#4846/7701 連載
★タイトル (UYD ) 97/ 1/ 2 16:24 (163)
雑談日記 1・2 KEKE
★内容
マリファナについて
私は、インドには三度行っている。それぞれ一年ほど旅してまわり、通算三年く
らいいたことになるだろうか。二十代は、働いて金をためては旅をし、また働いて
は旅をしの十年間だったが、その旅の中でも最も長く深く旅したのが、インドの三
年だった。インドの旅が、これほど長くなったのは、もちろん、インドの物価が安
くて、旅をするのに金がかからない、したがって長く旅ができるということがあっ
たが、しかし、いくら安くても興味がもてない国だったら、こんなに長くいたわけ
はない。インドはひとことでいうと、エキサイティングな国であった。ある外人と
旅の話をしていて、インドの話になった。そのひとの言によれば、インドは臭い、
うるさい、汚い、能率がわるい、ひとはとげとげしい、でもワンダフルな国だ、と
いうものであった。私もその意見に同意する。たしかにひどい国なのだインドは。
世界中を旅してまわった私でも、あの国だけは特別ひどいと思う。しかし、一番魅
力的なひかれる国はどこかというと、これがまたインドなのだ。インドとは、ひと
ことでいえば、そういう国だ。世界中にはいろいろな国があり、ひとは親切、時間
に正確、ひとも町も清潔で立派。けちのつけようような国なのに、なぜかつまらな
いという、そんな国もある。ま、どこと名前はあげないが、わかるでしょ。インド
は、そういう国とは対照的な国だけれど、なぜかひとを引きつける魅力がある。だ
からこそ、そんなに長くいたわけなのだ。
インドの旅がこんなに長くなったのも、そのころの私の心境とどこか連動してい
たのかもしれない。ひとことでいうと、そのころの私は、なにかを求めていた。そ
れがなんなのかはわからなかったが、なにかを探していた。そのなにかは身近には
ないように思われた。そこで私は旅にでた。インドというのは、そのなにかが最も
見つかりやすいのではないかと思わせる国だった。結局それは見つかることなく、
インドの旅を終えてしまったが、でも、それは無駄になったわけではなく、私の心
にある豊かなものをくわえてくれた。このインドの旅が終わって、すでに十数年に
なるわけだが、今でもインドのことを思うとき、なにか熱い感情がわき上がってく
る。あの熱い国を旅したこと、奇妙に魅力的な風景、奇怪な風習、そして、ひとと
の出会い。今でも目にうかぶ。きざなようだが、インドはすでに私のこころのなか
にしっかり定着して、いわば心の故郷のようになっている。そこから私はいくつも
の感情を汲み上げることができる。そのとき、私はいつも微笑している。
なにかを探していたと書いたが、それは具体的にいうとなんだったのか。あるい
は宗教的な意味の救いだったか。確かにインドを旅すると、ひとは妙に宗教的にな
る。インドは宗教が日常化しているような国だ。国中どこへ行ってもヒンズー教関
係の建物儀式にはことかかない。そしてもちろん仏教の発祥の地でもある。カルカッ
タから列車で一晩ほど行ったところにあるブッダガヤ。お釈迦さんがさとりをひら
いた地であるここには、大小さまざまな国の仏教寺院が並んでいる。また宿坊もあ
り、ただかきわめて安い値段でとめてくれるので、長期旅行者のよいたまり場になっ
ている。そうこうしているうちに仏教に帰依してぼうさんになったりするものもで
てくる。いわゆるかぶれるというやつだな。インドを長期旅行しているひとは、や
はりなにかをもとめて旅しているという感じのひとが多い。たんなる観光として旅
しているというひとのほうがむしろ少数派だろう。そういえば、この間、「旅行人」
という貧乏旅行者のためのミニコミを読んでいたら、その時分にインドで修行して
いた麻原しょうこうに会ったというひとの話がでていた。彼もまたなにかをもとめ
てインドにいたのだろうか。仏教だけでなく、ヨガの道場で修行していたものもい
たし、ヒンズークリシュナやプーナの和尚などの新興宗教にのめりこんだものもみ
た。それぞれに、自分のもとめるなにかを追求していたのだろう。
私の場合、宗教には興味はもったが、それにのめりこむということはなかったよ
うに思う。さとりとか無の境地とかいうことに強い関心はもったが、仏教の修行に
