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★タイトル (GVB ) 98/10/19 0:53 (179)
AWCで起こったいろんなできごと(7) ゐんば
★内容
●1993年
【1月・権力の陰謀広告事件】
ヨウジさんが『権力の陰謀』の連載を始めたのは前の年のことであった。
彼も最初からAWCに書いていたわけではない。東京ボードや当時まだ存在し
ていたFREEボードなど、十数カ所のBBSに連載していたのである。
しかしこういったSIG外のBBSは保存期間が二週間しかなかった。そのた
め、ヨウジさんは二週間が過ぎると再アップを繰り返した。
これではボードの常駐メンバーはたまったものではない。地域ボード中心に活
動しているメンバーは複数のボードを掛け持ちすることが珍しくなかったから、
最悪の場合二週間ごとに同じ小説を五・六回ダウンロードすることになる。
各ボードで怒りの声が巻き上がり、「小説を書くならAWCにアップして、ボ
ードではアップしたという広告だけにしてはどうか」という意見が何人もの方か
ら出された。もちろんAWCとしては小説を書くメンバーが来ることに異存があ
るはずもなく、ヨウジさんも素直に従い、こうしてヨウジさんは活動の本拠をA
WCに移したのである。
しかし、ヨウジさんは広告の度に十数回に及ぶ連載の各メッセージがどこにあ
るかを書いていたものだから、一回一回の広告が異様に長くなった。かつその回
数、アップするボード数も増えていった。地域ボードのメンバーからは苦情が出
たが、ヨウジさんは一向に改める気配はなかった。
そして1月、地域ボードのメンバーからAWCOP宛に抗議のメールが届いた。
抗議と言っても丁寧な内容だが。
私も当時ヨウジさんとあまり話したことはなかったが、確かに変わった人では
あったがまるっきり聞く耳を持たない人でもなさそうだった。
そこで東京ボードに出向き、ヨウジさんに注意メッセージを書いた。もちろん
彼がAWCに小説をアップする権利は保証した上で。
ヨウジさんも納得し、以来彼はAWCの名物男になり、現在に至っている。
【2月・五楽戦争】
きっかけはコウさんがメッセージの中でふと「私、顔は恐いけれども、妹以外、
殴った事はありません」と書いたことであった。
週末になって登場した五月うさぎさんはこのことに大層驚いたのである。いや、
コウさんが人を殴ったことがないことにではない。人を殴ったことがない男がい
ることにである。五月うさぎさんの常識では男ならケンカの数は片手に収まらな
いのが普通であった。
小学校時代もなかったのと尋ねる五月うさぎさんに一度は喧嘩リストを作って
答えたコウさんだったが、馬鹿らしくなり、『人を殴った事がない、と聞いて、
「小学校時代もなかったんですよね、当然」なんて言う奴に、真面目に答えて損
した』とぶつくさと言った。
五月うさぎさんもまあそんなにクサらないでといいつつ、「ケンカしたことも
ねえようなヤツは男じゃねえ!」とコウさんを挑発した。
まあ、ここまではAWCで当時よく見られた小競り合いであり、そのまま進ん
でもAWC史に残りそうにはない。
しかし。ここに今回のヒロイン、楽理という仇名さん、略して楽理さん、通称
がくりんが登場するのである。
十日間の旅を終えて帰ってきた彼女はボードに書き込んだ。
『オトコジャナイとかオンナジャナイとか「前時代」(久作氏)な事をいう人っ
ているんですね。本当に。こんなところで見れるとは思わなかった。』
(中略)
『ついでに。私はいじめられっこでした。五月うさぎさん、コウさんに喧嘩売り
たいなら売っていいから(私は許可する)、頼むから、外野の神経逆なでせんで
くれ。
御願い。
本当に、御願い。』
これを読んだ五月うさぎさんは当惑した。コウさんをののしっていたら楽理さ
んが出てきたのもさることながら、自分が何をお願いされたかさっぱりわからな
かったからである。お願いをするときは要点くらい書いてくれという五月うさぎ
さんのメッセージに対する楽理さんのレスはこれだけだった。
『そうか。完全に他者の理解を前提としない文を書けばよいんだ。』
この論理の不在に論理の剣の使い手を自認する五月うさぎさんは燃えた。週末
ネットワーカーの五月うさぎさんがわざわざ水曜日に出てきて楽理さんが何を言
いたかったのかわかったと書き込んだのである。
五月うさぎさんによると楽理さんは「自分の文章の要点もまとめられずだれが
なにをどういったのかも分からずゆがんだ差別意識にこり固まっているくせに自
分じゃちょっと進歩的なつもりのバカ女」か「コウさんをかばいに出てきた」か
であり、楽理さんをバカ女だとは思ってないのでコウさんをかばいに出てきたの
だろう、と結論づけた。
『そういやあ楽理さんとコウさんは、オフで会ったばかりだったんですね。コウ
さんはそんなにいい男でしたか。』
これに対して楽理さんは不快感を表明、あとはメールでといって議論からのリ
タイアを宣言した。
だが五月うさぎさんは一方的に議論を続けた(という文章は変だが、そうなん
だから仕方ないじゃないか)。実際楽理さんからはメールが送られてきたが五月
うさぎさんはメールによるやりとりを拒否、久作さんの何気ないコメント、『上
の言葉は「喧嘩したことのある奴は女じゃねぇ」って裏返したら・・・変ですね。』
を元にボード上で論証を始めた(なお、例によって五月うさぎさんの論証は大幅
に簡略化して記述しますが、実際には計569行あります)。
