AWC 小説の書き方1     つきかげ



#316/598 ●長編
★タイトル (CWM     )  08/02/19  02:15  (155)
小説の書き方1     つきかげ 
★内容                                         08/02/19 23:28 修正 第2版
「小説の書き方を、教えてください」
 彼女は、入ってくるなりそう言った。灰色のジャケットに空色のブラウスと
いう、うちの学校の中等部の制服を着ている。
 ただ、彼女が普通の中等部の生徒と異なるのは、黄昏の太陽みたいに黄金色
に輝く髪を持っているのと、冬の青空のような蒼い瞳で僕を見つめていること
だった。そしてフェルメールの絵に登場する少女のように神秘的で整った顔を
僕にむけ、笑みを浮かべている。
 僕は、戸惑いながら彼女に聞いた。
「君は、一体誰だい」
 彼女は、怪訝な顔で一瞬僕を見たが、すぐ笑みを戻して答えた。
「ここの中等部の生徒ですよ。クレア・風音といいます。今日転校してきまし
た」
 僕は、納得した。いくら中等部の生徒であったとしても、これだけ目立つ娘
がいれば知らないはずはない。
「風音さん、」
「あの、クレアと呼んで下さい。そう呼ばれるほうが好きなんです」
「じゃあ、クレア。なぜここに来たの? ここは高等部の文芸部の部室だよ」
「えっと、中等部の文芸部には小説を書く人がいてなかったので」
「なるほど」
 僕は溜息をつく。いまや、文章を綴って物語を編み上げるというのは、古典
芸能的なものになっているらしい。
「では、自己紹介をしておこうか。僕は蛭間といってここの部長だ。さらにい
っとくと事実上活動している部員は僕だけだ」
「知ってますよ。中等部で聞いてきましたから。それと蛭間さんの文章も読ま
せていただきました」
 クレアは無邪気な笑みを浮かべて、晴れ渡った青空のような瞳で僕を見つめ
る。
「じゃあ一応質問しておこう。なぜ小説の書き方を知りたい?」
「小説を書きたいからです」
「うん。では、なぜ小説を書きたいんだろう?」
 クレアは少し戸惑った顔を僕に向ける。
「言わないと、いけませんか?」
「強制はしないさ。ただ答えによって教え方が変わるかもというのはある」
「ただ書きたいから、ではだめでしょうか」
「十分さ。では、教えてあげよう。小説の書き方を」
 僕はクレアにほほ笑みかける。彼女はまじめな顔で、僕を見つめた。
「まず、小説以前に文章をくこと自体に色々作法がある。例えば、三点リーダ
ーの使い方、感嘆符や疑問符の使い方、それに句読点や括弧の使い方にももち
ろん作法がある」
 神秘さの漂う瞳で僕を見つめるクレアに、話を続ける。
「小説の書き方そのものについても、色々やり方はある。例えばストーリーに
対するプロットの立て方。事実を時系列に並べていくのはストーリーで、それ
に対していかに物語を組み立てるかはプロットといえる。また、シナリオ理論
ではミッドポイントというのがある。映画なんかは言ってみれば俳句のように
厳密なフォーマットを持っているんだ。まず、三つのステージに分けられる。
それを序、破、急と呼んでもいい。このステージはほぼ時間を等配分される。
さらに二つ目のステージ、つまり破の部分の丁度中心。そこにミッドポイント
がある。このポイントで決定的に物語が動き出すような事件を持ってくる。あ
あそれと、視点の問題もあるね。その物語は誰の目を通して語られるものであ
るかを、意識しておく。そしてその視点から世界をみるカメラワークも意識し
ておく必要がある」
 僕は少し言葉を切って、クレアを見つめる。クレアはにっこりと僕に笑みを
投げかけた。
「こうしたものとは別に、哲学者のジャック・デリダの言っていたパフォーマ
ティブ、コンスタティブという概念もある。小説は基本的にはパフォーマティ
ブな言説だと言える。それは何かを伝えるということよりも、表現するという
ことに重きをおく言語だということ。だけどコンスタティブな言説として小説
を機能させることも可能だ。特殊な例をあげると森鴎外の舞姫。あれはたった
一人の人間に伝えたいことがあったが故に、コンスタティブな機能を付加され
ている」
 クレアはじっと僕のいうことに耳を傾けているようだ。
「で、いよいよ本題に入ろう。小説を書くにはどうしたらいいか? まず僕が
今説明した事は全部忘れていい」
「全部、ですか?」
 クレアの問いに、僕は答える。
「そう、全部だ。必要なのは一つだけ」
 クレアはにっこりとほほ笑みながら、僕の言葉を待っている。
「生きた言葉を書くことだ」
「生きた言葉?」
 クレアの問いに僕は、笑みを返す。
「作家のウイリアム・バロウズは法律の条文や契約文章といった生成文法に対
