AWC 青い宇宙と青い空(1)            悠木 歩



#309/598 ●長編
★タイトル (RAD     )  07/05/28  20:52  (291)
青い宇宙と青い空(1)            悠木 歩
★内容                                         07/05/29 19:50 修正 第2版

 遠い未来のことです。
 私たちが生まれ、そして育った星、地球はその寿命を終えてしまいます。
 人々は地球を捨て、宇宙へと飛び立ちました。
 行くあてなどありません。だって私たちは地球以外に、人の住める星なんて知
らなかったのですから。
 何億という数の宇宙船は、それぞれに違う方向へと進みました。その中の一隻
でいい。人の住める星を見つけられれば。
 そんな旅立ちでした。
 でもそんな星はなかなか見つかりません。
 せまい宇宙船の中では一人、また一人と力尽き、死んでいきました。もう食べ
物もありません。もうだめたと、皆があきらめかけたときです。
 その船は新しい星を見つけたのです。人の住める星を。
 新しい星に降り立った、地球で生まれた人々。そして宇宙船の中で生まれた五
人の子どもたち。
 さらに新しい星で生まれた子どもたち。新たに地球から辿り着いたリンダ。
 これはそんな人たちのお話です。
 地球から、遠く遠く離れた星での物語。

「たしか、この辺にいたんだよ」
 目を精一杯凝らし、繁みを覗き込みながらトキオはいいました。
「よし、ちょっと待ってろよ」
 黒い肌の男の子、ギニアが手製の霧吹きを、トキオの指さすほうへと吹きつけ
ました。
 淡い朱色の霧が、繁みの葉を濡らします。
 トキオとギニア。
 二人はスペースチャイルドと、大人たちが呼ぶ子どもたち。この星にやって来
た、宇宙船の中で生まれた子どもたち。
 二人は声を殺し、息を潜め、繁みを見つめます。
 やがてこの星のお日様に掛かっていた雲が晴れ、明るい陽射しが降り注ぎます。
「あっ」
 と、声を上げたのはトキオ。
 なんと繁みを染めた朱色の一部が、少しずつ動き出したのです。
「よし、捕まえた!」
 伸ばしたトキオの手が捕えたのは、透明な昆虫、カマキリでした。
 トキオは捕まえたカマキリを、すばやく、やはり手製の虫かごへと入れました。
 ぱあん。
 二人は高く上げた手の平を叩き合わせます。
「やっと、忍者カマキリを捕まえた」
「早くルベールさんに、見せに行こうぜ」
 二人は駆け出しました。

 この星にたった一つだけの村。
 小さな村の中に在って、一番大きな建物。トキオたちの通う学校で、大人たち
の集会場にもなる建物です。二人はその建物に、入っていきました。
「ルベールさん、忍者カマキリ、捕まえたよ」
 知識は全ての人の財産。
 学校の図書室には、みんなが地球から持ってきた本が集められていました。ル
ベールさんはいつもここにいるのです。
「ここは本を読むところよ、静かにして」
 トキオと同じ肌の色をした女の子が言いました。マニラです。彼女は本が大好
きで、授業や、家の仕事がないときは、いつもここにいるのです。
「しずかにして」
 マニラの真似をして、小さな女の子が言いました。ギニアの妹のリリィです。
 リリィの隣には、金色の髪の女の子が座っていました。リンダです。リンダは
ちょっと特別な女の子。本当はトキオたちより年上なのですが、コールドカプセ
ルという装置の中で眠っていたため、見た目にはトキオたちと変わりません。
 リンダはトキオたちをちらっと見ただけで、すぐに視線を手元の本へ落としま
す。どうやら、リリィに読んであげているようでした。
「やあ、ようこそ。トキオにギニア、待っていたよ」
 図書室の一番奥の席、絵を描いていた若い男の人が手を上げました。この人が
ルベールさんなのです。
 にこやかな笑顔が向けられます。でもルベールさんの笑顔は、いつも寂しそう。
 長くて細い銀髪のためでしょうか。
 リンダやシドニーといった女の子たちより白い肌のせいでしょうか。
 心臓に重い病気を持っている、そんな理由もあるからでしょう。
 ルベールさんの姿は、どこか陽炎を見るようで、ちょっと目を離せば跡形もな
く消えてしまいそうな、そんな感じがするのです。
「はい、これが忍者カマキリ」
「二人で捕まえたんだぜ」
 ルベールさんの机に虫かごを置くと、トキオもギニアも、とても得意そう。
「すごいよ、二人とも。わあ、本当に透明なんだ………地球にもね、透明な生き
物はいたけれど、ここまで見事なものは知らないなあ」
 虫かごを両手に取ったルベールさんは、子どものように目を輝かせて忍者カマ
キリを見つめます。
 実はこの忍者カマキリ、この辺りではそんなに珍しい昆虫ではないのです。村
のあちらこちらで、普通にいる虫なのです。たしかに透明で見つけにくいのです
が、まったく見えないわけでもありません。
 でも身体が弱く、外を歩くことが少ないルベールさんには、中々出会う機会の
ない昆虫なのです。
「さっそく、描かせてもらうよ」
 そう言って、ルベールさんは絵を描くための道具を広げ始めました。
 ルベールさんは画家なのです。画家というのは、絵を描くのを仕事にしている
人のことです。地球でも、画家をしていたそうです。でもあまり売れてはいなか
ったそうです。
「ぼくは、この村一番の役立たずだから」
 ルベールさんはよくそう言います。
 村の男の人は、一人でいろんな仕事をします。
 畑を耕したり、木を伐ったり、井戸を掘ったり、家を建てたり、鍛冶仕事をし
たり。子どもたちだって、それを手伝います。そうしないと村の人たちの生活は
成り立ちません。
 でも身体の弱いルベールさんは、そのほとんどをすることが出来ないのです。
「絵を描くしか出来ないぼくは、開拓者の生活では厄介者にしかならないよ」
 でもそれは違うとトキオは思います。
 だって畑を上手に耕せる人はたくさんいるけれど、絵を上手に描ける人はルベ
ールさんしかいないのですから。
 最初にルベールさんは、スケッチブックという白い紙を束ねたものを広げます。
紙も鉛筆も、筆も絵の具も、みんな地球から持って来たものです。ルベール
さんは生活に必要なものより、絵の道具をたくさん持って来たのです。
 でも毎日のように絵を描き続け、道具も残りが少なくなっています。いずれ、
それもなくなってしまうでしょう。
 だから時々、ルベールさんは紙や絵の具や、筆を作ったりします。でもまだ使
えるようなものは、作れていないそうです。

