#3475/7701 連載
★タイトル (RDF ) 93/11/10 20:19 (184)
憧憬異常 <5> 月境
★内容
「ぎゃあてい、ぎゃあてい、はぁらぎゃあてい、ぼぉじそわかぁ、般若心経ぉー」
大山寺バス停の広場から、ひたすら山に向かってここは大神山神社の石敷参道。まわり
は杉の大木に囲まれ実に静かな所のはず、だったのだが・・。
「ちょっと、史生、そのお経やめてくれない」
襲は無神論者で、無仏論者である。
「いーじゃん、ほっとけば」
聡貴はおもしろそうに史生を見物しながら歩いている。
塚本史生は、すこぶる機嫌がいいと、般若心経にフシをつけて歌いだすクセがある。
「この『ぎゃあてい、ぎゃあてい』が何とも言えなくいいんだよな。そう思わん?」
「思わない、思わない」
かまわず、史生は歌い続ける。
「ぼぉじそわかぁ、般若心経ぉー」
東京駅へ入る頃から、もっといえば史郎の車を出る頃から、史生の機嫌はすこぶるいい
。車中でそれとしらず史郎に眠らされていたふたりは、史郎と離れられたのがこんなに
も嬉しいのだと勘違いしているが、そんなことでは断じてない。だからといって史郎と
のことは綺麗さっぱり解消して、すっきりした気分のまにまにお経なんか歌っているの
でもない。
ひとことで言えば。
怖いのだ。
得体の知れない人物が自分たちを呪い殺そうとしている事実。
『力』がつかえるのは自分だけという現実。
それに。
『タカマミツキ』。
史郎は『いずれおわかりになるでしょう』としか答えてくれず、けっきょく『タカマミ
ツキ』のことは何一つわからない。でも敢えて言うなら、間貴史が言っていたおっかな
いお兄さんたちは史郎の悪友の手下で、『タカマミツキ』ともかさねとも一切関係のな
いことぐらいだった。『休暇中に、そのおっかないお兄さんたちをなんとかしてしまい
ましょうね』と彼は呑気に言ったものだ。
歌でも歌っていなければ旅行気分がもたない。
これが史生の正直な本音だった。
「ねえ、なんかすこし暗くなってきたよ」
かさねの何気ない一言に、史生はギクリとした。
「雨でもふるかな?」
キーンと耳鳴りがする。頭がガンガンする。・・・やられたかもしれない・・・。
あたりはシンと静まり返り、急速に日の光が細くなってゆく。
『旅の途中でちょっかいだしてくるようでしたら、僕の《トリ》さんも使ってください
ね』
史郎の声が耳によみがえる。
「史生?」
聡貴が史生の変調に気づいて上体を支えた。
「・・・御大のお出ましらしい・・・」
「オンタイ?」
かさねは史生の状態を気遣いながらもゆっくりと顔をあげた。
「!」
参道は消え、眼前には人里があった。燃えている。逃げまどう女の長い髪をひっつかむ
鎧の・・・・。鎧?三人は言葉を失った。ぎゃあっという凄まじい叫び声。狂ったように殺
戮を繰り返す鎧の一群。轟々と燃える木、木、木!燃えている家からまろびでた幼い少
女。背の火を消そうと悲鳴をあげてころげまわっている。その少女の胸をひと突きにし
た鎧の男。その家紋をみて襲は愕然とした。あの家紋、《蔓結び蝶》とよばれる優美な
蝶紋は天奏家の家紋そのものだった。
「やめてくださいッ!」
血を吐くような声でさけんだ瞬間、ぐにゃっと空間がねじれた。
そこにはもう、史生も聡貴もいなかった。ただ、泣いている綺麗な着物の少女。
襲は、部屋の隅にうずくまって泣いている少女を見つめた。そしてはじめてその少女の
腹部が大きく盛り上がっていることに気づいた。背に冷たいものがつたった。先程の武
者の蹂躙する様子で、この少女の孕んでいる理由が知りたくなくてもわかってしまった
。
「・・・・・え・・?なに?」
「天奏の子など生みとうない。生みとうはない・・・・・・」
少女は打掛けの端を千切れる程に掴み泣きながらそうつぶやいていたのだった。
襲は瞠目してその場に立ち尽くした。どうしたらいいのか、もう、わからなかった。
「天奏襲」
ふいに後ろで気配がして、襲はびくりと振り返った。そこに立っていたのは、白い着物
と袴をつけた青年。それは彼の正装らしかった。
「今みせてきたものは、すべて天奏の家の罪だ」
襲はうなだれた。少女の呪咀の声がきこえる。
「消えてしまえ。消えてしまえ。天奏など・・・・」
滅びてしまえ!