して忠実な文章をさして、死んだ文章、ゾンビの文章と呼んでいる。小説は本
来そうした文章と対極をなすものだ。さて、生きた文章を書くというのは簡単
な話のように聞こえる。でも、実際どうすれば生きた文章をかけるのか。クレ
ア、君はどう思う?」
 いきなり問いかけられて、クレアはえ? という表情になる。戸惑い気味に
僕を見つめた。
「これも答えはとてもシンプルだ。書きたいことを書けばいい。魂の要求に忠
実であればいい。そして、いつも心の奥底へと沈んでゆき、そこから湧き上が
るものに耳を傾けるんだ。判るかいクレア」
 クレアはにっこりとほほ笑んで、僕に頷いた。
「判ります。私の知りたかったのはそれです」
「それ?」
「ええ。心の奥にあるものにどう形を与えるかということ」
 僕は笑った。
「それなら、わざわざ僕に聞くことなんてなかったはずだ。意識を空白にして
自分の中だけを見つめること。そうすれば、心は自然と語り出す。それはある
意味釣りに似ているね。無意識の大海に向かって針を下ろす。釣り餌として血
を流すことを要求されるかも知れないが、大したことじゃない。肝心なのは待
つこと。あせって釣り上げる前に書き出さないことだ」
 そのとき、突然僕たちは声をかけられた。
「おい、なにしてるんだ」
 クレアは悪戯を見つけられた子供のように、すこし舌をだすとふりむいた。
「カイ、ごめんなさい」
 少年がドアのそばに立っていた。中等部の制服を着ていたが、クレアとは別
の意味で目立つ格好である。金色に染め上げられ逆立った髪。耳には幾つもの
ピアス。鋭い光りを放つ瞳は僕を射貫いている。
「クレア、もう帰る時間だぞ。速くしな」
「はあい」
 クレアは立ち上がると、僕にぺこりと頭を下げた。そして、カイのほうへと
駈けて行く。部屋からでたクレアと入れ替わりでカイが僕の前まで歩いてくる。
「あんたが、蛭間さんか」
 カイは真っすぐ僕を見つめ、品定めをするように言った。
「そうだけど」
 僕はパンク風スタイルの少年の無礼なものいいは、無視した。
「君はクレアと同じ転校生なのかい」
 カイは、少し口を笑う形に歪め答える。
「そうだ。なあ、蛭間さん。クレアはえらくあんたの書いたものが気に入った
ようでね」
「へえ、大したものを書いた覚えはないんだが」
「ああ。大したものじゃあなかったな」
 僕は苦笑する。
「君も読んでくれたのか。ええと」
「天河海。カイと読んでくれ」
「カイ、どの作品を読んでくれたんだい?」
「作品というほどのものとは思えなかったが」
 僕はカイの挑発的な口調に、肩を竦める。
「フランスの修道士が中東へ行って、グノーシスの秘密を悪魔、つまりバフォ
メットの姿に身を窶した救い主から教わったというやつ。キリストはイエスに
宿った別の次元界からきた生命体、とかいう馬鹿げたことがグノーシスの秘密
だった、ていう話だ」
 僕は、カイに頷きかけた。
「ベルナール・ド・クレルヴォーをモデルにして書いたやつだね。君の感想は
どうなんだい? カイ」
 カイはシド・ヴィシャスのように口を歪める。
「うんざりしたよ」
「へえ、どのあたりが」
「いかにもクレアが気に入りそうなあたりだよ」
 僕は苦笑する。これだけ判りやすいと、清々しいものがあった。カイは僕を
睨みつける。
「なあ、蛭間さん。ひとつ警告しておこう」
「なんだい」
「クレアに関わらないほうが、身のためだぜ」
 僕は思わず笑ってしまった。カイは憮然とした顔付きになる。
「なあ、判ってないようだが」
「判ってるよ。僕からも一つ言わせてもらうが君はどんな権利があってクレア
を束縛するんだ」
 カイは疲れきった顔になる。
「そんな話してねえだろうが。おれはあんたに」
「彼女は僕に小説の書き方をきいた。僕は教えた。今日の話の続きを聞きにく
れば、僕はまた説明をする。それを止める権利は君にないだろう」
 カイは少し哀れむように僕をみた。
「めんどくせえな、あんた。好きにすりゃあいいよ。ただ一つだけ言っとくが、
間違いなく後悔することになるぜ。おれたちは」
「君と僕がかい? 君はクレアのなんだい」
「やっぱ、あんたうぜえよ」
 そのとき、ドアのところから声がした。クレアだ。
「カイ、いつまで待たせる気なのよ」
「おう、今行くよ」
 カイは、僕を殺しそうな目で見つめた。僕はくすくす笑って眼差にこたえる。
「さよなら、カイ」
「あんたは、どうしようもない馬鹿だぜ蛭間さん。殴ってやりたいところだが
、意味がないんでやめとくよ」
 そう言い終えるとカイは部屋から出た。なんとも可愛らしいカップルじゃな
いか。問題は痴話喧嘩に僕が巻着込まれていることだが。




#317/598 ●長編    *** コメント #316 ***
★タイトル (CWM     )  08/02/19  02:21  ( 80)
