AWC CROSS TALK【改訂版】(1/13)  らいと・ひる



#17/598 ●長編
★タイトル (NKG     )  01/12/11  23:33  (170)
CROSS TALK【改訂版】(1/13)  らいと・ひる
★内容

 ゴールデンウィークも終わり、暖かさもちょうど良くなって梅雨にもまだ入り
きらない平日の放課後のひととき、御陵葵(みささぎ あおい)は、図書室で数
学の予習をしていた。
 いや、予習というよりは趣味といった方がいいだろうか。中学1年であるはず
の彼女が解こうとしてる問題は三年生で教わるはずの二次方程式である。彼女は
勉強が好きというより、数式というものに妙な魅力を感じてしまっているといっ
た方が正しいだろう。
 もともと算数は得意だったし、数字を見ているのは好きだった。数字というの
は、文字の書体に比べて日常で見られる書体のバリエーションはかなり多い。葵
が興味を持ち始めたのはそういう部分からなのかもしれない。
 よく、数学に機械的で冷たいという印象を覚える人がいるが、彼女はその逆で
あった。数字にも人間らしさを感じるというのが、彼女の印象だったからだ。
 特に数字以外の文字が入る方程式などは、詩的な魅力も感じてしまっていたの
だ。
 しかし、葵自身それほど天才かというとそうでもなく、問題集にある問いをす
べてスラスラと解けるわけではない。それどころか、所々引っかかりながら、地
道に進めるのがオチである。
 問題を解くことに苦痛を感じていなかったものの、何問目かでやはり答えに詰
まってしまう。
 ノートの右側にある白紙の部分を使って、今葵の中で理解している範囲の解法
を思いつく限り書いていく。問題を解く過程もまた彼女の楽しみの一つであった。
「そこには【y】を代入するといい」
 急に声をかけられて葵は驚きながらも声のする方を向く。
「キミ一年生だよね。すごいね、もうこんな問題解いてるなんて」
 長身でフレームレスの眼鏡をかけた、ちょっと大人びた男の子がそこにいた。
足下をちらりと見て黄色のラインの上履きが見えた。その色からして、三年生な
のだろうと葵は考える。
「ははは……趣味でやってるんです」
「趣味?」
「ご覧の通り、すらすら解ける訳でもありませんから」
 葵は苦笑する。
「そうかい? 自力でそこまでできるのは関心するな。それに」
 彼はそこまで言って葵から目線を逸らし、ノートの方を指さす。
「それに?」
「綺麗な『x(エックス)』を書くんだね」
 そう誉められて、葵はかぁーっと赤くなる。こういう時はどう反応したらいい
んだろう。
「……」
 結局、何も答えられずに彼女はうつむいてしまう。
「数学は好きなの?」
「き、嫌いじゃないです」
 葵のその返事に彼は「ふーん」と考える素振りを見せると、一息おいてこう言
った。
「ねぇ、キミさ。文芸部に入らない?」
 そう言われて葵の頭は混乱する。
「は?」
 ブンゲイブ?
 彼はたしかに文芸部と言ったはず。それとも聞き間違いなのだろうか? 葵は
真剣に悩み込む。ブンゲイ部? ブンゲイ……。
 何か数学に関係があることなのだろうか?


 次の日、図書室で出会った先輩に誘われたとおり、一応部活動へと顔を出して
みることにした。断るにしても、一度会わなければならないからだ。
 それに、葵は不思議に思った。
「なぜ文芸部なんですか?」
 彼女のその問いに先輩は笑って答えたのだ。
「来てみればわかるよ」
 葵の好奇心はその部分へとそそられた。もちろん、彼女自身も文芸にまったく
興味がないわけではない。数式に詩的な魅力を感じるのと同じに、文章に対して
も十分魅力を感じていた。
 行けばわかるのかな?
 葵はそんなちょっとした好奇心に胸を躍らせながら、部活動をやっているとい
う視聴覚室へと足を運ばせた。
 扉をノックして緊張しながら開ける。
「失礼します」
「賭けは勝ちだな」
 入った途端、そんな声が聞こえてくる。声の方向を見ると、昨日のあの先輩が
こちらを見て微笑んでいた。
「ちっ! まだまだ甘かったわ」
 その横には、同じ三年生らしい女生徒がいて、不機嫌そうに舌打ちをしている。
 葵がどうしたらいいのかわからないでいると、昨日の先輩はニコニコしながら
彼女の方へやってきた。
「ようこそ文芸部へ」
「あ、あの……」
「別にクスリ漬けにして売り飛ばそうっていうじゃないから」
「西原!」
 不機嫌そうな女生徒の顔がさらに怒りへと傾く。
「ごめんごめん。とにかくそこに座って。今お茶いれてあげるから。紅茶嫌いじ
ゃないよね。あそこのお姉さんがとってもおいしいダージリンを入れてくるから
さ」
 先輩はそう言って、お茶菓子ののった机を指す。そこには何人かの生徒たちが
座っている。坊主頭の男の子は夢中になってワープロを打っていて、その隣りで
は清楚なお嬢様風の女の子が鉛筆で下書きしてある原稿をペンでなぞっている。
絵が書いてあるのでマンガの原稿なのだろうか。その向かいには、体格のよいい
かにも体育会系といった男の子がノートにさらさらと文章を綴っている。部屋の
片隅では、五人くらいの男女のグループが柔軟体操をやっていた。
「はぁ」
 葵はとにかく気分を落ち着ける為に、とりあえず座ることにした。
「ようこそ文芸部へ」
 先輩にそう言われて、葵は再び周りいる生徒たちを見回す。
「文芸部なんですか?」
「そう。とりあえずみんな紹介しといた方がいいね。ボクはこの文芸部の主、つ
まり部長の西原晃司だ」
 改めて彼の顔を見る。性格はどうにも掴みようがないが、何も喋らなければ知
的な魅力が漂う落ち着いた先輩ではあるのだが。
「私は1−Bの御陵葵っていいます。『ブンゲイ』ってあの『文学』の『文芸』
ですよね」
 葵の疑問は晴れない。彼女が思い描いていた文芸部とはかなりかけ離れていた
からだ。
「そうだよ。最初に説明しておいた方がいいね。ここは誰がなんと言おうと文芸
部だ。ただ、ここのところの人数不足でね。人手が足らないんでいろんな同好会
を吸収しつつ、活動しているわけだ」
 つまりここは純粋に文芸をするものだけが集まっているわけではないというこ
となのだろう。
「はあ」
 とりあえず葵は納得する。
「あそこでワープロ打ってるのが二年の若木くん、その隣りのペン入れしてるの
が二年の高島くん、右端が自称詩人の立脇くん。彼はボクと同じ三年。奥の方に
いる五人組、左から二年の飯島くん、橋谷くん、岡本くん、新庄くん、1年の乗
鞍くん、ともに演劇方面で、とりあえずみんな脚本も小説も書ける」
 そこまで彼が説明した時、ちょうど先ほど不機嫌な顔をしていた女の子が戻っ
てくる。でも、その顔には穏やかな笑みが浮かべられていた。
「そして私が柳沼智恵。小説も書くけど、もともとは映像方面。つまり映研かな。
これでも映画監督志望なの。はい、冷めないうちにどうぞ」
 葵の前にティーカップが置かれた。紅茶のよい香りが漂う。
「ありがとうございます。で、そんなところに私がなぜ?」
 彼女の最大の疑問である『数学の問題をやっていて、なぜ文芸部に誘われたの
か?』の答えが未だに理解できない。
「西原ってね、素質を見抜く力があるの。たまにそういう面白い子を拾ってくる
わけ。今日は来てないけど、他にもいるんだよ」
 柳沼は、先ほどの不機嫌な顔は、もうどこかへやってしまったかのように穏や
かな笑顔を葵へと向けていた。
「素質ですか?」
「そう。素質だよ」
 少々芝居がかった西原の言葉に、葵は目をまんまるくして言葉を失う。この人
はどこまで本気なのだか、彼女には把握できないのだ。
 そんな葵に気づき、柳沼が横から口を挟む。
「ただね。こいつはこういう性格だから、スカウトしても成功する確率が低いん
だ。図書室でちょうどあなたを見かけて、私はあなたの雰囲気から彼の言葉には
絶対のらないんじゃないかって思ってた」
「それはやっぱり人を見る目がないんだよ柳沼クン」
「はいはい。まだまだ甘かったです」と、西原の方を見て目を細める柳沼はすぐ
に葵の方を向き、言葉を続ける。
「あなたは彼の言葉にのってここへ来た。別に無視してたってよかったんだし、
それをせずに直接来たって時点で十分素質があるんだよ」
「ちょ、ちょっと待ってください。わたし小説なんて書けません。書いたことな
んかありませんから。それに、わたし、たぶんどっちかというと理系の人間です
よ」
「書いたことがないというのなら、すべての人間が同じ条件さ。どんな文豪であ
ろうと、初めてはあるのだからね」
 葵はとっさに反論できずに黙り込む。
「西原って強引だからね」
 柳沼はふふっと笑う。
「わたし物語読むのは嫌いじゃないです。けど、自分で書いてみようなんて思っ
たことありませんでした」
 葵はとりあえず自分の気持ちを正直に言った。
「君はルイス・キャロルを知っているかい?」
 その名前に彼女は覚えがあった。
「不思議の国のアリスの作者ですよね」
 葵はそのお話が大好きだった。幼い頃母親に読んでもらった記憶がある。
「彼が数学者だったって話は有名じゃないか。他にも科学者だった人が小説を書
いていたという事実はいくらでもあるさ。ようは文系か理系かなんて問題じゃな
いんだ。どれだけ未知のものに惹かれるかってのが重要なのさ。創作ってのは未
知の世界だからね」
「でも……」
「ま、彼の理屈は強引だけど、あなた部活は決めてないんでしょ? とりあえず
入ってみてほんとに自分には向いてないと思ったらやめればいいから。うちの部
は変な宗教団体じゃないから、やめるのは簡単だよ」
 西原とは逆に柳沼の柔らかい口調に、少しだけ葵はほっとする。
「考えさせていただけますか?」
 上目遣いに葵は西原にそう告げる。
「ああ、ゆっくり考えるといいよ。とりあえず部活の見学は自由だし、小説が書
きたくなったら書き方を教えてあげるから」
「はい。あの、よろしくお願いいたします」
 思わず葵はそう答えてしまう。入部したわけでもないのに「お願いします」と
言うのも変だが、部の人たちは悪い人には見えなかったのだ。






#18/598 ●長編    *** コメント #17 ***
★タイトル (NKG     )  01/12/11  23:33  (299)
CROSS TALK【改訂版】(2/13)  らいと・ひる
★内容

 葵は、正式に入部の手続きを済ませたわけではないのだが、西原の言葉に甘え
てちょくちょく部活に顔を出していた。人の話を聞くのが好きだという性格も関
係しているのかもしれない。とにかく、文芸部は活動がどうのこうという以前に、
入部している人たちのキャラクターの面白さもあるのだ。西原は、あの通りのつ
かみ所のない人柄だし、柳沼の一見常識人っぽい部分の中に秘めた妙な感じとか、
それ以外の人たちも個性派揃いで飽きることはなかった。
 部活といっても作業をしている(小説や脚本に集中している)以外の人たちは、
ほぼお茶をしながらの雑談といってよい。
 西原の説明によれば、雑談も創作活動のうちで、いわゆるネタ漁りのためのも
のだという。たしかに、話題は真面目な問題からおちゃらけたネタまで様々な事
が語られている。それを自分なりに昇華して創作の糧にするそうだ。
「葵っちは、今日も文芸部に顔出すの?」
 放課後、隣の席の佐藤恵美香が葵に声をかける。彼女は、葵が中学に入って初
めて出来た友達だ。
「うん。サトちゃんはまだ決めてないんだっけ?」
 佐藤恵美香の事を葵は「サトちゃん」という愛称で呼んでいる。それというの
も、彼女は大のサトちゃん(某薬剤メーカーの象のマスコット)好きであり、い
つも鞄にキーホルダーを下げているのだ。ちなみに「佐藤」というありふれた苗
字のためか、彼女自ら「サトちゃんと呼んでねん」と言っていたのだ。
「うーん。テニスやってみたいけど、なんかミーハーやん。どうせならもっとマ
イナーな事やってみたいし」
 彼女は少し変わっている。いわゆる今時の子とはかけ離れた雰囲気を持つ。流
行よりも懐古趣味に染まるタイプだ。
「文芸部来ない? けっこう面白いかもよ」
「話聞いとる分にはおもろいかもしれんけど、ちょーな」
 話し言葉にややインチキ関西弁が入っているのは、博多生まれで奈良育ちの祖
母の影響によるものらしい。
「やっぱり身体動かしてる方が好きなんだ」
「そういう性分やからね。もうちょいいろんなトコ見学してみるわ」
「ごめんね。見学付き合えなくて」
「ええって、葵は葵の好きにしたらええ。そのための放課後なんやから」
 恵美香はけっこうさばけた性格である。そういう所が葵はけっこう気に入って
たりする。
 彼女にさよならを言うと、葵はさっそく視聴覚室へと向かう。今日はどんな話
を聞けるのだろうかと、最近わくわくするようになってきた。
 それでもまだ、自分で何かを創作しようという気にはならない。先輩達も葵に
無理強いはしなかった。
「こんにちは。また来ました」
 視聴覚室の扉を静かに開けて、挨拶をする。部屋の中にはコーヒーのいい香り
が漂っていた。
「よっ! 来たね。見学者」
 いかにも体育会系といった感じの自称詩人の立脇が、一番で葵に声をかける。
彼は、西原や柳沼の次に顔を覚えた人物だ。彼の詩を読んだ事があるのだが、見
た目とのギャップがかなり激しい。いかにも優男でロマンチストが書いたような、
一歩間違えば恥ずかしくて読めないというような詩ではあるものの、何か惹かれ
るものを持った作品でもあった。
 彼本人、もちろんロマンチストというのはそのままだが、普段の口調などは本
当に体育会系なのである。
「はい。お邪魔します」
「今日はうちのブレンド持ってきたんだ。御陵さんは、コーヒー飲める人だよね」
「ええ、ミルク入れてもらえますか?」
 葵はそう答える。コーヒーよりは紅茶の方が好きなのだが、ミルクと砂糖をた
っぷりのカフェオレはそこそこ好きであった。
 いつもの場所に座ると、立脇は葵のカップにコーヒーを注いでくれる。インス
タントではなくサイフォン式のものであった。話には聞いたことがあるが、実際
に見るのは初めてであった。が、アルコールランプにはなぜか見覚えがある。
「それって、もしかして……」
 葵がアルコールランプに注目していると、立脇は苦笑いしながら「ああ、理科
室のをちょっと拝借してきた」と言った。
 カップに口をつけて一口すすると葵はいつもと違う雰囲気に違和感を覚え、あ
らためて周りを見渡す。
「今日は、西原先輩と柳沼先輩は?」
 部の要ともいえる二人がいないので、部屋の中が全体的に静かめな感じである。
立脇がいなければもっと静かになるのだろうか。
「柳沼は金策、西原は人買い」
「……」
 葵が返答できずに苦笑いしていると、部屋のスピーカーから柳沼の声が聞こえ
てくる。
『誰が金策だって、私は中小企業の社長か?』
「え? 先輩どこにいるんですか?」
 葵は不思議そうに部屋を見回した。
「準備室だよ」
 立脇が笑いをかみ殺しながら彼女に答える。
「え?」
 葵は立ち上がると、部屋の奥にある準備室に通じるドアの前まで行き、ノック
してからそっと開けた。
 準備室の中のミキサー卓の前に柳沼は座って何か作業をしているようだ。
 ちょうどミキサー卓の前に小窓があり、視聴覚室の様子が窺えるようになって
いる。
「何してるんですか?」
 柳沼の横には14インチ程のモニターがあり、何かパソコンのOSが立ち上が
っているようだ。
「DV編集だよ。言ったでしょ、これでも映像方面を目指してるんだって」
 モニターの中のウインドウ枠には、見覚えのある景色の映像が流れている。
「この近くですか?」
「そうだよ。あんまり遠くへは行けないからね」
 話しているうちに映像が切り替わる。今度は、教会らしい建物だ。
「この辺にこんな教会ありましたっけ?」
「知らない? 4丁目の教会なんだけど」
「4丁目ですか。……わたし、この町は来たばかりなんで、まだ寮のまわりと駅
前商店街ぐらいしか行ったことないんです」
「そうか、御陵さんって寮生だったんだね。うちの部だと、橋本さんもだよ」
 橋本と言われてピンとこなかった葵ではあるが、すぐに演劇方面の彼女の顔を
思い出す。彼女はたしか『女優』ではなく生粋の『役者』になりたいと言ってい
た人だ。顔立ちはかなり整った、いわゆる美少女であった為、意外に感じていた。
「あ、そうだ。御陵さん、今暇?」
「え? あ、はい。ただのクラブ見学に来ただけですから」
「西原呼んで来てくれない。演出の打ち合わせやりたいから」
 演出と聞いて、葵は柳沼の編集している映像に目をやる。
「あ、御陵さんはまだ知らなかったんだね。実は私、短いけど映画を作ってるの。
もちろん、内輪でだけどね。役者は、全員部員で、西原には脚本を書いてもらっ
た。それで、ちょっとした打ち合わせを時々やってるわけ。あなたも正式に部員
となったら、映画に出演してもらうかも」
 柳沼はいたずらっぽく笑う。
「そ、そんなわたし、映画なんて」
「半分冗談だよ。撮りはほとんど終わってるしね。教会の部分の映像をもう少し
いじりたいかなって思ってるだけだから」
 葵はほっと胸をなで下ろす。例え素人が作るものとはいえ自分には役者の経験
などなく、ましてやカメラの前であれこれするなど、恥ずかしくてできるわけが
ないと思っていたからだ。
「ところで、あの、西原先輩を呼んで来るにも、わたし居場所知らないんですけ
ど」
「ああ、そうだね。えっとね、さっき『ネタが思いつきそうだから』って出てい
ったから、多分校庭だよ」
「校庭ですか?」
 ちょっとだけそれは意外に感じられた。そういう場合は普通、屋上などの景色
のよい場所に行くのでは、と葵は思う。でも、あの西原先輩だけに普通が通用し
ないかもしれないと、改めて彼女は考える。
「たぶん朝礼台の上に座っていると思うよ」



