AWC ART【3】 /えびす


        
#6582/7701 連載
★タイトル (SEF     )  98/ 7/ 3  21:49  (113)
ART【3】 /えびす
★内容
 竹彦は何事もなかったかのように路肩に降り立った。左折する際、車は充
分に減速している。転がって受け身を取ったりする必要はない。そのまま平
然と歩きだす。〈葬儀屋〉のバンはすぐに先まで行ってしまい、見えなくな
った。これから彼らは、尾行を切る複雑な作業にとりかかるはずだ。数時間
は、一切の連絡がとれなくなると見ていい。
 尾行者が目標にしていたのが〈葬儀屋〉か竹彦か、という点は、まだこの
時点では判別できないし、どちらかだと決めつけるのは危険でもあった。あ
くまで狙われているのは自分である、という仮定の上で竹彦は行動を開始し
た。
 暗く狭い路地を真っ直ぐに数十秒歩いたところで、覚悟した竹彦は立ち止
まり、煙草に火をつけた。鋭い緊張感が背筋を走る。それを表には決して出
さずに、竹彦は大きく煙を吸い込み、吐き出した。
 もし狙撃される予定だったのなら、今がまさにその瞬間だった。
 ゆっくりと振り向く。視界に人はいない。竹彦は、緊張のレベルをやや落
とした。今さっきのタイミングに相手が合わせてきたのなら、それはもう個
人では手の打ちようがない大がかりなセッティングが施されているというこ
とで、助かる見込みは最初からほとんどゼロだった、ということだ。そうで
はなかったということは、裏を返せば、少なくとも竹彦自身の意志でなんと
かできる余地が多少でも存在する、ということでもある。
 竹彦は路地をもう少し先に進み、何度か角を曲がった。歩き続けながら考
える。
 JRの駅まで引き返してから列車でできるだけ移動し、適当なビジネスホ
テルで偽名を使って一泊すると見せかける。夜のうちにそこを抜け出し、原
付を盗む。尾行を完全に切ったと確信したら、駅やバス停から充分に離れた
場所で原付を放棄し、タクシーを数台乗り継ぎ、どこかの公園の死角となっ
ているポイントで朝まで過ごす。寒いが、凍死するほどではないだろう。朝
になったら、列車かバスで主宅まで戻ればいい。
 ただ、これに似たようなことを竹彦は以前試みたことがあった。そのとき
はどうやら成功したらしいが、もし相手が前回のそれを踏まえて今回の対策
を打っていたら、と考えると、できるだけ違うスタイルを使ったほうが賢明
なように思えた。
 次の手として、今すぐに自転車を盗んで、できるだけ走り続け、尾行を切
ったところでまた次を考える、という方法もある。ただ、この時間にこのや
り方だと、呼び止められて職務質問を受ける可能性も少なくない。腰の拳銃
や懐の小型ワイヤー切断具等を別にしても、警官と接触するのは避けたかっ
た。携帯している偽造免許証の住所欄は、主宅から離れた場所にしてある。
警官は、意外と勘がいい。トラブルになったとき、相手を殺すのは簡単だが、
話が大きくなりすぎるし、だいいち、仕事と無関係の人間を殺傷することに
対して竹彦は抵抗を持っていた。
 今、この瞬間、竹彦自身に監視がついているか否か、というのも重要な問
題だ。
 あの角で降りるということが相手に分かっていたのか否か。尾行が姿を見
せたのは故意で、そこで尾行を匂わせれば、この地点で竹彦が下車する、と
読んでいたのか。ほんとうに最悪の場合、そこまではあり得るだろう。だと
すると、今この瞬間も監視はついている。その人物の姿を確認する必要があ
る。
 そう考えると、確実に尾行者の目視ができるJR経由の計画のほうがメリ
ットが大きいように思えた。列車に乗る際、自分と同じ車両に乗り込んだ人
物全員の姿を記憶すればいいのだ。列車の場合、どこで降りるのか分からな
い以上、最低でもひとりは確実に竹彦の姿を確認できる位置にいなければな
らない。そうしないのであれば、後はヘリを飛ばすか、既にJRの国内全て
の駅に監視を配置しているか、ぐらいしか尾行の方法がない。両方ともほと
んど可能性はない、と判断していいだろう。ヘリはともかく、全国のJRの
駅そのものを全て継続的に監視するのはコストがかかりすぎる。また、夜に
ヘリは大袈裟すぎるので、それだけの財力があってもたぶん使ってこないだ
ろう。
 竹彦は、駅に向かうことにした。
