AWC 「始発電車殺人事件」 連載第16回   叙 朱 (ジョッシュ)


        
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「始発電車殺人事件」 連載第16回   叙 朱 (ジョッシュ)
★内容
  「始発電車殺人事件」 連載第16回   叙 朱 (ジョッシュ)

52 中央林間(つづき)

 幸代が目をゆっくり開けた。天井を見つめてしばらく黙り込んだ。廊下の男
たちも息を潜めている。やがて幸代は話を続けた。 
「そこに見知らぬ女から電話があったわ。倉科エリコと名乗った。私はぞっと
した。この女があなたの匂いの主に違いない。そしてとうとう私たちの家にま
で電話をかけてきたんだと思ったわ。」
 幸代の話は山下を動揺させた。エリコは家にまで電話をかけていた?、いっ
たいどうしたというのだ。幸代の話は続く。
「黙り込んだ私に彼女は意外な話を始めたわ。あなたが殺人犯の疑いをかけら
れて警察に捕らわれているというのよ。だけど、犯人ではないから心配するな
とも言ったわ。どうして彼女にそんなことが分かるの?、彼女は親切心から私
に教えてくれたのかもしれないけれど、私は猛烈な嫉妬を覚えたわ。どうして
彼女だけがそんなにあなたのことを良く知っているのかしらね。それ
で...。」
 そこで初めて、幸代は言い澱んだ。山下はただ黙って先を待った。
「それで、受話器をガス漏れしてるレンジのところへ押しつけたの。なぜそん
なことをしたのかよく分からないわ。でも何か彼女にショックを与えたかった。
彼女は察しがいいわ。すぐに私の意図を理解して、馬鹿な真似は止めて、と泣
いたわ。」
 エリコが泣いた?、確かに幸代はそう言った。
「それからしばらく、彼女はいろんな表現で私に自殺を思いとどまらせようと
した。私は黙って電話を切った。そうすることで少しだけ彼女に勝てたような
気がしたの。」
 ドアの外の男たちが去っていく気配がした。何人かが残った。おそらく、啓
介と栗原だろうと山下は思った。幸代はまた目を閉じて、ぽつりと言った。
「時計を見たら八時だった。それで、ガス栓はそのままにしておいた
の...。」
「わかった、わかったよ。もういいんだよ。」
 山下は幸代の手を握りしめた。細い手はいつの間にか、ブルブルと小刻みに
震えていた。

