#1295/1336 短編
★タイトル (CWM ) 00/11/21 01:23 ( 82)
お題>デュエット(後) つきかげ
★内容
秋の空は青く晴渡り、とても高かった。
僕は大事なことを忘れているような思いを感じながら、目を閉じる。
携帯電話が、僕の胸ポケットで鳴った。 携帯を取り出す。番号非通知になってい
るため、誰からの電話なのかは判らない。僕はとりあえず通話ボタンを押した。
「いいか、これからおれの言うことをよく聞け」
唐突な言葉に、僕は面食らった。
「誰ですか?あなた」
「誰でもいい、そんなもの。いいか、おまえは今循環する時間の中に囚われている。
まあ、多分おまえも感じてはいるんだろうが」
「まあね」
「おまえの隣にいる二人の女の子のせいだ」
「二人って」
「いいから聞けよ、順を追って説明してやる。その子は自閉症だ。この近くにある施
設で暮らしている子だ」
「そんなふうに見えないけど」
「おまえ自閉症の何を知ってるんだ?自閉症というのは時間認識の病といってもいい。
我々は、時間というものは過去から未来へと不可逆に流れてゆくものだと思っている。
自閉症児はそう時間をとらえない。彼らにとって時間とは断面の連続なんだ。無数の
窓がある部屋を想像しろ。自閉症児にとって世界とはその窓から覗いた外の風景のよ
うなものとしよう。窓を左から右へと辿っていけば過去から未来へと時間は流れる。
我々はそうしている。しかし、彼らは任意の窓を選ぶ」
僕はため息をついた。
「信じがたいな」
「信じろ、おまえの今の状況を理解するにはそれしかない。例えば写真の記憶能力と
いうものが、自閉症児に見られることがある。それは、記憶しているのでは無く、過
去の時間へアクセスしているといってもいい。彼らはむしろ過去の記憶を語るのは苦
手だ。現在、過去、未来という時間統握をしていないからだ」
「けれどね」
「判っている、だから順を追って説明するといってるだろ。自閉症児は時間を統握し
ていないのだから、コントロールして循環させたりはできない。だけど、その女の子
はやっている。そして、おまえはそこに巻き込まれた。それはな、歌のせいなんだよ」
「歌?」
「おまえがいまいる土地には、ホオトキの歌というのが伝わっている。そこの駅名を
見て見ろ」
僕は振り向いて見る。『祝土岐』と書かれていた。
「この土地では、時間の『とき』に漢字を当てはめて地名にしたようだ。つまり、時
間を祝う地ということ。ホオトキの歌は時間を祝う歌だ。原始の祝祭空間を形成する
ための歌。もともと、原始の世界での時間認識というものは循環していた。祝祭を起
点として、無限回の創世と終末が繰り返される。それが、原始の世界での螺旋状の時
間。時間を循環させるには祝祭が必要だ。祝祭において時間認識は一時的に解除され、
カオスが出現する。祝祭とは、時間認識を一時的に無化するシステムなのだ。そして、
祝祭を成立させるには俗なる状態と、聖なる状態との分節が必要だ」
「それが歌の作用で実現される?」
「まあな。本当はそう単純でもない。そのためには空間的な統握、言語的認識、様々
な装置が揃う必要があり、そのインフラ上で起動されるアプリケーションソフトウェ
アが歌というべきだろう。ただ、そこの祝土岐には基本的な装置は揃っている。さら
に、その女の子の母親は巫女だった」
「じゃあ、この歌は母親に教わったんだ」
「教わったというより、自閉症児には音楽を複写する能力が備わっていることがある。
たまたまホオトキの歌を聞いた時に、インプットされたんだろう。機械で記録するよ
うに、精密にな。むしろその子は、母親以上に完璧にホオトキの歌を再現していると
思う」
「なるほど」
「その女の子は自分の母親が死んだ時に、時間が停止した。そして、その停止した時
に住む女の子が、現在おまえの隣いる女の子と一緒にいる見えない女の子だ。母親が
死んだ瞬間が、その子にとって原初のカオスが出現した瞬間であり、祝祭の時間でも
あった。女の子は止まった時から歩み出そうとしたが、止まった時の中にいるもう一
人の女の子がそれを許さない。過去の女の子がホオトキの歌を歌うことにより、母親
の死を起点として時間が循環される。今おまえが聞いているのは、過去と現在のデュ
エットなんだよ」
僕は女の子を見る。彼女は僕を窺いながら、忍び笑いをしているようだ。今、なぜ
か僕にはもうひとりの女の子が見えた。過去の、母親が死んだ瞬間の女の子。
「じゃ、どうすればこの時間循環から出られるんだ?」
「歌え、おまえも」
「僕が?」
「女の子の歌とシンクロさせ、異化し、破壊しろ」
「できるの?僕に」
「できるさ、だっておまえも自閉症だっただろう」
僕はため息をつく。
「君は誰か判ったよ。君は僕なんだね」
「おれはおれだ。そして、時間循環に呑み込まれなかった、おまえでもある。おれは
時間循環には呑み込まれていないが、おまえがそこにいるかぎり、自由にはなれない」
「判ったよ、いいたいことは」
僕は電話を切ると、空を見る。
秋の空は青く晴渡り、とても高かった。
ベンチの向こう端には女の子がいる。女の子は二人。双子以上によく似た女の子。
そして、僕の隣にも男の子がひとり。過去の僕。まだ自閉症だったころの僕。
僕らは歌った。
二組のデュエット。
そして、僕らは列車に乗った。
未来へと向かう列車に。