小説の書き方2     つきかげ
★内容
 クレアが再び僕のところへ来たのは、その翌日の同じくらいの時間帯だ。秋
の陽が傾き西の空が黄金色に輝いて、部室が紅い光りに満ちたころ黄昏時の影
に身を包んだクレアが現れた。
「蛭間さん、昨日はごめんなさい」
 僕は、クレアにほほ笑みかける。
「謝ることなんてなにもないと思うけれど」
「カイったらお節介なんです。私が蛭間さんにとんでもなく迷惑をかけると思
っているのよ」
「まさか」
 僕は笑った。
「クレア、君に迷惑をかけられるなんて思ってないよ」
「私は蛭間さんに、私の書いた小説を読んでもらいたいだけなのに」
「なんだって?」
 驚いた僕に向かって、クレアは紙の束を差し出す。そのA4の用紙には、文
字がぎっしりと印刷されていた。僕はその紙を繰る。それなりにしっかりとし
た文章が綴られているようだ。
「読んでいただけますか、私の書いた小説」
 僕は文章を目で追いながら、頷きかける。
「もちろん、読ませてもらうよ。驚いたな、いきなりこれだけのものを書くな
んて」
「蛭間さんに教わったとおりにしただけですのよ」
 僕は驚いて、クレアを見る。クレアは満足げに微笑んでいた。
「自分の心を見つめて、そこにある書きたいものだけを、書いたの」
 僕は手元の紙とクレアを見比べた。ある意味僕は呆れている。昨日、僕がし
た説明はどちらかといえば書き方というより、心構えか覚悟のようなもののつ
もりだった。そこから実際に書くまでには、それなりの手順が必要なはず。い
きなり完成品ができあがるはずはない。
 とすれば、昨日の説明を聞く前にこの小説は出来上がっていたのではないだ
ろうか。それでは、なぜ僕に小説の書き方なぞ聞いたのだろう。おそらく僕に
聞きたいことがあったのではなく、むしろ伝えたいことがあったということ。
 そう思ったが、そんなことは口にださない。
「じゃあ、私そろそろお暇します。カイがうるさいのよね。私を守る騎士らし
いんだけど」
 僕は、苦笑した。
「この小説は預からせてもらおう。明日には読み終わっているよ」
 クレアは微笑んだ。
「明日またきます」
 クレアを見送り、僕は腰を降ろすと小説へ目をおとす。クレアは僕の小説を
読み、僕に興味を持った。彼女は僕に小説を読ませたいから、僕に小説の書き
方を聞いたわけだ。そのほうが、僕に小説を読ませる理由をつくりやすい。け
れど、なぜ?
 僕は、気配を感じ顔をあげる。入り口のところに夕日を背にうけ、痩身の悪
魔のように黒い影となったカイが立っていた。逆立った金髪が夕日を浴び、暗
い炎のように輝いている。
「やあ、聖女の守護騎士くん。彼女はもう帰ったよ」
 カイは、うんざりした表情になる。
「しゃれになってないんだよ、蛭間さん。クレアが帰ったことなら知っている
よ。あんたに用があるんだ、蛭間さん」
 相変わらずのものいいに、苦笑する。
「なんだい、カイ」
「いくらあんたでも、その小説を読んだりしないよな」
 なぜか僕はカイの表情にぞくりとした。カイの顔からは、感情というものが
削ぎ落とされていたからだ。
「どういう意味だい」
 カイはやれやれと首をふる。
「あんたは馬鹿のふりをしているのではなく、本当の馬鹿かと思うことがある
よ。いくらあんただって、なぜクレアが小説を読ませたがっているのか見当つ
いてるんだろう?」
 僕は肩を竦める。
「クレアが小説を僕に読ませる理由が判らないと馬鹿だというのなら、僕は馬
鹿だよ」
「馬鹿なら馬鹿らしく、素直に警告を聞けってんだ」
 僕は手を広げた。
「めんどうくさいのは君だよ、カイ。クレアを拘束したいなら、力ずくでやっ
たらどうだい」
 カイはまた、哀れむように僕をみた。
「それができるんなら、苦労はしないよ」
 そう言い終えるとカイは踵をかえした。
「カイ」
 僕の呼びかけに答え、カイは足を止める。
「もう一度聞くんだけど。君は、クレアのなんだい」
 カイは振り向かずに答える。
「さっきあんたが、言ったとおりさ」
 カイはそのまま立ち去った。僕はため息をつくと小説に目を落とす。さきほ
どのカイが見せた表情が、蘇る。僕は苦笑した。中等部の子供がやってる恋愛
ごっこに、なぜ僕がつきあわねばならない。
 僕は、その小説をほうりだそうとして……思い止どまる。なんにしても、も
のを書く人間として同じ書くことを行う人間が作ったものを無視はできない。
書いた理由はともあれ。
 僕はクレアとの約束は守ることにした。




#318/598 ●長編    *** コメント #317 ***
★タイトル (CWM     )  08/02/19  02:28  ( 81)
小説の書き方3     つきかげ 