「すげっ」
 小さく声を出したのはギニア。
 いつでも元気なギニアも、ルベールさんが絵を描き始めると静かになります。
ルベールさんの邪魔にならないように。
 それでも思わず声が出てしまうのです。
 いつの間にかマニラもリリィも、そしてリンダもルベールさんの近くに集まっ
ていました。
 ルベールさんの手は魔法の手。
 ルベールさんの手が動くたび、真っ白だった紙の上に忍者カマキリが姿を現し
てゆきます。いえ、忍者カマキリだけではありません。
 繁みの青々とした葉っぱ。そこで前足の手入れをしているロケットバッタ。そ
れを忍者カマキリが狙っているのです。透明な忍者カマキリですが、その身体の
下にある葉っぱが屈折して見えるため、そこにいるのだとはっきり分かります。
「うん、こんなものかな」
 そう言って、ルベールさんが筆を置くと、子どもたちは皆、ふーっと、大きく
息を吐きました。ルベールさんが描く絵に見入っていたため、それまで息をする
のも忘れていたのです。
「ルベールさん、じょうず」
 うっとりとした声はリリィ。
「あの、ルベールさん。他の絵も見ていいかしら?」
 これはリンダの声。
 最近村の一員になったばかりのリンダ、まだルベールさんの絵をあまり見てい
ないのです。
「ああ、構わないよ………そこの」
「棚の中でしょ」
 ルベールさんが指さすより先に、トキオが棚の前から絵の束を取り出していま
した。トキオたち皆、ルベールさんの絵を何度も見ています。でも、何度見ても、
飽きることはありません。

「これは森トカゲ、こっちはマダラネズミ。で、これはバネトビヘビ、毒を持っ
ているから、気をつけたほうがいいよ」
 机いっぱいに広げた絵を、一枚一枚指さしながら、トキオはそこに描かれたも
のをリンダに説明します。
 ルベールさんはあまり外を歩くことはないのに、描かれた生き物たちはそれぞ
れの生活場所で見かけるのとまるで変わらない、いえ、それ以上に生き生きと描
かれていました。
「ルベールさんは、どうしてこういう絵ばかり描くのかしら?」
 リンダが質問をします。
「ん?」
「生き物の絵ばかりで、あっ、ううん、これも素敵だけれど。人物画や風景画み
たいなのは、描かないんですか?」
「ああ、描いていたさ、地球にいた頃はね」
 ふいに寂しげな顔をしたルベールさんが窓の外、空を見つめました。
 そのときです。
「きゃっ!」
 突然聞こえた悲鳴。
 リリィでした。
 どうやら棚から別の絵を出そうとして、転んでしまったようです。
「だいじょうぶ? リリィ」
 一番近くにいたリンダが駆け寄ります。
「わたしは、だいじょうぶ。でもごめんなさい………ルベールさん」
 幸いリリィにケガはなかったようです。それよりもリリィは絵を落としてしま
ったことを、謝ります。
「いいよ、気にしなくて。リリィにケガがなくて何よりだ」
 部屋にいたみんなが集まって、床に散らばった絵を拾います。
「あっ、これはキリンね。こっちはゾウ、ライオンにシマウマ………この辺はア
フリカの動物なんだ………」
 絵を拾い集めていた手が思わず止まってしまいます。子どもたちの中でただ一
人、地球生まれのリンダは懐かしい動物の姿に見入ってしまったようです。
「あっ、ごめんなさい」
 ふと顔を上げたリンダは、みんなの視線が自分に集まっていることに気がつい
て、謝りました。拾うのを怠けて、絵を見てことを非難されているのだと思った
ようです。
「リンダ、その絵、見せてくれよ」
「えっ? ええ」
 手を伸ばしてきたのはギニアです。リンダは見ていた絵の束を、ギニアへと手
渡します。
「この首が長いのがキリンかあ………じゃこれがゾウ?」
 ギニアは驚いたような声を上げます。ずいぶんたくさん、ルベールさんの絵を
見てきたギニアたちにも、まだ見たことのない絵があったのです。
「ねえちょっと、これも見てよ」
 興奮して叫んだのはトキオ。いつの間にかリンダの隣に来ていて、その周りの
絵を拾っていたのです。
「このカマキリ、見たことある? このハチも、カブトムシも、ほら、このトカ
ゲ!」
 思わずリンダが顔をしかめてしまうほど、トキオは大きな声を上げていました。
「いや、ない、初めて見るよ………なあ、みんなはどうだ?」
 トキオの見ていた絵を、ギニアは他のみんなにも見せました。でもトキオやギ
ニアも知らない生き物を、女の子たちが知るはずもありません。ところが、です。
「あっ、私、これ見たことある………名前は知らないけど」
 カブトムシの絵を指さして、リンダが言ったのです。
「そう、それは地球の生き物たちだよ」
 と、ルベールさんが微笑みながら言いました。