よってそれらを得るというより、もっと手軽に、ドラッグによってさっさとその境
地に飛んでしまったほうがいいのではないと思った。私がもとめていたなにかは、
ドラッグの酩酊のはてにあるのかもしれない。そんな気分もあった。もちろん、最
初はどんなもんなのかなという単なる好奇心だったが、ドラッグとのなかが深まる
につれて、これは、人間の精神を解放するなにものかのしれないとさえ思うように
なった。
インドで私がためしたドラッグは、おおよそ次のとおりである。マリファナ、ハ
シシ、阿片、ヘロイン、LSD、マジックマッシュルーム、そのほか毒のある草な
ど。インドでは、マリファナのことをガンジャ、あるいはガンチャという。「ガン
ジャ、ガンジャ」と言いながら、私たちが泊まっていた安宿をめぐるガンジャ売り
の声なんか、今でも思い出す。
私が最初にマリファナを吸ったのは、最初のインドの旅のときだった。私は二十
一歳だったか。東南アジア各国を数カ月かけて回って、そのあとようやくインドに
到達した、その最初の地であるカルカッタにおいてであった。東南アジアにおいて
でも、マリファナはいくらでも手には入ったはずであったが、あいにく私はひとり
で旅してまわっており、日本人、あるいは外人旅行者のたまり場みたいなところに
は泊まっていなかった。というより、情報不足で、そういうところをぜんぜん知ら
なかった。したがって、そういうドラッグの情報ももっておらず、ついに出会うこ
となく、東南アジアの旅が終わってしまった。
カルカッタのダムダム空港についたとき、たまたま一緒になったひとが、インド
の経験が長い旅行者で、そのひとが安宿を知っているというので、私もついていっ
たのだった。カルカッタの安宿は、ニューマーケットとよばれるあたりに集中して
いる。有名なパラゴンホテル、モダンロッジ、そのほか訳のわからないような安宿
が何件かかたまってある。私は、そのひとにつれられてモダンロッジの門をくぐっ
た。部屋の狭さや汚さは、東南アジア各国の旅で経験しているから、さほど違和感
はもたなかったが、建物全体に漂っている妙に甘ったるいような匂いはなんだろう
と不思議に思った。あとで考えれば、それはマリファナの匂いだったのだろう。
夕方、そとの安レストランで食事をして帰ってくると、ホテルのロビーで、数人
の日本人がタバコを吸っていた。「ちわ」とか挨拶して通り過ぎようとすると、
「君もやりませんか」と声がかかった。「ぼくは吸いませんから」といったら、
「たばこではなくマリファナですよ」と言われた。ええ、じゃこれがあの、と私は
どぎまぎしてしまった。インドを旅しようという人間が、マリファナの知識がない
わけがない。ただ、ノンドラッグカントリー日本に育った悲しさ、それがどんなも
のなのか見たこともないというプワーさ。言われてみて、はじめてその場にただよ
う甘い匂いに気がついたようなしだいだ。マリファナたばこを一本渡されて、しげ
しげながめてみた。紙巻き器で巻いたマリファナたばこもあるのだが、それは普通
のたばこの中身をほぐして、代わりにマリファナをつめたもののようだ。「はあ、
これがマリファナですか」と言うと、君初めてなのと声がかかり、「ええ、今まで
吸ったことありません」というと、「それじゃ吸いかたなんかもおしえてあげるよ、
こういうことは初めが肝心だからね」
私は、まるで経験豊富なおねえさんに一手お願いしている童貞ボーイのような心
境で、あれこれいわれるままそのマリファナたばこを吸った。マリファナには吸い
かたがあるのだという。たばこを吸うように吸ってはならない。腹式呼吸の要領で、
一気に深く吸い込み、ぐっと呼吸をとめて、マリファナの煙を肺に吸収させる。限
界まで我慢して、それから一気に吐き出す。そういうことだそうだが、なにしろ私
はたばこも吸ったことないのだから、いっこうに分からない。それでもなんどか吸
いこんでいるうちに、なにやら効いてきた気配である。頭がぼーとしてきて、あた
りの景色がなにやら変化してきた。水槽ごしに向こうを見たときの感じというか、
そんな感じ。現実感がなくなり、夢のなかを漂っているような感じというか。
結局そのときは、それで終わった。最初からあんまりとばさないほうがいいよと