★内容                                         08/02/19 23:32 修正 第2版
 既に日は落ち、夕闇がより深くあたりを満たしている。クレアの小説を読み
切ってしまったが、思ったより下校時間が遅くなってしまった。あいにく夜に
なるとともに天気も崩れてきており、僕は冷たい雨が幾万もの刃となって降り
注ぐ中、家路を急いでいる。
 運河の傍に作られた歩道近くまで、水位が上がっていた。東京は半ば水没し
ており街は縦横に走る運河によって、埋め尽くされている。僕の背後にはグレ
ートウォールと呼ばれる巨大な防御壁が、黒く聳えたっていた。
 グレートウォール。
 かつて東京を環状に走っていた鉄道の高架線に沿う形で、押し寄せる海を堰
止める防御壁が築かれている。その昔山の手線が囲んでいた内側には、海に犯
されていない街があった。そこに僕が通う聖キリア学園がある。
 聖キリア学園は、丁度グレートウォールの内側すぐの所にあった。そのせい
か、グレートウォールの内側にある普通の学園と違って、僕のように外から通
う生徒についても編入テストにさえ合格すれば受け入れてくれる。
 ただ、グレートウォールの外と内では世界の荒廃具合が全く違うため、外の
世界から聖キリア学園へ通う生徒は稀だ。外の世界は広大なスラム街となって
いる。
 グレートウォールの外側は、運河の中へ沈んでいた。そして、運河には無数
の筏が浮かんでいる。それらの筏は運河の上を渡る橋につなぎ止められており、
その上に小屋があった。グレートウォールの外では、筏に乗った小屋で生活し
ているものが多い。僕は、無数に立ち並ぶ筏の上にある小屋の間を抜けるよう
にして、家へ急ぐ。
 僕が住むのは小高い丘に建っているため、水没を免れたマンションだ。老朽
化した建物で、一部屋の広さは辛うじて人が一人生活出来る程度の広さではあ
るが、水没していないだけましといえる。
 運河の上を渡る橋は、複雑に組合わさっており、立体的な迷路のようになっ
ていた。夕暮れ時には、橋の上に無数の屋台が出現し賑やかになるのだが、今
日は雨が降っており時間も遅くなってしまったせいで人どおりは殆どない。
 やがて闇があたりを覆い尽くす。闇とともに、霧もでてきたようだ。僕は迷
路のような橋を渡りながら、次第にいやな予感に捕らわれ始める。どうも、道
に迷ったらしい。
 歩いて二十分程度の距離なので、普通なら迷うような所では無かった。ただ、
今日のように視界が悪く夜にかかるような時間帯であれば、道を間違う可能性
がある。
 曲がり角一つ間違えると、迷路化して複雑な立体交差をもつ橋は、全く別の
所へと僕を導く可能性があった。僕は、ふとクレアの書いた小説を思い出す。
彼女の小説の中でも、僕と似た主人公が道に迷っていた。丁度今の僕と同じよ
うに雨に降られながら、霧に包まれながら。そして、空には小説と同じように
死神の鎌と同じような三日月がでている。僕は苦笑した。
 僕は多少焦り始める。グレートウォールの外側は決して治安がよいとはいえ
ない。まあ、僕のような貧乏学生が狙われる可能性はとても低いのだが、単に
誰のでもいいから血を見ることだけを望む麻薬中毒の変質者が少なからずいる
ことも確かだ。
 焦りを感じながらも、僕は無意識のうちにクレアが書いた小説のストーリー
を思い浮かべる。確か僕に似た主人公は、霧の立ち込める闇の中で歌声を聞く。
まるでいにしえの森奥深くで、精霊たちを讃えるシャーマンの声を思わせる歌
声。
 僕はふと、立ち止まる。
 声が聞こえた。いにしえの深い闇から立ち上ってくるような歌声。
 ぞくりと、僕の背中を戦慄が這い上がる。
 おそらくその歌声は、クレアの小説に描写されていた歌声を現実のものにす
れば、こうなるであろうという歌声であった。僕は、無意識のうちに歌声がす
る方へと足を踏み出す。
 歌は迷宮にもたらされたアリアドネの糸のように、僕を導いていく。
 僕は、白い洞窟をくぐり抜けて行くように、霧の中を進んだ。優美で、しか
し神秘的な歌声は次第に強く大きくなっていく。僕は炎に引き寄せられる蛾の
ように、歌声に呼び寄せられて行った。
 唐突に。
 闇が途切れた。
 迷路のような橋が交錯する交差点。そこだけが星の光を宿したように仄かな
輝きを放っている。そして、その交差点の中央で白衣の少女が歌っていた。
 まるで。
 天から墜ちた天使のように。
 或いは古代の神殿より抜け出してきた、巫女のように。
 少女は僕の奥底に眠っている深い思いを、揺り動かしていた。僕は、その少
女の神秘的な美貌を見つめる。僕は思わず叫んでいた。
「クレア?!」
 少女は僕の叫びには答えることなく、手をあげると僕の背後を指さした。僕
は反射的に振り返る。振り向いた僕の目の前で、闇が裂けていった。