 そう決断して、路地裏から真っ直ぐ南に歩いていると、大きめの道路に出
た。そこを左折して東に進む。車がまばらに通過する以外、人通りはない。
一〇〇メートルほど先の信号が一九号を横断するための信号だ。このまま国
道を横断して何百メートルか歩き、右折してしばらくすると駅に着く。駅の
時刻表は暗記していないので、発車時間は分からない。できれば発車ぎりぎ
りで乗り込みたかった。携帯から番号案内にかけて、駅の電話番号を聞き、
駅に次の発車時刻を直接確かめる、という手段はある。ただ、相手に携帯が
盗聴されていた場合、数分か数十秒の先手を打たれてしまう。また、番号案
内にかけてまで発車時刻を確認するという行為そのものによって、竹彦がま
だ尾行を警戒している、ということが相手にはっきりと伝わってしまうのも
問題がある。もう安心だと思っているかもしれない、という曖昧な部分は残
しておいたほうが有利だ。その曖昧さを利用して尾行を切ることができるよ
うな局面に今後ならないとも限らない。
 吸っていた煙草を携帯灰皿に入れ、両手をジャンパーのポケットに入れる。
その手は何か武器を握っているかもしれないし、あるいは安心してリラック
スしきっているだけなのかもしれない。相手にはどちらなのだか分からない。
そういう情報の曖昧さが有利に働くこともあるのだ。それは竹彦が師から教
えてもらった大事なことだった。
 目前の信号が青から黄色になった。小走りでは間に合わない。全速で走れ
ばなんとかなるが、もちろん、そんなことはしない。竹彦は信号で止まった。
 竹彦が立っている側の歩道の角に、呑み屋のチェーン店があった。それほ
ど人通りのある場所ではないので、繁盛こそしていないが、夜には駐車場に
車が何台かいつも停まっている店だ。その呑み屋の自動ドアが開いた。竹彦
の左側、数メートルの場所だ。なにげなく、竹彦がそちらをうかがう。背広
を着た会社勤め風の男たちが、笑い合いながら四人出てきた。うちひとりは
かなり酔っているようで、足取りがふらふらだった。残り三人もかなりの上
機嫌のように見てとれる。その四人がゆらゆらと竹彦のほうに近づいてきた。
竹彦は前方の信号に目を移した。当然、横目で男四人を警戒している。男た
ちも竹彦と同じ信号を渡るようだった。仕事が終わって、一杯呑んで、JR
で帰る、というところなのかもしれない。少し離れてはいるが、それでも酒
臭い息は確実に竹彦のところまで届いてきた。
 いちばん酔っている男が、電柱の根っこにかなり派手にげろを吐いた。も
うひとりがその男の背中をさすっている。
 突然、パン、と、乾いた音が竹彦の右前方の交差点でした。
 竹彦が音の方を向く。
 右折しようとした軽自動車が、後ろからきた乗用車に追突されていた。軽
が数メートルは吹き飛ばされている。
 同時に竹彦は左のふとももの外側に痛みを感じた。同時に、圧縮されてい
た気体が放出される短い音がする。しまった、と思ったときには既に遅かっ
た。男が何か注射器状のものを竹彦の足に突きたてている。さっき吐いてい
た男だった。充分に距離を離していたつもりだったのが、事故に反応したそ
の一瞬に間合いを詰められていた。事故は、故意に違いなかった。
 殺るか。瞬時に竹彦の思考が圧縮された。時間がスローになる。
 どんな薬物にせよ、注入された箇所がふとももなら、何かが起きるまで少
なくとも一秒弱の時間がある。それだけあれば、腰の銃を抜いてから四人と
も射殺するのに充分だ。
 竹彦は、アクションを起こしかけ、寸前で思い止まった。現状では、この
レベルのセッティングには対抗できない可能性が高い。使われたのが致死性
の薬物なら、もう手の打ちようがない。逆に、死に至らない薬物であった場
合、こちら側のバックアップも存在しないような現状で抵抗するのはかえっ
て危険と言える。
 意識が消える直前、竹彦は会社勤め風の男ふたりに両脇を抱かれた。彼ら
の酒臭い息が竹彦の鼻に残った。

                            【つづく?】





前のメッセージ 次のメッセージ 
「連載」一覧 えびすの作品 えびすのホームページ
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE