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★タイトル (XVB ) 01/03/27 23:05 (199)
吉外信報77 $フィン
★内容
Doru もののけ姫3です。今日はいよいよシシ神についてとりあげましょう。
Zin 『シシ神』というキャラをどう解釈するか?っていうのが『もののけ姫
』の中心的なテーマの理解につながるよね。
Doru まず何よりもシシ神は自然の象徴だよね? ……荒神と穏やかな神。
Zin うん。あらぶる神とにぎぶる神……この『荒ぶ(あらぶ)』と『和ぶ(
にぎぶ)』という言葉の対立は重要じゃないだろうか? 古語辞典で調べて
みたんだけど、『荒ぶ』というのは新しいものを産み出す力と既成の秩序を破
壊する力を合わせもった言葉なんだ。
Doru ふぅん。それってヒンドゥの破壊と創造の神シヴァや北欧神話のトリッ
クスター、ロキを連想させるね。
Zin うん。それに対して『和ぶ』というのは『慣れ親しむ』という意味あい
を持っている言葉。だから『荒ぶる』と『和ぶる』の両立は恵みを与えてくれ
ると同時に人間に災害をもたらすこともある計り知れない自然と、それと対照
的に大人しく人と共存し親しめる身近の自然という両極を象徴している。
Doru 二重の両義牲ね……。破壊と創造、そして従順さ。
Zin ちょっと話が飛ぶようだけど、ぼくは『シシ神』のイメージをつかむヒ
ントが近年注目されている自然農法にあるような気がするんだ。
Doru またZin得意の論理の飛躍が出た!
Zin まあまあ。Doruは自然農法についてどれだけ知ってる?
Doru あいがもに虫を食べさせて、その糞で米を育てている田圃……。
Zin それも一例だね。インターネットで自然農法について検索すると541,790
件のサイトが出てくるそうだよ
Doru そんなに?
Zin つまり現在のところ、これが『自然農法』だっていう確定した定義があ
るわけじゃないらしい。
Doru でも自然と言いながら農薬を使ったりするまがいものもあるよね
Zin というか、どこまで人が手をかけどこまで自然にまかせておくか、とい
う基準についての社会的なコンセンサスがまったくないのが現状なんだと思う
。でもその中でもこれは誰が見ても『自然農法』という農耕の方法を唱える人
はいる。……たとえば福岡正信という人。
Doru 誰それ?
Zin その方面では有名な人です。 無除草、不施肥、無農薬という自然そのも
のの農法を唱えている。
Doru いまインターネットで検索してみたらぞろぞろでてきたわ。『粘土団子
』とか『わら一本の革命』とか……。
Zin 福岡農法はいわば自然農法の究極と言える。耕さない、農薬、肥料をま
かない、除草しない……とにかく原則として何もしないんだ。
Doru ふんふん……粘土で種を保護しているのね? 魅力的だわ
Zin でも残念ながらこの農法で作った野菜は普通の流通ルートには乗せられ
ないようなんだな。あんまり見てくれが悪いんで。
Doru 見てくれより健康では? 昔はそれが普通だったのでしょ?
Zin 普通というか、昔だって農薬や化成肥料はなかったけど除草や畑を耕す
ことはしたからね。家畜の排泄物や人糞を肥料にしていたし。白菜は昔も今と
それほど違う姿をしていたわけじゃないだろ? ところがこの福岡式農法でで
きる野菜は普通の人が八百屋で見なれた野菜ではないんだよ。
Doru どういうこと?
Zin たとえば白菜を植えたままほったらかしにしておいたらどうなると思う
?
Doru 家でやったことがあるわ。虫がつく、葉をまかない、病気になる。わた
しのところはそうだったよ。
Zin 福岡氏に言わせるとほんらいの自然状態の環境で育てると野菜には虫は
あまりつかなくなるんだそうだ。だから農薬もいらない。それが真の自然農法
だと言う。
Doru でもみてくれは悪くなるでしょ? うちで白菜をつくったときは葉が広
がってしまってビニールの紐でゆわえておいたぐらいよ。
Zin そのとおりだと思う。福岡式自然農法で白菜をつくると葉がまかないで
ひろがってしまうはずだ。たぶん虫だってつくだろうと思う。普通に見かける
あのみずみずしい白菜には到底ならない。なぜなら白菜という野菜は人間がい
ろいろ試行錯誤の結果、ああいう形に結球するように品種改良した結果の作物
だ。
Doru うん
Zin それを山林のような自然状態に置くのだから人間が手を加える以前の昔
の形にもどっていってしまうのは当然だよね。犬や牛や豚なんかの家畜だって
そうでしょ?