 さっきまで辺りを覆っていた霧は左右に退いていき、一筋の光の道が延びて
ゆく。その先にあるのは、小高い丘であり、僕の住んでいるマンションがある。
僕は道に迷っていたようで目的地の麓に辿りついていた。
 ここまで全てがクレアの書いていた小説のとおりに物事が進んでいた。ただ、
これだけであれば偶然としてすませれるレベルだ。小説のとおりであれば、
今……。
 唐突に大地がゆれた。地の底で巨大な竜が身じろぎをしたように。小規模な
地震が起きたようだ。
 僕はそのことに、衝撃をうける。それもまた、小説に予言されていたとおり
だった。
 僕は、少女のほうを振り向く。そこには既に人の姿が無かった。僕は首を振
って自分の心に湧き起こる怪しげな思いを振り払うと、自分の家に向かう。




#319/598 ●長編    *** コメント #318 ***
★タイトル (CWM     )  08/02/19  02:29  (130)
小説の書き方4     つきかげ 
★内容                                         08/02/19 23:34 修正 第2版
 翌日の放課後。僕は全てが夢の中の出来事であったと思い始めたころ。クレ
アは再び僕の前へ、現れた。昨日出会った白衣の少女と同じ神秘的な美貌に、
無邪気な笑みを浮かべながら。
「蛭間さん、どうでした」
 僕は、言い淀んだ。正直どう感想を言っていいのか判らなかったためだ。何
かを言うのであれば、昨日の夜にあった出来事に触れざるおえない。でも、そ
れをどう理解していいのか僕には見当もつかなかった。
 そんな僕の様子を見て、クレアは満足げに頷く。
「いいですよ、何も言わなくて」
 驚いてクレアを見る僕に、微笑みを返してくる。
「昨日の夜、あなたに起こったこと、私知ってますから」
「じゃあ」
 僕が話そうとすると、クレアは僕を手で制した。
「私、魔法が使えるみたいなんです。書いた小説を使って。ただ」
「ただ?」
「私が恋をしている間だけなんです。魔法が使えるのは」
 僕はかろうじて、声を絞り出した。
「誰が誰に恋をしてるって?」
 クレアは、あははと笑う。
「そんなこと、言えやしません。ご想像におまかせしますよ」
 クレアはそう言うと、ぽんと僕にA4の紙の束をわたす。
「昨日の続きですわ。ちゃんと読んでくださいね」
 僕はその紙束を受け取り、クレアにうなづく。クレアは満足げな笑みを見せ
た。
「さあ、私はそろそろ帰らなくてはいけないわ」
 僕はなんともかける言葉も思いつかず、黙ったままクレアに会釈を返す。ク
レアは一瞬僕に頷きかけると、さっと身を翻し立ち去っていった。
 僕は手の中に残ったその紙束を見つめる。自分の身に起きていることに対し
て、合理的な解釈もおそらく可能なのだろうがどうしてもいくつかの点で疑問
が残った。
 少なくとも、僕がマインド・コントロールされているという可能性が一番て
っとりばやい解釈だ。
 それは、魔法といいかえてもいいのだろう、おそらく。しかし、
「判ったろ。自分がいかに馬鹿であるかってことが」
 僕は聞き覚えのある声に、顔をあげる。カイだった。
「一番簡単な方法は、あんたを殺すことだった。でも、それはそれでリスクが
ある。おれはあんたが読まないほうに賭けることにした。まあ、馬鹿はおれも
おなじだね」
 パンクス風のファッションに身を包んだ少年は、口をゆがめて自嘲する。僕
はため息をついた。
「何がどうなっているのか、教えてくれるんだろう。君が」
「それは戒律違反になる」
 カイは、うんざりしたように言った。
「でもおれは面倒くさくなった。聞いたら後戻りはできない。何も知らずに死
んだほうがましかもしれんが、いいのか」
 僕は大仰な言い方に苦笑する。
「もったいぶらずに、話てくれ」
「これをみな」
 カイは、腕まくりをする。そこには、刺青でラテン語の文章が刻まれていた。
それと、バフォメットの紋章。
「何がいいたい」
「テンプル騎士団の紋章だよ、これは。あんたの書いた与太話と同じだ」
「しかし」
 カイは肩を竦める。
「クレアはおれたちが守護しているキリストだ」
「馬鹿を言え」
「厳密に言えば、クレアは入れ物でありキリストは寄生していると言ってもい
い。かつてイエスに寄生していたようにね」
 あまりの話に、僕は眉を顰める。カイは哄笑した。
「ま、信じねぇよな。おれだっていきなりこんなことを言われて信じるやつは、
頭がいかれていると思うさ。でも、事実はあんたが与太話に書いた通りだ。ク
レアは、あんたがベルナール・ド・クレルヴォーの生まれ変わりだと信じてい
る」
「君は、キリストが本当に寄生生命体と思っているのか」
「さあな。しかし、クレアの中に何かがいることは確かだ。おれたちは、イエ
