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★タイトル (GSC ) 98/12/17 16:46 (150)
わたしのコンサート鑑賞(5) /竹木貝石
★内容
五嶋みどり ヴァイオリンリサイタル(スーパークラシック98)
近頃の私は、以前ほどには夢中で音楽を聴かなくなったし、5月には演奏会の日を
忘れていて入場券を無駄にしたこともあって、もうコンサートには行かないつもりで
いた。
そんなある日、何気なくラジオのスイッチを入れたら、大層素晴らしいヴァイオリ
ンコンツェルトが聞こえてきた。その超人的で豪快なテクニックと美しく深みを湛え
た音色は、世界的な超一流のヴァイオリニストかと思われた。
「これはいったい誰だろう? 現代の人か、それとも故人か?」
色々な演奏家の名前を想像しつつレコードを聴き終わると、アナウンサーが「独奏
は五嶋みどり」と言った。ニュースに疎い私は、五嶋の名前くらいは聞いていたが、
経歴も年齢も全く知らない。
日本にも世界的に有名なヴァイオリニストは大勢居るが、録音ならともかく、生演
奏では私を十分満足・満喫させてくれた人は居ない。
「もしかすると、この五嶋みどりこそ大物かも知れない」
私は早速半年後の12月(今日)の入場券を注文したのであった。
ところがその後、別のCDで五嶋みどりを聴いた時は、平凡な演奏・普通の音色だ
ったので、半ばがっかりし半ば納得した。いくら録音で上手に演奏出来ても、生演奏
が良いとは限らないし、曲目やコンディションによっても出来不出来は異なる。だか
ら、私は今夜の演奏をあまり期待せずに出かけることとした。
6時15分開場、6時45分開演。
私の席は、二階 12列の18番、先日と同じ芸術劇場コンサートホールであり、
あの時は、二階 14列の25番、A席9000円の所を無料招待してもらった。今
夜はS席13000円で、発売と同時に予約購入したのに、前回よりもむしろ悪い席
だ。私はいい年をして、内心不満に思った。同じS席なのに、一階前列中央もあれば、
二階中列の左寄りもある。もう少し、ランクを細かく分けるべきではないだろうか。
なにしろ残響が多いから、ヴァイオリンは出来る限り前の方で聴きたいのだ。
しかし、今回は伴奏がオーケストラでなくピアノだから、前回のウート・ウーギの
コンサートよりは聞き取りやすい筈である。
プログラム1番は全く初めて聴く曲で、バロックかと思うと古典派のようでもあり、
時に近代的な不協和音が混じったりする。
最近は入場券にチラシが付属して来ないから、予め曲目を調べておくことが出来な
いし、会場でプログラムを買っても、私には読めない。
確かに、五嶋の演奏はミスがないので安心して聴けるし、音色も日本人離れしてい
る。ビブラートを掛けずに、音をピアニッシモで長く伸ばす技法が巧かった。
一曲目が終わったところで、私は右隣の年輩の女性に尋ねた。
「すみませんが、今のは何という曲でしたか?」
「シュミトケ(または シュニトケ)作曲の 古風な洋式による組曲です」
と教えてくれたが、何処の国のいつ頃の作曲者なのか、私は知らない。レスピーギ
の『リュートのための古代舞曲とアリア』や、プロコフェエフの『古典交響曲』は有
名だが、このシュミトケの曲は旋律が平凡すぎる。
話は若干逸れるが、過去40年間の演奏会で、見知らぬ隣の人に私から話しかけた
のは今日が初めてである。音楽会というのは、そのように単身かつ孤独であるのが良
い。余分な会話や気遣いは、純粋な鑑賞を妨げるからだ。
けれども、今夜はついに曲名を尋ねてしまった。
その後2、3の会話があり、〈おばさん風〉のその人は、
「この席はいい場所ですね」
と言った。私には全然いい席と思えなかったが、その口振りから判断して、「舞台
がよく見える いい席」という意味のようだった。
プログラム2番は、バルトークのヴァイオリンソナタ第一番。私は現代音楽を好ま
ないが、生演奏なら結構楽しめる。けれども、この曲の第一楽章はつまらなかった。
まずよくないのは、ヴァイオリンの音が伴奏のピアノよりも後ろから聞こえてくる
点である。勿論、ソリストの五嶋みどりは伴奏者のロバート・マクドナルドより前に
位置しているが、楽器そのものは、グランドピアノが前に出ているから、ヴァイオリ
ンの音がピアノに隠れて不鮮明に聞こえる。五嶋の挽くヴァイオリンの音量は決して
小さくないが、何度もいうように、残響の強い会場では、後ろの音は余計に不鮮明に
なってしまう。
どのリサイタルでも、ソリストがピアノよりはるかに前へ出て演奏するということ
はあるまい。だが、音楽を目で見るのでなく耳で聴くものだとすると、たとえ見場や
バランスは悪くても、独奏者は極力観客に近い位置に立つべきだ。
幕間時間に、会場案内の女性が私の様子を見に来てくれたので、ロビーへ連れてい
ってもらい、CDを2枚買った。パガニーニの、協奏曲第1番と、カプリース24曲
である。
前者の録音は1987年というから、五嶋がまだ高校生の頃かもしれず、私がラジ
オで聴いたのはこのCDだったのだろうか?