「ぼくには責任がある………」
 みんなで拾い集めた絵を受け取ったルベールさんは、その中から何枚かを選び、
机の上に並べていきます。
 どれもトキオたちの知らない生き物たち。でもその多くは、トキオたちの知っ
ている生き物と、どこか似ています。
「地球には何十億という人たちが住んでいた………これは知っているよね?」
「うん、せんせいから聞いたよ」
 答えたのはリリィ。みんなも頷きます。
「地球という、一つの星が寿命を終え、そこに住んでいた人たちは何億という宇
宙船に乗って旅立ったんだ」
 これもお父さんやお母さん、先生やたくさんの大人たちから何十ぺんも、何百
ぺんも聞かされた話です。
 まだ人間は地球以外に人の住める星を知らなかった。だから何億もの宇宙船は、
それぞれ別の方向を目指して飛んだのだそうです。その中のどれか一つでも、人
の住める星をみつけられるようにと。そしてその中の一隻が、この星を見つけた
のです。
「ぼくたち以外の宇宙船が、人の住める星に辿り着けたのかどうか、分からない。
もしかすると今生きている地球人は、ぼくらだけなのかも知れない。それともも
っとたくさんの人たちが、他に星を見つけたのかも知れない」
 何度も何度も聞かされた話。
 でも聞くたびに、何かとても胸が切なくなる話でした。
 宇宙船の中で生まれたトキオたちは、地球の思い出なんて、何もありません。
けれど悲しい気持ちになるのです。地球で生まれたお父さんやお母さん、そして
ルベールさんにとってはもっともっと、悲しい話に違いありません。
「ぼくたちはこの星を見つけ、いまもこうして生きている。他の宇宙船の人たち
がどうなったか分からないけれど、それでもみんな地球を出て、生きる可能性に、
賭けることは出来たんだ」
 ルベールさんの話は、少し難しくなっていきます。いつでも優しいルベールさ
んですが、時々こうしてトキオたち子どもには、分かりにくい話をすることがあ
ります。
 だけれど難しくても、何か分かるような気がするのです。
「だけど、地球には人間の他にもたくさんの生き物が住んでいた。彼らはどうな
ったのだろう? 一部の生き物はぼくたちと一緒に、宇宙船に乗ることが出来た。
でもそれはほんの一部………いや、一部と呼ぶにも少なすぎる数だった」
 ルベールさんの言う通り、宇宙船には他にも動物が乗せられていたそうです。
 でもトキオたちとこの星に降り立ったのは、わずか三頭の犬だけでした。
 長い長い宇宙の旅。人間の食べるものが不足した中で、動物に与えるエサもな
くなってしまったのです。他の動物たちは、人間の食べ物になったのだと聞きま
す。
「地球には何億の何億倍もの生き物たちがいたんだ………彼らは地球と一緒に滅
んでしまった。ぼくら人間と、何十億年もの間、一緒に生きた仲間だったのにね。
 彼らは彼らなりに、地球の上で意味のあるものとして存在していた。無駄なも
のなんて一つも居なかったのさ。そう、例えそれがハエやゴキブリ、毒を持った
ヘビであってもね」
 ハエやゴキブリ、それに毒ヘビはこの星にだっています。
 それは地球にいたものと、ほとんど姿形も変わらない。そう大人の人たちから
聞いています。ルベールさんの描いた絵を見せてもらったこともあります。
 決して気持ちのいい生き物ではありません。しかも同じようなものが、この星
にもいるのです。だからそれを地球においてきた仲間だなんて、トキオたちは考
えたこともありませんでした。
「あら、これ?」
 ルベールさんの話に聞き入っていたみんなは、いつの間にか無言になっていた
のです。だからリンダの上げた小さな声にも驚いて、一斉にそちらへと振り返り
ました。
「ルベールさんって、肖像画も描くんですね………でもこの人は? この村の人
じゃ、ないですよね」
 みんなの手が止まっている間も、リンダは絵を拾い続けていたようです。リン
ダの手の中にあったのは、一枚の肖像画。若い、女の人が描かれたものでした。
「あ、ああ………」
 トキオたちは皆、その女の人が誰なのか、知っています。けれど最近、村の住
人になったばかりのリンダは知らなくて当然でした。
(ダメだよ、聞いちゃ)
 トキオは目で合図を送ります。でもリンダには通じません。
「何よ、トキオ。目が痛いの?」
 ハハハッ、と大きな、でもちょっと力のない笑い声。トキオの様子に気がつい
た、ルベールさんが笑ったのです。
「いいよ、トキオ。そんなに気を使わなくても」
 そう言うと、目いっぱいの優しい笑みを浮かべます。
「その女の人はメグ………ぼくの奥さんだった人さ」

 時告げ鳥の声が遠くから聞こえてきます。
「知らなかったんだから、そんなに怒らなくてもいいでしょ」
 いつだって強気なリンダの声も、この時ばかりは控えめなものでした。
 朱色に染まった村の中、並んで歩くリンダへと、トキオは少しきつくさっきの
ことを注意したのです。
 トキオとリンダは兄妹ではありません。けれど同じ家に住んでいます。
 二人が話していたのは、ルベールさんの絵に描かれていた女の人のこと。メグ
さん、ルベールさんの奥さんは、宇宙船がこの星に着陸をするとき、亡くなって
いたのです。

 トキオたちの乗っていた宇宙船は、何年も何年も旅を続けていました。トキオ
やギニア、ロスやマニラやシドニー。村の大人たちが「スペースチャイルド」と
呼ぶ五人は、宇宙船の中で生まれたのです。
 でも長い旅の中、生まれてくる命より、死んでゆく命の方が多かったと聞きま
す。
 そしてやっとの思いで見つけたこの星。
 みんながずっと待ち望んでいた、地球と同じ、人の住める星。
 でもやっと見つけた希望の星も、最初は優しく人間を迎え入れてくれたのでは
なかったのです。
 大気圏突入。
 空気のある星に、宇宙船で着陸するのは、簡単なことではないのです。
 長い旅の中で、宇宙船は傷んでいました。そして病気になっていた人も、たく
さんいたのです。
 そんな人たちに、大気圏突入の衝撃は、耐えられるものではありませんでした。
 この星に着陸するとき、たくさんの人たちが命を失ってしまったのです。
 メグさんも、そんな中の一人でした。
「皮肉だよね」
 ルベールさんは言いました。
 微笑を浮かべて。
 とてもとても、寂しそうな微笑で。
「生まれつき、身体の弱かったぼくがこうして生き残り、元気の固まりみたいだ
ったメグが死んでしまった………ぼくは開拓者の暮らしに、役立つことが出来な
い。これが彼女だったら、どれだけみんなのため、働くことが出来ただろう」




#310/598 ●長編    *** コメント #309 ***
★タイトル (RAD     )  07/05/28  20:53  (251)
青い宇宙と青い空(2)            悠木 歩
★内容                                         07/05/29 19:51 修正 第2版
「ねえ、メグさんって、どんな人だったの?」
「どんな人って、言われてもなあ………」
 家の明かりがはっきりと見えてきたあたり、リンダの質問にトキオは頭をかき
ました。煙突から立ち昇る白い煙が、紫の空にとけてゆきます。お母さんが夕ご
飯の支度をしているのでしょう。
「あんまりよく覚えていないんだ。だって、メグさんが亡くなったとき、ぼくら
は三歳くらいだったから」
「そっか………」
「でも、なんとなく、なんとなくだよ。とってもキレイで、優しい人だったって、
覚えてる」
 そう言ったトキオの言葉が、リンダの耳に届いたのかどうか、とても怪しいも
のです。いつの間にかリンダの関心は、別のものへと移っていたからです。
 そしてトキオの関心も、リンダと同じものへ移ります。家のほうからしてくる、
香ばしい匂いへと。どうやら、今晩のおかずは、鳥のパイ包みのようです。