ざあぁっと音をたてて空間がかわった。襲は為すすべもなく相手のされるままになって
いる。
「天奏がその『力』をもって、自己を護る時代は終わったのだ」
ひざまづいてうなだれる襲の顎を皐月はつかみあげた。もう、少女も部屋もない。ただ
ひたすら『無』の空間。
「天奏の直系たるお前に、『力』がないのが何よりの証拠だ」
顎をつかむ手に力を込めた。
襲は目を閉じている。
「私は《碧見》の血をひく者。400年来の恨み、忘れたことはなかったぞ。天奏!」
襲の顎を握り潰そうとした瞬間、襲の目が開いた。蒼い、蒼い瞳。その冷たさに皐月は
こおりついた。
「・・・この手、放してくれませんかね」
抑揚のない、低い声。
皐月は動けなかった。先ほど迄とはまるで別人だった。つめたい手が皐月の手首に触れ
る。
「ぎゃっ!」
皐月は痛みのあまり転げ回った。手首をへし折られたのだ。
「さっきから大人しくしていれば。いい気になって悪趣味の映像は見せる、自分は戦国
大名の末裔だ・・、ふざけるのもいいかげんにしてくださいよ」
『襲』は皐月を蹴りあげた。
「ぎゃあっ!」
「《碧見》家のことぐらい、僕だって知っていますよ。碧見家の人間は天奏の正夫人と
なった由貴野の姫君をのこして全滅したんですよ。貴方の言うような末裔なんているわ
けないじゃないですか」
ガンッとへし折った手首を踏み躙る。
「ぎゃっ!やめろ、やめろぉっ!」
『襲』はゆっくりと踵を離した。
「それに。天奏の殿様と碧見の姫君のロマンスなんて、玄宗皇帝と楊貴妃並みに有名じ
ゃないですか。貴方の思い込みは異常としかいいようがないですよ。憧れが高じた狂気
。《憧憬異常》ってとこですかね」
『彼』はクスクスと嗤った。
「貴方みたいになにも考えずに術を使うと、あとが怖いですよ。術ってのは、それを行
なった本人に帰るものなんですから。今、ここで死ななくても、近い将来貴方は死ぬこ
とになるでしょうね」
彼は、不様に転がっている皐月を見下ろすと鼻で嘲ら笑った。
「あんたが忠誠を誓う《お家》なんて、初めっから幻だったんですよ」
これほど皐月の心を踏み躙る言葉もなかった。彼は《碧見》への忠誠心だけで成り立っ
ていた。それが崩れたということは、皐月の存在理由さえ危うくするものだった。
「式神」
ばさりと羽音がして、『彼』のさしだされた腕に白鷹がとまった。
「あんた・・・・だれだ・・・?」
『彼』は妖艶に嗤った。
「鷹舞三月」
ざあっと彼の蒼い髪がゆれた。
「翔!」
「あのさ、史生」
閉じこめられた空間で、聡貴が口を開いた。
「なんだよ」
史生は、除霊はしてもこんなのは初めてである。なにもかも先手をとられて、今や恐怖
をとおりこして不機嫌極まりない。
「タカマミツキのこと。おれ知ってんだよ」
「え?」
彼は瞠目した。
「これは史郎さんの家族とごく一部の人間しか知らない、いわばトップシークレット並
みのことなんだけど、さ」
聡貴はいいづらそうに続ける。
「史郎さんがおまえに『いずれわかる』っていったんならいいと思って」
「誰にもいいやしない」
史生は真剣な顔つきになって聡貴をみた。聡貴は意を決したように顔をあげると、
「あいつ、二重人格なんだ」
動揺を隠しきれない史生に聡貴は続けた。
「あいつが4つのころから、鷹舞三月はいるらしいよ。どういう切っ掛けでそうなった
かは、史郎さん、話してくれなかったけど。医学的にはなにか、とても大きなショック
が切っ掛けで心が分離したんだろうって。史生の感じたとおりさ。もうスイッチしてし
まえば襲とは別人。でも精神科に入れられるのが嫌だからって、学校とかじゃ襲を演じ
てるけどね。だけど史生みたいに『力』も使えるみたいだし、バイオリンも弾けるよう
だし。 学園祭になるとかならずスイッチするから、襲には学園祭の記憶がないらしい
んだ。要するに鷹舞ってやつは襲の出来ない事がほぼできて・・・・・・」
バシッと嫌な音が響いた。空間が裂けたのだ。
崩れ落ちる空間の壁から垣間見えたのは・・・。
「鷹舞三月」
三月はばらばらと風に蒼い髪をゆらしながら、妖艶ににっこり笑った。
「貴方は、もう、僕の存在のこと、お気付きになってしまわれたようですね」
三月はわずかにしずんだ声で史生に口火をきった。ここはあの大神山神社の石敷参道。
もうあたりはすっかり暗くなっている。月明かりでわずかに三人の顔がみえる程度だ。
「ひとつ聞いていいか?」
「はい」
従順な声で三月がこたえる。
「あんたは、おれたちを殺そうとした術者をどうしたんだ?」
「殺しました」
ひとかけらの罪悪感のない声。それより、と三月は史生をみた。
「だれにも話したりしねえよ。あんたのこと。それでいいんだろ」
史生は吐き捨てるように言った。
「おれは襲の口から聞きたかったよ。知ってたって誰が精神科なんかにぶちこむもんか
」
三月は驚いたような顔をした。
「怖く・・ないんですか?」
史生は怒ったように言い返した。
「おっかねーよっ!相手の術者を殺しちまう奴なんか!だけどな、あんたが医学的にみ
て襲の一部として生まれた人格なら、おれは自然とあんたとも友人ってことになるんだ
よ。だれが友人を精神科なんかにぶちこむもんか!」
「塚本さん・・・」
三月の表情が和らいだ。
「おれも聡貴と一緒だ。おまえの親友やめる気はない」
「鷹舞三月のときでも?」
「無論!」
三月は史生に手をさしのべた。史生はためらいもなくそれを握り返す。
「改めて自己紹介します。僕は鷹舞三月」
「おれは塚本史生。みつきか・・・じゃあんたのことは《みっちゃん》でいいな?決まり!
」
「えーっ」
三月はすっとんきょうな声をあげた。
「嫌です!そんなの」
「うるせえっ。もう決まったんだよ!」
聡貴は思いっきり吹き出した。
そうせずにはいられないくらい嬉しくて、可笑しかった。
終
1993・11・10 AM11:30