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フリー日記 1997年5月分より /竹木貝石
★内容
5月10日(土)
子供たちの荷物類が多すぎて、二階の三つの部屋は中に踏み込むことすら出来ない
くらい乱雑にしてあり、何処かに大きな倉庫を買わない限り、とても整理はおぼつか
ない。そういう私自信、退職して一ケ月半になるのに、点字書類の整理が全くはかど
らず、1日中かかって、やっと点字用紙5、6枚のノートをパソコン入力し、それを
廃棄処分にしているくらいでは、百年経っても片づきそうにない。
私は8〜9日の丸二日間、フロッピーディスクをMOメディアにバックアップ保存
した。私のコピーとバックアップ好きは異常であって、例えば、自分が書いた多数の
『ESSAY』などは、ハードディスク・フロッピーディスク・光ディスクなど10
箇所以上のディレクトリーに同じ物が保管してある。他のファイルについてもほぼこ
の調子だから、フロッピーだけでも千枚余・MOのメディアが16枚、リムーバブル
用光ディスクが6枚もあり、それらに各種のファイルが重複してコピーしてあるとい
う用心深さだ。
フロッピーディスクは〈鳩サブレー〉の四角い缶にしまってあって、その缶が二階
に三つ・この部屋に二つ、他に一枚入り・二枚入り・五枚入り・十枚入りのケース、
そのケースごとの十枚入り・三十枚入りディスクボックスが10数個等々、これらの
フロッピーを全部持って来て並べ、『PDP』というTOOLでファイル化して、1
枚ずつMOのメディアにSAVEする作業を二日間行った。保存はうまく出来た模様
だが、AOKの『システムディスク2』と『アドボイスシステム』だけは、いったん
ファイル化した後の複現が出来ず残念だった。
ハードディスクや音声装置の入っていた段ボールの箱にも、様々なマニュアルとか
ケーブル類が治めてあり、点字プリンターで打ち出しした書類やパソコン関係の書籍
は正に山積みになっている。
ちなみに、現在私が所有しているハード機器および有料ソフトを列挙してみよう。
(略)
コンピューターの話題はこれくらいにして、昨日の散歩の様子を簡単に書いておき
たい。
かなり強い風の中、三階橋から水分橋まで行ってきた。
まず郡道に出て、西の方に向かって歩いたが、郡道というのは、もしかしたら軍道
と書くのかも知れない。
中央線のガードをくぐると間もなく幸心東住宅があり、偶然にもRさんの奥さんが
七階建のベランダに居て、かろうじて声が聞こえるくらいの距離だったが、妻が手を
挙げて大向こうと挨拶を交わし合った。
宝川歩道橋を上って国道19号線を越え、バス通りをはるか西の方まで行った。
バス停の標識に、『瀬古』→『瀬古神明』→『守山新堀』と、綺麗なプラスティッ
クの板に点字で書いて貼ってあり、終点の『守山新堀』のそばに、〈T治療院〉の看
板が見えた。
TA君は、パソコン通信において私より先輩だが、かつて私が学級担任を受け持っ
たことがあり、文化祭の音楽演奏で、〈ダース+α〉のリーダー兼ドラマーを勤めた
生徒である。あの演奏のテープ録音はまだ残っている筈だが、私も音楽指導とヴァイ
オリン演奏には随分力を入れたもので、当日本番の出来映えは上々だった。20余年
前のそんな昔をふと懐かしく思い出す。
市営バスが終点で折り返す地点の広い空き地を過ぎると、程なく名鉄小牧・犬山線
の下をくぐった。単線なので短いガードになっていて、コンクリートの壁の両端は丸
い石を積み上げてセメントで固めてある。
ガードの向こうに『堀川』があり、これは庄内川から人工的に水を引いた物らしく、
『白沢川』よりも水量は多いそうだ。
さらに少し西へ進んだ後、左に曲がって、矢田川の堤防から三階橋まで来た。
苦学生時代、大曽根のK鍼院に勤めていた頃、よく話に聞いた三階橋だが、歩いて
渡るのは初めてだ。
