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★タイトル (PRN ) 96/12/10 21:56 (157)
「始発電車殺人事件」 連載第9回 叙 朱 (ジョッシュ)
★内容
「始発電車殺人事件」 連載第9回 叙 朱 (ジョッシュ)
28 長津田(続き)
栗原は続ける。
「河田は、木村の新聞配送に紛れて電車に乗ったのに違いありません。きっと
木村は、新聞の配送のアルバイトをやっていたんだと思います。
昨日の十一月三日、文化の日は全国一斉の新聞休刊日で、今朝は通常の朝刊
は休み。新聞配送業も休みを取ります。配送が必要なのは、月曜日発刊の週刊
誌とスポーツ新聞だけです。新聞休刊日なので、配送先も電車の駅やコンビニ
エンスストアに限られて、素人の木村がアルバイトを頼まれたというのも辻褄
が合います。
電車の駅構内には、新聞雑誌はその朝のうちに運び込まれます。木村は、駅
の構内作業員として、新聞をホームに運んだ。その時、河田も一緒に運べば、
改札の駅員には見とがめられません。そして、木村は手ぶらで出てくればいい
わけです。」
柏木が質問した。
「でもそれは、中央林間でなくてもよかったんじゃない?」
栗原は柏木を見る。柏木はうっすらと微笑している。なかなか素敵な顔だ。
「昔、実は新聞配達のアルバイトをやっていたことがあります。大体、新聞の
取次店へは午前三時頃に新聞がトラック配送されますが、休刊日の今朝はそれ
がありません。木村が河田に呼び出しを受けたという午前5時頃というと、配
送は、駅の構内販売店への下ろし作業をやっている頃です。ここからは推測で
すが、木村が河田のマンションに出向いたときには、配送としては中央林間駅
しか残っていなかったのではないでしょうか。だから、中央林間駅とならざる
をえなかった。」
栗原は喋り終わって着席した。署長が栗原に聞く。
「何故、木村は河田を電車に乗せたんだ。」
栗原は頭をかいた。
「それはまだ分かりません。わざわざ人に見られる危険を冒してまで、中央林
間駅で、河田を電車に乗せたということは、よほど重要な理由があったのには
違いありません。しかし、それが一体何なのか...。」
「木村を見つけだして、聞いてみるしかないか。」
署長が独り言のようにいった。柏木が捜査主任らしい質問をした。
「すると栗原警部補も、木村が犯人だということで異論はないですね。」
はい、と栗原は座ったまま答えた。
「動機があり、事件の直後に行方をくらませています。犯人と想定するに十分
な状況だと思います。」
答えながら栗原は、これでやっと捜査本部の仲間入りができたかな、と思っ
た。署長が浜村という若い刑事巡査に声を掛けた。
「T電鉄中央林間駅の改札係に、今の栗原君の話を確認してみてくれ。すぐに
だ。」
浜村刑事は、はい、と立ち上がると、もう一人の背広と共に、急いで会議室
を出ていった。
29 新宿
午前十一時三十分。
Cホテルからの通報を受け、警視庁S署から捜査員が九〇四号室に着いたと
きには、バスルームの中年男の死体は、既に死後硬直が始まっていた。
男の足元には、女物の衣類が投げ込まれていた。ホテルの制服を奪って逃げ
た女が、脱ぎ捨てたものらしかった。出し放しのシャワーのせいか、刺し傷の
血はあまり見当たらず、女物の衣類にも返り血は目立たなかった。ナイトテー
ブルの上には、部屋のキーが置いてあり、手のつけられていない朝食のトレイ
は、ベッドの脇の応接テーブルの上で冷めていた。
被害者の背に刺さっていたのは、柄がプラスチック製の果物ナイフのように
見えた。部屋を荒らされた様子はない。顔見知りの犯行と推察された。
死んだ男のものと思われる衣類は、クローゼットの中に見つかった。ハン
ガーにかけられたダブルのスーツの内ポケットからは、十二万円余りの入った
財布、スケジュール帳、そして、名刺入れが見つかった。
株式会社K商会、取締役、平野雄一。名刺には、そう印刷されていた。
30 中央林間
午前十一時半。
救急病院二階の幸代の病室のドアが静かに開いた。背広姿の男が二人立って
いる。その風貌は幸代には馴染みがなかった。幸代はベッドの上で、上半身を
起こそうとした。点滴液をぶら下げたカートがカチャと揺れる。
「あ、そのままで結構ですよ。少しお話を伺いたいだけですから。」
一人が手を胸の前にあげながら言った。幸代は言葉に甘えることにした。
「警察のものですが。」
静かに入ってきた男が、黒い手帳を幸代の顔の前に差し出した。初めて見る
警察手帳だった。幸代がうなずくと、男は手帳を引っ込めた。
「どうも、ガスの漏れ方に不審な点があるのです。えーと、質問してもよろし
いですか。」
幸代は、こくりとうなずく。同意を確認してから、男は手帳をめくった。
「なんとも不思議なんですよ。ベランダの元栓が閉まっていたのに、ガスが出