スの死後その何かが転々と宿主を変えてきたと教えられている。キリストは人
の性愛に接して、生き始める」
 僕は首を振る。
「しかし、イエスは」
「まあ、よく判らない。そのころのことは。どうでもいい。今はそうだという
ことだ。寄生生命体は危険だ。行き始めたとたん、宿主を増やし始める。あん
たも、キリストというウィルスのキャリアだ」
「まてよ、イエスの中で生きていたんだろ。だったら」
「イエスが死んだときに、ウィルスは一旦休止した。でも、いま再び活動を始
めることになった。ウィルスは言語を仲介して感染していく。そう、あんたが
読んだあの小説だよ」
 僕は眩暈を感じた。
「キャリアとなっても何か症状が出るわけでもない。単に、彼女の世界へと取
り込まれるだけだ」
「彼女の世界?」
 カイは酷く邪悪な笑みを見せた。
「クレアはキャリアを作ることによって、幻想を現実化することができる。偽
りは彼女の中にあるだけなら、ただの幻想だ。でも共有するものがいれば、そ
れは現実になる」
「イエスのときは」
「そう、やつは復活というファンタジーを現実化した。物理法則や自然法則を
捻じ曲げて。それから世界は二千年に渡る混乱を蒙った」
「でも、小説は僕しか読んでいない」
「そこが問題なのではない」
 カイは、冷たく笑みを浮かべる。
「世界は既に捻じ曲がりはじめている。もう一度ね」
「それが本当ならあんたたちは、クレアを一生どこかに幽閉しておくべきだっ
たんだ」
「そうすれば、キリストは別の宿主を探すだけだよ。やつは、以外と狡猾だ。
それに、あんたみたいな馬鹿さえいなければ、こんなことは起きなかった」
 僕は、うんざりしてきた。
「僕の書いた小説のことか」
「それより、クレアの書いた小説を読んだことだ。読まれなければ、虚偽のま
まだ。それは死んだ言語に等しい」
 僕は、手にした小説に目を落とす。
「ああ、そいつを読むかどうかは好きにすりゃあいい。もうここまでくれば、
事態に大差はないね。それよりも」
 カイは鋼鉄の固まりを突き出した。死のように鈍く不吉な輝きを持つオフブ
ラックの拳銃を、カイは僕に差し出す。僕は手のひらに収まりきらないその巨
大な拳銃を、受け取る。
「スミス&ウェッソンのM500だ。世界最大の50口径マグナムを撃てる。
五発全弾撃ち尽くすと、手を骨折するといわれている」
「そんなものを、どうしろというんだよ」
 カイは死の大天使のように、静かな目で僕を見る。
「殺せ、クレアを。世界が奴の幻想に飲み込まれる前に」
「無理だ。なぜ僕がそんなことを」
 カイは、首をふる。
「あんたにしか無理なんだよ、今となっては。クレアの幻想は、あんたと共有
することによって現実となる。幻想へ戻すには、あんたがクレアを拒絶するし
かない。死をもってね」
 カイは僕にホルスターを手渡す。僕は、カイがみせる冬の空のような冷たく
重苦しい表情に押されて、そのホルスターを腰のベルトに取り付けると拳銃を
そこに突き刺した。カイは満足げに頷く。
「これでおれの用は終わりだ。おれにできることは、残っていない。まあ好き
にすればいいさ。クレアの幻想は、この世界が糞まみれなのと同じ程度に糞ま
みれなのものだからな。彼女はイエスほど頭がいかれているわけじゃあなさそ
うだ」
 カイはそう言い終えると、立ち上がり去って行った。
 僕は少し迷った結果、クレアの小説を読むことにする。カイは僕の想像以上
にいかれているようだが、どこかに何がしかの真実があるはずだ。僕はアリス
が迷い込んだような、常軌を逸した出鱈目な世界にいる。手にした小説に、そ
こから出るためのヒントがあるのではないかと思った。
 そして僕は傍らに置いてあった執筆用のノートパソコンを開くと、キーボー
ドを叩き文章を打ち込む。僕が武器にできるものがあるとすれば、それは拳銃
ではなく文章だと思った。




#320/598 ●長編    *** コメント #319 ***
★タイトル (CWM     )  08/02/19  02:31  (161)
小説の書き方5     つきかげ 
★内容                                         08/02/19 23:40 修正 第2版
 気がつくと、僕は黙示禄に語られる風景の中にいた。
 空を覆っているのは、雲というより巨大な粘塊の群れのようにみえる。それ
は、血のように赤い海を渡ってゆく巨鯨の群れにも似ていた。
 そのカオスに呪われたような空からは、真冬の雪を思わせる灰が降り続いて
いる。空から舞落ちる羽毛のような灰は、あたりを薄墨色に染め上げていた。
 遠くには、乱舞する巨人のような竜巻が起きている。地上は炎の見せる狂気
の舞踏によっていたるところが蹂躙されていた。