Aと反Aは両立しない。
↓
「ケンカしたこともねえようなヤツは男じゃねえ!」これをAとすると、
「喧嘩したことのある奴は女じゃねぇ」は反Aになる。
↓
久作さんは反Aを否定したのでAを肯定したことになる。
↓
久作さんも自分同様「ケンカしたこともねえようなヤツは男じゃねえ!」を肯
定したわけだが、にもかかわらず、楽理さんが絡んできたのはその一方である自
分だけだった。
↓
久作さんと自分の違いは「久作さんはコウさんを攻めていなかったが、五月う
さぎはコウさんを攻めていた」の一点である。
↓
【結論】従って楽理さんはコウさんをかばいに出てきた。
五月うさぎさんは以上のようなような論理を展開した。いや、するつもりだっ
た。
これに対して予想外のところから反論が出た。AWCきっての推理作家、永山
さんである。
「喧嘩したことのある奴は女じゃねぇ」は「ケンカしたこともねえようなヤツは
男じゃねえ!」の反Aではなく、数学で言うところの「裏」になる(裏・逆・対
偶の裏)。裏は必ずしも真ではないが、両立しないともいえない。
五月うさぎさんの「論理の剣」はくずれた。
弱り果てた五月うさぎさんは2日ほど次の手を考えていた。そして、ついに最
後のカードを切ったのである。
最後のカードとは、論争中に楽理さんが送ってきたメールである。五月うさぎ
さんはそのメールをボード上で公開したのだ。
メールは3部構成になっていた。
神経質モードと題したモード1で、楽理さんは五月うさぎさんに私に構わない
で下さいと要請した。
そしてあっかるいモードと題したモード2は、『うさちゃんったら思った通り
の反応してくれるんだもん、嬉しくなっちゃうよ。』という書き出しだった。
ここで話は一ヶ月前に遡る。
AWCで独自のエイズ理論を展開していたカラオケ救国戦線さんと、五月うさ
ぎさんがエイズ論争をおっぱじめたことがある。結局論争に嫌気が差したカラ救
さんが一歩引いた形になったのだが、最後に捨てぜりふのように言い残した。
『 カラオケは、やはり「紳士・淑女」と行きたいものでありますな。
がくりん様が五月うさぎ様を召喚魔法(メイル)でお呼びしたように、
私も誰かをお呼びした方がよろしいですかな? 』
これを読んで楽理さんはあわてた。どうもカラ救さんは自分が五月うさぎさん
をメールで呼んでエイズ論争をやらせたと思っているらしい。もともとカラ救さ
んのことが虫が好かない楽理さんである。
楽理さんはメールの中で、五月うさぎさんに絡んだ理由としてこう書いている。
『あのね、カラ救ちゃん、あれさ、書いてたでしょう、私が五月うさちゃんをメ
ールでよびだした様な事。あーゆー事いわれると是が非でもうさちゃんと喧嘩し
ておかねばな、って思って。わるいねえ。迷惑掛けるねえ。だからさ、私が本当
に書きたかったのは最後の一段落だけ。私は五月うさちゃんを誓ってメールで呼
び出したりしてない、って。』
てなわけでと題したモード3で、楽理さんがAWCの人に心配されて「大丈夫
か」とメールを貰った話をしている。
『これで私が「うさちゃんに追い落とされた」とかいう事態になるとそっちも一
応きまり悪い思いするかと思うし。』
今も昔も、ボード上でのメール公開はマナー違反である。
五月うさぎさんは、メール公開と同時にその責任をとってAWCからの引退を
表明した。
五楽戦争での敗北を認め、ボード外で楽理さんを応援していたメンバーの存在
をぼやきながら、最後のカードを切ったことで完敗であった論争をイーブンに持
っていけたのではないかとの期待を込めて。
しかし、ここに五月うさぎさんの最大の読み間違いがあった。
メール公開はマナー違反であるが、絶対の大原則というわけでもない。恐喝的
であるなど、内容が愚劣な場合のメール公開は自衛手段としてある程度公認され
ているのが実状である。例えばセクハラメール事件のとき、[ Sally ☆//]さん
は加害者からきたメールを一部公開していたが、誰もそれに異議を唱えてはいな
い。
おそらく今度のケースでも、五月うさぎさんがメールを受信後ただちに公開し
て「なんだこのふざけたメールは」と普通に怒っていれば、立場をイーブンにも
っていけたかも知れない。
しかし五月うさぎさんはそれをしなかった。自分の論理の剣に自信があったか
らだ。
そして論理が崩壊してメール公開した後、公開の非をあっさり認めてしまった。
五月うさぎさんにしてみればそれが潔さだったんだろうけれど。
メールが公開された途端、それまで黙して語らなかったメンバーの怒りが爆発
したのだ。
五月うさぎさんの長文の論理展開にみなうんざりしていたのだ。正当性が五月
うさぎさんにあるか楽理さんにあるか、という五月うさぎさんが一番気にしてい
た点は誰も気にしていなかった。
メール公開というあきらかに非難できることを五月うさぎさんが起こしたとき、
それをきっかけにそれまでたまっていたものが吹き出したのだ。
もちろん、それまでAWCで共に活動してきた五月うさぎさんであるから、引
退を惜しむ声、残留を説得する声は一人や二人ではなかった。が、その声も五月
うさぎさんを弁護することまではできなかった。
こうして五月うさぎさんは「撃墜」された。
五月うさぎさんが気にしていた、ボード外での楽理応援団は実際にはそんな大
勢ではなかったし、まとまってもいなかった。どちらかというと中立的メンバー
の方が多かったと思う。しかしこのとき五月うさぎには、おそらく自分以外のす
べてが楽理応援団に思えたのではないだろうか。