この橋の手前は守山区・向こう側は北区になる。
車道と歩道は完全に分離してあるので安全だが、橋の上を自転車に乗って通る人が
多い。
戻りに歩数を数えたら、小股で220歩あった。
三階橋から水分橋まで、すなわち、矢田川と庄内川の間の距離を歩いてみたが、こ
の辺りだと500〜600メートルしかなく、もう少し西(川下)へ行けば、両川が
迫って新川中橋となり、やがて庄内橋で合流する。
今日はそこまでは行けなかったが、三階橋や水分橋を渡る道路は県道102号『名
古屋〜犬山線』と言い、さすがに交通量が多い。
水分橋は歩数にして320歩もあり、驚いたことに、橋の下にはコンクリートの段
差と6箇所の水門が設けられ、すさまじい水音を立てている! 思うに、この水門を
開閉することにより、堀川や地蔵川に水を流して、水量を調節する物らしい。
帰りは庄内川の堤防を歩いたが、車が猛スピードですれ違うし、折からの強風に、
製紙工場らしき臭いが漂って来た。
途中で1段下がった中腹の芝道を歩き、堤防を離れて、瀬古小学校の裏の道を通っ
た。ここは大邸宅の家が並び、「猪鹿熊」と言う珍しい名前の表札の家もあった。
こうして、約2時間も歩いたせいか、足腰が少し痛くなった。
5月20日(火)
退職して2ケ月が過ぎた。こうして、2ケ月過ぎた、半年過ぎた…と言っているう
ちに、一生を終わってしまうのであろう。
今朝は涼しいと言うよりも寒いくらいで、半袖のパジャマの上に長袖の寝間着を着
込み、ズボンとシャツを重ね着して、朝御飯を食べた後、掛け布団を2枚も羽織り、
首にバスタオルを巻いて、ウトウトと眠ってしまった。
姉が言うように、私は真夏の生まれだから寒がりなのだろう。
ところが、近年太りすぎて腹に脂肪が貯まり、夏の暑さも身にこたえるようになっ
た。元々汗をかくことが嫌いな性格なので、暑い日は仕事が手につかなくなってしま
う。
季節が暑くなれば散歩にも行きたくなくなるので、今日のような涼しい日にこそと
出かけることにした。
万歩計で歩数を細かく測定したのに、数字をほとんど忘れてしまったのは残念だ。
(略)
5月21日(水)
夕べから寒気がして喉の調子がおかしく、アレルギー性の花粉症かと思っていたが、
どうやら風邪のようで、朝のラジオ体操もやめて、じっと寝ている。道理で、昨日の
朝の寒気は一通りでなかった。パソコンもやりたいし、外は上天気だが、病気であれ
ば致し方ない。
5月27日(火)
喉のむずがゆさと咳・口蓋の痛みと腫れが長く続いて、なかなか治らない。丁度先
週の火曜日に発病し、軽い軽いと思っているのに全快しないのだ。やはり高齢のせい
だろうか? このようにして、しだいに老人の声に変わっていくのであろう。
今日から少し減食することに決めた。いかにも太りすぎだし、弁がいつも軟らかい
ので、今までよりも若干食べる量を減らす必要がある。
NHKラジオの第一放送で、女優 山本富士子の番組を聞いた。アナウンサーとの対
談形式で、人生を語りながら、思い出に残る三つの歌を紹介するという進行である。
今夜の三つの歌は、『浜辺の歌』・『トゥー ヤング』・『青春日記』であった。
山本富士子が初代のミス日本に選ばれて話題を呼んだのは、昭和25年頃だっただ
ろうか? 私は彼女の映画も舞台も放送劇も歌も話も、今までに1度も聞いたことが
なく、どんな人柄でどういう声なのか、全く興味もなかった。
ところが、先ほど対談を聞いていて大いに感心した。美しい日本語・謙虚な話し方・
明解な発音と発声、とても昭和6年生まれの65歳とは思えない。
1週間に渡るコンテスト・2ケ月間の渡米・10年間に130本?もの映画撮影・
真夏や真冬のロケーション・7年も待った結婚・独立プロに纏わる五社協定と陰湿な
妨害・舞台出演の経緯・テレビ放映までの経過…、随分苦労が多かった。
私は、自分と全く遠い芸能分野だったこともあって、