 西原を見つけるのは簡単であった。
 柳沼に教えられたとおり、校庭にある朝礼台の上に座禅を組んで校庭を見渡し
ている。
「せんぱーい!」
 葵は、ちょっと恥ずかしがりながらも大声で彼を呼んだ。
「ああ、御陵くんか」
 彼女の方をちらりとも見ず、前を向いたまま西原は返事をする。
 葵は不思議に思って彼の視線の先を眺める。
 そこには校庭で部活動を行っている様々な生徒達の姿以外、特に珍しいものは
何もなかった。
「何をしているんですか?」
 葵は「何を見ているんですか?」とはあえて聞かなかった。
「観察」
 いつもの飄々とした声が返ってくる。
「観察?」
「洒落た言い方をすると『人間ウォッチング』とも言う」
「誰をですか?」
「今日は陸上部かな」
 西原のその対応に、葵はなぜかおかしくなってきた。くすくすと笑いがこみあ
げてくる。
「陸上部の人から見て、悪い言い方をすると『ストーカー』になりません?」
 笑いをこらえながら彼女はそう問いかけた。
「なるほど、そういう考え方もあるな」
 手のひらをぽんと叩いて、西原は立ち上がり「それで? 僕に何か用があるん
じゃないか?」と聞いてくる。
 ようやく西原は葵の方を向いた。相変わらず考えの読めない表情。無表情とは
違う、つかみ所のない感じである。
「あ、はい。柳沼先輩が呼んでました。打ち合わせがやりたいからって」
「ああ、例の映画か。よし行くとするか」
 西原は朝礼台の上から、ぽんと飛び降りる。
「先輩って脚本も書けるんですね。なんかすごいなぁ」
「『脚本も』と言うからには、『小説』と『脚本』の違いってのをきちんとわか
っているんだね。えらいえらい、さすが僕が見込んだだけのことはあるな」
 葵は西原と話していると、調子が狂う。どうも普通には会話がなりたたないよ
うだが、それでも彼との話はいろいろと発見があって面白いのだ。
「わたし、違いなんてはっきり知りませんよ。ただ、『小説』はそれ自体で完成
しているのに、『脚本』は違いますよね。映像とか役者さんの声を想像しながら、
練り上げていくわけじゃないですか、だから、手法としてはかなり違うんじゃな
いかなぁっていうわたしの勝手な想像なんですけどね」
「それだけわかってれば十分だよ。昔ね、『小説』より『脚本』の方が書くのが
簡単だ、って豪語してた奴がいてね。1週間で部を追い出されたよ」
「先輩が追い出したんですか?」
「まさか。そんなことをするのは柳沼ぐらいしかいないよ」
「……ははは。なんとなく想像がつきます」
 葵は苦笑いする。その時の台詞まで想像できそうだ。
 視聴覚室へ戻るまでの間、葵はこの妙な感じの会話を楽しんだ。
 階段の所で一人の女子生徒とすれ違う。
 葵はその生徒に見覚えがあった。
 それはクラスメイトの西原美凪である。葵は彼女の名前まで思い出して、ある
ことに気づき一瞬思考が停止する。
「あ、美凪」
 案の定隣りを歩いていた西原が立ち止まり、彼女へと声をかける。
「……」
 彼女は返事もせずに、彼の方を睨んでいた。
「今日、トクゼンの特売日だからトイレットペーパー買ってこいよ。お一人様一
点限りだから、一人一点ノルマだ」
「……」
「シングルじゃないぞ、ダブルだからな」
 西原の声のトーンはいつもと変わらない。美凪の方は一方的に怒っているよう
にも思える。ケンカでもしているのだろうか?
 彼女はぷいと顔をそらすとそのまま歩いていく。西原も何事もなかったかのよ
うに歩き出した。
 葵はその話題に触れるべきかどうか悩んでいると、逆に西原の方から説明して
くれた。
「さっきのあの子、僕の妹なんだけどね。兄妹仲はあんまりよくないんだ」
 さすがにそこで西原の表情にも変化があらわれる。少しだけ苦笑いしたかのよ
うな、微妙な感じになる。いつもは飄々としている彼のそんな姿を見るのは、ち
ょっとだけ辛かった。
 それと同時に葵の心もずきりと痛みだす。ずっと忘れていた古傷が痛み出すか
のような感じ。
 一瞬、沈黙が訪れて葵はそれに耐えきれず何か話しかけようとして、ついその
事に再び触れてしまう。
「兄妹はお二人だけですか?」
「そうだよ。とは言っても、妹とは半分しか血は繋がってない」
 そこまで言って、西原は再び黙り込む。
 複雑な事情があるのだろう。葵はそれ以上聞くことはできなかった。


 その日、葵はもどかしい気分のまま寮に帰宅した。
 こういう日は、夏江叔母さんに電話をして気分を変えた方がいいだろう。そう
思い葵は部屋に鞄を置くとロビーにあるピンクの電話の所へ行く。この電話は1
0円玉のみ受け付ける代物であったのだが、寮母の計らいによりお金を入れなく
て使用できるようになっている。電話代は寮の管理費から差し引かれていた。も
っとも、携帯電話の全盛の現在この電話を使用する人はごく僅かしかいないので、
彼女は心おきなく通話できるのである。
「はい、御陵です」
 受話器の向こうから叔母の若々しい声が聞こえてくる。叔母の御陵夏江は、3
0代ではあるもののまだ独身でもあった。
「あ、もしもし葵です」
「どうしたの? 昨日かけてきたばかりだってのに」
 葵の声を聞いた夏江が少し心配そうに言う。
「うん。なんでもないよ。たまたま話がしたくなっただけ」
 彼女は叔母であり保護者でもある夏江に悟られないようにと明るい声で答えた。
 中学に入学するまで、葵は夏江の家にいた。
 7年前、3つ上の姉と喧嘩をして家を出てからずっと、夏江は彼女の成長を見
守ってくれていたのだ。
 本来なら、単なる姉妹の喧嘩である家出で、叔母である夏江が引き取らなけれ
ばならない理由はない。
 しかし、7年前のちょっとした事件は、葵たち姉妹の運命を揺るがすほどの事
態へと発展したのだ。


	*							*



「ほら、言ったでしょ。間違いは素直に認めなさい」
 頭一つほど背の高い姉の香苗に見下ろされるようにそう言われて、葵はめちゃ
くちゃ腹が立った。
「そんなふうに言わなくたっていいじゃない!」
 初めは些細な言い争いでしかなかった。だが、幼い葵が姉の香苗に勝てないの
はいつものことである。
「素直に謝りなさいって言ってるの」
「わたし、悪くないもん」
 葵自身、少し意地になっているのはわかっていた。ただ、姉のその言葉に彼女
はどうしても納得できない。
「葵! お父さんとお母さんに言いつけるよ」
「悪くないもん」
「お父さーん! 葵がまた駄々こねてるよ」
 葵から視線を逸らし、奥のダイニングの方へ向けて香苗はそう告げる。
 両親まで味方につけられたのでは葵の立場はない。
「もう、お姉ちゃんなんか知らない!」
 だから、いつもの喧嘩の時のように、葵は頭が冷えるまで家を離れようと思っ
ただけのことだった。そう、いつものように。


 家から走って5分ほどの近くのマンションにつくと、葵は階段を7階まで駆け
上がる。彼女の身長ではエレベータに乗ってもボタンが押せないのでいつもは誰
かが一緒に乗ってくるのを待っている。だが、今日のような泣き顔は恥ずかしく
て知らない人には見せられない。
 息を切らせながら7階につくと、階段のすぐ隣にある部屋のドアをノックした。
「はぁーい。どちら様?」
 若い女性の返事が聞こえて、葵はその声に安堵する。
「夏江さん開けてぇ」
 扉が静かに開かれると、目鼻立ちのはっきりしたちょっとキツそうだけど優し
げな雰囲気をも同時に感じさせる御陵夏江が現れる。彼女は葵の父親の6つ下の
妹であった。葵にとっては叔母にあたる。
「またお姉ちゃんと喧嘩したんか?」
 しかたがないといった顔でため息をつきながら、夏江は葵を部屋へと招き入れ
た。
「だって、ずるいんだよ。お姉ちゃんすぐにお父さん呼ぶんだもん」
「ま、香苗は兄貴に似て堅実に育ってるからね。聞き分けのない葵を相手にする
のも疲れたのかも」
「そんなぁ、夏江さぁん」
「ま、不良妹のわたしとしては葵の味方だから安心しな。今日泊まっていくでし
ょ?」
「うん」
 叔母の夏江は葵の一番の理解者でもあった。夏江の方も懐いてくる葵に悪い気
はしていなかったようだ。
 夏江は大学を出たばかりだが、学生時代からライターの仕事をやっていた関係
上、就職することもなくフリーでずっとやっている。1年間のほぼ7割は家にい
るといってよい。だから葵も、いつでも気軽に遊びに来られるのだ。最近は、夏
江に代わって家事をこなしたりなんかしている。いつも暇なわけではない彼女に
悪いと思って始めたことらしい。
 そんなこんなで、夏江の家にはいつのまにか葵専用のお茶碗や湯飲み、歯ブラ
シや布団まで揃っていた。
「いっそのことわたしんちの子になるか?」と冗談で夏江が言うと、葵は嬉しそ
うに半分本気で「うん!」と答えることもあった。
 その日、夏江は徹夜で仕上げなければならない原稿があるということで、葵だ
け先に眠ることになる。疲れていた彼女はすぐにすーすーと寝息をたてていた。


 真夜中、なんだかサイレンがうるさいなぁと思いながらも夏江は仕事を終え、
原稿をファクシミリで依頼先へと送ったところで大きなあくびをする。そして葵
も眠る自分の寝室へと戻ろうとした時、ふいに電話のベルがなった。
 時間の感覚がマヒしていたためか、彼女は電話より先に時計の方へと目がいっ
た。
 テーブルの上のデジタル時計は午前3時ちょうどを示している。
「誰よぉー、こんな時間に」
 頭をかきむしりながら夏江は受話器を取る。
「………っ……」
 電話の向こうからは、わずかにかすれた泣き声だけが聞こえてくる。いたずら
電話にしては何か聞き覚えのある声であった。何か喋ろうとして夏江はっとする。
彼女の勘が間違ってなければ、それは自分の姪、つまり葵の姉『香苗』の久しく
聞いていなかった泣き声であった。





#19/598 ●長編    *** コメント #18 ***
★タイトル (NKG     )  01/12/11  23:33  (196)
CROSS TALK【改訂版】(3/13)  らいと・ひる
★内容
		*						*


 夏江が家に戻った時はもう午前11時を過ぎていた。彼女はダイニングにある
テーブルの椅子に腰掛けてぼんやりと宙を見つめる。
「あ、おはよう。夏江さん」
 寝室のドアが開いて寝ぼけ眼の葵が歩いてくる。
「……そうだね、あんたも無事だったんだよね」
 夏江は目を細めながら必死で涙をこらえる。
「どしたの?」
 葵は事情がわからないのか首を傾げていた。
 夏江は深く息を吸い込むと、椅子から立ち上がって彼女の両頬を包み込むよう
に手を添える。
「葵。よく聞いて。これからわたしが言うことは嘘でも冗談でもないの」
「?」
 彼女は再び首を傾げる。
「昨日サイレンが鳴ってたの覚えている?」
 葵は首をふる。そして不安そうな表情を浮かべた。
「そう。じゃあ、遠回しに言うのはやめるね。兄さんの……葵の家で火事があっ
たの」
 彼女の瞳が開かれる。
「香苗と柚花は無事よ。だけどね……」
 そこから先はなかなか言葉が出ない。いつもの夏江なら喋ることでこんな苦痛
を感じることなどないのに。
 なかなか喋らない彼女に痺れを切らしたのか、葵は言葉をしっかりとかみしめ
るようにゆっくりと問いかける。
「おとうさんとおかあさんは?」
 それと同時に夏江の瞳からぼろぼろと涙がこぼれてくる。彼女はどうにもでき
ず葵を強く強く抱きしめた。そして、絞り出すように告げる。
「亡くなったわ」
 部屋の空気が一気に張りつめていく。それは抱きしめた葵の身体からも感じら
れた。
 しばらくして、無言で抱きしめていた夏江から逃れるように、葵はするりと抜
けるとそのまま寝室へと戻っていく。
「あ、葵?」
 しばらくあっけにとられてながら、彼女はその後ろ姿を見つめていた。
 ドアが閉まり、鍵のかかるような音がして、ようやく夏江は葵の行動の異常さ
に気づいた。
「葵?」
 ドアを軽くノックして夏江は彼女を呼ぶ。
「葵。開けて」
 返事はない。
「葵? まだ話は終わってないの」
 まるで誰もいないかのように、ドアの向こう側は静まりかえっている。
「つらいかもしれないけど、聞いてちょうだい」
 はじめはドアの向こうで泣き崩れているのだろうと夏江は考えていた。だが、
その気配すらない。
「葵!」
 どんどんどん、と少し強めにドアを叩く。
「葵! 葵!」
 それから二日、その扉は開かれることはなかった。


		*						*


 目が覚めると見慣れないベッドの上だった。
 葵は恐る恐る周りを見回す。
「どう。気分は?」
 ベッドから少し離れた椅子に見慣れた顔はあった。それは叔母の夏江だった。
「ここ、どこ?」
「病院よ。あんた少し風邪気味だったんだね。2日あの部屋に立て籠もって、私
もやらなければいけない用事があったから、ついあんたのわがままを放って置い
たんだ。さすがに3日目に入ってヤバイかなってドアぶち壊したらあんた倒れて
てね。病人のくせに2日も飲まず食わずでいたら、そりゃ病状は悪化するわな。
そんで緊急入院。あんたはそれでここにいる。その後もまた大変だったんだけど
ね」
「あ……」
 目覚めた直後で曖昧になっていた葵の記憶が戻りつつある。夏江の口から何を
聞かされたのか、自分が何から逃げようとしていたのか、そんな記憶も呼び覚ま
す。
 ふいにずきりと頭が痛む。逃れられない何かが迫ってくるように、彼女は頭を
抱える。
「葵」
 優しげな夏江さんの声。ふわりと心が包み込まれる。
「もうなにも言わない。葵の気持ちは少しはわかるつもりだから」
「夏江さん……わたし」
「葵もそれ以上言わないでいいよ。それからね。あんたが居たいだけあの家に居
ていいよ」
「え?」
「あんたが気の済むまで私の家にいていいよってこと」
 それは葵の望んでいること。あそこにいれば余計なことを考えなくて済むのか
もしれない。
「いいの?」
 葵は震えそうな唇で問い返す。
「手続きの段取りはついてる。あんたがそれでいいなら、その方向で話は進む」
「……うん。お願い……します」
「ただし、私から一つ条件がある」
「……なに?」
「今回のことは許してあげる。でもね、これからのことはきちんとしてもらわな
いと困る。そう、困るのは私じゃない葵の方だけどね」
「困る?」
「今回のことは見逃す。でもね、これから……今からね、どんなにつらいことが
あっても目を逸らさないこと。絶対とは言わないけど、あんたにはこれからまっ
すぐに物事を見つめられるようになってほしいの。私が面倒みるからにはそれは
守って欲しいの。そうじゃないとあんたダメになっちゃうから」
「まっすぐ?」
「約束……できる?」
「……たぶん」
「無理しなくていいけど、努力はするのよ。それがわたしからの条件」
「わかった」
「じゃあ、あんたは今からわたしの家の子だよ」


		*						*


 それから数年が経ち、すくすくと成長した(それでも小柄な身体は母親似なの
か)葵は私立中学の受験を目前に控える。これは彼女のたっての希望で、その学
校というのは夏江の母校でもあった。寮があるというのも、理由のひとつである。
彼女は保護者である彼女にこれ以上迷惑はかけたくなかったのだ。
「今までわがまま言ってごめんね。でも、これが最後のわがままだからさ」
 クリスマスケーキと一緒にされたバースディケーキを食べながら葵は夏江にそ
う告げる。その日はクリスマスイブでもあり、葵の12才の誕生日でもあった。
「なーに、ナマイキな事いってんのよ。あんたガキなんだから、まだまだわがま
ま言ってもいいんだよ」
 夏江は笑いながら、彼女のおでこをこづく。葵は、彼女に迷惑をかけているこ
とは十分承知していた。だからこそ、寮のある学校への進学を望んだのだ。
「でもね、あたしがここにいると、夏江さんにめーわくが……」
「それも今さらの話だよ。あんたが一人前になるまで面倒見るってんだよ」
「だって、あたしがいるから夏江さん、婚期を逃してる気が……」
「……あ、あんた、喧嘩売ってるの?」
 夏江に結婚の意志がないことは知っていた。それでも葵がいる限りは気楽な一
人暮らしがままならない事に負い目を感じてはいたのだ。
 それは家を出る理由のひとつでもあった。ただ、私立は公立よりもお金がかか
る。その事を知っていた葵は、応和学園の奨学金制度に目をつけた。必要な書類
はすべて葵が自力で書き、どうしてもというものだけ夏江に手伝ってもらった。
それでも負担しなくてはいけない金額に関しては、葵は律儀にも借用書を夏江に
無理矢理に渡したのだ。もちろんそれを受け取ることを拒みはしたが。
 葵の律儀さ、真面目さは、多少いい加減な性格である夏江の反面教師的影響も
強いが、今は亡き両親やケンカ別れしたままの姉に対する負い目が、かなりの割
合で性格形成に関わっていたのかもしれない。それに何よりも夏江との「約束」
が大きく影響していたのだろう。


 入学式から1週間ほどして夏江に電話した葵は、こんな話をする。
「でね。そのサトちゃんって子が超おかしい子なんだよ」
「なるほどいいコンビになりそうだね。それ以外は友達できたんか?」
「うん。まんべんなくクラスの子とは仲良くなれそう。けど」
「けど?」
「ひとりだけとっつきにくい子がいるんだ」
「ま、どこのクラスでもそういう子はいるんだよね。イジメとかあるの?」
 そう聞かれて、葵は数日前のことを思い出す。
 彼女はクラスでは1、2を争うほどの美少女だった。入学当初から男子は何か
と話しかけ、彼女はそれを煩わしそうに突っぱねていた。そんな様子が一部の女
生徒には不評だったらしく、彼女は女子グループに呼び出しを受けたらしい。陰
湿なイジメに発展しなかったのは、彼女の頭の回転の速さと、度胸の据わりよう
だろうか。ある者たちは彼女を陥れようとして、逆に返り討ちにあったらしい。
「イジメというか……逆に返り討ちにしてるみたい」
「面白いじゃない。仲良くなれたらなっといた方がいいかもね。数人は友達なく
すかもしれないけど」
 夏江は軽く笑った。半分は冗談のはずだ。
「でも……なんか人を寄せ付けないっていうか、『私に構わないで』みたいなオ
ーラが漂っている感じでさ」
「そういう子を攻略するのがまた楽しいんじゃない」
「こ、攻略??」
「いや、こっちの話。で、葵はその子のこと気に入らないの?」
「え?」
 葵はなんとなく彼女の事が気になっていた。もし、自分の立場に置き換えれば
というのもあるが、それ以上に時々見せるその子の寂しげな表情が気になったの
だ。
 今や彼女は完全に孤立し、男子さえも話しかけなくなってしまっている。
 悪い子ではなさそう、というのが葵の直感ではあった。


	*							*


 西原という苗字は、鈴木とか佐藤とかそういうものに比べればよくあるという
わけではない。だが、同じ学校に同じ苗字の人がいてもおかしくないと葵は思っ
ていた。
 しかし、まさかあの二人が兄妹だったとは、彼女にはまったく予想がつかなか
った。
 顔が似ていないのは、半分しか血が繋がっていないせいだろうか。きっと西原
先輩の方が前妻の子なのだろうか、と葵は色々と想像を巡らす。良くないことと
はわかっていてもついついそんな事を考えてしまう。
 あの日以来気分が晴れない。教室で美凪を見かけるたびにもどかしい。
 仲の悪い兄妹の構図は葵の中の古い記憶とオーバーラップする。思い出したく
ないこと、認めたくないことが心の中で葛藤を繰り返す。
「葵っち、気分悪いの?」
 朝からずっと暗い顔をしていた葵を見て、放課後、恵美香がそう聞いてきた。
「うーんとね。気分悪いのとは違うんだ」
 葵はなんとか笑顔を作りそう答える。
「体調が悪いんやないなら、まあええけどな」
 葵の返事を恵美香は軽く受け流す。あまり人の心にズケズケと踏み込もうとし
ないのが、彼女の良いところでもある。
「ごめんね、サトちゃん。気を遣わせて」
「それは別にええや。あ、気分悪ないなら駅前商店街につき合ってくれへん?」
「うん。それはいいけど」
「そや、今日も文芸部はいかんでええの?」
「……」
 葵は言葉が出ない。行きたい気持ちはあるのだが、どうにも西原の事が気にか
かってあそこでの話に入り込めそうもないのだ。別に彼を避けているわけではな
いのだが。
「まあ、とにかく行こか」





#20/598 ●長編    *** コメント #19 ***
★タイトル (NKG     )  01/12/11  23:33  (197)
CROSS TALK【改訂版】(4/13)  らいと・ひる
★内容