てしまっているんです。どうやら、元栓の開閉が逆になるように細工がしてあ
ったようなんですよ。ですから、閉でガスは漏れて、開でガスが止まるという
わけです。」
男は幸代の表情を見つめる。幸代の表情に変化はない。
「ベランダの元栓を最後に閉めたのは誰ですか?」
男は優しく尋ねる。「私です」と幸代の口が、初めて動いた。
「本当ですか?それは、間違いありませんね。」
「夜眠る前と朝起きてからと、必ず二回は栓を閉めるのが癖になっているんで
す。今朝も起きてすぐに確認しましたけど、閉まっていました。」
「ふーむ、それで台所の方の栓を開けたのは誰ですか?」
男は幸代の顔に神経を配りながら聞いた。しかし、幸代の表情に変化はない。
無表情なまま、淡々と答える。
「私です。開けたらガスが出てきたので、そのままにしておきました。」
「死のうとしたんですか?」
男は不躾な聞き方をしてきた。幸代は目をつむった。もう一人の男が、ドア
のそばで「もう、いいだろ」と、合図をしている。男は手帳を閉じた。
「どうも失礼しました。」
男の口調には不満が残っていた。幸代は返事をしなかった。
31 長津田
「...ということで、神奈川県警は、被害者の河田一成さん宅を今朝早く訪
問し、その後行方の分からない知人を、始発電車殺人事件の重要参考人として、
捜しています...」
テレビの昼のニュースで眼鏡のアナウンサーが、始発電車殺人事件のあらま
しを告げていた。山下はN署の休憩室でテレビに見入った。N署も昼の休憩時
間に入っていた。事務員たちが長テーブルに弁当を広げている。山下は帰って
いいとは言われていないので、仕方なく休憩室にぐずぐずしていた。
そこに、アルミのトレイを持って栗原が入ってきた。後から明るい色の服を
着た女がついてくる。
「山下さん、どうもすみませんでした。」
栗原は山下の前にトレイを置きながら言った。トレイには蓋をした丼が三つ
あった。「失礼」と断って、女が山下の前に座った。栗原が紹介しようとする
前に、女は喋り始めた。
「神奈川県警本部の柏木です。この度はご協力ありがとうございました。もう
お引き取りいただいても結構ですが、よろしかったら、お昼をご一緒しません
か。」
柏木に言われ、山下は栗原をちらと見た。栗原は軽くうなずき返した。弁当
を開いていた事務員の一人が、お茶を湯飲みに汲んで持ってきた。柏木がどう
も、と礼を言った。蓋を取ると、エビの天ぷらが二本のぞいた。天丼だ。山下
は天丼の匂いに、急に空腹を覚えた。柏木は割り箸を割り、すぐに食べ始めた。
栗原と山下は、それに従った。
テレビの昼のニュースが終わり、歌番組が始まった。誰かがぱちんとテレビ
を消した。柏木は上品にしかし、あつという間にエビを二尾食べ、ご飯はほと
んど残した。
お茶に手を伸ばしながら、栗原に声を掛けた。
「ところで栗原君は、まだ停職中じゃなかったの。」
急に言われて、栗原はむせた。山下が、柏木の言葉を聞きとがめた。
「今日で停職も終わりだったんだよな。まだ警察手帳は返してもらっていない
ようだけど。」
それを聞いて、柏木が意外そうな顔で山下を見た。
「あら、栗原君はそんなことを話したの。そうすると、停職のいきさつも山下
さんは知ってるの?」
柏木の口調はくだけている。栗原はご飯粒を喉にひっかけたのか、まだ、目
を白黒させている。山下は空になった丼に蓋を戻しながら言った。
「聞きましたよ。警視庁の宴会で酔ってからんで、もめたらしいですね。相手
がえらい剣幕で怒りだして、大変だったらしいですよ。」
栗原が山下のほうに手を振り、やっと喋りだした。
「そ、その時の相手が、この柏木警部なのですよ。」
山下は、えっと言って、思わず柏木と栗原を見比べた。柏木はにこにこして
いる。山下は、自分が口にしたことを急いで思い出してみた。別に変なことは
喋っていない。ほっとする。
「栗原君には、一ヶ月も謹慎させて悪かったわね。今考えてみると、神奈川県
警への異動の内示があったばかりで、イライラしていたのかもしれない。あの
後に少しだけど反省したのよ。」
今度は栗原が、口を挟む番だった。
「すると、柏木警部の異動はあの宴会の時には、既に決まっていたことなんで
すか。ああ良かった。私はてっきり、あの一件で左遷されたのかと思っていま
した。」
栗原は本当にほっとしたようだった。責任感が出ていた。柏木が湯飲みを
テーブルに置いて、視線を天井に泳がせた。
「ふふ、左遷か。きついことをはっきりと言うわね。確かに私の場合は、左遷
だったのかもしれないわ。ツキオンナケモノ事件で、女の子を一人死なせてし
まったから。」
栗原が身体を乗り出した。
「ツキオンナケモノ事件?そんな事件がありましたっけ?」
山下も聞いた覚えのない事件だった。柏木はまだ、天井を見ていた。
(以下、連載第10回へ続く)