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★タイトル (EXM ) 94/ 9/20 19:22 (172)
JETBOY第7話(4)
★内容
4
試合の流れはフリューゲルスの方にあった。
後半30分までのボールの支配率は、フリューゲルスのほうがダントツに高い数
字を示していた。
スタンドで声援を送る横浜ジェッツのサンバの調べもフリューゲルスのボール回
しを盛り上げるように軽やかにスタジアムを包む。
ただ、猛攻を繰り返していたが、結果につながらなかったのである。
「前園、ドリブルで切り込む! 」
前園が快速ドリブルで右のサイド敵陣へとボールを進めていく。敵のマークも無
くほとんど無抵抗で最前線まで攻め上がっていく。
しかし、それ以後の攻撃にフリューゲルスは悩まされていた。
「前園、ブレイク! センタリングがゴール前!」
前園からの配球がペナルテイエリア中央へ飛んだ。
センタリングの弾道、その延長線上に渚の頭がある!
「井上渚、今期の2本目のゴールかぁ!! 」
しかし、このパターンは幾度も封じられていた。
「惜しい!」
テレビ神奈川の香川アナも一ファンを代表してか、歯ぎしりを堪えている。
前園の頑張りも虚しく、ボールは、アントラーズのゴールキーパー古川の手にお
さまったのである。
渚はまたチャンスをモノに出来なかった。
「こういうシーンは何度もありますが、決まらないものですねぇ2点目が。田宮
さん」
「アントラーズがゴール前の守りを厚くしました。頭に当てて点をゲットするな
ら、井上渚君だけでなくアマリージャもいますから、引いて守りきるのが精一杯で
す。アントラーズは」
田宮の声には不快さが漂っていた。こういう消極的なやり方は田宮自身が常にの
たまう「サッカーの美学」というやつからかけ離れてたと言える。
引いて守る。フリューゲルスの新しいゴールハンター、井上渚を封じ込めるため
にアントラーズは普段の戦術を大幅に変更した。
渚君の快足では、逆にその裏を突かれてしまう可能性が大ですから、アントラーズ
も逆に渚君密着マークということで対処するしか仕方ないようです。まるで、山手
線の痴漢みたいです」
痴漢とは妙な表現であるが、渚を三人で囲むやり口で彼女自慢の快足を封じ込め
ントラーズの戦術はその手口で一貫していた。
そのアントラーズの攻撃パターンが次第に展開されつつあった。アントラーズ攻
撃陣がシュートを放つ場面が次第に見られ始めたのである。
そして一つの大きな展開が生まれる。
「アルシンド突破! 井上誠、振り切られたぁ!」
アルシンドが左サイドの中盤を突破して、そしてセンタリングを激しく、中央へ
とはたいた。
「キーパー森、飛びつく!」
ペナルテイエリア中央の密集地帯に向かってボールは走る。フリューゲルス・ディ
フェンダーとアントラーズ・フォワード陣が激しくシノギを削る。
「アントラーズ黒崎、競り勝った!」
岩井と黒崎の衝突シーンであったが、笛は鳴らず、ポスト(目標)となった黒崎
の頭から、サントスへとラストパスが渡った。
「サントス、ノーマーク! 」
しかし今年のフリューゲルはその辺の詰めが甘くない。
誠が、スライディングタックルを武器に襲いかかる!
「井上誠ぉ井上誠が! 」
再三、アントラーズの好機を潰してきたのは誠である。
小柄な体が弾丸となって、反則覚悟で襲いかかる。
「しかし、サントス! 」
しかし、ボールを止めようとして出した足はサントスの左脚をかすめただけであっ
た。サントスが誠の凶器の右足を振り切った。
「サントス、抜き去った!」
アントラーズの指令塔が、褐色の右脚をボールに叩きつけた。
「サントス、右足シュート!」
一直線に隙間を突いて、森の右腕をかすめる。
これは、文句無しであった。
「ゴォォォォォォォォル! サントスゥ!」
ボールが網に吸い込まれた直後、赤い服着たサポーター達が一気に飛び上がって
絶叫した。
「ファインゴール! サントス、値千金の一撃、1対1! 」
1対1、後半43分の地点でアントラーズが追いついた。
「サントス技あり! もう一回見てみましょう」
呆然とするフリューゲルスイレブンの姿もその目に感嘆の意を込めていた。これ
は、まさしくサントスのキャリアが決めた一発であった。
黒崎と、フリューゲルス・ディフェンダー渡辺一平がゴールキーパー森の壁となっ
てしまった形であった。その壁をすり抜けて、ゴール左上へ突き刺さった同点シュー
トは、アントラーズサポーターの試合前から積もっていた鬱積を晴らす結果となっ
た。
「アントラーズ侮れません」
サントスが技を見せた。これだけでもこの試合、金を払う価値があった。
そして、終了の笛がフリューゲルス反撃の最中に鳴り響いた。
「ここでハーフタイム! 三つ沢公園球技場、一万五千の大観衆の、両軍の選手
に対する惜しみない拍手の声援です」
フラッグがはためき、弛緩の空気がスタジアムに漂う。
このスタジアムに集った観衆全てが様々な感情をフィールドに叩きつけ、一つ一