 恵美香が連れてきてくれた泉元堂は、商店街にある甘味処のお店だった。
 ちょっと古めで、それでも雰囲気は悪くない店構えでもある。
「葵はこの街に来たばかりやったね」
「うん、入学してからだからまだ1ヶ月ちょっとだもん」
「この店チェック入れといた方がええよ。ここ、冬季限定でたい焼きを売り始め
るんよ。それが『めちゃうま』なわけ」
「へぇー」
「もう冬場はこっからな」恵美香は、オーバーリアクションで「このあたりまで
並んどるんよ」と向こうの方まで駆けていってそう叫ぶ。その顔にはこぼれんば
かりの笑顔が浮かんでいる。
 葵は恵美香のその表情につられて自然と笑顔を取り戻す。いつの間にかもやも
やした気分もどこかへいきかけていた。
 そのあと店内に入り、恵美香オススメの栗入りゼンザイを注文してたわいもの
ない会話を楽しんだ。
「私、用事があるさかい」
 隣町に用事があるという恵美香と駅で別れ、葵は少し寄り道をしてから帰ろう
と再び商店街へと戻る。
 本屋にでも寄ろうかと考えて、彼女はあたりを見渡す。前に一度行ったはずな
のであるが、どのあたりにあったのか忘れてしまっていた。
 歩きながら店を探していると、ふと路地裏の細い道から少年の声が聞こえてく
る。
「ムカツクよな」
 葵は何事かとそちらの方を向き、一人の少年と目があってしまう。
 その子は助けを請うかのような今にも泣き出しそうな顔をしていた。
 葵と同じくらいの年齢であろうか、その子を何人かの少年が囲んでいる。紺の
ブレザーにエンジ色のネクタイは、おそらく公立中の子であろう。
 イジメだ。葵は直感的にそう思った。しかし、理由がわからない以上関わるべ
きではないとも同時に考える。
 夏江には昔から言われていた。それが間違った事であろうとイジメには理由が
ある。それが取り除かれない限りイジメは繰り返し行われるのだ。
 ただ、もし葵がイジメられるようなことがあれば、目を背けてはいけない。そ
れは夏江との約束だった。自分が悪ければ反省しなさい。相手が悪いのならそれ
を主張しなさい。言葉が通用しない相手なら反撃しても構わないと。
 ただし、他人のイジメには首はつっこむな。それは誰のためでもない。その本
人の為なのだからと。手助けは最小限に、相手が相談してきてそれが正しいと思
うのなら、相談にのってあげなさい。でも甘やかすのは誰の得にもならない。そ
れはしっかりと覚えておきなさい。そう強く言われてきた。
 考えごとをしながらぼんやりと彼らの様子を見ていた葵だが、囲んでいた少年
たちの一人が彼女の存在に気づいてしまう。
「おっ」
 もう一人も気づいて口笛を鳴らす。
「女に助けを求めるってか」
「そこまでするかぁ」
「さすがヤベムシ」
 ひどい言われようである。でもまあ、それは仕方ないかと、葵は思う。
 葵は、小さなため息をつくともう一度イジメられている少年へと視線を戻した。
「馬鹿は馬鹿なりに怯えてればいいんだよ! この!」
 一人の少年がいじめられている彼へと容赦ない蹴りを入れる。その様子はまる
で物に当たるようだ。彼を人間として見ていないようだ。
 多分、このいじめには大した理由はないのだろう。くじ運の悪い人間が単にみ
んなのストレスのはけ口となる。ただそれだけなのだ。
「このヤベムシが!」
 彼らは何か取り憑かれたかのように、少年を攻撃する。
 その行為を目のあたりにして、葵の中に怒りの感情が生まれ始める。
 いつの間にか彼女は、彼らを睨み付けるよう見つめていた。
 そんな彼女に彼らも気づかないわけではない。
「あれ、あの子まだこっち見てるぜ」
「オレに気があるのかな」
「違うよ。俺にきまってるだろ」
 葵のおかげでいじめていた彼らの気がそれる。それを見逃さなかったのか、い
じめられていた少年は隙をついて走って逃げていった。
「あいつ逃げてやんの」
 あざ笑うかのように少年たちは彼を見送った。深追いする気はないようだ。あ
くまでも軽い遊びなのだろう。
 葵の中で生まれた怒りの感情は嫌悪感へと変わる。
「さてと、この子どうする?」
「玩具も逃げちゃった事だし、今度はこいつにするか?」
 彼らの中では比較的体つきのよい子が顎で葵の方を指す。もしかしたら、彼が
リーダー格なのかもしれない。
「ねぇ、かーのじょ。あいつ逃げちったぜ」
「せっかくキミが助けようとしたのにな」
 彼らは「けけけ」と嫌な笑いをした。
 葵の警戒心が今さらながら強くなる。
 葵は、ちらりと周りを見渡しその場に止まった。ここは人通りのある商店街、
いざというときには駅前の交番まで駆け込めばいい。
 一番怖いのは集団心理で、彼らが後先考えない行動をすることだ。
 その時は、ケガの一つや二つ覚悟で葵は彼らに抵抗するつもりだった。反撃の
方法は、夏江に教わっている。護身術の心得のある叔母の直々の教えを7才の時
から受けていたのだ。実践するのは3度目くらいだろうか。
 葵はリーダー格らしき少年を見据える。いっぺんにかかってこられたらさすが
の葵でも一瞬で抑えつけられる。
 足の甲、臑、股間、鳩尾……葵は夏江に教わった急所を思い出していく。幸い
相手は彼女の事を「かよわい女の子」となめてかかっていた。それが唯一の勝機
でもある。いや、勝たなくてもいい。逃げ切れれば。
 少年たちは、ヘラヘラと笑いながら彼女の方へと近寄ってくる。
 近づく前に逃げる方法も考えたのだが、それでは葵の気が治まらなかった。
 すぅーっと静かに深く息を吸い込み、止める。
 右肘、それとも右膝か。葵はいつでもその箇所を動かせるように身構える。
「御陵さん」
 ふいに横から名前を呼ばれる。
「え?」
 葵はゆっくりとそちらを向く。
 そこには、同じ制服を着た女の子が彼女の方を見つめていた。
「ちぇっ!」
 一人の男の子が舌打ちをする。
「今日のところは勘弁してやるぜ。……へへへ一度言ってみたかったんだ」
「バカ。おめぇ、なめられんぞ」
「まあ、いい。運が良かったな、あんた」
 ふんと鼻で笑うと、リーダー格の少年は仲間をつれて路地の奥へと行ってしま
った。
「運が良かったのはどっちだか」
 先ほどの女の子が独り言のように、そう呟く。
 葵は、彼女の顔を再確認して改めて驚きを覚える。
 彼女は、葵のクラスメイトの西原美凪であった。
 しかしながら、入学以来、彼女と話したことなどなかったはずである。
「あ、ありがとう。助かったよ」
 全身から緊張が解けていくのを感じながら、葵は感謝の言葉を告げる。
「別にあんたを助けたわけじゃないよ。相手の方がやばかったかもしれないから
ね」
「……」
 葵はきょとんとして、その返事を他人事のように聞いた。
「あいつら、単なるいじめっ子でしょ? それも遊びでやっているような奴ら。
反撃されることなんかまるっきり頭にないみたいだからね」
「そ、そうだったのかな……?」
「御陵さんの方が怖かったよ。あなたは反撃することに容赦はしないタイプみた
いだからね」
 そう言われて葵は頬がかぁっと熱くなるのを感じていた。もしかしたら、それ
は気をつけなければならないことなのだろうか? 彼女はそう思う。
 7才の時、知らない街へ行き、転校した学校でいじめにあって夏江さんに相談
して以来、反撃に対する躊躇いは多分普通の子供よりも薄いのかもしれない。
「……わたし、もしかして殺気だってた」
「かなり」
「わぁ……」
 両手を頬にあてて葵はうつむく。さきほどよりかなり熱くなっている。
「どうしたの?」
「いや、だって普通は反撃なんて考えないのかなぁ……なんて」
 その言葉で、美凪は吹き出したように笑い出す。
「っぷ、はははは……御陵さん真面目に考えすぎだよ」
 彼女は腹を抱えてさらに笑い続ける。
「だ、だってわたし家庭環境、普通じゃなかったから……そうやって考えないと
……」
「ごめんごめん、笑いすぎた。私あなたの性格全然把握してなかったら。……う
ん、そう。反撃するのが当たり前だってのは私も同じだから、あんまり深く考え
る必要はないと思うよ」
「そうだよね」
「そうよ。うん、でも御陵さんて思ってたのと違ってたな。もっと見たまんまの
女の子と思ってたから」
「見たまんまって?」
「おとなしい女の子っていう意味。一応誉め言葉」
「そ、そうかなぁ」」
「まあ、あくまでも見た目だからね。だから私、ずっと誤解してたかも」
「誤解って?」
「私の敵かもって」
「……」
 敵? と聞いてそれ以上深く聞く勇気は葵にはなかった。もしかしたら、美凪
は彼女以上に恐ろしい性格なのかもしれない。
「そういや、話するの初めてだったね。でもなんか御陵さんの事、気に入ったか
も。まあ、友達になってくれとは言わないけど、時々、私に構ってくれると退屈
しないかも」
 彼女は人懐っこい笑みを浮かべる。学校でのあの冷たい表情は感じさせない。
少しつり目なのが、無表情の時に冷たさを感じさせてしまうのかもしれない、葵
はそう思った。
「あ、それは全然構わないけど」
「冗談だって、学校じゃあんたに話しかけないよ」
「なんで? せっかく話ができたのに」
「御陵さんに迷惑がかかるでしょ。私は別に孤立していても全然平気だからさ」
 嘘だ。葵は直感的にそう思う。だったら、時々見せるあの寂しげな表情はなん
なのだろう。
 西原先輩の事、寂しげな表情の事、葵は彼女にいろいろ聞きたいことがあった。
 だけどこういう時に限って葵は躊躇いを持ってしまう。葵自身も、聞かれて欲
しくないことはたくさんあるからだ。
 結局、その日は美凪とその場で別れて、おとなしく葵は寮へと戻った。


		*						*


「最近どーしたの」
 昼休み、葵は中庭のベンチでぼーっとしているところを柳沼に呼ばれる。
「あ、柳沼先輩。こんにちは」
 葵はあわてて笑顔を作り、先輩に挨拶する。
「文芸部、やっぱ気に入らない?」
 彼女は深刻そうな顔でそう聞いてくる。しばらく部活に顔を出さなかったのを
心配しているのかもしれない。
「そ、そんな、とんでもないです。みんないい人ですし、話も面白いし、とても
楽しいです」
「じゃあ、最近どうしたの? 誰かになんか変な事された?」
 柳沼がまゆを寄せる。
「あ、いえ……その」
「え? されたの? 誰? 私はあんたの味方だからね。葵ちゃんを困らせるよ
うな奴ぶっとばしてやるから」
 彼女のまくしたてるような怒気
「あ、あの……違うんです。そうじゃなくて私の問題ですから」
 葵はあわててそう答えた。
 柳沼はまだ釈然としない様子だったが、何か用事の途中だったらしく「ホント、
何か問題があるようなら言ってちょうだいね」と言い残し中庭を去っていく。
 彼女の興奮した声がまだ耳に残っている。葵は背もたれに寄りかかって空を見
上げ、大きなため息をつく。
 しばらくして、べンチから立ちあがろうとした葵はふいに誰かの視線を感じた。
 だが、彼女が気配の方に向いたときには、視界には見知らぬ女生徒の後ろ姿が
かろうじて映るだけであった。
 背格好からしても制服の着こなしからしても、多分、高等部の生徒かもしれな
い。葵は直感的にそう感じる。
 だけど、なんで中等部の校舎にいるのだろう。そんな疑問も同時に思い浮かべ
た。





#21/598 ●長編    *** コメント #20 ***
★タイトル (NKG     )  01/12/11  23:33  (193)
CROSS TALK【改訂版】(5/13)  らいと・ひる
★内容


 教室での美凪はいつも通りだった。葵が挨拶をかけても、美凪は無視して横を
すぅーっと通り抜けてゆく。休み時間もお昼休みも、彼女はずっと机の上で寝て
いる。
 普段とは変わらない日常。クラスメイトは誰も彼女に声はかけない。
 葵は思わずため息がこぼれる。
「どした? なんや、さらに悪化しとるように思えるが」
 恵美香が彼女の顔をのぞき込む。
「ねぇ、サトちゃん。西原さんって、なんでみんなから無視されてるのかな?」
「あんたも事情はだいたい知っとるやろ。出る杭は打たれるの。それはどこの社
会も同じやん。それが教室っていう閉鎖されて空間でもな」
「目立つことはいけないの?」
「いけないとかそういう問題やないねん。みんなの羨みや妬みがどういう仕組み
で起きとるか、それがわかっとらん人間は標的にされても文句は言えないんや」
「どうして人間ってそんな面倒なんだろうね」
「不完全やからやないかなぁ。でもな、西原さんは文句は言わへん。それはそれ
で偉い思うんよ」
「でも……でもね、西原さん、なんか寂しそうで」
「あんたもけったいな性格しとるな。まあ、それはそれで、あたしはおもろい思
うから、別に気にしとらへんけど」
「ごめん。なんか変な事言って」
「ええって、葵っちは周りに気ぃ遣いすぎのとこあるねん。たまには自分の思う
ように行動するのもええんちゃうの」
「え?」
「例えば、あんたが西原さんと友達になりたいんやったら、あたしは止めへん。
その代わり、今度はあんたも西原さんと同じ仲間と見なされるだけやけどな」
 恵美香はきっぱりとそう言った。
「サトちゃん……」
 葵は少しだけ気弱になる。
「でもな、あたしは別にそれでどうこう思うわけやない。これからも、たまに話
しかけたり用事付きおうてもろたりする。それで、クラスの奴らがあたしに対し
てどうこう言うても、それはそれでどうでもいいことやねん」
「サトちゃん、ありがと」
「お礼言われるほどの事は言ってへん。それにな、あたしが葵っちをけしかけと
るんは、そしたらおもろいことになるんやないかって睨んどるからなんや」
「お、おもろいこと……」
 サトちゃんはそういう子であった事を葵は改めて思い知る。
「西原さんは葵と仲良くなる、葵とあたしは元々親しい、それでもってあたしに
は独自のネットワークがある。ここにクラスの連中がどう対応するかだ。……フ
フフ」
 何かを企んでいるような、楽しんでいるような恵美香の顔を見て、葵はただた
だ苦笑するしかなかった。


 あれから美凪は、葵にはいっさい話し掛けてこない。気を遣っているのだろう
が、彼女にはそれが寂しかった。友達になれたかもしれないと思うと、どうにも
もどかしくなる。
 しばらくそんな状態が続いたある日の昼休み、葵が恵美香と一緒に昼食をとっ
て教室に戻ると、中が騒がしいことに気づく。
「どうしたんだろう?」
 葵がそう言いながら戸を開けると、なにやら教室の一角に女子生徒が集まって
いるのが見える。
 近くまでいくと、座っている美凪に対して何人かの女子生徒が抗議しているよ
うなそぶりだ。
 いつもなら徹底的に無視を決め込む生徒たちまで彼女に注目している。
「あんたしかいないんだからね!」
「そうだよ。今日の体育で見学してたの西原だけなんだから」
 水野友美、甲斐翔子、富永薫。この三人は、つい1ヶ月ほど前に美凪を陥れよ
うとして逆に返り討ちにあった者たちだ。それが今さらなんだというのだろう。
「なんとか言ったらどうなの!」
 これだけの騒ぎだというのに当の本人は涼しい顔で座っているだけ。相手にす
る気などないようだ。
「なぁ、どうしたん?」
 サトちゃんが近くの女生徒に聞く。
「なんかね、水野さんの数学の教科書がなくなったいらしいんだけど、どうも西
原さんが盗ったんじゃないかって」
「なんで西原さんがそんなことしなくちゃいけないの?」
 葵は思わずそう聞き返してしまう。
「5時間目の授業、ちょうど水野さんがあたる番なんだって。西原さんて前、水
野さんに目をつけられていたじゃない。だからその仕返しなんじゃないかって。
彼女、4時間目の体育見学だったみたいだし」
「くだらん」
 隣の恵美香はそう呟くと自分の席へ戻ろうとする。
 たしかにくだらないかもしれない。今時そんな子供じみたことを、しかもあの
彼女がやるわけがない。葵はそう思った。
「チャンスかもね」
 戻ったはずの恵美香が葵の耳元でそう囁きニヤリと笑うと、再び自分の席へと
帰っていく。
「ふざけないでよね!」
「あんた、聞いてるの?!」
 美凪の視線は、窓の外へと向いているようだ。
 三人の苛立ちは高まり、言葉遣いはエスカレートしていく。
 だが、それが的はずれな疑いであっても、何も喋ろうとしない彼女の態度には
葵も納得がいかない。
 恵美香の言うように素直に行動してみるのもいいかもしれない。彼女のバック
アップを受けるのは卑怯な事かもしれないけど、でも思ったときに行動するのが
一番なのかもしれない。葵は自分をそう納得させた。
 すぅーっと息を吸い込む。
「西原さん」
 葵のその呼びかけに、周りを囲んでいた生徒たちが一斉に彼女を見る。そして、
それに遅れてやや驚いたような顔の美凪がこちらを向く。
「……」
「やってないのなら、なんでやってないって言わないの?」
「ちょ、ちょっと御陵さん」
 横から口を出された水野がさらに驚いた顔をする。
「私を助けようとしてるつもり?」
 美凪の冷たい視線。そんなのは大きなお世話だとでも言いたげな瞳だ。
「違うよ。私は西原さんの態度にイライラしてるだけ」
 葵は、まっすぐに美凪の顔を見つめる。
「それで、お節介を焼こうっての?」
「お節介じゃないって」
「それがお節介だって言うの。だいたい、わたしがやってないって言ったところ
で、疑いが晴れるわけでもないんだよ」
 普段、教室では冷静で、冷徹な彼女が少しでも感情を露わにするのは、めずら
しいことかもしれない。
「なんなのあんたたち」
「勝手に話して、どういうつもり」
「わたしたちを差し置いて話を進めないでくれる?」
 すっかり葵に割り込まれてしまった三人は、今度は彼女に対して抗議をする。
「お願い、少しだけ西原さんと話させて」
 葵は彼女たちに向き直ると、両手を合わせて頭を下げる。そして、再び美凪を
見つめ言葉を続ける。
「疑いが晴れるとかそういう問題じゃないでしょ。疑いを晴らす意志がなきゃず
っとそう思われるだけなんだよ」
「どうでもいいよそんなこと」
「よくない。言葉は大事だよ。それを伝えないってのは相手を馬鹿にしてるよう
なものだよ」
「馬鹿にしてるんだよ」
「西原さん。わたしは別にクラスのみんなと仲良くなれとは言わないよ。人それ
ぞれだし、お互いに好き嫌いがあるのはしょうがないから。でもね、自分から進
んで敵を作るのは良くないと思うよ」
「それはわたしの勝手でしょ」
「たしかに西原さんの自由かもしれない……でも……だったらどうしていつも寂
しそうな顔をしているの?」
 美凪は、はっとした顔をすると、葵から目をそらす。
「気のせいよ」
「この間、西原さんと初めて話して、わたし改めて感じたもん。この人は他の人
と同じように一人でいることを好んでいないんだって」
「……」
 美凪は答えない。
「わたしね。その時思ったんだ。西原さんと友違になりたいなって」
「哀れみや同情ならやめて」
 美凪の視線はまだこちらへ向かない。
 葵は、心を落ち着かせると柔らかな口調で言った。
「違うよ。友達になりたいってのは、わたしの願い。西原さん結構面白い人だな
ぁって、この前会った時に感じたのはホントだから」
「御陵さん。忠告したはずよ。わたしに関わらない方がいいって……あなたもわ
たしのように孤立したいの?」
「西原さんの方こそわたしに気を遣うのやめようよ」
「私は、気を遣ってなんか……」
 美凪の発言に力がなくなる。
「西原さんは、ホントは優しい人なんだよね。だから無理しないで」
「わたしは……面倒なことが嫌いなだけ……」
「お取り込み中、ちょいと失礼」
 席に戻ったはずの恵美香が葵の隣へ現れる。しかも、水野さんの襟を掴んでい
た。
「予想通りというか、この子の教料書な、友達が借りて持っていってしまってた
らしい。さっきな、葵っちが西原さんと熱い議論を交わしとるうちにその友違が
返しに来てな」
「それホント?」
 葵は目を丸くして恵美香に聞き返す。
「そう。それでな、水野さんが何やら言いたいことがあるそうな」
 そう言って恵美香は彼女の襟を持ったままぐいっとこちらへ引き寄せる。
「あ、あたしは、別に……」
「ほぉー、本当にないんかいな?」
 恵美香がさらに引き寄せるものだから、彼女の首が絞められて苦しそうである。
「サトちゃーん。やめなよぉ。水野さん苦しがってるじゃない」
「ふふふ、葵っちに免じて許したる」
 恵美香から解放された彼女は、少しだけ咳き込む。
「謝ればいいんでしょ」
 水野は少しヤケになりかけたような言い方をする。
「別に謝れとは言ってない。だいたい、西原さんは謝られて嬉しがるようなタマ
やないやろ」
「私は別にどうでもいいんだよ」
 美凪は恵美香の言葉に反応する。
「じゃあ、どうすりゃいいっての!」
 水野は少し逆ギレ気味である。
「そんなもん自分の頭で考えんかいボケ!!」
 恵美香のその過激な言葉に教室内が一瞬静まる。
「サ、サトちゃん、そんなはしたない」
 葵が思わずそう言うと、
「あーら、ごめんあそばせ……ってそういうキャラやないやろ、あたしゃ」
 すかさず彼女は葵の胸元へと裏拳を返す。
「二人とも漫才でもやりにきたわけ」
 美凪があきれたようにそう言う。が、すぐにくすりと笑い出した。
 その笑顔に葵は安心する。周りの生徒が多少ざわめいたが、それは彼女の笑顔
を教室で初めて見たからであろう。
「さて」
 恵美香がニヤニヤしながら水野を見る。
 彼女は、少し考え込むそぶりを見せると、息をすぅーっと吸い込み口を開く。
「みなさん、お騒がせしました。教科書の事は私の勘違いです。ごめんなさい」
 西原の方にぺこりと深く頭を下げる。水野としては周りに対して謝ったのだか
ら、プライドは保てるはずだ。
「水野さん。西原さん。今回の事はどっちも悪いねん。葵もそれ言いたかったん
やろ」
 恵美香は「仕切るつもりはないのやけど」、と小声で付け加える。
「う、うん。だって、二人が敵対していなかったら、こんな大騒ぎにはならなか
ったはずだもん」
「そういうことや。さあ、さあ、お開きお開き」
 ぽんぽんと手を叩いて、恵美香は美凪の周りの野次馬たちを追い払う。彼女も
もしかしたら本当はお節介なのかもしれない。葵はそう思った。