「ああっ、いけない!」
 ルベールさんは、慌てて紙の上に落ちた雫を拭いました。拭った涙が、紙の上
の笑顔を滲ませてしまいます。
 陽が落ちて、村中に重く紫色の夜が覆いかぶさって、大分時間も経っていまし
た。ルベールさんは、まだ窓から射し込むわずかな星明りの中、図書室にいまし
た。
 身体の弱いルベールさんは、ドクターの家の近くに住んでいます。ドクターの
診察所を兼ねた家は、学校のすぐ近く。そのせいもあってか、ルベールさんが遅
くまで学校で絵を描いていることは珍しくはありません。
 でも今日は、ちょっぴり特別でした。
「きっと君は、いまのぼくを見たら笑うだろうね」
 絵の中の微笑みに、語りかけます。答えが返るはずなどありません。でも、ル
ベールさんの耳には優しい声が届いていたのです。
(やだ、また泣いたりして。女々しい人ね………ルベール、あなた男の子でしょ
う)
 薄い唇から響く、澄んだ声。
 物心がついたときにはもう、傍らにあった声。
 小さな頃から病弱だったルベールさんに対し、人の倍以上元気だった幼馴染み
の女の子。
 いじめられて泣いていたルベールさんの背中を、強く叩いた手。
「ばっかじゃない? 男の子なら、やり返してやんなさいよ」
 すごい剣幕でつり上がらせていた眉。
 翌日、ルベールさんをいじめた男の子とケンカして、泥だらけになっていた顔。
「野球が下手だからってなに? 駆けっこが遅いからってなに? 釣りが苦手だ
からって、困ることがあるの?」
 鈴を転がしたような笑い声。
 でもそれは、ルベールさんをばかにして笑う、他の子どもたちのものとは違い
ます。
「あなたは誰よりも絵が上手じゃない。運動の得意な子なら、いくらでもいるけ
れど、あなたより絵の上手い子なんて、他にいないでしょう? もっと自分に自
信を持ちなさい」
 その言葉がなければ、きっと画家を志すこともなかったでしょう。
 でも画家になっても、絵はなかなか売れませんでした。
 せめて人並みの生活が出来るようになったら、プロポーズしよう。そう思いな
がら、果たせず何年かしたころでした。
「結婚しましょう」
 言い出したのはメグ。
「で、でも………ぼくは売れない画家だよ………満足な暮らしなんて出来やしな
い」
「私も働くから平気よ」
「だけど………ぼくは身体が弱いから………」
「私は人より二倍元気だもの。二人合わせればちょうどいいでしょう」
「けど………」
「何よ、はっきりしないわね。私がキライなの? 結婚したくないの?」
 少し怒った顔のメグに、ルベールさんは慌ててしまいます。
「好きだよ、結婚したい!」
 あっ、と思わず口にした言葉に驚いたとき、目の前にあったのは満面の笑みで
した。

 予想通り、結婚後の生活は楽なものではありませんでした。けれどルベールさ
んは、それを辛いと感じたことは、一度もありませんでした。
 どんなに苦しいときでも、いつもそばに世界で一番の笑顔があったからです。
 地球という星が寿命を終え、故郷を捨てなければならなくなったときにも、ル
ベールさんはそんなに悲しくはありませんでした。
 ルベールさんにとって「世界」も「故郷」も全てがメグ一人をさす言葉だった
からです。

 けれどどんなに心が充実していても、長い長い宇宙船での旅は、元々弱かった
ルベールさんの身体に大きな負担になっていたのです。
 もう自分は長く生きられない。
 病の床に伏したルベールさんはそう思いました。
 メグに看取られて逝くことが出来るのなら、それでもいい。そう思いました。
「ダメよ。また二人で大地を踏みしめる日までは、がんばるの」
 宇宙船の中でたくさんの人が亡くなりました。おとなも子どもも。
 長い宇宙船での暮らしは、健康だった人も弱らせたのです。
 そんな中で身体の弱いルベールさんが生き残れたのは、人一倍元気なメグの献
身的な看病のおかげだったのです。
 もしかすると、メグは自分の元気をルベールさんに分け与えていたのかも知れ
ません。
 そしてようやく見つかったこの星。
 地球と同じように、人の住める星。
 あとちょっと、あとちょっとだったのです。
 あと数十分がんばることが出来ていたなら、二人の新しい生活が始まるはずで
した。
 でもそれは叶いません。
 大気圏突入。
 長い旅の間に宇宙船は傷んでいました。
 乗っていた人たちも弱りきっていました。
 着陸のための大きな衝撃に、たくさんの人が命を失ってしまったのです。メグ
もその一人だったのです。
「ごめんね………偉そうに言って私が………でも、私は………いつでもそばで、
あなたを守っているから」
 そう言い残して目を閉じてしまったメグ。
 その目が再び開かれることはありませんでした。
 生まれつき身体の弱かったルベールさんが生き残り、元気の固まりのようなメ
グが死んでしまった。
 きっと自分がメグの元気を吸い取ってしまったからだ。
 ルベールさんは、いまでもそう信じているのです。

