AWC エッセイ》私はこう考える(2)           F Clef


        
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★タイトル (BKM     )  95/ 6/20   4:14  ( 73)
エッセイ》私はこう考える(2)           F Clef
★内容
で、地球環境問題である。
そもそも「地球環境問題」とは何なのであろうか。「地球」のため
の「環境」(Environment for The Earth)なんだろうか。それとも
「人間のための」が隠れている「地球環境」(Environment on The
Earth for Mankind)について考えるのだろうか。

「環境」とは何かの周囲の状態、とりわけ主体となるものに影響を
与える周囲状態を意味すると私は認識している。
つまり「地球環境」という言葉は、主体となるものの「地球」にお
ける「環境」という事を意味すると、私は思う。

やはりそう考えると、「人間の地球における環境」について考えよ
うというのが、「地球環境問題」であると思える。

しかし、「地球環境問題」を提起し、「良くしよう」と主張する人々
はよく「他の生物のためにも」とか「自然が築いてきたものを人間
が破壊して良いものか」などを理由に「だから地球を守ろう」と主
張する。これは「地球環境問題」を語る姿勢として良いものだろう
か。つまり、環境問題に倫理的なものを問うて、保護を訴える事は
万民に説得力を持ち得るだろうか。

確かに現在の自然は40数億年を経て今の状態になっている。しか
し、宗教的な思想を取り除いて冷静に考える限り、どう考えても地
球がそうなりたくてなったとは思えない。生物は人間を含めて、
「生きる」ために進化し、現在に至っているだけに過ぎないだろう。

人間は、明らかに今までの生物とは異なる方法による生き延びる術
を身につけている。それは他の動物(若しくは植物)が環境に適応
する形で生き延びようとするのに対し、人間は環境そのものを自分
達に都合の良いように変化させて生き延びようとする点で異なって
いる。道具を用い、火を起こし、衣服を身につけ、家を建て、農業
を行うという行為は、今までの生物には無かった事である。これは
人間が他の生物との食物連鎖や自然淘汰の世界から逸脱してしまっ
た、と考えても良いと私は思う。

人間は自分達の都合のいいように環境を変えてきた。そして変えな
ければ生きて行けない種であると言える。そう考えると、「自然を
守ろう」というのは、人間にとって都合がいいからであって、別段
「他の生物のため」とか「永年に渡り自然が築いてきたものを保護
しよう」という理由は当てはまらないように思えてくる。

そして「現在の生態系を守ろう」というのは生態系が崩れると、自
然界のバランスが崩れ、結局人間自身が生きて行けない環境に転じ
る恐れがあるからであって、「他の生物を犠牲にして良いものか」
などという倫理的な思想に説得力は無いと私は思う。

そして
 》万物の霊長である人間は
 》もっと未来のことを考えなければならないと思います
 》もっと大きな目で観なければならないと思います
 》そしてそれはできるだけ早く実行しなければなりません
 》地球に生きるかけがえのない生命たちのために
                    (当ボード#4041より)

 》 人間が人間の行く末を心配することは当然のことです。人間が他の生
 》物のことも心配するのは愛と知性があるからです。今起こっている変化
 》は長い長い進化の歴史に比べればほんの一瞬の出来事です。長い長い時
 》間を経て自然が築き上げてきた地球の尊い生命たちを、人間の横暴で一
 》瞬のうちに壊して良いはずがありません。生命が生き続けようとするこ
 》とは当然のことです。
                    (当ボード#4054より)

といった主張は、まるで人間の奢りを指摘し、自戒を訴えているよ
うだが、その実、「万物の霊長」とか「人間の横暴」など、むしろ
人間を高く評価しており、逆に奢りを感じるのは私だけだろうか。
もし、謙虚な姿勢をとるなら、「我々は現在の環境を守らなければ、
生きて行けない」と言うのが、本当では無いかと私は思う。
これが多くの「環境問題」を訴える人間に対して、偽善では無いか、
という反発が起きる一因では無かろうか。

そろそろ今回はこの辺で。続きは次回。

                 COPY RIGHT BY F Clef




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