#1282/1336 短編
★タイトル (PRN ) 00/ 8/12 7:14 ( 72)
『飛ぶ人の思い』 梓名 健一
★内容
梅雨時期のある日の夜、ひさしぶりに晴れたので安神 沙彦(あがみ すな
ひこ)は湾岸に来ていた。彼は灯台の屋根に登って夜空の星を見上げている。
都会は空気が悪いのであまり綺麗に星を見る事ができない。
「ここは星がよく見えないな」
そんな彼の言葉を代弁するかのように隣にいる夜空を見ている黒猫がそう喋
った。この猫、何を隠そう言葉を喋るのだ。ヨコハマで見つけたのだが、今で
はすっかり彼の家の住人になっている。
「そうだな・・・・・・千葉に方に行けば良かったかなぁ?」
「でも見えるんだから良いんじゃない?」
彼は一度黒猫を見ると、再び空を見上げた。
「それにしても、こんな時間に外にでるなんて沙彦にしてはめずらしいね」
「久しぶりに飛び回りたくなっただけだよ」
黒猫は意味ありげに沙彦を見上げた。
「それだけ?」
彼は表情を読まれないためにゴーグルをはめる。
「変な事言ってないでいくぞ」
沙彦は黒猫が肩に乗ったのを確認すると屋根から一歩空に踏み出した。普通の
人なら下に落ちてしまうが、彼の体は空中にふわりと浮かんだ。
そのまま一直線に飛ぶと、右に旋回して湾岸を一回りした。一回りするとス
ピードを上げて上昇し、夜の空気にデンプシーの形を描いた。
「ちょっと速いんじゃないの?」
黒猫が必死に背中にしがみつきながらそうわめく。
「静かにしろって、もうすぐ止まるさ」
沙彦はその言葉通り、湾岸の真ん中付近で止まった。
「どうして、こんなところで止まるの?」
「ちょっと約束をね・・・・・・」
彼はポケットから安物の指輪を取りだした。そして息を思いっきり吸い込む
と大声で歌い出した。
消えかけているあなたには見えるだろうか
プラスチックとガラス玉でできた
1000円のオモチャの指輪
この指輪はね
オモチャの指輪かもしれないけど
未来へのスタート地点という意味と
僕の思いが
込められているんだ
まだあなたに指輪が見えるのなら
かるく笑い飛ばしたのだろうか?
バイクの免許を取ったら渡しに行くよ
ビルに邪魔されないで見える
空の大きな場所に
だから、それまでどうか行かないで
だから、それまでどうか消えないで
きちんとした指輪をあげるまで
それまでどうか行かないで
それまでどうか消えないで
彼は歌い終わると指輪を手放した。しかし、一向に水に落ちる音は聞こえて
こなかった。
沙彦と黒猫が見つめている空中には今にも消えてしまいそうなほど透明な女性
が、その指輪を受け取って恥ずかしそうに微笑んでいた。
”ありがとう”
沙彦にはそんな言葉が聞こえかのように思えた。
「ほぉ〜」
黒猫が背中に思いっきり爪を立てたが、沙彦はあえて気にしないフリをした。
「また飛ばすからなぁ、しっかり掴まってないと振り落とすぞ!」
「ちょ、ちょっとまぁ〜」
彼は黒猫が全部喋り終わる前に再び加速して夜の湾岸の空を飛び回った。
(終)
(代理アップ by ジョッシュ)