 足元は黒い泥水のような海水に浸されている。グレートウォールは狂った巨
人が出鱈目にハンマーを打ちふるったように崩れ去っていた。グレートウォー
ルの内側にある高層ビルも天に捧げる松明のように、煙りと炎に犯されている。
 僕の全身は濡れそぼっていた。一度海のなかにほうり出されたらしい。僕は
拳銃と小説が書かれた紙の束が、残っていることを確かめた。僕は記憶を溯る。
 世界を狂気の中に突き落とした地震が起きたのは、僕が学園を出てすぐだっ
た。僕は荒れ狂う悍馬の上に乗せられたように揺れ動く橋の上から、海へとほ
うり出される。そこで、僕の記憶は途絶えた。生きて運河の縁にいるというこ
とは、どうやらうまく海から打ち上げられたらしい。
 すべては、クレアの小説に書かれていたとおりだ。少なくとも彼女はなんら
かの方法で、地震が起こることを知っていたに違いない。
 時折銃声が聞こえる。自動小銃の、リズミカルな連続した発射音だ。銃声は
次第に僕の方へと近づいてくる。
 僕の頭上を、天駆ける漆黒の獣を思わせる軍用ヘリが飛び去っていった。ヘ
リは銃声のするほうへと向かっているようだ。突然、地上から何本かの火矢が
空へ向かってはしる。炎の矢に刺し貫かれたヘリは、落下して海中へと沈んで
いった。
 兵士たちが姿を顕す。黒ずくめの戦闘服に、黒いマスクで顔を覆っている。
彼らは、グレートウォールへと向かっていた。その内側へと、攻め込むつもり
らしい。
 闇色の兵士たちは、次々に炎と煙の中から姿を顕すとグレートウォールに向
かっていく。グレートウォールのほうからも応戦の銃声が上がるが散発的だ。
しかしその応戦も立ち上がった影のような黒い兵士がもつ自動小銃には、太刀
打ちできていない。そして、執拗に抵抗する箇所には炎の矢が打ち込まれる。
おそらくミサイルランチャーのようなものを使っているのだろう。
 黒い兵士が数人僕のほうへ近づいてくる。一人が僕に自動小銃を向けた。両
手を上げる僕の体を、別の兵士が調べる。その兵士が、僕の腰に吊るした拳銃
を見つけて苦笑する。
「あきれたガンスリンガーだな、おまえ。ビリー・ザ・キッドのつもりか」
 僕は、手をあげたまま拳銃を取り上げた男に答える。
「僕はどちらかと言えば、ワードスリンガーだ」
 男は僕の鞄から、紙の束をとりだす。
「それは、これのことか」
「そうだよ、おい」
 紙の束を取り上げた男に向かって、僕は叫ぶ。
「そいつを持っていくなら、読んでくれよ。必ず読んでくれ」
 僕は突然自動小銃の銃床で殴られた。僕は、水の中に崩れ落ちる。コールタ
ールのように黒い水が飛沫をあげた。僕は、黒衣の兵士に引きずり起こされる。
 兵士たちは、何か一言二言互いに言葉を交わすと二人を残して他はグレート
ウォールのほうへと向かった。僕は、二人の兵に挟まれる形で近くの建物へと
向かう。
 街はもともと半ば廃墟のようであったが、今では完全に崩れ去っており炎と
煙に蹂躙されるがままになっていた。僕らは、その崩壊した建物のひとつに入
る。二人の兵士は、無言のまま僕の前後に分かれ階段を下ってゆく。
 僕らは、いくつかの頑丈そうな鋼鉄の扉を潜り抜ける。そして、暗い階段を
下へ降りていった。まるで、地下迷宮へ入り込んだように複雑に交錯する狭く
て暗い通路をいくつも抜けてゆく。兵士たちは、一言も喋らないが彼らがこの
複雑な通路を間違えずに地下へ降りてゆくのに僕は少し感心した。
 試しに僕は二人に話かけてみることにする。
「一体どこへ僕らは向かっているんだい」
 意外にも、前をゆく兵士が答えた。
「処刑場だよ。あんたのね」
 まあ、聞いてもありがたくもなんともない答えだったが。
「なぜ、僕は殺されるんだい」
「知らんよ。あんたが裏切り者だということ以外は何も」
「僕は、一体誰を裏切ったというんだい」
「あんたは、一体あの拳銃で誰を撃とうと思っていたんだい」
 兵士の言葉に、僕は答えることができなかった。
「あんたが殺そうとしていたひとを、あんたは裏切ったんだろうさ」
 僕たちは再び沈黙した。いつのまにか僕らは、地下へと向かう巨大な竪穴の
中に出たようだ。闇につつまれているためよく判らないが、直径100メート
ルくらいはあるように思える竪穴の壁面に設置された螺旋階段を僕らは一列に
下ってゆく。底は深海のように深い闇に包まれており、どのくらいの深さがあ
るのか判らない。
 時折、地上での爆発音のようなものが鈍く轟き竪穴を揺さぶる。僕は、時間
の感覚を失いつつあった。どのくらい階段を降りてきたのか、どのくらい深い
ところまできているのか見当もつかない。ただいえるのは、ここの闇は恐ろし
く深く濃厚だということだけだ。
 唐突に、階段は終わりを告げた。僕らは、広い円形ステージのようなところ