「進化の収斂って知っているかい?」
「しんかのしゅうれん?」
 ルベールさんが聞いたこともない難しい言葉を言い出したのは、いつもどおり
みんなが図書室に集まって絵を見せてもらっているときでした。
「収斂進化と言うのが正しかったかな」
 そう言いながら、ルベールさんは机の上に二枚の絵を並べます。
「知ってる、これイルカ」
 そのうちの一枚を指さし、大きな声を出したのはリック。ロスの弟です。
 リックはまだ学校に通う年齢にはなっていませんが、こうして時々ルベールさ
んの絵を見に来るのです。
「こっちは、サメでしょ。たしかホオジロザメって言うんだよね」
 もう一枚の絵を指さし、トキオが言いました。
 どちらも地球の海の生き物です。同じものがこの星の海にいるのかどうか、ト
キオたちは知りません。子どもたちはまだ、この星の海のことはよく知らないの
です。
「正解、二人とも詳しいね」
 ルベールさんはリックの頭をなでました。
「よく見てごらん。この二つの生き物は、よく似た姿をしているだろう」
 全く同じ、と言うわけではありませんが、確かにイルカとサメには似たところ
があります。身体の形、背中と胸のヒレなんかはそっくりです。
「それからこの二つも、似ているよね」
 ルベールさんはさらに二枚の絵を並べました。
 一枚はコウモリ、もう一枚は時告げ鳥。どちらもこの星にも地球にも同じよう
なものがいたと言う生き物です。
「サメは魚の仲間で、ずっと海の中で進化して行った。けれどイルカは哺乳類。
陸上で進化した生き物が、また海の中に戻ったと考えられている」
「ふーん」
 大きく相槌を打ったのはリック。リリィはずっと絵に見入っています。たぶん
小さな二人はルベールさんの話をちゃんと理解はしていないでしょう。
「全く別の進化の過程を辿った生物が、同じ環境下で似たような身体、機能を得
ることを収斂進化と言うんだよ」
 言い終えたあと、リベールさんはしばらく子どもたちの顔を見遣ります。自分
の話を理解出来ているかどうか、確認しているのでしょう。
「なんとなく………分かった気がする」
 話の続きが聞きたいトキオは、そう答えます。ギニアやロス、大きな子どもた
ちはトキオに合わせて頷きます。
「地球とこの星、遠く離れた二つの星で同じ生き物が見られるのも、収斂進化の
結果だと考える人もいる」
 いつものように本を読んでいたマニラ。でもさっきまで読んでいた本は、テー
ブルへと置かれています。ルベールさんの話に惹かれているのでしょう。
 トキオも身を乗り出します。だってルベールさんの言い方は、自分はそう思っ
ていないと言っているようなものなのですから。ルベールさんはどう考えているの
か、興味がわいてきます。
「ぼくはこう思うのさ」
 ルベールさんはそう言って、また絵を並べます。
 それはさっきまでの絵とは少し違います。それぞれに別の生き物が描いてある
のではありませんでした。
 全部で九枚並べられた紙。その九枚で一つの絵になっているのです。
 それは海の絵でした。でもふつうの海とはどこか違います。何か不思議な感じ
はするのですが、どこがふつうの海と違うのか、子どもたちにはなかなか分かり
ません。
「あっ、これ宇宙だよ!」
 ようやく気がついたトキオが手をたたきます。
「ほんとうだ」
 これはリンダです。
 海の中にはたくさんの生き物たちがいます。大きいのや小さいのや、たくさん
の魚たち。さっきのサメもいます。イルカも泳いでいます。タコやイカ、エビや
カニ、クラゲもいます。
 そしてその海には不思議な丸いものが、いくつか漂っていました。星です。宇
宙船に乗っていてたとき、トキオたちはまだとても小さな子どもでした。ですか
ら宇宙から見た、この星の姿はよく覚えていません。でも絵に描かれている丸い
ものは、本で見る地球や他の惑星の姿に似ています。
 海の中ばかりではありません。海の上にも、近くに、そして遠くに、たくさん
の星々が瞬いていました。
 星が宇宙を漂っているのではありません。絵の中の海が、宇宙を漂っているの
です。
「むかし、むかあし、はるか遠いむかし」
 ルベールさんは静かに目を閉じて話します。
「宇宙には海が広がっていたんだ………きっと空気もあったんだと思う」
 ルベールさんの指さす先、絵の中の海の上には、空を飛ぶ鳥の姿がありました。
「生き物は海を泳いで、星々を自由に行き来していたんだ。鳥は空を飛び、泳げ
ない動物は流木に乗り、もしかすると船に乗ったのかも知れない………彼らにと
って、宇宙は死の空間じゃなかった」
「ノアの………箱舟」
 呟くように言ったのはシドニー。ノアの箱舟とは、聖書と言う本に書かれたお
話です。
「そうだね………ノアの箱舟で語られている大洪水って、こういうことだったの
かも知れないよ」
 閉じていた目を開くと、いつもの優しい笑顔でルベールさんは言いました。
「うちゅって、おみずでいっぱいなの?」
 まんまるな目をもっと丸くしてリックが言いました。
「うんと昔はね」
 ぽんぽんと、ルベールさんはリックの頭を軽く叩きます。リックは仔犬のよう
に目を細めました。どうやらルベールさんの話をすっかり信じてしまったようで
す。
 もちろんそれが、ルベールさんの想像でしかないことを、トキオたち大きな子
どもたちは知っていました。宇宙いっぱいに、そんな大きな海が存在していたは
ずなんてありません。
 それでもみんなはルベールさんの話が、本当のことのように思えました。
「きっとね………」
 ゆっくりと立ち上がったルベールさんは、窓のほうへと歩いて行きます。それ
から眩しそうに手をかざして、空を見やります。
「いまもきっと、みんな旅を続けているんだ」
「?」
 その言葉の意味は分かりません。それっきりルベールさんは黙ってしまったの
です。
 ルベールさんの見上げる空は、海のように青く広がっていました。

 大きな地震があったのはその日の夜、いえ正確には次の日の明け方近くのこと
でした。
 どーん、という大きな音とともに、ベッドが激しく揺れてトキオは飛び起きま
した。
「ケガはないか?」
 それから一分の半分もしないうち、お父さんが様子を見に来てくれました。リ
ンダの部屋のほうからは、お母さんの声が聞こえます。
 トキオとリンダの無事を確認して、お父さんは外に出ました。けれど村にも異
常はなかったようです。
 その日朝になって、学校のほうから鐘の音がしました。
 初めに一回。少しして二回。
 今日は学校が休みになるという合図です。
「トキオ、ちょっと!」
 麦の畑の様子を見に行く途中のトキオに声をかけたのは、ギニアでした。
「なに、どうしたの? ぼく、これから畑の様子を見に行かないといけないんだ」
「それどころじゃないんだ。いいから来いよ」
 真剣な顔のギニア。何かきっと、大変なことが起きたのに違いありません。
「こっち」
 説明もなく、ギニアは駆け出しました。トキオも後に続きます。
 東のはずれ、村を出て少しのところでギニアの足が止まります。
「何があったのさ? ギニア、説明くらいしてくれよ」
「どうくつ」
「えっ?」
「洞くつだよ、この先に洞くつを見つけたんだ」
 にやっと、嬉しそうに笑いながら、ギニアがいいました。
「えっと、このへんに洞くつなんて、なかったはずだけど………」
 もう七年近く住んでいる村です。その周りの様子だってよく知っています。村
の東側には少なくても半日で歩ける距離に、洞くつなんてありません。
「あれだよ」
 ギニアの指さした先には丘がありました。村のみんなが「日の出の丘」と呼ん
でいる丘です。
「あの下、崖になってるところがあるだろう。多分、地震のせいだと思うけど、
そこの一部が崩れて………」
「洞くつが出てきたの?」
 少し興奮して聞いたトキオへ、ギニアは頷いて見せました。