「きっと、ミス日本に選ばれた勢いで、独立プロを作ろうなどと大それた考えを起こ
したがために、皆からねたまれたのだろう」
くらいに思っていたが、どうやらそんな生やさしい問題ではなかったらしい。また
「映画や演劇というのは、その人の個性や素質が自然に生きるものであって、多少の
勉強や努力はするにしても、仕事さえ済めば、後は贅沢にのんびり暮らしているに違
いない」
と単純に考えていた。
しかし、何事にも・誰にも、それぞれ苦労はあるものだ。あのような苦難を経てき
たからこそ、山本富士子さんの現在の立派な人物が出来上がったのである。
5月28日(水)
平成9年度 教育功労者感謝状贈呈式に行ってきた。
場所=鶴舞勤労会館:行って帰って、歩数計で4千歩だった。
受け付け=9時半〜10時:今回一緒に退職したKUさん(女子教員)が、ロビー
で声を掛けてくれた。
受賞者=約800名:主催者側や手伝いの人たちおよび来賓を加えると、千人くら
いは居た。
座席=4列の29番:4列目といっても実際には前から2列目で、左隣は渥美農業
高校の先生・右隣はKUさん、妻は後ろの空席に座った。
開会:一同「起立 礼」・開式の辞。
国家斉唱:何年ぶりかで『君が代』を小声で歌った。
感謝状贈呈=代表4人(高等学校・特殊学校・中学校・小学校):「竹木貝石さま
ほか**名」と呼ばれてびっくりしたが、代表は別の人が出てくれたので助かった。
挨拶=小金教育長・鈴木愛知県知事・吉岡県議会副議長:教育長は大分高齢の感じ
で、在り来たりの美辞麗句ではあったが、一応感謝の気持ちは受け取れた。県知事の
声を初めて聞いたが、そつのない政治家の話し方であった。県議会からは何故議長で
なく副議長が来たのか不信だったが、退職者のうちで既に亡くなった人が何人か居て、
その地元という関係でそうなったのかも知れない。
来賓紹介:名古屋市教育長・校長会長らが来ていた。
休憩と感謝状配布:分厚い用紙の立派な賞状だったが、紙質がもろく、巻き取って
筒に入れる時に筋目が付いてしまった。
講演=元保健所長:退職後の健康と食事・運動について。万歩計のことを歩数計と
呼ぶらしい。
閉会:閉式の辞・一同「起立 礼」。
記念品=七宝焼の四角い額皿:帰りがけにロビーでもらって帰った。
KUさんの誘いで二階の喫茶店に行き、コーヒーを飲みながら暫く話しをした。
退職後、荷物の整理中にピアノの椅子から落ちて足腰を痛めた話や、自宅の一室を
改造して、日本舞踊を教えながら、お茶・花・着付けも取り入れていきたいという抱
負を聞いた。
国歌と国旗について少し書いておく。
国歌そのものを私は特別嫌いではなく、むしろ日本的なメロディーが好きなくらい
である。出だしの
「キー ミー ガーアー ヨーオー ワーー」
および、最後の
「スーウー マーアア デーー」
の部分の和音が付けにくいらしく、単旋律で演奏するのは若干物足りないが、それ
以外の和音はなかなか良いし、Dの音から始まりDの音で終わっているのも面白い。
問題は歌詞である。
古い和歌を採用した点ではまことに良いが、何といっても「君」が天皇を意味し、
「君が代」が天皇の御代・あるいは天皇支配の日本国を指している所に抵抗がある。
私は皇室に対し格別の反発を抱いている訳ではないが、自分の国が天皇中心の国家で
あるとは考えにくいし、「君」を「僕と君」の意味に解釈するのにも無理があるから、
「曲は共通・歌詞の解釈は自由」という訳にはいかないのだろうか?
国旗について、私個人は何の異存もない。
しかし、戦時中「日の丸の旗」が戦意昂揚にどのように用いられたかを考える時、
反対者の気持ちも分からなくはない。
私が長年支持してきた****党は、与党になってから国歌と国旗を容認し、今や
その党も無くなってしまった。今後私は、「君が代」を「皆の世」と解釈して遠慮が
ちに国歌を歌い、戦死者の冥福を祈りつつ国旗掲揚を認めていくことになるのであろ
うか。