#22/598 ●長編    *** コメント #21 ***
★タイトル (NKG     )  01/12/11  23:33  (204)
CROSS TALK【改訂版】(6/13)  らいと・ひる
★内容


 その日の帰り道、葵は美凪の後ろ姿を見つける。
 声をかけようか躊躇って目を離したすきに、彼女を見失ってしまった。どうや
ら、どこかで曲がったらしい。
 葵は小走りに彼女が歩いていったと思われる角を曲がろうとして、
「こんにちは、御陵さん」
「わ、わわわ」
 葵は驚いて立ち止まる。
 美凪は、こちらを向いて笑顔で立ち止まっていた。
「びっくりさせるつもりはなかったんだけどね。御陵さんってびっくりしたらど
んな感じになるんだろうって興味があって」
 もしかして、美凪と恵美香というのは基本的な性格は似ているかもしれないな、
と葵は思う。
「もう、ひどいなぁ」
「お節介ばかりしてるとバチがあたるんだよ」
「そんなにわたし、お節介ばかりしているわけじゃないんだけどな」
 葵が真面目な顔で言うものだから、美凪はくすくすと笑い出す。
「わかった。驚かせて悪かった。お詫びにいい店教えてあげるから」
「え?」
「紅茶好き?」
「あ、うん」
「おいしい紅茶を飲ませてくれるお店があるの」
「あ、なんかうれしいなぁ。わたし、この街来たばかりで、あんまりお店とか詳
しくないの」
「そう、よかった。多分、気に入ってくれると思うよ」
 葵は、美凪に連れられて歩いていく。その間、美凪はくだけた口調でいろいろ
と話してくれた。学校での冷たさを感じさせないほど。
 しばらく歩くと、商店街の手前あたりに洒落た感じのお店が見える。
「喫茶店?」
「正確には紅茶の専門店。海外からリーフを直輸入して販売してるの。業者の人
とかよく来るけどね、奥の方にきちんと紅茶を飲ませてくれる喫茶店もあるのよ」
「ふーん」
 紅茶は嫌いじゃなかったので、葵は興味深めに店の造りを見回す。
 美凪がドアを開けるとカランコロンとドアベルが鳴り響く。店内は少し暗めな
感じである。わざと照明を落としてあるのだろうか。
「いらっしゃい」
 レジにいた二十代後半ぐらいの美人の女性に挨拶をされる。店内は木箱にガラ
スの蓋がついたものがいくつか並んでいた。ケースには様々な名前が書かれてい
る。
 その中には葵の知っているものもいくつかあった。
「こっちだよ」
 葵は美凪に連れられ奥の方へと行く。
 奥の扉を開けると、ぱっと明るくなる。ここは照明だけではなく、天窓からの
日の光もあるようだ。
 テーブルも椅子も店内のほとんどは木を全面に出して造られているようだ。ロ
グハウスのような木の暖かみが感じられる。
「いらっしゃいませ」
 若々しいどこかで聞いたことのある声が聞こえてくる。
「ああ、美凪ちゃん。あれ? 葵ちゃん?」
 そこには制服にエプロンをつけた見覚えのある少女が立っていた。
「あれ?」
 葵も首を傾げる。彼女の記憶が間違っていなければそれは柳沼以外の誰でもな
かった。
「ねえ、二人とも知り合い?」
 美凪も葵と柳沼を交互に見比べ首を傾げる。
「うん。葵ちゃん、最近文芸部に見学しに来てくれてるから」
「あ、えーと、そうなんですよね」
「ああ、そういえばあの人といるところを一度見たかもしれない。その時は御陵
さんだっていう認識はなかったかも」
 美凪はその時のことを思い出したようだ。
「今お茶入れてあげるから、座って座って」
 柳沼はそう言って、奥の方の席を勧める。
 二人は窓際のテーブル席に座り一息つく。
「ところで、西原さんって」
 葵がそう言いかけたところで彼女が口を挟む。
「あ、ごめん」
「え?」
「美凪でいいよ。私、苗字あんまり好きじゃないから」
 最後の「あんまり好きじゃないから」は少し不機嫌そうな口調であった。
「じゃあ、美凪ちゃん」
 葵は親しみを込めてそう呼ぶ。
「うん。それでいいよ。御陵さん」
「あ、だったらわたしも葵って呼んで。その方がしっくりくる」
「んじゃあ、葵」
「うんOK」
「そうだ、ごめん話の途中だったね」
「あ、うん。美凪ちゃんってよくこのお店来るのかなって、なんか常連みたいだ
から」
 制服姿なのに気後れもなく入ってきた美凪を見て、葵はそう思っていたのだ。
「常連ってほどでもないよ。来るのはごくたまにだけだ。ここの店長さんね、私
の母親の知り合いだったの……あ、そういえば知らないんだよね? 柳沼先輩の
お姉さんがここの店長なんだよ。それで、たまーに今日みたいに先輩もお店を手
伝うことがあるらしい」
「あ、そっか。中学生なのにバイトして大丈夫なのかなって思ってたんだ」
 葵は納得する。それと同時に葵は思った。部活でいれてくれる紅茶があんなに
もおいしいのは、店を手伝っているせいなのだと。
「あの人なら他でもバイトやってそうだけどね」
 美凪は声をひそめて笑う。
 葵もつられて笑った。
 人懐っこいその表情に葵は安心する。
「はい、おまたせ」
 柳沼が二人のテーブルにティーカップを置く。
「もちろんおごりですよね?」
 美凪のその言葉に柳沼は、軽く彼女のオデコを小突く。
「いっつもおごってあげてるでしょ」
「……ははは」
 楽しそうな美凪の笑い声。この二人の組み合わせは、なんとなく予想がつきそ
うな感じ。多分、気が合うんだろうな、と葵は思う。
「じゃあ、ごゆっくり」
 柳沼はカウンターへ戻っていく。
 しばらく二人でとりとめのない話をしていた。
 ふいに美凪の瞳が葵をじっと捕らえる。そのままそらさずじぃーっと彼女を見
つめる。
「ねえ、そういえばこの間さ、自分は育ちが普通じゃないって言ってたけどあれ
ってどういう意味なの?」
 聞かれて葵の頬がかぁーと熱くなる。そういえばそんなことを思わず口走って
しまったなぁと彼女は反省するが、もう今さらの話でもある。
「あの、えーと…」
 葵が言いよどんでいると、美凪は気を遣ってくれた。
「いいよ。言いたくなければ言わなくていいんだよ。ただちょっと気になったか
らね。……実はさ、私も育ちは普通じゃないかもしれないからさ」
「……」
 葵はどう反応してよいものかと困惑する。
「ついでだから話してあげるよ。ねぇ、私たちの兄妹仲が悪いのはあの人から聞
いてる?」
「あ、うん。ちょこっとだけ」
「喧嘩したとか、いじわるされたとかそういうんじゃないの。私はあの人を家族
と認めたくないの。もちろん、父親も」
「え?」
 あたりまえのようにそう告げる美凪に葵は少しだけ驚いた。
「そうだね。家庭の事情から話した方がいいかな。私の母親は昔、父親の愛人だ
ったの。父親には別に奥さんがいて、子供もいたの。だから、私はいわゆる母子
家庭で育ったわけ。まあ、多少気にはしてたけど、しょうがないかなぁってのも
あって、それほど素行不良にならずに成長してきた。ま、ちょっとひねくれちゃ
ったけどね」
 うふふと自嘲気味に彼女は言う。
「で、何年か経って、父親の奥さんが亡くなって、うちの母との再婚話がいつの
間にか持ち上がったの。それが3年前。ひどい男でしょ。そりゃ母は喜んだのか
もしれない……けど、私にとっては父親なんて今さらだったんだ。血は繋がって
いても、私には父親なんていらなかったから。結局、結婚話を止めるわけにもい
かず、私はおとなしくあいつの家へ行った。せっかく気に入っていた母親の姓の
……速見って苗字も捨ててね」
 美凪の口調がだんだんとトゲトゲしくなってくる。
「その頃からかなぁ。愛人の隠し子だってことで、ただでさえいろいろ言われて
いたのが、苗字が変わってさらにいろいろ言われてね。父親もあの人もそれなり
に優しくはしてくれたんだけど、それまで母親と二人で暮らしてきたわけだから、
生活がどうも鬱陶しくてさ……でも、まあそれぐらいなら別に良かった。その時
は、父やあの人をそれほど意識しなくてもよかったからね」
 そこまで言うと、美凪は首を落として下を向く。様子が少しおかしい。
「どうしたの?」
「ごめん。話してる最中なのに」
「いいよ。無理に話さなくても……」
「いいの。言ったほうがすっきりするから。あのね。わたしの母さん、1年前に
亡くなったの。それで、あの家でわたしはひとりぼっちになってしまったの」
「そんなぁ、でもお父さんは本当のお父さんだし、お兄さんだって半分でも血は
繋がっているんしょ? 西原先輩って、そんなに悪い人じゃないと思うし」
「そんなのはわかってる。でもね、あの二人は私の小さい頃の事を知らない。私
が育ってきたところにあの二人はいなかった。こんな気持ち葵にはわからないか
もしれないけどね。私は本能的にあの二人を家族と認めたくないの」
 認めたくないこと。葵はその想いにうっすらと覚えがある。ただ、今はそれが
何であるかを考えることを葵自身が拒んでいた。
「あははは。葵まで暗くならなくてもいいのに……ほんとたいした話じゃないん
だって」
 美凪は、顔を上げて陽気に笑おうとする。
「美凪ちゃん……」
「私だってわかってるよ。こんな気持ちはただ意地を張っているだけだって事を。
だからね、時間が解決してくれるのを待つしかないって事もわかってるつもり」
 


「こんにちは」
 葵は数日ぶりに放課後の視聴覚室のドアを開けた。
「あら、いらっしゃい」
 ちょうど目の前にいた柳沼が彼女の顔を見て、少しだけ驚いたような表情であ
いさつをしてくる。
「お茶いただけますか?」
 ひさしぶりの部活なので葵は控えめに彼女へお願いした。
「そこ座って。今いれるから」
 そういって柳沼は奥への扉へ行く。
 葵が久しぶりのいつもの席へと座ると、立脇先輩が申し訳なさそうな顔をして
彼女の前に立つ。
「なあ、もしかしてオレの煎れたコーヒー、ものすごくまずかった?」
 葵はその時のことを思い出し、彼の態度に納得する。そして、それは誤解であ
ることを説明するために笑顔で答える。
「そんなことありません。先輩の煎れてくれたカフェオレ、おいしかったですよ」
「それお世辞じゃないよな」
「ほんとですよ。また煎れてください」
「それならいいんだが。実はな、あの日以来葵ちゃんが見学に来なくなったもん
だからオレが原因じゃないかって散々言れれてな。ちょっと困っていたところだ
ったんだよ」
 たぶん、立脇先輩は本当に困っていたのだろう。その様子を想像すると葵は笑
いをこらえるのが大変だった。
「ご、ごめんなさい」
「いいさ。誤解は解けたんだからな」
「本当にどうもすみませんでした」
 葵が深々と頭を下げたところにちょうど柳沼が戻ってくる。
「コラ! 立脇! 葵ちゃんに何してるの!」
 立脇先輩もつくづく運の悪い男であった。

 部活はいつも通り、いつもの雰囲気で行われた。会話に加わる者、創作に熱中
する者、鍛錬に励む者。
 西原も飄々としたいつもの彼であった。
 そして、葵は決心をする。
「西原先輩。わたし、入部したいんですけど」
 その言葉に彼はにこやかに微笑む。
「文芸部は歓迎するよ」
「ありがとうございます」
「みんな、聞いてくれ」
 立ち上がって西原がみんなを呼ぶ。
「新入部員だ」
 そう紹介されて、葵は照れながら頭をかく。
「えへへ、今後ともよろしくお願いいたします」





#23/598 ●長編    *** コメント #22 ***
★タイトル (NKG     )  01/12/11  23:33  (169)
CROSS TALK【改訂版】(7/13)  らいと・ひる
★内容


 部活動の詳しい説明は、柳沼が教えてくれた。
 部誌を発行していること、秋の文化祭には作品を発表すること、部費は1ヶ月
200円等々。
「今年、文芸部に入部した1年生は、葵ちゃんで4人目かな。ひとりは葵ちゃん
もよく知っている乗鞍さん。他は三枝さん、美沙緒ちゃん。この二人はあんまり
出てこないけど、根っからの小説書きみたい。家の方が集中できるからって、放
課後の部活動自体には出てこないの。ちなみに、三枝さんってのは自分から入部
してきた子で、美沙緒ちゃんは例によって西原のスカウト」
「そうなんですか。あ、美沙緒ちゃんとは、1、2回会ったかもしれないけど、
三枝さんは、見たことないですね」
「ま、あの子は部誌に毎月連載するつもりでいるみたいだから、締め切り前の2
5日までには1回は顔出すと思うよ。その時に挨拶すればいいよ」
「柳沼先輩は部誌には書いてないんですか?」
「わたしはほとんど編集係みたいなもんで、みんなの集めてレイアウトしてるだ
け。書くよりそっちの方が楽しいからね」
「へぇー、今度わたしも手伝わせてください。なんだか楽しそう」
「素人が作っているだけに締め切りもいい加減だし、読者も何人いるのやらって
感じだけど。ま、人手は多いに越したことないからね。うん。いいよ」
「ありがとうございます」
「ところで、美凪ちゃんから、家庭の事情聞いた?」
「あ、はい。だいたいは」
「そういうわけだから、あそこの家庭はちょっと複雑なわけ。葵ちゃんは美凪ち
ゃんとも仲良くなって、部で西原ともよく話しているから、その二人が仲悪いの
……正確には美凪ちゃんが一方的に嫌っているだけなんだけどね。そんな二人を
見ているのはつらいと思うけど……でもね、これは西原と美凪ちゃんの問題なの。
私たちはただなりゆきを見守るしかないの。わかるよね」
「はい」
 もどかしい気持ちの正体はそれだけじゃない。記憶とオーバーラップするもの。
 認めたくないと言った美凪の気持ちがわかればわかるほど、葵の心の古傷は疼
いていく。
 どうしてだろうと考えて、本能的に思考が停止させられた。

		*						*

 それからは平和な日々が続いた。クラスでは美凪がだんだんとみんなになじみ
始め、葵ともよく話しようになり、部活の方は相変わらずの面々でのお茶会がな
んとも楽しく彼女の好奇心を刺激した。


 そして、夏休みになり、葵は1週間ほどの予定で夏江の家に帰ることになった。
 久しぶりに帰った彼女の家はひどいものだった。
 忙しい夏江に代わって葵が家事をしていたわけだから、彼女がいなくなった後、
どうなるかは多少予想はついていた。
 しかし、ここまでひどいとは……、そう思いながら葵はため息をつく。
 まあ、せっかく帰ってきたんだし夏休みは長いのだからと、気持ちを切り替え
る。
「よーし! 帰ってきたからには元通りにしてみせる」
 葵は寝ぼけてぽかんとしていた夏江に向かってそう宣言する。
「夏江さん、自炊してる?」
「わたしが料理できたと思う?」
 夏江はニヤリと笑う。
「掃除は週に何回してるの?」
「見ての通りよ」
 両手を手のひらを上に向け、夏江はいかにもお手上げというかっこうをする。
「洗濯は?」
「それはばっちりよ。こないだ乾燥機能のついた洗濯機を買ったばかりだから」
 彼女はテーブルの上にあった煙草をとりライターで火をつけようとする。
「アイロンがけは?」
「え?」
 ふいにぽろりとその煙草が落ちた。
「……」
 ふぅっと葵は深いため息をつく。
「わかりました。それでは掃除を始めさせていただきます」
 葵は少し大げさにお辞儀をすると、掃除機を持って夏江の部屋へと突入する。
 とりあえず床に散らばっている雑誌類から片づけようと、古い雑誌と最近の雑
誌に分けながらまとめていく。
 相変わらずの散らかしっぷりだが、もしかしたら昔より酷くなっているのかも
しれない。葵が夏江の家に居候する前は、床に散らばっている雑誌の数も一桁台
だったし、机の上だって書類の山で溢れかえってはいなかった。
 でも、それだけ仕事が忙しくなったのかなと、葵は考える。
 ふと手を止めて考えてた時、目線に妙に整理された一角を見つける。本の大き
さもばらばらに詰め込まれている本棚の一カ所が妙にきれいなのだ。何かファイ
ルのようなものがあり、背表紙の台紙には西暦の年号であろう日付と『か』とい
う文字が書かれていた。年号は一番古いもので『1994年1月』となっている。
最新のものは、『2000年7月』と今月のものだった。
 本当にそこだけ別のもののように綺麗に整理されている。
 なんだろうと思わず手を伸ばす。
「葵」
 ふいに夏江の声がする。
「なに?」
 葵は手を伸ばすのをやめて振り返る。
「今夜焼き肉食べに行こっか。あんたカルビ好きでしょ。近くに安くておいしい
ところができたのよ」
「いいの?」
 葵はにこりと笑う。
 ファイルのことはそれ以降、彼女は気にしなくなった。もともとそれほど好奇
心を抱いたわけでもないし、なにより夏江のプライベートな部分なのだろうと遠
慮したこともあったのかもしれない。

