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★タイトル (GSC ) 96/12/27 21:45 (185)
わたしのナツメロ物語(7) 竹木貝石
★内容
昭和歌謡年代史 『昭和34年の歌』
夜中にふと目を覚ましたら、枕元のラジオが、表題の放送をしていた。
昭和34〜35年といえば、苦難に満ちた私の生涯のうちで最も楽しく充実した時
期だった。〈自分史〉に詳しく書いたが、入試に合格し、進学のため上京、大学の寄
宿舎に入り、多くの友人を得た。自由な精神、夢と希望に溢れる学生生活の中で、学
問や芸術に憧れ、趣味・教養・娯楽にも打ち込んだ。それは本当に短い月日だった。
昭和34年(1959年)に流行した言葉には「岩戸景気」「がめつい」「雷族」
などがあり、ヒット歌謡曲として下記のレコードを放送した。
小さい花(ザ ピーナッツ)、山の吊り橋(春日八郎)、僕は泣いちっち(守屋
浩)、南国土佐を後にして(ペギー葉山)、古城(三橋美智也)、人生劇場(村田英
雄)、大利根無情(三波春夫)、ギターを持った渡り鳥(小林旭)、グッドゥナイト
(和田弘とマヒナスターズおよび松尾和子)
以下、これらの歌につき、関連する思い出を含めて感想を書いてみる。勿論、私の
好き嫌いによる独断的解説である。
小さい花(ザ ピーナッツ)
私の地元名古屋出身のザ ピーナッツは、声も顔立ちもうりふたつの一卵性双生児、
音程やリズム感が抜群で、そのハーモニーは完璧である。
デビュー曲の小さい花を皮切りに、乙女の祈り、情熱の花、月影のナポリ、悲しき
十六歳など、外来のポピュラーソングを次々に歌ってヒットさせた。
私好みの声ではないが、女流歌手は声よりも歌唱力が大切だから、たちまちファン
になり、東京の寄宿舎に居た頃は、念願のテープレコーダー(当時はオープンリール
方式だった)を購入し、クラシック音楽の傍ら、ザ ピーナッツの放送を録音して毎
日聞いた。
二重唱とユニゾンの対比が見事で、輪唱部分では一人ずつの声が聞けて、これもま
た楽しい。
恋のバカンス、恋のフーガ、振り向かないで、指輪の痕に、心の窓に灯火を…と息
の長い活躍ぶりだったが、やがて引退して、若者達の人気はキャンディーズからピン
クレディーへと移って行った。
山の吊り橋(春日八郎)
歌謡曲ほど人により好き嫌いの異なる物も珍しい。
上に述べたザ ピーナッツの歌でも、私は『恋のバカンス』や『心の窓に灯火を』
は地声が強くてあまり好きでないが、先年亡くなった幼友達はむしろこちらの方がよ
いと言っていた。
春日八郎と三橋美智也を比べても、私は春日を好むが友人は三橋が好きだと言う。
同じ春日のファンでも、私はどちらかというと昭和28〜31年の曲を上位に挙げ
たいのに対し、友達は32〜35年の歌が優れていると言う。
また別の春日ファンは、『居酒屋』『苦手なんだよ』『サーカス人生』を推奨する
が、私はそれらの歌にさほど魅力を感じない。
『別れの一本杉』は、古里を題材にした歌謡曲の中の傑作で、かつて、ジャズシン
ガーだったフランク永井は、春日八郎のこの歌を聞いて感激し、自分も歌謡曲を歌う
気になったと言っていた。
実際にカラオケで歌ってみると、曲と歌詞がぴったり合っていて歌いやすい。が、
私は何故か『別れの一本杉』を、春日の上位10曲には入れていない。
その理由を考えてみて、次のことに気がついた。
元来私は、歌そのものの良さよりもレコードのでき具合や録音状態を評価したくな
るようで、どんなに名曲であっても、レコード番やCDの吹き込みが悪いと、その歌
を好きになれない。要するに、私の選評は歌謡曲というより、レコードに対する感想
なのである。
『山の吊り橋』は、生前春日自身も大変良い歌だと言っていたくらいで、ひなびた
中にユーモアと哀愁が漂っている。伴奏に電子音でなく生の楽器を使い、軽妙なリズ
ムをドラムで刻んでいるのも面白い。
1 山のつりはしゃ どなたが通る
せがれ亡くした鉄砲打ちが
話し相手の犬連れて
熊の親父をみやげにすると
鉄砲ひとなでして通る
ホレ ユーラ ユラ
2 山のつりはしゃ どなたが通る
遠い都へ離れた人を
ソッと偲びに村娘
谷の瀬音が心にしむか
涙ひとふきして通る
ホレ ユーラ ユラ
3 山のつりはしゃ どなたが通る
酒が切れたか背中を丸め
飲兵衛炭焼き急ぎ足
月を頼りに枯れ葉のように
くしゃみ続けてして通る
ホレ ユーラ ユラ。
私がこのように歌詞をそらんじているということは、かつてカラオケである程度歌
い込んだ証拠であり、リズムにも乗りやすく歌いやすい。
けれども、この歌も私のランキングでは、十本の指に入るかどうかのすれすれであ
る。それというのも、レコードの中で、微妙に音程の上がりきらない所が1、2箇所
在るからだ。
さて、先ほど久しぶりにラジオで『山の吊り橋』のレコードを聞いて、春日八郎の
歌の見事さにホトホト感服した。
素晴らしい迫力、朗々と響きわたる声量、独特の音質。そして、何よりもあの神業
ともいうべき小節(節回し)の切れ味には驚嘆せずにいられない。
これらは努力や研究の成果というより、天性備わった素質であって、もはや僅かな
音程のずれなど問題でない。
春日は単に私の好みというだけでなく、歴史に残る歌謡曲歌手であり、芸術的遺産
を残した人と言ってよいのではないか。
僕は泣いちっち(守屋浩)
この歌は言葉の面白さでヒットしたように思われがちだが、守屋は歌が案外巧く、
声がかすれて今にも途切れそうで途切れないところが面白い。
大学数え歌やありがたや節なども結構売れたが、次の歌は何という題名だっただろ
うか?