カプリースは、イツァーク・パールマンのLPを持っているので、聴き比べてみた
いと思う。
プログラム3番は、演奏会でよく聴く曲だが、メロディーと題名が結びつかない。
ショーソンの『詩曲』、あるいは、シマノフスキーの『アレトゥーザの泉』……。
音楽的にも技巧的にも、見事な演奏だった。
プログラム4番は、ベートーベンのソナタ『春』だと聴いていたが、フランクのソ
ナタが始まったので、私は些かがっかりした。フランクのソナタなら、名人たちの生
演奏をたくさん聴いている。スターン、スーク、オイストラフ、コーガン、江藤俊也、
荒谷陽子……。
私はフランクも好きだが、今日は五嶋の演奏する『スプリングソナタ』を聴いてみ
たかった。若い五嶋が古典派の名曲をはたしてどのように挽くか興味があったのだ。
そう思いつつ聴いているうち、次第に調子が上がってきて、第二楽章は最高の出来
映えとなった。
五嶋のヴァイオリンで最も素晴らしい音は、D線とG線のハイポジションである。
この音域の太くて優雅な音色は、正に超一流のものといってよい。
それに比べて第六〜第七音列は、音量は十分だが、美しさという点で今一つである。
第二楽章がドラマティックに終わった途端、観客から拍手が湧いた。楽章の間で拍
手をするのはマナーに反するが、聴衆はフランクのソナタを知らないらしく、二楽章
があまりにもぴたりと決まったので、思わず手を叩いてしまったのだろう。それに釣
られて、会場の四分の一ほどの人が拍手をしたが、すぐに鳴り止んだのでほっとした。
昔の聴衆は、曲の切れ目や楽章の間で手を叩くような失敗は無かった。
私は当時そのことが不思議で、友人に尋いてみた。
「観客は、曲が途中なのか終わったのかが何故分かるんだろう。全ての曲を熟知して
いるとは考えられないんだが…」
すると彼は、
「プログラムを見てれば、ちゃんと書いてあるから分かるさ」
と言った。
近頃の観客はプログラムをあまり読まないのだろうか?
なお、曲が終わるか終わらないうちに、待ってましたとばかりに拍手するのは、い
かにもわざとくさい。本当は、余韻を最後まで聴き終えて、一呼吸・二呼吸置いてか
ら、おもむろに手を叩くのが真の音楽愛好家である。
マナーについてもう少し触れておく。
演奏や講演中に、携帯電話やアラーム時計の音を出す人がいるが、今日はさすがに
それは無かった。高額の音楽会は静かで、無料招待客の多いほど騒がしいのも人情だ
ろう。
演奏中の雑音は、どんなに小さい音でも邪魔になり、プログラムをめくる音は勿論
のこと、衣服の擦れる音も立てないでほしい。
まして、演奏最中に会場の出入りや移動をするのは止めてもらいたい。
私の隣のおばさんは、フランクのソナタの第三楽章が始まってまもなく、
「お気をつけてお帰りください!」
と小声で挨拶して、席を立って行った。
アンコール曲を紹介する五嶋の声は、作曲者・曲名・語尾の最後まではっきり聞こ
え、演奏者自身でこれほどしっかりと紹介した人は今まで一人も居なかったから、好
感が持てた。
アンコールの1曲目は、
「チャイコフスキーの メロディーを演奏します」
と言い、例によって丹念にD線とG線の調弦をした後、静かに挽き始めた。懐かし
さを誘う柔らかな演奏だった。
万雷の拍手の中、私も一生懸命手を叩きながら、
「是非もう一曲アンコールを聴きたい!」
と思った。何故なら、今夜の五嶋みどりは、まだ本領を発揮していない気がしたか
らだ。
「ものすごい演奏を聴かせてくれ!」
そう願いつつ、私は拍手を続けた。
アンコールの2曲目は、パガニーニの『シチリアーノとリゴードン』で、これを聴
いて、ようやく私は満足したのだった。
帰りも、会場係の女性が私をロビーまで連れて来てくれたが、途中のエレベーター
では、
「皆様、恐れ入りますが、車椅子の方が乗られますので、なるべくエスカレーターを
ご利用ください」
と、てきぱき指示を出していた。
エレベーターを待つ間に聴いて分かったことだが、この芸術劇場は、一〜四階が大
ホールで2500人収容、5〜7階がコンサートホールで1800人収容出来るとの
こと、1800人も入るのであれば、あれくらいの残響を利かせないと会場全体に音
を伝えることは出来ないだろう。
そう考えると、音楽会の人気が高いのも良し悪しで、私はつい苦笑せざるを得なか
った。
五嶋みどり、スケールの大きなヴァイオリニストというより、安定した演奏家とい
う印象だった。
ゆくゆくは世界一流までに成れるだろうか?
[1998年(平成10年)12月16日 竹木貝石]