に着いたようだ。僕らは薄明の中、その円形ステージの中央へ向かう。
 ステージの中央には、大きな十字架が用意されていた。実際にその十字架で
ひとを磔にできそうだ。もちろん、磔にされるのは僕なんだろうけれど。十字
架はクレーンから鎖で吊り下げられているらしい。
 二人の兵士は、僕の手足を鋼鉄製の手枷足枷で十字架に固定してゆく。僕の
手足を固定し終えた二人の兵士は、僕から離れていった。
 僕を固定した十字架はゆっくりと上昇していく。クレーンが鎖を巻き上げる
音がきりきりと響いた。ステージから10メートルほど上昇したところで、十
字架が停止する。
 そして、突然僕に光が浴びせられた。スポットライトは暴力的な力を持って
僕の目を打ちのめす。それと同時に歓声が上がった。何百もの男たちがあげる
ウォークライのような歓声。
 僕の目が次第に光に慣れてくる。
 ステージの周りは、黒衣の兵士たちに埋め尽くされていた。処刑場で蠢く黒
い死霊のような兵士たち。兵士たちはステージのまわりでどよめき声をあげる。
そして、その声に応えるように彼女が来た。
 彼女は青灰色の軍服を纏っており、金色に輝く髪は灰色の世界に灯された炎
のように輝いている。そして凍て付く氷のように煌く瞳で、僕を見つめていた。
「とても残念だわ、蛭間さん」
 彼女、クレアは巨大な拳銃を僕に向ける。スミス&ウェッソンのM500。
「裁きのときは来たわ、蛭間さん。こんな形になるのはとても残念。あなたが
望むのなら、今からでも私のそばに来ていいのよ」
「残念だが」
 僕は、首を振る。
「僕には、君のやろうとしていることは理解できない」
「簡単よ。この世にキリストが再臨したことを知らしめるだけ」
「それは、どうでもいい。なぜ、僕をほうっておけないんだ」
 クレアは、哀しげにため息をつく。
「私はね、蛭間さん。イエスのような変態ではないのよ。イエスは異常なこと
に、世界中のひとに対して欲情して魔法を仕掛けることができた。私にはそん
なまねはできない。だから、あなたを必要とするの。私の欲望の対象として」
 僕はため息をつく。
「君が知っていて君の小説に書いたとおりに、僕は君の欲望には応えられない」
「だからあなたは、死ぬのよ。イエスみたいに死んで甦る。そのときにあなた
は、私に欲情することになるわ」
 僕は、やれやれと首を振った。
「それはそれとして、カイをどうしたんだ」
 クレアは哄笑する。
「裏切りもののユダは殺したわよ。この拳銃でね」
 クレアは嘲るように、唇を歪める。
「そう、テンプル騎士団はこの拳銃をロンギヌスの槍と名づけていたわ。カイ
はこれで殺してあげた。二千年前の変態野郎とおなじように十字架に磔にして
ね」
 クレアはけらけらと笑い声をあげる。僕は深く息を吐き出す。
「で、僕はいつ死ぬんだい」
「今すぐ」
 闇はいきなり訪れた。深く濃厚な闇。全ての生命を飲み込み死で包み込むよ
うな深海の闇。
 それは、津波のように僕とクレアを飲み込む。
 そして、光は再び灯された。
 クレアは十字架から僕を見下ろす。
 僕は、クレアに銃を向けている。ロンギヌスの槍と名づけられた拳銃。
「どうして」
 呆然とクレアが呟く。
「カイとは別にユダがいたようだね。僕が書いた小説を読んだ兵士」
 僕は、静かに語った。
「僕が君の小説を通じてキリストに感染したのであれば、君と同じ魔法が使え
るのではと思ったんだ」
「ありえないわ」
「僕も、信じられなかった。自分がイエス並みの変態野郎だなんてね」
 銃声が轟く。
 一発は、クレアの心臓へ。
 そして、兵士たちの撃った自動小銃は僕の内臓をずたずたにした。
 僕は真紅の闇へと沈んでゆく。

 夕暮れ時。
 沈み行く太陽は、教室を深紅に染めている。窓のそとには、赤い闇が広がっ
ていた。
 そして、僕の前には夜明けの太陽から光を奪ったように金色に輝く髪を持つ
少女がいる。
 彼女は、紙の束を投げ出すといった。
「いくつかの点でこの小説はフェアだとは思えないわ。だって、私があなたを
殺すなんて。小説の中のあなたが語っていることに基づけばこの小説はコンス
タティブな機能とパフォーマティブな機能を同時に持っているということにな
る。ひとつは、私へ向けてのラブレターとして。もうひとつは、できの悪い失
恋小説として」
 僕は苦笑した。
「さすが文芸部の部長さんだ。容赦がないですね」
「書き直したわよ、一部」
 彼女は紙の束を指で叩く。
「あまりといえば、あまりですからね。あなたの書いた小説は」
「身に余る光栄ですよ」
 僕は小説を受け取った。
「で、結局のところあなたの感想はどうなんです、クレアさん」
「糞でも食らえだわよ」




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