「うわっ、すげー」
 トキオは思わず興奮した声を上げてしまいます。
 トキオの目の前の崖には、大きな穴があいていました。洞くつです。
 三ヶ月くらいまえに来た時にはなかった、新しい洞くつ。きっと、村の大人た
ちもまだ知らない洞くつです。
「入ってみるか?」
「もちろん!」
 ギニアの言葉に、トキオは間髪入れずに答えました。
 お父さんに知られたら、怒られてしまうでしょう。だけど目の前にある冒険を
我慢するなんて、晩ごはんを抜かれてしまうよりつらいことです。
 にいっ、とギニアが笑いました。
 トキオもにいっ、と笑い返します。
 それから二人同時に頷いて、洞くつの入り口へと歩き出したのです。




#311/598 ●長編    *** コメント #310 ***
★タイトル (RAD     )  07/05/28  20:54  (326)
青い宇宙と青い空(3)            悠木 歩
★内容                                         07/05/29 19:52 修正 第2版
「しくじったなあ」
 そう言ったのはギニア。入り口から、ほんの五メートルくらい進んだ辺りでし
ょうか。
「お前に教えなくちゃ、ってそればっかり考えてたから、明りのことなんてすっ
かり忘れていたよ」
「うん………ぼくも洞くつに入るなんて思っていなかったから」
 洞くつの奥からは、ぴちゃぴちゃと、水滴のような音がします。けれど本当に
水の音なのかは、よく分かりません。洞くつの奥に、外の光は届きません。真っ
暗なのです。
「どうしよう? このまま進んで別れ道とかあったら、戻れなくなっちゃうかも」
 面倒ですが、一度村に戻ってカンテラかろうそくを持って来たほうがよさそう
だと、トキオは思いました。
 たぶんギニアも同じ意見でしょう。
「一度村に戻って………」
「明かりを取りに………」
 二人の言葉が重なります。でもその先は続きませんでした。お互い、洞くつの
奥から射してくるほのかな明かりに気がついたからです。
 白い、いえ、わずかに黄色み掛かっている、不思議な感じの明かりです。決し
て外から射してくるものではありません。
「なんの明かりだろう?」
 トキオとギニアは顔を見合わせ、それから明かりのほうへと進みました。
「岩だ、岩が光ってるんだ」
 眩しいということはありませんが、周囲を見るにはじゅうぶんな明かりです。
光は、ごつごつとした岩肌から発せられていました。
「岩っていうより、これ、コケかなんかじゃないか?」
 ギニアは手を伸ばし、指でその光るものを摘みました。手のひらの中でほのか
に光るそれは、たしかにコケのようです。
「ホントだ………そういえば聞いたことがあるよ。地球のコケの中には光るもの
があるって」
 二人はコケの明かりを頼りに、洞くつの探検を続けることにしました。
「あっ」
 それから少し進んだときです。
 ふいに声を上げてギニアが立ち止まりました。それにつられてトキオも足を止
めます。
「どうしたの?」
 問いかけるトキオに、ギニアは洞くつの奥を指さします。
「誰かいる………子どもみたいだ」
「えっ」
 ギニアが指さす先に、トキオも目を凝らしてみます。でもほのかに光る洞くつ
が続くだけで、他には何も見えません。
 だいたいこの洞くつは、昨日の地震で出来たばかりのもの。それを村のほかの
子どもが、ギニアより先に見つけているとは、ちょっと考えにくいことです。
「あれっ? リリィ………お前、リリィか」
 ギニアが妹の名前を呼びます。
 まさか―――そんなはずはないよ。と、トキオが言いかけたとき。
「あっ、ええっ!」
 リリィがいたのです。ギニアが言うとおりに。
 たしかにいまさっき、トキオが見たときには誰もいなかった洞くつの先。そこ
に黒い肌の、小さな女の子が立っていて、こちらを見ています。
「どうしてリリィがここに………」
「おい、リリィ。こんなところに一人で、危ないだろう」
 二人はリリィのもとへと近づこうとしました。
 この辺りは洞くつが少し狭くなっています。そこを二人が並んで進もうとした
ため、おたがいの肩がぶつかりました。思わず、トキオは片手を洞くつの壁へと
つけます。
 ぽわん。
 音にすると、そんな感じでしょうか。
 トキオの触れた壁のコケが、周囲より少し強く光りました。
 そしてその光は、導火線にともされた炎のように、リリィの立つ洞くつの先へ
と進んでいったのです。
「えっ?」
「あっ!」
 トキオとギニア、同時に声を上げました。
 光の導火線が達したとたん、そこにいたリリィの姿が弾けるにして消えたので
す。
 慌てて二人はその場に駆け寄ります。けれどカケラ一つ、見つけることは出来
ませんでした。
「リリィ………だったよな?」
「リリィ………だった………」
 しばらくあたりを探してみましたが、やはり誰もいません。何もありません。
二人は顔を見合わせました。
「と、とにかく、一度村にもどろう」
「うん」
 自分たちの見たものが本物なのか。リリィは無事なのか。早く確認したくてな
りません。二人は急いで、いま来た道を戻りました。

「どうしたんだい? 二人とも、そんなに慌てて」
 学校のすぐ近くでトキオとギニアに声をかけて来たのは、ルベールさんでした。
その手には花や草が握られています。絵の具の材料を集めていたようです。
「あっ、ルベールさん。リリィ………リリィを見なかった?」
「リリィ? ああ、さっきまで図書室にいたよ。たったいま、帰ったところさ」
「………」
 トキオとギニア、二人は顔を見合わせます。
 ルベールさんがうそを言うはずはありません。その必要もありません。
 でもそうだとしたなら、二人が洞くつで見たリリィは、いったいなんだったの
でしょうか。
「何かあったのかい?」
 二人の様子に、只ならぬものを感じたのでしょうか。ルベールさんが尋ねて来
ました。
「実は………」
 トキオたちは洞くつであったことを、ルベールさんへと話しました。
「リリィはさっきまで、図書室にいた。それは間違いないよ………そのあとどん
なに急いでも、村はずれの洞くつに移動して、君たちに目撃されるのは難しい…
……」
 額に手をあてて、ルベールさんは難しい顔をしました。
「その洞くつに、ぼくを案内してくれないか」
「えっ、でも………」
 ルベールさんの言葉に、トキオとギニアは驚いた顔をします。身体の弱いルベ
ールさんが村から離れることは、とてもめずらしいのです。
「だいじょうぶ、今日はとても調子がいいんだ。それに………画家として、その
光るコケというのを見ておきたいんだ」
「うん、ルベールさんがそういうのなら。いいよな、トキオ?」
「うん」
 二人はルベールさんを洞くつへ案内することにしました。