Doru そうだね。犬なんかでも純粋種はほうっておいたら雑種になってしまう
。
Zin だから白菜はほうっておくと育たない。育っても葉のひろがったアプラ
ナみたいな姿になってしまう。つまり市場に流通している野菜としての商品価
値がなくなってしまうのさ。もっとも白菜というのは最近日本に入ってきた野
菜だから自然農法の価値を判断するにはあまりふさわしくない例だろうけど。
Doru あら、白菜は日本古来の野菜じゃなかったの?
Zin ぼくも調べるまで知らなかったんだけどね。あれは明治になって入って
きた外来の野菜なんだ。
Doru ふぅん、そうなんだ!
Zin だから本来の自然な状態っていうのも何を指すのかが難しいよな。トマ
トやレタスみたいな西洋野菜もみんなそうだろうし、ジャガイモもトウモロコ
シも……いや、キュウリやダイコンだってもともとは日本にはなかったはずだ
よ。
Doru なるほどねえ。もともと日本になかった植物をうまく日本の風土にあう
ように改良しながら育てているのよね。確かにそうした作物っていうのは自然
にほっておいたら畑で人手をかけたのとは違う姿になってしまうものであるっ
てのはわかるわ。でも一方でそれが本来の自然な姿ならそのほうがいいのでは
、とも思うのだけど?
Zin 人間がはじめて作物を育てはじめたときにはそういう農法だったろうね
。米や麦だって、最初は本来自然に野山に生えているような状態で育てたはず
だ。それがより実りの多い美味しいものを求めるうちに今のような形になって
いったんだろう。でもそうした野菜を現代の人たちに食べろと言っても無理だ
よ。生活そのものの質が全然違っているのだから。
Doru でも今でも山菜のようなものは自然に近い形態を残しているでしょ?
Zin わらびやぜんまいなどの山菜は自然の姿のままだね。あれらはほうって
おいても形がかわっていったりはしない。
Doru 収穫の時期を間違えるとトウが立ってしまうけどね。
Zin とはいえ、実はやはりそれらも人間の手がくわわっているんだ。
Doru どういう風に?
Zin なぜならそうしたものが生えている『里山』という環境は人間が本来の
自然に手を加えてできたものだからね。おなじ宮崎駿の『おもひでぽろぽろ』
のなかで自然農法に挑戦している青年が主人公の女性にそう説明する場面があ
るね?
Doru そうそう。あの山は誰某のひいじいさんが苗木を植えたとかね……。そ
れらは畑やたんぼと同じに本来の自然の姿ではない。本当の自然は富士の樹海
や屋久島の原生林みたいなものだけね。
Zin だからぼくらの身のまわりの山に生えている木々もまた本来の自然のも
のではないんだ。東京近郊の山なんて杉ばかり植林したものだから春先になる
と大量に花粉を発生する。あれは異常な自然の姿だね。全国的にも杉の森はし
ばしば山肌がくずれる危機的状況にあるでしょ?
Doru いったん人の手を加えられたものはほうっておいたら崩れていってしま
う。まめに手入れをしないといけないね。
Zin 例えば都市近郊の山の杉と屋久島の縄文杉をくらべてみるといいよ。
Doru 屋久島はいったことがないからわからない
Zin それじゃ写真の載ってるページのURLを教えてあげよう。
http://www.interq.or.jp/earth/forest/yaku/ookabu.htm
Doru ふんふん。偉大なじいさまの樹って感じだね。
Zin ちょうどもののけにでてくるモロの君や乙事主のようだね?
Doru そうだね。
Zin 大きいというより異形なんだよ。見知ったそれらとはぜんぜん違う感じ
。
Doru 実際にはあんな大きな狼や猪はいないのだろうけど、自然の比喩で描い
たのだろうね。
Zin 例えばこの屋久杉を人間によって植えられた杉たちと比べてみるといい
。以下のURLは山林ではないけど日光の杉並木の写真だよ。
http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/junkai/exp/47.htm
Doru 同じ杉とは思えないぐらい違うね。
Zin これらの杉は言わば畑の白菜と同じ。環境を整えられ規格化された作物
だ。そして大抵の山に育っている杉だって同じだよ。それらは人と親しんだ『
和ぶる自然』であって決して『荒ぶる自然』ではない。
Doru そうだね。
Zin でもDoruが白菜というものを思い浮かべるときには八百屋に売っている
それを想像するでしょ? 葉の広がったすがたではなく。
Doru うん。普通はそうだね。
Zin それは人間が努力して自然から切り離して『白菜』という個体=商品の
イメージを作り上げているからだよ。それは自然から切り離されているイメー
ジで、だからこそ流通され商品にもなりうる。
Doru じゃ自然農法ってすべて矛盾をはらんでいるのじゃない?