53 長津田 

 午後三時四十五分。
 中央林間の栗原警部補から柏木警部へ連絡が入った。木村はまだ自供してい
ない。持久戦の構えの嶋田捜査係長に木村を任せて、柏木は電話を受けた。栗
原の太い声が響いてきた。
「警視庁S署の捜査員が写真を持ってきました。若い男女二人の写っている写
真です。女の方は倉科エリコに似ているそうですが、男の方がどうも河田一成
に似ているのです。おそらく、河田の若い頃だと思います。二人は銀座の有名
なキャバレー御門をバックに仲良さそうにしております。写真は昭和四十七年
以前に撮られたらしいですから、今から二十四年以上前のことです。ただ、女
の方は年齢的には、現在二十五歳の倉科本人とは思えません。」
 柏木の頭で何かが動いた。栗原の報告は続く。
「実は写真の女を見て思い出しました。私は似た女に今朝会っています。」
「え?、どこで?」
 柏木が思わず聞き返す。栗原が意外な話を始めた。
「T電鉄のすずかけ台駅です。倉科エリコは今朝の始発電車に乗っていました。
私がすずかけ台駅で作った始発電車の乗客名簿を見てください。」
 言われて柏木はN署捜査係の人間に、名簿を持ってくるように頼んだ。栗原
の報告は続く。
「河田氏の死体が発見されて、あの始発電車がすずかけ台駅で運転を打ち切っ
たときに、念のためにとプラットホームで乗客名簿を作ったのです。乗客は死
んだ河田氏も含めて十五名。その内の二名が女性でした。」
 柏木の目の前に名簿が差し出された。女の名前を探す。
「ああ、あったわ。確かに倉科エリコの名前があるわね...。」
 柏木の頭がまたフル回転を始める。なにやら形が見えてくるような気がして、
柏木は電話口で黙り込んだ。栗原の太い声が報告を続けるが、柏木の耳に入ら
ない。
「柏木警部、聞こえますか?」
「え、ええ。」柏木が答える。うわの空だ。柏木の様子を感じて栗原は少し間
をおいた。
「倉科エリコは、山下と特別な関係にあったと推測されます。当の山下は関係
を否定も肯定もしませんが、少なくとも山下の妻、幸代はそう言ってます。今
朝八時頃、倉科エリコは山下の自宅に電話をかけています。そのことが山下の
妻、幸代の自殺の直接の引き金になったようです。」
「倉科エリコは山下の妻にどんな話をしているの?」
 柏木が聞く。栗原は幸代の話を元に説明した。
「倉科エリコは山下がN署で取り調べを受けている事を知っていました。そし
て、山下は犯人ではないから心配するなと言ってます。」
 柏木の頭がさらに回転する。
「倉科エリコは、まるで河田を刺した犯人を知っているような口振りね。」
 柏木がつぶやく。栗原は、そうですね、と相槌を打った。栗原にはもうしば
らく山下につくように指示を出して、柏木は電話を切った。
 栗原との電話を終え、すぐに柏木は警視庁S署に電話を入れた。立花警部は
席にいた。相変わらず不機嫌だったが柏木の問い合わせには応じてくれた。そ
して倉科エリコの足取りは箱崎で消えていると忌々しそうに言った。柏木が礼
を言って電話を切ろうとすると、一言付け加えた。
「河田の解剖所見が出たよ。君はこのことを予測していたのか?」
 立花の質問には曖昧に応えて、所見の写しを電送してくれるように依頼して
柏木は電話を切った。所見は柏木の予想通りだった。しかし、このことを倉科
エリコは知らない。
 次はどこだ。柏木は自分に言い聞かせる。
 立花に教えてもらった電話番号にかける。不機嫌な中年女の声がする。柏木
はお悔やみを言ってから質問をした。女は少し待ってくれと言い何か調べてい
るようだったが、しばらくして、ああそうです、と返答した。柏木はもうひと
つ質問した。やはり女は何かを調べてから、本当にその通りだ、と驚いた。女
もその事に初めて気づいたようだった。柏木はさらにいくつか簡単な質問をし
てから電話を切った。
 柏木は一息ついて、考えを整理した。ひとつの仮説が組上がりつつあった。
しかし、まだ確認しなければいけないことがいくつか残っていた。
 県警本部に電話を入れる。新聞社に問い合わせても良かったが、いろいろ書
き立てられるのは本意ではなかった。古い資料だが、県警本部のデータベース
からでも検索はできるだろう。
 柏木はもうひとつ、電話をかける。呼び出し音もせず、機械的なオペレータ
のアナウンスが答えた。
「おかけになった電話番号はただいま電源が切られているか、電波の届かない
ところにあります。」
 柏木は溜息をつく。
 倉科エリコは、聖母マリアの像を部屋に残しているという。その事が柏木に
は気になった。フィリピン生まれという倉科が敬虔なカトリック信者だという
のは推測ができる。だから信仰の象徴であるマリア像を残して倉科が逃走する
とは考えにくい。しかし、現実にマリア像は部屋にあり、倉科は姿を消してい
た。自分でタクシーに乗っていったというから、強制的に連れ去られたわけで
もない。倉科は意識してマリア像を置いていったのだ。なぜだ。
 柏木はふとある可能性に思い当たった。もしかしたら...。柏木の思いつき
は、恐ろしい想像だった。しかし、状況の説明はつく。
 柏木は慌てて栗原警部補への緊急連絡を指示した。
 
