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三宮晴樹とその友人達(24) ハロルド
★内容
一九九八年四月 英、ロンドン。
三宮晴樹の友人柏原郁太郎の遠縁にあたる在英日本人女性イクコ・カシワバラ・
レストレードは、親友のジョー・オハラ・ワトソンの家を訪れた。ジョーがドアを
開けるとイクコは言った。
「あたし、イギリスを去ることにしたの」イクコは女性にしては妙に野太い声で告
げた。
ジョーは驚いて、イクコの涙と鼻水にまみれた顔を見つめていた。
「まあ中に入りなさいよ」ジョーもイクコと同じくらい野太い声で言った。
ジョーはイクコをダイニングルームに招いた。
「どういうことなの?」
イクコは事情を説明した。
イクコは、今まで第二次大戦中に旧日本軍から残虐行為を受けた英国人捕虜との
和解交渉に努めていた。そして元捕虜宅を一軒一軒訪ね歩く毎日を送っていたのだ
が、その元捕虜達から返ってくる答えはいつも同じだった。
「ああ、もうその話ならホームズさんから聞いたからいいよ」
「ホームズさん」とはイクコと同じように、英国人捕虜との和解交渉に努めてい
る日本人女性ケイコ・ホームズさんのことで、彼女の活動は常にイクコのものより
一歩先んじていた。イクコの活動としての労力は、ホームズさんと互角に渡り合っ
ていたのだが、そのホームズさんの活動によって、イクコの活動の成果は常にゼロ
となっていた。イクコはそのうちホームズさんに憎しみを抱くようになった。
そうこうしている内に英王室がホームズさんに、その功績を讃えて第四級勲功章
(OBE)を授与したのである。折しも英国では、戦後の英国人捕虜への謝罪と賠
償が充分でないとして、五月に予定されている天皇訪英への抗議行動が計画されて
いるが、ホームズさんへの授章のニュースは、その抗議団体にも影響を及ぼしそう
だった。
イクコは、この授章を天皇訪英抗議団体以上に快く思わなかった。
「どーしてあの女はもらえて私にはないのよ!?」彼女は激しい嫉妬に泣き叫んだ。
イクコはそのことで親友のジョーに、愚痴をこぼしていた。
「あたしの活動がうまくいかなかったのは、全部あのホームズとかいう女のせいよ」
「それは仕方がないじゃない」ジョーはたしなめた。「だって向こうは誠心誠意、
元捕虜のために尽くしてるんでしょ。貴方はただ自分の野心のためだけにやってる
だけだもの」
「冗談じゃないわよ!」イクコは叫んだ。「あたしだって誠心誠意やってるわよ。
あんたも知ってるでしょ。この前、元捕虜の自宅へ行って来たのよ」
「でも、『ホームズさんが先に来た』と言うんで追い返されたんでしょ?」
「そうよ。私が諦めてドアに背を向けたとき、相手が何をしたと思う? 帰るあた
しの背に向かって、映画『戦場にかける橋』のクワイ河マーチを口笛で吹いたのよ。
あれって『サル、エテ公、チンパンジー』じゃない! 日本人に対する人種差別よ!
どうしてあんな屈辱を受けなきゃなんないの!」
「あれは、日本の小学生が運動会のときにふざけて歌ってるだけで、本当はそうい
う意味じゃないのよ」
「でもクワイ河マーチを口笛で吹くだけでもひどいじゃない」
「でもその人が飼ってるイングリッシュシープドッグの御飯皿の中身を、なにもそ
の人の顔面に浴びせることはないじゃない」
「あたしの誠意溢れる活動はそれだけじゃないわ。極東捕虜協会の全国大会にも出
たのよ」
「知ってるわよ。門前払いを喰らいそうになったんでしょ」
「そうよ。だからあたしがその係員の胸倉を掴んで脅してやったから入れたんじゃ
ないの。そして入った後、『ピーチボーイズ』に和解を訴えたのよ」
「『ピーチボーイズ』じゃなくて『イルカボーイズ』でしょ! 貴方、相手の名前
も間違えてたんじゃないの」
「イルカだろうがシャチだろうがクジラだろうが、そんなこたどうでもいいのよ!
そのうち、若い頃のアレック・ギネスに似たその何とかボーイズがクリームパイを
あたしの顔にぶつけてきたのよ。何でそんなもんが用意されてあったのかわからな
かったけど、あたしは耐えたわ。そしてあたしが顔からパイを剥がして喋ろうとし
たら、今度は別の奴がパイをぶつけてきたの。鼻の穴の奥にまでクリームが入った
わよ!」
「それで耐え続けたの?」
「当たり前じゃないの。日本軍がビルマでの泰緬鉄道工事で元捕虜兵達にした残虐
行為のことを考えれば大したことないもの」
「相手が貴方のことを『鼻の穴のでかいブス』って呼んだときも?」
「それとこれとは話が別よ。戦争のこととあたしの顔のこととは関係ないじゃない。
当然キレて反撃したわよ」
「だからその人達の戦争後遺症が残ってる身体の箇所を殴って重傷を負わせても構
わないってわけ?」
「あたしが言いたいのは、あのホームズが大会の会場を訪れたときは、とりなして
くれる人もいたのに、どうしてあたしのときは誰もとりなしてくれなかったのって
ことよ。英王室だってあたしの努力を認めて授章するべきだったのよ。あたしの価
値を認めようとしないこの国にはもう未来はないから、さよならするわ」
ジョーはイクコの話を呆れ果てながら聞いていた。彼女は日英関係を改善するど
ころか却って悪化させるだろう。
「それでこの国を出て何処へ行こうというの?」ジョーは尋ねた。
「デジュちゃんの国に決まってるじゃない」イクコは言った。
「デジュちゃんて誰よ?」
「もうこれだから国際政治に疎い人は困るのよねえ」イクコは溜息をついた。「韓
国の大統領の名前も知らないなんて」
「韓国の大統領が金大中(キム・デジュン)だってことは知ってるけどデジュちゃ
んが誰だかなんて知らないわよ!」ジョーは言い返した。「とにかく貴方は韓国へ
行こうと考えてるわけね」
「その通り。そのデジュちゃんとリュウちゃんがASEMで会ったときに、天皇訪
韓を実現させたいって話し合ったのよ。関釜裁判でのケチくさい賠償金なんかじゃ
駄目よ。訪韓したらどうせ抗議行動が起こるに決まってるんだから、その前にあた
しが韓国に行って従軍慰安婦達の為に貢献すれば、あたしは韓国政府から何らかの
賞をもらえるってわけよ」
数日後、ジョーはヒースロー空港でイクコが乗っている韓国行きの便を見送って
いた。そして真の日英と日韓の友好と二〇〇二年の世界杯の成功を祈りながら、従
軍慰安婦達にキムチ漬けにされるイクコの姿を想像していた。
(98/05/01)
※この物語は架空のものであり、実在する国家、事件、機関、団体、個人等
とは何の関係もありません。