しかし……それにしたって、年齢が。地天馬さんて、いくつ?」
「知らない。歳の差を気にするの?」
「でもさ、限度が……」
 指折り数えてみようとする。
「母さんが地天馬さんと初めて出会ったの、母さんが子供のときだったって。
そのとき、地天馬さんはもう探偵をやっていたそうだから、どんなに若く見積
もっても……当時すでに十九?」
「中学を卒業してすぐ、探偵を開業されたのかも」
「そんな無茶な」
「分かってるって。十九歳でも若すぎるわ。常識的に判断すれば、若くて二十
二、三。実際は、三十前後じゃないかしら」
「じゃあ――母さんの今の年齢から十いくつかを引いて、二十二を足す。それ
が地天馬さんの今の推定年齢、最も若いパターン」
「うーん、およそ三十四かぁ」
「何でそうなる! 母さんが二十代になるじゃないか」
「二十四、五歳で充分に通用するのよねえ。ある仕事で、同じ年代の女性カメ
ラマンがいてさ、その人から恨みがましく、『碧ちゃんのお母さんて、魔女じ
ゃないの?』と言われたことがあるわ」
「はぐらかすなっ」
 暦が怒ってみせると、碧は「ふう」とため息をついて、微笑みを返して来た。
「あのね、暦。あなたの言ってることぐらい、私にだって分かる。そんな無理
に若く見積もって計算しなくても、そうね、地天馬さんは多分、五十から六十
の間。私なんか相手にしてもらえないだろうけど、でも、今、あの人を好きな
気持ちには変わりない」
「そうじゃなくってさ。現実問題、地天馬さんが独り身ってことはないぜ。つ
まり、姉さんが結婚できる年齢になったって、地天馬さんとはまず結婚できや
しないじゃないか」
「……そこまで具体的に思い描いていたわけじゃないけれど」
 腕組みをして、考え込む碧。そのポーズのせいで、冗談なのか本気なのか、
暦には見極められない。でも。
「とにかく、今の私は地天馬さんがいいの。好きなの」
 そう言い切った姉の横顔を見ていると、本気のように思えてきた。
 今の内に、何か対処しといた方がいいんじゃないか。そんなことまで考えて
しまった。子供らしい、考えすぎなのだが。

 物語は一足跳びに半年あまり先へ。二月の中旬に入ろうかという頃合いに。
「最近、妙に男子が優しい」
 下校の途中、友達が一人離れ、二人離れしていき、姉と弟だけになったとこ
ろで、碧が呟いた。
「やっぱり、あれかしらね」
「あれっていうと……」
 察しは付いたものの、皆まで言わない暦。分からないようなふりをし、相手
に委ねる。
「お菓子メーカーに躍らされる日のことよ。そんなにチョコレートがほしいも
のかと」
「チョコレートがほしいんじゃなくて、相羽碧って女の子から、何かプレゼン
トがもらいたいんだよ」
「うん、そこなんだな、問題は。好かれるのはいいの。私、基本的にイベント
好きだし、躍らされるのなら楽しく躍りたい。ただ、何をもらえるんだろうっ
て、期待されるのが困るのよ」
 お喋りに熱が入る。その度合いとは反比例して、歩みは遅くなる碧。暦は合
わせた。
「何でもいいんだって。たとえ五十円のチョコを剥き出しでもらっても、喜ぶ
に決まってるさ、あいつら」
「そのくらい、分かってる。でも、だからってほんとに素っ気ない、十把一絡
げみたいなプレゼントですませるなんて、私にはできないのよねー」
「義理でも渡すからには……ってやつ?」
 探るように尋ねる暦へ、碧は黙ってうんうんと頷いた。暦はからかうような
笑みを作り、冗談交じりに言葉を重ねてみた。
「そうして、一ヶ月後のお返しに、いい物をもらうと」
「いやいやいやいや」
 今度は一転、横方向に激しく首を振った碧。
「お返し、いらないわよ。私がお返しをほしいのは、好きな人からだけ」
「そういえば、バレンタインデー、地天馬さんに何か渡すつもり?」
「当日、直に渡せるようならね」
 恐らく、その条件を満たすのは難しい。相手に依頼が入っていないことを筆
頭に、クリアすべきハードルが多い。
「みんなに、姉さんが好きなのは、遥か年上の探偵だってこと、言ってもいい
かな」
「何で」
 不思議そうに口をすぼめ、弟を見つめ返す碧。
 暦は逆に視線を外し、言い訳がましく答えた。
「そりゃあ、みんなから聞かれるし。教えないでいると、うるさいったらあり
ゃしない」
「ふふん、言いたくなるのも分かる。あんた自身は知れ渡っているものね、好
きな女の子」
「違っ。そ、そういうのじゃない」
 一瞬、振り向いた暦だが、赤面している気がしたので、すぐに戻した。
「ただ、現実を知らないせいで、希望を持ってる奴がいたら、かわいそうと思
わないかってことだ」
「あはは。知った上で、それでも希望を持ち続けてくれる男子なら、見込みあ
ると認めてよさそうっ」
「こっちは、ていうか、男の側としては真剣なんですけど」
「私も真剣だよ。そうね、年上の知り合いが好きだってことは言ってもかまわ
ない。ただ、その人が探偵だとは言っちゃだめ」
「どうして」
 顔の火照りも消えた暦は、姉の顔をまじまじと見た。微笑を添えての答がす
ぐに返る。
「もしかしたら、よ。それなら自分も探偵になる!って言い出す人が、いない
とも限らないでしょ」
 暦にとって、思いも寄らぬ理由だ。姉のことをよいと言う男子の面々を、ひ
とりひとり思い浮かべてみた。さもありなんというタイプ、確かにいる。
「そういう奴がいても、別にいいじゃないか」
「私が求めるのは、名探偵だから。名探偵はなるものじゃなく、いつの間にか
そうなっているものだと思わない? 努力と才能、そして運命によって決まる
存在」
 暦は無言でいたが、心の内では、そうかもしれないと思った。少なくとも、
努力だけでは辿り着けそうにない。
「そんな名探偵を目指させるなんて、忍びないじゃない」
「けど、ひょっとすると、中には一人ぐらい、才能のある奴がいて、そいつの
運命のきっかけが姉さんにあるんだとしたら……」
「可能性、極端に低そうだけど、ロマンチックね。うん、それだったら、あり
かも」
「それなら――」
 暦は言い掛けて口を噤んだ。姉にとって年齢的に釣り合いの取れた異性が現
れる余地を、少しでも広げておくには、職業探偵であることも皆に教えておく
べきだ。そんな風に考えた。
 二人の歩く速度がいつの間にか逆転している。振り返った姉は、訝しげに眼
を細めていた。
「途中で言うのをやめるなんて、怪しい」
「大したことじゃないよ」
「よからぬことを考えているのなら、私にも手があるんだからね」
「手?」
 ウィンクをした碧に、暦はぞくっとして身を引き気味にする。鞄の中で、乾
いた音がした。筆箱と縦笛がぶつかったらしい。
「たとえば、そうね、『相羽暦くんは私と一緒にお風呂に入ります。しかも、
近頃は身体をじろじろ見てきます』って、小倉さんに教えてあげるとか」
「偽情報反対!」
 好きな女子の名を出され、暦はそう抗議するのがやっとだった。

           *           *

 数年後、相羽碧のために名探偵を目指す男の子が、本当に現れる。だけれど
も、当然ながら、まだ本人達は知らない。
 その話については、また別の機会に。

――おわり




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