 結局、叔母のあまりにも乱れた食生活とごみの山と化した部屋が心配になり、
一週間の予定を変更して8月31日まで居座ることになった。懐かしの我が家の
居心地があまりにも良かったこともあるのだろう。


		*						*


 夏休みが終わり、新学期が始まる。葵は教室で久々にクラスメイトと再会した。
「サトちゃん、おはよ」
「おお! 葵っち久しぶりやん。休みの間に寮に電話したんやけどな、なんやず
っと里帰りしとったそうやないか」
「ちょっと予定外というか予想外の事態になってしまったから」
 葵は苦笑する。
「帰りの飛行機でも欠航したのかいな」
「いやぁ、そういうわけじゃ……」
 久々の恵美香との会話に、葵のテンションも高くなる。
「おはよー葵ちゃん、久しぶりだね」
「あ、おはよ」
 サトちゃん以外にもクラスメイトの芹沢さんやら河合さん等、葵と親しい生徒
とも挨拶を交わし、感動の再会にふざけて抱き合ったりしながら始業式が始まる
までの時間を過ごす。
 やや遅れて美凪が教室に顔を見せた。
「あ、おはよ。美凪ちゃん」
「おはよ、葵」
 美凪は微かな笑みを浮かべて挨拶を返す。入学当時からは考えられないような
彼女の表情に、葵は安心する。
 長い休みの間にまた元に戻るのではないかという心配も彼女はしていたのだ。
 始業式が終わって、葵は部活へと顔を出そうとして途中の階段で柳沼に出会う。
「あ、葵ちゃん、おひさ」
「柳沼先輩。どうも、お久しぶりです」
「ずっと旅行かなんか行ってたの?」
「いえ、里帰りしてただけですよ。そういえば、今日は部活ないんですか?」
 彼女は、帰り支度をして視聴覚室とは逆の下駄箱の方向へと歩いている。
「あれ? 連絡回ってなかった? あ、そうか、葵ちゃんいなかったんだもんね」
「今日はお休みですか?」
「うん。休みっていうか、今日は視聴覚室が使えないんだ。先生たちの研修会み
たいなもんがあるらしい」
「じゃあ、みんなは」
「今日は個人活動の日ね。もともと、文芸は一人でやるもんでしょ。わいわい集
まってる方が不自然なのかもね」
「でも、私あの雰囲気好きですよ」
「まあ、みんな嫌いじゃないからあのお茶会<ティーパーティ>は続いてるんだ
と思うよ。実際、一人でもくもくと何かを創っているより効率はいい場合もある
から。それより、葵ちゃんもしかして部活行くつもりだった?」
「はい。あ、それじゃわたしも帰らないと……教室に鞄置いたままだし」
「じゃあね。葵ちゃん」
「さよなら、先輩」
 柳沼とはその場で別れて、葵は来た道を再び戻り教室の扉を開く。ほとんどの
生徒は帰っていて、室内には一人の生徒がぽつりと残っていた。
 窓の外を眺めるその後ろ姿は、美凪であった。
「あれ? 美凪ちゃん。まだ帰ってなかったの」
「ああ、葵か」
「一緒に帰ろっか」
「一緒? ああ、帰りね。私、まだ残ってたいんだけどな」
 ぽつりと教室に残る美凪の姿は寂しそうでもあった。それなのになぜだろう、
と葵は思う。
「どうして?」
「私さ、あんまり家に帰りたくないんだよ」
「帰りたくないの?」
 帰りたくないという言葉は、なんとなく予想はついていた。それでも葵は確か
めたかったのだ。
「葵には話したでしょ。あの家は私の家じゃないから。だから、帰っても落ち着
かない」
 葵にはその気持ちは少しだけ理解できた。葵が寮に入ったのも、夏江に対する
気遣いだ。あそこは自分の家ではないということを彼女は理解していたからだ。
 それでも、少しだけ美凪と違うこともあった。葵は、夏江の家がとても大好き
だったことだ。
「だったら、どっか行く? 今日私んトコ、部活はお休みみたいだから、付き合
えるけど」
 それが葵ができる友達としての最低限のことだった。
「いいよ。無理につき合わなくても」
「無理ってわけじゃないんだけどね。じゃあ、暇だからどっか遊びにいかないっ
てのはダメ?」
 別に付き合うのは苦痛じゃない。葵が美凪ともっと仲良くなりたいのは事実で
あり、願いでもあった。
「……うーん。ま、いいか。私も暇だしね」





#24/598 ●長編    *** コメント #23 ***
★タイトル (NKG     )  01/12/11  23:33  (221)
CROSS TALK【改訂版】(8/13)  らいと・ひる
★内容


 美凪が遠出をしたいと言ったので、二人は隣町にあるショッピングモールに行
くことにした。
 最近できたばかりのそこには100近くの専門店が入っている。ウインドーシ
ョッピングだけでも飽きさせない作りとなっているらしい。
 その中の一つのアンティークショップに二人は入る。
 目を輝かせながら、あれこれ見て回る美凪に葵は聞いてみた。
「へぇー、美凪ちゃんってアンティークものとか好きだったんだ」
「まあね」
「サトちゃんと趣味合うかも」
「あの人は単に懐古趣味なだけでしょ。私は日本の古いものは好きじゃないから
ね」
「あ……ははは。まあ、そうかもしんない」
「うちの母さんね。ローマに住んでたことがあるらしいんだけど、その影響を私
も受けてるみたい。あそこも古い都でしょ。西洋の古いものへの憧れが、小さい
頃から刷り込まれているんだろうね」
「へぇー」
「これでもわたしクリスチャンなんだよ」
 そう言って美凪は首にかけていた十字のペンダントを出す。
 銀色で、ずっしりとした感じの渋みのある色合い。
「わぁ、なんかすごい年代物だね」
「これね、本当は母さんのものだったんだけどね。私がまだ幼い頃に、すごく気
に入って、欲しがって、しょうがなくくれたものなの。銀でできてるから、かな
り高価なものらしかったんだけど」
 美凪はそのペンダントを大事そうに両手で握りしめる。
「そうなんだ。なんとなく惹かれるのもわかる気がする」
「母さんがなくなった今となっては形見になっちゃったけど……あ、ごめん湿っ
ぽい話になっちゃって」
「いいって」
「ところでさ、葵のご両親ってどこに住んでる?」
 美凪は話を切り替えるつもりでそう言ったのだろう。
「え……」
 だが、予想外の言葉に葵の思考が停止させられる。心のどこかで安全装置が働
いたようだ。
「寮に入ってるってことは、実家からだいぶ遠いってことでしょ。寮に入るの反
対されなかったのかなって」
「う、うん。実家は神奈川……反対はされなかったよ」
 叔母の夏江が今住んでいるのは神奈川である。葵にとってはそこが実家である
ことには間違いない。
「ホントはね、あたしも寮に行きたかったんだ。家にいるの嫌だったからね。で
も、家すぐ近くだから、父親に反対されてね」
「そうなんだ」
「葵がちょっと羨ましいかな。ご両親にも反対されていないみたいだからね。で
も、それはそれで寂しいのかな」
「……」
「葵?」
 ぼーっとしていた彼女を美凪は不思議がる。
「う、うん。ちょっとだけ寂しいかな」
 夏江さんと会えないのは寂しいかな、葵はそういう方向に思考を誘導させた。
「やっぱり。でも、わたしの場合はかえってその方が気楽でいいかもしれない」
「そう?」
「そうだよ。やっぱり家庭の事情が複雑だとさ、いろいろあるんだよ」
「……」
 葵は何も言えない。
「あれ? そういえば葵って前に「育ちが普通じゃない」って言ってたことあっ
たよね?」
 美凪は古い記憶を思い出したかのように、急にその話題に触れる。
「……」
 葵の表情は固まり、思考は遮断される。
「ねぇ、あれって……」
 そこまでいいかけた美凪の言葉が止まる。ようやく彼女は、葵の表情の不自然
さに気づいたようだ。
「あ、別に話さなくてもいいよ」と彼女は付け加える。
「ごめん」
 葵は何も考えないようにして謝る。どうしてこうなるのかは彼女自身もなんと
なく気づいているつもりではあった。
 気分直しと、お昼の時間でもあるということで、どこかお店に入ろうというこ
とになった。
 二人一致で、パスタの専門店で食事をすることにする。
 葵はカルボナーラ、美凪はペスカトーレを注文した。
 店での会話は、学校のことや最近の話題など差し障りのないもの。
 食事が終わり店を出て、数軒まわって二人は帰ることにした。
 駅までの道の途中にある公園で、幼い姉妹を見かける。
 5才くらいと8才くらいの輪郭のよく似通ったかわいらしい女の子だった。
「もう! あゆみいい加減にしなさい!」
「やだ! やだ!」
 幼い姉妹は何か言い争っている。
「かわいいね。いいよね、喧嘩できる姉妹がいるなんて」
 美凪は女の子を優しい目で見つめる。
「……」
 葵の頭に蘇る記憶の断片。思い出したくないもの。認めたくないもの。
 彼女は思わず女の子から目をそらしてしまう。
「あゆみ! お父さんとお母さんに言いつけるよ」
「もう! お姉ちゃんなんか知らない!」
 そう言って妹らしき女の子は駆け出していった。
-『葵! お父さんとお母さんに言いつけるよ』
-『もう! お姉ちゃんなんか知らない!』
 葵の中で、流れてきた言葉に記憶の一部が一致する。それと同時に、一気に溢
れてくる記憶化された情報。彼女は軽い目眩を起こす。
 葵は頭の中は一種のオーバーフロー状態となったのだ。
「どうしたの葵!」
 頭を押さえてよろめく彼女の身体を美凪が支える。
「……ごめんなさい」
 葵は無意識に謝る。だが、この言葉は美凪へかけたのではなく、記憶の断片が
あふれ出たものだった。その事に彼女自身も気づいていない。
「気分悪いの? あ、あそこのベンチで休も」
 公園内にあるベンチを指差し、美凪は葵の身体を支えながらそこまで一緒に歩
いていく。
「今、冷たい飲み物買ってくるから」
 ベンチに葵を座らせると、美凪は近くにある自動販売機の所まで駆けていった。
 葵はベンチに座りながらぼんやりと空を仰ぐ。
「おまたせ。これ一口飲んだ方がいいよ」
 美凪から渡されたのはスポーツドリンクであった。葵は、ごくごくと喉を鳴ら
しながら一気に飲み干す。
 そのおかげで彼女は、身体の中の細胞が一気に活性化したような気分になる。
「ありがと」
 美凪にお礼を言うと、葵は再び空を仰ぐ。
 そして、浮かび上がってくる記憶を頭の中で整理した。
 どれも、自分が無理矢理閉じこめていた記憶である。
 お母さんの事、お父さんの事、お姉ちゃんの事、自分が逃げていた事。
「大丈夫?」
 美凪が心配そうに聞いてくる。
 葵は思う。今また、この記憶を閉じこめても再び同じことが起こるだろう。だ
ったら、誰かに話してすっきりさせた方がいいのかもしれない。
「だいじょうぶ……ねぇ、ちょっとだけ話聞いてくれない」
 葵のその言葉に、美凪は先ほど姉妹を見ていた時と同じような優しい表情をす
る。
「いいよ」
 その返事に葵は安心して吐息をつく。
「わたしね、ちょっとだけ嘘ついてた」
「嘘?」
「実家は神奈川だっていったけどね、そこは叔母さんの家なの。わたしね、7年
前に家出してからずっと叔母さんのとこで暮らしてたの」
「家出?」
「そう家出。ちょっとした姉妹喧嘩で家を飛び出して、近くの叔母さんの家に行
ったの。うん、でもそれはいつもの事だったの。いつもは一晩泊まって、次の日
には帰ってたから。でもね……7年前のその日だけはいつもと違った。だって、
次の日には帰る家がなかったんだもん」
「帰る家がないって……どういうこと?」
「嘘みたいな話だけど火事で全焼」
「親とかお姉さんは?」
「お姉ちゃんと妹は他の家に引き取られていったみたい。お父さんとお母さんは
ね……亡くなったらしい」
「らしいって、そんな人ごとみたいに」
「わたしね、家出して、次の日そういう事があったって叔母さんから聞いて、何
もかも信じられなかったの。だから、ずっと閉じこもってた。なんにも食べない
でお葬式にも出ないでずっと……そしたらね、身体悪くして入院することになっ
ちゃったの。それを見かねて夏江さん……叔母さんがね、わたしの面倒見てくれ
るって言ってくれて、わたしはそれにずっと甘えてたの。でも、やっぱりそんな
のよくないって思って、お金の事は今はどうにもならないけど、せめて叔母さん
の生活の負担にならないようにって、寮に入ったの。公立の方がお金はかからな
いんだけど、ここの学校って奨学金制度ってのがあって、それで寮にも入れるっ
て聞いたから」
「葵ってやっぱり見かけによらずよく考えてるんだね」
「ううん。ほんとは考えてなんかいないよ。だって、7年前の事は考えないよう
にすることで、わたしは自分を守ってきたんだから。閉じこめる事でわたしはわ
たしっていう人間を保ってきたようなものなの。でもね、今回のことで、ちょっ
としたきっかけでそれが壊れてしまうってことは思い知らされた。わたしってや
っぱバカなんだよ」
 葵は自分を責め立てる。そうすることでしか、過去の過ちを償うことはできな
いと思っていたのだ。
「まあ、あんまり思い詰めない方がいいよ。葵はバカなんかじゃない。わたしも
あなたも時間が解決してくれるのを待つしかないんだよ。お互いゆっくりと考え
ようよ。……ね」
「うん」


 心的外傷。
 葵の古傷はじくじくと痛んだ。思い起こすたびに心が押しつぶされそうになる。
 思春期を迎える彼女の精神は、ただでさえ不安定でいつ壊れてもおかしくはな
い。それに加え心的外傷が彼女の心を苦しめるのだ。
 その対処法の一つが思考を停止することだった。考えないようにすることで、
現実から逃避できる。ある程度記憶を閉じこめることでそれは効果をもたらして
いた。
 しかし、記憶が解放された今、思考を停止することさえままならない。
 眠れぬ夜を過ごして葵は最悪の朝を迎える。
「おはよ、御陵さん」
「あ、おはよ」
 学校での朝の挨拶。葵は元気に言葉を交わす。
 悟られないように、心配をかけないようにと。
「葵っち顔がやつれとるやんけ」
 恵美香に笑われる。いつも近くにいる恵美香には、葵の体調の変化などお見通
しのようだ。
「そ、そうかな」
「おまけにクマできとるよ。こっちきいや」
 そう言って腕をつかまれお手洗いまで連れて行かれる。
「ホンマはアルコールやといいんやけど」
 そう言って、恵美香は自分のハンカチを蛇口の熱いお湯が出る方で湿らせる。
 そのハンカチを葵の目の下に、しばらくもみほぐすようにあてた。
「応急処置や、睡眠はしっかりとったほうがええで」
「あ、ありがと」
 そんな日が何日か続くと、さすが恵美香も干渉せずにはいられないようだった。
「なあ、なんかあったんやろ。夏江さんとかに相談してみたんかいな?」
 恵美香には、夏江の家で暮らしていたことだけは教えてある。だが、彼女の性
格からか、積極的にそれ以上の事は聞かれなかったので、姉の事も両親の事も話
していなかった。
「ううん」
 葵は首をふるので精一杯だった。夏江にどう相談していいものかと、考えてし
まう。実際、叔母は彼女に気を遣って姉や両親に関することには7年前のあの日を
除いて一切触れてはこなかったのだ。
 葵もそれに甘えていたのもある。だから、今さら何をどう相談したものか。
 寮に帰って夕飯を食べた後、ロビーで電話をかけようとして躊躇う。
 叔母への気遣いもあったが、本格的に相談するにしても寮の中で話を聞かれる
のは恥ずかしい。そう葵は思った。
 彼女は、薄い上着を羽織ると近くのコンビニエンスストアにある公衆電話まで
行くことにした。初秋とはいえ、夜になるとかなり冷えてくる。
「はい、もしもし御陵です」
『もしもし、葵です』
「あれ? どうしたの、今日は外から電話かけてるの?」
『だって、ナンバーディスプレイの表示が『コウシュウ』になってるから』
「え? でも、寮の電話もいちおう『公衆電話』なんだけどな」
『お金かからないんでしょ? もしかしたら一般の回線かもしれないよ。電話の
外見だけがそういう場合ってよくあるからさ』
「そうなんだ」
『で? 今日はどうした?』
 夏江は少し心配そうな様子で聞いてくる。やはり、1週間に1度しかかけない
人間が立て続けでかけると心配するかもしれない。
「うんとね。変な相談……というか、わたしの今後の事?」
『何? 進路相談? 私立の付属だから簡単にあがれるわけじゃないの?』
「まだ、早いよ。進学相談は。簡単にあがれるわけじゃないのは本当だけど……
今日はね、そのことじゃないの」
『何? なんなりと話しなさい』
 直接、相談にのってくれとは言いにくかった。
 身内であるというのと、7年間一度もその話題に触れなかったという甘えもあ
る。
「うん。なんていうかね」
 葵はこの学校に入る時点で決心したはずである。もう夏江には負担をかけない
と。
 結局、葵はとりとめのない話に終始させた。





#25/598 ●長編    *** コメント #24 ***
★タイトル (NKG     )  01/12/11  23:33  (230)
CROSS TALK【改訂版】(9/13)  らいと・ひる
★内容

 部活はそれでもなんとか出ることにした。最近は、柳沼も忙しいこともあって、
部誌の編集の仕事は葵に任せっきりのところもある。11月に文化祭をやること
もあって、その時出すみんなの作品のレイアウト作業にも追われていた。
 何か集中して仕事をしていると余計な事を考えなくていい。だから、葵は一生
懸命仕事をこなしていた。
 部誌のレイアウトは準備室のパソコンを使って行っている。最近は部活に来る
と、お茶会に参加せずにすぐに準備室にこもるのが日課となっていた。
「御陵クン」
 ドアがノックされて西原が入ってくる。
「あ、はい。なんでしょう」
 葵は画面から目を離し彼の方を向いた。
「あまり根を詰めすぎない方がいいよ。ここは部活であって、仕事場じゃないん
だから」
 西原の言いたいことはわかっている。ここのところの葵の行動は、やりすぎの
ところもあったのだ。
「はい。わかってるんですけど……でもこの作業ってけっこう面白いですし」
 面白いというのは嘘ではない。だが、それが同時に言い訳であることも葵自身
は気づいていた。
「なにかあったのなら、柳沼クンや立脇クンに相談するといいよ」
 彼は葵のおかしさに気づいていたのだろう。いや、今の葵なら誰が見ても普通
じゃないということに気づくはずだ。
「西原先輩は相談にのってくれないんですか?」
 葵は考えなしにそう言ってからはっとする。意味深にとられてしまったら恥ず
かしいかもしれないと。
「僕は、誰かの相談にのれるような人間じゃないからね」
 彼はさらりとそう言いのける。その瞳は少し寂しげではあった。
 同時に葵は彼が美凪の兄であるということを改めて思い出す。
 苦しいのは葵だけじゃない、そんな事はわかっていた。
「すいません、変なこと言って。わたしやっぱり最近変なんですよ」
 葵はあわてて謝る。
「まあ、何かに打ち込むのが一つの手だというのもわかっているよ。ただ、御陵
クンにはもうちょっと部活らしいことをやってほしいんだ」
「はい。わかってるんですが」
「どうだろう、打ち込むものの方向を変えるというのは」
「方向ですか?」
 方向と言われても葵にはピンとこない。
「例えばここは文芸部だ。創作ができれば文句はないのだが、まだまだ書く気は
ないのだろう」
「ええ、すいません」
「だったら書評をやってみないか?」
「書評ですか?」
「御陵クンは文化祭に出展する作品がないんだろう。レイアウトは文芸部本来の
活動とは違うからね。僕が面白い本を貸してあげるよ。それを読んでキミなりの
書評を書くんだ」
「わたし、読書感想文とか苦手なタイプだったんですけど……」
「先生に提出するんじゃないんだ。そんなに優等生ぶったものを書く必要はない
よ。気になった点とか、批評めいたものでもいいし、面白ければそれを誰かに紹
介するような文章でもいい」
「わたしに書けますかね?」
「書けるさ。これは、部長として部員のキミへの課題だ。文化祭までに仕上げて
おくこと。本は後で届けるよ」
 そう言って西原は準備室から出ていく。
 葵はなんとなくほっとしたような、大変な事を引き受けてしまったような複雑
な感じであった。
 ただ、文化祭まで日もないこともあり、部長や他のみんなに迷惑はかけられな
い。葵だけ出展作品が間に合わなかったでは、頼んだ部長の立場もないだろう。
 落ち込んでいる場合ではなくなった。
 とにかくできる限りがんばるしかなかった。そして、それが唯一の逃げ道でも
あったから。