つの動きに喜怒哀楽あらゆる相をあらわした。
フリューゲルス優勢で進んだ試合展開は、いつしかアウェイのアントラーズが主
導権を握ることとなった。この試合の主役も、誠と渚の井上姉妹から何時しかサン
トスへと移り変わっていた。
失速したフリューゲルス。
渚、そして志村の危惧が展開となって現れてしまったのである。
★
「山口と交代するか。誠」
「やだ、何故交代しなきゃ」
加茂監督は、誠に根拠を示した。
「後半30分以後、左サイドのチェックが甘くなっている」
「仕方無いだろ。あっちの方が上手だし、ディフェンシブハーフをするのは始め
てだし。」
誠は積もっていた監督不信をここぞとばかりぶつけることにした。
「だいたい、私のポジションは10番だ! 攻撃出来ないんじゃ、私の価値は半
減してしまうのわかんないかなぁ、あんた」
「誠、監督批判はおいといて、からだの調子はどうなんだ」
フィジカルコーチが厳しく問い詰めた。
「今日は、運動量の消耗が激しいぞ。いつもの誠なら、Vゴールでもバテないは
ずだが」
「だから、ポジションのせいだって」
誠は頭を抱えて、大人たちからそっぽを向いた。
自分のことは自分がよく知っている。誠はスピードがあるというより技術に長け
た選手であり、複雑な足技で相手ディフェンダーを翻弄するタイプのミッドフイル
ダーとして今まで10番の背番号を背負っていた。全力でルーズボールを追いかけ、
運動量を大量に消費するアクションは、不得手ではなかったが、彼女の望むところ
でも無かった。
手にした錠剤をスポーツドリンクで流し込み、神経性の痛みを和らげようした。
「わかったよ、替えないで」
調整不良でフィールドを去るのはプロ失格である。
誠の錠剤が効いたのだろうか。彼女が、自分の役割に対する不満を口にすること
は無くなった。
そして、ミーティングは再開された。
背広姿の加茂監督の指示がホワイトボードに描かれ、説明される。
誠に与えられた指示は実に単純である。ジーコ、サントスのパスを積み取ること
が残り45分の仕事である。
誠の視線は、後半の展開を見つめていた。
★
「オオノはパス回しをもっと正確に。パスは短く、遠くなったら足を使って拾い
にいけ」
実際には、1点が限界だろう。ジーコだってわからないはずはない。
「少ないチャンスを生かすんだ。マコトは3点取ると俺達に言ったんだ。ナギサ
に気を取られるのはわかる。だからこそ、パスを奪われることがあってはならない
んだ」
ジーコは時折、身振り手振りを交えて、指示を出す。アジテーション色の強い語
りは、流石にブラジル代表の主将を経験しただけはあって誰の胸にも十分に伝わっ
ていたはずだ。
プレッシャーを相手にかけなければならない。
もう1点を奪うことさえ苦しかった。実際は。
誠の挑発は、こういう形でプレッシャーとなっていた。
「俺たちは決して負けない」
ジーコの檄は、イレブンの雄叫びに包み消された。
★
「それにしても、大変な取材陣じゃねぇか」
先程まで外国人記者達に逆に取材責めに遭っていた志村にもようやく一息つける
時が来た。
今日の三つ沢球技場には、世界の主要なサッカー雑誌社および欧州の新聞社の極
東支局の記者達の顔が並んでいた。
「世界初の、女子選手のプロリーグ参加」。サッカー先進国の人々には衝撃的な
ことであった。今まで、セリエAやサンパウロ州リーグをはじめとする世界中の一
部リーグに女子選手が参加したことはない。女子選手の禁止をうたった項目なんて、
国際サッカー連盟には存在しないが、サッカー界においては未だ男尊女卑の色が濃
い。
だからこそ、記事にする価値はあった。その取材の標的のひとつに志村と矢島の
存在があった。
「マコトのセックスは激しいのか?」
こういう質問も志村になげかけられた。志村が「身内」であるがゆえである。
「いやいや、きっちり守っていたじゃないですか。上出来すよ、まこちゃんも
渚ちゃんも」
「そうだな、実力は認めるだろ、あいつら」
日本サッカーに対する逆説的な皮肉に関しては志村の懐に閉じ込めた。
それよりも、志村には危惧があった。
渚のことを除いては、誰よりも誠のことを知っている志村だから、誠のことを気
づかうのである。
「まこちゃんの負担を軽減するにゃ、渚ちゃんの頑張りに期待するしかないな」
志村の顔は深刻であった。
「90分闘うのは無謀だ。けど、代わる気はないだろな」
「渚ちゃんの頑張りで、守備の負担が減ってくれたらいいですね」
この試合のもう一つの鍵は、井上渚のゴールが握っていた。
ゴールを待望する声援。
果てないサポーター達の願望は、今日の主役の登場とともに高まり、渚の登場し
た瞬間、誰もが声を枯らし、彼女の名前を呼んだ。
「なぎさちゃーん」
もしれない。
後半、渚の右足にかけられた期待は大きい。
志村に関しては、誠に対する愛情も含めて渚の一撃に託すものは大きかった。は
やく誠に楽になってほしい一心が、志村の声となって渚に届いたのである。
渚のいつもの笑顔は、真剣な眼差しに変わっていた。誠の分まで働かねばならな
い後半戦。その笛が、鳴り響いた。