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★タイトル (TRG ) 95/ 6/12 18:45 ( 50)
とぜんそう・2>お詫び 久礼嶋努
★内容
いきなり2である。1はどこへ行ったのか?
実は前回の「パソコンを使った環境問題論議」が1なのである。下書きを通信
ソフトのマクロが勝手に書き込んでしまったのである。削除はきらいなのでし
ないけど、タイトルの前に「とぜんそう・1」と入っていると思って読んでい
ただければ幸いである(読んでる人がいれば、の話だが)。それだとタイトル
行におさまらない、などという意見は却下する。
で、タイトルの「お詫び」になるわけである。では、私が今まで見聞きした中
で最大級のお詫びをしてみようと思う。
悪かったな。((C)面堂終太郎)
ちなみに面堂終太郎の妹は「了子」という。二人合わせると「終了」になるこ
とに今頃気づいたまぬけである>私
ところで、何年か前からパソコン通信をやっていて、いわゆる「論争・言い争
い」もいくつか見てきた。当事者となったこともある。それで感じたことは、
ほとんどの論争は初期の段階で謝るなり訂正するなりすればおさまってしまう
ものだ、ということである。
たった一言、「この件に関しては、私が思い違いをしてました」とおわびすれ
ば大抵の論争はそこで終わる。
なぜお詫びができないか。自分の非を認めたくないだけだろうと思う。謝るこ
とが、負けを認めることが、自分を否定することだと思っているのだろう。あ
るいは、自分が折れると相手が付け上がったり、嵩にかかって居丈高になるの
を恐れているのかもしれない。
相手が何か言ってくるたびに「ごめんなさい」「すみません」と謝らなければ
ならないことばかりやってるならただのばかだが(私はこれである)、相手が
何か言ってくる以上は自分の方にもなんらかの問題があると考えれば、世の中
けっこう円満に動くものである。
「傍目八目」と言われるとおり第三者にはけっこう状況はよく見えてるのだか
ら、「僕が悪いんじゃないやい」「あたしそんなの知らないもん」ばかりでは
ほとんど幼稚園児である。
また、相手が自分の非を認めているのにさらに攻撃を続けるのは、実に度量が
狭いというべきで、はたで見ていてみっともない。猿だって負けを認めた同族
を攻撃したりはしない。
「おれが悪かった」「いや、自分こそ言い過ぎた」ああ、日本的和解風景。
でも、最近は自分の非を認めたがらない幼児的性格の人や、謝ってる相手を平
気で殴る度量の狭い人も多いんだけど。これって猿にも劣るということなのか
な。
そうそ、一度ついた業(カルマ)ってなかなか落ちないんだよね。ううむ、肩
が重い。