 応和学園は、中高一貫教育である付属の私立学園である。学園の敷地内には二
つの校舎があり、それぞれに図書室はあるものの、それとは別に共通に利用でき
る大きな図書館が設けられていた。
 そのためか実質的に各校舎の図書室は自習室となっており、調べものや本を借
りる場合ほとんどの生徒たちは図書館を利用しているといってよい。
 一年生の葵は、オリエンテーションで一回行ったっきりで、自らの用事でそこ
に行くのは初めてだった。
 西原に借りたSF小説は予想外に面白かった。素人なりに書評は書けそうだっ
たが、やはり同じ作者の他の作品も読んでおかなければまずいということを柳沼
に言われ、葵は自らの足で図書館に赴くことにした。
 図書館の建物は、葵の教室の窓からよく見える。赤い煉瓦造りで、建物の周り
にはそれを囲うように銀杏の木が植えられている。その図書館を挟んでその向こ
うに高等部の校舎がある。
 敷地は同じではあるものの、中等部と高等部は校庭が別にあるため、生徒たち
が登下校に使用する正門はそれぞれの校庭側についていた。図書館の入り口もき
ちんと中等部側と高等部側で用意されている。
 つまり図書館は中等部と高等部を結ぶ中心に位置しており、この場所へ来ない
限り直接お互いの生徒たちが出会うこともなかった。
 図書館に入るとすぐ右側に貸し出しなどの受付をするカウンターがあり、左側
には整然と並べられた何十もの大きめの机と、その奥にはたくさんの本棚がある。
天井の高さが2階分ほどある吹き抜けの構造のため「思ったよりも広いんだなぁ」
と葵は感じていた。
 カウンター脇のコーナーには、タッチパネル式の最新のパソコンで本の検索も
できるようだ。
 さすがに室内は、葵がいる中等部とは空気が違う。彼女にとっては、少しだけ
大人びた雰囲気が漂っている。高等部の制服は基本的には中等部と変わらないセ
ーラ服ではあるものの、その着こなし方はやはり高等部の方が数段上手いようだ。
 とりあえず葵は、本棚を一通り眺めようと奥の方へと歩いていった。
 本棚を眺めているのは葵にとっては嫌いじゃなかった。知らない本の題名を見
ているだけでも楽しくてしょうがない性格でもあったのだ。
 さらに奥へ進むと日本人作家の棚が出てくる。その中に、前に西原に薦められ
た数学を用いたトリックを使う推理小説を見つけた。
 葵はタイトル部分だけを見ているだけでそそられてしまい、気づいた時にはそ
のシリーズを7冊ほど腕の中に抱えていた。
 頭の中で葵は、一度に借りられる冊数が10冊までという記憶を即座に引き出
し、8冊目を手にかけたところでそれを止める。彼女の本来の目的は前に西原か
ら借りたSF作家の別の本なのだ。
 書籍サイズのハードカバーほどではないが、新書サイズで7冊というのはそれ
なりに重みはある。スーパーマーケットのようにカートでもあればいいなぁと思
いながら葵は目的の場所を探していく。あの本を書いたのはアメリカ人で、確か
科学者であった。本はそこまで分類はされてはいないが、外国人作家でSFの棚
を探していくと、上の方にそれらしきタイトルを見つける。
 葵の身長は、伸び盛りとはいえまだ150センチほど。背伸びしても届きそう
もない。
 本棚と本棚の間に、小さい梯子のような台があったのを思い出し、取りに戻る
が、ちょうど他の女子生徒がそれを使用するところだった。
 しょうがなく葵は彼女の用が終わるのを待つことにする。
 すらりと長身で、長くきれいな黒髪の人だった。台に上った彼女が目的らしき
本を取る時に横顔がちらりと見える。
 その瞬間、葵の身体から力が抜けたかのように、持っていた本がばたばたと床
に落ちる。
 わずかな面影を葵は覚えていた。7年も前とはいえ忘れるはずがなかった。
「……お姉ちゃん?」
 台に上っていた女子生徒は何事かと、葵の方に顔を向ける。
 その顔にはほんの少しの驚きの表情が浮かび上がっていた。だが、すぐにそれ
を沈めると彼女は笑顔で葵の方を見つめた。
「葵。久しぶりね」
 その柔らかい声の感覚は、葵にとっては本当に久しぶりだった。
「やっぱりお姉ちゃんなの?」
 彼女は台の上から降りると、ゆっくりと葵の方へと歩いてくる。
「葵、元気そうで……よかった。いえ、元気そうなのはね、知っていたのよ。葵
の様子は、夏江さんから聞いてたから。ここに入学したことも」
「……」
 葵の瞳からは、涙がぼろぼろとこぼれ始めていた。
「なのに、今まで会いにいかなくて……葵に会うのが怖かった。あんな別れ方し
て、葵にものすごく嫌われたんじゃないかって、ずっと……。だから、夏江叔母
さんのところにいると知っても、会いにいく勇気がなかったの。この学園に葵が
入学してきて、こんな近くにいてもそれでもまだ躊躇いがあった」
 あれから7年も経つというのに、葵にはまだ昨日の事のように感じられた。
「……ごめんなさい」
 そう言うのが彼女には精一杯だった。
「何言うの? 謝るのは私の方。葵を一人で追い出した形になってしまって」
「……ううっ」
「つらかった? つらくても、頑張ってきたよね。夏江さんからの手紙に、よく
書いてあった。葵はいつもは平気なふりしてるけど、陰で一人で泣いちゃう子だ
って」
「……お姉ちゃん」
「お姉ちゃんて呼んでくれて、嬉しいな。だけど、本当にお姉ちゃんらしくなる
まで、あと少し待ってて。今の私じゃあ、許してもらえる自信ないから……」
「そんなぁ、わたしの方が悪かったんだよぉ」
「ううん。正直言って、私はずっと逃げてた。あなたの姉であることを放棄して
きたのよ。恨まれてもしょうがないと思ってる」
「恨んでなんかないよぉ。わたしずっとお姉ちゃんに謝りたかった。でもお姉ち
ゃんに会ったら、認めたくないことまで認めなくちゃならないようで怖かったか
ら。馬鹿だよね、別にお姉ちゃんに会わなくても、真実からなんて逃げられない
のに」
「偉そうに言う資格はないけれど……逃げたくなることは、誰にだってあるわ。
ましてや、葵はあの時まだ幼かったんだから、気にしちゃだめ」
「ねぇ、お姉ちゃん。一つだけ確認させて」
「え、何なに?」
 気の急いたような、それでも優しい声で姉は答える。
「お父さんとお母さんはもういないんだよね。……ううん、だいたいはわかって
るつもり。だけど、お姉ちゃんの口から聞きたいの」
 葵のその問い、姉は一瞬沈黙をおくが、ふたたび柔らかな表情となる。
「そう。7年前の火事で父さんも母さんも、逝ってしまったの。今は、私と葵と
柚花の三人だけ」
 葵はその場にうずくまり肩を震わせる。
「馬鹿だよね。……わたしね……ずっとその事を聞くのが怖かったの。それで幼
いわたしは思ったんだ。知らなければ、そんな事実はなかったことになるんだっ
て。……バカだよ、わたし。ほんとバカみたい」
 葵の頭を包み込むように温かい感触が伝わってくる。
「もう我慢しなくていいよ。泣いても、隠れなくていいから」
 優しく包み込む姉の腕の中で、葵は両親の死を認めたことによる7年分の涙を
流
した。

 
 長女の香苗との再会の事を夏江に話すと、やはり意図的に葵には黙っていたら
しい。それはやはり彼女自身の精神的なものを心配してのことだった。
 ただ、予想外の再会(姉の香苗にとっては図書室へ通うこと自体、覚悟の上だ
ったらしいが)ではあったものの、葵はわりと落ち着いていた。7年の歳月が葵
を成長させたこともあるが、やはり夏江や周りの友達の影響が大きいのか、彼女
の傷口は徐々に癒されていった。
 そして、これを機に姉とは週に一度は電話や外で会うなど、姉妹の絆を改めて
深めていったのである。
 姉の香苗の話で、三女の柚花の事も聞く。彼女もどうやら葵と同じ街に住んで
いるらしい。ただ、今は混み入った状況にあるため、しばらくは直接会う事はで
きないそうだ。葵が柚花と別れたのは、彼女がまだ1才の時である。成長しても
う8才にはなったであろう。
 元気に暮らしているだろうか? 葵は時々妹の事を思い巡らしていた。


 11月に入り、涼しさを通り越して寒さが目立つようになる頃、世間ではクリ
スマスの準備が始まり出す。赤と緑と白が織りなす幻想的なデザインに葵はどこ
となく惹かれるものを感じていた。
 その日、風呂に入りに行こうとした葵に、寮母の桜木節子が声をかける。
「御陵さん、電話だよ。ロビーでとったから」
「はい、今いきます」
 そう返事をして、洗面用具を持ったままバタバタ駆けようとして「廊下は走っ
ちゃダメよ」と桜木に注意される。
 ほとんどの寮に入っている子は、親から携帯電話を与えられているのだが、葵
は夏江に遠慮してそういう類のものは好きじゃないと言い切っていた。が、そう
我慢してみたものの、みんなのを見ていると欲しくなるし、やっぱりこういう時
、いちいち電話のある場所へと行かなければならないのが不便でもあると彼女は
感じていた。
 ロビーにつくと、葵は洗面用具をテーブルの上に置き、その脇にあるピンクの
電話の受話器を取る。
「もしもし」
『あ、葵』
「お姉ちゃん」
 電話の相手は姉の香苗であった。二学期に入ってすぐに7年ぶりの再会を果た
してからは、週に一度のペースでかけてきてくれる。
『葵、突然なんだけどクリスマスの日って暇?』
「ほんと突然だよぉ。で、なになに?」」
『うん。4丁目に教会あるの知ってる?』
「うーん、話には聞いたことあるけど、実際には行ったことないから。それで?」
『そこの神父さんに、ミサに誘われているの。よかったら三人で来ないかって。
葵、そういうの好きじゃない?』
「ミサ? うわぁ、なんかロマンチックぅ」
『どう? 行かない?』
「行く! 行くよ」
『そう、よかった。じゃあ、楽しみにしているわね。詳しいことは後でまた連絡
するから』
「でも……久しぶりだね。三人揃ってのクリスマスなんて」
『そうだね。柚花が1才の誕生日を一緒に祝ったのが最後だっけ』
「そういえば柚香は元気? クリスマスまでは本当に会うのは無理そうなの?」
『うん。向こうの家庭もいろいろあるみたいでね……いえ、会えないことはない
んだけど、あまり無理は言えないのよ、立場的にね』
「そこらへん複雑な事情があるんだね」
『クリスマスにはちゃんと会えるから安心して』
「うん。楽しみにしてるよ。わたしもお姉さんだって自覚持たないとね」
『ふふふ。私もだけどね』
「それじゃ、また連絡して」
『うん。スケジュール、なるべく早めにはっきりさせるから。それじゃ葵』
「うん。じゃあ」
 葵の心は幸せで満たされた。姉妹が3人揃う。たった3人だけのかけがえのな
い家族と出会える喜びは、どんなことにも勝るものであった。





#26/598 ●長編    *** コメント #25 ***
★タイトル (NKG     )  01/12/11  23:33  (208)
CROSS TALK【改訂版】(10/13)  らいと・ひる
★内容

 朝一番で、葵は美凪に声をかける。昨日の電話の事を話したくてうずうずして
いたのだ。
「おはよう。美凪ちゃん」
「おはよ。なに? どうした、なんかいいことあったの?」
 満面に笑みを浮かべた葵の姿から、美凪はそう思ったのだろう。
「美凪ちゃんって4丁目の教会って知ってる?」
「うん。私、毎週日曜日にあそこに通ってるから」
「やっぱし、そうじゃないかって思ってた」
「で、それがどうしたの?」
「うん。クリスマスイブの日にね。お姉ちゃんが神父さんに姉妹揃ってミサに出
席しないかって誘われたらしいの。三人でクリスマスなんて7年ぶりなんだよ」
 葵は幸せの絶頂のような感じで喋っている。
「だから、そんなに舞い上がってるわけね」
「うん。それでね、わたしその教会に行ったことないから、もしかしたら美凪ち
ゃん知ってるんじゃないかと思ってね。でね、知ってるなら放課後案内して欲し
いなって」
「葵、相当うれしいんだね。姉妹揃って会えるってのが」
「うん」
「わかった。案内してあげる。ついでに神父さんにも紹介してあげるよ」
「わ、ありがと」
 そうお礼を言うと、葵の背中がずしりと重くなる。
「なんや、どいつもこいつもクリスマスに浮かれよって、あんな邪教徒の祭りご
となんぞ放っておきゃええんや」
 案の定、恵美香が葵の背中に抱きついてきただけであった。
「あら、佐藤さん。クリスマスは世界的なイベントよ」
 美凪は恵美香のジョークとも本気ともとれるその言葉にカチンときたようだ。
「結局、企業とかマスコミにいいように利用されているだけやん」
 恵美香は葵の背中に抱きついたまま、けけけと笑った。
 恵美香と美凪は対立こそしているわけではないが、話せば憎まれ口の一つも叩
く者同士だった。仲が悪いのとはまた別次元の、根本的な趣味がかみ合わないこ
とによる要因が大きいのだろう。
「もう! サトちゃんも美凪ちゃんも、あんまりくだらない事で喧嘩しないでよ
」


 教会まで行く途中、ふいに鐘の音が聞こえてくる。
「教会?」
 葵は直感的にそう思い美凪に訊いてみる。
「そうだよ」
「こんな時間に鳴ったことあったっけ?」
 平日の夕方、学校帰りのこの時間に鐘の音など今まで聞いたことなどなかった。
「そうね。日曜日はよく鳴ってるけど、平日の夕方なんてめずらしいわね」
「ねぇ? じゃあ、なんで鳴ってるのか知ってる?」
「そうね。葵は見たことないんだよね。じゃあ着いてからのおたのしみ」
「え? 教えてくれないの?」
「着けばわかるよ」
 そうして歩いているうちに教会の建物が見えてくる。鐘の音は止んでいたが、
建物の前には人だかりができていた。
 よく見るとみんな正装している。
「もしかして」
 葵の頭の中に一つのイメージが生まれる。それは透きとおるような白いドレス。
 彼女はそれを確認しようと駆け出す。
「そうよ。たぶん当たってる」
 ぼそりと美凪が言ったのを葵は背中で聞く。
 ライスシャワー。そしてブーケが宙を舞う。
 一組の若いカップル。男の方は白いタキシード。女の方は、純白のウェディン
グドレス。
 拍手と歓声。そして、再び鐘の音が鳴り響く。
 葵は目の前で繰り広げられる情景にうっとりと見とれていた。
「この教会の鐘にはね。一つの言い伝えがあるの。聖母マリア様の加護を受けた
この鐘は、人々を幸せに見守るために鳴り響くのだと」
 葵に追いついた美凪が、穏やかな口調でそう語り出した。
「幸せを見守る?」
「そう。信仰のない人にはピンとこないかもしれないけどね」
 美凪はいままでにないくらいの優しい表情で鐘楼を見つめていた。
「なんとなくわかるよ。……たぶん」
 ちろりと葵は舌を出す。
「実のところ私もきちんと理解しているわけじゃないんだけどね。よく母さんが
言ってたの。ここは母さんとよく来た場所だし」
「そうなんだ」
「……ごめん。また湿っぽい話になっちゃって」
 美凪はくったくのない笑みを浮かべた。最近、葵の前ではこういう表情をよく
見せてくれる。彼女はそのことが嬉しかった。


 葵が美凪に教会に連れて行ってもらってから数週間後、教会は不審火による火
災で焼失してしまう。
 学校でそのこと知った葵だが、あまりのショックでしばらく呆然としてしまっ
た。楽しみにしていたミサがこれでは中止になってしまうだろうと考えたからだ。
せっかく姉妹三人が揃うかもしれない大切な場所であったのに。
 教会の火災には後日談があり、焼け跡から神父の遺体が見つかったこと、そし
て奇跡的に塔の鐘の部分だけが焼失をまぬがれたことが世間を少しだけ騒がして
いた。
 この二つの事柄が結びつけて考えられ、犯人が捕まるまでの間、ミステリー或
いはファンタジーとして学校中に噂話が広まっていったのだ。
 落ち込んでいたのは葵だけではなかった。教会に通っていて神父ともそれなり
に親しかった美凪は、火災の事をいたく悲しんでいた。彼女にとって、あそこは
母親との思い出の場所でもあったのだ。
 葵の場合は、楽しみにしていたイベントがキャンセルとなる可能性があるだけ
で、美凪の悲しみに比べれば大したことはなかった。
「なぁー、西原さんなんで元気ないんや。また最初の頃にもどっとるような気が
する。あんたもちょっとカラ元気やしなぁ」
 美凪の落ち込んだ様子を見て、恵美香は葵に話しかける。だが、その言葉にも
少し覇気がない。
「そういうサトちゃんも元気ないような」
「あんなぁ、だんだん寒くなってきたやんけ。あたしごっつう寒さに弱いんや」
「サトちゃんって夏とひまわりの似合う女だもんね」
「そや、けどひまわりは冬眠でけへんからな。まあ、葵っちの落ち込みはなんと
かなりそうやから心配ない思うけど」
「うん。わたしは全然心配ないよ。美凪ちゃんの方がわたしも心配」
「こういう時は、泉元堂のたい焼きを食いにいくのがええやろ。西原さん誘って
行こうや」
 恵美香はぎりぎりまで人には干渉しない性格ではある。だが、その人が本当に
困っている時には、逆にお節介を焼くことがある。本人は、それが「おもろい」
ことだからと言ってはいるが、葵は彼女の優しさを身に染みるほど理解していた。