日露の戦争大勝利
まだうら若き父と母
チンチン電車のランデブー
空は青空日曜日
そもそもその日の父さんは
マンケルズボンに山高帽
自慢の懐中銀時計
……
南国土佐を後にして(ペギー葉山)
当時私が大事にしていたトランジスタラジオは、なけなしの小遣い銭をはたいて買
った物で、スピーカーは無く、イヤフォンで聞いていた。
ある晩、そのラジオのスイッチを入れると、『南国土佐を後にして』の歌が流れて
きて、ジャズ歌手のペギー葉山が歌っていたのに驚いた。有名な民謡を取り入れたせ
いか、やがて百万枚のレコード売り上げに達したが、いったい何がヒットするのかは
分からないものだ。
古城(三橋美智也)
これは有名な曲で、今でもカラオケで歌う人がいるようだが、先ほど聞いてみると、
それほどには感動しない。
当時春日ファンだった私が、三橋の歌に驚異を感じたのは、『女船頭歌』『リンゴ
村から』『哀愁列車』『古城』などの短調(短音階)の曲よりも、『島の舟歌』『俺
は海鳥渡り鳥』『縁があったらまた会おう』『おさらば東京』などの長調(長音階)
の曲であった。
一方、春日の歌では、短音階(マイナー)の曲:『小雨の駅にベルが鳴る』『町の
灯台』『流転ギター』『赤いランプの終列車』『俺は海鳥』『雨降る街角』『ギター
流し』『別れの一本杉』などの方が、長音階(めじゃー)の曲:『お富さん』『下町
坂町泣ける町』『裏町夜曲』『長崎の女』『海の純情』『別れの裏町』『青い月夜だ』
『山の吊り橋』よりも、僅かに勝っているだろうか?
人生劇場(村田英雄)
村田は元々プロの浪曲かである。
私の子供の頃は浪曲の全盛期で、東家浦太郎・玉川勝太郎・広沢虎三・鈴木米若・
春日井梅鴬・浪花亭綾太郎・吉田奈良丸・広沢菊春、天中軒雲月・松平国十郎・三門
博・相模太郎・酒井雲らの名人達が目白押しだった。
ところが、昭和30年頃から、時の流れや思想の変化に伴い、講談とか浪曲が急に
下火となっていった。村田はその低調な浪花節を打開する意味もあって、歌謡浪曲と
いう新しいスタイルを開拓した。従来の三味線一丁の伴奏にアコーディオンやギター
も加えて立体的浪曲を演じたのであるが、時代の波には抗しきれず、結局村田は歌謡
曲に転校した。
その第一曲が『人生劇場』であり、その後数々の歌を発表した。
村田の歌い方は「男っぽい」と表現することができ、腹の底から力を入れて歌うの
で、やがてそれが都はるみ・井沢八郎・世良公則らの典型的な「力み」あるいは「唸
り」につながってゆき、私に言わせるならば、望ましくない歌い方に進んでしまった。
けれども、村田の大ヒット曲『王将』は、彼の特徴をフルに生かした名盤と言える
かも知れない。
大利根無情(三波春夫)
浪曲界から歌謡界に転向した歌手では、村田よりも三波の方が先輩である。
『船方さんよ』『チャンチキおけさ』『雪の渡り鳥』などについで出た『大利根無
情』は、浪曲調の台詞入り歌謡曲として人気があった。
ギターを持った渡り鳥(小林旭)
聞き覚えのある曲だが、『北帰行』『昔の名前で出ています』『北へ』の方がよく
知られている。
音程が時々あやしげな所もあるが、小林は映画スターの中で歌唱力抜群で、歌心も
あり、何かしら人を引きつける雰囲気を持っている。
グッドゥナイト(和田弘とマヒナスターズおよび松尾和子)
マヒナスターズも一時期随分流行したが、私はあの裏声をふんだんに使う歌謡曲の
合唱を好きにはなれなかった。
松尾和子は、「ムード歌手」と言われて人気があったが、私の趣味とは程遠い歌声
だった。
(以上、誤字・当て字・変換ミスは、ご判読いただきたい)
[1996年12月27日 竹木貝石]