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JETBOY第7話(2)
★内容
2
「まこちゃん、また余計な事言ったな」
矢島からの些細な情報が、志村の眉を動かした。
「ジーコさん、大変な剣幕らしいっすよ」
「そりゃ病院送りにしてやるだなんて、喧嘩売ってるもんな」
志村は意外に平然としているが、商売人気質の矢島にとっては決して穏やかで
ない。
「僕は、ジーコさんに同情しますよ……… 」
矢島の頬杖が少しゆらいだ。
誠のことを知る者にとって彼女の暴言が事実になりそうな予感をかなり感じた
のは事実である。知る人のみしか判らないが、誠の履歴書にはケンカファイター
の文字もある。レッドカード覚悟でいけば、右膝に古傷を抱えるジーコへ意図的
に致命傷を与えることもあり得るだろう。たとえ誠の過去に覚えが無くとも、鹿
島の精神的支柱ジーコに対する暴言そのものがファールだとも取れる。
「加茂さんが、ハーフに誠をしばりつけたのも頷けるな」
アントラーズイレブンはその気になれば誠を合法的に潰す腹積もりである。加
茂監督がが最前線から誠を遠ざけることによって、少なくとも『壊し屋』ディフェ
ンシブハーフの本田や巨漢のセンターバック大野らと接触する可能性は少なくな
る。それにディフェンシブハーフが動けば穴が出来る。作戦系統を無視しない限
り誠がゴールを奪う機会は無い。フリューゲルスの、誠の無礼を詫びる意味での
せめてもの気遣いというべきだろう。
「今日の試合、何事も起こらないで欲しいですね」
「いや」
志村の唇が緩む。「起こってほしい」
「先輩らしくない」
矢島が咎めるように言った。それにしても、フェアプレー志向の志村が、この
場合の誠を擁護すること自体珍しかった。
「昨日、ホテルでの別れ際に約束したんだ」
「どんな約束です?」と矢島が尋ねる。
「イエローカードを貰わなかったら、迎賓館前のクイーンアリスに連れていっ
てやるって言ったんだ」
誇らしげに言い放った志村の顔を、しかし懐疑の眼差しで矢島は見つめる。
「食べ物ですか。上手ですね、女の子をあしらうのが」
「フェアプレーをメシで買えるなら安いもんだわな」
それでもクイーンアリスはフランス料理の五指に入る店である。志村のライター
としての給料からすれば此処は荷が重すぎるのだが。
「俺は、まこちゃんが上手にジーコをあしらってくれると信じているよ」
「はいはい」
矢島は次の言葉をつなぐことが出来ない。あきれたのだ。
一方、志村の口からは、試合への想いが次から次へとあふれだしている。
この一言が核心を突いていた。
「まこちゃんがキレなかったら、今日はフリエが勝つ! 」
根拠は他にもあるが、なんといっても5番の出来が起用のフリューゲルスを左
右する。フリューゲルスのチームキャプテンは昨日まで5番を背負った山口素弘
であったが、彼も優秀な能力の持ち主であった。その山口を外してまで誠を起用
したのである。
その、今日の主役が緑色にそまりはじめたフィールドに現れた。
選手入場を告げる勇壮な旋律が三つ沢の空へと響きわたる。高貴な赤のユニホー
ムは鹿島アントラーズのイレブン、そして審判団に率いられてアントラーズと一
緒に入場したのが横浜フリューゲルスの白いイレブンである。
しかし今日のフリューゲルスのイレブンは天皇杯当時の顔触れとは随分異なっ
ていた。此処で闘う22人のなかで最も小柄なふたりは、新しくフリューゲルス
の攻守を彩る井上渚そして井上誠の「ジェットボーイ」である。身の丈160程
度の男たちに混じれば小柄な体躯だが、不安なんて、鍛え上げられた太股を見れ
ば消し飛んでしまう。
志村は、記念撮影を行っているフリューゲルスのイレブンをじっと見据えた。
「負けるな! 渚ちゃん、まこちゃん」
★
「アマリージャさん、明日は何処にいくんだったっけ」
「カルイザワでしょ」
大した余裕である。試合前だというのに、渚とアマリージャの二人は明日の観
光旅行の話なんぞ交わしている。
横浜フリューゲルスはツートップ制を敷き二人のストライカーを置く。最前線
には井上渚とパラグアイの英雄アマリージャの二人が後方からのパスを待ち受け
る形になっている。
「ナギサ、マンオブザマッチの賞金で君にドレスを買ってあげるヨ」
「本当?」
「今日、絶対にマコには負けられないヨ。ハットトリックは僕が決める」
長躯のストライカーは笑いつつ少ししゃがむと、小柄な渚の額に目線を合わせ
た。
その眼光には、普段の飄々とした風貌は感じられなかった。笑ったのは、ほん
の一瞬のことで、渚の少し広い額に男の唇が触れたその時だけであった。
渚は、軽いキスを何も抗わずに受け取った。
「ムイ、ブエノ」
アマリージャはそう言い残して、自分の位置についた。
センターサークルに位置どるのは、鹿島アントラーズの二人の外国人選手、ジー
コとアルシンドである。ジーコは特に、世界の檜舞台で闘ってきた。
しかしアマリージャも歴戦の強者であった。ワールドカップ南米予選で幾度か
対戦し続けた大国ブラジルと小国パラグアイ。
アマリージャは静かに、好敵手を見つめていた。
「ピィィィッ」
主審菊地光悦の笛が鳴り響き、ジーコのキックオフで試合が始まった。
歓声は二つに割れ、激しい旋律と陽気な音色が交錯する三つ沢球技場の今日の
気温は18度湿度48%という最高のコンディションである。
そして早速主審の笛は鳴り響いた。
倒れているのは鹿島の得点王アルシンド・サルトーリ背番号7の姿である。そ
してアルシンドをひざまつかせたのはフリューゲルスの背番号5の小柄な少女で
あった。
誠はアルシンドに手を差し延べた。
いきなり仕事をやってのけた井上誠のその笑みは、今日の試合に対する自信の
程を表しているのかもしれない。既に鹿島のドクターが救急箱を持って駆けつけ
ている。ジーコを血祭りにあげる前に、すでにその子分をあやめてしまったわけ
である。
今日の誠の体調は決してよろしくはない。しかしフィールドに立つその姿は、
観客たちにとって頼もしくみえたはずであった。