 前に恵美香から教わった泉元堂のたい焼きは、いつも行列ができるほどの有名
店であった。しっぽまでアンコはお約束、特選の大納言を使用した粒あんは癖に
なるほど美味であり、葵は時々クラスの友達や部活の先輩たちと寄っていくこと
もあった。
 今日は、本当は買うつもりはなかった。たまたま商店街に用事があった彼女が
店
の前を通った時、漂ってきたあの甘い匂いの誘惑に逆らえずついつい列に並んで
し
まったが始まりだった。
 ちょうど小腹が空いているのもまずかったのかもしれない。食べ盛りなんだか
らしょうがないと、葵は自分に言い聞かせる。
「おばちゃん、2個ちょうだい」
「はい160円ね」
 ここのたい焼きは1個80円、しかも税込みである。これだけ安くて美味しけ
れば、行列ができてもしょうがないだろう。
 店員のおばちゃんは、さっと白い紙袋に熱々のたい焼きを入れて葵に差し出す。
「お待たせ」
 店員から渡された包みを抱きかかえ、葵は少しだけ幸せな気分になる。
「うん、後悔してないもん」と独り言を言いながら店を後にしようとして、ふと
誰かの視線に気づく。
 葵がその方向を向くと、一人の幼い女の子がこちらを物欲しげな表情で見てい
る。
 小学校低学年くらいの女の子で、赤のスタジアム・ジャンパーを着ていた。
 その子の視線は、葵の幸せそうに抱えている紙袋にあった。
 もしかして、これが欲しいのだろうかと、彼女は幼い女の子に近づいていく。
 葵自身、見ず知らずの人に何かをもらってはいけないと、さんざん親や夏江さ
んに言われてきたこともあって、無条件でそれをあげようとは思ってはいなかっ
た。
「わたしに何か用かな?」
 葵はなるべく柔らかい笑みを浮かべて少女に問いかける。
 少女はその問いに答えずにじっと紙袋を見ている。
 たい焼きを買ったのは葵だけではないのに、なぜこの子は自分に目を付けたの
だろうと不思議に思った。
「たい焼き好きなの?」
 彼女は遠回しにそう言った。恵んであげるのは簡単だ。だけど、単純にそれが
いい行いだとは思っていなかった。だから、彼女は聞いたのだ。
「…………」
 返事はなかった。そして、慌てたかのように、少し怒ったようにして顔を背け
てしまう。もしかしたら、葵の問い掛けに、物欲しげにしていた自分に気づき、
恥じたのかも知れない。そんな少女の反応に、葵は小さな罪悪感を覚える。もち
ろん彼女に悪意があったわけではないが、幼い少女のプライドを傷つけてしまっ
たのかもしれない。
「ごめんね、なんか変な事を……」
「わかんない」
 詫びようとした葵の言葉に、遅れて出た少女の返事が重なる。
「え?」
 予想外の返事に葵は少し戸惑った。
「食べたことないから」
 少女は指をくわえて再びたい焼きの入った袋へと目を落とす。
 たい焼きはそれほど高級な料理ではなく、むしろ庶民的な食べ物だ。食べたこ
とがないというこの子の言葉に、葵はますます戸惑う。
 もしかしたら、この少女は海外で暮らしていたのかもしれない。それなら、物
珍しくたい焼きの行列を眺めるのも納得できる。
 だが、それではなぜ少女は葵の袋だけを見つめているのだろう。
「じゃあ、どうしてわたしのを見ているの?」
 葵は優しい口調でそう言った。葵の好奇心が純粋に彼女のその行動に興味を持
ったからだ。けして、イライラしているわけではない。
「だって、お姉ちゃん。とっても幸せそうな顔してたんだもん。それを買ったら
幸せになれるのかなって」
 少女の純粋な言葉に葵は心を痛める。恵んであげようという気持ちがほんの僅
かでもあったことを恥ずかしく思う。同時に、嬉しさを露骨に顔に出してしまっ
ていた事を少しだけ反省した。
「わたし、そんなに幸せそうな顔してたかなぁ」
 葵のその答えに、少女の表情が少しだけ緩む。
「うん。だからね、お姉ちゃんの事見てたの」
 それは、少女が今まで幸せでなかったことを語っていた。そして、葵自身がど
れだけ恵まれて育ったかを改めて実感する。
 ふいに目頭が熱くなる。最近涙腺が緩くなったのかもしれない。そう葵は思っ
た。
「ねぇ、たい焼き食べてみる?」
 むやみに人に恵むのはよくないと葵は思っている。だが、純粋にこの子の事が
気になったのだ。
「ん?」
 少女はきょとんとした顔で葵を見つめる。
「ちょうど2個買ったしね。幸せになれるっていっても、ほんの少しなんだけど
、でもほんの少しでも幸せにはなれるのは間違いないの。特にここのお店のたい
焼きは私が保証する」
 それは嘘ではない。幸せはなるものではない、感じるものだということを葵は
ここ数年で実感してきている。だから、おいしいものを食べて幸せを感じるとい
うのは、誰にでも簡単にできるものだ。人は幸せになろうと努力するが、幸せと
いうものは日常に転がっているものである。不幸な状態だからといって、幸せを
感じることができないわけではない。葵はその事をこの少女に教えてあげたかっ
た。
「いいの?」
「うん」
「でもね。知らない人から物をもらったりしちゃいけないって」
 やはりこの子もそういう教育をされているのだろう。標準的な親ならあたりま
えの事かもしれない。そう葵は思った。
「じゃあ、こうしよっか。あなたとわたしは今からお友達」
 この子が気になるのは好奇心かもしれない。だけど、興味を持つことで、相手
を知りたいと思い友達になるのはごく普通の事なのだ。
「オトモダチ?」
「そう。だったらいいでしょ?」
 少女は「うーんと」と少し考える素振りを見せると、葵の顔を見つめニコリと
笑う。
「うん。いいよ」
 笑顔はとてもチャーミングだった。将来美人になりそうな顔立ちをしている。
「じゃあ、近くの公園で食べよっか」
 葵も一番の笑顔を少女へと返した。





#27/598 ●長編    *** コメント #26 ***
★タイトル (NKG     )  01/12/11  23:33  (213)
CROSS TALK【改訂版】(11/13)  らいと・ひる
★内容

 キャンセルと思われたクリスマスのミサが、場所を変えて行われることを姉か
ら聞いたのはそれから数日後だった。
 その時に、姉から見せられた写真を見て、葵はあの時の少女が妹の柚花である
ことを知ることになる。
 姉との再会や妹との出会い、こんな偶然が重なるなら少しくらい神様を信じて
もいいかなと、葵は密かに思っていた。
 そして、12月24日、日曜日。この日は応和学園中等部の終業式であった。
本来、22日に行われるはずだった終業式が、2週間前に発覚した中等部校舎の
安全性問題で、期末試験が2日ほど潰れ、安全点検と補修の応急工事にあてられ
学校スケジュールが変更されたこともあり、急遽24日が終業式にあてられたの
である。
 その日、美凪は玄関近くで大事なペンダントを落としたらしい。それを兄であ
る西原が見つけ、学校で渡そうとそのまま登校したのだった。
 その話を聞いたのは、登校してきた葵が教室でクラスメイトと挨拶を交わして
いる時だった。
 西原が葵の教室へ現れ、美凪を呼び出したらしいが彼女はまだ学校には来てい
なかった。そこで葵が代わりに呼び出され、事情を聞いてペンダントを受け取っ
たのだった。
 だが、終業式が始まっても、その後のホームルームが始まっても、美凪は教室
には現れなかった。不審に思った葵は、すぐに西原の教室へと急ぐ。
「すいません。西原先輩をお願いします」
 入り口の近くにいた男子生徒に彼を呼びだしてもらうことにした。
「なんだい?」
 西原は眠そうな顔をして現れる。
「先輩! 美凪ちゃん、家を出て本当に学校に向かったんですか?」
 葵は少しだけ焦りながら西原に問いかける。
「どういうこと?」
「美凪ちゃん、まだ来てないんです。普通だったら、終業式が始まる前には来る
はずなのに。ホームルーム終わってもまだ来ないんです」
 西原は少し考え込むそぶりを見せると、黙ってそのまま教室を出ていく。
 葵は西原を追いかけ「事故じゃないですよね」と聞いた。
「制服姿のままだから、事故に巻き込まれていたら学校に連絡が来てるはずだ」
 先輩は早足で歩いていき、葵はそれに必死でついていく。
「もしかして、このペンダントを探してるのかも」
 先輩の足が止まる。
「ああ、可能性は高いかもしれない」
「先輩、美凪ちゃん探すんですよね。わたしも探します」
「御陵くん。これは僕のミスだ。学校についてから渡すことを考えず、僕が妹を
ちゃんと追いかけていればこんなことにはならなかったんだ。キミに迷惑をかけ
るわけにはいかない」
 葵は静かに顔をふる。
「美凪ちゃんはわたしの友達ですよ。探すのはあたりまえじゃないですか」
「悪い、御陵くん」
 葵は下駄箱で下履きに履き替えると、校門へと向かおうとした。その途中で、
呼び止められる。
「葵っち! どうしたん?」
 振り向くと恵美香が駆け寄ってくる。
「うん、美凪ちゃん。もしかしたら、これ探してるかもしれないの」
 葵は手に持ったペンダントを彼女に見せる。
「あのアホ、そんなん探すために学校フケとるんかいな」
「うん。でも美凪ちゃんにとってはとっても大事なものだから」
「そんなんわかっとる。よっしゃ、あたしも西原さん探すの手伝ったる」
「ありがとう」
「お礼なんて言わんでええ。お礼は西原さんに言うてもらう」
 下履に履きかえた葵たちは、校門の所で西原と落ちあう。
「とりあえず家までの通学路ですよね」
 葵は彼にそう切り出す。
「そうだな。じゃあ御陵くんにはそっちをお願いする。僕は他の心当たりを探し
てみる」
 西原は、そう言うと隣りの恵美香に気づき不思議そうな顔をする。
「こちらは?」
「あ、紹介してませんでしたね。美凪ちゃんと同じクラスの佐藤さんです」
「はじめまして、佐藤恵美香いいます。先輩のお噂はかねがね聞いとります」
「美凪が世話になってるそうだね」
 二人はなんとも妙な感じの挨拶を交わす。どちらも個性が強いためなのであろ
う。
「それじゃあ、手分けして」
 葵がそう言いかけると、すかさず恵美香が口を挟んだ。
「あ、待った。葵っちも先輩もケイタイ持っとる?」
「いや、僕は持たない主義だから」
「わたしも持ってない」
 なんとなく似たような感じの答えに、恵美香は苦笑する。
「まったく、この情報化社会に生まれていながら情報端末の一つも持っとらんと
は」
「そうなのかなぁ」
 葵は素直に恵美香の意見に納得しかける。
「まあ、ええ。三人でバラけるんやから連絡は密にとっといた方がええ。あたし
のケイタイの番号教えたるから三十分おきにかけたって」
「だったら、佐藤さんは学校に残ってくれないか?」
「うん。そうですね。もしかしたら諦めて学校に戻ってくるかもしれないから」
 葵は、先輩のその意見に賛成する。
「よっしゃわかった任しとき」
「じゃあ、三十分おきに連絡する」
「二人とも頼む」
 校門前で三人は別れる。
 葵はまず一番可能性の高い通学路を逆に辿ってみることにした。
 途中までは見慣れた風景、葵はたまに朝の通学で美凪会うこともあった。
 道すがら彼女らしき姿を見かけることはなかった。商店街に入るアーケードの
道を手前に曲がり、住宅地を抜けると美凪の住んでいるマンションが見える。
 家にあがったことはないが、前に彼女と教会に行った時、帰り際に葵は家の場
所を教えてもらったのだ。
 一応、マンションの階段を上がり、玄関の前まで行く。
 もしかしたら家の中にいるのではないかと思い、葵は呼び鈴を鳴らしてみるも
のの誰も出てくる気配がない。
 もう一度通学路を見てみようと、再びもとの道へと戻った。
 三十分が経過し、葵は恵美香に電話を入れる。
「もしもし、サトちゃん」
『おお、葵っち。西原美凪は見つかったんか?』
「ううん。だめ。西原先輩は、連絡あった?」
『あっちもまだみつかっとらんみたいや』
「そう、わかった」
『葵』
「何?」
『あんまり無理するんやないよ』
「わかってる」
 お昼になっても美凪は見つからず、連絡してきた葵に、恵美香はいったん学校
へ戻ってくるように指示した。
 戻る途中で、空からちらほらと白いものが降ってくるのを葵は確認する。そう
いえば予報で雪が降るようなことを言っていたことを思い出した。
 歩く速度を速め、途中から面倒になって葵は走り出す。
 校門の前で西原と恵美香が立っているのが見えた。
「先輩! サトちゃーん!」
 葵は息を切らせながらニ人に近づいていく。
「御陵くん、悪かったね。あとは僕が探すよ。これ以上キミたちに迷惑をかける
わけにはいかないから」
「何言ってるんですか。美凪ちゃん、まだ見つかってないじゃないですか!」
「いや、赤の他人にこれ以上負担をかけるわけにはいかない。これはやっぱり僕
の家庭の問題だよ」
「先輩、何を意地はっているんですか。美凪ちゃんは私の大切な友達でもあるん
です。そんなに簡単に見捨てられるわけがないじゃないですか」
「あたしも迷惑とは思っとらんです」
 恵美香もぼそりと付け加える。
「すまない」
「謝らないでくださいよ。先輩が悪いわけじゃないですから」
「あ、そうや。午後からは私も動ける。水野さんがな、ケイタイ持っとるそうな。
夕方までは学校にいてくれる言うた」
「そうなんだ。水野さんにもお礼言っとかないとね」
「お礼言ってもしゃーないねん。脅し、かけただけやから」
「サ、サトちゃん……」


 午後、葵たちは通学路だけじゃなく、街をくまなく探すことになった。心配な
のは天候だ。恵美香からの情報では、夜半すぎから大雪になるようだ。それまで
に葵は必ず美凪を探したかった。
 だが、いつまでたっても見つからない。焦りだけが募る。
 もしかしたら、この街を出たんじゃないか。葵は、ちょっと前の美凪の落ち込
みようからそんなことを考える。
 思い出の教会が焼失し、親しかった神父は亡くなってしまう。どれだけ彼女の
心に深く傷を残したのか想像がつかなかった。きっと、その事をずっとひきずっ
ていたのかもしれない。そんな彼女が、母親の形見であるペンダントまでなくし
てしまう。
「ヤケになってなければいいが」そう、先輩が呟いたのを葵は聞き逃していなか
った。
 普段、冷静な人間ほど、我を失った時に自制がきかなくなる。
 この街は彼女にとってあまり良い思い出はないはずだ。自分の家さえ帰るべき
場所ではないと考えている。唯一の安住の地であろう教会を失って、彼女はどこ
へ行くのだろう。
 ふと、嫌な考えが葵の頭をよぎる。
 まさか、美凪に限ってそんなことはないだろう、そう言い切れないのは葵自身
も同じ道を辿ってきたからかもしれない。
 7年前、両親の死を最初に伝えられて考えたのは、逃避ではなく、両親の場所
へ行きたいという願いだった。つまり死である。
 葵は無神論者ではあるが、この時ばかりは神に祈った。
(もし、神様がいるならば、美凪ちゃんを連れて行かないで。わたしもっともっ
と彼女と仲良くなりたいし、もっともっとお話がしたいの。だからお願い!)
 夕方になり、雪はいったんやみ始めた。
 葵は恵美香に連絡をとるが、未だ美凪は見つかっていないそうだ。
 やはりこの街を出たんじゃないだろうか、と恵美香は言っていた。
 だが、そうなるともう葵の手には負えなくなる。
 彼女が美凪とこの街以外に行ったことがあるとしたら、隣街のショッピングモ
ールしかない。
 今の美凪の心境を考えると行くはずがないと思いつつも、葵にはそこを探すこ
としか手は残っていなかった。
 駅で切符を買うと最後の希望を握りしめ、葵はちょうどホームに来た電車に飛
び乗った。


 もう日も沈んでからかなり経ち、雪も大降りになってきた。
 やはりショッピングモールに彼女の姿はなかった。
 葵は冷えた身体を暖めるため、いったん近くのバーガーショップに入りカフェ
オレを飲む。
 しばらくの間、あれこれと美凪の行き先について考えてみるものの、結局、大
した答えにはたどり着かなかった。
 時計の針は10時を過ぎていた。いつまでもここにいてもしょうがないと思い、
葵はひとまず戻ることにした。
 駅を出ると吹雪いていた。ショッピングモールにいた時は、赤と緑のイルミネ
ーションが心に染みるほどクリスマスを感じていたが、ここはあまり大きな駅で
はなく、駅前商店街の電気はほとんど点いてはいなかった。ただ、寂しさだけが
広がる風景である。
 電話ボックスを見つけると葵は、恵美香へと電話する。
「もしもし、サトちゃん」
『ああ、葵っちか』
 さすがの恵美香も少し疲れたような声で返答する。
「見つかんないよね」
 葵はさらに疲れていた。だが、それ以前に、もう気力のほとんどを使い果たし
たようでもあった。
『ああ、まだぜんぜんや』
「寒いね」
『ああ、寒いな。気合いでなんとかするしかあらへんかな』
「わたしも気合いでなんとかしたいなぁ……」
『大丈夫か?』
「うん。たぶん……」
『あ、そうや。こんな時に言うのもなんやけど、言わへんと日付変わってしまい
そうやからな』
「メリークリスマス」
『そうやなくて……こんな時にボケてどないする』
「違うの?」
『誕生日おめでと。あんた13才になったんやろ』
「あ、そっか。忘れてた」
『あかんな、あんたは13年前の今日生まれて、そんで今日まで必死で生きてき
たんやろ』
「うん」
『『ばあや』がよう言うとったんやけどな。生きてきたってことを誰かに伝える
為に人間は生きとるんよ。だから、人間はそう簡単に諦められない動物なんやっ
て。人間は好んで一人になるわけやない。誰だって一人にはなりたくないんや。
最近の西原美凪だってそうやったろ。あいつはめっちゃ諦めの悪い人間やん』
「うん。そうだね」
『きっと見つかる。賭けとってもええよ』
「賭けは成立しないよ。だって、わたしだって見つかると思ってるもん』
『だったら、もうちょっとがんばってみよか」
「うん」





#28/598 ●長編    *** コメント #27 ***
★タイトル (NKG     )  01/12/11  23:34  (225)
CROSS TALK【改訂版】(12/13)  らいと・ひる
★内容

 コンビニで買った傘はもう役には立たなかった。強い風と雪で、傘の骨組みは
ボロボロに折れ曲がってしまっている。しょうがないと、葵は傘をさすのをやめ
る。
 11時を過ぎた頃だろうか、葵の耳に何かの金属音が鳴り響いてきた。
 なんだろうと思う暇もなく、音はおさまってしまう。
 が、しばらくすると再び同じ音が鳴り響く。
 葵にはどこかできいたことのあるような音でもあった。
 しかし、音源の方向がわからない。遠くから響いてくるような音なので、特定
が難しいのだ。
 なんだろうな。そう思った瞬間、再び音が鳴る。
 今度は、鮮明に鳴り響いた。澄んだ金属音。
 鐘?
 葵の記憶が、それと同じ音のものを引き出す。
『この鐘は、人々を幸せに見守るために鳴り響くのだと』
 あの時、美凪はそう言っていた。
 でも、どこから響いてくるのだろう。近くにそんなものがあったとは思えない。
葵は考える。
 風が強くなり、音の間隔はだんだんと縮まってくる。
 教会?
 それしか葵には考えられなかった。だが、教会は少し前に火事で焼失している
はず。
 そういえば、塔の上の鐘の部分だけ焼け残ったという噂を聞いたことがあった。
もしかして、そういうことなのか。葵は簡単に頭の中で考えをまとめる。
 焼け残っている場所があるということは、雨風をしのげる場所があるかもしれ
ないということだ。神父の事件も解決されているので、仮に立ち入り禁止となっ
ていたとしても、警備の目は緩くなっているはずだ。
 もしかして。
 葵の中に再び希望が生まれる。
 それと同時に彼女は走り出した。