54 中央林間 

 午後四時。
 江尻啓介は山下幸代の病室に戻ってきた。ベッドの上の幸代が目を開けてい
る。山下が幸代の手を両手で包んでいる。二人の間にわだかまりが見られない
ことに、啓介はほっとした。幸代の点滴液はほとんど空になっていた。
 啓介は山下に話しかける。
「社に問い合わせをして調べてもらったんですけど、河田一成にはフィリピン
駐在の経歴はありません。彼はずっと東京本社で国内担当だったようです。海
外営業部長になったのは七年前ですが、アメリカが主な担当地区でした。」
「なんだかフィリピンに関係があるような気がするんだけれどなあ。」
 山下はつぶやくように言った。幸代が、どうしたの?と目で問いかける。
 その時、病室のドアがいきなり開けられ、若い男が飛び込んできた。山下が
息を切らしている銀縁眼鏡の男を認めて、紹介した。
「警視庁の栗原警部補だ。N署でお世話になった。」
 栗原は慌てていた。山下の紹介に構わず、大きな声でどなった。
「江尻武夫さんの命が危ないんだ。江尻さんはどこですか?」
 啓介が飛び上がる。叔父がどうしたというんだ?
「新宿Cホテル殺人事件の容疑者、倉科エリコが江尻さんの命をねらっていま
す。江尻さんはどこですか?」
 栗原が重ねて言う。病室はしんとなった。啓介が江尻の所在を明らかにした。
「叔父は幸代さんの見舞にこちらに向かっているはずです。しかしなぜ、叔父
が倉科エリコにねらわれるんですか?」
 栗原は啓介の両肩をがばっと鷲掴みにした。
「詳しい説明はあとだ。倉科は江尻さんに危害を加えるために、国外逃亡をあ
きらめた可能性が高いのだ。」
 啓介は栗原の剣幕にたじろいだ。叔父はたぶん車だろう。車種?、それは知
らない。でも、なぜ叔父がねらわれるのか?
 啓介の話だけ聞くと、栗原はすぐにまた病室を飛び出していった。

55 長津田

 午後四時十五分。
 中央林間の栗原警部補から柏木警部へ再び連絡が入った。
「江尻武夫は車で中央林間の救急病院に向かっているようです。」
「分かったわ。倉科エリコは江尻武夫を追って必ず現れる。栗原警部補は駐車
場を警戒してください。Y署に応援要請をしました。私も至急そちらに向かい
ます。」
「了解。」
「倉科エリコは箱崎から電車で中央林間に向かったと思うわ。地下鉄との相互
乗り入れで、直通電車が箱崎から中央林間まで走っているのね。倉科がタク
シーで箱崎に着いたのが午後一時頃だというから、もう中央林間にとっくに着
いててもおかしくないわ。」
「はい。」
「倉科エリコは、最初から死ぬ気かもしれない。」
「どうしてですか?」
「フィリピンの国教のカトリック教では自殺を教義として認めていないらしい
わ。けれど倉科は、その象徴のマリア像を池袋のマンションに置き去りにして
いる。ということは、倉科はカトリックを捨てたのかもしれない。江尻を殺し
て自分も死ぬ気なのよ。」
「なるほど。」
「倉科は絶対に死なせるわけにはいかない。それにはまず江尻を見つけだし保
護するのよ。そうすれば、倉科もすぐに出てくるわ。」
「はい、了解。」

56 中央林間 

 午後四時十五分。
 江尻武夫はやっと目指す救急病院が見えてきて、ほっとした。首都高速道路
から東名高速道路にかけてはひどい事故渋滞だった。休日には日頃運転しない
人まで車で出かけるので、事故がどうしても多い。
 江尻は白い車を救急病院の駐車場に入れた。休日でがらんとしていて、車は
正面玄関前に三台停まっているだけだ。
 江尻は山下幸代の顔を思いだそうとした。甥の啓介の幼なじみで小さい頃よ
く家に遊びに来ていた。ころころとした丸顔の可愛らしい娘だった。啓介が大
学生の頃に、婚約寸前まで行ったことがあった。結局、話はまとまらなかった
が、彼女の印象は良かった。その娘が自分の部下の妻になっていると知ったの
はつい最近だ。なんとも奇妙な気分になったことを思い出す。そして今度の自
殺騒ぎだった。啓介から連絡を受けて、とりあえず見舞いに駆けつけることに
したが、山下の仕事ぶりを知っているだけに、その家庭事情も気になっていた。
 江尻は駐車場の隅に車を停め、ドアを開けた。
 途端に後ろに誰かが駆けよる気配がした。冷たいナイフを首筋に強く押しつ
けられた。押し殺したような女の声がする。
「エリコです。そのまま車に乗ってください。」
「なんの真似なんだ。」
 江尻は振り返ろうとしたが、ナイフが刺さりそうでできない。女の声は確か
に聞き覚えのある倉科エリコのものだった。
「私にはあなたが許せないのです。このまま死んでください。」
 何を言ってるんだ。なぜ私を殺そうとする?

(以下、連載第17回へ続く)




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