Zin 鋭いね。生態系を考えてみてごらん。生態系というのは無数の生物種が
相互作用する複雑にからみあったネットワーク……生きた網目のようなもので
しょ? もともと自然状態では白菜という植物はその編み目のひとつ、環境の
なかの一部分としてあったはず。だからそれを切り離して商品として流通させ
ることはできなかった。同様に完全に自然のままに育てた白菜は……仮に育っ
ても、もう商品としての価値はない。
Doru 野菜だけでなく樹木もそうでしょ?
Zin そうだね。だから植林された杉の山は木材という商品の集まりにすぎな
い。それらは生態系として自立=自律していない。 もともと杉の木の根は浅い
。そして杉の葉は常緑だから落ち葉が腐葉土をつくることはない。だから人が
管理を怠って下枝を繁らせてしまうと下草が衰えて地面そのものが崩れていっ
てしまう。
Doru だからあちこちで山肌が崩れたり鉄砲水が出るのね?
Zin 日本最後の清流と言われる四万十川でさえ上流の杉の山林から土砂が流
れ込んで汚れてきている。それらは山林と言っても畑同様に商品である樹木を
生産する土地なんだから、林業がふるわなくなれば荒れてくるのは当然なんだ
。
Doru なんとかならないのかな?
Zin あんまり効率を追求しすぎたんだね。昔の日本人は植林するときでもか
ならず別の種類の樹木をいっしょに植えたんだそうだよ。原生林はさまざまな
樹木が互いに影響しあっているでしょ?
Doru そうだね。富士の樹海や屋久島の森は崩れたりしないのね?
Zin それらは自律しているからね。他の力が破壊しないかぎり自分自身の環
境を自分で整えてすべての生命をはぐくんでいる。
Doru うん
Zin そこでは個々の生き物は全体のなかに溶け込んでいる
Doru 鳥は川が育てて、魚は森が育てる
Zin 真実を射たキャッチフレーズだね。だからそうした原生林に踏み込むと
『個』というものは見分けられなくなる。例えばシシ神の森にも杉は生えてい
るに違いない。でもそれはぼくらが見なれたものではなくそれぞれの環境によ
って様々に姿を変えて適応しているから抽象化された杉の樹形をそこから得る
ことは難しい。樹皮や葉の形などから識別するほかなくなる。だから厳密な分
類学的知識のなかった昔の人はたぶん一定不変の生物種というものをあんまり
意識していなかったと思う。
Doru でも昔の人だって杉は杉として認識していたでしょ?
Zin もちろんそれはそうだろう。でも杉の樹形とか枝ぶりとかに対して今の
ぼくらが持っているような画一的イメージは抱かなかったはずだ。ぼくらは何
となく杉というのは幹がスラッと伸びていると思っているけど、屋久島の縄文
杉や翁杉なんか見ると決してそういうことはないということがわかるものね。
彼らにとって種というのはもっとフレキシブルで変幻自在なものであったと思
う。
Doru そうか。だから樹木に精霊がやどったりする発想が生まれるのね? ひ
とつひとつがそれほど個性的なものであれば他とは違った霊的な能力を宿した
樹があってもおかしくはないものね。
Zin そうだろうな。だからこそモロの君や乙事主のような神々がいて当然な
んだ。
Doru そうした神々だけでなく、すべての生き物たちがみんな独自の個性を持
って生きている。『白菜』みたいにあらかじめ商品イメージ化されたような植
物はそもそも存在していないのね?
Zin いわば現代人にとってそれらは容易に識別できない『雑草』だろうな。
そして杉は『雑木』の一部になっている。雑草や雑木は背景であり邪魔もので
はあっても決して『商品』にはならないよね?
Doru でも雑草や雑木という呼び方ももともとは人間の勝手だわ。本来無駄な
植物なんで生態系のなかではひとつもないはずだから。すべてが互いに影響し
あって価値をもっているはずよ。
Zin つまり、そこには人間によって切り離された『個』はないんだ。すべて
は生命の循環のなかにある。個々の生き物の死も生もその大きな循環のなかの
一部にすぎない。それはいわば『全』の世界だな。
Doru わたしたちはそうした『全』の中には入れないの?
Zin それこそ環境問題の本質だろうな。そして少なくともいまの社会システ
ムのままではそれは無理だと思う。だって現代人はすべて『労働力商品』とい
う商品でしょ? 『個』として競争し『個』として自分を売り込んで必死に生
き延びている……。
Doru じゃ昔の縄文人は『全』の中に入っていたの?
Zin うーん。どうだろう? ぼくは縄文人として生きたことはないけど……
あるいは野山を歩き回るうちにある瞬間そうした自然と渾然一体になるような