 鐘はさっきからうるさいくらい鳴り響いている。
 もし、彼女が最初からそこにいなかったとしても、この街にいたとしたらあの
音に気づかないわけがない。
 葵は顔に降り注ぐ雪を右腕で庇のようにして遮りながら美凪に教えてもらった
道を歩いていく。
「御陵クン」
 途中、西原に呼び止められる。たぶん、彼も同じ事を考えていたのだろう。
「先輩もやっぱり気づきましたか?」
「ああ、これでビンゴならいいけどな」
 西原は疲れた顔をしながらも少しだけ微笑んだ。
 教会につくと、鐘の音と、それを支えている塔の骨組みに圧倒される。
 火事でほとんど骨組みだけになった塔と、未だに澄んだ音色を奏でる鐘。
 無人の教会で鐘がなる仕組みはとても簡単なことであった。誰かのいたずらと
も葵は最初に考えたが、たいしたことではなかった。火災で骨組みだけとなった
塔は、支える骨組みの耐久性に問題が生じた。そこに強い横風が吹き付け、塔全
体を揺らすかたちになったのだ。そのおかげで、振り子のように鐘が揺られ、そ
して鳴り響いているだけなのだ。
「もうちょっとファンタスチックな結末の方が僕は好きだったんだけどな」
 鐘の鳴る仕組みを理解したかのように西原はぽつりと言った。
「先輩、そんなことよりあそこ」
 葵は、その鐘を見つめるもう一人の人物を指さした。
 そこには一人の少女が塔の鐘を見つめている。そう、彼女は美凪に間違いなか
った。
「美凪!」
 力強く西原は彼女を呼ぶ。しかし、彼女はずっと鐘を見つめているだけだ。
「美凪ちゃん」
 たまらなくなって葵も彼女の名を呼ぶ。
 風の強さが増したような気がした。鐘の音が再び鳴り響く。
 葵は、西原に視線を向けた。
 悲しそうな顔。涙こそ流れてはいないが、そこにはいつもの彼の表情はない。
 この兄妹の隙間を埋めるものはないのだろうか、葵はそう思うと胸が苦しくな
る。
 悴んだ手をコートのポケットに入れると何かが触れた。瞬間、それが何である
か、何のために美凪を探しているかを改めて思い出す。
「先輩、これ」
 葵はポケットの中から、美凪のペンダントを取り出した。
「え? ああ……」
 西原はぼんやりと彼女の手の中にあるペンダントを見つめている。
「先輩?」
「ああ、返さなければいけないな。御陵くん頼む」
 西原らしくない自信のない言葉。「そんな先輩見たくないよ」葵はそう言い返
したかった。でも、今はそんな事言ってる場合じゃない。
「先輩、これはお返しします。先輩から返した方がいいですよ」
 葵はペンダントを西原に渡すと、背中をぽんと軽く叩いた。そして優しく「そ
ばに行きましょ」と囁く。
 美凪はこちらに気づいているのだろう。しかし、気づいていても振り返る気に
はなれないのかもしれない。だったら、彼女のそばにいくしかない。
「美凪。落とし物だ」
 西原は彼女の目の前へとペンダントをぶら下げる。
「あなたが持ってたの?!」
 ひったくるようにそれを取ると、美凪は胸にそれを抱きしめ、彼の顔を睨むよ
うにそう言った。その言葉には少し怒りの感情が込められているようだ。
「美凪ちゃん。玄関先でそれ落としたでしょ。先輩はそれを拾ってくれたんだよ」
 葵はなるべくおだやかに言う。
「……」
 彼女は何も答えない。
「美凪……」
 西原は伝わらない呼びかけに悲しみを抱いているような表情をしている。
「美凪ちゃん風邪ひくよ」
「美凪、御陵クンの言う通りだ。家に帰ろう」
「嫌!」
 目をつぶってペンダントを抱きしめたまま彼女は叫ぶ。まるで全てのものを拒
絶するかのように。
 そしてふいに彼女は、教会の敷地内へと走っていってしまう。
 西原は何も言えず唖然としていた。
「先輩、ここで待っててください。美凪ちゃんをすぐ連れてきますから」
 そう言って美凪の後を追いかけようとした葵を西原は「待て」と引きとめる。
「どうしてです?」
 彼女は振り返って彼をまっすぐ見つめた。
「もういいんだ」
「何がいいんですか? せっかく美凪ちやんが見つかったんですよ」
「押し付けの家族ごっこなんて、あいつが納得するわけない。人間はもともと孤
独な存在だ」
 西原は自嘲気味に呟く。
「でも、家族じゃないですか」
「見せかけのな」
「先輩、それ以上言ったらわたし怒りますよ」
「キミの怒った顔も見てみたいな」
「先輩! こんな時に冗談言わないでください」
「どっちにしろ僕たちの問題だ。それ以上干渉されたら……困る」
 葵はすうーっと息を吸い込む。
「干渉したら怒りますか?」
「ああ、いくら御陵クンでもな」
 まじめな西原の顔を見て葵は微笑む。
「先輩の怒った顔、わたし見てみたいです」
「御陵クン……」
「これでオアイコですね」
「まったくキミって奴は……」
 先輩はため息混じりにそう呟いた。
「わたしはわたしです」
 葵は微笑みを維持する。
「キミには負けたよ」
「すぐ戻りますから待っててくださいね。絶対ですよ!」
「キミはお節介焼きだな」
 彼にそう言われて、葵は少しだけ恥ずかしくなる。
「誰にでもってわけじゃありませんよ」
 言ってしまってから彼女は、さらに恥ずかしさが増したような気がした。

 葵が美凪を追って教会の敷地内に入ってすぐ、ちょうど礼拝堂があった場所に
彼女は佇んでいた。
「美凪ちゃん!」
 その呼び声に彼女はゆっくりと葵の方をふりかえる。
「葵……ごめん。私の事ずっと探してくれたんだよね」
 美凪の第一声は涙に嗄れていた。
「西原先輩もだよ!」
 葵は少しだけ怒った表情を浮かべると、美凪は少しだけ瞳を開いてこう言った。
「あ、葵の怒った顔初めて見た。前から見てみたいと思ってたんだ」
 彼女のその反応に葵は少しムッとくるが、それと同時に西原の事を思い出し複
雑なおかしさがこみあげてくる。やはり血の繋がった兄妹なのだろう。
 それでも葵は表面上は怒ったままでいた。
「西原先輩、ものすごく心配してたんだから!」
「そんなのわかってる」
 ぼそりと美凪は答える。
「わかってないよ!」
「葵には悪いと思っている」
「違う! わたしのことなんてどうでもいいの。西原先輩の」
 彼女のその言葉を遮るように、美凪は落ち着きながらも強く呟く。
「葵。あの人の心配は義務感のようなもの。戸籍上は、いちおう家族だからね」
 美凪は、何を悲観しているのだろうか。そう葵は考える。
 やはり彼女の問題の解決には、時間をかけるしか方法はないのか。
 でも……。葵は思う。そんな二人を見ているのはつらい。本人たちだってそう
に決まっている。だからおせっかいと言われても彼女はなんとかしてやりたかっ
た。
「美凪ちゃんは多分、『家族』ってことにこだわりすぎているんだと思う。親だ
とか兄妹だとかそんなの意識する前にお互いが理解し合うことが大切だと思うよ。
だって一緒に暮らしているんでしょ。朝、目を覚ましたら「おはよう」って言い
合うのが自然でしょ」
「それができたら苦労しないよ」
「美凪はわざわざ苦労する道を選んでると思うよ」
「そんなこと言われても……」
「あのね。言ったでしょ。お互いを理解する事が大切だって。本当に分かり合え
ないっていうのなら「分かり合えないことがわかるまで」とことん話合うべきだ
とわたしは思う。なんの為に言葉はあるの? 伝えることをやめちゃったら、そ
れはどうあがいたって何も伝わらないに決まってるじゃない」
「そんな気になれないんだから……しょうがないじゃない」
 美凪との会話は平行線。意地を張っているのはわかっていた。だからこそ葵は
おせっかいを焼きたかったのだ。
「でもね。西原先輩は美凪の事をものすごく気を遣ってくれていると思う。こん
な言い方良くないけどね、ほんとだったら先輩の方が辛いと思うよ。もし、美凪
ちゃんが先輩と逆の立場だったらどうしてた? 先輩の事を優しく受け入れてく
れた?」
「それは……」
「卑怯な例えかもしれないけどね。でもさ、先輩って変わってるけどねじ曲がっ
た考えを持つ人じゃないでしょ。美凪ちゃんにはそれがわからない? そうだね
……たぶん、わからないんだよね。怖いんだよね。だから、話し合おうとしない
んだよね」
「怖い……?」
「相手がどんな人かわからない。わたしだってそれは怖いんだ。例えば、最初美
凪ちゃんと親しくなる前は、わたしはあなたが怖かったんだよ。でもね、それは
美凪ちゃんをよく知らなかったからだと思う」
「そうなの? そういえばそんな感じだったかもね葵は」
「だから、美凪ちゃんと話すようになって、美凪ちゃんのことをどんどん知って
いくうちにわたしは美凪ちゃんのことを好きになっていくことができたんだ。こ
の気持ちわかる?」
「わからなくはないけど……でも、私は葵のこと怖くはなかったよ」

「でも、初めてお話したとき美凪ちゃん言ったよね。『私の敵かも』って。今の
美凪ちゃんにとって私は敵?」
「それは違うけど……」
「そう、ありがと。もしまだ『敵』とか言われちゃったらどうしようかと思った
よ」
 葵は下を向いてくすりと笑う。そして、真面目な顔で向き直り話を続ける。
「敵じゃないってことは、少なくとも昔の美凪ちゃんは私のことを何にも知らな
かったからでしょう? だけど、わたしと話すことによってそれは変化した。つ
まりそういうことなんだよ。あのね、美凪ちゃんと先輩……お兄さんのことって
いうのは、何度も言うようだけどものすごく単純な問題だと思うんだ」
「……」
 美凪は黙り込むが、葵はそれを気にせず彼女に語りかける。
「問題が複雑になっているのはね。みんながみんな現状を維持し続けようとして
るからだと思う」
「維持?」
「先輩はね、美凪ちゃんに遠慮してなるべく干渉しないようにしているの。でも
これは美凪ちゃんにこれ以上嫌われるのがイヤだからだと思う。必要以上に干渉
したら問題が悪い方向へいってしまうんじゃないかって恐れているんじゃないか
な」
「……」
「で、美凪ちゃんの方は、先輩の事を知ろうとしない。知ってしまったら、今よ
りももっと嫌いになってしまうんじゃないかって。……違う? 美凪ちゃんはそ
れが怖いんでしょ?」
「私は怖くなんか……」
「嘘。美凪ちゃんは怯えている。じゃあなんでこの場所にいるの? なんで逃げ
たりなんかしたの?」
「だって、教会がなくなって……お母さんの形見のペンダントまでなくしちゃっ
て」
「そんな状況になって不安なのはわかるよ。でもそれは、後から付け足した理由
なんじゃないかな?」
「違うよ」
「西原先輩も美凪ちゃんのお父さんも美凪ちゃんの事を追い出そうとした?」
「違うけど……」
「じゃあ、西原先輩とかお父さんの事とか大嫌いなの?」
「たぶん……」
 このままではいつまでたっても話は終わらないだろう。
 葵はすぅっと息を吸い込む。




#29/598 ●長編    *** コメント #28 ***
★タイトル (NKG     )  01/12/11  23:34  (153)
CROSS TALK【改訂版】(13/13)  らいと・ひる
★内容
「美凪ちゃんさぁ、自信ないんでしょ? 家族を嫌うことが」
「え?」
「もし美凪ちゃんが本当に家族の事を嫌いなら、はっきりと言ってやればいいじ
ゃない。それであの家を出てけばいいだけの話だよ。美凪ちゃんはどうして寮に
入らなかったの? お父さんに反対されたから? 嫌いだったらどんな手段を使
ったって家を出るべきだったと思うよ」
 強い口調で葵はそう言った。だが、葵自身本当にそう思っているわけではない。
「それは……」
「それが、挙げ句の果てに自暴自棄になって家出? 家族のこと嫌いだって自信
が持てるんなら、自分だけ辛い目に遭うなんてバカげた話だよ。迷惑かけたって
いいじゃない。こんな一人でバカなことやるくらいなら、最初っから迷惑かけれ
ばいいじゃない!」
「あ、葵……?」
 めずらしくたじろぎがちの美凪を、葵は一気にまくしたてる。
「家族に借りを作りたくない? 違うよね。例えばさ、寮に入らないのはお金が
余計にかかるからなんて言い訳だもんね。借りは返せばいいんだもん。わたしは
そのつもりだよ。夏江さんにはこれ以上借りは作らないし、ちゃんと返すつもり
だもん! わたしみたいな弱い人間だってそれくらいのことはやろうとしている
んだよ!」
「……」
「美凪ちゃんは甘えてるんだよ。何もしない、何も話さないことで、状態が悪く
ならないとでも思っているんだよ。でもね、そんなの間違ってるよ!」
 美凪は葵の顔を見ていられなくなったのだろうか、ふいに身体を逸らして背を
向ける。そして駆け出そうとして、葵に腕を掴まれる。
「また逃げるの!? 家族からも逃げて、そのうえわたしからも逃げるの? そ
のうち美凪ちゃんはすべての人から逃げないと気が済まなくなるよ」
「……私はどうすればいいの?」
 美凪のか細く弱々しい声。学校での彼女はどんなに孤独でいようが、こんな寂
しそうな声は出さなかった。
 葵は掴んでいた腕を優しく放す。
「簡単なことって言ったでしょ」
 葵は高ぶっていた感情を抑えて、なるべく柔らかい口調で言った。
「簡単?」
「問題は簡単だって言ったでしょ? まずは一人一人と話し合うことから始めな
いと」
「……」
「もしその結果、相手のこと『嫌い』になったりしたら、そんときは改めて考え
てみればいいんだよ。自分の居場所を」
 葵はそう言って美凪の正面へと回り込み、彼女の瞳を見つめて微笑む。そして
今度は両手を優しく握って話を続けた。
「『嫌い』なら堂々と迷惑をかけちゃえばいいんだよ。子供を養うのは保護者の
義務だから、自活できるようになるまで寮にでも入ればいいよ。お金とか出して
もらうことにためらいがあるようなら、わたしみたいに返すってことを前提に生
きていけばいいんだよ」
 美凪は微かに口元に笑みを浮かべる。
「葵は強いよ。私なんかより」
「敵に回さなくて良かったでしょ?」
「ふふ、そうかもね」
 ようやく美凪の顔にわずかな笑みが戻る。
「でもね、美凪ちゃんもその気になれば私なんかよりずっと強くなれるよ」
 その言葉に、美凪はちょっとした疑問を込めてこちらを見る。
「……葵はどうしてそうまっすぐなんだろうね」
「え?」
「そう。こっち恥ずかしくなるくらいまっすぐ。でもね、わたしはそれが羨まし
い」
 美凪の優しげで彼女にしては珍しい穏やかな眼差しを葵に向ける。
「そう? それはやっぱり、その……家庭環境が普通じゃなかったからかな?」
 どう反応してよいかわからなかった葵は思わずそう答えた。
「なにそれ?」
「冗談……冗談だよ。たぶん……」
「うふふふ……なにそれ?」
 どうやら美凪の感情も落ち着いてきたらしい。葵の言葉がどこまで通じたかは
わからないが、いつもの冷静な彼女に戻ってそこから彼女なりの答えを出すだろ
う。
 葵はふぅっと安堵の吐息をつくと、今度はゆっくりと自分の中の想いを紡ぎ出
す。
「わたしはね。ほんとはひねくれ者でまっすぐな心なんて持ってないんだ。けど
ね、まっすぐ生きることへの憧れみたいなものだけは持ってるから。この先ずっ
とまっすぐなんて生きていけないかもしれないけど、でも、まっすぐ見つめるこ
とぐらいはできるんじゃないかって思ってるの」
「それは保護者の夏江さんのおかげ?」
「うん。それは大きいかもしれない。それは夏江さんの家に居候する条件でもあ
ったし。あ、でもそれを苦に思ったことなんてないよ。わたしがここまで生きて
これたのはそのおかげもあるんだから」
「やっぱり葵は強い子だよ」
「ううん。たぶんね、わたしがやってきたことはそんなに難しいことじゃないの。
わたしはね、人の話を聞くのも好きだったし、話すことも大好きだったから」
「人と話すこと? それって関係あるの?」
「わたしは『話せば誰とでも分かり合える』なんて夢みたいなことは思ってない
し、『嫌いになるから話さない』なんて弱虫になりたいとも思わない。わたしは
ね、誰かと『分かり合えない』ことを恐れたりしたくないだけなの。誰かを知る
ことを怖がりたくないの。まっすぐとその人を見つめたい。ずっとそう思ってい
たかったから」
 葵はまっすぐと美凪の瞳を見つめる。
「なんか葵って、なにげに凄いこと考えてるんだね」
「えへへへ。実は単なる好奇心の塊のお喋りさんなだけで、『分かり合える』『
分かり合えない』とかいう前の単なる『雑談』の方がホントは好きなんだけどね」
「それも葵らしいのかな」
「うふふふ」
「ふふふふ」
 なぜか二人で笑い合った。そんなにおかしいわけではないけど、でもなんだか
葵は心地のよい気持ちがした。
「あ!」
 ふいに葵は何かを思い出す。
「どうしたの?」
「西原先輩まだ門の前で待ってるんだ。わたし何が何でも待っててくださいみた
いなこと言っちゃってたから」
「そっか」
 美凪はそう呟くと、ふわりと正面から葵に抱きついてくる。
「え?」
「ありがと。おせっかいさん」
 耳元でそっと囁かれる。
「あ、はははは……」
 葵は苦笑する。
「あとは私達の問題だから。……あの人たちとは話し合ってみるよ。どんな結果
になろうとも」
「うん。答えは美凪ちゃんが出すべきだから。あ……なんかあったら寮に来てい
いよ。今週は寮の当直、皆川さんだから。あの人結構話せる人だし無断で泊まっ
てっても大丈夫」
「わかった。ありがと」
「でもね。わたしは先輩と仲良くなって欲しい。これは美凪ちゃんの友達として、
西原先輩の後輩としての希望。だって、美凪ちゃんも先輩もわたしは大好きだも
ん。理由はそれだけだけどね」
「まあ、長期戦になるかもしれないけど、結果は出すよ」
「そうだね」
 葵は美凪の背中へ手をまわし、ぽんぽんと優しく叩いた。
「じゃあ、あの人……兄さんのところに戻るよ」
 抱擁をゆっくりと解くと美凪はくるりと背を向ける。
「じゃあ、またね」
「うん。……そうだ」
 美凪は何かを思いだしたかのように再びこちらへと向き直る。
「言い忘れてた。誕生日おめでとう」
「ありがと」
「ごめんね、ひどい誕生日になっちゃって、おまけにプレゼントも用意してなか
ったし」
「いいよ。覚えててくれただけでも嬉しいよ。それにね、わたし明日は抱えきれ
ないほどのプレゼントをもらうの」
「ああ、明日だったね。姉妹三人でクリスマス祝うの」
「うん。だから気にしなくていいよ」
「そっか。わかったよ。じゃあ、よいクリスマスを」
「うん。美凪ちゃんもできればよいクリスマスを」
「努力してみるわ。じゃ」
「またね」
 葵は美凪の背を見送ると夜空を見上げた。
 さっきまで吹雪いていた天候もようやく落ち着き、今はちらほらと舞うだけと
なりつつある。
 天を仰ぎながらあと数十分でクリスマスなんだなと考え、ふとその先に存在し
ているかもしれない何かを見つめようとする。信仰心があるわけでもないし、奇
跡が起きたわけでもないけれど、葵はなんとなく感謝したくなった。
 彼女は両手を胸の前で組み、目を閉じて心の中で呟く。
『わたしたちが出会えたこと、わたしたちが再会できたこと、わたしたちがこれ
からいろいろな人たちに巡り会えること、あなたに意図や意志があるのかはわた
しにはわからないけど、わたしは生まれてきたことを感謝します。生きてこれた
ことを感謝します』
 最後にもう一度、目を開いて雪が舞い降りてくる天空を見つめ、今度は声に出
して言葉にする。
「Merry Xmas」



					          (TRUE END)






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