AWC うんこ小説C     つきかげ


        
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★タイトル (BYB     )  97/ 9/13   3:38  (123)
うんこ小説C     つきかげ
★内容
  都市において、アンダーグラウンド、あるいはサブカルチャーと呼ばれるジャ
ンルにて、時として魔術的世界が出現する。冒頭で述べたボアダムズというロッ
クバンドが所属していたレーベルに、アルケミーレーベルがある。
 このレーベルの主催者であるジョジョ広重氏のバンド、非常階段は実に特異な
バンドである。音そのものは、いわゆるノイズだ。メロディーも、リズムも存在
せず、フィードバックノイズの轟音と、ヴォーカリスト(女性)の絶叫だけから
構成される。
「非常階段のな、ボーカルは絶叫してるだけやねんけどな、結構美人なんや」
「ああ、非常階段というと、シルクとミヤコの」
「じゃなくて」
  音そのものは、むしろ平凡といってもいい。昔、非常階段のファンの人に、こ
れでは予定調和だといって、随分怒られた事がある。つまり、ロックの破壊を意
図しているが、新しい世界を目指しているものではない。破壊の為の破壊。そこ
に広がるのはただ空虚な、廃墟だけ。むしろCDだけ聞いていると、環境音楽に
近い。
  これについては、広重氏自身も認めている節がある。ライブとCDは違う。ラ
イブにおいて、非常階段は秘技的実験を行っていたように思える。
  非常階段は例えば、ライブハウスに訪れた観衆に対して、主催者側はライブハ
ウスにて発生する事象によって観衆に及ぼす事態に責任を持たないといった趣旨
の文書に署名をさせるといった事を行っている。これ自体がすでに、エゾテリス
ム的な空間を発生させているように思う。
  非常階段のライブは、混沌とした祝祭空間を出現させている。絶叫、轟音。叫
びながらライブハウスの中を駆け回る演奏者。ステージの上で大小便を垂れ流し
にするボーカリスト。
  ここには、うんこ的なちからの出現形態がある。

  突然であるが、話が脱線してしまうのだが、もしも私が職業として作家を選ぶ
としてら、プロとして書きたいものというのは、ノンフィクションである。かつ
て大川興業の総帥がテレビ番組の「知ってるつもり」や「驚きもものき20世紀」
といった番組を例にとり、もしも21世紀に同様な番組が作られたとして、我々
の今の時代でとりあげるべき芸能人がいるかという事を言っていた。
  例えば、現代の代表的なミュージシャンとしてユーミンがいる。ユーミンを番
組としてとりあげたとしても、成功しました、幸せでしたで終わってしまうでの
はないかと。
  しかし、劇的な人生を歩んでいるミュージシャンは私から見ると、もっと色々
といるように思う。前出のボアダムズの山塚アイにしても、ライブハウスを破壊
して回っていた男が突如としてアメリカのメジャーレーベルへ進出したのだから
無茶苦茶である。
  彼らの歌の歌詞は、中々見事である。私は山塚アイの言語感覚に、多大な影響
を受けている。例えば、「マハトマ」という歌がある。

  マハト マ クリーハ ヘッホー ヘッホー
  マハト マ クリーハ ヘッホー ヘッホー

  といった歌詞を連呼する。是非カラオケで歌いたいものであるが、未だカラオ
ケでは見た事がない。それはそれとして、アメリカの大手メジャーレーベルと契
約した時には、帝国ホテルでインタビューが行われた。そこでそれまでボアダム
ズなどという名前すら聞いた事もないだろうというアメリカの記者もインタビュ
アーとして参加している。
  その時のやりとりは、絶品であった。

アメリカ記者「アメリカで発売されるアルバムの歌詞は、日本語ですか?英語で
       すか?」
山塚        「へ?」
日本のレコード会社の代表「そのままです。日本のものをそのまま出します」

  劇的というのであれば、頭脳警察のパンタなんかも結構劇的のように思う。ま
あ、睡眠薬でラリってステージに上がりオナニーをしたといった程度の事は、す
でに陳腐化しているにしても、やはり、三里塚ライブは見事であった。
  機動隊にとりかこまれた、三里塚でのライブ。パンタはアコースティックギタ
ーとハルのボンゴだけをバックに、機動隊に向かって絶叫する。

パンタ「我々には、諸君らを抹殺する権利がある!銃を向けるなら後ろに向けろ、
    君たちを操る豚どもにむかって!」
野次  「やってみろよ、具体的にやってみろよ」

  この三里塚にあの笠井潔が行って、スイカ畑の緑と茶色のだんだらが延々続く
風景に存在的な不快を感じたといっている。だったら行くなよという気がする所
である。
  話を少しもとに戻して、アルケミーレーベルのミュージシャンに、赤痢という
女の子のバンドがある。彼女たちは、中学生でデビュー(?)しているのだが、
デビューが京大西部講堂である。
  これはうらやましいとしか、いいようがない。バンドを組んで最初に演奏した
場所が京大西部講堂というのは、運命的なものがある。
  彼女たちがバンドを結成した時、担当する楽器を決めるのに、じゃんけんでき
めたそうだ。しかし、じゃんけんで負けたミウがベースになったものの、全く練
習してこないのでボーカルにしたというエピソードがある。実にパンクバンドら
しいエピソードであるが、なぜボーカルは練習しなくていいとつっこみたくなる
所である。
  さて、京大西部講堂であるが、かつて私はここで、田中眠の舞踏を見た。光と
闇の表現。濃密な闇が豊饒な意味を語りだした時、私は深い感動を覚えた。
  身体を使い、空間を変容させる。西部講堂という場所は、その内に抱えた闇に
より舞踏者を抱え込み、煌めく光と深い闇によって、意味が崩壊しその彼方が出
現するような空間を成立せしめた。
  西部講堂とは、そうした場所である。
  又、パトリック・ボカノウスキーの「天使」という映画も、この西部講堂でみ
た。上映する映写機の光が、薄明の幽界を演出する。その冥界を思わす光の中で
講堂の壁に描かれた虎の姿と象の姿が、浮かびあがる。
  そこには、特殊な場があった。
  西部講堂は現代に残った、濃密な祝祭空間の一つである。年末にはテントが張
られ演劇が行われる。ついでに、プロレスもされるし、パンクバンドの演奏もあ
る。
  そうした混沌とした、通常の意味と時間が喪失し、祝祭的な、秘技的な空間が
降臨した時に彼女たちは歌った。夢見るおまんこを。

  恋した彼氏が面白くないから
  一発やらして、一発孕んで、一発産み落とす

  恋した彼氏が面白くないから
  ホテルにいって、連発やりまくる

  あんなに夢見たおまんこも、どうしてこんなにつまらない
  愛液どろどろ溢れ出た、むこうのちんぽもたってきた

  いぇーい

  超越的瞬間は、恩寵として訪れると笠井潔はいっている。意味の向こう側、存
在の彼方。それは祝祭空間の中における祈りに対して、まさに恩寵として降臨す
るに違いない。
  その時、まぎれもなく、魔法的世界への入り口が出現したと信じている。私が
真に書きたいと思う風景が、ここにある。
  彼女たちは歌う。

  ひとつぶ食べればバラ色
  ふたつぶ食べればババ色
  チョコレートブルース チョコレートブルース
  希望なんてないんだぜ
  欲望だけがあるにだぜ
  チョコレートブルース チョコレートブルース

  そう、欲望だけが、我々の前に世界を顕現させる。竹田青嗣は、フッサール現
象学の意味志向を欲望へと読み替えていった。エロスが世界を、出現させる。
 世界は私たちの欲望の中にある。




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