「驚いた………本当にコケが光っている」
 ルベールさんが感嘆の声を上げます。黄色い明かりの中で、その色は分かりま
せんが、きっとルベールさんの頬は赤くなっているのでしょう。
「だけど地球にも、光るコケってあるんでしょう?」
「ああ………だけどぼくは実物を見たことがないんだ。それに、地球の光るコケ
と、こことは色も違うみたいだ」
 もちろんトキオたちにとっても、この洞くつの光景は驚くものでした。まして
普段、村から出ることの少ないルベールさんは、まさに興味しんしんといったふ
うに、洞くつの光景に見入っていました。
「とにかく、奥に進んでみよう」
 三人は、ゆっくりと洞くつを進んでいきます。そして、トキオたちがリリィの
姿を見たあたりにきたときのことです。
 ゆらっ、といった感じに、三人の前で何かがゆれました。
「あっ」
「誰かいる」
 人かげのようです。でも今度はリリィではありません。もっと背の高い、おと
なの人のようです。
「ルベールさん?」
 トキオとギニアは、その人かげのほうに進もうとして、途中で足を止めました。
ルベールさんがひとり、その場に立ちつくしているのに気がついたからです。
「…………グ」
 まるで高熱にうなされるかのように、何かをつぶやきました。それからふいに、
ルベールさんは走り出したのです。
「うわっ」
「ルベールさん」
 トキオとギニアの姿も、ルベールさんの目には入っていないようでした。二人
を突きとばし、ルベールさんはその人かげのもとへとかけ寄っていきます。
「メグ!」
 今度ははっきり聞き取ることが出来ました。どこかで聞き覚えのある名前です。
そう、この星に着陸するときに亡くなったという、ルベールさんの奥さんの名前
です。
 トキオたちは、もう一度人かげのほうに目をやります。
 うすいカーテンをすかして見るように、その人かげの顔がぼんやりと見えまし
た。よく分かりませんが、女の人だと分かります。
 ルベールさんの奥さんは、とてもやさしい人で、宇宙船にいたころ、トキオや
ギニア、子どもたちはみんなとてもかわいがってもらいました。
 でもその時、トキオたちはとても小さかったのです。だからメグさんの顔は、
そんなによく、おぼえていません。
 そんなぼんやりとした記憶と同じように、女の人の顔はぼんやりとしていたの
です。
 だいいち、とっくに死んでしまった人が、ここにいるはずはありません。いる
としたら、それはゆうれいです。
 トキオはぞっとして、ギニアのほうを見ました。ギニアも同じことを考えてい
たのでしょうか。トキオのほうを見ています。
「どうしたルベール、まあた、めそめそしてたでしょ」
 トキオではありません。
 ギニアでもルベールさんでもありません。
 それはゆうれいなんて、こわいものの声ではありません。
 かすかに覚えている優しい女の人の声。
「だって、メグ………君がいないから。メグがいないと………ぼく一人じゃダメ
なんだ」
 小さな子どもがお母さんに甘えるような、いつものルベールさんからは想像出
来ないような声でした。
 女の人、メグさんのそばまでかけよったルベールさんはその手をとります。
「ホント、ルベールたら、子どもみたいね」
 くすくすと、メグさんは笑いました。それから、少し寂しそうな顔をします。
「でもね、ルベール。だめなの………だって私はもう、あなたとは違う世界の人
間なんだよ」
「だったら………だったら、ぼくがメグの世界にいくよ」
 ルベールさんはにぎったメグさんの手を、自分の胸に抱きました。もう絶対に
はなさない、そんな意思が感じられます。
「困ったひと………」
 強くにぎっていたはずの手が、簡単にほどかれてしまいます。
 そしてこちらのほうを向いたまま、洞くつの奥へと下がっていきました。
「待って、メグ!」
 ルベールさんはそのあとを追います。
「ルベールさん!」
 ぼーっと、ルベールさんたちのことを見ていたトキオが、我にかえります。こ
のまま洞くつの奥に進んだら、何があるか分からない。危ないと思ったのです。
 トキオとギニアも、ルベールさんたちのあとを追おうとしました。
 ところが―――
「えっ?」
「うわっ!」
 突然、洞くつの奥からたくさんの水が流れてきたのです。
「!」
 逃げるよゆうなんてありません。
 あっという間に、二人は水に飲み込まれてしまいました。
 もうだめだ、おぼれてしまう。かたく目をとじて、トキオはそう思いました。
 でも水に飲まれたはずなのに、ちっとも苦しくないことに気がつきます。
「?」
 恐る恐る目を開けてみます。ギニアと目が合いました。
 水に飲み込まれたと思ったのは錯覚だったのでしょうか。いえ、錯覚ではなか
ったようです。トキオは水の中にいたのです。
 ギニアの姿が、ゆらめいて見えました。
 水の中にいるのに苦しくない。
 それはとても驚くことでした。でも驚くことは、もっと他にもありました。
 トキオたちは洞くつの奥から流れてきた水に飲まれたのです。それなのにいま
トキオたちがいるのは、もっと広い場所だったのです。
 ギニアが指で上のほうをさして、頷きました。泳いで上にいこうという合図で
す。
 トキオも頷いて、分かったという合図をします。
「ぷはあっ」
 水の上に顔をだして、トキオもギニアも大きく息を吸いました。
 水の中でも苦しくはなかったのですが、思わずそうしてしまったのです。
「あっ、あれっ?」
 水から顔を出したトキオは辺りを見回して、驚いた声をあげます。
 ここは洞くつのはず。
 洞くつの中で、とつぜん流れてきた水に飲まれたはず。
 でも水面に顔を出したトキオが見た光景は、洞くつのものではありませんでし
た。そこにあるはずのもの、光るコケの生えた洞くつの壁が見あたらないのです。
あるのはどこまでも続く青い空でした。
 雲一つない青い空でしたが、雲に代わって浮かぶものがあります。たくさんの
星々です。
 そしてトキオたちのいる水は、海のように真っ青でした。
「あれ? ………これって………」
 トキオとギニアは顔を見合わせます。二人とも、この光景には、どこか見覚え
がありました。
「ルベールさんの絵!」
 二人とも、ほとんど同時でした。
 そうです。
 昨日、見せてもらったばかりの絵。
 宇宙に海がある絵の風景が、そのまま目の前にあったのです。
「わあっ!」
 もう、何から何までふしぎなことばかりですが、ふしぎはまだ続きます。
 トキオはルベールさんの描いた絵を、くわしく思い出しました。いま、トキオ
の目の前にあるものは、ルベールさんの絵とは少しちがいます。
 ところがです。
 トキオが絵の中にあったものを思い出すと、それがどこからともなく、姿をあ
らわしました。
 突然、イルカの群れがトキオたちの横を泳いでゆきます。
 その向こうに見えるのは、サメのヒレでしょうか。
 たくさんの魚たちがあらわれ、トキオたちの身体をくすぐってゆきます。
 空にはたくさんの鳥たちが舞っていました。
「これ、どういうことなの?」
 トキオはギニアに尋ねます。
「分かんないよっ!」
 ギニアに答えられるわけがありません。
「わっ、ルベールさん?」
 一際大きな波をたて、一隻の船が現れました。あれは箱舟というものでしょう
か。
 その船には、たくさんの動物たちが乗っていました。そして動物たちに混じっ
て、ルベールさんと、メグさんの姿があったのです。
「すまない、トキオ、ギニア。ぼくはやっぱり、メグといくよ」
 甲板の上から、ルベールさんが叫びます。それから、船はすごいスピードでト
キオたちの前から走り去ってゆきました。
 そして。
 船が走り去ると同時に、海も姿を消します。
 イルカもサメも、魚も鳥も、みんな消えてしまいました。
 トキオとギニアは元通り、うっすらと光るコケの生えた、洞くつの中に立って
いました。
「夢………だったのかな」
 トキオがいいます。
「まさか………」
 答えるギニアは、自信がなさそうでした。間違いなく目の前で起きたことなの
に、あまりに現実ばなれした出来事が本当だったのか不安になってしまったので
しょう。
「そうだ、ルベールさん!」
 しばらくの間、ぼーっとしたあとで、ルベールさんがいなくなってしまったこ
とに気がつきます。二人は慌ててルベールさんを探しはじめました。
「ルベールさん!」
「どこ、どこにいるの!?」
 洞くつを少し、奥のほうに進んでみます。でもルベールさんはいません。なん
だか目がかすむような気がして、恐くなってきます。
 もう二人だけではどうにもなりそうにありません。
 村に戻って、おとなの人を呼んだほうがよさそうです。