いう忠告にしたがったのだ。このときを最初として、私はこのご、ドラッグづけの
生活をおくることになる。食前食後にマリファナを一服。寝る前に一服。前述した
ように、私は、その後さまざまなドラッグをためしてみたが、結局はマリファナに
かえってきた。確かに、強いドラッグは、深く遠くへ人間の精神をとばしてくれる
と思うが、強いぶんその副作用もまた強い。昇るときはどーんと昇るが、落ちると
きもどーんと落ちる。そういう落ちる経験をすると、もうドラッグなんて二度とや
りたくないと思う。ひとり静かに暮らしたい、なんぞと思ったりする。強いドラッ
グは、自分で状態を制御できなくなる。龍に乗って世界をかけめるぐようなもので、
もう、行き先は龍におまかせ、という感じで、天国へ行くも、地獄へ行くも、おま
かせになってしまう。まさに、危険が危ないのである。その点、マリファナはよい。
マイルドであるのに、奥が深い。ある程度は自分で自分の状態を制御できる。要す
るにほどがいいのである。
具体的にマリファナを吸うとどうなるのか。基本的には、人間の能力が拡張され
るのだと思う。目にくるときもあれば、耳にくるときもある。舌にくるときもある。
目にくるとどうなるか。ありえないものが見えたりするということはない。幻覚剤
ではないのだから。しかし、遠近感が狂ったりはする。たとえば、自分がどんどん
巨大化していって、上のほうから下を見おろしているという感覚になったり。逆に
縮んでいって、下から巨大な椅子を見上げているとか。ふと手を見ると、指先がは
るか何キロも先にあるように感じたりとか。耳にくるとどうなるか。以前マリファ
ナ吸引で捕まった歌手が、吸うと音がきれいに聞こえると言っていたが、まさにそ
のとおり。楽器の音がつぶだって聞こえる。はるかに生々しく聞こえる。もっとい
えば、音が見えるような感覚になるときもある。音の粒子が体にふりそそぎ、渦を
まいて通りすぎる。音の粒子のシャワーを全身にあびてアクメに達しているような
もんだから、特に音に鋭い感覚をもつ音楽家にとってはたまらんだろう。視覚、聴
覚、味覚、触覚と、人間の感覚がいろいろあるうちで、一番きくのは、やっぱり聴
覚であるように、私には思えた。味覚は、少なくとも私の場合たいしたことはなかっ
た。マリファナを吸った状態で食べると、ものすごくおいしく感じるかというと、
そうでもない。すべてが、砂糖を食べているような、ものすごく甘い状態になるだ
けだ。触覚も多少変化があるかなという程度。ああ、ただ、吸ってオナニーをする
と、あの射精の時の感覚が長続きするね。ぴゅぴゅっで終わってしまうのが、数十
秒、どうかすると数分も続いているように感じるときもあった。セックスは駄目だっ
た。お互いに体を触っている程度なら独特の気持ちよさがあるのだが、せっせと励
んだ状態になると醒めてしまうのだ。つまり体の接触という、強い刺激で、せっか
く効いていた状態が消えてしまう。ま、マリファナの効きとは、その程度の薄さ、
マイルドさということだな。
いえることは、マリファナは、自分の持っている感覚を広げてくれるドラッグで
あるということだ。したがって自分にない感覚が突如あらわれるということはない。
だから、たとえば、私のように、音に敏感な人間の場合、聴覚がぐっと拡張される
ことになる。視覚が敏感なら視覚が拡張される。あくまで、自分の感覚の限界の拡
張であって、それ以上ではない。
単にマリファナを吸って快感を味わう。それだけでなく、瞑想と組み合わせるこ
とで、より高い次元へ、私の精神を拡張、拡大しようなんてことも考えたこともあっ
たのだが、いずれもなし得てない。ドラッグなんて、吸ってよっぱらって、ただそ
れだけのものなのか。要するに酒とかわらないものなのか。分からないが、しかし、
あの時代のあの土地で、ドラッグ体験をしたことは、私のなかで意味があったので
はないかと、今は思っている。
インドに三年いて、ドラッグで明け暮れして、結局もとめるものは何も得られず
日本に帰ってきた。「青い鳥」では、ヘンゼルとグレーテルは、結局家で求める青
い鳥をみつけたが、私はまだ日本でもとめるものを見つけていない。それとも、こ
れからみつけることになるのだろうか。わからないが、そうであればいいなあと思
う。