「おーい、ルベール。どこにいる」
「ルベール君、返事をしなさい」
「ルベールさん、どこですか」
 ルベールさんを呼ぶ、いくつもの声が洞くつの中から聞こえてきます。カンテ
ラを持ったおとなの人たちが、ルベールさんを探しているのです。
 トキオとギニアは、不安な気持ちでみんなが戻ってくるのを、洞くつの外で待
っていました。けれども、どれだけ待ってもルベールさんが見つかる様子はあり
ません。
 やがて洞くつの中から聞こえてくる、おとなの人たちの声が変わってきます。
「うおっ、なんだこれは?」
「どうしてお前がここに!?」
 驚いたような、慌てたような声。
 トキオたちは、もしかすると、と思います。
 少しして、おとなの人たちが洞くつの中から戻ってきました。みんな、なんだ
か青い顔をしています。
「話には聞いていたが………まさか、まだ信じられない………」
 そう言ったのは、トキオのお父さんでした。お父さんは洞くつの奥で、お父さ
んのお父さんや、お母さんを見たのだそうです。
 ギニアのお父さんは、大草原を見たと言いました。
 そしてトキオたちの先生は、なんだかとても悲しそうな顔をして、何も話しま
せん。
 結局、ルベールさんはみつかりませんでした。夜になっても、村に戻ってきま
せんでした。
 次の日も、その次の日もおとなの人たちは洞くつを探しましたが、ルベールさ
んはみつかりません。洞くつに入るたび、おとなの人たちはふしぎなものを見て
戻って来るだけでした。

「あくまでもこれは推測だが………」
 だいぶ後になってから、ドクターはこう言ったのです。
「あのふしぎな現象は、洞くつに生えたコケの仕業じゃないだろうか。あのコケ
は人の頭の信号を感知して、それを投影する能力を持っている。なぜだかは分か
らないが………そうだな、自分の身を守るためかも知れんな。そうだ、例えば菌
糸類が己の身を守るため、抗生物質を出すようにだ。自分たちを食べる虫やトガ
ゲのような物が恐怖する物を見せるわけだ」
 ドクターの推理が正しいのかどうか、もう分かりません。あの洞くつはなくな
ってしまったのですから。
 ルベールさんが居なくなって一ヶ月たったとき。あの洞くつは危険だという理
由で、その入り口をダイナマイトで爆破してしまったのです。

「ルベールさん、死んじゃったのかな」
 もう二ヶ月になるでしょうか。学校の帰り道、草っ原に座って、ギニアが言い
ました。
「分かんないよ」
 ごろん、と横になってトキオは答えます。
 青い空に、白い雲がとても高く浮かんでいました。
「ううん、きっと生きてるよ」
 トンボが一匹、トキオのおでこに止まります。トキオは、おでこをひくひくと
動かして、トンボを追い払いました。トンボが止まっていたところがとても痒く
て、それを手で掻きます。
「………だな」
 ギニアもトキオの真似をして、寝転びます。
 トキオは思います。ギニアもたぶん同じでしょう。
 きっとルベールさんは旅に出たのです。
 宇宙に広がる青い海を、箱舟に乗って、メグさんと一緒に。

【おわり】


 ドキオとギニアはとてもご機嫌。
 手にはきらきらと光る、真新しいナイフ。お父さんたちからの贈り物です。
 新しいナイフを持って、二人は海に行くことになりました。食料や塩を調達す
るための、村にとっては、とても大事な行事なのです。
 そして今年は先生も一緒に、海へ行くことになりました。
 次回は「始まりと終わりの海」というお話し。





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